フーナラ 全年齢


  紫色の友達


 ひと仕事終えたナランチャがアジトへと戻ってきた時、リーダーの分を除いて誰の席とは決まっていない――そもそも人数分ない――机に向かっている者は誰もいなかった。時計に目をやると、いつもなら留守番のために誰か彼か“待機”している時間ではあったが、それも『絶対』というわけでもなく、“上”からの予告のない呼び出しや、急な私用のために無人になることは、多くはなくともありえないということもない。人の姿がないその光景に、ナランチャが違和感を覚えるということは少しもなかった。
 急な外出の予定以上によくあるのは、“休憩”だ。奥の部屋――応接室ということに“一応”なっている――のソファを使ったことがない仲間は、1人もいないと断言してしまって良いだろう。リーダー直々の指示でその気になれば仮眠すら可能なサイズのソファをわざわざ置いているくらいだ――ゆえに、部屋の名称は『休憩室』の方が相応しいのかも知れない――。
 出入り口の施錠がされていなかったこともあり、奥の部屋に誰かいることは確定と見て良いだろう。留守番の任をサボって居眠りをしているのは、果たして誰だろうか――確率が一番高いのはミスタだろうか。いや、リーダーの目がない時であれば、アバッキオもありえるかも知れない――と思いながら部屋を覗き込んだナランチャは、しかし予想外の姿をそこに見付けた。ソファに身を横たえて静かな寝息を立てている人物、それは……、
「フーゴじゃん。めずらしい」
 特にボリュームを落としたわけでもないその声は、眠っているフーゴの意識には届かなかったようだ。彼は寝返りをうつことすらなく、そのまま眠っている。
 年下の先輩であるフーゴの“真面目度”は、仲間達の中でもかなり上位である。少々キレ易いという難点がある性格をしてはいるが、それで仕事を放棄してしまうようなことはない。キレているわけでもない平常時であれば、なおさらのことである。だが、彼とて人の子である。ましてや、16歳になっていくらも経たぬ少年であるとくれば、午後の日差しの温かさに誘われて、抗い難いほどの眠気に屈することもあるだろう。少し前まで面倒な仕事に追われていたようでもあるし、きっと疲れているのだ。それから解放されて、さらには偶のリーダーも――控えめに言って――賑やかな後輩達も誰もいないというタイミングに気を抜いたからといって、それを咎めるような者はここにはいない――珍しさから茶化す者はいるかも知れないが――。それに、真面目であると同時に優秀でもある彼には、留守番と休憩の両立等、造作もないことなのかも知れない。
 そんな彼の安眠を妨害するつもりは、ナランチャには微塵もなかった。ただ珍しい光景に、もう少しだけ近付いてみようかという気持ちが沸き起こる。“真面目なフーゴ”が無防備な状態で眠っているところなんて、そうそう目撃出来るものではないかも知れない。
 ナランチャは、足音を立てぬように、フーゴが眠るソファへと近付いた。その顔を覗き込もうとすると、不意に、ソファの陰から音もなく、ひとつの影が現れた。それは、人に似た姿をしてはいるものの、明らかに人ではないものだった。
「うわぁッ!?」
 ナランチャは思わず声を上げなが跳びび退いた。
 それは、スタンドと呼ばれる特殊な能力の“ヴィジョン”であった。紫色の格子模様の体。ぎらぎらと光る目。獣のような唸り声。フーゴのそれは、パープル・ヘイズと名付けられている。極めて強力なウイルスを撒き散らすそのスタンドは、仲間はおろか、本体であるフーゴ自身も恐れているようで、滅多なことがない限りは出現させることがない……はずである。それが今、目の前にいる。
「なっ、なんでっ!?」
 スタンドを出現させる理由として真っ先に思い付くのは、“敵”からの攻撃を受けている場合である。だが、当のフーゴは、どう見ても眠っている。近くに他の者の気配は感じない。念のためにナランチャも自身のスタンド、エアロスミスを出現させ、レーダーで周囲を探ってみたが、不審な反応はひとつもなかった。まさか夢の中で戦っているのでは……――ただスタンドの夢を見ているだけなのか、あるいは夢のスタンドなんてものがいるのか……――。
 パープル・ヘイズはぐるぐると喉を鳴らしている。猫の仔が気持ち良さそうに鳴らすそれとはまるで違う、何かの警告のような音。狂気を纏って光る瞳は、はっきりとナランチャのことを睨んでいる。
「ちょ、フーゴ……」
 まさか本体の制御を離れ、暴走しているのでは……。助けを求めるべくフーゴに近付こうとした、その時、
「ぐるああアアァッ!!」
「ひえっ……」
 ナランチャは再び跳び退いた。人の言葉を持たぬスタンドの、その意思が今ばかりははっきりと分かった。すなわち、「近付くな」。パープル・ヘイズはなおも何かを訴えるような――脅すような――目をしている。
「なんなんだよぉ……」
 危険なものには近付かないのが一番である。だがもしもフーゴが危険な事態に巻き込まれて――それでスタンドを出現させて――いるなら、放っておくことは出来ない。
 とにもかくにも敵意がないことを示すように距離を保ちながら、ナランチャは「とりあえず落ち着こうぜ! なっ!?」と声をかけた。
「えーっと、言葉通じる? お前って今戦闘中? 近くに敵でもいるのか?」
 駄目で元々のつもりでそう尋ねると、意外にも、狂気しか感じないと思っていた鋭い目付きが、不思議といくらか穏やかになったように見えた……気がした。
(あれ……。もしかして、意外とコミュニケーション取れるんじゃね?)
 ナランチャは恐る恐るパープル・ヘイズの顔を覗き込んだ。彼はふるふると首を左右に動かした。
「戦闘中では、ない?」
 今度は首が縦に動く。
(おおお、言葉通じてる! なんかすげー!)
 まさか“あの”パープル・ヘイズと意思の疎通が可能であるとは。こんなことは、もしかしたら本体であるフーゴですらも試したことがないのではないか。
「じゃあ、フーゴはなんかヤバイ状態でいて、それでお前を出してるってわけじゃあないんだな?」
 続けて尋ねると、今度も肯定の仕草が返ってくる。
「じゃあ何してんだ?」
 これに返ってきたのは首を傾げるような動きだった。「分からない」ではなく、「伝える術を考えている」のだろう。「Si」か「No」で答えられない質問への返答は、やはり出来ないようだ。それでもパープル・ヘイズは、何かを訴えるように両手を動かしてみせている。それが何を意味しているのか、ナランチャにはまるで分からない。
「待って待って。分かんねーって。とりあえず手振り廻すな。危ねーよ。お前、ピストルズみたいに喋れないの?」
 改めて考えてみると、本体以外とでも難なく会話出来ているミスタのスタンドは、もしかしてすごいのかも知れない。
(すごいけど変だ)
 今度ミスタにどうしたらスタンドが喋れるようになるのか聞いてみようか。それとももしかして、ナランチャが知らないだけで、自分のスタンドも喋れるのだろうか。
「とりあえず、ゆっくり! な!」
 ナランチャがそう言うと、パープル・ヘイズは頷いて指示通り“ゆっくり”とした手振りを見せた。彼は人差し指を立て、その先をしきりにフーゴへと向けた。
「うん? フーゴが?」
 パープル・ヘイズはこくこくと頷いた。そして両の手の平を合わせ、自分の頬の横へあてて目を瞑る。
「寝る? 寝てる?」
 完全にジェスチャーゲームだ。パープル・ヘイズは再び人差し指を立て、今度はそれを口元へ。
「ああ! 分かったぞっ! 『フーゴが寝てるから静かに』!!」
 ナランチャが得意げに声を上げると、パープル・ヘイズは同じポーズのまま睨み付けるような形相で詰め寄ってきた。
「うおっ。ご、ごめん」
 幸いにも、フーゴは目を閉じたままだ。よく眠っていてくれているようで助かった。
 とにかく言いたいことはなんとか理解した。つまり、パープル・ヘイズは主人の休息を守るガーディアンなのか。
(なんだ。いいやつじゃん)
 いつも怖い顔をしていると思っていたが、意外と主人思いであるようだ。
「ふーん」
 ナランチャは改めてその顔を覗き込んだ。
「よく見ると、案外愛嬌のある顔してんじゃん」
「がるる?」
「うん。でっかいピストルズって感じ」
「うがァ!」
「うわっ、怒った! 一緒にすんなって?」
「がうっ」
「そうだよな。お前はお前だもんな」
「がうがう」
「分かった。もう言わねーよ」
 いつの間にか会話が成立している。なんだか楽しくなってきた。
「そうだ、ピストルズで思い出したけど」
「がるっ」
「違うって。比較とかじゃあなくて。お前、物食べたりは出来るのか?」
 パープル・ヘイズは首を傾げた。自分でも分からないらしい。試したことがないのだろう。
「じゃあ、試してみよーぜ!」
 ナランチャはポケットに手を突っ込み、チョコレートを染み込ませた焼き菓子の袋を取り出した。帰ってくる途中で購入した物だ。パープル・ヘイズは不思議そうにそれを眺めている。
「ちょっと待ってろよ」
 袋を開けて、ひと口大のそれを1つ取り出す。溶け難いようなコーティングがされているために、ポケットの中でも形が崩れることはなく、その表面はつるりとしている。
「1個やるよ。はい!」
 パープル・ヘイズはわずかに驚いたようだったが、恐る恐るといった様子で手を伸ばし、手の平を上に向けた状態で差し出した。そこにぽとりと落とされた焦げ茶色の物体を、彼は警戒するような表情で見ている。
 見知らぬ物を口に入れるのは、スタンドと言えどもやはり怖いか。ナランチャは「無理はしなくていいからな」と言おうとしたが、直後、パープル・ヘイズは菓子を摘み上げ、ぽいと口の中へ放り込んだ。わずかな間の後に、がりがりと噛み砕く音がした。そして、
「がるっ」
 スタンドの表情は人間のように多様な変化を見せることはない。それでもナランチャは、パープル・ヘイズが喜んでいるのが分かった。
「美味い?」
「がうっ」
 どうやらご機嫌であるようだ。その表情は不思議と幼く見えた。
 パープル・ヘイズはナランチャが持っている菓子の袋を指差した。
「なに? もう1個?」
 もう1つ摘んで差し出してみるも、パープル・ヘイズは首を横へ振った。
「違うの?」
 否定の仕草を見せながらも受け取ったそれを、パープル・ヘイズは返却するかのようにナランチャの方へ差し出した。
「……オレに?」
 食べろと言っているようだ。
「がう」
 お返しというやつか。
(元々オレのだけど)
 ナランチャはくすりと笑うと、それを口で直接受け取って食べた。ほんの数センチしか離れていない目の前にウイルス入りのカプセルがあったことには、口の中がすっかり空になってから気付いた。気付いたが、どうでも良いかと思ってすぐに忘れた。
 もぐもぐと口を動かしながら笑ってみせると、パープル・ヘイズも笑った。
(意外と面白いやつだ)
 だが、ナランチャにはまだ気になることがあった。時折本体であるフーゴの様子を窺うパープル・ヘイズの目は、どこか怯えているようにも見えた。食事前に菓子を食べていることが親にバレないかと警戒する子供のように? いや、もう少し深刻そうに見える。
(っていうか、なんか怖がってるみたいな……)
 フーゴこそその強力過ぎる能力を恐れていると思っていたが。
(スタンドが本体に叱られるとかあるのかな)
 人型のスタンドを持たぬナランチャには分からないが、ミスタのピストルズのことを考えると、ありそうだと思えなくもない。
「お前さ」
「がうっ?」
「フーゴのこと、嫌い?」
 尋ねた途端、全力の否定の仕草が返ってきた。パープル・ヘイズは何度も首を横へ振る。
「じゃあ……、やっぱり“心配”? フーゴに嫌われないか?」
 パープル・ヘイズは何も返さなかった。ただわずかにたじろいだような気配が伝わってきただけだ。だがそれが紛れもない答えだったのだろう。フーゴが自分の能力の強力さを考え、可能な限り使用を避けようとしているのは明らかである。それをパープル・ヘイズが存在自体の否定と受け取っていたら……。
 スタンドにとって本体は、自分を生み出した親のようなものだろうか。そんな相手からそこにいないような扱いをされる辛さは、ナランチャにはよく分かった。そして、そんな時にかけてもらいたい言葉も。
「大丈夫だよ!」
 ナランチャは胸をはってみせた。
「別にさ、嫌ってるわけじゃあないって。ちょっとびびってるだけで。フーゴはちょっと慎重過ぎるんだよ。たぶん。それから、ちょっと大袈裟」
 フーゴ本人が聞いていたら「根拠がなくて説得力に欠ける」とでも言われそうだ。それでもナランチャは続けた。
「オレは好きだよ。お前も、フーゴも。だって、どっちもフーゴで、どっちもお前だろ?」
 自分でも何を言っているのかよく分からなくなってきた。昔から難しく考えるのは苦手だ。それでも言いたいことははっきりと分かる。だからそれで良い。
「もしもフーゴがお前を嫌ったとしても、オレは好き。それじゃ駄目?」
 首を傾げるようにして覗き込んだ顔は、ぶんぶんと横へ振られた。先程も見たその仕草に、ナランチャは笑った。首を振るのをやめたパープル・ヘイズは、満足そうな表情をしている――ように見える――。
(きっと難しく考え過ぎなんだ)
 フーゴも、そのスタンドも。
 不意に、パープル・ヘイズがはっと何かに気付いたように顔を上げた。その視線は、ソファの方へと向く。
「どした?」
 パープル・ヘイズは両目の横で手を握ったり開いたりを繰り返してみせた。
「フーゴ起きるって?」
「がう」
 今や会話は完全に成立している。
「戻る?」
「がう」
「じゃあ、またな」
 ナランチャがひらひらと手を振ると、パープル・ヘイズは空気に溶けるようにフーゴの中へと帰っていった。その間際の表情は、ナランチャが思わず跳び退いた最初の時とはまるで違っていた。パープル・ヘイズがそんな表情を見せた――見せられる――こと、主人の眠りを守ろうとしていたこと、それ等をフーゴ本人が知ったら、なんと言うだろう。少なくとも、「嫌い」なんて言葉は言わせないつもりだ。
 数秒の間の後、ソファの上でフーゴが小さく身じろいだ。パープル・ヘイズの言った通り、目を覚ましたようだ。
「フーゴ、おはよう!」
 もう夕方近いかと思いながらもそう声をかけると、フーゴは両目を擦りながら起き上がった。
「……お帰りなさい」
「うん、ただいま」
「……今、誰かいました?」
「フーゴ、寝惚けてる?」
 フーゴは再度目を擦ってから周囲を見廻した。まだ眠たそうだ。真面目で優秀なフーゴだが、寝起きが良いとは言えないところが――キレ易さに続く――欠点のひとつだ。
「なんか、変な夢見た……」
「へえ、どんな?」
「……忘れた」
 しきりに首を傾げている様子がなんだかおかしくて、ナランチャは少し笑った。お前が寝てる間にパープル・ヘイズと話したんだぜなんて聞かせたら、寝起きの頭が処理し切れなくてパニックになるかも知れない。このことは自分――とパープル・ヘイズ――だけの秘密にしておいた方が良さそうだ。
「あと、なんか口の中が甘いんですけど」
「寝惚けてる間になんか食ったんじゃない?」
「夢遊病っ!? 怖いこと言わないでください」
「そこまでは言ってない。寝惚けてシャツ後ろ前に着ることくらい普通にあるだろ。それと同じじゃないって言ってんの」
「ぼくはそんなことしたことありませんけど」
「そりゃあその服ならな。とにかく、なんでも大袈裟なんだよフーゴはっ」
「なんでも?」
「なんでも。もっと軽くいこうぜ」
 怪訝そうな顔をするフーゴの肩をばしばしと叩きながら、ナランチャは「その見本がここにいるぞ」と言うように胸をはってみせた。


2019,11,10


前にもパープル・ヘイズとナランチャの話を書いたのですが、もっとフレンドリーにしたくてまた書きました。
前以上に本体が空気になりました(笑)。
<利鳴>

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