フーナラ 全年齢


  山の遊園地の鏡屋敷の隠し扉の中


 パンナコッタ・フーゴは柵の上で組んだ腕に顎を乗せて溜め息を吐いた。
 遊園地のアトラクションというのは実に多様で、今ナランチャ・ギルガが先頭の席で大はしゃぎして楽しんでいるのは速度重視のタイプ。最高時速120kmに達するとの事で園内最速を謳い文句にしている。
 それでもナランチャの後ろに1組――3人組なので2人並びの座席に1人だけ後ろという気まずい座り方をしている――しか居ないのは他のアトラクションの方が人気だからか、はたまた『ここ』がネアポリス市街地からだと車で実に3時間程掛かる山中に有り集客が少ないからだろうか。
 日に2本の送迎バスを利用したが、その時点で余り客が居ないように思った。自家用車で来る人の方が多いのかという予想も外れた。
 アメリカかどこかの街並みを再現したアトラクションや建物の数々を維持出来るだけの収入が有るようには見えない。
 副収入が有るのでは。それも裏ビジネスと呼ばれる類いの。具体的には麻薬の精製、及び密売。
 そう言った黒い噂が流れており近郊のギャングチームが調べた結果、麻薬輸入は一切していない事が判明した。しかし流していないとは限らない。作っていないとも言っていない。
 園内のどこかに精製・密売をしている、もしくはしていない証拠が有るかもしれない、と言う事で現地調査に来た。遠路遥々3時間掛けて。
「すみません」
 連れがアトラクションを楽しんでいるのを静かに待つ客を装って従業員に声を掛ける。
「はい」
 元気良く、とまではいかないがきちんと笑顔で応対してくれる。並んでいる客が居ないから1人の利用しない客の相手も出来るのだろう。
「お勧めとか有りませんか? そうだな、もっと『ハイになれる』ような」
 この言い方で伝わる者には伝わるのだが。
「スピードは余り出ない、けれど不規則なアトラクションがございますよ」
「あの焼いたタコみたいな見た目のやつなら乗りました」
 ナランチャが。
「それは有難うございます」
「足の付かないジェットコースターも、足は付くけれど上半身に支えが無いジェットコースターも。ただ回るだけのやつは僕が乗りました」
 開園1時間後に着くバスで来て以来幾つものアトラクションに1人が乗りもう1人は世間話を装い従業員にそれらしきワードを尋ねる、としてきたのだが今現在成果は0。
 末端の従業員には知らされていないのだろうか。もし隣接しているホテルの総支配人が元締めとなると、遊びにきた若者を装った自分達では手掛かりが掴めない。
 今日はナイト営業が無いので閉園時間は夕食時よりも早く、バスは更に1時間早いのが最後。乗り逃がしたら帰れなくなってしまうので目星を付けたアトラクション――の担当従業員――から当たっている。
「あとは奥の方になりますがホラーハウスもございます」
「ホラーハウスか……」
 自分とナランチャのどちらが入るのだろう、とフーゴは顎に手を当てた。
 幼い頃に連れられてきた際にはもう少し楽しめた気もするが、この年ともなるとアトラクションに乗りたいという願望からして全く湧かない。こうして話を聞く側の方が仕事をしている充足感が有る位だ。
 一方でナランチャは初めて訪れたらしく予想通りにはしゃぎにはしゃいでいる。
 ここに限らず遊園地と呼ばれる場が初めてらしい。他の誰よりも似合ってるだけに意外だった。
 ホラーハウスも他のアトラクションのように入りたがったら入らせて従業員に尋ねるのは自分がしよう。
 嫌がったら自分が入りナランチャに尋ねさせよう。案外ホラーハウス内に秘密の扉が有ってその先で麻薬取引が行われているかもしれない。そこを取り押さえる手柄は果たしてどちらの物か。
――足元に気を付けてお降り下さい
 妄想を繰り広げているとアナウンスが聞こえてきた。ナランチャともう1組の客達が降りてくる。
「楽しかった!」
 テンション高く駆け寄ったナランチャの第一声。
「そう……」
「何かわかった?」
 一応任務の存在は忘れていないらしい。
「相変わらず収穫無しです。わかった事と言えばここの従業員達は客が少なくても愛想は悪くないといった事位」
「ふーん」
 如何にも興味の無さそうな返事だが自分も同じ反応を示すだろうから文句は言えない。
「つまんねーの」
「今楽しかったって言ったのに?」
「楽しいけど、乗ってるのオレ1人じゃん。フーゴも一緒が良い」
「それじゃあ聞き込みが出来ない」
 反論の余地が無くナランチャは不貞腐れた。
 早々に仕事を片付けて本腰を入れて遊ぶつもりだったのだろう。しかしそうは問屋が卸さない。
 フーゴとしても本音にはそれが理想だったのだが。しかしこうも何も無いと、この遊園地は何も無いので潔白ですと報告を上げてしまいたくなった。
「次どこ行く? フーゴ、地図見せてくれ」
 言われて鞄から園内の地図を取り出す。
 縮尺は書いていないが体感では描かれているよりずっと広い。最高速のアトラクションは中心から外れているが、更に奥に描かれているホラーハウスを指差した。
「ここは未だ行っていませんね」
「じゃあ行くか」
 どちらが入るか等の相談も無くナランチャは歩き始める。
 後ろをついて歩きながら、フーゴは通りすぎる人々の様子を見た。
 皆遊園地を満喫しに来た――あるいは保護者として連れてこられた――人々ばかりで、麻薬中毒に見える者は先ず居ない。
 本当に何も無いのだろうか。しかし火の無い所に煙は立たない。何かしら綻び位は有る筈だ、と穿った見方をして逆に見落としているのだろうか。
「フーゴ」
 いつの間にやらナランチャが足を止めている。
「はい」
 ぶつからぬよう立ち止まり返事をした。
「あれ」左前方のなだらかな坂を下った辺りを指し「一緒に入ろう」
「あれって……ミラーハウスですか?」
 外観に鏡は使われていないが入り口及び出口の上に大きくミラーハウスと書かれた看板が有る。
 建物の高さは低いが、ようは迷宮なので広さはかなり有りそうなミラーハウスは出入りする客はおろか従業員も居ないようだ。
 迷子になり出られない子供が居たらどうするのだろう。そんな心配の要らない程チープな作りなのか。
「入りたいんですか?」
「うん、一緒に」
 聞き込む対象が居ないのだから一緒にアトラクションを楽しめると踏んだらしい。
 情報が落ちている筈が無いとなると行く理由なんて1つも無い。そうわかっているのに。
「行きましょうか」
「うん!」
 3時間の運転は交代するにしても厳しい――特に帰りはどうなっているかわからない――からとバスに乗ってきたので、帰りのバスを乗り逃がすと大変な目に遭う。しかし未だそんな時間ではない。
 ミラーハウスを抜けてホラーハウスまで行って入って出てバスの発着所に向かっても間に合う。フーゴは心の奥底でどうせホラーハウスにも手掛かりは無いだろうと思っていた。
 だから了承し、早速走り出したナランチャの後を追い掛ける。
 舗装されていないがカラリと晴れているので歩きやすい坂道を下り2人で入り口の前へ。
「どっちかが出口から入る、とかやる?」
「他に利用者も居ないみたいだし構いませんよ」
「あーでも結構広そうだなあ。迷ったら困るからやっぱり一緒に入るか。一緒に!」
 そう言って入って行ったのでフーゴもそのまま入り口から入った。
 半ば無理矢理に連れてきたのだから流れで手を繋ぐなり腕を組むなりしてきてくれても、という思いは中の様子を見て消える。
「これは……」
「すっげー!!」
 ナランチャが声を上げてはしゃぐのもよくわかる。辺り一面が鏡なので大勢『自分達』が居る。遠くにも近くにも、あちらこちらを向いた姿。
 鏡の1枚1枚の大きさ――横幅――は2人分以上有る。微妙に奥まった所に有り利用者が少ないのか、それとも小まめに丁寧な清掃が入るのか、どの鏡も指紋1つ付いておらずピカピカという擬音が似合った。
「いてッ」
 ゴンと言う音の方を見るとナランチャが額を押さえている。
「何をやっているんですか……」
 早速ぶつけるとはコントでもあるまいし。
「だってこっち通れそうじゃん」
 そう不貞腐れる彼は目の前に居るようでもあり、もうかなり離れているようでもあった。
 幾重の鏡に写るナランチャの虚像達の中で1つだけ本物の彼は、この手の届かない所に居るのかもしれない。
 鏡の世界なんて有り得ない中に取り込まれてしまったような不快感に顔を歪める自分の姿も沢山の鏡に写っている。
 こんな顔を、こんな姿をしているのか。
 釣り合えているだろうか。この細い腕で守れるだろうか。そんな驕りのような事を考えて足を止めていた。
――ゴン
 現実に引き戻される鈍い音。
「いってぇー……」
 遂にはしゃがみ込んで頭を抱えている。
 頭を抱えたいのはこっちだ。そう言う代わりに盛大に溜め息を吐いた。
「いいですかナランチャ、上か下を見て歩いて下さい」
「上か下ぁ?」
 立ち上がり早速上を向く。鏡の縁同士が繋がっていない所は通れるし、天井には非常口の案内灯も火災報知器も付いている。
「あと片手を付いて歩くのも有効ですね。これだけ綺麗な鏡なら触るのを躊躇いますが――」
 どうやらナランチャの辞書に躊躇いの文字は存在しないらしく、早速右手でベタベタと鏡を触りながら歩き出した。
 近付いてくる姿と遠く離れる姿。消えてしまう姿も有る。
 フーゴも右手を伸ばした。ナランチャが写っている、しかしただの鏡。ここには居ない。
「いてっ」
 触れている鏡が驚きの声を上げた。
「またですか」
「仕方無ぇだろー何か蹴っちまったんだもん! 驚いただけで別に本当に痛いとかじゃあなかったんだけどさあ」
 鏡に写るナランチャが自分の足元を指す。
 真上を向いたまま歩いていたのだから確かに仕方無い。だが片手を付く事にしたのだから上を向く必要は無かったのでは。
「ったく、何でこんな所にこんなもんが有るんだよッ!」
 声音の割りには優しく、しかし改めて蹴り上げたのは。
「……三角コーン?」
「ミラーハウスに三角コーンなんて可笑しいじゃあねーか」
 機嫌が直らないのか丸みを帯びた先端をげしげしと何度も踏み付けた。
「そこの鏡が割れているんじゃあないですか?」
「これが?」
 蹴るのを止めてしゃがみコーンを、次いでそれに塞がれた鏡を見る。
 ナランチャのようにはしゃいだ子供がぶつかり割れてしまったから危険、という事ではないかと思ったのだが、そのナランチャが首を傾げているので違うらしい。
 1番上まで見上げているが、ヒビの1つも入っていなさそうだ。
「何も無ぇけどなぁー……でも三角コーンが置いてあるって事は近付いちゃあ駄目って事で――」
 話しながら鏡を押してナランチャは息を詰まらせた。
 すぐ目の前の鏡の中で、実際にはやや離れた所で、1枚の鏡が動いた。その先は真っ暗にしか見えないが、黒い壁ではなく空間が広がっているのがわかる。
「フーゴ、これ……」
「隠し扉……まさかこんな所に、こんな単純な隠し方で……今そっちに行きます」
 言ったは良いがナランチャは決して目の前に居るわけではない。鏡の中に入る事が出来ない以上『今』行くのは難しい。申し訳無さは有ったがよく磨かれた鏡に右手を付く事にした。
 ナランチャの姿を写しているが、触れれば当然平らで冷たい。鏡の中の狼狽える姿に早く辿り着きたい。野生の勘がそうさせるのか忠告せずともナランチャは開いた先へ進もうとも、更に押して開こうともしない。
 自らの心臓の音が煩かった。他の利用客や常駐の従業員が居ないだけでなく、BGMが流れていない事に漸く気付いた。急にここがアトラクションとしての役目を終えて朽ち果てるのを待つだけの場所となってしまったような、そんな不気味さを覚える。
 数回曲がった所で漸く鏡が写すそれではない本物のナランチャの所へと来られた。
「……開けても、入っても良い?」
 ナランチャが立ち上がり、動く鏡に改めて触れる。
「ええ、入りましょう」
 虚像ではなくナランチャ本人が目の前に居る。彼を守る為に幾らでも強くなれるから大丈夫だ。鏡は押されて動き開かれた。
 中は『部屋』になっていた。かなり広く、恐らくだが外から見たミラーハウスの3分の1程はこの部屋が占めている。
 窓は無く部屋は暗闇に包まれている。換気が出来ないだけあってカビ臭い。
 誰も居ないし、暫く誰も利用していないであろう寂しさが感じられた。
 人間だけではなく蜘蛛や鼠の子1匹も入り込まない部屋らしい。埃が大量に積もり固まっている部分も有るので足を踏み入れるのが躊躇われる。
「何だこれ」
 フーゴと違い相変わらず躊躇する事の無いナランチャがズカズカと入り、落ちている物の前でしゃがんだ。
「服?」
「恐らく」
「でも滅茶苦茶デケーよな、これ」
 指差すだけで流石に触らない。
「人間の服じゃあないんでしょう」
 小洒落たデザインのTシャツの形をした布。但しとても巨大でフーゴとナランチャともう1人、チームの新入り辺りなら3人でこの1枚を着られる。
「この遊園地のマスコットキャラクターの物じゃあないでしょうか」
「ますこっと?」
 ナランチャはこちらを向き眉間に皺を作った。
「……ああ、あの犬みたいなやつか」
 送迎バスが到着した際に出迎えてくれた、その後も園内を巡り利用客と戯れる着ぐるみがこの遊園地にも居る。
 あの着ぐるみに着せるとすれば丁度良さそうなサイズだ。
 床に1着だけ放り投げられている理由はわからない。見渡す限り他に服と呼べる物は無い。
 他に置かれているのは暫く人の座っていなさそうな椅子が1脚と、上に散らかされた物ごと埃を被っているテーブル。奥の方には空の段ボール箱が幾つも有った。
 空だとわかるのはどれも積み重ねられてはおらず、蓋も開けられているから。何が入っていたのか箱だけではわからない。
 それよりもテーブルの上の物だ。フーゴは両手の拳を軽く握って覚悟を決め中へ踏み入った。早速靴の裏がベタ付く。
「なあ、それ……何?」
 オブジェか否か、縦に長い形状で上から順に小さな皿、それよりも少し大きな皿、管を生やした細長いガラスの中央部分。中央部分は壷のように膨らみが有る不思議な物体。
「煙管(キセル)の一種、だと思います」
 誰が使ったのかもわからない、何よりくしゃみが出そうな程に埃を被っているので触れたくない。が、恐らくそうは言っていられない。
 フーゴはテーブルの上に放置された何も入っていない煙管を指先で、爪の先でトンとつついた。
「煙管って映画やテレビで煙草吸うのに使ってる煙管? 形全然違うじゃあねーか」
「水タバコ用のパイプ、と言った方がわかりやすいでしょうか。これも君が想像している物も、どちらも煙管の仲間です」
 爪の先は汚れたがそれ以外に手が痺れる等の症状は取り敢えず出ていないので1番上の小さな皿に触れる。
「ここに煙草を、君が煙草と言って想像する紙煙草の中身の葉に近しい専用の物を乗せて火を付けます。出てきた煙は重たく下に落ちる」次いでガラスの膨らんでいる箇所を触れて指し「ここに入っている水を通して冷やします」
「煙草の煙を下で冷やしてから吸うって事?」
「その通り。何がどう違うのか、僕は吸った事が無いのでわかりませんが」最後に管の先の金属を――ここは触れずに――指し「ここに口を付けて吸い込む」
「じゃあその上の方の皿は?」
「恐らくですが灰の受け皿だと思います」
 成る程と言ってしゃがんだままナランチャはまじまじと眺めていた。
「……君は麻薬と言えば注射器で打つ物、というイメージが有ったりしませんか?」
「有る」
 病院で医療行為として、鎮痛剤として正しい用法容量で使う物ならば湿布状に貼り付けて薬剤を吸収する物も有るし、油やバターで溶かし菓子に混ぜ込み食べるという方法も有る。
 そして他の方法も。
「今の時代専用のパイプが無いからこれを代用していたのかもしれない。綺麗に洗って拭いた後かもしれないが、そうでないとしたらこんな部屋に放置しているのにここに水垢1つ付いていないのは可笑しい」
 再びガラス部分を差す。外側は埃に塗れているが内側は汚れが無い。そしてナランチャの顔が写っていた。
「勿論水タバコなのに水を通さずに吸っていたのかもしれない。でも……気化させてパイプ状の物で吸引する、煙草以上に依存性が強い物は存在する。例えば――阿片(アヘン)」
「阿片?」思い当たったか表情を険しくし「……アジアの麻薬だ」
「そう、その阿片。アジア圏だけの物じゃあない。アメリカやイギリス等でも規制される前は広く使われていたし、今はアジアでも、素となる芥子(ケシ)を栽培している国でも阿片の摂取は規制されている」
 他の麻薬同様鎮痛作用が強く医療現場で使われていた。しかし麻薬は痛みを取り除くのではなく、上回る多幸感で塗り潰す。
 阿片もまた幻覚作用を用いた緩和の筈が、病気も何も無い金持ちが手っ取り早く幸福に満たされる物となった。
 成る程、『ここ』を使っていたのか。
 鏡の中の世界は、現代の阿片窟。
「……でも栽培って事は阿片になる植物が有るって事だよな? ここには葉っぱも育てる土も何も無いぜ?」
「ここで栽培していたわけじゃあないでしょう。日が一切射し込まない」
 照明こそ有るようだがそれだけでは質良く育つかわからない。麻薬の質等考えたくもないが。
「転がっている段ボールの全てが阿片だったり芥子の実だったりすれば取引に使用していたと思えなくもないですが、この部屋はここ以外にドアが無いから警察なり何なりが乗り込んできたら先ず逃げられない。ミラーハウスに誘い込む売り手が居るとしたら、そいつは圧倒的に賢さが足りない」
「そういうもん?」
 コイツもまた賢さが足りないな、と一瞬思った事を恥じてフーゴは目をナランチャからも彼が写る煙管のガラス部分からも逸らす。
 遊園地をそんな所にしたくないと思っているのだろう。
 こんなに楽しい場を穢したくないと。あれだけはしゃぐ姿を見せられて、気付けない程に人の心がわからない筈が無い。
「だから恐らく、あれらの段ボールの中身を何かする為に出掛けると称してここに入り1人で、あるいは極小数の仲間内だけで阿片を吸引していたのでしょう」
 嗚呼これではナランチャを傷付けてしまう。フーゴは必死に続く慰めになるような言葉を考えた。
「もしかしたら本当に合法の水タバコを吸う為に使っていた喫煙所かもしれない。吸っていた人間が1人しか居なくて、退職してしまったからここに置かれているだけかも。これは持ち帰って調べてもらいましょう」
 持ち運びに不向きな大きさをしているが鞄に何とか入らない事も無い。だから紙煙草が主流なのだろうと思いながら埃に汚れきったそれを鞄に無理矢理に押し入れる。
「余り手入れされていないようだから何を燃焼させていたのか、もしかすると使った人間もわかるかもしれません」
 そこまでの科学力は現代では形成されていないが、組織内のスタンド使いを当たれば不可能ではない。
「……阿片じゃあないと良いな」
 寂しげな呟き。
「そうですね。でももし阿片を吸うのに使われていたとしたら、高飛びした何よりの証拠になる。使っていた人間はもうこの遊園地には戻ってはこないし、卸していた者も暫く使用していなかっただけに不審に思い距離を置く筈です」
「そういうもんなのか?」
 園内のアトラクションを隅々まで確認するような大規模な点検が行われても可笑しくないのに着ぐるみの服まで放置しているのは絶対に捕まらないという自信が有るからだろうか。
「ミスリードかもしれない。着ぐるみの従業員に罪を擦り付けようとしているのかも」
「フーゴ?」
「何でも有りません。僕が今考えても仕方無い。取り敢えず今この遊園地は健全な場所です。それを貴方が見付け出してくれました」
「そっか!」
 心底嬉しそうな声だったのでナランチャの方を見る。彼は眩しく笑いながら立ち上がった。
 遊園地に遊びに連れてきてもらった子供達も同様の笑顔を見せるだろう。遊ばせている間に親がおぞましい取引を、という事が無い。万が一過去に有ったとしても今は絶対に無い。
「安心して帰れますね」
「おう!」
「今から向かえば帰りのバスにも余裕で間に合いますし」
「って事は別に今『すぐ』じゃあなくても大丈夫だよな? 何か1個位一緒に乗る時間有るよな!?」
 ミラーハウスより更に奥に未調査のお化け屋敷なら有るが、そこまで行き中を見てバス乗り場へ戻ると帰りのバスに間に合わない。中に入らなかったとしても間に合わないかもしれない。フーゴは首を横に振った。
「無理そう?」
「今日の任務はもう達成として帰るべきだと思いますよ」
「オレ短いやつでも良い。フーゴと一緒なら何でも良いから」
「……調査と関係無く未だ遊びたいと言う事ですか?」
 お化け屋敷に対して乗る時間と間違って表現したのではなかったのか。
「乗り場の近くで誰も並んでいない物の1つ位なら構いませんよ。でも行列になっていたり、あと時間が掛かりそうな物は諦めて下さい」
 ここから乗り場まで向かうのに掛かる時間を考えれば切羽詰まってこそいないが余り悠長にはしていられない。
「乗り場に1番近いやつって最初に乗ったやつだよな? って事はゆっくり上がって一気に落ちる高いやつだ。フーゴあれ乗れる? 怖い?」
「僕が乗れるかどうか関係有るんですか」
「乗れないんだったら違うやつにする。それにあれ確か2回分位並んだし。あーでも、その次乗ったやつってぐるって回るから結構時間掛かるやつか」
 困ったなぁと言わんばかりに腕を組む。
「ああ、あれですね。この時間はそっちも行列が出来ていそうですね」
 不貞腐れるのが目に見えているので宥める声音で言いながらフーゴは鞄を持ち直しミラーハウスの隠し部屋から出た。
 アジトに着く前に誰かに見付かったら水タバコを吸ってみたかった、と適当な事を言おう。煙草自体を入手出来なかったのでインテリアにするとでも言ってしまえば良い。
 続いてナランチャも部屋から出てくる。
 靴の裏が汚れて滑るのかふらつき腕を掴まれた。
「大丈夫ですか?」
「……大丈夫」
 そうは言うが放さない。
 アトラクションに乗って大はしゃぎして、しかし降りてから共に乗りたいと言っていた。折角その機会に恵まれたのに、結局取り上げられそうで面白くないのか。
 その気持ちはわからなくもない。
 僕だって……君と遊園地に来たのだから。
 ここで自分がそんな気持ちを吐露するわけにはいかない。そういった考え方をするのはナランチャ1人で充分だ。自分は彼より長くギャングをやっている。
「また……から、大丈夫」
 額を肩に押し付けてくる。聞き取れなかったので「今、何と?」と尋ねるとすぐにその顔を上げた。
「またフーゴと、今度は遊びに来るから大丈夫ッ!」
「そうですか……って、え?」
「今度はデート! 朝から晩まで掛けて、2人で全部乗るッ! 面白そうなやつは2回乗るッ! 帰り間に合わなくなったら困るからアトラクションとアトラクションの間はダッシュで――痛っ」
 腕を引き歩き始めて早速鏡に肩をぶつける。
「気を付けて下さい」
 フーゴは隠し部屋に続く鏡の前に三角コーンを置き直してから、鏡の1つに手を付いた。
 天井や足元を見るよりも片手を付く方が道がわかっているように思われるのでは、という見栄の張り方。ナランチャは腕を掴んだままついてくる。
 ぶつからないように次の鏡に触れて、当然のように指紋の付いてしまった鏡を見て、綺麗に拭く清掃係が居るのか否かを考えた。
 特殊なワックスのような物が塗られていてちょっとやそっとでは指紋を含めた汚れが付かないようになっている、というわけではなさそうだ。当然のように付けてしまった指紋が見える。
 清掃員が三角コーン――の先の鏡、またその部屋――を放置しているのは何故だ。指紋等の汚れが『付かない』仕組みが無いだけで、『消える』ような何かが施されているのか。便利な清掃用品ではなく、隠蔽に向いているスタンド能力か何かで。当然答えは出ない。
 片手を付いて歩けばぶつからないが近道は通れない。必ずしも遠回りになるとも限らないが、下手をすれば出口ではなく入口に向かってしまう。
 思考的にも物理的にもその1番最悪な道を歩いているのでは。
「ナランチャ……これは、わざとですからね」
 先に宣言してみた。
「え? 何が?」
「遅れたら困るのでそうならない程度に、その、わざとゆっくり出口に向かっているんです。ここは……アトラクションの中ですから」
 何故簡潔に言えないのだろう。
 難しくてわからない、と言われてしまうかと思った。しかしナランチャはニコリと、寧ろニヤリと笑った。前を向いていても多数の鏡がくっ付いて歩くナランチャの意地悪な笑顔を写す。
「今日は仕事仕事で1個しか一緒にアトラクション入れなかった、って事で今度またデートしに、絶対一緒に来ような!」
 フーゴが言いたかった事を全て臆面も無く言い切れるナランチャが羨ましかった。


2019,08,30


利鳴ちゃんが誕生日に海に行くミスジョル達をくれたので、山に行くフーナラを書いてみました。
一緒に山の中の遊園地にも行きましたし。楽しかったです。
有難う、そしてお誕生日おめでとう。君の本命カプは働かせておいたよ。
<雪架>

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