フーナラ 全年齢


  インヒム


 準備をしっかり終えて外に小さな看板も出して開店させたが、この悪天候では朝の客足は相当悪いだろうとフーゴは思った。
 アパートメント1階にあるマスターの作るスパゲティとママの作るケーキが美味しいと評判のカフェテリア。だから昼頃ばかりが忙しいが、イタリア人は朝の仕事前にコーヒーを一杯飲む習慣を持つ人間も多いので早朝から営業している。
 アルバイトに雇われているフーゴには当店自慢のエスプレッソマシンの操作しか出来ない。なのでフーゴ1人で店番をするこの時間帯はモーニングコーヒー専門店になる。昨日のケーキが残っていれば半値で付けても良いと言われていた。
 今日は冷蔵庫にチーズケーキが3ピース入っている。これを朝食に貰おう──代金をレジに入れておけば飲み食いしても良い──と自分の財布を取り出した時。
 車の停まる音。顔を上げてカウンター奥から通りに面している窓を見ると、1台の高級車が停まっている。
 ネアポリスの中でも端の方の田舎と呼ばれてしまいそうな住宅街に不釣り合いの車。地元の常連客ばかりのこの店に立っていて初めて見た。
 土砂降りの早朝に不釣り合いな高級車の運転席から1人の男が傘を差して降りた。助手席のドアを開け、そこから降りてきた男を傘に入れる。
「え……」
 ミスタとジョルノだ。
 彼らと決別したのは随分と前の事のように思う。当時フーゴも所属していたギャング組織のボスを裏切ったチームの新入りとその半年近く前に加入した2人組。
 フーゴはそのチームの1番の古株、リーダーのブチャラティがチームを結成した時のメンバー。嗚呼、2人が元気にしているという事は、あのチームは裏切りの末に始末されてはいなかったのか。
 それとも。2人しか居ないのは。リーダーも側近のようだったアバッキオも、そして自分が拾い上げたナランチャも居ないのは。
 ミスタは傘を差したまま店のドアを開けた。
 客だ。
「……いらっしゃいませ」
 躊躇いの有るフーゴと違い、先に店内に入ってきたジョルノは驚く様子もなく「お久し振りです」と言った。続いて入ってきたミスタも平然としている。
 入り口を挟んで左右に4人掛けテーブル席が1つずつ、それ以外はフーゴが居る長いカウンター席のみの店内で、2人は何も言わずフーゴの目の前に並んで座った。
 偶然この時間に営業しているカフェを見付けたからコーヒーを飲みに入ってみただけだ、と言ってほしい。
「朝はコーヒーしか置いてないんだってな」
「はい。ああ、今日はチーズケーキセットに出来ますよ」
 ケーキ? と食い付いてきた2人に簡単に説明する。同じチームに居た頃を思い出す反面、今は全く違う『カフェテリアの店員と客』という関係性なのだとも思い知らされた。
「じゃあ俺はチーズケーキも食うぜ。ジョルノは?」
「僕は未だ食べられる感じじゃあないので」
「ジョルノ、朝は苦手なんですか?」
 はい、と頷いた。だからミスタが運転してきたのかもしれない。つい笑みが浮かぶ。
「じゃあコーヒー2つ、セットのケーキ1つか。ミスタは砂糖多めですね」
「おう、たァーっぷりと入れてくれ」
「ジョルノは?」
「カフェラテをお願いします。ミルクを多めにして下さい。砂糖も少し」
「スチーム出来ますよ」
「じゃあカプチーノで」
 背を向けて大きなエスプレッソマシンを操作する。この店の自慢。イタリア製の業務用で見た目も良い。
 豆は湿度に弱いので毎朝の調節が肝心になる。それを得意としているので朝1人での営業を任せられていた。
「朝カラ美味いコーヒーだッ!」
「楽シミ過ギルゼ!」
 後ろでミスタのスタンド達が話す声が聞こえる。
 言葉を喋るスタンド自体滅多に見掛けないが──自分のスタンドも声を発するだけで会話は出来ない。それだけの知能を恐らく持っていない──複数居て自分同士で会話をするのはピストルズ位のものではないか。
 そもそもここ暫くスタンドやスタンド使いと会う事が無かった。
 堅気の証。勿論ギャングでなくても、生まれながらにスタンド能力を持つ者も居るが、あのボートに乗らないという選択をした日からフーゴはギャングともスタンドとも関わりを持たない退屈なまでに平穏な日常を送っている。
「はい……はい、僕もそう思います。……はい」
 ピストルズに返事をしているらしいジョルノの声。彼の注文のカプチーノから作り始めた。
 コーヒーカップにマシンからエスプレッソを注いで本来は入れないが砂糖を少し。その上にマシンから大量のスチームミルク。そして最後にフォームミルクを注ぐ。
「お待たせしました」
「言ってみます」目を閉じて口の端を上げている。カップを置くと目を開け真顔で「有難うございます」
 今のは一体。
 ジョルノはピストルズと話してはいなかった。勿論ミスタ相手でもない。だが独り言でもない。
 もしやジョルノのスタンドも喋る事が出来て姿を出さないまま会話していたのだろうか。
 取り敢えず今はカフェテリアの店員として客の注文に応えなくては。次はミスタのエスプレッソのケーキセットだ。
 小さなカップにマシンからエスプレッソを注ぎ、そこにスプーン3杯近くの砂糖を入れ混ぜる。スプーンをシンクに、エスプレッソカップをミスタの前に置く。
 冷蔵庫からチーズケーキの乗っている皿を1つ出し、そのケーキの隣にフォークを添えて。
「お待たせしました」
 上品な見た目のケーキセット。
「へぇー……ケーキ、結構美味そうだな」
 苺と生クリームのショートケーキを好んで食べていたミスタにはシンプル過ぎるかもしれないと思ったが、食べる前から高評価のようだ。味はもっと良い。
 ミスタは一口でエスプレッソを半分程飲み、それからチーズケーキにフォークを刺した。
「温かくて美味い。雨で少し体が冷えていたから助かります」カプチーノを飲みながらジョルノは目を閉じ「……はい。甘くも苦くも作ってくれそうです」
「ジョルノ、先刻から……いや、美味いなら良かった」
 美味い物を他者に伝えるような言い方で噛み締めるタイプなのかもしれない。変わった癖だが美味いと言ってくれる客に文句は無い。
「チーズケーキも美味いな。スパゲッティが美味い店って聞いたが何でも美味い店の間違いだぜ」
「……誰から聞いたんですか? こんな田舎の、それも小さな店」
 味に自信は有るが、雑誌もインターネットのホームページなんかでも特集を組まれるような店ではない。当然テレビもラジオも来た事が無い。
「部下に教えたもらったんだよ。ネアポリスの隅っこで暮らす弟だか妹だかの家の近くにスパゲッティが美味いカフェテリアが有るって」
「そこで見たのが僕達が探しているパンナコッタ・フーゴの特徴によく似ていたと」
 探されている。
 何故?
 仲間にしたいから? ボスは裏切れないと言ったが、それでもこの凶悪なスタンド能力が必要だから、とか。
 既にボスを倒したから戻ってきてほしい、ならどれだけ良いだろう。
 だがリーダーのブチャラティも彼を強く慕っていたアバッキオとナランチャも居ない。そしてミスタは部下という言葉を使った。
 考えられるのは、2人も自分と同じようにブチャラティの離反にはやはりついていけないと判断しボスの元へ戻ったという説。
 そこから裏切り者であるブチャラティ達の排除を命じられて、でなければ良い。比較的新参の2人より自分の方が付き合いは長かった。尤も何が理由であっても、どんな条件を付けられたとしても、2度とギャング稼業に手を染めるつもりは無い。
「また俺達と──」
「僕はギャングにはならない」
「即答ですか」
 それだけ強い意思だと伝わってほしい。
「別にこの店で働きながらでも良いんだぜ」
「知られないようにします」
「そういう問題じゃあない。僕はギャングから足を洗ったんだ。もう、そういった生活をするつもりは無い」
 スタンドで人を殺しておいて何を言う。それは自分が1番分かっている。
「僕はボスを裏切れないからと仲間を裏切った。そしてボスが末端の僕を認識していないだろうと踏んで組織を抜けた。正式な手続きを取るでもなく、雲隠れに成功したからそのまま平穏に、あたかもギャングなんて恐ろしい存在と関わりは有りませんよといった顔で暮らしている。だからもうそっちには、アンタ達の元には『戻れない』んだ!」
 戻りたい。だから戻らない。望み通りの人生を自分に送らせてはならない。
「そうですか」ジョルノは眼を閉じ「……はい。僕もミスタも諦めません。僕は一緒に居た時間こそ短いけれど、でもフーゴの事は大切な仲間だと思っています。……はい、今でも」
「俺もお前らよりは付き合い短いけど諦めないぜって伝えてくれ」
 ジョルノは目を開けてミスタの方を向き、
「聞こえています。ミスタの言葉も、フーゴの言葉も」
「ああそうだったな」
 次にこちらを見た。
「本音が聞けて良かった。口もきかないとか他人のフリをされるとかじゃあなくて」
「そんな事、しませんよ………」
 すれば良かった、と少しだけ思った。こうして話しているだけであの頃に戻りたいという気持ちが、戻れるのかもしれないという期待が胸を埋め尽くしている。
 他に何も考えられない。
「オメーが心配しているボスだけどよォ」
 いつの間にかチーズケーキを半分程食べているミスタが残りから一口分フォークで切りながら言った。
「もうブッ倒してるぜ」チーズケーキを刺したフォークをジョルノの方に向け「今のボスはジョルノだし、俺も幹部のトップやってるから、報復の心配だけは無い」
 向けられたチーズケーキをジョルノは口に含む。
「トリッシュも無事に住んでた家に戻った」
「いや待て、どういう事だ?」
「だからボスは倒して、今の組織のボスはジョルノで──」
「そこだ! 倒せたのは分かった、きっと嘘じゃあない」そしてそれはとても嬉しい。だが「ボスにはリーダーで幹部にもなっていたブチャラティがなるんじゃあないのか?」
 何故ジョルノが?
 確かに適正は有る。上に立つのに相応しい人格者だと思う。 だが自分より年下で、何より組織に入ったばかりの新参者だ。
 ブチャラティがボスの称号を嫌い譲った? 早々に懐いていたらしいナランチャが賛同した? だとしてもアバッキオが認めないだろう。
「3人は……どうしたんですか?」
 ジョルノは勿論ミスタもらしくなく真面目な顔をしている。だから続く言葉にも嘘は無いだろう。『最悪』を想定して大きく息を吸ってゆっくりと吐いた。
「ブチャラティとナランチャは僕の中に居ます」
 淡々としたジョルノの声。
「……中に?」
「はい」
 聞き間違いではなかった。ミスタも何も言わない。一体どういう事なのかと眉を寄せる。
「それは──」
──ガチャ
 入り口のドアが開く。煩い雨の音と共に常連客の男が入ってきた。
「いらっしゃいませ」
「コーヒー、エスプレッソに砂糖少なめで」
「はい」
 常連客は2人から1つ空けた席に座る。
 営業職のこの男はほぼ毎朝コーヒーを一杯だけ飲みに来る。来ないのは休みの日と、それから前日大失敗をした日らしい。大きな失敗をした日と続けて同じ行動をするのは良くないからと話していた。
「雨の日でもしっかり客が来るんだな」
「コーヒーもチーズケーキも美味いからでしょうか」
「へえ、今日はチーズケーキなのかい?」
 わざと常連客に聞こえるよう話していたミスタとジョルノに、その常連客が話し掛ける。
「シンプルっつーか王道ですげー美味いのな」
「一口貰いましたが、軽過ぎず重過ぎないのが良かったです」
 背を向けエスプレッソマシンを操作しながら3人の話に聞き耳を立てる。自分ら店員も含めあちこちで雑談の聞こえる陽気なカフェテリア。ギャングの世界とは程遠い。
「食べて行きたいけど時間がなあ」
「時間、そろそろか?」
「そうですね。それじゃあ僕達はこれで」
「金置いとくぜ」
「……はい、有難うございました」
 何とか店員として礼を言う。そのまま2人の出ていったのが振り向かなくても音で分かった。
 時間が来たからではなく他の客が来たからだろう。ギャングに戻らないかという打診を誰にも聞かれないようにと気遣ってくれたのだろう。
 抽出の終わったエスプレッソにスプーンで砂糖を一杯。軽く混ぜてスプーンをシンクに置いて。
「お待たせしました」
 今日2組目の客の注文をカウンターテーブルに置く。
「有難う」一気に飲み干し「しかし驚いたよ、ギャンクでも居るのかって」
「え?」
「今の若い2人組、とんでもない高級車で来てたから」
「ああ……」
 この住宅街では先ず見ない高級車。小金持ちで車を好む人間が住んでいないとは言わないが、そういった一般人の乗り回す車ではなかった。
「金髪の子の方なんて未だ学生位に見えたけど、どういう関係なんだろうな? 帽子の子の方が運転していったから、そっちの親の車なのかねえ」
「どう……なんでしょうね」
「フーゴも驚いたか」
「そりゃあ勿論。でも驚いただけです。コーヒーもケーキも気に入ってくれたようなので、また来てもらいたいですね」
 店員と客として会うならば何も問題は無い。
 戻れるならば戻りたいという気持ちを呼び起こされなければ、何も。

 流石に昨日の今日で来はしないだろう。
 そればかりが頭に有るという事は、来るかもしれないと心の奥底で思っている何よりの証。
 来てほしいのか来てほしくないのかは自分でも分からない。だが来るか来ないかと意識している。
 ミスタもジョルノも自分にとっては大事な仲間だった。久し振りにその顔を見て、過去形にしたくないと思ってしまった。
 一方で彼ら2人よりも付き合いが――最大でも2年程度だが――長い3人は来ないだろうと半ば確信している。
 アバッキオの名前が出なかったのはジョルノと未だに親しくなれていないからだとして、ブチャラティとナランチャについては可笑しな事を言っていた。
 彼らは会いに来ないというのを遠回しに表現したのだろう。決して会いたくないからではなく、忙しいので気持ちだけ連れて来たとかそういった風に。
 忙しいから、というだけなら良いが――
「レモンペペロン!」
「あ、はい!」
 カウンター後ろの所謂厨房からマスターに呼ばれたので大急ぎで向かう。
 客の1人が注文したレモンペペロンチーノが完成した。ニンニクとオイル、そして鶏肉とキャベツも入ったペペロンチーノにたっぷりとレモンを絞ったメニュー。受け取って注文した右のテーブルの客へと運ぶ。こじんまりとした店なので誰が何を注文したかを忘れたり間違えたりした事は無い。
 スパゲティが美味いと評判で地元の常連客が付いた店なのでやはり昼時は忙しい。両方のテーブル席は埋まり、カウンターにも3人組の客が座っていた。
 そこへ更に新たな客が。ドアが開いて2人組が入ってくる。
「いらっしゃいま、せ……」
 ミスタとジョルノだ。
 忙しくて――そんな中考え事をしていて――気付かなかったが外には昨日の高級車が停まっていた。
 2人が並んで座れる唯一のカウンター右端へ案内する。
「さぁてどれにするかな。お、今日の限定スパゲッティはタコのトマトソースだぜ」
「僕はそれにします」
「じゃあ俺は」こちらを見て「お勧めは?」
「どれも美味いですよ、冗談抜きで。例えばカチョエペペにも炒めたベーコンと玉葱が入っていて」
「美味そうだな! カチョエペペくれ。この店ワインは無いんだっけ」
「……はい」
 理由を聞かれたらリストランテではないからと答えようと思っていたが、2人は「じゃあコーヒー飲むか」「そうですね、美味かったし」と話すばかりだった。
 ディナータイム、あるいはバータイムと呼ばれる時間帯は営業していない。フーゴが来るまでは早朝営業もしておらず、ただ昼時にだけ開けているカフェテリアだった。だからここで働く事にした。夜中に店を閉めているという事は、ギャングと一切関りが無いという事。
「コーヒー、エスプレッソならミニサラダが付きますよ」
「そうなんですか、じゃあエスプレッソにします。砂糖多めに入れてもらえますか?」
「俺もエスプレッソ、昨日位砂糖入れてくれ」
「畏まりました」
 注文を伝票に書き込み厨房へ。スパゲティメニューをマスターに頼んで自分はエスプレッソマシンの操作にカウンターへ戻る。
 マシンを操作しエスプレッソを2杯。どちらも同じ量の砂糖を入れ混ぜる。2人の前にエスプレッソを置いてから、冷蔵庫にストックしてあるサラダを取り出した。
 サラダの残りの数を確認する。葉物野菜を切るだけとはいえエスプレッソを入れるよりは時間が掛かるのでストックを切らさないようにしなくてはならない。
 未だ充分に有るし時間を考えればこの後大量に出る事も無い。だから用意しなくても良い。となるとマスターがスパゲティを作り終わるまでの短い時間、接客業であるフーゴの仕事は目の前の客と話す事。
「良いですね、シンプルなコールスローサラダ」
 2人は早々にサラダを食べ終えエスプレッソを一気に飲み干す。
「コーヒーもやっぱり美味いしな」
「……昨日と違い晴れていますが湿度は少し高いので調節しています」
 砂糖を入れるにしても元のエスプレッソが美味くないとならない。ここはカフェテリアで、自分はコーヒーを任されているのだから。
「フーゴ、お前すっげーな」
「昔から得意だったんですか? それともこの店で働くようになってから学んだ?」
「後者です。エスプレッソマシンなんて触った事は無かった」
「天才肌っつーか、天職っつーか。金貯めて店出したいとか有んのか?」
「有りません、全く。僕はこの店が好きですから」
「じゃあ跡を継ぐとか? あ、でもここのマスターって」
「とても若く、僕と10位しか離れていない。引退は当分先だと思います。それに僕は美味いスパゲッティが作れるわけじゃあない」
 もしマスターが入院等で一時的に1人――厳密にはママと2人だが――でやっていくとしたらマスター復帰までコーヒー専門店を名乗らなくては。
「それにこの店を出るとしたら住む部屋も探さなくちゃあならない」
「引越先はマスター名義ですか」
 適当に、イエスともノーとも取れる相槌を打った。
 この店は3階建ての1階に有り、2・3階は住居となっておりマスターとママの夫婦で暮らしている。
 当初3階は窓の有る納戸として使ってみたが広さを持て余していたので、アルバイト募集の紙に「3階に部屋有、住込み歓迎」と添えた。
 フーゴが見た、雇われた数日前に書き込んだらしい。
 風呂も台所も何よりトイレも2階に有る物を使わせてもらっているが、フーゴの働きぶりに家賃は要らないと言われている。
「……僕の事を話したので、今度はそっちの事を教えて下さい」
 朝とは違い満席同然で客達が賑やかに話し、また厨房で調理している音も聞こえる環境なので、余り大きな声でなければギャングの抗争話をしても構わない。
「何から話しましょうか」
「大事な事は昨日話した通りだぜ。ボスをやっつけて、トリッシュを帰して、ジョルノがボスになった」
「ミスタは幹部」
「そう。親衛隊──あ、フーゴ前の親衛隊知らねーよな?」
「存在だけは聞いていましたが……」
 人前に姿を現さず名前すら伏せるボスの直属の配下。2〜3人の少数チームで何組か有ると聞いた。
「そこは聞いても余り楽しくないでしょうから省略しましょう」
「だな。それよりアバッキオを討ったのはボスだった、から話した方が良いか」
「え……アバッキオは、ボスに? あの後?」
 ボスと対峙した場からはボートですぐに離れた。フーゴはそのボートに乗らず──乗れず──暫く近くを彷徨い歩いたりもしたが、ボスへの反旗を持たないからか『狙われた』と感じるような出来事は一切無かった。
 それはボスがアバッキオを先に狙ったからだったのだとしたら。
「すぐに、ってわけじゃあねーけどな。あれからまあ色々有って、トリッシュがボスと自分の母親の思い出の地はサルディーニだって言ったからそこ行って」
「ムーディ・ブルースで遡っている時に。考えてみればあの男は素性を探られる事を最も嫌っていた、いや恐れていた。だから何よりもアバッキオから消したいと思っても可笑しくない。なのに、僕達は──」
「まさか別の魂で来るなんて思わねーからな」
 過ぎた事は悔やんでも変えようが無い。ミスタ程の前向きさが自分にも有れば。
「え? ……はい」ジョルノが目を閉じて「確かに、そう考えられます」
「ジョルノ?」
「ブチャラティが「アバッキオの死は辛いがその遺志を継いでボスを倒せたんだ」と。僕達は無駄にはしていない。それと「ボスが別の魂を持っていた事から、俺とナランチャがジョルノの中に居る形を取れた」とも」
 ミスタ以上の前向きさは素晴らしいが何を意図しているのかはよく分からない。
 簡潔に訊くとしたら。
「ブチャラティがそう言っているんですか? その、魂だけでジョルノの、中から」
「はい、ナランチャも頷いています」
「声が聞こえるだけじゃあなく姿も見えるんですか」
「目を閉じている間は。いや、正確には『2人を見聞きしよう』と意識している時。僕にとってそれは目を閉じて2人を思っている時です」
 その後も魂云々の話を聞いた。客が来たり帰ったり、注文を取ったり運んだりしながらでも考える事は出来る。
 ボスは魂を2つ持っていた。どちらの姿にもなる事が出来た。肉体の入れ替わるスタンドで別々に引き離された。その際ボスではない方の魂は肉体を「持ってはいなかった」ので、主人格と多重人格の1つのような形だった。
 そこまでは良い。余り良くないが、スタンドみたいな物だろう。見えない者には見えないが自分の近くに確かに居る。
 ボスの事を詳しく教えてくれた、かつてボスと戦い再起不能となったがボスの打倒を諦めていなかったポルナレフという男から色々と教わったらしい。
 選ばれた人間をスタンド使いにする弓と矢で、既にスタンド使いとなっている者を射るとスタンドが変化、あるいは進化する。それこそが弓と矢の本来の使い方だった。
 ポルナレフのスタンドは生物の肉体を入れ替え新たな生物に変容させる、その生き物の歴史を変えてしまうスタンドへと変わり、ジョルノと入れ替わったナランチャがボスに──
 弓と矢を手にしたジョルノのスタンドがボスを『終わりの無い終わり』に閉じ込めた。どういう事かはよく分からないがフーゴにとって重要なのはボスの現在ではないから聞き流す。
 先ずボスを倒すよりも先に、自分以外の仲間が皆ボートに乗ったあの時に、ブチャラティの肉体は既に死んでいたらしい。
 それでも生き永らえる精神力。そのお陰で肉体が入れ替わった時にブチャラティの──既に死んでいる──肉体に入ったボスのもう1つの魂の方を倒す事が出来た。
 ポルナレフのスタンドが破壊され全員の肉体が戻った時がブチャラティが天に召される時。
 それが訪れた筈だったのだが。
 自分の肉体の中に未だナランチャの魂が残っている事に気付いたジョルノがブチャラティの魂も呼び肉体に入れた。1つの肉体に3つも魂を抱える形になった。多重人格のそれに近いが、主人格のジョルノ以外の人格が『外』に出る事は無い。
 また、主人格が他の人格を完全に認識出来ているという点も世界各国の多重人格の症例の中で殆ど聞かない。人格ではなく魂だからだろう、とジョルノは言う。
 トリッシュには言わなかった。彼女はもうギャングと何の関わりも無い。家に帰しこれからの生活の安定を約束して離れてから、ジョルノはミスタに打ち明けた。
 ブチャラティもナランチャもそうしてほしいとジョルノに言っていたそうだ。トリッシュに死んだと思わせるのは本来は繊細な彼女の心を重たくしてしまうが、14歳の普通の女の子に小難しい事を話し混乱させるべきではない。
 道理は通っているが見えも聞こえもしないので俄(にわか)には信じ難い。かといってブチャラティとナランチャの魂を感じる事が出来ても、それが彼らの物だとか今はジョルノの中に居るだとかをすんなりと信じられはしないだろう。
 それからミスタとジョルノの2人は、しかし実の所4人でギャンク組織を乗っ取り改変し今に至る。
 今とはやはりフーゴに組織に、チームに戻ってきてほしいと探し当て訪ねてくるこの『今』だ。
「お待たせしました、カチョエペペとタコのトマトソースです」
 目の前に出されたスパゲティをすぐに美味い美味いと食べる2人を見て、彼らと共に平穏とは言い難い世界へ戻っても良いのかと考えた。
 自分にギャングは向いていない。アルバイトで小金を貯めてアパートを借りて企業に就職して、法律を守って税金を支払って国に守ってもらう方が向いている。
 苦労する事は目に見えている。それでも。
 戻りたい、なんてな。
 決して声にはしないが、フーゴはそんな本心を隠していた。否、昨日少しばかり晒してしまった。
「そうですか……」フォークを片手に目を閉じていたジョルノが、ぱちりと目を開けこちらを見て「ブチャラティが、フーゴをギャングに連れ戻すのを止めろと」
「え?」
「生活の基盤が整っているのなら、安心して暮らせているのなら、ギャンクに堕ちてくる必要は無い。『一般人』を危険に晒さないのもギャングの役目だと」
「ブチャラティが?」
「はい。どうやらフーゴにギャングに戻ってほしくないみたいです」
 ブチャラティに拾われた時はそれしか生きる術が無い状態だった。だが今は違う。
「ナランチャにもこうしてフーゴと会えるのだからギャングにしなくても良いだろう、と説得しています」
「説得という事はナランチャは僕をギャングに戻したがっているんですね」
「一緒に居たいを繰り返してます」
 ジョルノと中の2人の対立ではなく、中の2人の間でも意見が分かれる事が有るとは大変だ。
「ただブチャラティが説得に成功してナランチャが折れたとしても、僕は再び貴方が仲間になってくれるよう粘ります」
「コイツはこう見えて欲しい物は必ず手に入れるってタイプだからな」
「ミスタもですよね」
「俺は見た目通りだし」
 そう話し合うジョルノの肉体はジョルノ自身の物。中でどんなに反対されようが『行動』するのはジョルノ自身の意思。
「……はい、それはしません」閉じていた目を開け「財産や友人を人質にしないように釘を刺されましたが、僕はそういった事はしないので」
「それは、どうも」
 礼を言うのは可笑しい気がした。
「もし本当に2人が居るなら伝えて下さい。その……有難うと」
 ブチャラティには一般人で居るように言ってくれて。そしてナランチャには自分を欲してくれて。
「はい」
 ジョルノは目を閉じる。
「ブチャラティ、聞いての通りフーゴが有難うと。……はい、そうです。あとナランチャも、聞いての通り有難うと言っています。……いえ、多分フーゴは、……はい、そうだと思います」
 ジョルノは目鼻立ちがしっかりしていて、どちらかというと険しい顔に分類される。だが鋭い色の目を閉じていると、2人と話しているととても穏やかに見えた。

「よーフーゴ!」
 陽気な声音で店に入ってきたのはミスタ。いつもと違い1人だし、外に停めてある車も見慣れない派手な色の物だ。
 そして時間もマスターが店に出ているが未だ昼食には少し早い。その為今客はミスタ1人。
「いらっしゃいませ」厨房に並んで立っていたマスターが客に声を掛けた後フーゴの方を向き「地元の友達か?」
「地元、の……まあ……」
「まあそんな所だな」
 へらへらとした笑みを浮かべている。どうやら話を合わせてくれるらしい。
「……食う事というか美味い物が好きな奴なんです」
「スパゲッティが美味いって聞いて昨日食ってみたらマジで美味くて今日も食いに来た。昨日はフーゴのお勧めにしたが今日は……マスターのお勧めは?」
 一応言葉の全てに嘘は無い。それが分かるのかマスターはご満悦といった調子で「そうだなあ」と言った。
「出すまでにちょっと時間は掛かるがヴォンゴレかな。今朝早くに買い付けてきた新鮮なアサリを今砂抜きしてる所でね」
「朝から買い付けてきてんのか?」
「魚介類は漁港に。フーゴが店に立っていてくれるお陰で何でも新鮮な物を買い付けてこられるよ」
「美味そうだしそれに決まりだな。あとエスプレッソ、サラダ付くやつ」
「今日は特別、コーヒーならどれにでもサラダを付けるよ。遠方からの友達割り」
「じゃあカプチーノで!」
 清々しいまでの遠慮の無さ。
 マスターは了解と言って厨房に入った。フーゴもエスプレッソマシンに向かう。
 ここから先は店員と客の2人きりだ。
「ミスタがエスップレッソ以外を飲むのは初めてですね。ミルクはコーヒー豆程拘りが有るとは言いませんが、きちんと美味い物を使っていますよ」
「ジョルノも美味かったって言ってたぜ」
「今日はそのジョルノは?」
 自然に尋ねられた、と思った。
「学校」
「そうですか。……は? 学校?」
「アイツ未だ学生」
 年齢的にはそうだろうが。
「でも今は組織のボスだって……」
「ギャングと学生の二足の草鞋ってやつ」
「大丈夫なんですか、それ」
 ボスともなれば学生にありがちな格好を付ける為の不良行為とは呼べない。そもそもボスが学生という時点で可笑しいのでは。
「本人は適当に部屋借りて学校辞めるっつってたんだけど、ああアイツ学生寮に入ってる。基本学校に帰ってるんだぜ。で、本人はそのつもりだけどブチャラティとナランチャが猛反対。ナランチャはお前に勉強教わる位学校に行きたがってるからな」
「そう、ですね」
 小学生レベルの算数を教えていた懐かしい記憶。あの頃が自分にとって最良の時間だった。
 そしてミスタは現在進行形で言った。ナランチャは未だ学校に通う夢を諦めていない。
「ブチャラティはブチャラティで学校早い内に行かなくなっちまったから、ジョルノには通って卒業してもらいたいって。2人掛かりで言われると流石のジョルノもな。学歴は無いより有った方が良いのは確かだし、あと親に辞めるって事とか知られたくねーみたいだし」
 親に秘密でギャングのボスが務まるのか。
 そういえば自分の親は自分が今どうしているかを全く知らないな、と思った。方角的に逆だが同じ『ネアポリスの郊外』、住み込みでカフェテリアの店員をやっているとは思うまい。その前にはギャングまで落ちぶれていた事も知らないだろう。
 ミスタの親はミスタがネアポリスでギャング組織に入り今や幹部にまで上り詰めていると知っているのだろうか。チームに来た頃から実家に帰る様子は疎か、電話をしている所すら見た事が無い。
 しかし今知りたいのはそこではない。
「信じているんですね」
「あ?」
「ジョルノの中に、ブチャラティやナランチャが居ると」
 まるでお前は騙されてやっているのかといった言い方をしてしまった。嗚呼、自分は本心では信じきれずに未だ疑っている。
「そりゃあフーゴは信じられねーよな、肉体が入れ替わった事無いし、ボスが魂2つ有ったってのも分かんねーだろうし」
 砂糖を入れたカプチーノを甘党のミスタの前に置いた。
「俺はトリッシュと入れ替わった事が有るし、ボスの別の魂はよく分かんねーけど1つの体に2つの魂ってのは実際に見てる。だから理解出来るっつーか、スタンドみたいなもんなんだよ。実際に身に付いたから分かるけど、自分の魂が形作って人格持つなんて普通考えられないぜ」
 カップの取手を指でなぞり、反対の手で頬杖をつく。
「正直俺も疑ったぜ。ブチャラティとナランチャは知ってるけどジョルノは知らない筈の事とか言ってきてもよ、アイツ賢いから調べたか? とか思ったりな」
「でも今は信じている」
「ああ、疑っちゃあいない。試したんだよ、本当に居んのかどうか、後ろから抱き着いて」
「……は?」
 しれと言った方法に疑問符が浮かび変な声が出た。
「男に抱き着かれたら驚くし、あんまり良い気はしねーだろ? ジョルノはクールな奴だからそんなに驚かないかもしれない。そしたらナランチャは驚かねーの? って言ってやるつもりだった。で、嫌がるかもしれない。そしたら俺はブチャラティに抱き着いたんだって言ってやるつもりだった。驚いた時まで演技は続かないもんだからな」
 いきなり撃ち抜いてみた、にならない辺りミスタもミスタで丸くなったのかもしれない。と、思っておく。
「で、後ろから抱き着いて女の子にやるみたいに顔寄せたんだよ。そうしたらアイツ」そこまで言ってミスタは漸く取手に指を通し、ずずと音を立ててカプチーノを啜り「お? 優しい味ってやつだな。ああそれで、ジョルノは最初に驚いたっぽく体に力を入れたんだが、そのままブチャラティ達が話し掛けてきた時と同じように黙って、話が終わったら溜息吐いて「やれやれ」って言ってさ」
「それで嘘を吐いていないと思ったんですか」
 ブチャラティとナランチャはここ居るという嘘は、フーゴに再び仲間にする為に吐く事は――疑われ変な目で見られ逆効果だが――有ったとしても、ミスタに吐いた所で何の意味も持たない。
 ミスタは恐らく見えなくても近くに居る事より、供えた花を空から見てもらえる事に喜ぶタイプだろう。
「やれやれの後に「ナランチャが勘違いをしてブチャラティを連れて席を外してくれました。もし本当にそういうつもりなら事前に言ってもらえますか?」って言ったんだぜ」
 成程ナランチャならそうしそうだ。ブチャラティが何の事だと言いながら大慌てしているナランチャに連れて行かれる姿が目に浮かんだ。
「いやー大変だった。先ず誤解をとくだろ? 次に疑って悪かったって謝る。そして最後にブチャラティとナランチャに説明してくれって頼んだんだぜ」
――カチャ
「あ、いらっしゃいませ」
「こんにちはー」
 女性2人の来店。
 50代と30代の2人は親子で、ネアポリス市街地に嫁に行った娘が遊びに帰ってくる度にここで昼食を取る。
「何にしようかなぁ」
「私はマルゲリータ風にしよう」
 母もよく娘の家に遊びに行っているらしい仲良し親子。自分やナランチャでは考えられない。
「危ねェー聞かれる所だった」
「女性に聞かれたら一気に広まりますからね」
「3倍に盛った話がな」
 注文に呼ばれたので2人が座るテーブル席へ向かう。厨房に注文を伝える。少し待って出来上がったヴォンゴレを受け取りミスタの前へ。
「え、すっげー豪華だな……」
 カフェテリアで出すには高値だが、値段相応以上の物を使っているし味も確かだ。
 ミスタは先ず最も華やかに見せているムール貝を貝殻から外し口に含んだ。
「美味い」
「でしょう」
 自分が作ったわけではないがつい得意げに返してしまう位に店が自慢としている1品。カウンター越しに話していてもアサリの良い香りがこちら側まで漂ってくる。
 マスターに言ったのは嘘ではなく、フーゴは自分が今まで接してきた人間の中でミスタが最も「食べる事が好き」な人間だと思っている。この美味過ぎるスパゲティを食べてもらえて良かった。
「……ブチャラティもナランチャも、何も飲み食いしてないんですよね」
「まあ魂だし」
 かと言ってジョルノが食べた物が栄養になるなんて事も無く。
 食事も睡眠も排泄も肉体の欲求なので魂だけになれば関係無い。だからと言って何も食べられないのはミスタならば耐えられないだろう。自分も耐えられるか分からない。誰かの中で魂だけで生き続ける事が良い事なのかそうでないのか、分からない。
「ジョルノは2人は未だやるべき事が有るからとか言ってるし、そうなんだろうなって返してるけど、俺は難しく考えないで2人と話せるならいいやって事にしたぜ」
 前向きでミスタらしい。
「でもまあ、ジョルノの言うやるべき事ってのをやり終えたら居なくなっちまうんだろうけどな」
 スパゲティをフォークに巻き付けながら、この時ばかりはらしくなく少し寂し気だった。

「フーゴの休みはいつなんですか?」
 昼時を少し過ぎて客が疎らになった頃にミスタと共に来店したジョルノはショコラトルテを食べながら尋ねてきた。
「他にアルバイトの方は居ないようですが、もしかして休みは無い?」
 このカフェテリアは定休日が無い。臨時休業する日も有るが、原則マスターとママは休み無しで働いている。
「いえ、大体週に1日は休みを貰っています」
「曜日固定なのか?」
「ママがこの日は店に立つから、と言われて休みになる感じです」
 カウンター越しに店員と客として2人と話をする事にはすっかり慣れた。
 連日通い詰めてくれているので常連客にすら思う。
「結局ママが寝坊した事により早朝営業のみ中止になっていた、なんて事も有りますよ。ただ僕は別に休みが無くてもどうとでもなりますがね」
 部屋の掃除は早く切り上げた日にすれば良いし、それ以外イコール2階の家事はそれこそママがしてくれていた。
 アウトドアな趣味は無いし――インドア趣味でもないが――何より友達が居ないので出歩かない。
 部屋を与えられているとはいえ他人様の家なので散らかせない、物を余り増やさない方がと思うのも有って買い物に出る事は殆ど無く、稀に少し足を延ばして図書館に本を読みに行く程度。
 ギャングになるまでは勉強しかしてこなかったが。ギャングを辞めてからは仕事しかしていない。自分はつくづく何も持っていない。
「じゃあ次の休みに予定は無いな。で、次の休みは明日? 明後日?」
 フーゴが居ないのなら店に来ないという意味で訊いているのかと思い、そうでなくても隠したり誤魔化したりする必要が無いので次の休みの予定をそのまま告げた。するとミスタは口の両端をにんまりと上げる。
「それじゃあ俺達と出掛けようぜ」
「出掛けるって……飲みに行くとか買い物に付き合うとかなら構いませんが」
 遠回しに「ギャングの根城や抗争・商談の場には行かないぞ」という意味で言ったのだが。
「サルディニアって美味い店有んのか?」
「島ですし海産系が強いんじゃあないでしょうか」
「ちょっと待って、サルディニア島に行く気ですか?」
「はい」
「ここからサルディニアまで何時間掛かると思っているんですか。船だって日に何本も有るわけじゃあないし、これは泊まり掛けの旅行の誘いなんですか?」
「飛行機なら1時間強で着きます」
「それは、まあ」
「だから日帰りです。次の日の朝には美味いコーヒーを淹れられるように、日が暮れる前に帰ってきます」
「折角だから美味いもんでもって思ったけど、ここのコーヒーとスパゲッティの方が美味いだろうしな」
 有難い言葉も気遣いも、どう返事をして良いか分からない。
 サルディニア島に日帰り旅行をする、なんて事が自分の人生で起こり得るとは思ってもみなかった。
「高い所苦手ですか? 飛行機が駄目ならそれこそ船で行きますが、となると日帰りは厳しくなります」
「そうじゃあなくて――」
 ミスタの視線はこちらではなくジョルノの前の皿に向いている。
 それに気付いたジョルノが渋々といった様子でショコラトルテを切り分け、そのフォークをミスタの口元へ向けた。
 ケーキを分けてあげたジョルノが目を閉じる。
「はい。……構いません。……はい、伝えてみます」
 ブチャラティかナランチャのどちらかと話している。あるいは2人と、3人で話しているのかもしれない。自分の中に居る魂だけの2人と話をするというのがどういう形でなのか見えず想像も付かないのでもどかしい。
 ミスタとジョルノと3人で行動する時は、ブチャラティとナランチャも含めて5人居る事になる。チームの皆で海の綺麗な島に息抜きに行くのは良いかもしれない。
 そこにアバッキオが居ないのは寂しい。その事を話そう。新入りのジョルノは勿論、比較的浅いミスタもアバッキオの知らない顔が、ブチャラティとナランチャの知らない顔も有る。そして2人の知らない顔をブチャラティとナランチャから聞かせてもらいたい。
「現地集合じゃあないですよね?」
 フーゴの切り出した言葉に2人は一瞬詰まった。そして揃って嬉しそうな眼を見せた。
「迎えに来ます。帰りも家まで送ります。家というか部屋、この上でしたね。店まで車で来ます」
「飛行機もこっちで取る。寝坊すんなよ」
 もうずっと朝早いのでフーゴにその心配は無い。
 否、期待と少しの緊張で寝付けず、上手く起きられないかもしれない。ギャングを抜けてからではなく、ギャングに入る前から『友達』と出掛けた事等無いのだから。

 フーゴにしてはいつもよりかなり遅い時間だがギャングの2人には朝早いと呼べる時間、迎えに来た見るからに高級車の後部座席で目的地へ向かう。
 落ち着かない。
 せめて運転手であれば、運転に集中して乗り心地の良過ぎる車だという事を意識せずに済みそうだが、今日の運転手はジョルノだった。
 普段はミスタが運転しているが、今日はオフなので年下のジョルノが運転という事か。ミスタは助手席で今にも居眠りしそうな程に寛いでいる。
 車での移動なので目的地の空港はすぐに着いた。
 そこからは飛行機なので目的地へは更に早く着いた。イタリア国内だが縁が無く初めて訪れるサルディニア島。その海辺。
 眼下に広がる海は染み渡った青空の色を映しどこまでも美しい。
 すぐ後ろでは地元の子供達が遊んでいて、楽しげな声やボールを蹴る音が潮騒を掻き消している。
 澄んだ空気を吸いながら「長閑ですね」とでも言おうと思った時、自分に背を向けて海を眺めている2人の内、ジョルノだけが振り向いた。
「アバッキオはここで亡くなりました」
「……そう、ですか」
 何と言って良いか分からず無表情なジョルノにそう短く返す。
 地元を調べ墓を建て遺灰を納めたと聞いた。だからここに遺体は無い。それでも一種の墓参りか。
「ブチャラティはここで逝きたいそうです」
「? 『いきたい』、ですか?」
「はい。ここからアバッキオが辿った道を逝き、彼に会う」
 ギャングとして生き殺人も犯してきたのだから天国へ昇れないかもしれない。
 だがそれでも、アバッキオが居る地獄に堕ちるのは、ブチャラティにとっては悪くない。
「ジョルノの中から出てくんだってよ」
 背を向けたままミスタが言った。
 形はどうあれ2人と話せるのは良い事だと捉えていたミスタの前からブチャラティが消える。
「その……出る事が可能なんですね」
「入る事が出来ましたから」
「出入り自由というわけですか」
「いいえ」酷く無感情な声音で「1度出て、再び入れるかは分かりません」
 出来るのか出来ないのか、やってみないと分からない。本来ならそういう意味に受け取れる言葉だが、フーゴにはジョルノがその言い方に秘めた真意が読めた。
 やってみれば出来るのかもしれないが、恐らく無理だろう。
 1度離れればもう2度とジョルノの中に、誰かの中に魂だけで生き残るという事は出来ない。
 出来たのが奇跡。既に死んでいた肉体から入れ替わる事で出られたり、入れ替わっている時に殺され入れ替わり先の肉体の主が新たなスタンド能力に目覚めたりという特殊な状況下だから起きた奇跡。
 そんな奇跡を前にしてギャングのツートップが組織を抜け出した人間を市内見付け出す事は奇跡なんて呼びようが無い。
 もしもジョルノがからかっているのなら悪ふざけから解放されると思えるのに。信じられる要素が幾つも有るし、何より信じたかった。疑うのならブチャラティとナランチャの死の方だ。
「ナランチャも反対はしていないんですよ」
 ジョルノは目を閉じ「はい」とどちらかに返事をして目を開ける。
「寂しいから嫌だと思うのは自分の我が儘だと。だからブチャラティの為に我慢すると。とても大人です」また目を閉じ「子供の僕には真似出来ません」
 ジョルノの方が余程大人びているのに。嗚呼、そんな自分が大人だと言う事で、ナランチャの判断を賞賛しているのか。
「フーゴ」
 ジョルノの口からジョルノの声で、しかし別人からの言葉。
 発音が、その雰囲気が、何とも言えない感覚が、今名前を呼んだのはブチャラティだと確信させた。
「……はい」
「俺達の──いや、今はジョルノのか。チームに、組織に戻れとは言わない。ただこれからもカフェテリアの店員としてでも違っても何でも良いから、ジョルノと会ってほしい」
「それは構いませんが……」
 最期の時に願うのがそんな事なのか。
「お前と会えれば、ナランチャは寂しくない」
 俺と会えなくなっても。
「ミスタもジョルノ自身も信頼出来るが、忙しいから。お前もカフェテリアで忙しくしているが」
 ほんの少し口の端が上がる。ブチャラティが微笑んでいる。
「ブチャラティ──有難う」
「ああ。皆、元気でな」
 もう2度と会えないからこそ互いに別れの言葉を避けた。
 ジョルノが目を開ける。風が強く吹いた。その体からブチャラティが出て行ったのだろう。
 見上げてみた空は綺麗な青だが幾つか雲が浮かんでいる。
 その隙間からブチャラティと、彼を待っていたアバッキオの姿が見えた気がした。
「逝っちまったか」
「はい」ジョルノはミスタの声にそちらを向き「もう僕の中には居ません」
「また来年も、っつーか暇が出来たらここに来るか」
 帽子越しに頭を掻きながらミスタはくるりとこちらを向く。
「サルディニア名物も食ってねーしな」
 さて何を食べようかと楽天家を装う。特別何かするのではなく、いつも通りで居る事が彼なりの供養。空の上から心配させないように。
「あの、ジョルノ……ナランチャは?」
「僕の中の、しかし見る事の出来ない所に居ます。膝を抱えているかもしれない。今は誰とも何も話したくないでしょうから、そっとしておいて下さい。尤も、僕にも声を掛けられない状態ですが」
「そうですか……というか、そんな事も出来るんですね。肉体の持ち主の入れない所に隠れているようなわけですよね?」
「大体そんな感じです」
「じゃあナランチャの苦手な物を食べに行きましょうか。そんな物を食べるのか、なんて言われないように」
 この態度はミスタとジョルノには意外な物らしく2人の返事は一瞬の間が空いた。
 きっと本心も2人には意外な物だろう。フーゴは今、ブチャラティがナランチャの魂を連れて行ってしまわなくて良かった、と思っている。

 夕食前に酒を飲む習慣の有る者ならその時間といった頃合いだが、このカフェテリアには酒は置いていない。それ所かそろそろ店じまいだ。
 早過ぎる夕食に来る者は日に一組居るかどうかだが、遅過ぎる昼食に来る者はほぼ居ない。
 仕事帰りに、或いは飲みに市街地に出る前にコーヒー一杯という人間がこの地域――住宅街――には多い。一応の閉店時間は決まっているが、最後の客が店を出てから閉めるので毎日早くも遅くもなる。
 今居るコーヒーとズコットケーキを堪能している年齢不詳の女性客が店を出たら少し早い閉店になるだろうと思っていたフーゴだが、窓の外に車が1台停まるのが見えた。
 あの派手な色には見覚えが有る。そう思っていると見覚えの有り過ぎる青年が、ミスタが車から降りてきた。何処か疲れた顔色で店に入ってくる。
「いらっしゃいませ」
「未だコーヒー飲めるよな?」
「勿論。ケーキもスパゲッティも出せますよ。ワインは有りませんがね」
「んー……」低く深く、というより長く唸りながらフーゴの前の席に座り「……コーヒーだけにしとく。カプチーノ1つ」
「甘くしますか?」
「すげー甘く」
「分かりました。いや、モカチーノにしますか?」
「チョコレート味の? おう、それで」
 早速背を向けエスプレッソマシンを操作する。コーヒーカップにエスプレッソを入れ、スプーンで砂糖を多めに入れ、ミルクを注ぎ、最後にチョコレートソースも多めに掛ける。出来上がったモカチーノを「お待たせしました」とミスタの前に置いた。
 相当な甘さの筈だがミスタは一気にゴクゴクと音を立てて半分程飲む。
「美味い。染み渡るな」
「店に来るのも久し振りですし、忙しくしていたんですか?」
「まあ『仕事』で」
「ジョルノも?」
「アイツは仕事と学校で。俺の方は一段落付いたけど、アイツは明日学校に行くのに1回戻るってだけで未だ終わってないだろうな。毎日1回昼か夜に顔合わせるってだけで――あ、今日も昨日も会ってねぇな」
 そう言って残りのコーヒーも一気に飲む。どうやら2人は別件に取り掛かっているようだ。
「忙しいんですね」
「ブッ倒れないか心配だよな」
 2人共、という意味で言ったのだが。
「ジョルノはああいう性格だから顔に出さねーけど、ナランチャが「オレ何もしてないのに目が回りそう」って言ってたぜ」
「言いそうですね」
 しかしそれをジョルノからこう言っている、と聞かされたのだろうか。
 もしそうではなく何らかの方法でミスタにもナランチャの声が聞こえるようになったのだとしたら。
 羨ましい。
 自分もナランチャと話したい。
 よく知る姿でなくても、ジョルノの体を借りている状態でも良いから、話をしたい。
 出来ない事は分かっている。ブチャラティと直接話せたのは最期の瞬間だけだ。
 もしナランチャとも話せるとしたら、それは別れの時の可能性が高い。
 それは嫌だ。だが話したい。会いたい。
 触れられなくても直接言葉を交わしたい。昔のように、また彼と。
「あら、お友達さん来てたのね」
 厨房からママが顔を出してきた。
 マスターとママにはミスタとジョルノは地元の友達だという事にしている。特徴的な2人の事をすっかり覚えたママはミスタを「お友達さん」ジョルノを「お友達君」と勝手に呼んでいる。
「何か食べてく? ズコットケーキ有るわよ」
「コーヒー飲みに来ただけなんで。いや間違った、フーゴの顔見に来ただけなんで」
 何だか気恥ずかしい。
「あら、じゃあ2人で飲みにでも行ったら? 残りは私達がやっておくから、もう上がって良いわよ」
「そんな」
「マジすか、有難うございまーす」
 言ってミスタは立ち上がり、カップ――正しくはソーサー――の隣に金を置いた。
「おいミスタ」
「あーでも1回アジト――じゃあない、事務所に寄らなくちゃあならないんだよな。ちょっと遅くなるけど我慢してくれ」
「本当に飲みに行く気なのか?」
「飯だけでもいいぜ」
 何が悲しくて男2人で夕食を。
 しかし。事務所、ようはギャングのアジトに立ち寄るとミスタは言った。ミスタやジョルノ、彼の中のナランチャが拠点としている場所を見るまたとない機会。
 ギャングには戻れない。となると一般人の入れないアジトを見る事は出来ない。ここでイエスと答えでもしなければ。
「……夕食が多少遅くなるのは構いませんよ」

 車中では見たテレビ、食べた料理、行った場所、買った物等極々普通の話をした。
 ミスタが最近買った物の中で1番高いのがこの車。ディーラーではなく関連会社を通して購入したらしい。車庫証明やら何やらを用意しなくて済むからだろう。ギャングの幹部は羽振りが良く、しかし様々な証明が厳しい。ミスタの事だからもしかすると免許証も無いのかもしれない。
 市内なので車ではすぐに着いた『事務所』は3階建てで、入る時に3人組とすれ違った──ギャングとは思えない程馬鹿丁寧に挨拶をしてきた──以外は誰とも会わず何もせず最上階まで上がる。
 奥の部屋がボスの私室でジョルノ自身とミスタしか入れない。曰く「普通の部屋だぜ」との事だが、一体どうなっているのだろう。
 その手前にある応接室に通された。1階のそれとは違いある程度位の高い人間しか入れない部屋との事だ。中央には広い部屋でテーブルを挟んでソファーが2つ。奥のソファーに座るように言われた。
 更に奥にはより豪華な1人掛けソファーが有る。ボスが座る物だとすぐに分かった。壁に沿った重厚な本棚もフェイクだろう。
 それから特徴的なのが窓際。置かれている物達が、それらの持つ意味がフーゴには分かる。
 ブチャラティとアバッキオとナランチャの遺品。
 今はここに居ない3人もこのチームの、今ジョルノがボスとなった組織のメンバーである証。
「じゃあ悪いけどちょっぴり待っててくれ」
「はい」
 ミスタは部屋を出る。恐らく奥の部屋へ行ったのだろう。ここでお茶請けを持ってこられても困る。
 遺品を見て改めて彼らに想いを馳せた。
 次いで大きな水槽に目を向けた。アロワナが悠々自適に泳いでいるのかと思ったが、中に居るのは亀1匹。
「……あ」
 あの亀だ。甲羅に鍵を嵌めれば中の『部屋』に入る事の出来る、亀のスタンド。
 懐かしい。久し振り、と声を掛けたら分かるだろうか。亀の脳の大きさでは覚えていないかもしれないし、スタンド使い特有の知能の高さで分かってくれるかもしれない。
 近付いて覗き見る。
 亀は頭を微かに動かしたきりで特に反応は無い。
――ガチャ
「おお、ポルナレフ起きてんのか」
 ドアを開けながらミスタが嬉しそうに言った。
「起きて……?」
「ん? 違うのか?」
 フーゴはミスタの位置からも亀の居る水槽が見えるように除ける。
 亀は起きているが、前に話に聞いた肉体を入れ替えるスタンド能力の持ち主らしいポルナレフという名の男が起きているかどうかは分からない。
 戦線に復帰する事の出来ない、というより生活にも支障をきたす体との事だから亀の中の例の部屋で生活をしているのだろう。
「ポルナレフー」歩み寄りながら大声で「フーゴが来たぜー」
 すると亀が小さな頭を下げ目を閉じた。
「彼がフーゴか」
 口を動かし返事をしたのは紛れも無く亀。
「初めまして」
「あ……は、初めまして」
「私の名はジャン・ピエール・ポルナレフ」
「僕はパンナコッタ・フーゴです」
 自然に名乗り返していた。もし亀がその短い手を伸ばしてきたら握手もしていただろう。
「話に聞いている通り聡明そうな子だ。君の事はジョルノからよく聞いている。ブチャラティとナランチャから、と言った方が良いかな」
「2人が、僕の事を……?」
「ミスタもジョルノもジョルノの中の2人も君を探していた。カフェテリアで働いているのを見たと聞いた時、特にナランチャは早く会いに行こうとはしゃいですらいた」
 ジョルノがはしゃいでいると言ったのか、それともジョルノが伝える言葉の端々にそれが感じられる程だったのか。
「そしてブチャラティは君に会う度に安心していた。君が可笑しなギャングチームに入ったりしていなくて良かったと」
「ブチャラティは僕をギャングにしたくないんですね」
「戻ってきてほしい、共に活動したいとは思っていたが、もしそうでないのならギャングにならずカフェテリアの店員として、いや別の職業でも何でも良い、まっとうな一般人で居てほしいと思っていた。よく矛盾していると言っていたし、よくジョルノも「自分もそうだ」と返していた。戻ってきてほしいが、違う生活が有るのならそれを満喫してほしい気持ちも有ると」
 ポルナレフは亀の中の部屋に居るのではなく、2人がジョルノの中に居るのと同じような形らしい。
「ブチャラティが去った今、ミスタとナランチャの「戻ってきてほしい」にジョルノが押される形になってしまっているよ」
 中からも外からも言われていると大変そうだ。が、我の強いジョルノの事だからそう簡単に意見は変えないだろう。それにブチャラティの遺志を継いでもいる。
「そりゃあフーゴは頭良いし育ち良いしギャングじゃなくても食ってけるけどよォ、そういうフーゴが俺達には必要なんじゃあねーか」
 単に別のギャング組織に加入し敵対するのが不味いと思っているだけではなさそうで少し嬉しい。
「一緒の方が楽しいってナランチャいつも言ってるぜ。俺も思ってる。ジョルノだって本当の所はそう思ってる」
「でも僕は今更……戻れません……」
 こんな風に望まれていても。
「君の人生だ、君が選んだ道を歩けば良い」
 年齢を聞いていなかったが随分と大人のようだ。
 ただ亀が喋っている所為で何百年も生きてきた仙人のように思えてしまう。
 そういえばこの声は亀の声なのか、ポルナレフの声なのか。ブチャラティの時はジョルノの声だった。
「この部屋に来たのだからそのつもりかと思ったが、逆に入らないと宣言しに来たのか?」
「あー違う違う、この後飯食いに行くってだけ。下で待たせとくわけにはいかねーし、かといって『向こう』には入れられねーからな。特に一般人は」
 もしこの組織に入ったら、それでもあの部屋には入れないのだろうか。それともミスタと同じような特別待遇と呼べる地位に着けるのだろうか。
 いや、入らないけど。
「そうか、それは少し残念だ。だが話す事が出来て良かった」
 もう2度と会う事は無いといった雰囲気。そうだろう。一般人がギャングのアジトの特別な応接室に入る等本来は有り得ない。
 万が一ギャングに何かしら『依頼』をする事になったら。その時はきっとミスタの言う『下』に通されるだけだ。
 最初で最後の会話なら、ここで訊いておかなくては。
「ポルナレフ、さん。貴方のスタンドで……僕も、誰かと入れ替わる事が出来ますか?」
 想定外の質問だったのか亀はピクリと頭を動かす。
「私は生まれながらのスタンド使い『だった』。スピードに特化した戦闘向きのスタンドだったよ。弓と矢の力で肉体を入れ替える能力になった。近くに居る者同士を無差別に入れ替えていたから、もし君があの時あの場に居たら誰かと入れ替わっていただろう。だが全ては憶測に過ぎない。シルバーチャリオッツという私のスタンドは消滅した。私はもうスタンド使いではないのだ」
「そう、でしたね」
「魂だけだが生き残っているのだから、もしかすると何らかの方法でスタンドを取り戻せるかもしれない。だが秘密裏にスタンドの研究を行っている財団もその方法を見付け出すまでに相当な年月が掛かるだろうと言っていた」
 もし方法を見付け出しても実際に行うのは更に先。現世で出来るとは限らない。
「スタンドが無理ならせめて体だけでもって俺は思うんだが」
「有難うミスタ。しかし私の肉体は保管されているだけで修復されているわけではない。死人を生き返らせるといった類の話になってしまう。それに前に言った通り、亀の中も存外悪くないさ」
 そうは言うけどよォとミスタは腕を組んだ。
「あとあの能力は精密性がとても低い。君が近くに居たとして誰とも入れ替わらないかもしれないし、人間以外の動物と入れ替わってしまうかもしれない。元に戻す方法も無いし、やがて全く別の生物となってしまうかもしれない」
「面白半分では出来ませんね」
 決してそんな気持ちではないのだが。まして自分が誰かと入れ替わってみたいと思ったわけでもない。
「じゃあナランチャの魂をジョルノから別の誰かの体へ移す、といった事も難しそうだ」
 もしも出来るなら自分の中へ来てほしい。
 四六時中共に居るなんて疲れてしまうと言われるだろうが構わない。
 直接話したい。魂とはいえその姿をまた見たい。
 肉体に触れられなくても魂に触れたい。
「それは私には出来ない」
「ええ、分かっています」
「ナランチャの魂がジョルノの肉体と入れ替わったのは私のスタンドの能力だが、本来の肉体の死後入れ替わった肉体に魂が在り続けている事に私のスタンドは関与していない」
「そういやそうだよな」ミスタが腕を組み直し「ブチャラティが出てった時もポルナレフは居なかったわけだし」
「今のジョルノのスタンドの能力は関係しているかもしれないな」
「入れ替わるのではなく、ジョルノが自身の中に他者の魂を入れられる、という見解ですか?」
「私はそう考えている」
「マジか、俺何も考えてなかった」
 ジョルノは――ブチャラティの――魂を1度出したら再度自分の肉体に戻せるとは限らないと言っていた。もう戻せないという意味だと思ったが、言葉通りならば戻せるかもしれない。
 もしかしたら別の人間に入れる事だって出来るかもしれない。「出来ない」と「した事が無い」は全く違う。
 出す時は兎も角入れる時に負担が掛かるから嫌がったのかもしれない。恐らく違うだろうが、もしそうだとしたら次に入れるのはジョルノではなく自分に、と言えば。
 他者の肉体に出入りする魂にこそ負担が掛かるかもしれない。そこはナランチャに堪えてもらおう。ジョルノの中に不満は無いだろうが、家に籠るよりも色々と出歩く方が好きな彼はそろそろ違う景色を見たい筈だ。
「ポルナレフさん、僕も貴方と話す事が出来て良かったです」
 ミスタとジョルノをお願いします、と言い掛けたが飲み込んだ。
「……機会が有れば、また会おう」
「はい」
 返事を受けた亀は頭を下げて目を開ける。
 目を閉じて視界を切り替える事で中の魂が発言権を得られるようだ。
「さて、どこに何食いに行く?」
 通常運転のミスタの言動は逆に安心する。ジョルノに何と切り出そうかと気ばかり焦る自分と対照的で良い。

 何と無く予感がしていた。正確にはここ暫く来ていないから、そろそろジョルノが来る頃ではないかと期待していた。
 見慣れない車が店の前に停まり、後部座席からジョルノが降りたのが見えて高揚すらした。当然店に入ってくる。
「いらっしゃいませ」
 時刻は昼のピークを少し過ぎた辺り。ランチにマスターのスパゲティを食べに来る客の1人に見えているだろう。
 ジョルノは丁度隣に誰も居ない、フーゴの目の前にあたるカウンター席に座った。
「今日のお勧めは何ですか?」
 フーゴともウェイターとも呼ばないのでどちらの距離感で話すべきか。
「そうですね、マルゲリータ風スパゲッティでしょうか」
「? 何ですか? それ」
「バジルの葉と水牛モッツァレラのトマトソーススパゲッティです」
「成る程、マルゲリータだ」
「隠し味はバジルオイル」
「それにします。あとコーヒーも。カフェラテにして下さい」
「甘めですか?」
「はい」
「もし良ければモカチーノにしましょうか?」
「ああ、良いですね。モカチーノで。追加料金を払えばチョコレートソースの量を増やしてもらえますか?」
 チョコレートが好きとは意外な。もしくは年相応か。
 自分と1つ位しか違わない事を思い出してジョルノには「追加料金は要りません」と伝え、厨房のマスターには注文を伝える。
 それからモカチーノを用意した。要望通りにチョコレートソースを多めに。だが甘さの調節にミルクを減らしたりはしない。それに砂糖も僅かだが入れておいた。
 疲れて見えるし、部下たるミスタ同様甘い物が好きなようだし。
「お待たせしました──」
「そうですね。……はい、僕もです」
 目を閉じて1人でぶつぶつと喋っていた。事情を知らない者が見ればすこぶる不気味な形でナランチャと話している。
 ジョルノは目を開け、僅かに口角を上げた。
「ナランチャがフーゴに会えて嬉しいと」
「そう、ですか」
 僕もです、と言えれば良かったのだが。ナランチャ自身とは会えている気がしないので何とも言えない。
「だから気が抜けた、と」
「気が?」
「安堵したんでしょうね。最近忙しくて親しい人に、ナランチャの知る人には会えていなかったので」
「そういう事ですか。それなら少し分かる気がします」
 決して人が好きなタイプではないが、知らない人々と目まぐるしく過ごした後に親しい人間の顔を見ると安らぐものが有る。
「僕もフーゴに会えて嬉しいし」モカチーノを一口飲み「コーヒーも美味しい」
 寛いでもらえているなら良かった。カフェテリアとはきっと本来その用途で存在する。この店はマスターの作るスパゲティが美味し過ぎる事で地元で人気だが、美味いコーヒーで安らげるのが恐らく正しい在り方だ。
「本当はミスタの中に入っていられれば良かったんでしょうけど。僕よりミスタの方が付き合いが長く仲も良いし」目を閉じ「はい、有難うございます」目を開け「僕とだって仲が良いと言ってくれましたが、でもミスタの仕事は主に現場というか、拳銃や弾丸の密売に関する商談以外は暴れているのを食い止めたり、逆に暴れて見せたりする事ですから」
 ナランチャならギャング組織のボスよりもそちらの方が楽しくやれるだろう。
 目を閉じたジョルノが「え? 僕以外でも出来ますよ。……まあ確かに、ミスタの中に居ては無理ですね」と言ってまたモカチーノを飲んだ。
「僕の中に居るから学校に行けるし、との事です」
 魂だけとなってしまったからには恐らく何をどうしようと学校に通うのは無理だろう。例え何らかの方法で肉体を手に入れたとしても。
 そこから色々と偽装なり何なりをすれば案外『学生』になれるかもしれないが。違う名前で偽った年相応の顔を用意すれば或いは。それまでの間に学校を体験している、と考えているかもしれない。
 いや、ナランチャはそんな事を考えるタイプじゃあないか。
「でも疲れるでしょう? ……そうかもしれませんが、相手と駆け引きのようなやり取りを見ているの、面白くないんじゃあありませんか? それで結局学校に行けない日も有るし」
 実際は何もしていないから疲れない、しかし黙って見ているだけだからある意味疲れる、そんな話をしているのだと想像出来る。
「遠出をすると言っても今の僕じゃあ観光を兼ねるのは難しい。その辺をミスタは上手くやっているみたいですが。……そうでしょうか? 行きたい場所、ミスタとナランチャなら一致しそうですが」
「あの」
 声を掛ける。ジョルノが目を開ける。言葉を続ける為にフーゴは1度深呼吸をした。
「僕の中に入るというのはどうでしょうか?」
「……フーゴの?」
 訝しげに眉を寄せる。
「ナランチャが、僕の中に。その、付き合いは1番長いし」
「……どうですか?」閉じた目を開け「「オレにはカフェの店員なんて向いてねーし」だそうです」
「それは……でも、案外楽しいですよ。毎日多くの人が来るので、日々新しい発見が有ります。変わった職業の方も来ます。ワイン1つ無いからこそ、皆本来の陽気さで話します」
 フーゴはそれを、今の生活を魅力的だと思っている。ナランチャもきっと楽しめる筈だと。
 例えコーヒーの香りや美味い賄いは味わえなかったとしても、それでも「フーゴと一緒に居たい」と思ってほしい。
「……もしナランチャがそうしたいと言っても、僕には僕の中から出てフーゴの中に入ってもらう術が有りません」
「スタンドで何とかなるんじゃあないんですか?」
「分かりません。ブチャラティが『空』に行った時にも言いましたが、出来ないと断言はしませんが出来るとも決して言えません」
「それはした事が無いからだろう?」
「はい」
「ならしてみれば──」
「それで万が一ナランチャの存在が跡形も無くなったらフーゴはどうしますか」
 冷静を絵に描いたような表情の無さと声の落ち着き。
「新たに受け入れる側のフーゴの安全も保証出来ません。それは構わないと貴方が言った所で、ナランチャは悲しむだけじゃあ済まない」
 そうだろう。嗚呼そうだろうとも。
 出ていかれる側でスタンドも使うジョルノにだってどれ程の負担が掛かるか計り知れない。ジョルノは気にしていなさそうだが、中のナランチャはそこをいちばん気掛かりに思っているだろう。そういう人柄なのだ。
「待って下さい」
 ジョルノは目を閉じる。まるで苦しんでいるように見えた。
「……え? いえ、聞こえています。ただ……はい。……条件? ……それは、フーゴの意思を尊重したいのですが。……はい、そうですね」
 目を開けたジョルノはフーゴから視線を逸らし、手元のコーヒーカップを見詰めた。
「……ナランチャはフーゴの中へ行きたいそうです」
 それなら、と声を出すより先に。
「ただ条件が有り、それはフーゴが僕達の組織に入る事、僕達のチームに戻る事だそうです」
「え?」
「要約すると僕達のチームに戻ってきたフーゴに移りたい、という事のようです。このカフェテリアを辞めなくても良いけれど、僕とミスタの仲間でなくちゃあ嫌だと」
「分かりました」
「え?」
 余りに早い2つ返事に今度はジョルノが疑問符を浮かべる。
「僕がギャングになれば、ジョルノの部下となりミスタと共にこのネアポリスを夜な夜な裏から牛耳る人間になれば良いんでしょう。なります、今すぐにでも」
 ナランチャと共に在れるなら。彼とまた心の中でだけでも話が出来るなら。
「辞めなくてもとの事ですが、僕はここを辞めて部屋も出てギャング稼業に専念したって良い」
「ちょっと待って下さい、今すぐは困ります」
「確かにここじゃあスタンドを出して魂を移してというのは難しいかもしれませんが──」
「そうじゃあなくて!」やや大きめの声で「僕は未だマルゲリータ風スパゲッティを食べていません。今従業員に退職されては困ります」

 天気は珍しく強めの雨だった。朝から、フーゴがいつもの習慣でつい起きてしまった早朝と呼べる時間から降り続いているので通り雨ではない。
 ミスタとジョルノがカフェテリアに初めて訪れた日を思い出す。
 この雨で中止になるだろうか。しかし約束していた時間に誰が見ても分かるカタギではない高級車が店の前──部屋の下──に停まった。
 マスターにもママにも今日は出掛けると伝えて有る。遅くなるかもしれないとも。
 体から抜け出すのにも別の体に入るのにもどの位の時間を要するか分からないし1度で成功するとも限らない。
 そして成功したら──ナランチャを連れて色々と回りたい所が有る。
 ネアポリスのこの片隅を彼はきっと知らない。自分も知らない所の方が多いが、だからこそ共に歩いて見て回れたら。
 傘を差して車の横へ向かうと後部座席の窓が開いた。
「フーゴは助手席へ」
 中に座るジョルノに言われた通り助手席に座る。運転席にはミスタが座っている。
「お前が運転するか?」
「いえ……」
 運転するのは好きでも嫌いでもない。言葉を濁らせたのは自分とミスタは運転するか否かの同列だが、ジョルノは運転を「させる」側という明確な違いが有る、完全にギャング組織のボスであり再びギャングとなった自分にとって『ボス』であると実感させられたから。
 血の契りを交わしたわけではないが前までとは違う。もうギャングに戻っているのだ。
 運転手はミスタだというのに特に会話無くアジトに着いた。
 先日通された応接室のドアをミスタが開け、先ずジョルノが入る。次に「ほら」と言われたのでフーゴが入り、最後にミスタが入ってドアを閉める。
 あれが最初で最後になるかもしれないと思っていただけに、こんなに早く再び来ると不思議な感じがした。
「ん? ポルナレフ、寝てんじゃあねーか?」
「みたいですね。場所、変えましょうか」目を閉じ「……そのつもりですが」目を開け「周りに人が居ない方が良いんじゃあ、と」
「だからここでって昨日話しただろ」
 昨日話していたのか。しかしナランチャは違う意見が有るらしく、ジョルノがまた目を閉じる。
「……それもそうですね。……そうしましょうか。……はい、僕もミスタもそのつもりです」
「何だって?」
「間違って亀に入ったら困るから亀も居ない所の方が、僕の私室の方が良いんじゃあないかと」
「確かに」
「フーゴを私室に入れたくないか聞かれましたが、僕としてはフーゴはもう部下なので」
 組織の幹部ですら通さないらしい奥の部屋に移動しようという事なのだろうか。
 今のパンナコッタ・フーゴにはその部屋に入る資格が有るという事なのだろうか。
「あと、ミスタも別室で、ここで待機した方が良いかなとも」
「何だよ、うっかり俺に入ったら不味いってのか?」
 言葉は不穏だが顔がニヤついている。ナランチャの姿が見えないだけでいつものやり取りだ。
「……はい」目を開けミスタを見て「それは無い、そうです」
 どういう意味だろう。伝えたジョルノもだが言われたミスタも疑問に思ったようで軽口が続かない。
「2人で私室に行きましょう」
 言ったジョルノではなくミスタが1度閉めたドアを開けた。
 ジョルノが出てすぐミスタは手を離す。ボスには開けるが客人ではない謂わば同僚となったフーゴは自分で開閉しろという事なのだろう。寧ろ今では自分の方が後輩だ。部屋を出てフーゴは自分でドアを閉める。
 すぐ近くのボスの私室へ。その呼び名から想像するよりはシンプルだった。
 ベッドと見間違う大きなソファーにジョルノが腰を掛け足を組む。
「すみません、フーゴ」
「え?」
「ナランチャは何も言わなく、言えなくなっています。多分緊張しているんだと思います。落ち着くまで少し待ってもらえませんか?」
「そう、ですか」安堵し「いつまででも待ちますよ。そう伝えて下さい」
 てっきり中止にしてくれとでも言われるのかと思った。
 言葉に嘘は無い。ナランチャには万全の調子でこちらに来てもらいたい。
 ジョルノは「どうぞ」と言ったが座る所は他に無い。ソファーの端の方に座っているので、フーゴは少し空けて隣に座った。ふかふかとしているが沈みきらない絶妙な座り心地に逆に緊張する。
「手を? ……成る程」
 急に喋り出したジョルノの方を見ると目を閉じてナランチャと話していた。
「君が僕の中に居るのは僕や僕のスタンドの力じゃあない。だからフーゴも、という簡単な話じゃあありません」
 会話が成立する程に落ち着いたなら良かったが、果たして何を話しているのやら。
「いいえ、やってみます。そこに失敗は有りません。ただ……はい」
 会話を終えたらしくジョルノは目を開ける。
 足を組み直してからこちらを向き右手の平を上に差し出してきた。
「あの……?」
 手の甲を上にしていれば、そこに誓いの口付けをしなくてはならないのだが。
「重ねて下さい」
 ボスからの命令にしてはとても穏やかで、フーゴは「はい」とジョルノの白い手の平に自分の手の平を乗せ重ねる。
 思ったより温かいな……
 色の白さやその性格から勝手に体温が低いものだと思い込んでいた。
 かさつきもせずべたつきもしない手の感触に自然と目を閉じる。
「フーゴ」
 聞き慣れた声。しかしジョルノの物ではない。
「ナランチャ……」
 目の前にはナランチャ・ギルガの懐かしい姿。
 否、未だ目を開けていない。
 肉体はボスの私室のソファーに座ってジョルノの手に手を重ねて目を閉じたまま。
 だが『魂』は何も無いが暗くはない広い空間で、ナランチャと向かい合って立ち尽くしていた。
「……久し振り」
 たっぷりと間を持って漸く吐き出せたのがその短い言葉だけで、何故もっと良い言葉が出てこないのかと自分を殴りたくなる。
「うん、久し振りだな。オレがフーゴを置いてボートに行っちまってぶりだ。あれからローマのコロッセオで……あ、でもその後も時間経ってんのか」
「そうですよ、それからの方が長い位です」
 嗚呼、それでも未だナランチャと共に過ごした時間の方が、別れてからの時間よりも長いのは救いだ。逆転する前に再び会えて良かった。
「そうだよなあ、フーゴにしちゃあ沢山時間経ってるよな。もしかしてオレ、もうすぐ年越される?」
「時間の流れは誰にとっても一定です。僕の方が先に年を取るなんて事は有り得ません」
 成長や老化の早い遅いは有ったとしても、実年齢は誰もが皆平等に年に1つずつ重ねてゆく。
 生きている物は全て等しく――
 違う、ナランチャは……もう、年を取らない。
 魂だけになった時から、肉体が死亡した時から彼の時間は止まっている。だから見た目に変わりが全く無い。背も髪も爪も伸びていない。
 誕生日が来たら同い年になり、来年には年上になり、やがて大人と子供という明確な年齢差になる。天寿を全う出来れば祖父と孫のように見えてしまうかもしれない。
 それでも。否、それで良い。
「ナランチャ、僕の中に来て下さい」
 肉体の手はジョルノのそれに触れたまま、魂の手をナランチャの方へ差し出した。
 ここは恐らくジョルノの中。
 ジョルノ自身の姿――魂――が見えないが、気を利かせてくれているのだろう。
 どうすればここからナランチャの魂を連れて出るのか、そしてナランチャの魂を自分の中に取り入れるのかは分からない。
 でもこの手を取ってくれれば。そう思っているのに、ナランチャは一向にその手を上げてくれない。
「……もしかして、やっぱり嫌だとか? 居心地が良いという保証は出来ませんが、僕は君の希望を出来る限り叶えますよ」
 どこに行きたいとか誰に会いたいとか。今はもうギャングだが、ボスであるジョルノよりも自由が有る。
「オレの希望かあ」
「何が食べたいとか。あ、でも……僕が食べる事で味が伝わる、とか有るんでしょうか」
「ジョルノが食ったもんの味までは分かんねーよ。でも美味いとか不味いとか思った気持ちが全部分かるから。だからフーゴの淹れるコーヒーが滅茶苦茶美味いのは知ってる」
「エスプレッソマシンのお陰です。事務所(アジト)では同じ物を淹れられない。ましてあの店を離れたら――」
「辞めんのか?」
「どうしましょう、未だ検討中です」
 続けたい。だが店にギャングとの関りを持たせたくない。
 ギャングとしての任務がどれだけ割り振られるかは分からないが、全く店に立てなくなる程忙しくなるまでは、というのが本音だ。
 マスター達の性格を考えれば――ギャングである事を伏せた上で――勤務日数を減らしてほしいという願いは聞いてもらえるだろう。
 そこに甘えてしまって良いのか否か。
「ジョルノはフーゴが店を辞めたら金とか部屋とかそういう事の面倒は全部見るって。これは本音。チームに戻ってくるのに失う物が有るのは駄目だって強く思ってる」
「そうなんですか」
「ミスタも賛成してたぜ。あと辞めたくないなら辞めなくて済むようにするにはどうすればって事も2人で話してた。ミスタがフーゴは店辞めたくないんじゃあないかって何度も言ってた」
 あのミスタが、と言い掛けて飲み込んだ。彼はそういう気遣いとはまた少し違った『気付き』を持っている。ミスタに合わせて言うならば、勘が良い。
「そんで、今すぐに決めさせないでおこうって言ってた。ジョルノはフーゴに任せるって、すぐに辞めるのもずーっと続けるのもチームメイトの考えを邪魔するのは違うって思ってるぜ」
「じゃあもう少し考えてみます。当面、店を優先する形で。それにしても……考え、全部見抜かれるんですね?」
「うーん」腕を組み「見られたくないって思ってるもんは見ないようにするけど、でもそれを見た後の気持ちとかは嘘吐けないからな」腕を逆に組み直し「ミスタに抱き着かれた時とか、オレはブチャラティと一緒に向こう行ったけど、でも戻ってきてからジョルノずっと「意味が分からない、考えたくない」って思っててさ」
「あれは本当に実験というか、兎に角2人の間にそういう感情は無いそうですよ」
「ふーん?」
 相槌の「よく分かっていない」感の強さが引っ掛かる。自分に入る前に1度ミスタに入ってみた方が良いのかもしれない。それとブチャラティは真意を知らないままアバッキオの待つ空の上へ行ってしまったのだろうか。
 ナランチャは組んでいた腕をほどき、両手を己の腰に当てた。
「まあそんな感じで、オレの希望って2人の事っつーかお前の事なんだよ」
「ん? それは、つまり?」
 オレとはナランチャの事でお前とはフーゴの事。では2人とはミスタとジョルノの事か。
 言葉足らずでよく分からない。
 だが、ナランチャは敢えて分からないように、伝わりにくいように、真意を知られないように話している気がする。
「ブチャラティは2人とフーゴが会う為で、オレはフーゴが2人と居る為って感じかな」
「感覚的というか抽象的というか、ですね」
「だって上手く説明出来ねーんだもん。っていうか、結構そのまんま言ってるつもりなんだけど」
「君の望みは僕がこのギャングチームに戻る事」
「そう」
「だからこれと言って他に望む事は無い、と?」
「……そんな感じ。ブチャラティ、2人とフーゴとがいっぱい会えるようになって、目的を果たせたって言ってたんだ。魂の目的が」
 伝えたいけれど伝わってほしくない。否、聞きたいけれど聞きたくないから、そう言っているように感じるだけだ。
「オレも目的果たせた」
「卑怯ですよ」
 耳を塞ぐ代わりに鋭い言葉で遮った。
「君が僕の中に来る、というのが僕がこのチームに戻る条件でした」
 来ないなら自分もギャングにはならない。
 そう言えれば良かったのに。
「……僕は君をギャングにしてしまいました。ブチャラティに憧れて、なりたくてなった。とはいえそのブチャラティと引き合わせたのは僕だ。こんなに早く肉体が死んでしまったのは僕の所為。恨んでいますか?」
「まさか! 感謝してる。すっげーしてる」
「有難う」聞きたい事を言ってくれて「僕もなんですよ」
 他者の肉体に魂だけ残してまで自分をギャングに戻してくれて。
「有難う、ナランチャ」
「うん、ブチャラティにも言っとく。オレの使命ってやつはフーゴをチームに戻す事で、ブチャラティの使命はその前の、フーゴとまた会う事だったから」
「例えばなんですが、引き続きジョルノの肉体に留まる事は出来ないんですか?」
「ジョルノなら「ずっと居て良いですよ」って言ってくれそうだよな」
 反語で話すとはナランチャらしくない。
 フーゴは1度下ろしていた手をもう1度差し出した。右手を、今度は手の平を上にせず横に、親指を上にして。
 左手で取ってほしかった。手を取り合って走って、あるいはゆっくり歩きながら『ここ』を出て、その後どうにかして自分の肉体の中に来てほしかった。だが今は違う。
 フーゴの望み通りナランチャは右手を伸ばしてきた。
 握り合う。意外に体温の高かったジョルノの手よりも更に温かい、気がした。そのままどちらからともなく魂と魂で抱き締め合う。
「温かい」
 改めて有難うと言うには気恥ずかしく、しかしさようならは言いたくない。嗚呼、頭が良いと何度も言ってくれた彼に掛ける言葉がろくに思い付かない。
 甘さと清々しさの混ざり合う爽やかな匂いも感じられた。
 より強く熱と香りを感じる為に目を閉じる。
 肉体は既に目を閉じているのでこの光景は決して見えているわけではない。だから熱も香りも本当に感じているわけではない。脳味噌の勝手な勘違いだ。
 これからずっとこの偽物の記憶を胸に生きていくのだ。

 手を離して目を開いた。
 ボスの私室は相変わらず清潔で静かで厳かで、大きなソファーの隣に少し間を空けて座るジョルノの雰囲気とよく似合っている。
 手が離れたからかジョルノも目を開け、その目と目が合った。
 大きく形良く色素の薄い瞳。真正面から見る度に突き刺さる印象を覚えたが、今はどうにも揺れているように見える。
「フーゴ」
 何か切り出さなくてはと思っている間に名を呼ばれた。
「僕は今かなり久々に自分の中に誰も居ない状態です。元から1人で居る方が好きな位なので寂しいとかそういった感情は有りません。ただ……」
 らしくない歯切れの悪さに普段なら苛立っていたかもしれない。だがジョルノが言葉を濁らせる理由は分かっている。
「ナランチャは僕の中にも居ません」
 少しとはいえこちらが年上なのだから、過去にはギャングとして先輩でもあったのだから、可愛い後輩を苦しませないよう先に言った。
「そうですか……離れた別の肉体に、例えば隣の部屋のミスタの肉体に入った、という事は無いと思います。スタンドがしたのは近くの魂同士を入れ替える事だったし、僕は僕の中に入り留まらせる事が出来ただけなので、この辺りの非生物の中に入ったという事も無いでしょう」
「この辺りを漂っている、という事も無いでしょうね。見えませんし、正直感じる事も出来ませんが」
 窓から外へ出て行ったと考えるのが妥当だろう。しっかり閉じて風1つ入らない窓の微かな隙間から、魂だけならば抜け出す事も出来る筈だ。
 そして雨が上がり雲の切れ間から光が差し込む天使の梯子と呼ばれる現象を見せている空の上へ。そこでは先に逝ったブチャラティも、かなり先に逝っていたアバッキオも待っている。
「魂だけで他人の肉体に入るというのは不思議な物ですね。しかもそこにその肉体の魂ではない、別の魂が居て。本当に話が出来るんですね」
「ブチャラティとナランチャ2人の時も極稀にしていましたが、自分の中だけど自分では見聞き出来ない所で複数の人間が話している、という感覚だけが有りました」
「そうなんですが。話せましたよ。別れを告げられました」
 死別した人々の多くが望んできた悔いの無い別れが出来て良かった。
「……失敗、か」
 ジョルノの言葉には溜息が混ざっていた。ナランチャの魂はフーゴの中に移動出来なかった。それだけではなくジョルノの中に戻る事も、他の何かに入り現世に留まる事すらも出来ない。
「いいえ、失敗じゃあありません。成功です、大成功です」
 少なくともナランチャの目論見は。
 放したジョルノの手をもう1度取り、くると手首を回して手の甲を上にする。
 ソファーから降り、急に何をと驚いている――が、それを隠している。大袈裟なまでに感情を見せてきたナランチャとは大違いだ――ジョルノの前に膝を付いた。
「貴方はこの組織のボス。僕のボスであり、僕の中の記憶に居続けるナランチャのボスだ」
 彼の中にもきっと自分が居る。同じ組織の、同じチームの人間として。


2022,08,30


タイトルから思い付いた小噺(3万超え)
ディアボロの中にドッピオが居て切り替えてるのかと思ったけど、ディアボロが別の魂有る人の中にこっそり一緒に入っていられた事を考えると逆、ドッピオの中にディアボロが居た?
なんて事を考えていたらこんな話に。
思ったよりフーナラ要素が薄い…けれど、最愛の利鳴ちゃんへのお誕生日プレゼントとして。おめでとうございます。
<雪架>

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