モブジョル R18


  ガニュメデスの略奪


 今日の任務の市街地の見回りはみかじめ料の徴収が含まれておらず、問題の有る店を回る予定も無く、ナランチャと2人な事も有ってただの散策のようだとジョルノは思っていた。
 ネアポリスの治安は決して良くはないが──自分達ギャングが堂々と闊歩(かっぽ)しているのがその証拠だ──よく晴れた空も手伝い辺りは昼食後の穏やかな雰囲気に満ちている。
「なあ、こっち通って近道しようぜ」
 ナランチャが通路と呼べない程に狭い建物と建物の間を指した。
 横には並べないが縦に連なれば通れる。
「偶に猫も居るんだぜ、しましましたやつ」
「……止めませんか? 近道をする程急いでもいませんし」
 否定されると思っていなかったのかナランチャは目を丸くし、しかしジョルノらしいしっかりとした理由が有ったので「それもそうだな」とすぐに納得した。
「ナランチャ、猫が好きなんですか?」
「おう。でも猫ってすぐ逃げるよな。犬なら遊んでやれるんだけどさ。ジョルノは猫好き? あ、もしかして苦手だった?」
「苦手ではありませんが、どちらかと言えば犬派です」
 嗚呼、苦手と言えば、それを理由に路地裏を避けた事に出来たか。
 狭い所や暗い所が嫌い、なんて子供っぽいギャングに向かない理由をでっち上げるより、正直に話した方が未だマシか。それに話せばきっと気分も変わる。
「……最近ちょっと、尾け(つけ)られているみたいで」
「え、誰に?」
「さあ。心当たりは全く有りません」
 もう少し自意識過剰であれば自分に一目惚れした女が探偵を雇ったのでは、等と言えるのだが。
「半月程前から明らかに僕を探っている車が2台。同じ人間が乗っているかは分かりませんが、黒い車の方は昨日も見ました。だから今は余り人気(ひとけ)の無い道に入りたくないんです」
「そうだったのか……困ってたならもっと早く言えよ。しっかし尾け回す車か……オレに出来る事有るかな……有ったら何でもするからな!」
「有難うございます」
 仲間想いの仲間が居て良かった。
 自分もナランチャに何か有ったら助けたい。だから何か有ったらすぐに言ってほしい。
 それを直接言葉にしようとした瞬間、車が2人の前に停まる。
 後ろから来たその車は絶対にはねないようにゆっくりと、しかし確実に足止めするべく真ん前へ。何台も車が通っているのでその中の1台が速度を落とした事に気付かなかった。
「先刻ジョルノ、黒い車って言ったよな」
 目の前の車は白いが嫌な空気を感じ取ってナランチャは肩を強張らせている。
「ええですが、昨日は見なかった方の車は白です」
 言葉の終わりに合わせるように男が2人、助手席と後部座席から降りてきた。
 ジョルノはスタンドを出した。ただ隣に立たせるだけ。男2人は何の反応も見せない。スタンド使いではない。
 ならばもし『応戦』する必要が有るならこれで、とナランチャは持ち歩いているナイフを取り出し背に隠す。
「テメーらが──」
 助手席から降りてきた男がナランチャの言葉をスタンガンで遮った。
 手に収まりきらない位の大きさの、隠す気の無いスタンガンをナランチャの左腕に押し当て躊躇い無く電流を流した。バチと音が鳴ったし青白い光も見えた。1秒も掛からずナランチヤはそのまま道路にどさりと倒れる。
「な……」
 何故ナランチャを? 僕を尾け回していたんじゃあないのか!?
「おいヤベーよ、この威力じゃあ本人には使えねえ!」
「いきなり使わなくて良かったと思え!」
 大男が答えながらジョルノの口を左手で塞ぎ、右腕で体を横抱きに持ち上げた。
 そのまま白い車の後部座席へ放り込まれる。
 運転席から男が、布と小さなスプレーを持ち後ろに身を乗り出していた。
「声出さないで」
 命じてくると同時に大男の手が口元から離れる。
「あのお友達心配だろ?」
 男ではなく車の外に、ナランチャの方に気が向いている事を見抜かれている。改めて運転席の男の顔を見た。平凡そうな、ともすれば気弱そうな顔立ちだった。
 ジョルノと目を合わせたまま手にしているハンカチか何かにスプレー剤を噴射する。
「お友達も一緒に連れて行くから」濡れそぼったハンカチを向け「ちょっとこれ嗅いでね」
 ジョルノは口を真一文字に結んだ。声を出すなと言われたから、ではなく。
 眠らせる気だ。
「お友達置いてくの嫌だろ? この車でも他の車でも、うっかり轢いちゃったら──嗚呼、先に乗せてあげようか。おい」
 気を失った後に乗せる保証は無いと警戒している事に気付き運転席の男は大男に指示を出した。
 完全に気を失っているナランチャの体が軽々と車に積み込まれる。
 後部座席の足元に体を置かれ、座席シートに頭を乗せられたナランチャは電気を流されたが顔に苦しさは浮かんでいない。すやすやと眠っているようにすら見えた。
「じゃあ嗅いで」
 運転席の男の声。
「お友達、今から車の外に捨てる事も出来るよ。まあ俺ならちょっと走らせてから捨てるけど」
 それは速度の有る車から放り出すという意味か、それともここよりも危険な所へ運んでからという意味か。
 嗅いだフリをして、眠ったフリをしてやり過ごすという方法が有る。
 しかし狸寝入りを見抜かれたら、あの強力なスタンガンで眠らされかねない。腕でこうなるのだから首に流されたら──
 本人に使えないと言っていた。本人が自分だとジョルノは踏んでいる。だが、だから大丈夫だろうと楽観視は出来ない。
 心臓がバクバクと大きな音を立てている。万が一の事が有ったら、と隣に姿を出したままのスタンドをちらりと見た。
 精神力のヴィジョンなのだから気絶させられればスタンドも姿を消すだろう。その前に車を殴り付けてカエルにでもしてしまおうか。
 だが──続けてナランチャを見た。彼を守り抜けるかどうか分からない。このままこの男達の思惑に乗ってしまった方が少なくともナランチャは安全だろう。
 悔しい。歯軋りをしたい位に。
 焦れたのか抵抗しないと思ったのか両方か、リーダー格かもしれない運転席の男がジョルノの顎を掴み軽く上を向かせる。
 液体を滲ませたハンカチで鼻と口とを覆われた。ジョルノは息を止めず、しかし深く吸う事もしない。いつも通りの呼吸でもスプレー液は充分に効果が有るらしく、声に出さずに7つ数えると同時に気を失った。

 優雅に足を組んで椅子に座る男。足が長いので様になっている。
 ここはどこだろう。今は何時だろう。この男は一体。
 初対面、というより逆光で顔もろくに見えない。何も話さないから声も聞こえない。だから全く知らない人間だが、それでも嫌いではない、気がした。
 何故なのか考えようとして、ジョルノは今自分が夢を見ているのだと気付いた。その瞬間から『これ』は明晰夢となる。

 気絶させられていた。
 意識が戻ってすぐに頭も体も動くのは良かったが、薬物による気絶らしく本調子ではない。
 匂いからして恐らく酒を幾つか混ぜて悪酔いさせる物だろう。違法な薬物ではなく市販品の組み合わせで作れる。
 知識が有る者、或いは太い入手経路を持つ者。さてその目的は。
 命に別状は無いし殴られたり切られたりもしていない。私怨による犯行ではなく、身代金目的の誘拐――そして対象を間違えた――か。
 しかしその必要が無い位に裕福な者の仕業だろう。あの男3人が金で雇われていそうだったから、というのも有るが。
「凄いな……」
 ジョルノは声に出る程豪華な部屋に寝かされていた。
 見上げる天井は高いし、今は消えている照明も大きい。上半身を起こして左を見ると大きな窓が有る。これだけ大きな窓ガラスとなればそうとう高価だ。
 そもそも部屋がとても広い。寝かされているベッドしか家具が見当たらないので「恐らく寝室」といった様子の部屋。壁紙も落ち着いた色合いだ。
 家具は無いが空気清浄機という家電は有る。壁掛け時計も有る。もう暫くすれば日の入りといった時間だ。
 こうして目覚める直前まで車を走らせていたとすればネアポリスを離れローマ位まで来ているかもしれない。
 着せ替えられベッドに寝かされご丁寧に布団――柔らかく温かく、しかし蒸れないので高級な羽毛布団ではなかろうか――も掛けられているので車を降りてから掛かった時間も考えればイタリア国内は出ていない筈だ。
 布団の中から両腕を出して手首がどのように拘束されているかを改めて見た。感触から予想出来る通り『手枷』を嵌められている。四角い板に左右並んで開けられた丸い穴に手首を通し固定されている。
 ただ本来手枷とは上下に分かれる2枚の板の一部分をくり抜きそこに腕を置き、それから上下を噛ませて拘束する形だが、ジョルノの手首を拘束しているそれはただの板のように見えるしとても軽い素材だが切れ目が無い。上下に、あるいは左右に3分割でも良い、兎に角切り離す事が出来ない。取り外す事は勿論、取り付ける事も出来ない形。
「スタンドか」
 言って自らのスタンドを出した。
 姿を出す事は出来た。だがゴールド・エクスペリエンスもまたマスターのジョルノと同じように手枷をしている。
 その手で触れる事で無機物に生命を与える事の出来るスタンドだが手枷でその能力を封じられているらしく、伸ばした指先でジョルノの手枷に触れても何も起こらない。
 身に付けたばかりの頃は『殴る』という行動でその能力を使っていたが、両手に枷を嵌められているのでそれは出来ない。このよく分からないスタンド能力の持ち主を見付け出して自身とスタンドで蹴り飛ばすしか解決の道は無さそうだ。
 しかし。
「この格好じゃあ外には出られないな」
 肌に触れる布団の感覚から分かっていたが、改めて見下ろすと呆れの溜息が出る程に酷い服装だった。
 赤紫色のベビードール。細い肩紐だけで着用する女性用の下着の一種。サイズが丁度良いので男性――が女装する――用かもしれない。
 肩紐と梳ける素材の生地を繋ぐ部分と胸の真ん中で左右の生地を結んでいるのは黒いリボン。裾には黒いレースなのでスタイルの良い女性が着れば色気が有る、もとい娼婦にしか見えないデザイン。
 左右に分かれ腹より下を露出する作りだが腰の方には生地がゆったりと余っているので安っぽくはない。正直肌触りも良い。
 ただ尻はその下に履かされているTバックショーツの違和感が酷い。
 ベビードールと同色で嚢も竿も収まっている。付属品かどうかは分からないが男性用の下着。
 髪が長いので後ろ姿を見て背の高い女と勘違いし連れ去ってきた説は消えた。着せる時に、脱がせた時に気付くからではない。この下着達が事前に用意されていた物だからだ。
 着せる為に連れてきたのだとしたら悪趣味だが、逃がさない為に着せたのなら賢い。裸以上に人に見られたくないし手枷で脱ぐ事が出来ない。
 足元は当然のように裸足。手首が拘束されているのでずりずりと尻を動かしベッドの外へ足を下ろす。
 床に敷かれたカーペットはふかふかと表現したくなる程毛足が長い。これまた高級そうだなと思いながらジョルノは大きな窓へと向かった。
 窓ガラスを鏡にして自分の姿を見てみた。「頭がイカレている」という感想しか出てこない。
 こういった格好は顔もスタイルも良い女性にさせるべきだし、人間1人を連れ去り着替えさせ立派な部屋に閉じ込めさせられる位の金銭的な余裕が有るなら何人もの商売女に着させられる。
 反射する自分を見ないように意識して窓の『外』を見ると、この部屋が相当な高層階だという事が分かった。
 見晴らしがとても良く、真下を見るのは怖い程。10階建てのアパートメントのペントハウスかもしれない。
 30階以上の建物であれば珍しいのでどこに居るか絞れるそうだが、10階前後となるとイタリア全土に幾つも有る。
 ただ、海が見えない。やはりネアポリスではなさそうだ。
 この高さだから窓を割って逃げ出す事は難しい。例えいつもの服を着ていてスタンド能力を自由に使えてもだ。
 ふと気付き真後ろを向く。部屋唯一の出入り口のドアが有った。
 連れ去った人間に可笑しな格好をさせて閉じ込めておく位だから当然施錠されているだろうが、鍵とは内側からは自由に開閉出来る物。それこそこの可笑しな格好では出歩けないが、部屋を出てすぐ自分の服が有るかもしれない。
 そこまで都合良く事は進まないと分かっているが、それでも行動はしないよりする方が良い。
 ドアへ向かい、鍵が無い代わりに鍵穴の有るノブを回す。
 当然ながら開かない。
 監禁用の部屋なのか業者のミスで逆に取り付けてしまったのか、それともどちら側にも鍵が必要な作りをしているのか。外に出られたら先ずはそれを確認しようと思った。
 試しにスタンドを呼び出し枷をされている手でノブを回させてみたが変化は無い。
 マスター同様スタンドも指先は自由に動くが手首を固定されているので制限が多く、不自由さに顔に苛々を浮かべて見える。
 能力を使えない以上、出しておかない方が良い。カメラの類は無いようだが、いきなりこのドアが開いて誰かに見られるかもしれない。姿を知られないように隠しておこう。
 もしこの部屋が外から施錠する物置だとしたら随分と居心地が良い。ジョルノはベッドに座っている事にした。
 この状況下では何をどうしても精神は疲弊する。せめて体力だけでも温存しておきたい。
 心だけ破壊する為にこの状況に落とし込まれた可能性も有るが、それこそ気にしていられない。
 今頭に有るのは。
「ナランチャ……」
 意識を手放せば置いて行かないと言っていた。実際に車に、後部座席の足元に荷物のように積み込まれた。扱いは不服だが、それでも目が覚めたら隣にいるものだと思い込んでいたのに。
 小柄で童顔で、ようは「女の子みたい」なナランチャは自分と違いこういった格好が似合ってしまうだろう。
 変態に目を付けられているのでは――やはり悪い事ばかり考え心が疲れてしまう。
 ベッドに座った状態では窓の外は青い空しか見えない。少し赤み掛かってきた気がする。
 空の色合い、どちら側がより深い色をしているかで分かるのは方角、この部屋の向きのみ。位置は勿論建物自体の向きすら分からない。
 時計の針の音すらしない静か過ぎる空間。じっとしている事が苦にならないタイプで良かった。それこそナランチャの方がこの状況は辛いだろう。
 しんと静まり返っており微かな物音も耳に入るので廊下の足音にはすぐ気付いた。
 健康な大人が1人こちらに歩いて来る。
 このまま通り過ぎるのか、それともあの鍵穴がこちら側にあるドアが開かれるのか。
 体を強張らせ睨み付けていたドアが開いた。
「おお、起きていたか」
 嬉し気に言いながら入ってきたのは見覚えの無い中年の男。
 背は同じ位だが横には1.5倍以上有りでっぷりしている。但し服や靴等身に付けている物はどれも高価そうで品も有る。
 大股に歩み寄ってくるこの男があの3人に指示をした彼らの『ボス』だろう。
「美しい、実に美しい!」
 ベッドに手を置きこちらへ身を乗り出して顔を近付けてきた男は何故かジョルノを褒め称え始めた。
「絶対にその色だと思っていたんだ。白いのに血色の良い肌、美しい……在り来たりな黒や白じゃあつまらない。君なら着こなせるだろうけれど、折角なら最も似合う色を着せたかった。嗚呼私の目に狂いは無い!」
 男は称賛を待つように両手を広げる。
「……静かだね、物静かな子だ。見た目通りで実に良い。けれど私は」右手をジョルノの顔へ伸ばし「君の声を聞きたいな」
 触れられないように後退りした。
 生理的な嫌悪感、とまでは言わない。男には初対面の相手に最も悪い印象を与える『不潔感』は無い。ただ単に触れられたり、極端に顔を近付けられたりするのが嫌なだけで。誰だってそうだろう。親しい人にしか許さない距離という物が有る。
「まあクールで実に良い。あのギャンギャン煩いガキとは違う」
「僕と共に連れてきた『彼』はどうした」
 聞きたいと言われたので聞かせたくないと思った声が出ていた。
「美しい声は君にとても似合っている。国籍を感じさせない見た目でありながら訛りの無い喋り方だ」
 幼い頃に移り住み10年と暮らしているので当然だ。
「君は指先まで美しいね。自由に動かせなくて辛いだろうけれど、したい事は私が何でもしてあげるから安心するんだよ」
「何故……」
「ああ、見えていないか」
 男は指先でジョルノの両手首を固定する枷の上部をとんと叩く。
「まあちょっと仕掛けが有るんだよ。マジックとかトリックとかイカサマとか、そういった物だ」
 言いながら男は背後にスタンドの姿を出した。
 人の形をしているが、本人に似付かずウエストの辺りが異常に括れている。
 どうやら男はこちらがスタンド使いだと気付いていないようなので、上半身と下半身を部品1つで繋いでいるような見た目のスタンドを意識せず、あくまで男の目を見て言った。
「何故僕の質問に答えない」声を低くし、ぎりと睨み付け「お前は僕と会話をする気が無いのか」
 全く嬉しくない誉め言葉達はただの独り言なのか。
 そうではあるまい。大げさな賞賛は見た目を気に入っている相手に気分良くなってもらいたいからの筈だ。
「丁度トイレも忘れていた事だし今連れて来よう。じゃあまた良い子で待っているんだよ」
 それだけ言って男はそのまま部屋を出た。ドアが閉められた直後にガチャと音を立てて施錠される。
 すかさず走り部屋を出る事も出来たかもしれない。だがそうすればナランチャが今何処で何をしている――されている――かが分からないまま。連れて来るという言葉を信じて動かないでおこう。
 鍵を取り出した様子は無かったが、部屋を出てすぐにポケットから取り出した可能性は有る。だがやはり一般的なドアと鍵の位置が逆なのか。
 ベッドの頭側に座り直すとまた足音が聞こえてきた。
 今度は2人分。先の男と、もう1人。先程より少し遅い。
 カチャと解錠される音。開いたドアから2人入ってくる。
 ナランチャ!
 名前を呼び駆け出して抱き締めたかったがどれも出来ない。ナランチャの前を歩く男に名前を知らせるわけにはいかない。
 両腕を広げられないので抱き締められないのは兎も角、駆け出せないのは何故だろう。靴は履いていないが足自体は自由なのに。
 ベッドから降りる事は出来た。恐らく今も出来る。だがどうにも走れそうにはない。
 気絶させられて自分で思うより体力が残っていないから?
 それよりも枷には人の気力を削ぐ効果が有るからではないかとジョルノは考える。自分にもナランチャにも出来ないが、枷を簡単に外せるスタンド能力も有るだろう。そうさせない為に枷の固有能力が働いているのでは。
 証拠に同じく手枷をされているナランチャも暴れず騒がず静かに部屋を歩いてきた。ジョルノの姿を見て目を見開きこそしたが、それ以外の反応は出来ていない。
 尤も、口に何重にもガムテープが貼られていて、辛うじて鼻で呼吸しているだけのナランチャには声の出しようが無かった。
 顔を含めたあちこちに殴られたであろう痕も有る。どこからも血は出ていないが、スタンガンによる火傷の痕も痛々しく残っている。
「ガムテープを剥がせ」
 真っ先に言った。
 手枷は見えない事になっているし、殴った理由等は聞く必要も無いので問わない。
「さあそれをベッドの横へ置け」
 男はジョルノの命令を聞かずナランチャに命令を下す。
 それとはナランチャがてかせの先の両手で取手を掴み持っているバケツの事だろう。ホームセンターで気軽に買える4リットルのポリバケツは重たそうにしていないので中に何も入っていないようだ。
 ナランチャは命じられた通りにベッドの横の壁にポリバケツを置いた。
「僕が外します」
 ベッドの上を膝で歩きナランチャに近付く。顔を上げたナランチャと改めて目が合う。辛い、苦しいといった色を浮かべている。
 ──違う。僕を心配しているんだ。
 頭の可笑しな格好をさせられてはいるが怪我1つ無いジョルノより、暴行の痕が有り口を塞がれたまま物を運ばされているナランチャの方が辛いのに。枷で固定されているので利き手だけではなく両手を顔に近付ける。右手の指をうんと伸ばしてナランチャの頬に触れ、力の入り辛い指先でガムテープを剥がそうと試みた。
「そこに有るのが」男が苛立ちを含んだ声で「『トイレ』だ」
 ジョルノとナランチャは揃って男を見た。忌々しげにしていたが、ジョルノが自分の方を見た事に気を良くしてすぐに粘り気の有る笑顔を作る。
「私が居ない時でも、いつでも使って良いからね」
「……お前は僕達に何がしたいんだ」
 今の言葉、排泄をそのバケツにしろと言っているような。
 まるで自分達をこの部屋で飼おうとでも企んでいるような。
「私は君の美しさを堪能したいんだ」
「意味が分からない」
「こういう事だよ」
 男は靴を脱ぎ捨てベッドへ乗り上げ、四つん這いでジョルノの方へ迫ってきた。
「さあ美しい君を味わおうか。仕事の最中もずっと待ち遠しかったんだ。能力を使うのに1度見てしまった所為で我慢がきかなくなってしまう所だったよ」
 怖い。
 ぞくと体がすくむような寒気がした。気持ち悪いが正しいのかもしれない。
 肩を掴まれ顔を近付けられる。野生動物なら負けだと分かっているがジョルノは大きく顔を逸らした。視界の端で男は笑っている。
「んんーっ!」
 ナランチャの声。
「ん、んんっ! ん!」
 先程までの萎れた(しおれた)ような表情は捨て置いて激怒している。自分に何かされる以上にジョルノに何かしようとするのを許さない。
「相変わらず煩いガキだ……」
 溜め息を吐き、殴るべく手を振り上げた。
「止めろ!」
 その手にジョルノは枷で不自由な手をぶつけて制止する。
「煩いのが嫌なら彼を家へ帰せ。アンタが用が有るのは僕だろう? 僕にだけこんな服を着せて、彼には何もしていないのがその証拠だ」
 男は反論してこない。
 このまま言いくるめるにはどうすれば良いか考えた。こんな事をしては警察に捕まるぞと言った所で2人揃って解放する筈が無い。ただ捕まる前に殺してしまえといった考え無しの行動も取らないだろう。
 ターゲットたるジョルノが本人よりも非力そうな少年──ナランチャはスタンド能力は強力だし身軽に動けるが、彼の事を全く知らない人間の目には細身で簡単に捩じ伏せられそうに映るだろう──と共に居る所に狙いを定めて計画誘拐を指示する男だ。
 ジョルノの容姿を非常に気に入っている。女性物のような下着姿にし、向ける言葉も決して命令口調ではない。手も上げない。ナランチャの頬をぶとうとした右手は今ジョルノの頬を撫でている。左手は離すまいと肩を掴んだままだった。
 性的な目で見られている。
「……彼は僕の友人なんです」
 ジョルノは男の方を向く形で座り直した。
 両膝を閉じて倒し、腰のラインを強調した。胸元は見える事を承知で両手で隠す。
「僕は友人が家に帰る為ならどんな辱しめだって受けます。でもそれを友人に見られたくない。貴方も別に僕の友人に僕や貴方のそういった姿を見せたいわけじゃあないでしょう?」
「ああそうだ、この……君の友達は君を連れてくるのに必要だっただけだ、帰ってもらおうか」
「良かった」
 顎を引き微笑んで見せた。
 男は顔を近付けキスを目論んだが、友人に見られたくないからと噛み付かれるかもしれないと思ったのか、あるいは友人を家に帰した後なら喜んでジョルノの方からするとでも思ったのか顔も手も離した。それから携帯電話を取り出して操作し耳に当てる。
「仕事が出来たが今どこに居る? そうか、奥の寝室に来てくれ」
 通話はそれだけで終わった。
「彼はスタンガンでいきなり気絶させられてここに来たから、きっと驚いて大声を出したんだと思います。もうそんな事はしない、口のガムテープを外してもらえませんか」
 手枷は無理でもガムテープ位なら。
「帰す時には外すさ」
 もしかしたらナランチャは自身がスタンド使いである事を知られているかもしれない。手枷について言及したり、男の背後に現れたスタンドを凝視したり。
 流石に自身のスタンドは出していなさそうだが。エアロ・スミスは戦闘機のスタンドなので手枷等気にせず機銃を撃ち放てるのだろうか。それとも戦闘機のパイロットが手枷をされていているのだろうか。
「僕は一緒に帰るわけじゃあないから暫く話も出来なくなる。その前に少し話をしたいのですが」
「好きに話し掛けてやりなさい」
 そこまで言う事を聞いてやる義理は無いといった態度。遠回しに自分も一緒になって帰ろうとしませんと言ってやったのに。
 しかし話し掛ける事は止められなかった。この男の目の前で話すのだから言える事は限られているが、言葉を選んで伝えなくては。ナランチャに分かるように、男に気付かれないように。
「恥ずかしいので僕がここでこんな格好をしている事は誰にも言わないで下さい。家の近くに住み着いている猫に言うのもです。ただ貴方の家族に言うなら構いません。家族(ファミリー)ですから、背の高い父親や強く優しい母親、明るく前向きな兄や頭の良い弟になら話しても良い。家族にだけ、でお願いします」
 何を言っているんだといった表情で聞いていたナランチャだが、ぴんときて1度長い瞬きをした後大きく頷く。
 自分が変質者に目を付けられた事は理不尽だが、そこにナランチャを巻き込んだ所で解決するわけではない。理不尽を重ねて不幸な人間を1人増やすだけだ。
 それに、ナランチャなら。
「んん、ん」
 何かを訴える呻き。伝わっている。そして心配してくれている。ジョルノは「家族以外に話さないでくれ」の真の意味を念押しするべく頷き返した。
――コンコンコン
 ドアのノック音に男が「入りたまえ」と短く言う。
 開いたドアか男が3人入ってきた。自分達を誘拐した3人組だった。
「子供を元の場所に戻してこい。眠らせてからな。おっと、遊ばないでやっておくれよ、大事なお友達だったらしくてな」
 口々にはいと答える。1人だけ、スタンガンを使った男だけがこちらをちらりと見てきた。
――ピピピピピ
 無機質な携帯電話の着信音は3人に指示を下す『ボス』の物で、彼は懐からそれを取り出し耳に充てる。
「はい。ああ、その件か。いや分かった、今から行こう。丁度車も出せるしすぐに着く。じゃあ」携帯電話をしまい「すまんが私を先に送っていってくれるかね」
「構いませんよ」
 運転手をしていた優男が簡単な注文に安堵した様子で答える。命じた男がボスで、答えたこの男がリーダーといった所か。
 大男がこちらへ来てナランチャの腕を掴んだ。
「乱暴にするな!」
 ナランチャ自身の代わりにジョルノが大声を出していた。2人の腕の太さの違いが、ナランチャの腕があっさりと折られてしまいそうで恐ろしい。そうさせるわけにはいかないと大男の手首を掴む。
 如何にも不愛想といった顔の大男は何も言わずジョルノの顔を見る。次いで掴んできているジョルノの手を見た。
 わざわざ両手で掴んでいるのが不思議なのだろう。ナランチャ程ではないがジョルノの腕も彼のそれと比べれば十二分に細く、片手では太刀打ち出来ないのは目に見えているが、それでも両方の手首を向き合わせて揃えた状態で物を掴むというのは不自然な動作だ。
 恐らく呼ばれて来た3人はスタンド能力を持っておらず手枷が見えていない。ただ呼んだ男が何らかの方法で他人を従えさせられる事は認識している。ギャングとなってからスタンド使いとの交戦が多くすっかり忘れていたが、スタンド能力は身に付けている方が珍しい。
「その子供が──君のお友達が静かについてくれば無理に引っ張ったりしないよ」
 スタンド使いが大男とナランチャとに命じる。複数の枷を取り付けられるというだけでこの場を完全に掌握している。
 このまま大男の手を掴んでいても何も変わらない。ナランチャの無事を願うからこそジョルノは手を離した。
 途端に大男が力強く引っ張る等はなく、ナランチャは大人しく体を男達の方へ向ける。
「んん」
 短い言葉。不安そうな顔は自分がこれからどうなるかではなく、ジョルノをここに残していくのが嫌だから。
「大丈夫です」
 僕も、君も。
 ここで微笑んでやれれば尚良いのは分かっていたが、流石に笑顔は作れなかった。
 後ろ髪を思い切り引かれながら、しかし踏み留まる事こそジョルノを苦しめてしまうと考えてナランチャは歩き出す。
 家族に宜しく、と言ってはナランチャ以外にも気付かれてしまう。ジョルノは無言で見送る事にした。
 3人とナランチャが部屋を出る。最後にその3人を雇った男もジョルノを振り返らずに部屋を出る。
───バタン カチャ
 ドアが閉まるとほぼ同時に鍵も掛けられる。鍵を取り出したのか、外側は捻るだけで開閉出来る鍵なのか。
 キングサイズベッドが有るのに5人居ても息苦しく感じない部屋、1人取り残されれば余りの広さに圧倒されそうだ。
 完全に日が落ちたらどうしよう。ギャングという夜に生きる生活を送っているが照明と喧騒が有ってこそ。
 ベッドの上で姿勢を楽にし直しドア近くの壁に目を向ける。照明のスイッチはすぐに見付かった。
 暗くなるまでこの部屋に囚われたままならあの照明を付けよう。もしかすると何らかのトラップかもしれないが、それならそれで仕方無い。暗く静かな部屋に1人きりで居るのは幼い頃を思い出して苦手だ。
 そう思ってから2時間近く過ぎ、誰も来なく何事も起きないまま日が沈みきり暗くなったのでベッドから降りた。ドア近くのスイッチを押す。
 自宅のそれと変わらず普通に照明が付いた。
 カーテンを閉めようと窓の方を見てカーテンが無い事に気付いた。これだけ大きな窓に合わせたサイズのカーテンとなれば特注しなくてはならないだろう。高層階なので部屋の中を覗かれる心配は無いし、ジョルノはベッドへと戻る。
 向きからして朝日はそこまで強く入らないか。
 それでも日光を遮断出来ないのは寝室としては良くないだろう。未だ帰ってこないのだから、日の出と共に起きて日の入りと共に寝る生活はしていない。
 あの男の寝室は別に有るのかもしれない。そんな事を色々と思考して約2時間、微かに足音が聞こえてドアの方を見た。
 ドアが開き手枷のスタンド使いの男が入ってくる。
「いやあ思ったより遅くなってしまったよ」
 無駄ににこやかに言いながらこちらへ近付いてくる。左手にシャンパンボトル、右手にはグラスを2つ持っていた。
「先ずは乾杯しようね」
 何にだ。
 男はナイトテーブルに置いた2つのグラスにシャンパンを注ぐ。
 同じボトルの物を飲むのだから毒が仕込まれているという事は無いだろう。渡してきたグラスではない方を飲むと言えるので、グラスに毒が塗られている可能性も低い。
 ラベルを見る限りこんな部屋を用意出来る人間にしては安価なシャンパンだが、さぁどうぞと目の前に出されてそのまま受け取ってしまった。
 連れ去られてから水の一杯も飲んでいないので喉は渇いている。しかし水分は出来るだけ取りたくない。この部屋にはトイレが無い。ナランチャが運ばされたバケツしか無い。
 だから飲まない方が良いだろうし、空腹は感じていないが暫く食べていない所へアルコール──元より得意でもない──を入れたくない。しかし。
「乾杯」
 男がグラスをぶつける真似をしてからシャンパンを飲んだ。炭酸で飲みやすいからか体型からしてアルコールに強いのか、ビールのようにゴクゴクと喉を鳴らして飲んでいる。
「……貰う」
 小さく呟いてジョルノもシャンパンを飲んだ。
 甘口で気泡も上品。これは飲みやすい。手枷の所為で左手も上げる不格好な飲み方だからせめて一気に飲み干したりしないように、と思っていた筈なのに一口目でグラスを空にしてしまった。見ると男ももう飲み干している。
「美味いだろう? 流通量が多いのには理由が有る。安くて美味いか、売り方が上手いか」
 しかし前者に該当するこの酒は、そんな商売に関する持論を聞かせる為の物ではないだろう。
 酔わせて『手を出す』つもりだというのは分かっている。この男はナランチャにしたように殴ったりスタンガン等を用いたりせず、あくまで合意──のような形──で性的な行為に及びたいのだ。
 ただ犯したいだけであれば路地裏に連れ込んで声を出せない程度に暴力をふるった後に『乱暴』すれば良い。そうはせずに、しかし金を握らせた所で同意する性格ではないと見抜いているので取り敢えず連れ拐い頭の可笑しな格好をさせて小綺麗な部屋に閉じ込めた。
 アダルトショップで売られている胡散臭い媚薬は信じていないから酒を飲ませて気分良くなってもらおうという魂胆。
 思惑通り股を開けば解放されるだろうか。
「高くて不味くても売り方が上手ければ売れる。シャンパンに限らずワインは何年も寝かせて稀少価値を付けた物にコレクターが飛び付く事は知っているかい? 対して美味くもないのに、ソムリエが「猫の尿のような香りだ」と評するのに、それでも高い金を払う奴は居る。尤もそれは飲む為のワインじゃあなく──」
「僕の友人を家に帰してくれましたか?」
 話を遮られた男はしかし、ジョルノからの話題提起にニンマリと顔を歪める。
「ああ、帰してきたよ。とは言っても私は先に降りたがね。彼らは金で動くから、きちんと元居た場所に置いてきた筈だ。だから家に、ではないね。不満かい?」
 何と答えようか考えている間に腕が肩へと回ってきた。
 手枷が邪魔で振り払えない。手枷さえ無ければシャンパンの残っていないグラスで頭を殴っているのに。
「……彼も今の僕のように手が上手く動かせられなくなっているみたいでしたが、それは治っていますか?」
 スタンド能力は解いたかと聞ければ楽なのだが。
「仕事の途中、2時間しない位で外してやった」顔をぐっと近付け「安心して良いよ」
 ジョルノが顔を背けると、男は向けられた首筋にキスしてきた。噛み付くのではなく吸い付き、そのままベロベロと首やら耳たぶやら頬のラインを舐める。
 不快だ。とてつもなく。しかしどうしようも出来ない。酒で早々に思考や感覚が鈍くなってきた。
 男の方はもう譲る気は無くジョルノの体をぐいぐいとベッドに押し付ける。怒らせないように拒絶を、となると体を捻る位しか出来ない。グラスを取り上げられ押し倒されてしまった。辛うじて仰向けではなく俯せに。
「髪の毛も綺麗だねぇ、こんなに綺麗な髪は見た事が無い」
 流石に髪を口に含んできたりはしないが、頭を撫で髪の毛先を指で摘まみ、そのまま背中から腰にかけてを撫でる。
「肌もまるで――おや、アザが有るのか」
 首の後ろを指先でつつかれた。
 そこには写真でしか知らない実父と同じ星の形をしたアザが有る。
 痛みや痒みが有るわけでもないし、自分からは見えないが首周りの開いた服を着ただけでも他人の目に入る位置なので、見られる事は気にならない。
 ただそれを玉に瑕(きず)のように思われるのは不快だ。
「そんな所よりも触れたい所が有るんじゃあないんですか」
 言葉こそ選んだが苛立ちが募って色を感じさせる言い方は出来なかった。
 薄い臀部を無理に揉んでから左右に開く。この服装──下着──でベッドに寝かせていたり体をベタベタと触り顔を近付けてきたのだから目的は予想出来ている。
 ジョルノは体の力を抜いた。
 肛門に何かが触れる。見えないが『ナニか』は分かる。
──ズル
「う……」
 排泄に似た感触に声が出た。ここで声を堪えて力を入れるのは良くない。されるがままでなければ肛門に負担が掛かり、最悪切れてしまう。
 指による前戯も無しか。金は有るようだがモテない、女は買うから既に濡れているものなんだろうな。
 後背位なので呆れ顔をしていても見えないのは良かった。
 腸に入り込んでくる物を意識しないでやり過ごす。すぐに肛門に陰毛が触れた。もう全て入ったのかと、長さも太さも男を苦しませず女を悦ばせもしない大きさのようだ。
 男はジョルノの腰を両手で掴んで早々にピストンし始める。
「……う………あ……う、う」
 口を閉じず漏れるがまま呻く。よがる演技はしないが抵抗もしない。相手が果てるのを文字通り大人しく待つばかり。
 眠っている時ですら働いている脳が犯されている状況で何も考えないのは難しい。だからこの行為とは関係無い事を考えた。
 この男のスタンド、持続力が凄いな。手枷が緩くなった気がしない。部屋に居なかった時も変わらなかったから射程範囲も物凄く広い。パワーもスピードも無い代わりに拘束する事に全振りしているわけか。
 男は乱暴に腰を打ち付けるばかりでなく、掴んでいるこちらの腰も無理矢理に揺さぶる。
 指が腹に食い込む。もしも力自慢の巨漢であれば痛くてより辛かっただろう。だから未だマシだ。そう思おう。
 僕より酷い目に遭ったのはナランチャだ。殴られていた。素振りは見せなかったが、あの3人の誰かに『こういった事』もされたかもしれない。コイツは手枷を外してから元居た場所に帰したなんて一言も言っちゃあいない。寧ろその逆のような、時間なり距離なりで能力が解除されているだろうと自分が関与していなさそうな言い方すらしていた。3人の男達が逃がす前に、なんて考えたとしたら許せない。実際に手を出していたら生かしておけない。
 合わせて4人を殺すにはどうすれば良いか考え始めた所で背後からイクだか出すだかと言った。
 どうぞ。
 止めろと叫ぶでも甘い言葉を吐くでもなく、ジョルノはただ精液というたんぱく質を腹に注がれて下るのが嫌だなと思いながらその瞬間までもやり過ごす。
 腸内でむくと膨らんだような圧迫感の後に熱い気がしないでも無い物が塗り込まれるような感触が有った。
 一般的なセックスは挿入した男が射精をすれば終わり。これで終わった事になる筈だ。抜かずの3発が出来る年ではないだろう。
「はぁ、ふぅ」
 背後から煩い位の呼吸音が聞こえる。
 自ら動いてはいないがジョルノも充分疲れきり似たような呼吸の仕方をしていた。
 こんなに汗をかいたのはどれ位振りだろう。初めてかもしれない。胸や背の汗は乾いたタオルで拭きたい。額を伝う汗は自由なら手で拭っているのに。
 肩を掴まれる。そのままごろんと仰向けにされた。それこそ手首が固定され不自由なのでされるがまま。天井の照明が眩しく目を瞑り掛ける。
「美しいねえ、私の全てを受け入れても尚美しい」
 余韻に浸るでもなくすぐに性器を抜いた男だが、何故か事の後に誉めてきた。
 ジョルノの代わりに手の甲で額の汗を拭いた。そしてその手で輪郭をなぞってから改めて頬に触れる。
「気持ち良かったのかい? ぼんやりとして。それもまた神秘的で良い」
 お前を認識したくないだけだ。
 ここまで体力が削られていなければそのまま口にしていたかもしれない。疲労していて良かったと思っておこう。ジョルノは何も言わずに顔を背けた。
 赤くなり汗まみれの男の顔が見えなくなって、代わりに汚れが無く品の良い壁が見える。
「横顔も綺麗だ。鼻の形も唇の形も整っているからだね」耳を塞ぐ事が出来ないので目を瞑ると「睫毛の長さも芸術的なまでだね。神の御使い――否、人間を誘惑する悪魔のようだ」
 信心深い人間であれば貶し言葉だが、天使のようだと言われるよりはマシな気がした。
 悪魔で結構、悪魔を呼び出した魔女は皆火炙りにされている。
「でも君が乱れ喘ぐ姿も見たい。早く見たいから明日の昼前に呼ぶ為に今から電話しておこうか」
 どこに? 誰を? 他にも色々聞きたい事の有る独り言だが、この男と話をしたくはない。
 今は誰かと話をするだけの体力も無い。目を開けている事すらも難しい。その所為でどんどんと微睡んできた。
 このままこんな所で、こんな姿で眠ってしまって良いのだろうか。何時間か前に目覚めた時には既にそうだったのだから気にしても今更だ。
 体力とその他諸々とを回復する為に、犯されていた時と同じようにされるがまま、なすがままジョルノは睡魔に抗わず眠る事にした。

 暗い……夜? いや、この部屋に窓が無いだけか。
 立ち尽くしてジョルノは辺りを見回した。広いが薄暗い部屋の床には毛足の長い絨毯が敷かれた階段が有る。
 階段の上には豪華な椅子、その椅子の上には1人の男。
 長い足を組んで座っている。この光景を、前にも見た事が有るような。
「どうした?」
 男が声を掛けてきた。特徴的な声だった。色気が、艶が有り耳に残る。しかし初めて聞く声だった。
 筋骨隆々の肉体を見せ付けるように何も着ていない男の方へ近寄ろうと足を1歩踏み出す。
 が、そこから動けない。
 逆光で顔が見えない――照明を付けていないので可笑しい――男が放つオーラに阻まれているような、そんな畏怖に近い感情を生まれて初めて抱いた。
「さあ」
 男が手を差し出した。友達になろうと誘うような声音だったが、この手を取り自分の元へ来いという命令に思える。
 人を付き従わせるカリスマ性が有るのかもしれない。

 眩しさに目を開ける。嗚呼、眠っていたのか。あれは夢だったのか。
 とてもリアルだった気がするが、夢なのでもう忘れ始めている。
 代わりに自分の置かれている状況を認識した。眠る前の事を思い出した。誘拐されて犯されて、疲れてそのまま眠ってしまった。
 窓から強い光が差し込んでいる。顔には直接当たらないが、それでも目を覚ます程の明るさ。
 部屋の中には自分しか居ない。気配も無い。犯した男も連れ去った男達も。
 それでも嵌められた手枷はそのまま、相変わらず外れる様子も無い。大きさを含めた見た目もだが、強度が一切変わらないのもまたあの男のスタンド能力の持続性の高さを表している。
 ……腹、空いたな。
 排泄する場所が昨日ナランチャが運ばされたバケツである事を考えれば余り『食べない』方が良い。
 しかし空腹は堪えられるが喉の渇きはどうだろう。人間は体内の水分が不足すれば容易に死ぬ。食わなくても何日かは生きていけるが飲まなくては生きていけない。
 時計を見れば最後に飲食してから24時間近く経過していた。
 朝日が眩しいと思ったが、言う程『朝』ではなかった。慣れない場所でも睡眠を取れるのは良い事なのか、警戒心の薄さの表れか。
 少しでも体力を消耗しないようにベットの上で膝を抱えてじっと静かに過ごす事にした。
 ドアが開けられない事も窓からは出られない事も分かっている。
 空調は見当たらないが温度も湿度も快適なお陰でこんな恥ずかしい格好でも寒くない。体液──主に自分の汗。そして自分を犯した男の精液も少し──で汚れているから着替えたい。そうでなくてもこの格好だ。
「これ、外したいな」
 全裸の方が未だマシな下着モドキ以上に不愉快な手枷。罪人、捕虜、囚人、そして奴隷。そんな物を連想させる。
 この手枷には体力を奪う能力も有るのだろうか。昨日拉致されてから合計すると結構な時間眠っているのに何だか疲れている。疲労が全く抜けていない。眠る前の行為の所為も有るだろうし、夢見の悪さも関係しているかもしれない。
 悲鳴を上げたくなるような悪夢ではなかったがろくに思い出せないのに後味は悪い。しかもこうして考えてしまう。何も考えない方が精神を疲弊しないと分かっているのに。
 ふと気配が有った。部屋の外を誰かが歩いている。足音からして健康な大人が2、3人。ジョルノはベッドの上に座ったままドアをじっと見た。
「おお、おはようお寝坊さん」
 開いたドアから入ってきたのは予想通り、昨晩自分を犯したあの男。
「寝顔が天使のように愛らしかったから堕天使になるなと思っていたけれど、そうして起きて座っていると女神のような美しさだ」
 何が言いたいのか全く掴めず黙っていると男は後ろを向き手招きをする。
 漸く許可を得たと入ってきた2人の男には見覚えが有った。
 自分を誘拐した男達だ。
 運転席に居た優男風の恐らくリーダー──車内では主犯かと思った──と、ジョルノを簡単に持ち上げられる大男。1番憎いナランチャにスタンガンを当てた男は居ない。
「すみません、アイツこの後別件有るし男の子は得意じゃあなくて」
 優男が彼らのボスに告げる。
「アンタら2人で3人分働いてくれれば良い。なに、3人分出す。2人で分けなさい」
「そこまでして頂かなくても! でも俺は得意分野ですから。コイツもあの綺麗な子ならって張り切ってますし」
 コイツと呼ばれた大男が口の端を上げて頷いた。
 アバッキオよりも更に大きく2m近く有る。連れ去られる時に聞いた声は低かった。もし手枷を外せてスタンドも出せたとしても、この大男が居る限りは逃げられないだろう。彼が帰るまで大人しくやり過ごすしかない。
「じゃあ早速──」
「すまんが椅子を持ってきてくれるか? 私の座る椅子を。近くで見たいがベッドに4人は厳しい」
「それもそうですね。頼む」
 大男が頷き部屋を出る。
「よく見える方が良いんですよね?」
「ああ」
「それなら3人でじゃあなく、1人ずつっスね。俺もアイツもその方が得意ですし」
 何の事かジョルノには分からない。当然聞けない内に大男が椅子を1脚持って戻ってきた。
「ここで良いですか」
 やはり低い声で言いながらベッドのすぐ横にその椅子を置く。
 彼らのボスたる男はそこに腰掛け足を組む。体格の所為で余り絵になっていない。
「俺から行くから」
 お仲間にそう言って優男がジョルノが動けずに居るベッドへ乗り上げてきた。
「名前は何て言うの?」
 答える義理は無い。絶対に知られたくない。唇を固く結び睨み付ける。
「それだけ綺麗な金髪なら、ミェーレ(蜂蜜)?」
 いやに甘ったるい喋り方で距離を詰めてくる。体を寄せきる前にナイトテーブルに持っていた2本のペットボトルを置いた。
 透明なペットボトルに見慣れたラベル、未開封なので中身は間違い無くただの水だ。
「お水は後でいっぱい飲もうね」
 拉致の際にしたように場にそぐわない程優しい手付きで顎に触れてくる。
 上を向かせ、そのまま唇を重ねてきた。
「ッ!?」
 キスされている。
 恋人でも何でもない、まして男に。不愉快極まり無い。両手が自由に使えれば突き飛ばしていた。
 唇を唇で優しくつままれ、くすぐるように角度を変えてくる。
 上下の唇の間に舌まで入ってきた。だが乱暴さは一切無く、そっと粘膜を撫で上げられるのでぞくぞくとした。
 左手で頭を撫でてきた。母親が幼い子供を寝かし付けるような手付き。汗をかいてから洗っていないので止めてくれと思う反面、張り詰めきっていた心が解きほぐされるような安らかさも有る。
 顎から離れた右手がジョルノの左手を掴んできた。自由の効かない手の形を確かめるように指で撫でてから絡めてくる。指と指の間にある相手の指を極自然にぎゅっと握っていた。
 相変わらず優しく啄まれる口の中で舌と舌が触れ合う。強く吸ったり音を立てたり唾液を流し込んできたりしない、とても優しい舌の交わり。まるで想い人と結ばれたかのような穏やかな興奮。こんなキスならずっと続けても良い。
 両手とも離れて抱き締められた。嬉しい。だがその流れで唇も離れる。
「ミェーレ、君は静かな良い子だね」
 僕はミェーレじゃあない、ジョルノ・ジョバァーナだ。
 と、危うく言い掛けた。危ない。流されてはならない。言えない位に息を荒くしていて逆に良かった。
 優男の唇は額に移る。唇の柔らかな感触と「ちゅ」というリップ音。但し粘膜や唾液の触れた感触は無い。続いて頬、それから耳へ。
 耳を食まれて(はまれて)ゾクゾクとした。舐めてこないので唾液の不快感は無い。
 上下の唇が軽く吸うようになぞるのは耳から首筋、肩、そしてベビードールを捲り乳首まで来た。唇で挟む、舌で押し潰す、ちゅうと吸い付く、咥内で舐る(ねぶる)、唇を離して舌先でつつく。
「んッ……」
 唾液塗れの乳首が外気に冷やされ、そこを舌でくすぐられるのは快感と呼べる種類の刺激でつい声が出た。
 それを良しとして口に含まないまま舌先で転がされる。堪え切れない声がどんどん漏れる。舌が離れたと思うと次は反対側の乳首を1度口に含み、すぐにまた舌先だけで舐られる。
「……は……ん、う……」
 刺激自体は弱いのに声がどんどんと漏れる。優男はしばらくねちっこい愛撫を乳首に施した後、今度はヘソを中心に腹を舌先でなぞってきた。
 続けてほしいのか、もっと強くしてほしいのか。嗚呼、どちらにしろこの男の口による愛撫を求めている。止めないでほしいと思ってしまっている。
 遂に細い紐だけの下着に手が掛かった。下ろされ勃ち上がった性器が外に出る。優男は何も言わずそのまま性器を口に含んだ。
「あ、ちょっと! 待っ、ン!」
 まさかフェラチオを『される』とは思わなかった。ボスの男は男性器には興味が無いのか顔を近付けもしなかったのに。
 ボスの男は自分が舐めたいからジョルノの肌を味わうべく舐めた。一方でこの優男はジョルノを悦ばせる為に舐めるという手段を取っていた。
 それも、上手い。大口を開けて根元まで口に含み、舌を裏筋に充てた状態で顔自体を動かしてまるで女性器の中と錯覚するような口淫の仕方に、ジョルノは手――拘束されているので手の平ではなく、握り拳の親指側――でこれ以上声を上げないように自分の口を塞いだ。それでも殺しきれない声が漏れてしまう。
 肌を唇で愛撫していた時はあれだけ静かだったのに、ことフェラチオになるとじゅぶじゅぶと煩い位に唾液の音を立てて来る。
「は、あ、は……は、あ」
 堪えられない。開かれた両足の先に力が入る。このままでは射精させられてしまう。堪えなくては、耐えなくては。だが思い切り気持ち良く吐き出したい。
 矜持には既に亀裂が入っている。もう折る覚悟をしてしまおうか。そんな情けない考えが浮かんだ次の瞬間に口が離れ、快楽から解放された。
「……な、ん?」
 一瞬何が起きたか理解出来なかった。助かったのか、それとも逝き損ねたのかは未だ理解出来ていない。
「ミェーレには今のが普通だけど、俺達はウェットって呼んでいる」
「うぇ、っと……?」
「ドライの対義語ってだけで深い意味は無いけどね。どう考えたって射精は『湿っている』じゃあないんだし。ウェットでイケないのは病気や年齢でしか無いけれど、ドライは逆に経験が無いとイキにくい。無理にイカなくても気持ち良いなと思い続けられるのがドライの良い所だけどね」
 太股を開き大きく持ち上げられた。晒された肛門に優男の指が触れ、何の話をしているのかが見えてくる。
 拒むべく力むと痛いだけでどうせ指は入ってくる。受け入れると思われたくないが敢えて力を抜いた。
「もうドライオーガズムは体験した?」
 答えを待たずに指が入ってくる。
 指もそれよりも嫌悪する物も入れられたが不快と苦痛でしかなくオーガズムとは程遠かった。
 肛門を広げられる微かな痛みと腸の異物感さえ無ければそう言っていた。彼らのボスに、自分を犯した男に聞こえるように。
「柔らかいね、とても良いよ。ここだけじゃあなく体自体も柔らかいし、ミェーレには素質が有るんだろうね」
 何が素質だと言い返したい筈なのに。
 今喋れば、声を出せば全て喘ぎになってしまうのでジョルノは黙っていた。口をきゅっと噤み(つぐみ)少しも声を出さないようにと息を止めていた。苦しいし変に力も入る。
 ボスの男のただ性器で腸内を擦りたかっただけの行為とは違う。激しく出し入れしないので排泄感が無い。
 腸壁の中でも触れられると特に気持ち良い所を探す指の動き。それを見付けゆっくりと押したりとんとんと軽く叩いたりする指先は認めたくないが気持ち良い。
 自分に素質が有るのではなく、この男の触り方が上手い。羊の皮を被った狼ではないが、弱気そうな見た目をしていながらこの男は正真正銘のゲイで男の肉体という物が大好きに違い無い。
 知り尽くした男の体に快楽を与え悦ぶ姿を見るのが当人にとっての快楽なのか、それともこれを生業(なりわい)にしているのか。
 根元まで入った2本の指が『良い』所を探してゆっくりと動く。焦らしながらも確実にドライオーガズムに追い詰める動き。性器の付け根に当たる部分を押されると優男の言うウェットオーガズム、射精に近い感覚で体が痺れたように気持ち良かった。
 両方混ざったらどうなるのだろう。
「ドライはまぁ素質が無くても経験を積めば出来るようになる。ただドライとウェットの両方をいっぺんに、は素質が無いと出来ない。ミェーレ、君なら多分出来るんじゃないかな」
 少し高めなので情けなくも聞こえる声で言った優男は、利き手の右手で肛門を刺激しながら左手をジョルノの性器へ伸ばす。
「あ……待、って」
 何をされるか予想が付いてしまう。それはとても恐ろしい事で、ジョルノは明確な否定の言葉を喘ぎ交じりに口にした。
 出来ない人間の方が多いような口振りは出来なかった時の保険か、それとも出来た時に「お前はこちら側の人間だ」と言う為なのか。
 優男の両の手は止まらない。少し強めに性器を握った左手は問答無用といった様子で激しく上下に扱いてくるし、逆に利き手であろう右手はもどかしい程にゆっくりと優しく腸壁を押し擦る。
 昨晩のように何も考えずにやり過ごしたい。自分らしく平然とした顔で居たいのに、それが出来ない。性器への刺激はもうすぐにも射精してしまいそうで、腸内はそれとは違う絶頂を予感させるのに1歩足りない。
「あ……や、だ……怖い」
 その言葉を口にして目を瞑ると、夢に見た男が脳裏に浮かんだ。
――怖い? 恐れている? お前がそんな小男の指や手に恐怖を感じているのか? そう易々と敗北を認めるというのか
 否、負けたくない。手枷を嵌められた奴隷のままではいたくない!
 目を開いてこのまま快楽を受け入れる。痛い・苦しいではなく気持ち良いなのだから、拒まずに受け流してしまった方が体は勿論心の負担だって軽くなる。
 優男の目的はジョルノの痴態を彼の雇い主に見せる事であって、昨晩のその雇い主のように――ジョルノの腸内で――射精する事ではない。ジョルノ主体なのだから無理に堪えても長引くだけだ。
 前と後ろのどちらに意識が向いても達せない、終われないのなら。
「……あ、あ……あぁあ」
 目を蕩けさせてか安全に声の混ざった息を吐いた。
 嗚呼、受け入れる覚悟を決めた途端、体が絶頂へと向かい始める。
「ん、んンッ!」
 経験した事の無い快感。手足だけでなく腹の奥からビクビクと痙攣が止まらない。それでいて射精もしていた。
 ジョルノの知り得るそれとは違い、勢い良く噴いて終わりではなく、痙攣に合わせ体の水分を全て吐き出してしまいそうな量を漏らし続けるので普通の射精と全く違う。
「……はぁ……はぁ、はぁ……」
 息もまばらの絶頂は恐ろしかったが乗り越えた。過ぎ去った事に出来たのだ。

 暫く絶頂の余韻に浸っていた。というより、抜け出せなかった。だがそれなりの時間を要して漸く体のビクつきが収まり呼吸も落ち着いてきた。
「いっぱいイッたね、さあ」
 後頭部を手で持ち上げられる。急に変わった視界の奥には優男の妙に弱々しい笑み。そして手前には。
「あ……み、ず……」
 危うく欲しいと、その水を下さいと命乞いのような真似をする所だった。
 だが体は優男が手に持つペットボトルの水を非常に欲している。
 媚びへつらって生を与えられるようではそれこそ奴隷だ。手枷をされて当然でいて堪るものか。
 起こされた形ではなく自分の意思で上半身を起こしたジョルノはペットボトルを奪い取った。
 蓋を開けて──固い。あるいは左右の手を離せないので上手く力を入れらない──口を付けて一気に飲む。
 これと言って特徴の無いただの水。勢い良過ぎた所為で咳き込みかける。体に染み渡る、を通り越して渇ききった喉が痛んだ。
「そうじゃあないだろう」
 自分は奴隷階級ではないが、この部屋の中でまさに支配階級の男が溜め息を吐く。
「感じる姿は実に良かった。だからその水はお前の手からしゃぶらせるように飲ませるべきだろう。お前は分かっていないのか!」
「すみません……」
「……いや、言った通りイカせ方は素晴らしかった。呼んで良かった」
 目が優男の奥たるジョルノに向いている。不気味な笑顔を作って見せるのはジョルノに悪い印象を持たれたくないからか。
 何を今更。嫌いなんて言葉では済まない位の感情を持っている。腕が自由ならば殴っている。嗚呼、足は自由なんだから蹴り飛ばせば良かった。
 飲み終えて足に力が入るようになったら、それと1番危険であろう大男が部屋を出たら、足を蹴り這いつくばらせて頭を踏み付けてやる。
──そういった事は実践してから言うものだ。
 ゴクゴクと水を飲む自分の喉の音よりも近くであの夢の中で会った男の声が聞こえた。
 魅力的で全てに頷きたい声なのに、妙に反発してみたい声でもあり、しかしその言葉はやはり同意しか無い。
 飲み干したら本当にしよう。この際2人が部屋に居る内でも良い。腕力自慢ではないので返り討ちに遭うかもしれないが、こうして体を穢された後だからそれこそ今更だ。
「それだけ飲ませれば大丈夫か?」
 ボスはジョルノを見たまま優男に尋ねる。
「水分量としては。でも昨日から飲み食いしてないんなら、もうちょっと飲ませておいた方が良いかな。もう1本開けましょう」
「いやもう後で良いだろう」大男に目配せをして「お前も出来るんだな?」
「はい。連れとは違いますが」
「同じじゃあつまらない。いや見応えが有るからもう1度というならそれはそれで楽しめるがね。でもお前はお前らしいのを見せてくれるんだろう」
「はい」
 体が大きな分声帯も大きいのかとても声の低い大男が、ベッドを降りた優男の代わりに乗ってくる。立派なマットレスを使っているようだが、それでもギシと音が鳴った。
 もう少しで飲み干すという所まできたペットボトルを持ったままのジョルノの後ろに回り、左手で脇を、右手を太股を掴み持ち上げる。
「ちょ、っと」
 体のバランスが崩れ、手枷の所為で持ちにくかったペットボトルが落ちて中の水が零れた。
 冷たかったが汗ばんだ体には丁度良かったし、下着は既に体液等で汚れているからどうでも良かった。それより後ろから抱え上げられているのは何故だ。
「離せ」
 喉は潤いきっていないので余り声を出したくないから短くそれだけ言った。当然大男はジョルノを下ろしたりしない。
 それ所か両足を大きく開かせれた。紐状の下着がずれて臀部が、先程弄ばれた箇所が外気に触れてぞわとする。
 性器は自身が出した精液にまみれているし、肛門は違和感が抜けきらずヒクつく。それを前に座るボスの男に見られている。大男の仕事はこうして見せる事か。
「はぁ、はぁ」
 後ろから低く荒い息が聞こえる。大男が何故、まるで興奮でもしているかのような息遣いなのか分からないが、体勢的に振り向けない。
 右手が離れた。しかし左手が更に伸びて大男の拘束からは抜け出せない。右手はジョルノの体の下の見えない所でゴソゴソと動く。一体次は何をする気だ。
「……え」
 外気に冷やされていた肛門に温かい、何なら熱いとも言える物が触れた。
 ジョルノからは見えない。だがそれが一体何なのか、そしてそれで何をされるのかは見当がつく。
「や、止めろ、それは──」
 それは、大男の粘液に濡れそぼっている性器は、恐らく昨日突っ込まれたボスのそれより大きい。
──ミシ
「あ、ぐッ」
 力を抜かなければ!
 体型通り大きな性器が肛門を無理に開いてくる。表面だけは柔らかく、また常人の精液並みの量の先走りのお陰で亀頭まではぬるりと入った。
 痛い。
 苦しい。
 大きくゆっくり息を吸って吐いて。そうでもしなければこの大き過ぎる異物に体が耐えられない。
 体格通りに大きな性器は更に奥へ奥へと入ってくる。
 先程指で愛撫された、解され柔らかくなり腸液を分泌した辺りは未だ何とかなる。問題はその先だ。性器は当然ながら指より太いだけではなく長い。
 未開の『硬い』腸壁がずるずると擦られて痛い。皮膚同士の摩擦の痛みに近い。大男の方もそう感じているだろう。
 だから決して気持ち良くはない筈だ。それなのにピタリと密着して真後ろから興奮しきった熱い息を掛けてくる。普段なら気持ち悪いと思うだろうが今はそんな余裕が無い。
 大男が片手でジョルノの頭を掴み髪を嗅いだ。気持ち良くないというのはジョルノの思い込みで、経験浅い者を一方的に犯す事に悦を見出だすタイプかもしれない。
 臀部に大男の陰毛が触れたので根元まで入ったようだ。良かった。これ以上は入らない。先端が最も奥に、結腸に触れている。その所為で嘔吐感が込み上げてきた。
 生理的な涙が出る。それ以上に呼吸を苦しくする程の鼻水が出ている。
 こんな汚い顔を見たかったのかボスの男はニヤついたいる。綺麗を連呼していたのに。嗚呼、綺麗な物を汚す性癖か。それとも顔ではなく今にも切れて出血しかねない程に、限界以上に広げられた結合部を見て喜んでいるのか。
「は……あ、も………」
 もう止めてくれ。
 そんな敗北者のような命乞いの真似事はしたくないので続きは飲み込んだ。
 もし言ったとしても、じゃあこれでと終わってくれる筈が無い。
 痛くも苦しくもない快楽は恥ずかしいだけで『乗り切る』のは容易かったし、昨晩の強姦も不愉快なだけで未だマシだった。痛くて苦しくて快感等一切無い、不快感を覚える余裕すら無い今は違う。
 大男がピストンし始めた。
 ジョルノの体をしっかりと掴んで腰を突き上げてくるので内臓が揺さぶられて痛い。
 性器を抜けない限界まで引く時は腸壁が亀頭で削られるように擦られるし肛門も捲れるしで痛い。
「は、あ、ああ」
 容赦無く速度を上げられて、苦痛で声を出すのもままならない。細切れの喘ぎ声より大男の煩い鼻息の方が部屋には響いているだろう。
 ただでさえ先程の優男とは正反対にこちらの体の事を考えていない腰の動きがより乱暴になってきた。射精が近いのかもしれない。そうであってほしい。射精するという事はこの強姦が終わるという事だ。
 動き自体は全身くまなく刺されているのではなく、同じ所ばかり刺しているような単調さ。刺され続ければ失血死してしまうので早く終わらせる事は重要だ。痛みを和らげる為に別の事に意識を向ける段階はとうに過ぎている。
 射精を促すには、大男を悦ばせるには、更に痛みを伴う事は分かっている。だがこちらから動けない以上『締め付ける』しか無い。
「くっ」
 歯を食いしばり伸ばした足の指を丸めて腹に力を込めた。
 体が引き裂かれそうな程に痛い。後ろでうおおと雄叫びのような野太い声が上がる。
 射精してしまわないように一旦動きを止めるという事も無い。それ所か更に乱暴な動きになった。
 頼む、このまま。
 どうせ大男からは見えていない、鼻水を垂らした顔を顰めて(しかめて)更に力を入れる。
 腸内を暴れる大きな性器がぐっと太くなった。大男が動きを止め、熱い物が腸内を巡る。終わった。
 噴き出した精液は上へと向かい吐き気に変わる。また腸に隙間が無いので上れない精液は下へ、肛門へと向かい便意に変わる。
「はぁー……はぁー……」
 上からも下からも吐いてしまいそうな、この人生で1番の『気分の悪さ』を体感しながら、鼻で息が出来ない――この人生でそれこそ1番鼻水が出ている――ので口で大きく息をした。
 大男がジョルノの腰を両手で掴んでずぼと引き抜く。
 解放された。性器が抜けると同時に精液がどろりと垂れた。疑似的な排泄を自分を浚ってきた人間に見られるのはここにきてもやはり不快だった。
――どさ
 体がベッドへ下ろされる。シーツもマットレスも立派な物の筈なのに全く気持ち良くなかったが、それでもすぐに眠気が襲ってきた。本能に従うように目を閉じる。
 いや、解放はされていないか。
 手枷を嵌められたまま意識を飛ばすように眠りに就いた。

 薄暗く肌寒い部屋。顔を上げて前を見ると短い階段の上に立派な椅子が置かれており、そこに長身の男が足を組み座っている。
 目を引く金の髪とこの暗さの中でも分かる白い肌。
「よく耐え抜いた、大したものだ」
 耳に残る艶の有る声が自分に向いている事はジョルノにはすぐに分かった。
 しかし何を誉めているのだろう。そもそも誉めているのか。誉め言葉を与える事で自分が上だと誇示しているだけではないのか。
「名前を言うと良い」
「僕の名前を呼びたいんですか」
 名前を聞かせて欲しいではない辺り、やはりこの異常なまでに美しい男は自分がジョルノより上だと、1度有っただけの人間も初対面の相手も未だ見ぬ人々よりも上だと思っている。
「敗者の名前は誰も聞かない。人々は勝ち続ける者の名前を知りたがり、覚え、そして次に聞いた時──」
「ジョルノ・ジョバァーナ」
 遮って名乗った。
「覚えられないなら『とあるギャングスター』でもいい」
 逆光だがよく見える美しい顔に、その口元に笑みが浮かぶ。
 嗚呼、どこかで見た事の有る男だ。
 声に聞き覚えが無いので会った事が有るかは分からない。だかこの顔は見た事がある。こうして真正面からではないかもしれないが数え切れない程見てきた。
 端を上げた口が開く。言葉を発する。名前を呼ばれる──

 そこで目が覚めた。早々に忘れ始めている邂逅はやはり夢だった。
 目覚めた世界は相変わらず監禁されている部屋。大きな窓から日光が差し込んでいるので──床擦れ感は無いので日は過ぎていないだろうから──余り時間は経っていない。こんな状況なのに吸い込む空気は存外悪くない。
 これだけ時間が経っても外れる様子の無い手枷の所為で動きにくかったが体を起こした。微かに頭痛が有る。
「目が覚めたかね」
 声のした方を見る。連れ去る指示を出し最初に犯してきたボスの男が大男に運ばせた椅子に座っていた。
 男が視線を戻した先は眠る──気を失う──前には無かった机の上のノートパソコン。仕事でもしているのかゆっくりとキーボードを打っている。
「君は寝顔も美しい。だが疲れているだろう? これが終わったら一緒に昼寝をしよう」
「……水が飲みたい」
「水?」手を止めてこちらを向き「喉が渇いたのかい?」
「ここに『来て』からあのペットボトルの水しか飲んでいない。それもお前は飲みきらせなかったな。もう1本には口を付けさせもしなかった。腹も減っているがそれよりも深刻なのは喉の渇きだ。今僕は明らかに、自覚する程水分不足だ」
 ベッドの上に座り直す。履き直されていた下着がずれようと気にせず片膝を立てた。
「人間は水が無いと生きられない。このまま水を飲まなければ僕はすぐにでも死ぬだろう。遊び飽きて殺す手間が省けると考えるのは浅はかだ。この部屋で死人を出して、人殺しになったお前は金で雇った男達に死体を運ばせるのか? それよりも水を飲ませ生きている状態で遠くに放り捨ててきた方が良い」
 勿論男の心配をしているのではなく自分が生き延びる為に言っている。
 だがこの男はジョルノに嫌われたくない、悪い印象を持たれたくない様子だった。
 ならば言いくるめてしまえば良い。自分は閉じ込められた可哀想な敗北者ではない。ここからでも勝ち上がれるし、勝者で在り続けられる。
「それともアンタは僕の死体が腐りゆくのを美しいだの何だのと言って眺めたいという下品な願望が有るのか?」
「君は自分が死ぬだなんて事を言ってはいけない!」
 バンと机を叩いて立ち上がった。
「喉が渇ききってしまったんだね、今水を持ってこよう。もう大丈夫だよ、私が居る限り君は死んでしまうなんて事は絶対に無いのだからね」
 歩み寄ってベッドに乗り上げ頭を撫でてくる。
「水は常温と冷蔵庫で冷やしてあるのとどちらが良いかな?」
「冷えた水を。有るなら氷を入れて。今から氷を作るのなら無くても良い」
「氷水だね、分かったよ。腹も減っているんだったね、何が食べたい? ネアポリスの生まれだから、やはりピッツァが良いかな?」
「飲んでから話す」
 だからさっさと取りに行け。
 冷たく言い放たれて男は慌てて部屋の外に出た。
 足音が遠退いて消えた。この隙にドアから出られないか試してみようか。否、鍵を掛ける間が有ったし音も聞こえた。無駄骨に終わるだけだ。
 それよりも立ち上がる前に閉じたノートパソコンで誰かに連絡を取る方が現実的だろう。ジョルノはベッドから降りてそのノートパソコンへ──固定された両──手を伸ばす。
「……いや」
 罠の可能性は低いが──指紋を取ったり電流で気絶させた所で誰の得にもならない──ノートパソコンから伸びるコードは電源のみ。インターネットに接続されていなければメールもチャットも何も出来ない。
 机から離れ窓際へ向かう。手を当てて眺めたかったが両手ともそうしたいわけではない。小さな不自由に溜め息を吐いてその窓に額を付けた。
 ひんやりと気持ち良い。高みから眺める景色は海こそ見えないが自然を残しつつも都会的で素晴らしい。昨日初めて見た時と変わらない。嗚呼、日が暮れ始めているのか。もうすぐここに入れられてから2日目になる。
──ガチャ
「外を見ていたんだね。良い景色だろう」
「悪くない」額を離して男の方を向き「自宅はこうした高層階に構えるべきだな」
 事務所のように利便性を考える必要は無い。
 男は言われた通りに水と氷の入ったグラスを持ってきていた。
 近付き奪うように受け取り、子供のようで悔しいが両手で掴みゴクゴクと喉を鳴らして飲む。
 美味い。だが喉が渇いていたからだろう。見た目にも味にも舌触りも全てただの水だ。
「次は腹を満たそう。少し早めの夕食だ。何を運ばせようか……何が食べたい?」
「ピッツァ・マルゲリータ。水牛モッツァレラを使ったやつが良い」
 24時間物を入れていない腹で随分と重たいリクエストだがこの年だから何とかなるだろう。
 ティーンエイジは子供から見れば大人だが大人から見れば未だ子供。未だ青い果実が熟す様が好きな人間には堪らない物が有る、のだと思う。ジョルノ自身はそういう趣味は持ち合わせていないし将来目覚める気もしないが、世の中にはそういった嗜好の人間が少なくない事は知っている。今この瞬間の自分が当て嵌まる事も。
 コイツ、いつまで僕を玩具にするつもりなんだろうな。
 1日経過して、一発ヤッておしまいにするつもりが無いのは分かった。
 ではいつまで。1〜2週間で遊び尽くして捨てるのだろうか。それこそこの年頃はほんの数ヶ月で背が伸びる。膝が痛いと言っていたクラスメイトは3ヶ月で4cmも身長が伸びていた。自分も背が伸びるのは早い方だと思っている。
「やはりネアポリス生まれの子は皆ピッツァが好きなんだね」
「ああ、嫌いな奴は居ない」
 トマトが苦手ならクワトロフォルマッジを食べれば良いし、チーズが苦手ならマリナーラを食べれば良い。どちらも苦手なら、イタリアではさぞ生き辛いだろう。
 嗚呼そうか、コイツは僕をネアポリスの出身だと思っているのか。
 もう10年以上暮らしているのでネアポリスの人間だと自負しているが、母は生粋の日本人で自分を生んだのも日本だ。
 その母に似れば身長はここで打ち止め、顔も余り老けないこもしれない。だが父親はかなりの長身だと聞いている。自分は写真でしか知らないのでどの位かは──
 そんな父をどこかで見た事が、会って話をした事が有る気がした。
 コップ一杯の水を飲み干して適当にノートパソコンの横に置き、ジョルノはベッドへ戻った。囚われの身で犯し放題だと受け入れたのではなく、そこ位しか座る所が無いからだ。
「ピッツァだけで良いのかい? サラダやスープ、デザートも運ばせるよ」
 男が隣に座り猫なで声を出す。
「ここでそんなに沢山食える程の食欲が湧くと思うか? 乾燥している部屋にこんな格好で肌が痒い。いや、汗をかいたから頭も痒いな」
 肩を抱こうと伸ばしてきた手が触れる前に風呂に入りたいという意味で言ったのだが、その手は結局ジョルノの肩を掴みぐっと引き寄せられた。
「食事の後にはバスタブを運ばせるのも良いな」
 望む物は与えるが部屋から出す気は無い。
「バスタブ? 湯どころか水すら無いのに?」
「2人位に運んで注がせ続けるさ。いや、明日の朝を待って業者にユニットバスを付けさせるのも──いやいや、水が沢山出る環境は危ないからそれは止めておこうか」
 嫌悪の意思表示に顔を離して盛大に溜め息を吐いてやったが男は気にした様子が無い。
「じゃあせめて着替えが欲しい。僕が着ていた服じゃあなくても、この馬鹿臭い物の」服と呼べないベビードールのヒラヒラした裾を掴み「色違いでも何でも良い。風呂に入れない日でも下着位は替えるだろう?」
「服ならすぐにでも買ってこよう。髪飾りも付けようか」
 髪の結んでいる箇所を摘ままれる。手が自由なら何も言わずに振り払っている。
「他には何を贈ろうか。音楽を聞くのは好きかい?」
「要らない。僕が今聞きたいのは、仲間の声だ」
 ナランチャの無事だよと言う声やアバッキオとフーゴの捕まるなんてという呆れた声、何だその格好はと大笑いするミスタの声や、自分の部下によくもやってくれたなと怒るブチャラティの声が聞きたい。
──ジィー
 突然2人の耳にしっかり届く位の金属音が聞こえた。
 ジッパーを開閉するかのような音がしたドアの方を見ると、ドアの隣の壁にその音の通り巨大なジッパーが取り付けられている。
 下げて開いて壁の向こう側から1人の男が入ってきた。
「な、なん、だ……?」
 見知らぬ男に、というより初めて見る光景に誘拐犯は戸惑いを隠さない。
 一方でジョルノはそのタイミングに驚きこそしたが、彼の登場に、見るのは大して久し振りでもない筈の姿に安堵した。嬉しい。その名を呼びたい。
「見た所怪我はないようだが、それにしても俺の部下によくもやってくれたな」
 ジョルノが聞きたかった言葉を言いながらブチャラティは大股で歩み寄る。
「スティッキィ・フィンガーズ」
 マスターに静かに名を呼ばれたスタンドが姿を現す。パワーもスピードも有るが、ジッパーを取り付けて開閉する能力こそが強力なスタンド。外に鍵が有る形を不審に思って開錠せずに壁から入ってきたのだろう。マスターもスタンドも充分強いが。
「駄目だ、手枷を――」
 ジョルノが伝えるより先に男のスタンドが姿を現して手を伸ばし、素早くブチャラティとスティッキィ・フィンガーズにそれを取り付けた。
 嗚呼、これではジッパーを巧みに使うトリッキーな戦い方が出来ない。
 見てくれとしては腕力――腕は使えないから蹴る、脚力か――でゴリ押し出来そうではあるが、しかし手枷による拘束は物理的に動きを封じるだけではなく精神的にもダメージが有る。ブチャラティは足を止めて嵌められた手枷を見て口を開いた。
「万が一更に上の人間に脅され泣く泣くしていたら、と考えもしたが」顔を上げて男を見据え「その線が0なら安心してブン殴れる。スタンドじゃあなく本体の方をな」
 ブチャラティの左の二の腕を一周するジッパーが音を立てて開いて分離し、左腕は手枷が繋ぐ右手首にぶらさがった。
 止めていた足がザッと音を立てて踏み込む。
 2人の元へ走り寄ったブチャラティが左腕をぶら下げたままの右手で男の顔面を殴った。
 鼻の骨位は折れたであろう鈍い音がした。止めろと言うでも悲鳴を上げるでも痛いと泣くでもなく、しかし残念な事に壁まで吹っ飛ぶ事も無く、男はベッドから床にドスンと倒れ込んだ。憎い男が殴り飛ばされた事実に胸が晴れ晴れとする。
 次いでごとんと音がした。スタンド能力で作られた手枷が消えてブチャラティの左腕が落ちた音だ。
「あ……」
 ジョルノは両の手の平を見た。何の変哲も無い手の平。握り拳を作り、ゆっくり指を開く。自由に動く。手枷を嵌められていると出来ない些細な行動。
「……ゴールド・エクスペリエンス」
 スタンドを出した。
 喋らないし表情も無い。だが別個の意志は有るのか、ジョルノの手に同じく枷の外れた手を重ねてきた。
「ジョルノ」拾った左腕を取り付けながら「よく耐えた」
 どこかで誰かから聞いた言葉、のような気がする。
 単に聞きたいと、誰かに言われたいと思っていた言葉だから、そう思い違いしているだけだろうか。
 ゴールド・エクスペリエンスがブチャラティの方をちらと見てから姿を消す。
「隣に行っても良いか?」
「はい」
 何故そんな事を尋ねるのか。男にいいようにされてきたのが見て分かるから、それを連想させる行為を控えようという事か。
 優しい。全く響かない誉め言葉を浴びせ続けるだけよりずっと。
 了承を得たブチャラティは先程まで男が座っていた位置より少し離れた所に腰を下ろした。
 ブチャラティからジョルノに訊きたい事は幾つも有るだろうし全て答えるつもりだが、その前に1つだけ。
「ナランチャはどうしていますか?」
 安否が知りたい。無事だと聞かされたい。
「……入院している」
「入院!?」
「すこぶる元気だが昨日の今日で任務をさせたくはないし、かと言って家に1人にもしておけない。だから幾つか負っていた怪我を理由に『馴染み』の病院に入れた。帰りたいと騒いでいるようだがフーゴが付き添っているし何とかなるだろう」
「それは……病室がより賑やかになっていそうだ」
 フーゴとナランチャの組み合わせは『馴染み』の病院でもない限り追い出されかねない。まして元気なら、幾つかの怪我しか無いのなら。安堵に頬が緩む。
 顔面の緊張がほぐれたのはいつぶりだろう。最後にナランチャと話していた時以来だ。
 良かった。嬉しくて、
「涙が出そうだ」
「泣けば良い。後ろを向いていようか?」
「余り水を飲んでいないので止めておきます」
 昨晩生理的に止められず涙を出してしまった事だし。人体の仕組みとして仕方無い事だが悔しい。しかし悔しさに囚われていると悔し涙が出てきかねない。
「……ブチャラティ、来てくれて本当に助かりました。有難う。僕はここがどこかよく分かっていないのですが」
「気絶させられて車で連れてこられたんだったな。ここはフィレンツェだ。サンタ・マリア・ノヴェッラ駅からは離れているがな」
「ネアポリスじゃあない、なんてものじゃあなかったか……ナランチャから聞いて、すぐに分かったんですか?」
「いや……どこから話したものかな。昨日 ミスタに友人からナランチャが路地裏に倒れていると電話が有った。その場では何も話さなかったが、アジトで俺とミスタと3人なると全部話してくれた。路上でいきなりお前と一緒に連れ去られた事、自分は居間で目覚めて手錠のような物をされていて一方的に殴る蹴るされた、ジョルノは別の部屋に居て殴られたりはしていないようだが女物の下着を着せられていて、そして自分を逃がしてくれたと」
「そこの男の狙いは僕でしたから。ナランチャは偶々一緒に居ただけです」
 1人で行動していれば巻き込まずに済んだ。寧ろナランチャ──小柄で細身──と居たからこそ拉致を決行したであろう憎き男は目を覚ます様子が無い。
 すまない、そして……有難う。
 ナランチャが遠回しに頼んだ通りに仲間にだけ話してくれたから助けが来て1日と少しでここから出られる。
「探すのには骨が折れた。ナランチャが倒れていた所でムーディー・ブルースを再生して巻き戻していくと途中で、ローマを過ぎた辺りでムーディー・ブルースに手枷が掛かり読み込めなくなってしまう」
「でも、ここが分かった」
「足で探した。ギャングと言うより探偵、興信所だな。ナランチャの話から推測して幾つかの建物に目星を付けて1番可能性の高いここに俺が来た。手枷をされても良いように腕を外しておいてな。もう1つの候補にはここと違って地元のギャングとの繋がりが無いようだったからアバッキオとミスタだけで行かせている」
「ギャングとの繋がり?」
「ナランチャは連れ去った3人組は見た事無いがギャングを思わせた、連れ込まれた所は非常に高い建物の上の階でどの部屋も金持ちそうだったと言っていた。経営者かそのクラスの富裕層で金で素行の悪い者を雇っている、となると」
「この男」ジョルノは床を指し「やはり、経営者か何かですか?」
「所謂地元の名士だな」
 身分の高い者はそうであらねばと曲がった性癖を隠しよりねじ曲げる傾向が有ると聞くのでその典型か。
 それなら尚の事、休日の度に小旅行と称してアジア辺りまで行き好みの人間──この場合女ではなく少年だが、需要と同等程度の供給の有る世界だ──を買って発散すれば良かった。
「俺としては始末しちまっても構わないし、ジョルノ、お前はそうしたい位だろうが」
「名の知れた人間は消した後が厄介」
 かと言ってこのままにして次の獲物を探すような事もさせられない。
「懲らしめる専門の奴に託そうと思うが良いだろうか」
「雇っていたギャングと僕達の、組織の誰かとの間でちょっとした揉め事が有った、という事にしましょう」
 ネアポリス随一のギャングとも言えるブチャラティの部下に手を出しているのであながち嘘でもない。
「連れて行くわけにはいかないし、ここに呼ぶか」
「僕が着替えてからでお願いします」
 手枷が外れたとはいえこんな恥ずかしい格好を見られるのは嫌だ。本当はブチャラティにも見せたくない。
 しかし服はどこに有るのだろう。捨てられてしまっているかもしれない。それならサイズは合わないがこの男の服を貰うとしよう。
 ブチャラティが許可してくれて男が暫く目覚めないのなら、後ろに倒れ込んで一眠りしたい。
 嗚呼、寝てばかりだ。疲れを取るにはやはり睡眠しか無いと身を持って知った。だがお伽噺じゃあるまいし、100年眠り続ける事は無いだろう。


2022,04,16


良質な監禁物を摂取した後は監禁物良いよね欲しくなるよね!と誤解を招きそうな感じに激しく盛り上がり、被害者がガチで酷い目に遭ってるのあんまり無いから書くかーと此処に至る。
DIO様を監禁するわけにいかないので息子をしておいた。しかしDIO様が颯爽と助けてくれる事は無く…
<雪架>

【戻】


inserted by FC2 system