フーナラ 全年齢


  最良の贈り物


 ふと肌寒さを感じて顔を上げると、窓の外はもう薄暗くなりかけていた。そう思ってみれば、手元の資料も少々見辛くなってきている。1年の内で最も日照時間が短いとされている日――ここイタリアでは聖ルチアの日がそれとされがちであるが実際にはもう10日ほど後だ――は過ぎたばかりだが、それでもまだまだ日が落ちるのは早いなと思いながらペンを置き、明かりを付けようと腰を浮かせかけた時だった。
「フーゴってさぁ」
 実際の年齢よりも幼く聞こえるような少し高めのナランチャの声が言った。テーブルの上で腕を組んで、その中に顔を突っ込んだような姿勢で発せられた言葉は、篭ったような音になって少々聞き取り難い。しかもその後に続いた単語は、フーゴが全く予想しなかったものだった。
「サンタクロース」
 ファンタジーめいたその響きに、フーゴは思わず眉をひそめた。
(サンタクロース?)
「って、何歳まで信じてた?」
 ナランチャは相変わらず突っ伏したような姿勢のままだ。声をかけられていなかったら、居眠りをしていると思ったかも知れない。
「なんですか急に」
 と返してから気付く。ナランチャのその発言は、急でもなんでもなかった。
 忙しくて忘れかけていたが、明日はクリスマスだ。街を歩けば嫌でもツリーやリースの飾り付けが目に入るし、耳にはクリスマスソングの軽快なメロディが飛び込んでくる。まっとうな道を外れ、信じられるような神も持たない彼等には縁遠い行事であっても、その存在を全く認識しないというのは、おそらく無理なことだろう。
 それにしても、他にも関連するワードはいくつもあるだろうに、17にもなって――それもギャングが――『サンタクロース』とは。
 小さくため息を吐きながら、フーゴは再びペンを手にした。
「うちの親、そういう人じゃあなかったから」
 あまり良い思い出のない実家を思い出しながら、彼は素っ気なく――極力そう聞こえるように――答えた。
 プレゼントをもらったことはあった。いや、むしろ家を出る前のクリスマスまで、きっちり毎年もらっていたのではなかったか。ただし、それは分厚い本だとか、優れた書き心地を売りにしたペンだとか、そういう物ばかりだった。華美なラッピングすら目にした記憶がない。普通の子供なら、それをクリスマスのプレゼントとは思わなかっただろう。そしてもちろんそれは、『親からのプレゼント』でしかなかった。『サンタクロース』なんて単語は、一度でも両親の口から聞いたことがあっただろうか。
 だが、フーゴにとってはそれが当たり前だった。物心付いた頃には、一夜にして世界中の子供にプレゼントを配って廻る赤い服の老人と空を飛ぶトナカイなんてものは『ただの作り話』でしかないのだと、すっかり理解していた。最初から信じていなかった。だから失望した記憶もない。
「『浮かれてる暇があったら勉強しろ』……。実際に言われたことはないけど、言っている姿は容易に想像出来ます。そんな両親から生まれた子供のところに、サンタクロースなんて来るはずがない」
「そっかぁ」
 そう返したナランチャの口調は、この話題を楽しんでいる風には全く聞こえない。その理由は、すぐに判明した。
「オレも母さんが死んでからはそういうのなくなっちゃった」
 ぽつりと呟くように言ったその声は、穏やかでありながらもどこか寂しそうだった。
 「サンタクロースの正体は父親である」なんて話はよく聞くが、彼の場合は、我が子に関心を持たぬ父親ではなく、母親がそうだったのだろう。そして彼女の死とともに、『ただの作り話』は現実へと消えた。彼のクリスマスの記憶は、亡くした母との記憶とイコールなのかも知れない。
 彼女が息を引き取るその直前まで――あるいはその次のクリスマスが迫ってくるまで――は、少年は心からサンタクロースの存在を信じていたのだろうか。確か、ナランチャの母親が病死したのは、彼が10歳の時。翌年には中学生になろうというその年齢を考えると、もう少し早く「サンタなんていない」と気付いてもおかしくないようにも思うが、長く信じている子供であれば、そのくらいは普通なのだろうか。母親の闘病期間が長ければ――1年以上続いていたら――、煙突からの不法侵入を歓迎される稀有な人物の消失はもっと幼い頃に起こっていたという可能性もあるかも知れない。なにせ自分が無縁のまま過ごしてきて周りの人間とそういう話をしたこともないものだから――親しく会話をする同級生なんていたことがない――、一般的にどうなのかがフーゴにはよく分からない。
 とにかく、まだ純粋な気持ちでそれを信じていた頃、そんな子供の頃の幸せな記憶を、街を彩るイルミネーションや音楽に、望みもしないまま引っ張り出されたのだろう。それで珍しく感傷的になっているといったところか。普段見せないだけで、そういう一面はきっと彼にも――誰にでも――あるに違いない。
 だが、彼にはむしろ街の浮かれた雰囲気に便乗してはしゃいでいるくらいの方が似合っている。フーゴは「そんな姿を見てみたい」と思っている自分に気が付いた。その理由はと、今更考えることは不要だろう。
 フーゴの願望は叶わないにしても、せめて大暴れ出来るような任務でもあれば、少年は『過去』からの一方的な干渉を受けずに済んだのかも知れないのに。クリスマスにはチンピラも休暇を取って愛しい家族の元へ帰っているとでもいうのか、定期的に舞い込んできていた揉め事の鎮圧の依頼等も、今日はたったの1件しか入ってきていない――そしてその1件も、退屈に殺されそうになっていた他の仲間がさっさと奪っていってしまった――。溶け込むことの出来ない街の中を独りで歩いて帰る気にもなれず、ナランチャは、することもないのにアジトに留まり暇を持て余していることにしたようだ。それでもなお、彼の意識は『クリスマスの記憶』から離れることは出来なかった――こうしてフーゴに“その”話題を振ってしまっている――。彼の気を紛らわせるには、どうしたら良いのだろう。いっそのこと、今からでも敵対している組織に喧嘩でも売りに……いやいや、流石に勝手にそんなことをしたら、“上”から叱られるどころの話ではない。今更「悪い子のところにはサンタクロースはやってこない」なんてジョークを面白いとは思わないが。それとも、サンタの衣装でも着て正体を隠したうえでの襲撃であればあるいは……? 真っ赤な服は、返り血を誤魔化すのにもちょうどいいかも知れない……?
(いや、普通にバレる)
 組織の力を舐めてはいけない。何があったか暴いてしまう能力の持ち主なんて、『どこにでも』はいないが、少なくとも同じチーム内にはしっかりいるのだから――今は仕事で外に出ているが――。似たようなことが出来る者が他にいない保証等どこにもない以上、いや、そうでなくても、馬鹿なことはするべきではない。サンタからのプレゼントの代わりに、暗殺者からの拳や鉛玉を望むのでなければ。
 フーゴが面白くもないジョークを考えていると、ナランチャは再びぽつりと言葉を発した。
「サンタ、本当にいたらいいよな」
 「そんなものはいない」と分かっているからこその発言だと、フーゴにはすぐに分かった。
「そうですね」
 半ば投げやりに答えて手元に視線を戻す。ふと「暗いな」と思った。そうだ、明かりを付けようと思っていたんだった。部屋の暗さが気持ちの暗さに比例するとは思わないが、この状態は、少なくとも視力には良くないに違いない。
 改めて立ち上がり、電気のスイッチへと近付いた。その途中、ナランチャの傍を通り過ぎた時、暗くなりかけているはずのその部屋の中で、何故か彼の表情だけははっきりと見えた。
 彼は笑っていた。
 寂しそうな笑みだった。
 その表情からフーゴは、積もることなく溶けて消える雪のような儚さを感じた。
「君の言うサンタって、なに?」
 気が付くと彼はそう尋ねていた。
 ナランチャは首を傾げている。
「なにも、本当に赤い服を着てトナカイに跨った髭の男から、靴下に入るサイズに限定された安っぽいプレゼントをもらいたいわけじゃあないんでしょう?」
「サンタはトナカイに直に乗らないと思うけど……」
「結局、楽しい気持ちにさせてくれる誰かがいたらいいのにって、そういうこと?」
 フーゴからの少々辛辣な口調での問いかけに、ナランチャは考えるような表情を見せた。そして、「そうかも」と頷いた。
 かつては母親がそれだったのだろう。だが彼女はもういない。しかし、『楽しい気持ちにさせてくれる誰か』は、子供が本気で信じているサンタクロースのような唯一無二の存在でなくても良いはずだ。だったら、
「ぼくじゃ、駄目ですか」
 少し声が裏返った。恰好悪い。だがナランチャは笑いもせず、驚いたように目を開いてフーゴの顔を見ている。電気を付ける前で良かった。この薄暗さなら、顔が赤くなっているのはバレていないかも知れない。
「フーゴが、オレのサンタクロース?」
 そう聞き返したナランチャの表情が、ふっと息を吐くように微笑みに変わった。サンタクロースからのプレゼントを受け取る資格がある『良い子』が見せるような、無邪気な笑み……ではなく、むしろその審査に引っ掛かりそうな、何か企んでいそうな、悪ガキの笑み。
「フーゴ、オレの『お父さん』になりたいのぉ?」
 せっかく人が気を使ってやったのに。
「んなわけあるか、この馬鹿」
 真面目に言って損した。っていうか空気が読めないのかこのガキは。
 フーゴが眉間にしわを寄せると、ナランチャは堪え切れなかったように噴き出した。フーゴは殴りたくなる気持ちを抑えながら、ふいっと顔を背けた。
「もういいです」
「ごめんごめん。ちょっとふざけただけじゃん。怒んなって。謝るからぁ」
 そう言いながらも、ナランチャはまだ笑っている。まったく、腹が立つ。しかし、少々小憎たらしさは残るが、そこにあった悲しみの色は消えたようだ。その点に関しては喜ばしいと言える。ナランチャには、その方が似合っている。だから、いいことにしよう。
 ナランチャは背けられた顔を追いかけるように廻り込んできた。
「サンタじゃあなくてもいい」
 「そんなものはいない」と言うように、彼は首を横へ振った。
「そんなのよりも、フーゴがいい。一緒にクリスマス、しよ」
 向けられたその笑顔が『クリスマスプレゼント』だ、なんて言ったら、きっともっと笑われるだろう。だがそれは、フーゴがこの十数年の間にもらったクリスマスプレゼントの中で、間違いなく最良の物であると断言出来る。
 仕事が終わったら――というか、さっさと終わらせてしまって――、売れ残りのクリスマスケーキでも買いに行こう。それを持ってフーゴの部屋――果たして片付いていただろうか――かナランチャの部屋へ……。いや、ナランチャが極力賑やかな方がいいと望むのであれば、そろそろ帰ってくるかも知れない仲間を強制的に――先輩権限で――巻き込んで、ここで“パーティ”をするのだっていい。サンタクロースが侵入する隙を見付けられず運搬作業に遅れが生じるくらい、一晩中眠らず騒いで過ごしてみようか。
「ケーキ、何にします?」
「今からでも買えんの?」
「ああいう物は作ったら作っただけ売れますからね」
「えーっと、じゃあチョコレートケーキがいいかな。そんで、イチゴ乗ってるやつ」
「あとは何か適当に食べる物と飲み物があればいいかな。サンタの衣装も買う?」
「えー、要らない。服は食えないし」
「判断基準そこなんですね」
「っていうか、もうサンタが来る年じゃあないしぃー」
「そう? 充分子供じゃあない?」
 先程茶化された仕返しにそう言ってやると、彼は頬を膨らませた。ほら、子供にしか見えない――仕返しなんかしている自分も大概ではあるが――。
「来年じゅーはち! フーゴより2つも上!」
「18? 来年成人とかちょっと信じられないんですけど」
「信じられなくたってそうだもん!」
 フーゴは「はいはい」とあしらいながら今度こそ――三度目の正直――と電気を付けに行った。その後を、ナランチャは文句を言いながら付いてきた。そしてフーゴよりも先に手を伸ばして、電気のスイッチを蓋をするように覆い隠してしまう。
「だからさ」
 ナランチャの声がすぐ耳元で囁くように言う。振り向くと、焦点を合わせるのが困難なほどの間近から、大きな瞳が見詰めていた。
「もっと大人のクリスマス、する?」
 そんなことを言う子のところには、きっとサンタは来ない。だが彼等は、「そんなものは要らない」と切り捨てたばかりだ。
 『最良のプレゼント』が早くも更新されそうな気配に、フーゴは作りかけの資料に添えるメモの文章を考え始めた。クリスマスらしく赤と緑のペンで、『急用が出来たので後はよろしく。Buon natale.』なんてのはどうだろう。


2019,12,24


何故かナランチャに「サンタクロース何歳まで信じてた?」って言わせたくなりました。
そしてそれしか思い付いてない状態で書き始めてしまったので短いのに時間がかかってしまいました。
でもクリスマスにはちゃんと間に合ったからいいよね!
<利鳴>

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