眺めの良い貴方


 6時間目の授業は理科室での実験だった。
 その帰り道、教室へ向かう途中の廊下で、窓が開いていたからふと目を向けた。
「うわっ!?」
 文字通りぎょっとして、変な声が出た。
「田沼君? どうしたの?」
「あ、いや……別に……」
 隣を歩いていた――一緒に戻ろうという約束はしていないが、大抵田沼の隣を歩いている事が多い――クラスメートの女子が不安そうに尋ねてくる。
 気遣わせては申し訳無い。取り敢えず見なかった事にしよう。
 見なかった事に。見なかった……事に。
「何だ、あれ」
 結局声に出してしまった。
 不気味だったワケではなく、寧ろ綺麗に部類されるのだが……あの違和感が有り過ぎる光景は驚かざるを得ない。
 帰りのホームルームはその事で頭がいっぱいになって何も聞かずに終わりそうだ。
 教室に入る時には思わず頭を抱えていた。
 そして帰りにもう1度見ようと思っていた。

 2階から見るには少し低い位置の木。
 そこに1人の少女が座っていた。
 女性と呼ぶには未だ若いが、少女と呼ぶには少し年が上にも見えるが、取り敢えず少女と形容しておく。
 少女は格別太い枝に腰を掛けて、校舎側でも校庭側でもなく、どこを見るでもなくぼんやりとしている。
 長い黒髪が風に揺られていた。
 紺色のセーラー服のスカートのプリーツも揺られていた。
 白い肌が綺麗な少女のそんな姿は、1枚の絵に閉じ込めて飾っておきたい程。
 しかし……幾ら背が低い木とはいえ、こんな真昼間によじ登って腰掛けているのは可笑しいだろう。
 そもそも、少女だけならば絵になるかもしれないが、こんな野暮ったい高校の木に居るのは激しく違和感が有る。
 故に田沼がそれを見て思わず声を上げたのは当然と言えば至極当然だった。

 授業が全て終わり、掃除当番も終わり、帰宅する時刻。
 あの光景――他校の女子高生らしき人が木に座っていた――を結局忘れられない田沼は廊下へ出て先程の木を見てみた。
「……あれ」
 居ない。
 下校時刻になれば帰る人々に見付かるからと逃げ隠れたのだろうか。
 否、偶然とは言え開け放たれた窓からよく見えるあの位置、他に誰も気付かない筈は無い。
 だのに誰1人あの少女の事を口にしない。
 皆には見えていない?
 夏目じゃあるまいし人に見えないものが見えるなんて有るだろうか。
 ぼんやりと感じることくらいは出来るが、あんなにはっきり見える事は今まで無かった。
 ……はっきり?
 はっきり見えていたのだろうか。あれは、はっきりだったのだろうか。
 思い返せばそんなにはっきりと見えてはいなかった気がする。
 寧ろ儚げを通り越しておぼろげですら有った。
 もう1度見てみる。少女が腰掛けていた木を、目を凝らして見てみる。
「ん……」
 違和感。
 そこにもやが立ち込めている様な、羽音の煩い小さな虫が集まっている様な。
 何かが、居るのかもしれない。
 人ではない、妖――あやかし――と呼ばれる何かが、そこに座っているのかもしれない。

 妖・妖らしい存在に近付くと体調がすぐに崩れてしまう。
 例外は夏目の飼ってる、あの太った猫だ。
 名前は忘れたけれど、取り敢えずタヌキの様な猫なのでポン太と呼ぶとして、ポン太は抱えようと会話をしようと腹を下す事すら無い。
 こんな事を目の前で言えばポン太は怒るだろう。
 先ずはその呼び方を改めろと怒り、次に漸く自分を低級な妖と一緒くたにするとは何事だと暴れそうだ。
 小奇麗な顔をした夏目とポン太の組み合わせは、やっぱり思い出すだけでも不釣合いで笑いがこみ上げる。
 危うく思い出し笑いをしてしまう所だった。それ位に似合わない、けれど仲の良い2人。……1人と1匹か?
 ポン太を除けば……前に校門の辺りに居た2つの影も平気だったし、それ以外にも大丈夫な事が何回か有った。
 特に相手がこちらに気付いたかの様に近付いたり何なりをしてきた物が駄目らしい。
 先程のセーラー服の少女の様な『それ』は、こちらに気付いていなかった。
 目は合わなかったし、見る前と見た後と、微動だにしていない。
 田沼「関わっていない」という扱いになり、つまりは体調に変化が出ないという事だろうか。
 あの時はあんなにも人間の様にしか見えなかったのに、今は間違っても人の形には見えない。
 それでも、そこに何かが有る様に、誰かが居る様には見える。
 黒くて長くて美しいあの髪を、季節に釣り合わない心地良い風になびかせているのだろうか。

 西村は風邪で欠席、北本はどうやら用事が有るらしく、夏目は一人で帰ろうと玄関で靴を履き替えていた。
 北本がどうしているか1組を覗いたのだから、ついでと言っては悪いが田沼が居るかどうか見てくれば良かったと後悔しつつ、校門を出る。
 と、まるで考えが伝わったかの様に田沼の後ろ姿が見えた。
「あれ……何見てるんだろう?」
 学ラン姿の背中は見上げたりやめたりを繰り返している。
 あの挙動不審振りは人違いかもしれない。学ランなんて学校に居れば皆が着ている物だ。
 しかし細長い――夏目自身も細いと言われるが、それにプラスして長い――体躯は田沼に違い無い。
 前を見ない様に顔を見られない様になんて理由で伸ばしていそうな黒髪もそうだ。
 ……もしもそんな理由で伸ばしているのだとしたら、ここに来る前の自分と同じだと自嘲しかけて、夏目は顔を確かめようと歩み寄る。

「田沼」
「あぁ、夏目。……丁度夏目の事を考えていた所だから助かった」
「え?」
 そんな言葉を吐きながら目を細められては誤解する女子が多数居そうだと心の隅で思った。
「うーん……取り敢えず、あれ見える?」
 田沼に顎で指された方――上――を見る。
「ッ!?」
 息を呑んだ。余り背の高くない木の太い枝の上に、1人の少女が座っていたからだ。
 少女と形容しておいて、随分と大人びて見えている気がした。しかし紺色のセーラー服を着ている辺り同い年かその辺りだろう。
「あの人、何であんな所に……しかもあのセーラー服、うちの学校のとは色が違うし、それに……」
 それに、こちらを見ている。

 彼女は夏目を見ているのか田沼を見ているのか。
 綺麗と呼ばれるタイプの顔立ちは無表情で居ると、それだけで不愉快そうに見られやすいが、木の上の少女の顔はまさにそれだ。
 睨み付けているとは言えないが、良い感情を持っていない様にも見える。
「人に見えるか?」
「田沼?」
「いや、おれも最初はそう見えたんだけどさ。でも今はちゃんと見えなくて。何かこう…もやもやっとして何かが居るんだろうなぁっていうのは見えるんだけど」
 その言葉を聞いて夏目はもう1度見上げる。
 意識して見ると……成る程、人間ではない気がしてきた。
 人間を真似た妖というよりも寧ろ人形を真似た妖かもしれない。
 肌の色が全て同じだ。日焼けしやすい鼻の頭も、日焼けしにくい鎖骨の下辺りも、影があって然るべき首や血の透けて見える唇でさえも。
「田沼にも見えたのか……」
 どの位はっきり見えたのだろう。見えたという過去形から考えれば、今は余り見えていない様子だが。
「あそこから、あの窓開きっ放しだろ? あそこから見たんだけど、別の学校の制服着てる女子だった。髪の長い」
「そうか……おれにもそう見えてる。そして、こっち見てる。降りてこようとはしないけどずっとこっちを見てるよ」
「おれが見た時はこっち側――玄関と校門の間――を見ていなかったから……夏目の事でも見てるのか?」
「いや……わからないけど、田沼を見てるのかもしれない」
 多分それは、負の感情ではなく。
「何だか無表情だけど、きっと田沼の事が気になるんじゃないかな」
 恐らく夏目が来る前からこちらを見ていたのだろう。
 田沼に気に掛けてもらえたと思って、こちらを見ているんじゃないかと夏目は勝手な解釈をしてみた。
 もしも自分があの木に上ったら、上から田沼を見下ろしてみたいから。

「そうだ田沼」
 瞬き1つしないでこちらを見ている妖は置いておいて。夏目は真横に立つ田沼に声を掛け直す。
 少し見上げる形になる身長差。これはやはり1度位、見下ろす側になってみたい。
「一緒に帰らないか?」
「構わないけど、北本は? あ、あいつ4階だかに用が有るって走って出てってたっけ。もう1人の奴は……名前何だっけ、あのちょっと小さい奴」
「西村」
 ちょっと小さいなんて失礼な!
 そう思うのは、夏目が西村と殆ど背が変わらないからだと気付いているので言わなかった。
 確かに平均身長――寧ろ、それ以上――は有る田沼からすれば『ちょっと』小さくも見えるだろう。
「西村は今日休んだんだ」
「風邪?」
「昨日まで元気そうだったし、この前親戚がどうのって言ってたから、多分忌引きだと思う」
 答えながら夏目はふと、北本の用事を知らない事に気付いた。明日にでも聞いてみようか。西村が登校したら、それもあわせて。
「そうか。じゃあ一緒に帰るか」
「うん、送ってくよ」
「何言ってるんだ夏目、おれが送っていくよ。……あの妖、放っといて良いのか?」
「襲ってきたりはしないから大丈夫だろう。もしもおれに用が有ったら、あんなに大人しいんだから後から家に来るなりするんじゃないかな」
 もう1度田沼は妖が居る辺りをぼんやりと見上げた。
「そういうものなのか? まぁ結構綺麗な顔してたし、悪い奴じゃないのかもな」
「人を見た目で判断するなよ」
「全くだな」
 笑い合いながら、妖に背を向けて歩き出す。

 続く会話は互いのクラスの事やら家での事やら。思春期らしい異性の話はなかなか出てこないが、それでも人間の青春を謳歌するもの。
 余り大声で自分から喋るタイプじゃない2人が揃うと無言が続くが、決して気まずい時間ではない。
 もうそこに自分の話は出てこないのだろうと思いながら妖は何も言わなかった。
 ただひたすらに眺めていた。肩を並べて歩く2人を。
 人間の中でも見目の良い2人が揃うと目の保養になる。
 ましてや揃ってこちらに気付いていた。気付いているのに触れようとしない、煩わしくない人間達だ。
 高過ぎないこの木に感謝しなくては。
 ゆっくりと妖の腕が伸び動いて木を撫でた。セーラー服の袖からずっと続く腕の長さは人間のそれとは全く違う。
 木は木で、きっとその妖を羨ましく思うのだろう。この地を離れて色んな世界を見ながら生きていけるのだから。


2010,04,14


『眺め』は見る事と見られる事を掛けたつもりが上手く掛かっていないので此処でネタばらし。
大晦日更新を目指して書き始めて、まさかのオレンジ・ブラックデー更新。
理由は妖さんの登場を大幅に削ったから。短い話が書ける様になりたい。
二次創作でも人が死ぬ話は嫌いなのに、風邪とか怪我とか病気以外で学校を欠席する理由が忌引きしか思い付かなかった…
しっかしこれじゃ妖は単なる腐女子だなぁと我ながら反省しています。
<雪架>
あ、このジャンル名前見たことある。
と思ったのにどこで見たのか全く思い出せないわたしです。
知らないジャンルでもセツさんの文章で見ると興味沸いてきます。
原作は漫画……ですよね。今度読んでみようかなぁ。
この妖さん、腐女子? と思ったら、なんか間違ってなかったみたいで、ちょっと笑っちゃいました。
あと、タイトルいいなぁと思いました。
<利鳴>

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