ミスジョル R15


  Baciami


 在り来たりだがグイード・ミスタは「女は笑顔が1番」だと思っている。恐らく多くの人間が思っているだろう。勿論元が美しければ美しい程良いというのが本音だが、多少そうでなくても笑っていれば可愛く見えたりするものだ。
 つまり元々美しい顔が笑えば。
 今日の仕事が片付いた後に「学校付属の寮に帰りたい気分じゃない」と言い出したので泊まって良いぞと連れ帰ったジョルノ・ジョバァーナはなかなかに笑顔を見せない。
 勿論全く笑わないという程ではない。
 夕食にと牛肉と缶詰の豆を主とした煮込み料理を作ってる最中、後ろから手伝える事は無いかと急に言われて驚き白ワインをどぼどぼと注いでしまったのを見て嘲笑われたし、出来上がったそれを食べて美味いとほんのり微笑んだりもした。
 他にも不敵な笑みならば日頃からよく見る。オリエンタルにもオクシデンタルにも見える整った顔にその笑い方は似合っている。
 だが。
「そうじゃあないんだよ」
「何が?」
「いや別に、こっちの話」
 リビングのソファに座ってテレビを見ているミスタに、その隣で足をソファに上げて横向きに座り、背をミスタに預けて本を読んでいるジョルノは「そうですか」とだけ返した。
 寛いでいるのか、甘えているのか、何かしら誘っているのか。
 読書が好きなのは――ギャングらしくないとはいえ――止めないが、この姿勢はどうにかならないものなのか。
 常に腕に重みと熱とを感じさせられて、柔らかな金髪から漂う香りを嗅がされて。過去に数えるのを辞める程の回数泊めてきたが、次第次第にモーションは強くなっている。
 本を読むといういかにも学生な行動をしていなければ一層腹を括ってしまうのだが――否、していなくても学生に代わりは無いし未だ成人もしていない子供という事実も変わらない。
「ミスタ」
「んー?」
「この姿勢疲れたので」足を下ろし、背を離して「膝を借りても良いですか?」
「……どうぞ」
 ここに来て膝枕とは末恐ろしい。耐えかねた物が爆発してしまいそうだ。万が一物理的に爆発したらどうしてくれるのか。
 有難うと素直に礼を口にしてジョルノはミスタの膝――厳密には太股だが――へ腹這いになった。
 膝枕の為仰向けになるのではなく俯せに。
 男なので柔らかな感触は無いが太股に胸を押し当てるのはいかがなものか。そしらぬ顔をして伸ばした両手で持つ本を読み始める。
「ジョルノ」
「何ですか?」
「……何でも」
 そうですかと返事をする時もこちらを見ない。しかしこちらを意識してはいる。視界の隅にミスタの顔を入れて表情を確認している。お前の反応を見ているぞ、という事は充分に伝わってきた。
 横顔より更に斜め後ろからに近い角度だが、それでも綺麗な顔をしている。
 そこに笑みが乗れば尚良いのに。そう思ったからではないがミスタはジョルノの頭を撫でた。
 癖の強いふわりとした金の髪。触り心地は良いし、触られるのが悪くないのかジョルノも目を細める。
 犬なら千切れんばかりに尾を振りそうな、猫ならゴロゴロと喉を鳴らしそうな、そんな満足気な様子にミスタも口元が弛んだ。
 悪戯にうなじも撫でてやろうと思ったが髪の毛が隠している。ミスタは右手を頭へ戻さず背中へと伸ばした。
 馬の毛並みを確かめる貴族の要領で上から下へと撫でた。ジョルノはふうと寛ぎきった息を吐く。
 この油断を逆手に取り、服と下着しか阻む物の無い尻を撫でたらどんな反応をするだろう。ギロリと睨んでくるのか、真顔で止めろと言い放つのか、はたまた顔を赤らめ恥じらい――
 いやいや。
「いやいやいやいやいやいや!」
「……ミスタ?」
 流石にジョルノの怪訝そうな表情を浮かべた顔がこちらを向く。
「どうかしましたか?」
「いやいやどうもこうも有ったもんじゃあねーけど何でも無ぇから!」
 この流れで3つも年下の子供に手を出すわけにはいかない。
 最近気付いた事だが、というより早い段階で薄々気付いてはいたのだが、ジョルノの『誘惑』は無意識下の物ではない。
 単に冗談の通じる友人をからかいたいのか、はたまた年頃らしい好奇心を向ける先が最も近くに居る人間なのかまではわからない。しかし意図している事は確かだ。
 真意はどうあれ両者の利害は一致しているのでは?
「いやいやいやいやいやいや!」
「だから、何が嫌なんですか?」
「嫌じゃあないから困ってんだっつの!」
「もう少しわかりやすく」
「寝る」
 10代ギャング2人の就寝時間にしては些か(いささか)早いが。
「わかりました」
 ジョルノは金属製の栞を挟んで閉じた本を、手を伸ばして近くのテーブルへ置いた。
 それから漸く体を起こしたが、ソファから降りずにミスタの膝の上へ顔を向き合わせる形で座り直した。ご丁寧に首に両腕を回してくる。
「運べと?」
「寝るんですよね?」
 そういう意味で言ったのではない、と言えば誤解が加速しそうだ。
「2人でここで寝よう、という提案だったんですか?」
 ソファで絡み合うように寝て間違いを犯さないわけがない。困惑する様子を見て楽しんでいる顔に正しい意味での涙を乗せるわけにもいかない。
「はいはいベッドまでお運び致します」
 わざとらしくよいしょと掛け声を付けてジョルノの体を横抱きにした。
「あー重てぇ、あー部屋が狭くて良かった」
 寧ろ足の長さからすれば軽い位の体。こうして抱える事も初めてではないが、体重の預け方の慣れ具合が他の奴にも運ばせているのかと勘繰ってしまいたくなる。
 荷物を放るようにベッドへ落とすとジョルノは楽しそうにふふと笑った。不意討ちで「それが見たい」と思っていた種の笑顔を見せられるから一層困った。
「寝ましょうか」
「おやすみ」
 足元に丸めてある布団をバサと音を立てて伸ばしジョルノの体へ掛けてやる。
「……寝るんじゃあなかったんですか?」
「同じベッドで寝るわけにはいかねーからあっちで寝る」
 今し方座っていたソファを指した。
「じゃあ僕もそっちで寝ます。1人で寝るなんて寂しいじゃあないですか」
「あのなぁ……」
 そろと腕を伸ばして手首を掴んできた。引き寄せられる前にミスタは顔をずいと近付ける。
「じゃあ俺は1人で寝られない子供が入れない店で飲んでくる」
 近過ぎるジョルノの顔が切なげに歪んだ。普段は大して表情を浮かべないくせにこんな時ばかり。わかっているのか。全てをわかった上でわざとやっているのか。
 精一杯の溜め息を吐いて顔を放した。
「頭まで布団被りゃあ怖くねーだろ。じゃあな」
「キスして」
 短く吐かれた言葉に、背を向ける筈だった体が止まる。
「……あ?」
「僕が子供なら、おやすみのキスをしてもらわないと眠れない」
 てっきり子供ではないから大人のそれをしてくれという意味かと思ったのだが。
「ミスタ、貴方にも幼少期が有り親御さんが大事に育ててくれた筈だ。幼い貴方におやすみのキスをしてくれたのでは?」
 大事にという辺りは否定をしたい気もするが、その記憶は殆ど無くとも経験が全く無いとは言えなかった。
「僕は貴方と、キスをしたい」
「そういう言い方すんなよ! 焦るだろうが!」
「焦る?」
「いや、だから……わかったわかった、早く寝ろ」
 ジョルノの両肩に手を置いて力を込めた。目を閉じた体がベッドへと沈む。
 顔を顔に近付けると先程嗅いだばかりの良い匂いが再び感じられた。
 鼻先同士を軽く触れさせた後すぐに唇を重ねる。
 柔らかい感触が開いた。未だ舌を伸ばしてもいないのに鼻孔をくすぐる匂いが唾液のそれへ変わったように思えた。
 肩から離した右手で頭を撫で、そのまま長い髪を梳いて手を止める。
「……あ」
 唇を、顔を離すと小さく漏らされたジョルノの声に後ろ髪を強く引かれる。しかしここで覆い被さっては今まで苦労して堪えてきた意味の全てが無くなってしまう。
「これでもう寝られるな」
 ノーとは言わせない。どうせどれだけ待とうとイエスも返ってこないと踏んでミスタはそのまま部屋を出た。

 徒歩圏内に組織傘下の飲み屋は幾つも有るが、その中でも取り分け『子供』の入れない店に入った。
 ビルのワンフロアを占めるナイトバーはテーブル席が左右に1つずつしか無く、入り口から見て向かいに長いカウンターが有る。
 それら以上に特徴的なのが入り口に程近い可笑しな位置に設けられたショーを行う為のステージ。今日はこの後少々過激で18歳未満には見せられない演目が予定されていた。
 カウンターの中には大きなモニター。ショーの最中はその映像を映すが、今はよくわからない音楽番組を延々と流している。
「俺思ったんだけどよォー」
 あくまでバーなので接客はカウンター越しが基本となる。ミスタのどうでも良さげな口振りに、バーテンダーを兼ねるマスター――未だ20代後半の所謂雇われ店長――は「はい」と続きを促した。
「『おやすみのキス』ってどこにするもんなんだ?」
 これに答えるのは自分しか居ないとマスターは苦笑にしか見えない作り笑いを浮かべる。
 テーブルは2つ共グループ客で埋まっているが、代わりにカウンターは他に誰も座っていない。単独客同士で盛り上がる事も有るのがバーの魅力だというのに。
「頬、ですかね」
「だよな」
「あとは額とか」
「成る程」
「思ったとは?」
「ん?」
「思った、と仰いましたが、ミスタ様はどこにするのが妥当だと思ったんですか?」
 何と難しい質問だろう。自分を苦しめるべく苦味の強い物を、とオーダーしたモレッティ――ビール――が注がれたグラスに口を付けて誤魔化した。
 恋人同士でもないのに唇にするのは可笑しい、という事はわかっている。
 もうしてしまった事は取り消せない。それに部屋に泊め横抱きで運ぶ事だけではなく、唇へのキスだって初めてではない。
「……可愛いんだから仕方無い」
 我ながら可笑しな言い訳を声に出すと、その『可愛い』様子が頭に浮かぶ。内面は熱いのに表面は至ってクールな少年の、油断した寝顔や安堵の微笑み、そして背伸びして惑わせてくる表情。
 思い出せば胸が高鳴り頬が熱くなる。それらを認めては思春期の少年のようで恥ずかしいので、酒が回って動悸が激しくなり顔も赤くなっただけだと思う事にした。
 未だ幼い彼へ手を出す輩が居たら許さない。つまり1番許せないのは自分自身。一応は手を出していないのに罰せられる位なら一層、という方へ考えが向きそうな己に気付いて今度は顔が青くなる。
 目の前のマスターは指摘しないが百面相だなと思っていた所に、コツコツとヒールの音を立てて1人の従業員が来た。
「あの、貴方がミスタ様ですよね? うちの幹部の」
 天然物か染めたのか金に近い茶色の髪を短くした、しかし顔も体付きも実に女性らしい女性。
「そうだけど、っつー事は新人?」
 辺り一帯の店を取り仕切る組織の幹部の顔をよくわかっていないという事は。ミスタとしても初めて見る顔の気がしている。
「新しく入りました。未だ2回目です」
「へーオッパイデカいな。何でここで働こうと思ったんだ?」
「最近付き合い始めた人が組織の……じゃあなくて、その、10代の男の子が「幹部のミスタが居るから入れろ」って来ているんですが」
「どういう事かな?」
 マスターに話を促され、新人従業員は1度深呼吸をした。
「凄い美少年が来たんですけど中学生位に見えたし、今日はこれからショーが有るから万が一覆面だったら困るし、身分証の提示をって言ったんです。そうしたら、組織の幹部のミスタという男が客で居る、自分はその男と約束が有るから入れてくれ、って……今の時間単独男性って先刻来た若いお兄さんだけだったから確認しないと、と思ったんです」
「約束、ねぇ……」
 当然そんな物は誰ともしていない。ここに来たのは完全に思い付きで誰かに言ってもいない。
「……美少年ってブロンド?」
「はい。凄く綺麗な」
「ふわふわしててちょっと長い?」
「後ろでみつあみにしてました」
 案の定だ。
「すぐ戻るからチェックしないでおいてくれ」

 ドアを開けるとすぐそこには予想通りジョルノが予想以上の無表情具合で立っていた。
「なかなか入れてもらえないから白(しら)を切っているのかと思いました」
「入れねーよ! 子供は帰れ」
「子供にこの時間のこの辺りを歩かせるんですか」
「車拾え車。来る時は歩いてきたのか?」
「ええ。蠅(はえ)を見失っては辿り着けませんからね」
「蠅? っつーかどうして俺がここに居るってわかったんだよ」
「洗面所のゴミ箱の貴方の髪の毛を蠅に変えて追ってきました」
 ジョルノのスタンド能力は可笑しな方向に恐ろしい。
「……おい待て、お前部屋の鍵どうした? 開けっ放しじゃあないのか!?」
「そこもスタンドで何とか。取手を蜘蛛に変えておきました。猛毒の有る大きな蜘蛛に。触れれば毒が回るし、攻撃を加えれば反射する。僕が解除するまで誰もドアを開けられません」
 持ち歩いている鍵よりも余程強固なセキュリティぶりだが、ジョルノが居なければ家主すら入れないという事か。
「合鍵作っておくわ……」
「鍵をくれるんですか?」
 世間からはあらぬ誤解を招きそうだが、声を弾ませて言われると早急に作りたくなる。
「でも先ずは中に入れて下さい。店の前でドアを塞いで立ち話なんて営業妨害だ」
 言う通りだが18歳未満を入れるのには抵抗が有る。ミスタは本来子供が入ってきたら連絡を受けてつまみ出す側だ。
「……今から俺は19歳、お前は18歳の俺の後輩な」
「了解しました」
 ジョルノならば演じきるだろう。ぼろを出す可能性が有るのは寧ろこちらだ。

 店内に戻ると先程の新人従業員も個人的に目を掛けている凛々しい顔をした金髪の女性従業員も左右にあるテーブル席で引き続き接客に当たっている。
 連れが漸く来たという風を装ってミスタは先程まで座っていたカウンター席に座り、その隣にジョルノを座らせた。
 戸惑いながらも「いらっしゃいませ」と言ったマスターの目にはジョルノが子供にも組織幹部の連れにも見えているのだろう。
「何頼んでも良いぞ。車を呼ぶから、1杯飲んだらお前はそれに乗って帰れ」
「嫌です」
「嫌です、じゃあない」
「じゃあシャンパンを開けて下さい」
 1杯と1本では飲み終わる時間が大きく変わる。
「僕はこの店に入るのが初めてなんです。次に入れるのはいつになるかわからないし、色々と見ておかないと」
「まあそれは、言えるな」
 組織を束ねるトップであると同時に学生でもあるからか頭の回転が早い。気を抜くとすぐに言いくるめられてしまう。
 口八丁手八丁は上辺の軽薄さが売りの自分の十八番(おはこ)だと思っていたのだが、どうにもジョルノの方が1枚上手のようだ。
「でもこの店シャンパンなんて置いてあんのかよ」
「無いんですか?」ジョルノの目はカウンターの中のマスターへ向き「バーだから有るんじゃあないですか?」
 ナイトバーを何だと思っているのか問いたかったが、年齢制限の有る店には自らは足を踏み入れない主義――制限を守っているのかボスが子供と嘗められたくないのか――のジョルノは事実入ったのが初めてだから仕方無い。
「一応ございますよ」
「マジか」
「厳密にはシャンパンではなくマルティーニですが」
 シャンパーニュ地方のそれではない、イタリア産のスパークリングワイン。
「甘口ですからお若い方でも楽しめるかと」
「それを下さい」
「勝手に決めるな」
「何頼んでも良いと言ったじゃあないですか。金は僕が出します」
 ぷいと顔を背けられる。
 年相応の、もしくはそれ以上に幼い仕草は珍しい。膨らませているかもしれない頬を突いてやりたい。
「マルティーニはモレッティより少々度数が高くなりますね」
 その言葉はジョルノではなくミスタに向いていた。
 モレッティを飲んでいたから、ではなく。度数の高い酒を飲ませて持ち帰るなら手伝う、という意図が恐らくだが込められている。
 勇気の出ない男の背を押す為だったり、可笑しな輩から女を守る為だったり。客の言動を見て、その客にすら悟られない度数の調整を仕事としているバーテンダー。
 自分の店を持つには未だ若いマスターの目には自分達がどう映っているのやら。
「もういいそれで。1本開けてくれ」
「有難うございます」
 記念日でも何でもないのにシャンパン――便宜上。酒屋で買えばそれが買える位の金額を設定されたマルティーニ――を開けるなんて金持ちにでもなった気分だし、実際に『幹部』の地位になってからは相当自由に使える金が有った。
 ミスタを毎晩飲み歩いても問題無い環境にしてしまった元凶を隣に座らせて。安っぽいコースターの上に脚(ステム)に石細工が施された小綺麗なシャンパングラスが置かれ、そこに静かにマルティーニが注がれる。
 微かに琥珀色にも見えるほぼ透明の液体はしゅわと小さな音を立てている。その音に合わせ幾つもの気泡が底から水面へと上っていった。
「綺麗ですね」
 望めばより高価な、本物のシャンパンだって簡単に手に出来るのに。じっとグラスを見るジョルノは内心はしゃぎつつもそれを必死に堪えているように見える。
「乾杯するか」
 本来の持ち方ではないらしいがミスタは脚を掴んだ。
「はい、乾杯」
 これまた本来の所作ではないとされているが、グラス同士を軽くぶつける。
 揃ってグラスに口を付ける。ジョルノが一体何に乾杯するのか、と聞いてこなくて良かった。
「……うわ」
 無駄に低い声が出る程に甘い。
 ぶどうジュースのような、というのもおこがましい程の甘さ。砂糖で煮詰めた果物が奇跡を起こしてアルコールの匂いをさせているだけに思える。
「美味いですね」
 それを隣で心底美味しそうに、喉を鳴らさんばかりに飲むのは如何(いかが)な物か。
 甘い物がそう嫌いではないミスタにも甘過ぎると言わせる味だが、口当たりはまろやかなのに対し炭酸はやや強い。甘党の人間にはさぞ飲みやすいだろう。
 しかしそうなると、一気に煽って一気に酔いを回してしまいそうだ。早速ジョルノは空にしたグラスをカウンターに置くし、マスターもそこへ新たに注いでいた。
「余り飲ませんな」
 強めの口調で言うとマスターは真意か否かを探るような視線をミスタへぶつける。
「良いじゃあないですか。早くボトルが空けば、その分僕は早く帰るんですから」
「あー……帰りたくないならゆっくり飲め」
 はい、と返事をしたジョルノの横顔に笑みが浮かんだ。
 やはり女に限らず人類皆笑顔の方がずっと良い。可愛いとも綺麗とも愛しいとも思う。
「ミスタ」
「何だ」
「今映っているの、この店ですか?」
 カウンター内にあるモニターは音楽番組の映像を止めていた。
「これからショーをやるからな。演者と目を合わせるのが嫌ならそっち向いたまま、モニター越しに見えるようになってるんだぜ」
 ふぅんとだけ答えたジョルノが凝視しているモニターに1人の女性が映る。
 今日の演目は所謂『ストリップ』なので、ある意味ジョルノに見せても問題は無い。組織の庇護下になければ出来ない演出こそ有るが、それでも更に過激なショー――例えば呼ばれた客もステージに上るような――と比べれば健全な位だ。
 これを見に来ましたと言うべくミスタは椅子を回してステージの方を向いた。
 隣に並んでいるのに前と後ろという正反対を向いている。
「髪、黒くて長いですね」
「そうだな」
 画素数の荒いモニターでもその位はわかるようになっている。直接見れば肌の白さが際立つ髪の色だという事もわかった。
 それ以上に特徴的なのが大きな胸。顔立ちは平凡、中の下に化粧を施して中の上へ高めた印象で真っ赤なファーの羽織物が似合っていないが、隙間から見える谷間の華やかさは男としては見る義務が有る。
 ネアポリスよりも更に南の地方にこそ似合いそうな軽やかな音楽に合わせて黒髪の従業員は体を捩らせ(よじらせ)た。
 上着は脱ぎそうで脱がない。黒い網タイツに包まれた、上着と同色のハイヒールを履く足を高く上げる。動きが激しく下半身に何を身に付けているのかわからない。何も身に付けていないのかもしれない。
 左肩から羽織りが落ちてフリンジ付きのニプレスを中央に貼り付けただけの胸が露になる。
 片方だけでも迫力すら感じる程の大きさ。隣に居るのがそれ以上に心を揺さぶる存在でなければもっと鼻の下を伸ばしているのだが。
「ミスタはこういう女性が好きなんですか?」
 どんな音楽よりも惹き付けられる声が問い掛けてきた。
 横目に見ればジョルノは頬杖を付いてカウンター内のモニターをつまらなさそうに眺めている。
「こういう、胸の大きな女性が」
「さァ……何とも言えねーわ。そりゃあオッパイは大きい方が良い」
 だが大きいからといって好きになるとは限らない。
 右胸も露にした黒髪の従業員は好みのタイプとは少々異なる、それ以前に好みと理想と今現在好きな相手は違うもの。なんて事を上手く説明出来る筈もなく、ミスタは甘過ぎるマルティーニで自らの口を塞いだ。
「小さいと、平らだと対象外ですか」
 視線をやや下ろしたジョルノは疑問系の台詞を抑揚の1つも無く吐く。
「大きいのが好きと小さいのが嫌いは違う」
 そりゃあこの子のオッパイがもうちょーっとデカけりゃあ良いのにな、と思う女の子が居たりもするけどよォ。
 ギィと音を立てて椅子傾け、こちらを向かない顔に少しだけミスタ自身のそれを近付けた。
「デカいかどうかは2番、1番大事なのは誰に付いているか」
 ジョルノは既に1口分しか残っていないワインを口に含んで飲み込む。
「……3番目は?」
「は?」
「3番目に大事なのは何ですか?」
「個人によるだろ」
「貴方の場合は」
「……触れるかどうかとか? そっちの方が大事か。デカさは3番だな。あ、お前、4番目は訊くなよ」
「先に言われてしまった」
 目元と口元に笑みが乗る。天使のような美貌に堕天使のような笑い方は淫靡なこの店によく似合っていた。
 少年らしさの欠いた白く細い指でグラスを前へ出す。そこへマスターがボトルを傾けワインを注ぐ。
「あんまり飲ませんなって。こっちに入れてくれ」
 中程で止めてミスタのグラスへ。同じ量を注ぎ、未だ中身を残してマスターはボトルを置いた。
 グラスに唇を付ける端正な横顔が、ふと気付いたように目を上へ向けた。ミスタはカウンターに背を向けている椅子の上で姿勢を直し、モニターではなく直接脱ぎ踊る女の方を見る。
 いつの間にやらニプレスを落としている。そこまで晒しては良くても指導が入るし悪ければ営業停止だが、そうはならずに紐状の下着も下ろすか否かの駆け引きを客に見せられるのは、巨大なギャング組織が裏に付いているから。
 長い黒髪が胸を、羽織物の赤い毛皮が臀部を、上手い具合に隠している。見えそうで見えない。否、時折は見えてしまう。その芳しい一瞬の為にテーブル席の男性客達も見入っているようだった。
 ジョルノが自分を好いているのはわかる。但しこちらが向ける感情と同じ類いの物かまではわからない。もしかするとジョルノ本人も幼さ故に理解出来ていないかもしれない。こうして女体を見る事で本来の性の在り方に気付くかもしれない。
 となると、少し寂しい。ミスタがジョルノへ向けるそれは神の教えに背く物でありながら、神様の「待った」如きでは止められない程度には強い。
「胸の趣味はわかりましたが、髪の趣味は?」
「髪? 生えていりゃあ……いや、俺長い方が好きだな」
「今踊っている女性のような?」
「まぁ……」お前のようなだよ、と言う事も出来ず「……あそこまで長くなくても良いけどな」
 癖の強い猫毛を「何と無く」で伸ばした感じの。すぐ隣にその触れたい髪が有る。
「お前は?」
「僕ですか? そうですね、僕はブルネットが好きです」
 黒髪の自分に向かってそれを言うのか、と言い掛けた。
 足元にすとんと下着を落としたが羽織りで臀部すらなかなか見せない『踊り子』のような髪色を指しているのかもしれないのに。
「……自分がそれだけ綺麗なブロンドしてんのに?」
「自分の髪の色と好きな髪の色が一致するとは限りません」
「毎日鏡で見てりゃあ見飽きるもんな」
「少し前まで毎日黒い髪を見ていましたよ」
「お前アジアンだったっけ。全然そんな面(つら)してねーけど」
 ある日色が抜けて以来戻らないと適当に言っていた事を思い出す。
 自分ではあるまいし適当ではない、事実だが言葉が足りていないだけかもしれない。
「こう見えても母親は日本人です。4つの頃まで日本に居ました」
「日本ってあの小さい? ちっと日本語喋ってみてくれ」
 ミスタが体を捻り振り向くように横を見ると、ジョルノもまた同じような姿勢で隣に座るこちらを見ていた。
「日本語……」
 形良い目を珍しく丸くし2度瞬きしてジョルノ言葉を選ぶ。
「……Buongiorno(こんにちは)」
「すっげぇ! それ日本語かっ! 日本語っぽい! 何て意味だ?」
「意味もわからず喜ばないで下さい」
 恥ずかしいのかグラスのかなり上まで入っていたマルティーニに口を付けた。
「待てよ、今の何か聞いた事有るぜ。日本はどこと似た言葉だっけか……待てよ待てよ、今当ててやるからな」
「こっちで言う『こんにちは』ですよ。ただの挨拶」
「言うなよ!」
 ジョルノはくすくすと笑いながらボトルを持つマスターの方へグラスを掲げる。
「未だ学校に入る前なので母と母の連れてくる男位しか話す人間は居なかったんですが」グラスに流れ込むワインを眺めたまま「挨拶はテレビなんかでも必ず言うのでよく覚えています」
 中程まで注がれたマルティーニを、グラスを鼻の近くに寄せて嗅いでから口に含んだ。
「日本は子供向けのテレビ番組が多かった、と思う。シッターという職が殆ど無いようだったし」
 留守にするか男を連れて帰ってくるかの母と交わす会話は決して多くないので覚えていない。
 それよりも箱の中の着ぐるみが楽しげに掛けてくる言葉達の方が未だ記憶に有る。
「他には? 他にも覚えてる日本語有るんじゃあねーの?」
「Arrivederci(さようなら)」
「それも挨拶か?」
「さよなら、またね、といった感じの挨拶です」
 相槌を打つと端正な顔に似合う笑みを見せてきた。
「母が連れてきた男が帰る時に使っていました。僕に対しては嫌味たらしく言う男も居たので覚えている。というより、忘れられない」
 笑顔の中に苛立ちのようなささくれ立った何かが混ざった気がする。
「その男って『今のお父さん』の事か?」
「母が連れてきた男達の中の1人が義父ですが、義父はイタリア人で基本的にイタリア語しか喋りません。日本に居た時から母とはイタリア語で話をしていた」
 そのお陰で移住してすぐにイタリア語を身に付けられたのだろう。
 ましてや言葉を覚える多感な時期。基盤としての頭が良さそうなジョルノは育ち方が違えばバイリンガルになっていたかもしれない。
「お前は俺とは違うしな」
「何がですか?」
「別に。取り敢えずおはようとおやすみは覚えた。ん? こんにちはとさようならか? まあいい、他にも何か、喋れたら格好良い日本語教えてくれよ」
「じゃあミスタには特別に、魔法の言葉を教えてあげます」
「お! 待ってました!」
「何ですか、そのノリは……」
 呆れる顔にミスタは中身の残るグラスをカウンターへ置いてから拍手を送った。
「意味は知らない言葉なんですが、でも魔法の言葉が有るんです」
「わかんねーのに魔法? まあ日本ってそういうイメージ有るけど」
 こちらの悪魔はナイフで刺してくるが、日本は幽霊とやらが祟りというものを引き起こすらしい。
「Baciami(キスして)」
「……あ? 何だ?」
「もう1度言いましょうか? Baciami。これを言うと……欲しい物が手に入ります」
 危うく母親に強請るのに使うのか、と聞く所だった。ジョルノの幼少期はそういった類いではないのに。
「母が男達の帰り際に言っていました。そうすると、抱き締めてもらえる」
「抱き締める、ねぇ……」
 それが『欲しい物』なのか。
「髪を撫でてキスをしてもらえる、そんな特別な言葉。だから愛しているとか、そういう陳腐な意味を持つんでしょうね。男にはその後Arrivederciと言って外へ見送りに出ていました」
 陳腐と形容しながら10年の月日を過ごしても忘れず魔法とまで呼ぶ。
「義父の場合は来てすぐに母が言っていましたね。その後イタリア語で少し話をして……その頃は何と言っていたのかよくわからなった。それから僕に大人しくしていろと言って2人で部屋に入っていく。僕もいつか言ってやろう、と思っていました。ずっと思っていたんです。誰にも渡せない相手にBaciamiと言って独り占めするって」
「そんな魔法の言葉をここで言っちまって良いのかよ」
「ミスタ、Baciami」
「俺の話聞いてる?」
「Baciami!」
 マルティーニを一気に飲み干してグラスを置いたジョルノは、椅子に座ったまま身を乗り出してがばと抱き着いてきた。
「お、おい……」
 胸に顔を埋めて。ミスタには金で柔らかく長い髪しか見えないので、その髪の持ち主が今表情をしているのかわからない。
 からかっているのか、真剣なのか。駄々を捏ねる子供には手を出せないとわかっているのに、頭の中の悪魔がナイフを握り締め子供の願い位叶えてやれと脅してくる。
「あー……困ったっつーか、その……なんだ、お前は……生まれた国の事、そんなんで良いのか?」
 聞く限り余り良い思い出の無さそうな祖国から持ってきた物をこんな所で、こんな自分相手に。
 言葉以外の物もぶつけられたような気分だった。責任を取るという言葉で――
「……おい」
 1つ気付いて声を掛けた。が、予想通り返事が無い。寧ろ予想の通りに『寝息』の返事が有った。
「ジョルノ」頭頂を優しくぽんぽんと叩き「起きろ」
 意地を張って寝ていないと言い出せば未だ面白いで済むのだが。
「これじゃあ完全に酔っ払いの介抱じゃあねーか……」
 少し前まで恋人未満の駆け引きのような甘い時間だったというのに、今やただすやすやと眠る子供を支えているだけ。
「お前こんな度数のワインで酔い潰れる奴だったかァ?」
「ん……」
「起きたか?」
 微睡みから漏れた声らしく会話にはならない。
「マスター、コイツそんなに飲んでたか?」
 気遣いから視線を逸らしていたマスターはこちらを向きワインボトルを片手で持ち上げた。
 ラベルを見せながら中身を残しているミスタのグラスへ傾ける――が、1滴も落ちてこない。
「……空かよ、マジかよ」
「ミスタ様のお連れ様ですから、明日以降の支払いでも構いませんが」
「俺が払う――いやそういう話じゃあなくてだな」
 頭の片隅に「それなりの金額になっちまった」とは過った(よぎった)が。
 深く寝入るジョルノが転げ落ちないように支えながら――嗚呼これでは、魔法の言葉通りに抱き締めてしまっている――財布を開け紙幣を取り出す。
「何を祝うつもりでシャンパンなんて入れちまってんだろうな」
「前祝いでございますね」
 下世話な想像を働かせるなと言いながらモレッティ数杯と、桁が2つ違うマルティーニの料金を支払った。
 本当にそうしてやろうかと考えてしまう辺り自分こそ下世話なのだが。
 しかし実際にどうすれば良いのやら。ジョルノが言っていた通りの戸締まりをしていれば、その蜘蛛はジョルノにしか取り払えない。寝かせたままベッドへ放り投げてやる事は出来ない。極力起こしたくないが、起こさなければ自宅の前で朝焼けを眺める展開が待っていそうだ。
「この辺りでこの時間からも入れる滅茶苦茶安いホテルって知ってるか?」
「今日ならどのモーテルも埋まってはいないと思います。右の大きな通りに出て信号を渡るとすぐの所にも有りますね。入り口が裏側ですが」
「待て待て待て! モーテルじゃあなくてホテル! いやモーテルに入ったからってそういう事をするとは……あーもう!」
「お連れ様、起きてしまいますよ」
「起こしてーんだよ!」
 これだけ大声を出しても全く目覚める気の無いジョルノの腕を肩に回してミスタは椅子から立ち上がる。
 横抱きにした際は小さく細いので軽く感じた体だが、意識の無い状態では肩に乗せただけでもそれなりに重い。
 もたつく足を半ば引き摺るように出口へと向かう。ストリップショーに夢中な筈の客の何人かがちらりと2人を見てきた。
「おいジョルノ、寮に帰してやれねーんだから起きろ」
「……んぅ」
「連れ込まれてーの? あんな事やそんな事されちまうぞ? そうだよなァ、お前本当は俺にされてーんだもんな? まあやらしい! なんてイヤラシイ子なんでしょうッ!」
 こういう時に限って寝言の1つも漏らさない。
「あぁ待って」そこへ女の声が「ちょっとエレベータまで送ってきますねぇ」
 声を裏返してからかっても金髪の少年は夢の中だが、金髪の従業員は甘ったるい声をテーブルの団体客に掛けてこちらへ来る。
 肩口よりも伸ばした癖の強いゴージャスブロンドにクールビューティーと呼ばれそうな美貌。残念ながら胸元が寂しいのもスレンダーの証と思えば、この従業員は『誰か』に似ていると思って贔屓にしていた。
 しかしその誰かの顔とすぐ近くで見比べると大して似ていない。
 ましてや彼女は背中に異常なまでのタトゥーを入れているし、口を開ける度に舌中央のピアスが見える。首筋に痣が1つと両耳に小さなピアスが1つずつの誰かとは全然違う。
 店のドアを出て非常階段の横を抜けてエレベータの前へ。従業員が静かにボタンを押した。
「すっかり寝ちゃってますね。ねぇその子、男の子ですよね?」
「見ての通り」
 そっちの趣味と思われたか、綺麗な顔なら性別を問わないと思われたか。
 どちらでも良い。他の人間を指していればお前の方が可愛いだの何だのと口説きに変えるのだが。
「ずっと見たかったんだよねぇ、お兄さんの好きな子。良い匂いがするとか綺麗なふわふわのブロンドが天使みたいとか言ってたし。確かに綺麗な子ですねぇ。この前、なんでしたっけ? 彫刻にして教科書に載せる、でしたっけ?」
「俺そんな事言った?」
 だとすると酒は恐ろしい。意味のわからない事を口走らせる――否、日頃は言うに言えない本音を吐き出させてしまう。
 ジョルノの譫言(うわごと)同然の日本語も、大人ぶり背伸びをしている普段は決して漏らせない本音なのかもしれない。3つの言葉のどれも正しい意味はわからない。
「すーっごい安心しているから、こうして眠ったまんまなんでしょうねぇ」
「どうだかな」
「そんな子を牙に掛けるなんて、お兄さん悪い人」
「お前にそんな事言われちゃあ――」
「ヤる事ヤるしかねぇなぁってやつ?」
「逆だ逆!」
 大笑いする成人した女に酒の勢いで手を出す義務とは全く以て正反対だというのに。
「俺は紳士だからコイツを寝かせて、さっきの日本語の意味を調べんだよ」
 文字にするとどう書くのかはわからないが発音だけでも何とか調べられるだろう。
 しかし更なる窮地はその言葉の意味を知った時。


2018,03,17


椎l名l林l檎とか福l山l雅l治のキスしてってタイトルの曲達が可愛くて、イタリア語でキスしてって単語もまた可愛かったので。
でも4歳でイタリアに来たなら日本語は殆ど覚えていなさそう。
調べても00年代のイタリアのストリップが何処まで脱ぐのかサッパリわからず、現代日本と同じ法律という事にしました。
<雪架>

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