承←仗 全年齢 6部設定 OH要素有り


  貴方の「斥力」は信じない。


 その奇妙な“仕事”の依頼主は最初、ただ自分はSPW財団の者だとだけ名乗り、詳しい事情を説明しようとはしなかった。“詳しいこと”の代わりのように差し出されたのは、ビニールの袋に入れられた何かの燃えカスらしき、ゴミにしか見えないような物だった。それを、彼のスタンド――クレイジー・ダイヤモンド――で復元すること。それが“依頼”の内容だった。
 詳しいことは言えない。だが力を貸してほしい。なんとも勝手な言い分だ。東方仗助は「そんな話に乗ってやる必要はない」と、一度は思った。相手のあまりにも一方的な要求に少なからず腹を立てたことの他に、差し出された袋の中にある物が23年も昔に焼かれたノート――このことについては、財団から来たという男がうっかり口を滑らせたように見えた――の灰を掻き集めた物であり、彼の能力を以ってしても、完全には直せない可能性が高い――ほんの一握り分でも風で遠くへ飛ばされてしまっていれば、それを引き寄せて直すことまではおそらく出来まい――というのがその理由だ。
 だが、妙な“予感”もした。きっとこのままこの男の前から立ち去ってしまえば、自分は後悔することになるに違いない……と。
 SPW財団といえば、医療を始めとするいくつかの分野で世界的な規模の影響力を持つとされている団体だ。が、それは表向きの顔でしかなく、実際にはその活動内容はもっと――常人の考えが及ばぬほどに――多岐に渡るということを、仗助は知っている。日本の片田舎に住む仗助がそんな組織と関わりを持つことになったのは、彼の血縁者――具体的に言うのであれば父と甥――が、すでにその団体と関わりを持つ者として彼の前に現れたからに他ならない。今度の“依頼”も、おそらくは彼等と無関係ではないだろう。その“依頼”を受けることで、ジョセフ・ジョースター、もしくは、空条承太郎の助けになれるのであれば……。
 その思いが、仗助に「嫌です」と言い捨てることを留めさせた。同時に、「それならもっとちゃんと説明してくれてもいいのに」という苛立ちに似た感情が湧き上がってくる。「頼りにならない」と思われているのだろうか。自分はもう、16歳の子供ではないのに。
 もうひとつ気になったのは、『23年前』というキーワードだった。今から23年前ということは、1988年の終わり頃か、あるいはその前後数ヶ月。計算すると、仗助が子供の頃に、高熱を出して倒れた時期と一致する。その頃、父と甥がどこで何をしていたか……。もちろん仗助は、その姿を直接見てはいない。だが、全く知らないわけでもない。彼等が戦っていたもの……。その因縁……。あとは、それこそただの“予感”だ。何かが――子供の頃と同じように、自分の知らない場所で――起きている。
 それはやがて確信へと姿を変えた。SPW財団の男の口から零れ落ちた言葉の端々から、必要な――彼の直感が「必要だ」と判断した――情報を拾い集め、砕けた硝子を修復するように組み立てれば、ひとつの“形”が出来上がる。
「承太郎さんが……?」
 このままでは協力は得られないだろうと観念したのか、財団の男は、仗助がアメリカに行くと口には出さぬままに決めた頃には、粗方の事情を教えてくれていた。
 DIOの遺志を継ぐ者がいたこと。その者との戦いで承太郎の『DISK』――能力や記憶を形に変えた物らしい――が奪われてしまったこと。それが原因で、彼が一度は仮死状態にまで陥ったこと……。
「空条博士の娘さんのお陰で、片方のDISKは取り戻すことが出来ました。今は、生命だけはギリギリ保つことが出来ている状態です」
「……むすめ?」
「ええ」
 与えられた情報の整理が完了しないままの仗助を置き去りにするように、男は説明を続ける。
「しかし、彼の記憶は奪われたままで、ただ眠っている状態が続いています。修行僧のような姿勢のまま目を覚まし、数時間起きていたかと思うと丸一日眠り続けたりもする。学習能力は正常で、脳波や心電図にも異常は見られません。それでも、自分の名前や、家族の顔。物の名称。それから、話をしたり、食事を取ったりすること。何も覚えていません。生きる目的も存在しない。体重に変化はありませんが、筋肉の数値は確実に落ち始めている。このままでは生命活動に影響が……」
 興奮したように言葉を繰り出していた男は、急に我に返ったように顔を上げた。「すみません」と、それまでとは対照的な小さな声で言う。
「喋りすぎました」
 今更何を言うんだか。
 その男の態度から、事態はかなり切迫しているようだということが――嫌でも――理解出来た。彼も、きっと必死なのだろう。
 財団の人間は、承太郎の記憶を取り戻すための作戦と共に、敵の企みを阻止する計画を立てているらしい。何等かのヒントを得られればと、かつて承太郎が焼き払ったというDIOのノート――どうやら敵の目的はその内容を知ることだったらしく、そのために承太郎の記憶のDISKが奪われてしまった――を復元させることが決まり、仗助に声が掛かったようだ。
 一連の流れは粗方理解出来た――と思うことにしよう――。承太郎が今でも戦い続けていたという事実に、彼らしいなと思った。そしてその反面、少し寂しくもあった。言ってくれれば、いくらでも力を貸したのに、と。
 彼は何も話してはくれなかった。自分のことも、家族のことも、敵のことも。きっと独りで全てを背負うつもりだったのだろう――それもまた彼らしい――。DIOのノートを誰の目にも触れさせずに焼き払ったのも、それが世に出廻ることによる危険をなくすためだったようだ。そう思えば、彼を助けるためとはいえ、それを復元しようとすることは、彼の意思を無視する行為にあたるのかも知れない。
(でも……)
 だからといって、見捨てることは出来ない。絶対に。
(俺に出来るのは、これだけだから……)
 彼が名前を付けてくれた能力。彼が「この世で最も優しい」と言ってくれたこの力で、少しでも彼の救いになりたい。共に戦いたい。
 最初に財団の者が承太郎の現状を伝えないままに手を貸せと言ってきたことは――正直言って――ムカついたが、それは水に流してやることにしよう。いや、条件次第では水に流してやれないこともない。それプラス、協力してやること。その引き換えに要求したのが、自分を彼の許まで連れて行くことだった。他に妙案を持たぬ財団が折れるまで、数時間もあれば充分だった。

「行かない方がいいとぼくは思うがね」
 アメリカの空港に無事に降り立ち、財団からの迎えの者に車を廻してくるから待つようにと言われ、ふうと息を吐いたタイミングで口を開いたのは、岸辺露伴だった。
 初めてこの男に会ったのは、仗助が16歳――高校生――の時だった。確か年齢の差は4つ。当然その差が縮まることはないから、今はもう30代であるはずだが、その外見は初対面の頃とほとんど変わっていない。このままだと自分の方が年上になる日がくるのではと馬鹿なことを思いたくなるほどだ。時の流れに逆らうかのような男、岸辺露伴。仗助との仲がお世辞にも良いとは言えないところも、12年前からあまり変わっていない。
「……聞きそびれてたけど、なんであんたまでいるんスか」
 12年前よりも少し低い位置にある顔を睨むと、露伴は「ふん」と鼻を鳴らした。
「ぼくもSPW財団から依頼を受けてね」
 露伴は右手の人差し指を伸ばし、その先で空中に絵を描くような仕草をしてみせた。
「空条承太郎を“本”にして“読む”ことが出来れば、あのノートの解析がこれ以上不可能でも、何か分かるかも知れないから……とね。まあ、記憶がないんじゃあ無理だろうとぼくは思うけどね」
 「それより」と露伴は続けた。
「東方仗助、君が受けた依頼はすでに完了している。残りの解析や解読は、財団の仕事だ。はっきり言うぜ、君がこれ以上踏み込む必要は全くない」
 まるで16歳の少年に説教をするような口調だ。
 仗助のクレイジー・ダイヤモンドが“直した”ノートは、やはり完全には元の状態にならなかった。百年もの時を海底で過ごしたかのように紙面はボロボロで、不用意に触れれば永久に――仗助でさえどうすることも出来ないほどに――失われてしまうのではと思うほどの有様だった。
 文字の並びは何度も途切れ、そこに空いた穴から次の――あるいは前の――ページの文字――の断片――が見えているような箇所がいくつもあった。
 それを差し引いても、仗助にはそこに綴られた文章を読むことが出来なかった。単純に彼自身の語学力の問題か、あるいは暗号化でもされているのか、少なくともアルファベットであるらしい文字の集まりは、意味のある言葉として認識することすら出来なかった――可能な範囲で復元されたノートがあっと言う間に“回収”されてしまった所為もあるが――。承太郎が永遠にこの世から消してしまうことを選んだそれを、不可抗力とはいえ自分が読んでしまったということにならずに済んだのは、正直言ってありがたかった。相変わらず事態は好転していないとは知りつつも。
 露伴の言う通り、仗助に出来ることはもう残っていない。あとは財団や自分とは違う能力を持っている人間が打開策を見付けてくれることを祈るくらいしかない――財団の施設に立ち入ることが許可されたのは、もしかしたら露伴を連れて行く“ついで”でしかないのかも知れない――。行く意味はない。むしろ行けば、辛い思いをするかも知れない。
(そんなこと、分かってる)
 それでも望んだのだ。自分の意思で。何よりも今更過ぎる。本当にとめるつもりがあるなら、せめてアメリカ行きの飛行機に乗る前に言え――だから本気でやめさせる気は、実は露伴にもなく、義理で、あるいは空いた時間の暇潰しに言ってみただけなのかも知れない――。
 露伴は、なおも続けようとする。
「それに彼には――」
「ほっといてくださいよ」
 露伴が何を言おうとしたのかは、分かる気がする。かつて彼等の町を守ってくれたその人には、もう別の守るべきものがある――露伴は、仗助よりも先に、彼に言わせれば「とっくに」そのことを知っていたらしい。なんでも、承太郎は学会ではかなりの有名人らしく、その略歴を調べるくらい造作もないことなのだそうだ――。あの力強い輝きを宿した瞳に、自分だけを映してほしいだなんて、到底叶うはずはないのだ。
「分かってる、……そんなこと……」
 自分に言い聞かせるように呟くと、露伴はただ肩を竦めるような仕草をするだけで、それ以上は口を開こうとはしなかった。

 SPW財団の施設は、テキサス州ダラス郊外の某所――それ以上は詳しく教えてもらえなかった――に存在していた。初めて目にする風景――施設が近付いてきてセキュリティのためにと窓に目隠しをされるまでは自由に眺めていることが許されていた――は、仗助の意識内に留まることなく、ただ流れるように視界の外へと消えてゆく。
 医者のような格好の男に案内されて辿り着いた部屋には、詳しい用途も分からぬような機器がずらりと置かれていた。そこから延びたいくつものコードに繋がれ、座ったままの体勢でいるひとりの男。立ち上がるまでもなく分かる大きな体。トレードマークの帽子は――デザインは多少異なっているが――今も変わらない。
「承太郎さん……」
 眠っているのかと思ったが、目蓋は開いているようだ。だが、虚ろな瞳には、何も映っていない。仗助のことは分からないようだ。いや、見えてすらいない。
 承知の上でこの場所までやってきたのに、鋭い爪で抉られたかのように胸が痛んだ。我ながら良くその場で取り乱さなかったものだ――16歳の頃の自分なら、そうなっていたかも知れない――。
 隣に立つ露伴からは、「ほらみろ」というような視線が向けられている。
 久方振りの再会が、こんな形だとは夢にも思わなかった。次に掛けてもらえる言葉はなんだろうと、クリスマスの贈り物を楽しみにしている子供のようなことを考えたこともある。「元気そうだな」、「少し背が伸びたか?」、「大人っぽくなったな」……。だが現実は、ひたすらの無言だ。
 呼吸が苦しくなってきた気がした。これでは自分の方が重病人だ。
 仗助は無意識の内に足を後方へと動かしていた。いや、少しよろけたと言った方が相応しいかも知れない。それと入れ替わるように、露伴が前へと出る。かと思うと、承太郎の顔の一部が本のページのようにぱらりと捲れた。
「……やはり駄目だな」
 ページを捲りながら、露伴は呟くように言った。
「ページが大幅に抜けているような状態だ。落丁にしても酷いな。辛うじて残っている部分も、文字が掠れたようになっていて、全く読めない。……比較的はっきりした記述があるのは、ここへきてから学習させた内容だけだな。それも、片っ端から単語をメモしていったような形で、意味のある文章にはなっていない」
 露伴がふうと息を吐くと、ページは消え去り、元の状態に戻った。
「どうやら、無駄足だったようだな」
 承太郎から離れようとした露伴は、ふと何かに気付いたように視線をひとつの箇所へ向けた。
「この傷は?」
 見れば、承太郎の腕に、いくつかの切り傷のようなものがあった。たった今出来たばかりということはなさそうだが、まだ塞がり切ってもいないようだ。
「ああ、それは硝子の破片で傷付けてしまったんです。彼は帽子に触れられるのを嫌っているようで、本能的な防御反応を見せるんですが、うっかりドクターが触れてしまって……。その時に近くにあった硝子の器具が割れてしまったんです」
 財団の者らしき男が説明するのを聞いて、仗助は「へぇ」と声を漏らした。いつも帽子を被っているなとは思っていたが、そんな拘りがあったとは知らなかった。
(俺には「くだらない髪型の話」なんて言ったのに)
 高校生になったばかりの当時の仗助は、確かその言葉に分かり易くキレた。彼と出会って間もなくの出来事だった。
「俺とあんまし変わんないじゃあないですか」
 仗助は思わず笑っていた。
 再び承太郎に近付き、スタンドを出現させた。クレイジー・ダイヤモンドの手が触れると、腕に付いた傷はあっと言う間に跡形もなく消えた。そのことに気付いているのか――あるいは理解しているのか――いないのか、承太郎はなんの反応も見せなかった。帽子に手を伸ばせばそれを見られるのかも知れないが、暴れられでもしたら財団側に迷惑が掛かるだろうか。何か壊れてしまうか誰か負傷してしまうかしてもすぐになおせはするが、それでも一時的には――なおすまでは――やはり迷惑だろう。それに、仗助自身がダメージを受けてしまうのはまずい。この至近距離で承太郎――無意識ながらもスタンドは出せると聞いていた――の攻撃を防げる気はしない。
 だから、帽子には触れないように注意を払いながら、両手を伸ばした。
「……承太郎さん」
 承太郎は相変わらず動かない。
「俺が、傍にいますから。承太郎さんが昔、俺達を助けてくれたみたいに、今度は俺が……」
 仗助はそのままおずおずと抱き付いた。反応はない。ただ体温は間違いなくそこにある。
(ずっとこうしてみたかった……)
 それが、やっと叶った。だが、少しも嬉しくはなかった。
「あんた、俺のこと見てないんスもん」
 代わりのように、承太郎の家族のものらしい写真がフォトフレームに納められて、こちらを向いていた。それが、彼の守るべき者達なのだろう。
「早く戻ってきてくださいよ、承太郎さん」
 仗助は微笑もうとした。が、上手く出来ずに唇の端が少し歪んだような形になった。
「あんたに言われれば、なんだって協力しますから」
 抱き付いた肩に顔を埋める。静かな呼吸音と心臓の鼓動だけがわずかに耳に届く。応える声はない。
「誰のことだって、守りますから……。だから、ねえ……」
 仗助の言葉は何にも受け止められることなく、ただ虚しく室内に響いた。


2018,04,10


わたしは丸く治めたい村の出身(笑)なので、これこのまま終わっていいの!? と少し不安になりました(笑)。
甥×叔父は好きなんですが、でも自分で書くと報われることはない叔父の一通だよねーってなっちゃいます。
<利鳴>

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