ディオジョナ 全年齢

関連作品:The Room 〜4名様用ファミリールーム〜(雪架作)


  Family


 眠った記憶はなかった。にも関わらず、ディオはベッドの上で目を覚ました。
 周囲を見廻して、そこが自分の部屋であることを認識する。生まれ育った家ではないが、それでもすでに見慣れた壁、天井、床……。
 少し、意外だった。そこが自分の部屋であったことが。
「夢……、だったのか?」
 声に出して呟いてみても、その返答はどこからもない。
 おかしな夢(暫定)だった。見知らぬ部屋、見知らぬ男、見知らぬはずなのにどこかで見たように錯覚してしまう顔をした男――というよりは、こちらはまだ幼さを残した少年――、そして、ほぼ毎日顔を合わせている義兄の立場に当たる男、ジョナサン・ジョースター。彼等とその奇妙な場所で過ごした時間は、長いようでもあり、短いようでもあった。
 あれは現実にあったことだったのだろうか。口にしたはずの飲み物と焼き菓子の味は、微塵も残ってはいない。強く香っていたはずのシナモンのかすかな残り香さえも。
(やはり夢……?)
 そうだとしても、何故あんな夢を……。
 残る疑問を振り払うようにかぶりを振って、ディオはベッドから降りた。身支度を済ませて部屋を出ると、廊下を歩いていたジョナサンに遭遇した。
「あ、ディオ。おはよう」
 元々好んで顔を合わせていたいとは思わぬ相手だが、今は――あんな夢を見た後は――なおさらだった。ディオは不機嫌な様子を隠そうともせずに、「ああ」とだけ応えた。だが出てきたばかりの部屋に戻るわけにもいかず、自然と――不本意ながら――連れ立って歩く形となるのは我慢せねばならなかった。
 隣を歩く、自分同様身支度を済ませてはいるがどこか眠そうな――その意識だけはどこか遠くへ向かっているような――表情のままのジョナサンを見て、ディオは直感的に悟った。彼もまた、同じ夢を見たのだとういうことを。そして同時に、ジョナサンもそれ――ディオが同じ夢を見たということ――を悟ったということも。ただの直感だ。だがそれは確信でもあった。
 2人で同時に同じ夢を見る。そんなことが、ありえるのだろうか。しかもあんな奇妙な夢を……。だが彼等はその疑問を口にすることなく、そのまま食堂へと向かった。2人の間には、暗黙の内に“その話”をするなら誰もいない場所でだ、との共通の認識が生まれていた。
 だからディオは、いかにしてジョナサンと2人切りにならずに過ごすかにその日1日の思考を費やした。朝は理由も言わずに「先に行く」とさっさと家を出て、学校にいる間も離れた場所にジョナサンの姿を見付ける度に、気付かれない内に素早くその場を移動した――端的に言えば、隠れた――。それが出来そうもない時は極力学友達――ディオは友情を演じているに過ぎないが――と一緒に行動するようにし、どうしても都合の付く相手がいない時にも、独りになることだけは避けてせめて人の多い場所にいるようにと努めた。
 そんな風に1日を過ごしている内に、“夢”の記憶は次第次第に曖昧なものへと変化していった。細部が不鮮明になり、そのまま消えてゆくものと思うことが出来るようになった。やはり夢。ただの夢。気にする必要はない。忘れてしまえば良い。
(あんな馬鹿げた夢!)
 ディオは自身に言い聞かせるように何度も心の中で繰り返し、鼻で笑った。だが、
「ディオ!」
 ついに声をかけられたのは、今正に帰宅せんとしている時だった。独りで敷地内に脚を踏み入れるのを待ち構えていたようなタイミング。振り向くと、やはり駆け寄ってくるその姿は、ジョナサン・ジョースターのそれだ。帰る家は同じだし、急用を思い出したと言うにも不自然過ぎる。逃げ道を思案している間に、もうジョナサンはすぐ目の前まで近付いてきていた。観念せざるを得ないようだ。あえて避けるのも馬鹿らしいと思おうとしていたところではあったが、追い込まれたような感覚は些か不愉快であった。
「ディオ、君に話したいことがあるんだ。今日の君は、ずっと誰かと一緒だったから、なかなか声をかけられなくて……」
 「わざとだマヌケめ」と言い捨てたいのを堪え、代わりに溜め息を吐く。
「分かった。君の部屋に行こう」
 場所はどこでも良かった。それが明確に「どこ」であるかが分かっているなら。
 出迎えた使用人に「何か飲み物を」と伝えてから、ジョナサンは自室へと向かう。その後を、ディオは何度も溜め息を吐きながらついて行った。

 ディオも何度か――は断りを入れてから――入ったことのある部屋のドアを閉め、しかしジョナサンはすぐに口を開こうとはしなかった。
(まさか、オレから話せと言うつもりではないだろうな)
 「お前が考えていることは分かっているんだ」と言うように。
 だがそれが間違いであることは、すぐに明らかになった。ドアがノックされ、使用人がやってきた。どうやら飲み物が運ばれてくるのを待っていただけだったようだ。つまり、会話が中断されなくなるのを。
 テーブルに置かれたグラスには、薄い琥珀色をした液体が入れられていた。鼻から体内に入り込んできた空気に、リンゴの香りが混ざる。それが、既視感と呼ぶには鮮明過ぎる、だが記憶と呼ぶには曖昧な映像を、脳裏に蘇らせる。ベージュの壁、ジプトーンの天井、大理石の床、中央に置かれたテーブルにはクロスが敷かれ、それを円形の明かりが照らしている。奇妙なメッセージ、「巨大な」と形容しても差し支えないほどに大きな砂時計……。
 「あ」と小さく口を開けたので、ジョナサンも同じことを考えていたのだろうと予測出来た。使用人が立ち去ると、室内はしんと静まり返った。そうなってから、ジョナサンはようやく口を開く。
「夢を見たんだ」
 と言ってから、
「たぶん、夢を」
 と彼は言い換えた。
 ディオは今朝と同じく、「ああ」と返した。迷った挙句、更に付け足す。
「……分かっている」
「やっぱり君も?」
 何故かジョナサンは表情を明るくした。逆に、ディオは不機嫌さをより強く表へ出す。それをどう捕らえたのか、ジョナサンは慌てた様子で「とりあえず座って」と椅子を勧めてきた。
「座る? 何故?」
 ディオは、この部屋に、いや、ジョナサンと同じ空間に長居はしたくなかった。腰なんて降ろせば、部屋を出るタイミングを見失ってしまいそうだ。だがジョナサンの方は、時間はいくらでもあると考えているようだ。そうでもなければ、飲み物を運ばせ、椅子を勧めはしないだろう。つまり、飲み物なんて要らないと言わなかった時点で、ディオは自分の時間の一部を他人のために消費することを了承したことになるのだろうか。
「理由なく座ってはいけない?」
 聞き覚えのある、むしろ自ら言った覚えのあるセリフで、ジョナサンは追い討ちをかけてくる。それを悪気等微塵もないというような顔――まるで年端もいかぬ無邪気な子供のような表情――で言うのだから、性質が悪い。
「それに、今は理由があるんだから、なおさら構わないよね」
 確かに、「話をする」というのは、立派な『理由』になりえるだろう。双方にそのつもりがあるならという前提付きでだが。
 ディオは小さく舌を鳴らしてから、体を投げ出すように椅子に座った。貴族の持ち物に相応しい立派な作りの椅子は、きしんだ音をわずかに立てることすらなかった。
 適当な理由で、今この場から立ち去ることは不可能ではなかっただろう。だが明日以降も毎日――当分の間、少なく見積もっても数年は。場合によってはもっと長く――顔を合わせないわけにはいかない相手だ。いつまでも避け続けるのも、面倒なことである。
(それなら今、さっさと終わらせた方がマシだ)
 ディオは心の中で己に言い聞かせた。
 ジョナサンがベッドに腰掛けるのを見ながら、ディオは「ふん」と鼻を鳴らし、飲み物のグラスを手に取った。
「くだらない夢だったよ」
 吐き捨てるように言うと、ジョナサンの表情から笑みが薄れる。
「……似てたよね」
 主語はなくとも、何を指しているのかは分かった。自分でもそう言った。夢の中で出会った少年――金色の髪の方――……。夢の中であるとはいえ、何故あんなことを言ったのか。初対面であるはずの少年が、自分に、そしてジョナサンに似ている等と……。
 そもそも自分達は、正反対であるはずだ。その容姿も、似ているところはひとつもない。髪の色、目の色すらも全く違う。それは、精神面や生まれ育った環境及び境遇といったものまで、ひとつの例外もない。本来であれば比較されること自体ないだろう――血の繋がりはないとはいえ、一応は兄弟の関係になってしまったのでそうはならなかったが――。
 それなのに、そのどちらとも似ている人間等、ありえるのだろうか。
 全ては夢だから。そう、あの夢が、あの空間が悪い。あの部屋の所為で……。あの瞬間、自身の意思以外の何かの力が働きかけたとしか考えられない。
「不思議な少年だったけど、どうしてか他人のようには思えなかったんだ。まるで、今まで離れて暮らしていた『家族』に会ったような気分だった」
 「君は?」と尋ねるように向けられたジョナサンからの視線に、ディオは肩を竦めるだけの曖昧な仕草で応える。
「君の家族の話が聞けたのも、嬉しかったよ。あの部屋の中でもそう言ったけど」
 それもだ。それも、言うつもりなんてなかったはずだ。あれもまた、自分の意思ではない。
(母親の話なんて……)
 今までも、この先も、するつもりはなかったのに。
 その記憶を自分ひとりの物として大切に持っていたいからではない。わざわざ人に聞かせる必要もないようなことだからだ。
 親も、子供も、利用出来るのであれば存在しても――存在していたという過去があっても――構わない。だがそれだけだ。望むわけではない。ディオの望みは、己が頂点であること。ただひとりの存在、たったひとりであることだ。誰かと共に過ごす――何かを共有する――未来等、考えられない。
 ふと顔を上げると、壁に飾られたジョナサンの母親の絵がこちらを向いていた。ジョナサンはジョースター卿――つまり父親――似だと思っていたが、そこに描かれた眼差しは、瓜二つとでも呼びたくなるほどに似ていた。全てを見通しているかのような瞳に、ディオの苛立ちは増す。
「あの部屋はなんだったのかな。掃除はされているようだったし、管理している人間がいるはずだろうとは思うんだけど。それにあのアップルパイ。パイ生地は時間が経つと食感が悪くなっていくはずだけど、あの場所で食べたのは、温かくはなくても、作りたてみたいだったよね」
 あの部屋の中のことについて、ジョナサンの記憶はディオのそれ以上に鮮明であるようだ。早く忘れてしまおうと思っているディオとは違って、ジョナサンはそれを持ち続けようとでもしているのだろうか。そうでなければ――「そんなことあったかい?」とでも言って――はぐらかしてしまえただろうに。ただの夢だろうと一蹴したところで、おそらく聞きはしないだろう――それはもうしたも同然だが、その結果はこの通りだ――。
「ねえ、ディオ」
 躊躇ったように、ジョナサンの言葉は一瞬だけ途切れた。その頬がわずかに赤味を帯びて見えたのは気の所為か?
「もしぼく達の間に子供がいたら、ぼく達、今よりもっと“家族”になれるね」
 なんてことを言い出すのだこの男は――しかも日光を反射させる水面のように眩しい笑顔で――。まるでそれを望んでいるかのようなセリフではないか。異性に向けて言えば、どんな誤解をされるか分かったものではない。
「男同士で子供が出来るかッ、この馬鹿が!」
 咄嗟に口から出てきた言葉に、ディオは「そうじゃあないだろう!」と自分でツッコミを入れたくなる。
(それでは性別が違えば構わないと言っているようじゃあないか!)
 しかしジョナサンは平然としている。いやむしろきょとんとした顔をこちらへ向けている。
「え、うん。だから『もし』の話だって」
 ムキになったディオの方がおかしいとでも言いたげだ。ついさっきその頬が赤く染まったと思ったのは、やはり気の所為だったようだ。
 一度しか口を付けていないグラスを乱暴にテーブルへと置き、ディオは立ち上がった。
「帰る!」
「え? でも、君の家はここだよ?」
 ジョナサンは首を斜めにしただけで、その表情は変わらない。それが更に腹立たしい。
「部屋へ戻ると言ったんだ!」
「ああ、そうか。じゃあ、また」
 彼はひらひらと手を振った。にこにこと微笑みながら。下らない思い付きを一方的に喋り終えて、どうやら満足したらしい。勝手に。
(世間知らずの甘ちゃんめ! しまいには本当に襲うぞ!!)
 ドアを開け放ち、見慣れた廊下に出る。乱暴に踏み付けたつもりの床は、毛足の長い敷物に覆われていて、ほとんど音も立たなかった。


2018,06,10


関連作品:The Room 〜4名様用ファミリールーム〜(雪架作)


たぶん最後のセリフを書きたかっただけです(笑)。
セツさんの作品の続きを書くなんて、わたしでは力量不足だったようだ。うん! 書く前から知ってた!!
でも描かれていない部分を好き勝手に妄想させていただけるのは楽しいです。
これ以外にも、時々ひっそりとセツさんが作った設定を拝借させていただいている作品があったりしますので、お暇な方は探してみてください。
<利鳴>

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