ミスジョル R18


  Large Sun


 弱冠16歳にしてギャングスターが、イタリア随一のギャング組織のボスがすっかり板に付いたジョルノ・ジョバァーナはその椅子に腰掛け、しかし横顔を憂いで満たしている。
 デスクに肘を付いて手を組みそこに顎を乗せて。遂には溜め息も1つ吐いた。
「最近元気少ねーな」
 余り溌剌としていても『キャラ』が違うが。
 いつもの軽口で尋ねたグイード・ミスタもそのデスクに片手を付き憂い顔に顔を近付け覗き込む。
「今晩俺の部屋来るか?」
「それは僕の元気と何か関係有るんですか?」
 相変わらずのつれない態度にめげず、より顔を近付ける。ジョルノの色素の薄い睫毛が瞬きする音が聞こえそうな程に。
 しかし顔は勿論だが視線すらこちらへと向けない。
「久々に元気出るような事しようぜ」
「ボスの部屋でボスに向かって言う事ですか」
「もうそういう話をしても良い時間だろ?」
 日付が変わるまでもう数時間。誰の部屋に誰が行くかは兎も角、帰宅後の予定を考えるには充分だ。
「……その事も有るんですが」
「話せよ」
 押して駄目ならと顔を離すと、ジョルノは漸く顔をこちらに向けた。
「最近、調子が良くなくて。体調というか」
 やや眉を下げた見慣れぬ表情。
 日頃弱音を一切吐かないので右腕として常に隣に居るミスタも忘れ掛けていたが、社会を裏から牛耳るジョルノも未だ子供に過ぎない。
「本調子じゃあないと言うか……朝がだるくて」
「そりゃあ毎日こんな時間まで寝る準備の1つもしてねぇんだから次の日の朝は辛いよな」
 悪循環を続けて今の有り様だが、しかしギャングの活動時間という意味においては正しいかもしれない。
「それも有りますが……朝日が辛いんです」
「朝日?」
「肌が弱くなったのか、すぐ日焼けしてしまって」
 どこを? と問いたくなる程度には色が白いが。
 肌が弱いからこそ日焼けしてもすぐ赤くなり白く戻るのかもしれない。
 ジョルノにはアジア人の血が流れている。ミスタや周囲のイタリア人と違い、肌の美しさを人一倍気にするのかもしれない。
「あと食欲は有るけれど、何を食べても美味しくないというか」
「昼飯にローストチキンのパニーニ食わせた事未だ根に持ってんのか?」
「別に怒っていませんよ」
 中身がわかると同時に凄い勢いで睨み付けてきた癖に。好き嫌いを失念していたと詫びた後、もそもそと食べる際に不機嫌な顔をしていたのに。
 思えば買いに外に出る時に謝られた。今日だけではない、数日前から昼間は仕事でも買い物でも「全て任せる」と言っていた。日光を避けていたのか。
「あと1番の問題が……」
 言い掛けて視線を外す。
「何だ?」
「僕というか、スタンドの事なんですが」
「ゴールド・エクスペリエンスがどうかしたか?」
 座っているジョルノを見下ろしているからか、睫毛が一層長く見えて瞳を隠してしまった。
「僕が本調子じゃあないからか、スタンドの調子も良くないと言うか」
「何だよ、スタンドが見えなくなっちまった、とかじゃあないよな?」
「そういう事じゃあありませんよ。ゴールド・エクスペリエンス自身には、多分問題は無いんだと思います。『僕』が出来なくなっただけで。最近――」
――バタン
 急にドアが開く。
「おい! ノックも無しに――」
 ボスの部屋に入るとは、と叱る言葉が続かない。
 入ってきたのは2人の男。1人はもう1人を抱えている。一方その抱えられている男は足に大怪我をしていた。
「た、助けてくれ! 助けて下さい! ボス!」
 どちらも組織の人間だ。20代半ばと年上だが、所謂下っ端に当たる。
 抱えながら叫んだ男はすっかり気を動転させているし、太股を刃物で切り裂かれたらしい怪我を負った男は最早声も出せない。
「止血するぞ!」
 ミスタはデスクの引き出しの1つを壊さんばかりの勢いで開け、中に入っていた包帯ケースを取り出した。
 2人の下へ駆け寄ったジョルノの指示に従い寝かされた男の太股をミスタが持ち上げ、傷に巻くのではなく傷口より上の箇所をきつく縛る。
「どうしよう、どうしよう! 助けてくれ! 死んじまう!」
「大丈夫だって、傷は浅いぜ」
 浅くない所か誰がどう見ても深い。傷痕は確実に残るし歩行に障害が出るかもしれない。無理の有る素人の止血を施しただけなので下手をすれば足の切断の可能性すらも。
 しかし意識を手放してはいない怪我人は、その言葉に青褪めた顔を何とか上げた。
「これなら何とかなるな」その顔に笑みを向け「お前の相棒が驚いて動けなくなるような奴じゃなくて良かった」
「ミスタの言う通りです。貴方達の仕事はこの時間なら店の用心棒でしょうか。ツーマンセルでの行動を守っていたんですね」
 怪我人が応えるべく必死に口を開くのを制してジョルノも微笑む。
 突然の怪我のようだ。ここで焦らせたり不安がらせて余計なショックを与えればより出血を激しくしかねない。
「だがどうしてここに来た?」
「細いビルに、バーがいっぱい入ってるやつの外だ。俺達は見張りに立っていたんだ。急にコイツが足を切られて! 本当に急で、誰も居なかったのに!」
 姿が見えない敵と言う事は。
 スタンドはスタンド能力を持つ人間にしか見えない。ジョルノの方を向けばすぐに頷きが返ってきた。
「でも誰か居たのかもしれないから、店を全部閉めるように言ったし、居る客も暫く出ないようにって!」
「的確な判断ですね」
「血がヤバそうだし、でもこんな時間に病院もクソも開いちゃあねぇから、それで前にリーダーから聞いた「ボスは可笑しな怪我なら可笑しな力で治せる」ってのを思い出して、助けて下さい!」
 怪我をした当人よりも余程動転しきっている男の肩にミスタは手を置く。
「だからってボスの部屋にいきなり入るのは本来なら降格もんだぜ。まぁ取り敢えず――」
「病院へ行きましょう。伝(つて)が有ります。ミスタ、車を出して下さい」
「え……俺ェ?」
 いやここはお前のスタンドでぱぱっと治しゃあ良いだろ。
「気分が乗らないのなら『指令』として運転をするように命じますが」
 スタンド能力の存在すら知らない者の前で使うのを躊躇っているのか、それとも言い掛けたようにスタンドが不調なのか。
「今から行く病院は闇医者ですが藪医者じゃあありません。僕の出鱈目な手当てより、そこできちんと治療した方が良い。悪い言い方、向こうも患者を欲しています」
 裏の傷者は裏の病院へ、という判断に不満は無いが。
「一緒に運びましょう。ミスタ、その間に車を」
「はいはい、わかったよ」
「あと」
 顔をこちらへ突き出してきたので、はい何ですかと耳を寄せた。
「終わったらそのまま貴方の部屋に連れていって下さい」
 先程の流れではこちらから提案しても断られそうな発言に「え?」と間近で顔を見る。
「言う程久々じゃあありませんが、僕は本調子じゃあないので優しくして下さいね」
 状況にすこぶる相応しくない妖艶な目を見せられては、急いで車を用意し転がすしか無い。

 折角左腕を伸ばしてやっているのにジョルノは一向に頭を乗せてこようとはしない。過去に肘に乗せれば痺れないと伝えているのに。
 ミスタはジョルノの方に体を向けているが、ジョルノは辛うじてミスタの腕に頭を当ててはいるものの仰向け。照れ屋と言うか捻くれていると言うか。
 事の後にすぐ帰ると言い出さないだけマシか。そんな事を言い出したらギャング組織を抜けて売春組織で稼いでこいと説得しなくては。
「ジョルノ」
「はい」
「『愛している』」
「……先程充分聞きました」
 行為とは最中に兎に角誉めて愛を告げて、手と口と持ち合わせる物全てで相手を満足させる事。この国で生まれ育ったミスタとしては当然の言葉だが、ジョルノには――女ではないからか否か――全く響かないらしい。
「それが貴方の言う「優しくする」だとしたら、いつもと変わりませんね」
「いつも優しくしてんだよ」
「それはどうも」
「偶には俺も優しくされたいなァー。例えばほら、積極的に跨られて腰を振られるとか、そういうさァー」
 右手をジョルノの髪へと伸ばす。軽口を叩くなと振り払われなければ儲け物だという心持ちで掛かれば、僅かに顎を上げて撫でられるがままなだけの反応でも充分だ。ミスタは得意気に鼻を鳴らした。
 汗ばんだ筈の金髪はそれでも柔らかで、本人も頭を撫でられるのは悪くはないのか目を閉じる。
「綺麗な色だよな。染めたり抜いたりしてねーんだろ? ブロンドって成長するに合わせて黒っぽくなるから結局染めている女が多い、って聞いたんだけどな」
「僕は正反対に成長してからこの色になりました」
「へぇー……は? どういう事だ?」
 幼少期はさぞド派手なプラチナブロンドだったのか、とミスタは瞬きを繰り返した。
 ゆっくり目蓋を開けて顔だけこちらを向いたジョルノは至って真顔で。
「母は日本人で綺麗なブルネットなんですが、僕も昔は同じような色をしていました」
「それが、そんな? 何でそんな、急に?」
 驚き矢継ぎ早に尋ねたのが可笑しいのか小さく笑われた。
「話していませんでしたか?」
「いや母親が日本人で今の父親がイタリア人で、でも実の父親は恐らくイギリス人で、とかは聞いた事有る」気がするが「父親似の髪とかじゃあないのか?」
「多分そういう事なんでしょう。第二次成長期で唯一の母親似だった髪も変わったと思っていますが、僕にもよくわかりません。それより、急に変わった髪は撫でられませんか?」
 手を止めた事に不満を持ったり、何の意味がと言いながら部屋に来たがったり。
「その猫みたいな気紛れさも父親譲りか?」
 再び髪を梳き頭を撫でた。満足気にジョルノは腹の辺りに追いやっていた掛け布団を引き摺り上け肩に掛ける。
「僕はあの人の事は写真でしか知りません」
 横顔と、肩の痣と、記された名前のみ。
「会った事も聞いた事も……と思いましたが、母が勝手に喋っていたので色々と聞いてはいます。華やかな金の髪に目を奪われる白い肌。整った顔立ちをしていて、ただならぬ色気が有ったそうです」
 ふぅん、と相槌を打った。どうやらジョルノは随分と父親に似ているようだ。
「母はよく『とてもセクシーな人』と言っていました。クールでワイルドでミステリアスで。母にとって自分の子供とは負の遺産でしかないけれど、あの人の子供を産んだという事は相当誇らしい事のようです」
 そんな複雑な感情を向けられた息子が『今』の父親と仲良く出来ると思っているのだろうか。
 思っていないだろう。考えた事すら無いだろう。だからジョルノは両親の住む実家に寄り付かない。
「背が凄く高い人みたいです。2m有るかもしれないと、足が長く頭が1つ抜きん出ていたと。あと筋肉質な人で、体重は恐らく3桁は有っただろうとも言っていました」
「すっげーな……そこは似なくて良かったな」
「背は未だ伸びると思います」
「どうだろうなぁーアジア人って背低いイメージ有るぜ」
「確かに母は……余り背が高い方ではありませんが……」
 これ以上伸びないようにと願掛けの要領で頭を撫で続けた。
「しっかし2m近くて体重は3桁、スポーツ選手か何かか? ラグビーとかやったら強そうだな」
「話を聞く限りスポーツとは無縁そうですけどね。読書を好み、日中は先ず外に出ない」
 勿体無い、とでも言えば良いのだろうか。
「母はそんな男の事を「まるで吸血鬼みたい」と言っていました」
「吸血鬼? あぁ、ドラキュラ伯爵とかジル・ド・レイとかブラド・ツェペシュとかの」
 映画で見た知識しか無いが。
 確かに話を聞く限り吸血鬼を連想出来る。色の白い美形の男が夜な夜な美女を、といった所か。些か体格が良過ぎるが、それも人間より上位ぶった振る舞いをする為と思えば面白い想像が広がった。
「……ま、外に出ないのは日光アレルギーとか有ったんじゃあねーの? で、お前も最近それを遺伝したとか」
「そうかもしれません。所で隣の部屋の住人が漸く寝たみたいなので、僕もそろそろ寝ようと思うのですが」
 撫でる手を下げて肩を抱いた所で、引き寄せる前に気付く。
「いや何で隣の奴が寝たってわかるんだよ」
「気配、でしょうか」
「はァ?」
「僕達がまた始めるんじゃあないかと耳をそばだてていたみたいです。こうして話しているだけだから、まぁ向こうには聞こえていないでしょうけど、寝る覚悟を決めて布団に入ったみたいですね」
 木造とはいえ壁を隔てた向こう側の動きがそんな詳細にわかる物なのだろうか。
 確かに隣人が煩い時は有る。壁の近くで大声で話しているとその内容まで聞こえる程に。となればこちらのベッドの軋みや殆ど堪えられている嬌声も筒抜けかもしれない。
「……引っ越そうかな……」
「いつまで安い貸しアパートに居るつもりか聞こうと思っていました」
 肩に置かれた手をわざとらしく除けたジョルノは背を向けた。
「俺、別にデカい家に住みたいとか無いんだよなぁ。その分美味い物食ったりとかしたい」
「お休みなさい」
「はいはい」
 寝ると宣言した以上寝る。
 女性ならば逆にもっととせがんできそうなピロートークは唐突に打ち切られた。
 波打つ金の髪、頼りない肩のライン、未だ小さい背中、小さな星の痣が1つ。彼は自分のボスで、自分は彼に忠誠の全てを捧げる。
 これが自分の忠の尽くし方だと言うつもりは無いが、ミスタはジョルノの肩に手を掛け、抱き付くでも抱き寄せるでもなく体を寄り添わせた。
「……こういうのは、悪くないですね」
「悪くない?」
「好きですよ、こうして寝るの」
 こうして、とは何を指すのか。なんて野暮な事を聞いて拗ねられては困る。
「それは俺を『愛している』とかそういう?」
 当然のように返事は無いし期待もしていない。貴重な『好き』を聞けただけで今日は百点満点だ。

 自然と目を覚ますと未だ腕の中にジョルノが居た。それ所か眠りに就く直前に見た光景と違いこちらを向いている。
 単に寝相の問題だろうが嬉しかった。しかし体感としては朝というより既に昼なのに、起きる様子が全く無いのは少し心配になった。
 心地良さそうにすやすやと寝息を立てている事に問題は1つも無い。ただミスタがジョルノより先に起きたのは、記憶に有る限りこれが初めてになる。
「疲れてんのか?」
 寝顔に問い掛けても返事は無い。大差無いとはいえ寝付くのも恐らくジョルノの方が先だった。
 規則正しく胸が上下していなければ死んでしまったようにすら見える。
 遅刻という概念が無いので寝かせておいてやろう。ミスタは起こさぬようにそっとベッドから降り、床に放り投げてあった下着をそのまま履き、靴もだらしなく足を通しただけで窓際まで歩いた。
 遮光性がそれ程高くないカーテンは外の天気の良さを伝えている。今日の仕事は揉め事の有った店に向かい、その後幾つかの店へ監査と称してみかじめ料の徴収をする予定なので晴れているのは有り難い。
 まるで企業経営しているグループの会長にでもなったようなスケジュールだ。揉め事の有った店がギャング組織と密接な関係のカフェという皮を被った娼館等でなければ近い物が有る。
 娼館は良い。客が客なのでどれだけ金を毟り取っても良心――有るとすれば――は痛まないし、何より娼婦達は皆が皆美人だ。
 売春婦は己が商品だと知っている。だから綺麗に身繕いをする。伸ばした髪を巻いて派手な化粧を施して、扇情的なドレス1枚で男を出迎える。彼女達が何を思ってどんな『仕事』をしていようと関係無いし興味も無かった。
「やっぱ美人が良いんだよ、美人が」
 大きな胸と尻を揺さぶって『しな』を作るような美人が。
 振り返り未だ寝返り1つ打たずに眠っているジョルノの方を見る。掛け布団から足が食み出ている。足首は細いし足自体もそこまで大きくないが、作りはやはり男。
 巻いたような癖の強い金髪に、年相応の幼さも母の影響らしいオリエンタルさも持ち合わせた美麗な顔。男ならば低い背も女ならば長身に部類される。
 そう、女ならば。
 この関係で世間的に問題視されるのは男同士である事だが、それ以上に「別に男でも構わない」と思う自分を疑問視せざるを得ない。
 己なりの忠誠心、とミスタは思っておいた。
 傅いてジョルノの手の甲に口付ける時は確かに幸福だ。美女達に囲まれるよりも。
 それ以上の幸福が有るとすれば、例えばこうして共に寝て起きて――男より断然女が好きだが、美女達よりも圧倒的にボスの方が『好き』なのは、自分に思ってもいなかった強い忠誠心が有るからだろう。
 朝日、もしくは昼の日光を取り込むべく、ミスタは漸くカーテンを開けた。
「ああぁぁあッ!」
 いきなりの奇声に驚き肩をびくつかせてしまった。この窓からならベッドの枕まで光が届かない筈だが、ジョルノを起こしてしまったらしい。
「悪ぃ、起こし――」
 飛び起きたであろうジョルノが膝を抱えて座っているように見えた。だが実際は左足の爪先を両手で押さえている。
 そこから煙が上がっている。
 ミスタは慌ててカーテンを閉めた。
 元よりベッドの足下までしか日は届いていなかったので、陽射しを遮った所でジョルノの両手の中からアロマスティックの如く細く上がる白い煙は止まらない。
 部屋の中は薄暗く戻った筈なのに、暑くて額と胸の辺りに嫌な汗が浮かぶ。
「ジョルノ……わ、悪い……」
「……いえ」漸く上がった顔は青く「こんな風に最近日焼けが酷くて」
「日焼けじゃあねーだろ! どう考えても!」
 怒鳴り付けてからミスタはキッチンへと走り冷蔵庫を開けた。
 どれもこれも使えないしそもそも物が余り入っていない。冷凍庫も開けて製氷器に入ったままの恐らく相当古いであろう氷をキッチンタオルにくるんでベッドへ走る。
「冷蔵庫のドアは閉めて下さい」
「ンな事言ってる場合じゃあねぇっ!」
 ジョルノの左足を掴んで患部――軽度の火傷のように見えた――に氷を押し当てる。
「痛っ……」
「これ冷やしちゃあ駄目なやつか?」
「わかりません、ここまで焼けたのは初めてなので……でも僕も冷やしていました」
 タオルの中で氷が溶けていくが単に体温の所為だろう。
「……昨日の話ですが、吸血鬼は日光で灰になるんでしたね」
「白木の杭で胸を刺すらしいな。苦手なのは銀の十字架」
「あれは信仰心を意味するらしいですよ」
 神に背くという罪悪感が吸血鬼にダメージを与える。罪の意識を形にした物が十字架だと、見た映画ではそう言っていた。
 吸血鬼は1度死んで土に埋められたのに生き返るという、存在自体が神への反逆。
「何だよお前、吸血鬼になっちゃいましたとでも言うつもりかよ」
 ジョルノが神に嫌われるだなんてとんでもない。名前も見た目も立ち振舞いも、全てが神の代わりの太陽のような生き様なのに。
「言っちゃあいけませんか?」
 左足を掴んでいるミスタの手に手が重ねられる。
「言いたいなら言っても良いぜ。でもどうせなら私はドラキュリーナだったんですぅ、位言ってくれよ」
「何故女性形なんですか」
「吸血鬼のフリすんなら色っぽい感じの方が良いじゃあねぇか」
 白い指先が手の甲をくすぐってくるのも充分色を感じるが。
「ミスタ」
「何だよ」
 こんな時に不謹慎だと言われそうなので顔を見る事が出来ない。艶やかな目を向けられては心配が吹き飛んでしまいそうだ。
「そろそろ仕事に行って下さい。1人にして申し訳無いのですが、今日行く所は全部把握していますよね?」
「お前を置いてけってか」
「そうです。日が沈んだら部屋に行きますから、それまでに回った店の事をまとめておいて下さい」
「おい!」
 結局顔を上げて向き合わせてしまった。
「僕の事は放っておいて下さい。1人で居る事には慣れていますから」
 それのどこがと尋ねたくなるような寂しげな瞳に庇護欲や別の欲望が掻き立てられる。
「聞きたくないかもしれませんが、やはり僕は吸血鬼になったのかもしれない」
「そうかい。じゃあ明日から仕事は全部夜にすりゃあ解決だな」
「最近調子は悪いんですが、反面聴覚や触覚は研ぎ澄まされるというか、物の見え方も少し変わっているんです。残念ながら色っぽい意味ではありませんが今日は、特に今は――」
 よく見ればそれは孤独を悲しむ瞳ではなく。
 純粋培養の薔薇の擬態した、か弱さを演出して獲物を食べる食虫植物。
「ミスタ、貴方が凄く『美味しそう』に見える」

 昼は淑女で夜は娼婦とはよく言った物だが、この町の娼婦は昼夜問わず娼婦として「真面目に」働いている。
 表向きはテラス席すら無い程狭いのに3階まで有る可笑しなカフェだが、裏の顔は娼館。町を牛耳るギャング組織の管轄下に在る店で、ミスタは女主人に淹れてもらったインスタントであろうコーヒーを飲んでいた。
 1階は一応カフェらしい作りをしている。テーブルが1席とカウンターに2席なので随分と少ないが。
 またカウンターの奥にもきちんと業務用冷蔵庫や食器棚、2口のコンロも有る。
 但しどれもこれも客に向けての物ではない。3階に暮らす――と言うより寝泊まりする――売春婦達の物。昼食時をかなり過ぎたが当然のようにカフェと間違えて入ってくる客は居ない。
「お待たせしました」
 客席という扱いになっている、実際は控え室のように使っている2階から階段で女主人が降りてきた。背の高さは平均的だが健康的にふっくらとした体型やしっかりと手入れされた眉を筆頭に男ウケする容姿をしている。
 髪こそ黒いが肌や瞳の色素は薄く、しかし意思の強そうな雰囲気は有る。彼女がこの店を取り仕切っているのは娼婦としての能力は勿論だが、女達をまとめる経営者としての人望も大きな理由の1つ。
「やっぱり『ボスじゃあないなら話をするつもりは無い』って断られちゃったわ。眠たいし、って」
「昨日っつーか今朝まで働いてたんだろ? なら仕方無い、出直すぜ」
「でもうちは知っての通りここでお仕事するわけじゃあないから出直してもらおうにもねぇ……」
 この店から夜の街に繰り出した従業員が出会った男と恋仲になり宿なり男の家なりへ。恋人同士らしく肌を重ねたり贈り物――喜ばれるのは金だ――をしたり。しかし一晩明ければ恋が覚めて離れてゆく。性を売っているのではないと無理の有る主張が辛うじて出来る仕組みで成り立っていた。
 人気の有る従業員はこの時間にでもしっかりと休息を取らなければならない。一夜に愛し合うのは1人きりとは限らない。
「それに『私は悪い事なんて、なんにもしていない』って」
「でも、見てわかるんだろ?」
「正直それ程じゃあないわ。ただ私にはわかるの。女の勘ね」
 そりゃあ世界で最も恐ろしい物の1つだな。
「言っている事が支離滅裂とか目が濁っているだとか、そういうんじゃあないの。でもあの子のあの雰囲気は……それに正直絶対にそういう事をしない、とは言い切れない所が有る子なのよ」
「あんまり信用ならねぇ奴?」
「うーん……私は別に、自分だけが使うならって思ってたりするんだけど」
「それはボスの前で言うんじゃあねーぞ。うちのボスとボスが世界で1番信頼置いてた奴は『ドラッグ』だけは許さない」
 勿論、ミスタ自身も。
「そんなのわかっています。だからこんな告げ口みたいな真似してるんじゃあないの。他の子やお客にまで回して、取り合いになったり子供にまでってなったら私も嫌なのよ。あの子美人で人気が有るから広がりそうで」
 ミスタはずずと音を立ててコーヒーを飲み干した。
 もしもこの中にドラッグが入れられていたら――大して美味くもないインスタントコーヒーを飲みに毎日のように訪れるのだろう。やがてはコーヒーを飲ませろと暴れ始めるのだろう。
 ドラッグは少しずつでも確実に『自分』を失わせる。
「それでボスは大丈夫なの? こんな時期に風邪なんて、ちょっと心配ね」
 風邪を引いて寝ているからボスは来られない、と言って回っている。誰も疑わないのはボスの右腕を信じるのか、それともボス自身を疑わないのか。
「栄養の付く物とか持たせてあげたいけど、私達に料理はちょっと、ね」
「わかってるって」
 このろくに香りの無いコーヒーを一口飲めば嫌でもわかってしまう。
 彼女達の仕事は男の体を一時的に快楽で包み込む事。胃袋を掴むのは別の女の仕事。
「うちのボスはそんなにやわじゃあねーよ。夜には顔出すって話だし」
「病院の後、そのまま来るのかしら?」
「……そんなとこだな」
「産婦人科と泌尿器科以外にも、今時の内科はそんな夜までやってるのねぇ」白々しく笑いながらも「じゃあ夜になったら行かせてみるわ。ボスの私室に直接呼ばれるとなったら流石に行く筈。仕事の合間だから時間の約束は出来ないけれど」
「それで頼む」
 ご馳走様、と立ち上がりそのまま店を後にした。

 ボスと見て回る予定だった店やら揉め事の現場やらへ一通り足を運び、誰も居ない玄関に戻った所で「ミスタ」と呼ぶ声がした。
 1つ置かれた豪奢な水槽に1匹の大きな亀。中にはJ・P・ポルナレフの魂が入っている。
 失われた戻るべき肉体は両足や右目を欠いていたが、元来人の好きな性格らしく人通りの多い場所に居たいという申し出を受けて『ボスが玄関で飼っている亀』という扱いになった。
 亀の甲より年の功――未だ36歳らしいが――なだけあってとても頼りになる。
「ジョルノの調子はどうだ?」
「どうって、風邪っすけど」
「様子を見てこなかったのか?」
「あ……ちょっと、忙しくて。っつーかそろそろ来る予定っスから」
 日も暮れた事だし。
 水槽の中で亀が伸ばした首を捻る。ミスタの目にはその甲羅から隻眼の青年の半身が現れて見えた。
「ここ数日、調子が悪そうだった。ジョルノは未だ子供だ。無茶の利く年だからこそ、無茶をし過ぎてしまいかねない。ミスタ、お前が止めてやれ」
「はい」
「どちらかと言うと無茶を止められる側に見えるがな」
 微笑ましく思っているのだろう。表情を持たない筈の亀も笑って見える。
 思い立ったようにミスタは水槽に近付いてやや屈んだ。
「フランス地方って吸血鬼の伝承みたいの有ります?」
「吸血鬼?」
 ポルナレフの眉間に皺が寄る。何か思い当たる事の有るような、そう見えるのはミスタがそうであって欲しいと思っているからか。
「何か吸血鬼に関して知っている事が有ったら……例えば、吸血鬼から人間に戻る方法は、とか」
 別段ジョルノが本当に吸血鬼になったと思っているわけではないけれども。そんな言い訳を胸の中だけでする。
「吸血鬼に会った事なら有る」
「そうか……ん? 会った事が有るだって!?」
「1人は私が退治した。もう1人は私の友が退治した。どちらも日光に晒して」
 やはり日の光が弱点になるのか、とミスタは背を正して腕を組んだ。ポルナレフの坦々とした口調の所為か作り話とは思えなかった。
「私が退治した方は、友が退治した方に吸血鬼にされていた。友が倒した吸血鬼を始祖とすると、吸血鬼にされれば始祖の下僕(しもべ)となるようだ。下僕という言葉では足りない程絶対的な信頼を置いているようだった」
「吸血鬼に血を吸われたら吸血鬼になんのか? 死ぬんじゃあなくて」
「恐らく。いや、血を吸われて死んでいる女達も沢山居た筈だ。方法によるのかもしれない。すまない、その辺りは詳しくない」
「いや充分詳しいっつーか、まぁ何だ、助かりました」
 ポルナレフが首を傾げると同時に玄関扉が開く。
「何しているんですか?」
 顔色の悪いジョルノが左足を引き摺るような不格好な歩き方で入ってきた。
「ちょっとポルナレフさんと話をしていただけだ。大丈夫なのか?」
「もう日も暮れましたし、タクシーで来ましたから」
「いやそれだけじゃあなくて」ポルナレフには未だ聞かれたくない。水槽を離れて「飯は食ったか?」
「冷蔵庫に有る物を何でも食べて良いと言ってくれたのでお言葉に甘えて」
 私室へ向かうべく左足を庇って歩き出したので付き添う。足の火傷――で、良いのだろうか――は治っていないようだ。
 スタンドを使い足の細胞を生み出し繋げるという事も行わなかったようだ。確かにあれは痛みが生じる。
「でも冷蔵庫に何か入れてたっけか」
「チーズしか無かったのでそれを貰いました」
 記憶を辿ればいつの日かつまみに食べようと入れっ放しにしておいた貰い物のチーズの存在はすぐに浮かんだ。
「足は?」
「痛いです」
「悪かったな」
 いいえ、と小さく首を振る。
 わけのわからない状況に置かれて不安がっているだろうから本当は側に居てやりたかった。美味しそうに見えるからと食われた所で文句等1つも無かった。だがミスタにはこれ以上の火傷等をさせない自信が無かった。
「相談が有ると言っていた売春の――カフェの様子はどうでしたか?」
 ドアを開けながら。ボスの私室には当然人は居ないのに言葉を選んでいる。
「薬やってる奴が居るかもしれないってよ」
「客?」
 声音は意外に冷静だった。
「商品」
「どんな感じでした?」
「会えなかった。見た感じすぐわかるって程じゃあないらしい」
「話をしてみないといけませんね。ドラッグに手を出す人間は置いておけない」
「仕事の合間にここに来るよう言っといてくれてはいるが」
 ばたんと音を立ててドアを閉めたそこは、巨大なギャング組織の未だ幼いボスの私室。
 それらしく塗り替えた壁も敷き詰めた絨毯も成長途中の体躯のジョルノには不釣り合いな筈なのに、顎を上げ胸を張る姿はよく似合っている。
「ボスの『椅子』が相応しいな」
「急にどうしたんですか? その椅子、座ってみたかったのならどうぞ」
「マジで? じゃあ折角なんで」
 特別憧れが有るわけではないがミスタは顔をにやけさせてボスの『座』の背もたれに手を伸ばした。
 黒い皮張りの椅子に腰を掛ける。深く沈むが座り心地はすこぶる良い。もう少し足を伸ばせる高さなら尚良い。椅子に座るのは初めてだが、その前のデスクの引き出しのどこに何が入っているかは把握している。
「これがボスの見ている世界か」
 大抵隣に立っているので見える景色は殆ど変わらない。ただその中にジョルノが立っているのは滅多に見ない光景だ。
 顔色は余り良くないものの椅子に座るだけで若干はしゃいでいるミスタを見て目を細めている様は悪くない。
 美味そう。
 朝部屋を出る前に「美味しそうに見える」と言っていた。まるで吸血鬼が獲物を見た時のように。
 それとは全く違う、言うならば性的な意味でジョルノが美味しそうに見える。手招きして抱き締めたくなるような。椅子に座るだけで地位が上がったような勘違いを引き起こすのだろうか。
――コンコン
 ノック音にジョルノが振り向いて「開いてます」と返事をすると名乗る前にドアが開いた。
「あ……あの、呼ばれたから……来ました」
 組織の上の人間に対する礼儀作法を知らない堅気らしさを全開に1人の女が入ってくる。
 ゴージャスブロンドにまで色を抜いた髪を巻き、元より大きな目に更に派手な化粧を施している。鼻筋は通っているし形良い唇は厚みが程良い。大抵の男からすれば美女に分類されるだろうし、ミスタから見ても非常に好みだ。
 胸の大きさ自体は大した事が無いのに谷間がくっきりとしていて目が向いてしまう。それがよくわかるデザインのドレスとも呼べるワンピースを自然に着こなしているのだから商売女――女、を売っている――に間違い無い。
「貴方がボス、ですよね……?」
 椅子に座っているミスタではなく、ただ立つジョルノに向かって。
「あの……初めまして、じゃあないんですけど……」
「カフェの上に住んでいるんですか?」
 宿すら無い女を住まわせてやる場合、一応はカフェ――と呼んでいる娼館――の関係者として確認をしてきた。
 ミスタからはこちらに後頭部を見せるジョルノ越しにしか女が見えない。美女なので勿体無いという思いの他に、これがドラッグに蝕まれた女か? という疑問が有った。緊張こそして見えるが、挙動不審な様子は一切無い。
「もし誤解じゃあなかったら、私どうなるんですか?」
「誤解じゃあない、とは?」
「私が……私がドラッグをやっていたとしたら、私の客を奪う? 寝床を奪う?」
 声が震えている。単に若きギャングスターを前に緊張が頂点に達して例えが下手なだけ、ではないらしい。
「止めて下さい……そんな事しないで……私この仕事しか出来ない、ここでしか生きられない。この町に守ってもらわないと……」
「俺達が守ってやるさ、お前がドラッグと手を切ればな」
 かまをかけた。つもりだった。
「客に尽くしてばかりで気持ちの悪い毎日の中で、あれだけが私を……気持ち良くしてくれるの」
 女は薄いショールの下は剥き出しの肩を掻き抱く。
「別に誰にも迷惑を掛けてないじゃあない。私はただ普通になりたいだけ」
「ドラッグは普通じゃあありませんよ」
 今なら未だ見逃してやる。今すぐ薬と手を切るならば。
 それ以外の選択を許さないであろうジョルノの声に、しかし女はぎりと睨み付けてきた。
「……店から、私を追い出そうというなら……追い出せないようにするだけよ……私」躊躇いが消えたのか口元に笑みすら浮かべ「皆が私の淹れるお茶に夢中にさせる方法、知ってるの……皆私が店に居れば良いって思うわ。それに……客も私を手放せなくなる!」
 そのまま高笑いを始める。
 濃い化粧を落としても端正であろう顔に喜びと怒りと、更には悲しみのような色まで浮かんでいる。自分で自分がわからないといったようにも――狂っているようにも見えた。
 飲み物に混ぜられたら。口付けて流し込まれたら。望まぬ内に狂わされてしまう。
「それだけは許さ――」
 ミスタの言葉はそこで途切れた。目の前で起こった光景に続きの声が奪われる。
 ジョルノが腕を伸ばして女の首を掴んでいた。幾ら細い首とはいえジョルノの指は回りきらず爪が食い込んでいた。
「貴方は粛正されなくちゃあならない」
 首筋の皮膚を突き破ったので血が流れる。
「か……はっ……」
 息が出来ない女が辛うじて漏らす喘ぎは妙に色気が有った。
 爪の先だけではなく指もずぶずぶと首の中へ入り込む。指に犯された首から順に女の『生』が失われ始める。
 髪の色、肌の張り、流れる血。
 いつの間にか血が垂れなくなっていた。
 ジョルノの指先に「飲まれて」いるのがわかった。見た目ではなく、女のそれよりも余程色気に溢れた吐息の所為で。
「……美味しい、凄く……喉の渇きが癒されて……生まれて初めて……好物を食べたような」
 女が映画でしか見た事の無いミイラのように嗄れ、指の刺さった首と首から下とがぶちと千切れて離れ落ちる。
 殺してしまった。
「ジョルノ……お前、さ」
 何を言いたいのか自分でもわからないまま名を呼ぶと、優雅にゆっくりとこちらへ振り向く。
 白い肌を艶めかせ、頬も薔薇色に染めている。そして恍惚とした表情を浮かべていた。
「若くて美しい女性の『血』が、こんなに美味しいなんて初めて知りました。もうこれ以外何も口に出来ない」
 手を振り払って枯れ果てた、白くなった毛髪が抜けて皺だらけに弛んだ顔を投げ捨てる。
 指に微かに残る血液に舌を這わす様も異常に色気が有った。
「私欲の為に人殺しをしてしまった。僕は『人間』失格ですね」
「……吸血鬼として生きるのか?」
「貴方はそれを許してくれますか?」
 左足を引き摺る事無く歩み寄ってくる。
 恐ろしくない、と言えば嘘になる。誰だって首筋に爪を刺されて殺されたくはない。だがそれでも、立ち上がらないのは逃げる機会を見失ったわけではない。
 ボスの椅子に座るミスタの膝の上に、対面する形でジョルノが足を広げ跨がり座った。
「許すも許さないもお前の命(めい)のままにだぜ、ボス」
「僕をそんな卑怯者にしないで下さい。そんな美味しそうな顔をされたら、食べてと言うように命じてしまいそうだ」
「美女じゃあない俺が、そんな美味そうに見えんのか?」
 ジョルノの両方の腕がミスタの肩に乗る。
「とても美味しそうです。でも、ミスタの血は吸いませんよ」
 だがその目は首筋を凝視していた。頸動脈を虎視眈々と狙っているのがわかった。
「血を貰っても殺さない方法は多分有る。吸血鬼の、エキスとでも言うんでしょうか? それを相手に送り込めば死体ではなく生ける死体を作れる筈です」
「生ける、死体? ゾンビにすんのか」
「いえ、多分……多分ですけど」
 間近にある顔が視界の下に沈む。
「同じ吸血鬼になるんです」首を外気に晒され、そこに唇を当てられ「そうして仲間を、下僕を増やすんだと思います」
 ポルナレフの話していた事はこれか。ジョルノは本当に吸血鬼となった為、本能で手足となる奴隷の作り方がわかるのか。
 柔らかな唇が当たっている。このまま牙を刺されれば、血を吸われた箇所に唾液が入り従属させられるのだろう。
 しかし唇は首を離れた。
「貴方まで吸血鬼にはしたくない。だから血液は要りません」
 顔が寄せられる。その分乗っている体も寄せられ腹と腹が触れ合う。
「……ジョルノ、お前」
「別の体液を下さい」
「何でおっ勃っててんだよ!? 当たってるぞ!」
「血液じゃあない体液でもきっと美味しい」
「さらっととんでもねぇ事言い出すのは止めろ!」
「僕の体内に……もっといやらしい言い方をするべきですか?」
「いや待て、待て待て待て」
 確かにより卑猥な単語を吐かせたいし、同時にジョルノのような子供には言わせられない。
「跨がられて、腰を振られたいって昨日言っていたじゃあないですか」
 肉付きの薄い尻を服越しに擦り付けてきた。
「ミスタも勃っていますよね、これ」
「言うなって!」
 人の理性の無さを指摘するとどうなるか、身を持って教えてしまいかねない。
 編んだ髪ごと後頭部を掴み引き寄せて唇を重ねる。
 先程死に逝った女の血液を舐めていたが構わずに舌を差し込む。珍しく早々に興奮しているのかジョルノの荒い鼻息が鼻をくすぐった。
 部屋に死体を1つ転がして昂り合うとは何とイカレてしまったのだろう。
 肩に乗っていた腕がそのまま首に抱き付いてきた。唇を離すと同時に首元へ顔を埋められる。
「あーゴム持ってきてねー……」
 流石にこの部屋に避妊具を隠してはいない。
「僕は体液が欲しいと言ったんです」耳のすぐ近くで「熱くてどろどろの濃いやつを、たっぷりと」
「何なんだよ、今日のお前は」
 そんな事を言われてはもう引けない。ジョルノの腰に手を回した。

 吸血鬼だから血に興奮するのかもしれない。昨日も今日も血を「見て」からこの有り様だ。
 最早吸血鬼ではない、と思うのは止めた。スタンド能力でもなしに血を吸い上げるのだから人外に違い無いし、愛するボスが吸血鬼で何が悪い。
 痛い位にがっちりと両肩を掴むジョルノが自ら腰を下ろしてきた。
「くっ……」
 根元を掴み支える自身が指で掻き回して解しただけの窄まりへ飲み込まれていく。
 下着を膝まで下げたジョルノに対し、ミスタはただ性器を取り出しただけ。互いに上を脱ぐ余裕も無く性急に繋がった。
 亀頭を咥え込み、中程まで飲み、支える指の離れた根元までしっかりと。コンドームもローションも何の用意も無いが何とかなってしまった。昨晩受け入れたばかりだから柔軟なのだろう。
 にしては痛ぇけど。
 腸壁が直に感じられるのでぞわぞわとする悦は有るが、潤滑油が一切無いと摩擦で痛い。
「……は、これで……腰を振るって……」
 無理だとは言いたくないらしい。ジョルノは眉間に皺を寄せ、しかし目は潤ませている。
「可愛い顔が見られて満足だ。愛しているぜ」
 軽く口付けた頬に頬を寄せて密着し、椅子の上でミスタが腰を揺らす。流石に椅子が軋んだ。
「それはどうも……んんっ……僕も貴方の事が好きですよ」
「こう動かれるのも好きか?」
「あうゥッ」
「痛いか? もう少し、慣れるまで動かないでおくか」
「は……違う……気持ち、良い……あァ、もっと……」
「痛くねーの?」
 体を離して捩る悶え方は痛みから逃げているように見えたが。
「痛覚が麻痺したように鈍いんです……広げられて痛い筈なのに、一定以上の痛みは遮断して……快楽に摩り替えているというか」
 どうやら未知の快感に怯えているだけらしい。
 証拠に肩を掴む手の力は強いまま。すぐに体も服越しに寄せてくる。
「もしかすると……あの人も夜な夜なこんな風に淫蕩に耽っていたのかもしれない」
「あの人? 愛しいジョルノ、こんな時に別の奴の話は止めてくれ、俺の可愛い――」
「父親の事です」荒い息の合間に「吸血鬼のようだった男」
 ジョルノは額に口付けてきた。
 直接脳味噌に愛撫を施されているような快楽に流されて射精しないよう息を止める。
 柔らかいが強く押し付けてくる感触がまるで、そこから自分を支配しようとしているように思えた。
「昼は眠り、夜には抗えない渇きを癒す為に血か精を求める」
 離れた唇が吐息混じりに囁く。
「お前もそうして、これから永遠の夜を生きるのか」
「違いますよ、ミスタ。僕はこれから永遠に夜を生きるんです」
 暗く寒い夜を、永久に独りきりで。
 ミスタはジョルノの腰を逃げられないように強く掴んだ。
「永遠について来いと命じてくれ。いや命じられなくてもついて行く。俺はお前を愛している。美味そうに見えるなら一思いに食えば良い」
「そんな事をしたらミスタまで吸血鬼になる。きっと僕の下僕となって、ずっと太陽から逃げなくてはならない」
 女を1人食い殺して覚悟を決めた風を装って、しかし自分が変わる事に恐怖しないわけが無い。まして生まれてたった十数年のそこらの子供。本当はこうして体を暴く事すら忌避される。
 なのに抱き締めて抱いてしまうのは。
「明けない夜でも地獄の果て何でも、お前と一緒に生きられるなら本望だぜ? 愛して――」
「動いて下さい」
 器用に直腸で男根を締め上げてきたので「うぉっ!?」と間抜けな声が出た。
「話し合っているだけじゃあいつまで経っても体液が得られません」
 腰を押さえたまま乱暴に突き上げても良いし、物を扱うように手で揺さぶっても良い。
「男ならそういうの、1度位は憧れませんか。わざわざ愛していると嘯いてその気にさせなくても良いんですよ」
「本当に思っているって」
「礼儀正しいんでしたね」
 確かにセックスにおいての礼儀だし、忠誠を誓った相手への義でもある。
 恐らくそれ以外の感情は伝わりきらないし元より返ってくるとは思っていない。
 それでも良いと思えるのだから、もう下僕も同然だ。
「っ、あ! んっ、ンっ」
 好き勝手してみたい欲望よりも満足させたい願望の方が未だ上に在るので負担の掛からないように、例えば肛門の縁が切れたりしないようにストロークは大きくせずに。
 性器がぎりぎりと締め付けられる。焼き切れそうな摩擦熱で痛みにばかり気を取られそうだが、1ミクロンの壁も無く繋がっていると改めて思うと下腹が熱くなった。
「……っ、やべ、出そう」
 物騒な話をしている間に萎える所か急き立てられている。
「んっ、うんと奥で、ンっ、出して下さい」
「良いのかよ」
 多少べたつく程度の腸壁を精液で汚せば滑りが良くなり――今の存分な刺激と想像の先の快感に抑えが利かなくなってきた。
「どうぞ」
「もっとデカい声で言ってくれよ、折角アパートじゃあないんだから」
 焦りが滲み出るように大きな声で言っていた。
「出来ません、聞かれて……ん、あ、んっ……」
 唇をぎゅっと噛み締めて堪える。
「誰も聞いちゃあいねーって。でもその顔もとびきりいやらしくて最高だ。ジョルノ、先にイカせてやるから少し体を離してくれ」
 腹に押し付けられているので手で触れられない。
「貴方がイク番です、ミスタ。ん、僕の中に、んんッ、孕ませる程出して」
「このッ」
 どうなっても知らないからな!
 言葉を吐く為に腹筋に力を込めるとそのまま瞬間的な快楽が噴き上がってきた。
 最奥まで突き刺し結腸を目掛けてドクンと血液を押し出す心臓の要領で射精する。
「……ん……あぅ……う……」
 目の前のすぐ近くでジョルノが声を震わせる。鼓膜への刺激になったか射精の出し尽くしか、ミスタは体を震わせた。
「あー……あっちぃー……」
 こめかみを汗が垂れる。
 脱げば絞れそうな程全身にも汗をかいている。こうなると今日は殆ど食事をしていないから軽い筈のジョルノの体がずしりと重たい。
「……僕は未だ離れたくないです」
 下ろそうと思ったわけではなかった。しかし先手を打つように呟き肩を掴んでいた手が少し落ちて二の腕を掴んだ。
「もう少しこうしているか」
「出された物が垂れて汚してしまいそうですし」
「げ、それ急いでトイレ行くとか出来ねーの?」
 その間に誰かと鉢合わせする方が不味いかもしれないが。
「ミスタ、このまま聞いて下さい」
「ん?」
「愛しているだとか、そういった類の事は今は言わずに」
「何でだよ」
「ずっとノックしていた人が、この体格はフーゴでしょうか? 多分そろそろ入ってきます」
――ガチャン
 言い終えると同時にドアが開く。
「何をやっているんですか、あんた達は……」
 入ってきたパンナコッタ・フーゴが呆れ顔で言った。
「ちょっと甘えていたんです。こうして膝の上に乗る、というのをやってみたくて。フーゴは子供の頃にしませんでしたか?」
 振り向いて平然を装いジョルノは答えた。恐ろしい程冷静な声音はまさか今も男根を咥えているとは思うまい。
「親や祖父母に甘える時は反対を向いて座るものだと思います」
 出入口からは丁度机で結合部が見えないらしい。やや汗ばんだ少年が異常に汗だくの青年とじゃれ合っているように見えているのなら良いが。
「ボスの椅子に座るものだから、お仕置きも兼ねてみました」
「何度も繰り返したノックを無視してまでする事ですか、それ」
 耳が良くなったらしいのでジョルノはとうに気付いていたのだろう。だから自分の射精は拒んだのだとしたら意地が悪いと言うか、人でなくなったというのに人が悪いというか。
「それで、どうかしたんですか? こんな時間に。帰りの挨拶ですか」
「……その前に、その、その死体は?」
 今更気付き不躾に指した先には少し前までは美しい娼婦だった女の亡骸。干からびてご丁寧に首と体とも分離している。
「それなぁー……ドラッグやってたからシメた」
 一応嘘ではない。
「服装からして花売りなのはわかりますが、何をどうしたらこんな風に……」千切れた首に有った穴から全身の血を抜かれた遺体を眺めたまま「……いやそれより、どうしてこの部屋に?」
「例の病院に人工骨を専門にしている人間が居ます。きっとその『骨』を欲しがる。フーゴ、運搬役を頼めませんか」
「貴方からの指令であれば、ボス。と言いたい所だがジョルノ、僕にまたあの病院に行けと言うんですか? 今日の昼にも行っているんですよ。何なんですか、僕をあの病院の馴染みにしたいんですか。ああもう、触りたくない」
 今にも歯軋りをしそうな程の不服顔で言い放ちながらも骸の前に膝を付いた。
「……今日の昼に?」
「昨晩足を怪我した男と会ってきました」
 虫が湧いたり異臭を放ったりする血肉はもう付いていないが、それでも遺体自体には触らないようにとドレスの裾を広げて足を包み抱える。
「ほら、昨日の。フーゴに入院の手続きとか、あとは状況を聞いておくとか頼んでおいたんだよ」
「ボスからの指令じゃあなかったんですね」
 ギロリと音がしそうな程の視線を突き刺してくるフーゴは、躊躇いがちに1つ離れて落ちている遺体の頭部を残る白髪――染め上げていたゴージャスブロンドも今は根元から白いし残り少ない――を掴んで持ち上げ、抱き締めさせるように遺体の腹へ置いた。
「あそこの医者の面々は怪我人や病人が好き過ぎて気味が悪い」
「だから良いんですよ。大怪我をした人間や不治の病を患った人間を喜んで診てくれる。死んでは意味が無いから治療に全力を尽くすし、元気に戻れば興味を無くすから次の患者しか見えなくなる」
 わざと怪我をさせたり病気にさせたりという心配も無い。予防や予後治療に関心を一切持たな過ぎて世間には受け入れられず、開業医という形でギャングの後ろ盾を得て医療活動を行っている闇医者達。
 保証人を立てられない等の『理由』の有る人間の為に彼らは居る。昼間に生きる人間を診るのは昼間に営む病院がする事だ。そしてジョルノの言った通り藪医者ではない。
「それで、どうでした? 足は大丈夫そうでしたか?」
「あの医者が言うには障害が残る事は無いそうですよ。ただ手術費用と入院費用の相当な額を組織が負担する事になっているみたいですが。あと僕が行った時には本人は目を覚ましていて話も出来ました。共に行動していた者も丁度一緒に居ましたし。2人に話を聞く限りですが、スタンド使いの仕業でしょうね」
 やはり、とミスタもジョルノも息を呑む。
「スタンドがしたのか、スタンドの力で本体がしたのかは不明ですが、姿を消せる能力が有ると思います。事の前後を考えても」
「事の前後? あいつら確か外に立っていたんだよな」
 飲み屋にギャングが付くとなれば店の中で待機し可笑しな客を、というのが定番だというのに。
「最近あの辺りでは盗みが多発している。特に怪我をした男を配置したビルでは2件、内1件は店員がナイフで軽くだが切り付けられている。そして盗難被害者の全員が『姿を見ていない』。全て夜に行われているから、夜になれば姿を消せる、あるいは暗闇に紛れられるといった能力を持っているのかもしれない」
「うわーキナ臭ぇー」
「昨日の今日なのでビルの外装修理と適当に銘打って全店休ませてあります」
「有難うございます」
「対策が思い付くまでは休業状態なので売上に甚大な影響が出るでしょうね。その報告に来ただけですから、僕はこれで。車借りますから」
 よいしょと抱え直して骨と皮しか残っていないも同然の遺体を持ったままフーゴは部屋を出た。
「……行ったみたいですね」
 ドアが閉まった時点で『行った』とミスタは思っていたが、聴力の研ぎ澄まされているジョルノはフーゴが本当に離れてから1つ溜め息を吐く。
「お前大胆な奴だよな、この格好で」
「ミスタ、今から行きましょう」
「は? どこに行きたいんだ?」
 それともイキたいの意味か、と軽口を叩く隙が無い程真剣な眼差しを向けられている。ちらと腹の辺りに目を向ければジョルノの性器はすっかり平常時の有様だ。
「盗みが目的なら、用心棒を追い払った今こそ現れるかもしれない」
「どの店も休みだぞ」
「店員が居ないなら盗み放題じゃあないですか」
 確かにその通りだ。暫定スタンド使いの犯人はナイフで人を刺すのが趣味なのではなく、盗む際に邪魔になる人間を手当たり次第に切り付けて追い払っているという仮説は否定する箇所が無かった。
「でも……今から?」
「そうです」
「1発ヤッた後だぜ?」
「貴方未だ18歳ですよね?」
「いやお前に至っては1発ヤラれた側だぞ?」
「それならご心配無く」誇るのではなくさも当然といった表情で「夜は僕の時間ですから」

 草木も眠る丑三つ時とはよく言った物で、1軒店に立ち寄った後に訪れた件(くだん)の雑居ビルの一帯は不気味に静まり返っていた。
 隣は店ではなく単身者向けのアパートだが、それにしても人っ子1人居ない。酔っ払いも客引きも浮浪者も街娼も猫の子1匹すらも。
「ネオン街の端くれの筈なのに不気味だな」
「そうでしょうか。僕はこの雰囲気嫌いじゃあないですよ」
「誰も居ないからデートみたいってかァ?」
 からかいの言葉にジョルノは顔を顰める。
「今ここに居るのは僕達2人きりじゃあありませんよ」
「姿も足音も消せるスタンドか」
 この言葉で何かが動く気配がミスタにも辛うじてだがわかった。しかしどこにどんな生き物が居るかはわからない。寧ろ気の所為かもしれないと思わせる静寂ぶりだった。
 ジョルノが目線でビル横の小道に入るよう促してくる。
 ナイフも隠すのか刃物を実体化させられる能力も備わっているのかわからないが、どちらにしろ広い道に居るのは危険性が高い。ビルとアパートとの間は隙間と呼ぶより小道と呼ぶ方が合う程度の広さが有るので男2人が並んで立っても不都合は無い。
 小道に入りミスタはアパート側を向いて窓を1つ1つ見上げた。
「こんな所に住んでんのに、こんな早くに寝ちまうもんなのか」
 どの窓からも明かりが見えない。外出するにしては遅い時間――繁華街直結のアパートに住んでいるのなら未だ仕事なり遊びなりに出ているだけかもしれない。
「昼間よりもずっと感覚が研ぎ澄まされている……人が1人居るのも、その誰かが焦っているのもわかる」
 焦燥を移されたように肩を強張らせている。
「そっちの通りに居るのか?」
「恐らく」
「じゃあ後ろに下がれ」
 ジョルノを背後に追いやり腰に隠しておいた銃へと手を掛ける。こちらからは見えないが、恐らく相手からは見えている。しかし銃を構えた所で威嚇にはなるまい。
 耳をそばだてればやや浅く早い息遣いが聞こえるが、これは真後ろに居るジョルノの物だろう。
「ジョルノ、お前のスタンドで適当に蔓とか蔦とかの植物を出してくれ」
「え?」
「足絡め取る感じでな。引っ掛かる事を祈って――」
 自分の言った言葉にこそ引っ掛かった。
 スタンドを出せと言われれば何の為に出すかを察する、寧ろミスタが言うよりも先に行動に移すのがジョルノだ。だからこそ信頼がおける、全てを捧げたいとまで思わせるから忠誠を誓える。
 それが今や何故と言わんばかり。否、理由はわかっているのに「したくない」あるいは「出来ない」とでも言わんばかりに躊躇っていた。
「悪い、スタンドの調子良くないんだったな」
「植物を出す位の事なら出来ますよ」
 すぐにゴールド・エクスペリエンスが姿を現す。
 何でコイツ変な所で負けず嫌いなんだよ。
 そこが面白くて気に入っているのだが。本体であるジョルノよりも大きい人型のスタンドは、含み笑うミスタの1歩前に踏み出すように立った。
「植物を――」
 背後でジョルノが呼吸を正す。合わせてスタンドが背筋を伸ばし、辺りに草花が生い茂る。
 と、思ったのだが。
 伸びる蔦はその先が枯れ果てており、ただ地面を這って積み重なった。
 夜という暗闇の中でも葉緑素を持たずくすんでいるのがわかる。
 辺り一面に枯れ草を敷き詰められる不快感。目に映るのは咲く事無く萎れた蕾。虫の1匹だって留まりはしない死の山。
「何つーか……近所のデカい家がデカい庭に除草剤撒いた後の臭い(におい)みてーのがするな……」
「ゴールド・エクスペリエンスは植物や動物を『生み出す』事が出来た……だけど僕は植物や動物の命を奪い取る側になってしまった。少し前から枯れ草を伸ばしたり、カエルの死骸を出したり、そんな事位しか出来なくなってしまった」
 触れるだけで薔薇の花が萎れる吸血鬼が新たに何かを生み出せる筈が無いと運命が指を差して笑っている。
 生み出した存在を吸い取ってしまう。しかし生み出す事に力を使うので気力が漲る事も無い。素晴らしいスタンド能力も吸血鬼との相性は最悪。
「まあ元から日光無い所じゃあ植物って育たねぇからな」
 振り返り余り自分らしくない慰めの言葉を掛けた時だった。
「……っ……」
 ジョルノの右腕、右脛、左肩、左足首の4箇所から、同時に大量に血液が噴出す。
「お……おいっ! 刺されたのかッ!?」
「く、違う……スタンドが……」
 言われて前を見るとゴールド・エクスペリエンスの同じ4箇所に鋭利な何かに切り裂かれている。抜けていったそれはナイフ等ではなく黒い『闇』そのもののように見えた。
「『僕』の体じゃあないから、怪我を……傷を、塞げないッ……」
 両肩を抱いてジョルノはその場にがくんと膝を付く。
 ミスタが手を伸ばした所で状況は何も変わらない。先程娼婦の血を吸い尽くして日光による左足の火傷を治したように、自分の血を飲ませれば――否、スタンドのダメージがフィードバックしているのだから吸血鬼の回復能力に頼れない。
「くそっ……ピストルズっ!」
 悲鳴のような叫びに合わせて6体の小さなスタンドが飛び出した。
「スタンドの傷を塞げ!」
「ソンナコト、デキナイ!」
「直接傷口掴めば何とかなるだろ!」
 無茶を言うなと口々に喚きながらも全員がゴールド・エクスペリエンスの怪我の箇所へと向かう。
「No.6、コッチダ!」
「ジョルノノアシガ……」
 特に深いらしい左足首と右腕の傷は2人掛かりで押さえる。それでもスタンドは立ち姿勢を保てないし、本体のジョルノから流れる血もまた止まらない。
「スタンドを隠せ! そうすりゃスタンドを傷付けられなくなる筈だ!」
「僕自身はどうでも良いんですか……わからないと思いますが、少しは痛いんですよ……」
「痛いのは見りゃあわかる!」
 一定以上の痛覚は遮断されると言っていたが、こんなに痛々しい出血振りを見て狼狽えない方が可笑しい。
 昨晩の用心棒2人組の、怪我をしていない方の男の動転しきっていた様子がふと頭に浮かんだ。
「オサエキレナイゾ!」
「ああもう! だから4は縁起が悪いんだ!」
「今ここで僕がスタンドを消せば植物達も消える……物理的な刃物も持っているに違い無い、近付かせるわけには……」
 姿を晒す事すら出来ない盗人風情が、自分のボスに膝を付かせて血を流させるなんて許せない。
 生かして捕らえて拷問に掛けるも値しない。
「――背の高さはわかるか?」
 ミスタは銃を真正面に構える。月が無く幾つかの星しか見えない夜空の下、喧騒は遠過ぎて自分達以外の誰もこの状況を知らないのがわかる。
「背の高さ……恐らく僕と変わらないか少し上、ミスタよりも低い……呼吸を口でしているようだから」
 どうせ『殺人』に慣れていないのだろう。昨日今日と他人の出血を見て息を乱す程度の小物。嗚呼、相対するこちらはこんなにも『いつも通り』の呼吸なのに。
 右腕を垂直に伸ばし、反動に備えて左手を添えた。
 見えないならば観る――否、感じ取れば良い。何も呼吸音だったり微かな動きだったりを気にするといった、小難しい事をする必要は無い。
 ただどこに向けて撃てば『確実』なのかを感じ取るだけ。
「確実に殺せるのは――」
 乾いた銃声。吹き上がる枯れ草。漂う硝煙。
 夜の闇の中でもより濃い闇が晴れ渡り、1つの遺体が姿を現す。
 身長は175cm前後でやや小太りで、闇と同化出来るスタンドを持ちながらも眉間を撃ち抜かれ――しかし貫通はさせず、弾は頭に残し――た男は即死、目も口も開けたまま衝撃に任せて後ろへと倒れ込んだ。
 重たげな体は地面に蔓延る枯れ果てた草に受け止められて音を立てない。脳を撃ち抜かれているので出刃包丁を握る手の指先を動かす事すらもう叶わない。
「……何故」
 ぽつりと呟くジョルノの声に合わせて枯れた草花は消え、合わせて血塗れだったスタンドも姿を消した。
「何故、殺したんですか……彼は邪なスタンドを使い盗みを働き人々に怪我を……けれど、何も殺される程じゃあない」
「いいや、あいつは死んで当然だ。ボスに怪我を負わせた奴を殺す、これは俺のボスへの忠誠だ」
「寧ろ不忠だ! 僕は、僕は殺せなんて一言も言っていません……」
「じゃあ俺のお前への愛だ」
 愛する人を傷付けた輩を殺す。
 私欲の為に娼婦を殺したと嘆くのならば、私欲の為に盗人を殺して同じ場所に並び立ちたい。
「……あんなに無駄に繰り返していた『愛』は本物、という事ですか」
 気付かなかったのか? と軽口を叩こうにも、計4箇所から激しい出血をしている痛々しい姿に笑顔が作れない。
「無駄じゃあない。こうして届いたんだから。ほらジョルノ、傷は浅いし、医者の所へ行くぞ。立てるか? おぶった方が早いか?」
「抱き締めて下さい」
「あれか? 横抱きにするお姫様抱っこ」
 やや俯き表情を隠した顔を静かに左右に振った。
「……寒いんです、動けない程」
「早く言えよ!」
 慌てて屈み、大量の血液で汚れている体を抱き締める。
 血生臭い液体でぬめっていて、何より酷く冷たい。
 すっかり色白くなった肌から想像される通りの生気の無さ。先程よりもずっと浅くて早い乱れきった呼吸をしながら、腕の中のジョルノが顔を上げた。
「ミスタ……最期になるだろうから、聞いて下さい……」
「何勝手に最期にしてんだよッ!」
「僕は貴方を愛しています」
 返す言葉が無い。
 こんな時にそんな事を言われて何故喜んでいる?
 有難うなのか、自分もだなのか。それとも素直に嬉しいよとでも言えば良いのだろうか。
 思春期にまで戻ったように胸が高鳴る。嗚呼そうだ、愛しているのだ。忠誠を誓った人間に認められたのではない、愛した人間に愛されたくて、それが今叶ったのだ。
「どうですか……やはり、10回の好きより1回の愛しているの方が……」
「足りねーよ! 全ッ然足りねーッ! 俺はな、10回好きって言わせて、100回愛しているって言わせて、1万回キスしなきゃあ気が済まねーんだからよ!」
 ジョルノの唇が「欲張り?」と尋ねる形に動いた。
 その体からどんどん血が流れ落ちて何の変哲も無いコンクリートの地面に血生臭い水溜りを作る。
 血液と共に魂が流れてゆく。存在が零れて消えてゆく。切断には至らなかった左足が今にも壊死しそうに見えた。
「……ミスタ……頭に血が、回らなく……なってきました……貧血で、頭痛が凄い……耳鳴りのような……」
 力が入らないであろう右手がミスタの服を掴む。
「血が……そうだ、あの野郎の――」
「死体の血は飲めません」
 拒絶反応が起こるのか単に不味いのか。
「じゃあ俺の、俺の血飲めばさっきの火傷を治したみたいに何とかなるんじゃあないか? 美味そうに見えるんだろ? ほらッ」
 首筋を差し出す事が出来ない態勢なので手首をジョルノの唇へ寄せる。ぐいと押し当てても一向に口を開かない。
「早くしろよ!」
「嫌だッ!」
 今残る最大限の気力でジョルノは叫んだ。
「殺してしまいたくない……まして吸血鬼にするなんて、以ての外だ……昼間に出歩けないなんて認めない……だって……ミスタは――」
 太陽のような人だから。
「……は?」
 俺が? 何故?
 太陽のような『絶対』はジョルノの方なのに。
「ミスタはいつも……変わらない、ぶれない……嬉しい時も、悲しい時も、怒った時も……」
 燦々と照らす日も、雲に隠れる日も、豪雨が世界を流し尽くす日も。
「貴方は僕の太陽だ……照らし続けて欲しい、最期まで……お願いします」
「だから勝手に最期すんなっつってんだろ!」
「朝日が……昇るまで……抱き締めていて……愛する太陽の……腕の中で……残酷な太陽に、焼かれるなんて……」
 古い映画のような、陳腐な小説のような。
「……誇らしい……世界中の吸血鬼が……もし居るとしたらですが……僕を羨む……『父』だってきっと……」
 ミスタ、と唇は動いたが声が掠れ過ぎていて聞き取れはしなかった。上手く開けない、しかし閉じきらない唇の隙間から一対の牙が見える。
 日の出時刻まで残り数時間も有る。否、もう数時間しか無い。
 どうすれば。
 どうすれば、どうすればどうすればどうすれば。
「一体、どうすりゃあ良いんだよッ!」

 意識が浮上すると同時に消毒液臭さが鼻についた。
 異様に重たい目蓋を無理矢理に開けると少し黄ばんだ天井が見えた。眼球のみ動かして眺めた壁も黄ばんでいる。
 頭が酷く痛む。仰向けに寝ているのに「寝たい」と思いながらミスタは上半身を起こした。
 ごそごそというシーツの擦れる音に気付き、背を向けていた甘やかなハニーブロンドの少年がこちらを向く。
「ジョルノ……」
 無事なのか、と声を掛ける前にその少年が片眉を下げた。
「第一声がそれですか。大した忠義だ」
「……あれ、フーゴ?」
 体格こそ似ているが顔は全然違うし、よく見れば髪の色も違う。
「何してんのお前」
「入院の準備です」
 手にしていた紙袋から中身を1つ取り出してこちらに見せる。見覚えの有る下着。
「……入院って、俺ェ?」
「他に誰を入院させるんですか。下着はこっちの棚に入れておきますからね」
 黄ばんでいるが真っ白い病室は個室で、無駄に天井いっぱいまで高さは有るが細い棚の上の方に紙袋を入れて戸を閉めた。
 フーゴの手前にベッドテーブルが見える。棚と同じ茶色をしていて、蓋を付けられるコップ、ストローを差し込める蓋、そしてストローの束が置かれている。
「何で俺入院するんだよ、健康だぜ?」
 激しい頭痛は止まないが、まさか二日酔いで入院なんて事はあるまい。二日酔いの頭痛とは種類が違うように思えたが。
 右手の平を見る。異常は無い。左手の平も見る。異常は無い。白い布団に覆われていて見えないが、足の先も異常は無さそうだ。
 こめかみからぐるりと一周をキリキリと締め付けるような頭痛が理由か。痛む箇所に手を当てる。触れた限り傷の類は無い。
「検査入院です。よく調べてもらって下さい。あとその貧血が治るまで安静にしておく目的も有る」
「貧血……」
 この未経験の頭痛は貧血なのか。貧血は色々と種類が有るが、ようは血液が足りてない事の総称。
「血が足りてない……って事は、ジョルノにやったのか? 俺の血を」
「そうですよ」
「ッ! じゃあ、じゃあジョルノは、生きている……!」
 今すぐベッドを飛び降りて会いに行きたい。逸る気持ちはしかし、両手を使っても起き上がる事が出来ない程に体力が落ちている現実に阻まれた。
「何としてでもって脅されましたからね。ボスはすっかり元気で今日は朝から、先週から話を延ばしに延ばされていた地方議員の事務所に行きましたよ」
「今日って何日だ……いや待て、脅された?」
「あんたに銃を突き付けられて脅されるとは夢にも思いませんでしたよ」
 深呼吸かと思う程わざとらしい溜め息を吐いてフーゴは白いカーテンの引かれた窓へ向かう。
 目覚める前の、眠りに就くまでの記憶がごっそりと抜け落ちている。確か出血多量で瀕死のジョルノを抱え、夜が明ける前に何とか自分の血を飲ませようとした筈だ。
 焦りに焦って――1番何とかしてくれそうな、ミスタもジョルノも絶大な信頼を置いているフーゴを訪ねたのか。
 血塗れのジョルノを抱えたミスタを見て驚いたフーゴの額に拳銃を突き付け「俺の血をジョルノにやれ」と声を荒げたような。そうだ、確かに脅した。
 頑なに吸血しようとしない出血多量で死に掛けていた吸血鬼に、果たしてフーゴがどのような手を使ったのかはわからない。しかし自分もジョルノも生きているという事は、恐らく吸血鬼のエキスの交換やら何やらをしたのだろう。
「俺も晴れて吸血鬼の仲間入りか……」
 全く自覚は無いが。
「吸血鬼? テレビの話ですか? 見たいのならテレビカード買ってきますよ」
 そして何の気無しに開こうとカーテンに手を掛ける。
 真昼で晴れているらしく蛍光灯を付けていないのに充分明るいこの部屋に、吸血鬼の体を焼く日光が取り入れられてしまう。
「や、止めろ! 殺す気かよっ! うわーッ!」
 シャッ、という音と共に開かれた。何の効果も無いとわかりながら頭を抱えるミスタに日光が注いだ。
 眩しくて、暑くて、錆びた音を立てながら開けられた窓から入る風が心地良くて。何と爽やかな朝、正確には昼の光。
「……あ、れ?」
 暑いが熱くはない。煙を上げて灰になったりもしない。手を避けて恐る恐る窓の方を見る。
 フーゴが呆れ顔で振り向きこちらを見ていた。
「いつから外気で死ぬ虚弱体質になったんですか」
「なったと思ったんだけど、なってなかったのかなァー……」
 意味がわからず首を傾げるフーゴだが、ミスタ自身も現状がさっぱりわからない。
「……なぁ、吸血鬼のディウォーカーって、突然変異でなるもんなのか?」
「さっきから何ですか、ドラマですか? 僕は見ていないんですけど」
 ジョルノが吸血する様を見なかったのだろうか。
 自身の首筋を撫でるが爪の痕も牙の痕も無さそうだ。ジョルノは一体どこに刺して血を抜いていったのか。
 左手首の内側だとすぐに気付いた。小さくガーゼが当てられている。
「ここからか……」
「あんたがどこからでも良いって言ったんだ!」
「はいはい、怒んなって。どこからでも良いさ、ボスが死なないんなら」
「僕は輸血の素人なんですから」
「……ン? フーゴが、輸血?」
 いよいよ話が全く噛み合わなくなってきた。
「おい、整理するぞ。俺の血はジョルノに行った。そこは間違い無ぇな?」
 訝しげに眉を寄せたがフーゴは頷く。
「どんな方法を取った?」
 ジョルノに噛み付かせたのか、手を取り無理矢理爪を刺させたのか、或いは。
「ストローを使いました」
「……ストロー?」
「ストロー。ミスタの手首と、ジョルノの右の手首に。他に管になりそうな物が無かったので。それ大袋開けたやつの残りです」
 フーゴが『それ』と指したのはコップやその蓋と並ぶストロー。
「血を送れと言うから動脈と静脈を探ってストローで繋ぎましたが、覚えていませんか? 精製も何もしていない血液を送り込んだら感染症を引き起こすかもしれないというのに「ジョルノは生きていれば治せる」と言って憚らなかったので仕方無く。簡単な検査しかしていませんが、ジョルノの方は感染症の類にはならなかったようです。拒絶反応も無かったし」
「俺は?」
「その為に検査入院するんですよ。ミスタはボスと違って丸1日寝ていたから、何も進んでいない」
 寝不足だったから、と言い掛けて口を噤んだ。
 昨日はジョルノと違い昼間きっちり仕事をしてから夜にも出た挙げ句直前に――というのは言い訳に過ぎない。まして昨日ではなく一昨日の出来事になっているらしい。
「問題無いと思いますけどね。送り込む方だし、ジョルノと日頃『色々』していて、それだけ健康体なんだから」
 妙な含みを持たせてフーゴはベッド近くの見舞い客用のパイプ椅子の前へ行き、そこに乗せて置いたクリアファイルを手に取る。
「血液全部渡してでも生かしたい。随分見上げた忠誠だ」
「忠誠こそが我が名誉、って言うしな」
「何でドイツ人なんですか。と言うか、それは忠誠じゃあないという反語なんですが」
 一体フーゴはどこからどこまでを知っているのだろう。向け合う気持ちが愛だとか何だとかを見抜いているのだろうか。
 ファイルから書類を1枚取り出しベッドテーブルに置いた。
「食欲は?」
「んー……食えるとは思う」
「念の為今日の夜からにしますか。昼食分は点滴で」
 ボールペンで書き込みファイルへと戻した。
「ジョルノは目覚めるなり食欲見せましたけどね。ミスタが失神……あれは就寝? 兎も角、ミスタが意識を手放してすぐジョルノは起きたんですが、第一声はミスタの名前じゃあなく「お腹が空いたのでパニーニとホットココアを買ってきてもらえませんか? ローストチキンの挟まっていないやつを」でしたからね。血を作るという意味では正しい発言ですが」
「それ半分位俺の事だな」
 爽やかそうに見えて意外に根に持つタイプか。
 そうしてフーゴ――明け方に訪ねたのだから恐らく寝起きだった筈だ――が買い物に出ている間、1本の管で繋がりながら寝顔を見て何を思っていたのだろう。
 コンコンとノックの音、そして返事を待たずにドアが開く。
「ああフーゴ、居たんですね」
 ジョルノの声だ。入ってきた姿も彼その物だ。至って普通の、もしかするとここ数日よりも顔色が良い位の。
「何から何まで有難うございます」
「貴方の命(めい)ならば、ボス。しかし……あの遺体の処理は正直手間が掛かった」
 身長はほぼ同じなのに体重は1.5倍程有った為に先ず運ぶのに難儀した。出刃包丁1つ握り締めて何をするつもりだったのか身分証も持ち合わせていない。平時から人に姿を見せない生活を送っていたらしく組織に関連しなければ堅気の近隣住人も顔写真に心当たりが無かった。
 縄張りの1つのビルの側に射殺体が転がっていた、という形で抗争後のように『処分』しておいたフーゴは手にしていたクリアファイルを見せる。
「入院申込書も記入終わりました」
「じゃあ出してきます」
「ジョルノ、いつの間に歯医者に?」
「歯並びの事ですか? 貴方が仕事をしている間に親知らずを抜いてきました」
「じゃあ未だ痛むでしょう。僕が出してきますよ。歯医者と一仕事とを終えたボスはここで休んでいて下さい」
 1つ所ではない仕事をこなしてきた者に言わせる言葉ではない。ジョルノは自嘲よりは苦笑のような、一層照れ笑いにも見える表情を浮かべた。
「ミスタの寝顔でも見ていろと言うんで――」
 そのままこちらを向いたので目が合う。
「今し方起きた所なので労いの言葉でも掛けてやって下さい。じゃあ僕はこれで」
 互いに目を逸らせない2人を気にせずにフーゴは病室を出て行った。
「あー……歯並びって?」
 無理に言葉を捻り出した。扉を閉められ2人きりの病室で何から話して良いかわからない。痛む頭では深く考えられない。
 ジョルノは靴音を鳴らして歩み寄り、ベッドに両手を置いてぐいと顔に顔を近付けた。そして笑うように口を開いて歯を見せてくる。
 綺麗に並んだ上下の歯に何のコメントを求めているのか。
「……あれ、お前尖った歯ぁどうした?」
「親知らずを抜いてきました。というのは勿論嘘です。起きたらこの通り前の歯に戻っていました」
 顎を掴もうと手を伸ばすと擦り抜けるように顔は離れた。
 ジョルノは手近に有ったパイプ椅子を引き寄せてそこに座る。
「目が覚めてすぐ変化に気付きました。隣のミスタを見て「美味しそう」と思わない……寧ろ僕自身の方が美味しそうに見えました」
「自分が?」
「きっとあれが貴方の見ている世界なんでしょうね」
 吸血ではない形で血液を取り入れて体が変化してしまったのだろう。
 ミスタの目にはジョルノがいつも通り美味しそうに見えている。その血液を頂きたい、なんて事は無く。
「まさかお前、俺の寝てる横で『食った』のかァ?」
「自粛しておきました。輸血してもらっている身でそんな事出来ません。それにしても良かった、ミスタが血の気の多い人で」
 病人に向かって誤解を生みそうな発言は控えてほしい。
「聴力や夜目の効きも戻ってしまいましたが、日光で火傷をする事も無くなりました」
「それって、つまり」
 手の平を上に両腕をこちらへと伸ばす。健康的な白さの手に、彼のスタンドの手が重なって見えた。
 そこから溢れ出る色取り取りの花。
 キキョウ、向日葵、カーネーション、エトセトラ。名前すらもわからない芳しい花が次々と溢れてくる。どれもこれも瑞々しく生命に満ちている。
「やっぱりミスタは僕の太陽だ。太陽の力で『吸血鬼』だけを灰にしてくれた」
「太陽はお前だよ」
 こんなにも花がよく似合う――が、そろそろ止めないとベッドが花で埋もれてしまう。
「そういえば折角吸血鬼になったのに」両手を握り締めて漸く花を止め「貴方を夜の下僕(しもべ)にし損ねました」
「何だそりゃあ?」
 吸血鬼は人間を隷属させるイメージが有るし、夜の生き物でもある。しかしジョルノの平然とした言い方は違う意味を思わせた。
「まあお望みとあらば、手の甲だけじゃあなく足の甲にもキスしてやるよ」
「1万回?」
 何でしっかり覚えてんだよ! 死にそうだったんじゃあねーのかよ!
 開いている窓から強めの風が入り花々を舞い上げた。片付けるのがすこぶる面倒臭そうだ。それにしても、太陽の花と呼ばれる向日葵が特によく似合っている。


2017,10,10


好きな物全部詰め込んだので一際思い入れが有るかもしれません。長さの所為も有りますが、完成後も暫く頭が切り替わりませんでした。
「吸血鬼パロ行け」と背中を押し、タイトル案の助言までくれた利鳴ちゃん有難う。文法は別として無事背景同様ショタ話と対になれました。
医学的にとんでもない出鱈目が有るので良い子は真似しないでね。
あとこれイタリアのギャングじゃなくて日本のやくz
<雪架>

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