フーナラ 全年齢

関連作品:santuario


  Buon Compleanno


「仕事ぉ?」
 日頃から仲間達が時間をつぶすのに利用しているレストランに顔を出したナランチャは、いつもならそこにあるはずの顔が1人分足りないことに気付き、その理由を尋ねた。そして返ってきた言葉を繰り返し、怪訝そうな顔をした。
「昨夜連絡があって、すぐに出掛けたようだ。戻りはおそらく明日になる」
 ナランチャはそばにあった椅子に後ろ向きに座り、背凭れに顎を乗せて溜め息を吐いた。
「随分急じゃん」
「上から直の命令なんだ。オレのところにも今朝になってから連絡があった」
 彼等の仕事は、普段ならリーダーの指示によって与えられるはずなのだが、稀にそうではないこともある。別のチームで人手が不足している場合には、リーダーを介さずに直接必要な人材に声が掛かることもある――のだそうだ。そのような状況に、ナランチャはまだ遭遇したことはない。が、“彼”の場合はそうではないらしい。それはおそらく、必要とされているのが、ナランチャのような戦闘要員ではないからなのだろう。戦力が不足している場合は、こんな小さなグループに声を掛けずとも、もっと上に実力のある者が控えている。「天才である」ということも、どうやら良いことばかりではないらしいとナランチャは思う。何しろそういった任務が与えられるのはいつも急であり、しかも本人の都合などはお構いなしなのである。
「携帯は持って行ってるはずだから、かけてみたらどうだ? すぐに出ることは出来なくても、手が空いたら折り返し連絡するくらいは出来るだろう」
 しかしナランチャは首を傾げた。別に、あらかじめ約束があったわけではないのだ。もしかしたら仕事が入らなくとも、他の用事があって“彼”はここにいなかった可能性はある。
「……いい。別に、急ぎの用でもないし」
 それでもいくらかは気落ちした様子を見せつつ、ナランチャは席を立った。
「そう言えばお前今日……」
 ブチャラティが振り返って声をかけたようとした時には、ナランチャはすでに出口の向こうに姿を消していた。

 そう、約束をしていたわけではない。それでもなんとなく面白くないと感じてしまうことは事実だった。ブチャラティが言うように、こちらから電話をしてみればあっさりと話くらいは出来るかも知れないが、それもなんだか子供染みているようで気が進まない。「その程度のことでわざわざ電話してきたのか」と言われるかも知れないのが嫌だった。
「別に……いいもん」
 口の中で呟いて、ナランチャはどこへというつもりもなく歩き出した。「どこへというつもりもなく」歩いているつもりだった。が、陽が暮れた頃、フと顔を上げた先には――。
「…………」
 ナランチャはわずかに躊躇うような表情を見せたが、意を決したようにその部屋へと近付いて行った。玄関のドアノブに手をかける。予想した通り、鍵がかかっている。やはり留守なようだ。ブチャラティの言う通りなら、この部屋には明日まで誰も立ち入らないということになる。おそらく“彼”もそのつもりでいるだろう。“彼”の言動や予想は、ほとんどの場合いつも正しい。
「オレと違って、ね」
 だからナランチャは、それをぶち壊してやろうと思った。“彼”が帰宅してから、丸1日留守だったはずの部屋に人が出入りした痕跡があれば、多少なりともあの澄ました顔を驚きの表情に替えることが出来るかも知れない。ささやかな復讐心――いや、これはただの悪戯だ。
 ナランチャはポケットに手を突っ込み、小さな鍵を取り出した。以前、“彼”から預かった合鍵だが、まだ返していなかった。今までにこの鍵を使ったことはほとんどない。半ば勝手に所持しているという引け目も多少あった。それ以上に、“彼”が在宅の時は中から開けてもらえば良いし、“彼”が留守の時は中に入る意味はなかったのだ。
 鍵を鍵穴へ差し込む。ゆっくりと廻すと、手応えと共に、カチリと音がした。「勝手に持って行くな」「返せ」と何度か言われた鍵だったが、“彼”はその後ドアの鍵を交換するなどはしていなかったらしい。
 ドアを開けて奥へ進む。無人の寝室のベッドに腰掛け、ナランチャは自分の部屋を思い浮かべた。“彼”の部屋は本などの物は多いが、どこも片付いている。「自分の部屋はどうだっただろうか……?」。しっかりしている“彼”とは正反対の自分。部屋も正反対で、物があふれて散らかり放題だったろうか。――いや、そうではない。ナランチャの部屋には多くの物はない。片付いているというよりも、散らかりようもないのだ。ナランチャは普段、自分の部屋にはあまり帰らない。部屋で独りでいてもつまらない。「ここがお前の住まいだ」と言われても、あまり落ち着かない。昼間は街を歩き廻り、夜は仲間の誰かが「良い」と言えば、泊めてもらう。普通であれば「自分の部屋」という存在は、一番落ち着ける場所であるのだろうが、ナランチャの場合、それは当て嵌まらないのだ。誰かといる方が、遥かに気持ちが楽だった。ひょっとしたら、ずっと昔からそうだったのかも知れない。いつでもナランチャが一番大切に思っているのは一緒にいてくれる『仲間』だったのではないだろうか。そうであるがために、裏切られ、傷付けられるようなこともあったが、それでもそう思う気持ちは今でも変わらない。
「……ああ、……だからか」
 それで今、こんなにも気落ちしているのだ。「一番大切」だと思っている『仲間』である“彼”が「今日」近くにいないから。「今日」が「その日」ではなかったら、こんなことは考えなかったかも知れない。
 ナランチャはベッドに倒れ込んだ。枕に顔を埋めて息を深く吸い込むと、ミントの匂いがした。

 ナランチャは眼を覚ました。「眼を覚ました」ことで、いつの間にか眠ってしまっていたのだということに初めて気が付いた。
 玄関の方から物音がする。ナランチャは普段から時計をしていなかったが、まだ朝にはなっていないことは明確だった。灯りを点けていない部屋の中は暗い。それでも音と、更には人の気配がする。眼を覚ましたのも、おそらくそれが理由だろう。
 足音が近付いてくる。やがてナランチャがいる部屋のドアが開いた。暗がりの中で、それでもはっきりと分かった。ミントの匂いと共に近付いてくる影、それは――
「ナランチャ? 寝てるのか?」
「――起きてる」
 答えると同時に欠伸が出た。“彼”――フーゴはくすりと笑った。
「お帰り」
 まだ半分寝ぼけた様な声で言うと、しかしフーゴの返事は「ただいま」ではなかった。
「Buon Compleanno」
 フーゴの手が伸びてきて、ナランチャの髪の毛をふわりと撫でた。ナランチャは数回瞬きをした。
「……今何時?」
「もうすぐ0時半」
「過ぎてんじゃん。もう『昨日』だ」
「車飛ばして帰ってきたんですけどね」
「明日まで帰って来れないんじゃあなかったの?」
 正確に言えばもう日付は変わっていて『明日』になってはいるが、帰宅は早くても昼前だろうと思っていた。
「仕事自体は1日で終わり。ただ、遅くなるから帰宅は1泊して次の日でいいってことだったんですよ」
 「無視して帰って来たけどね」と言いながら、フーゴは部屋の灯りを点けた。
「ずっとここに?」
「夕方くらいから」
「それでいくら電話しても繋がらなかったのか。ブチャラティに聞いてもどこにいるか分からないって言うし」
 ようやく眩しさに慣れ、ナランチャが眼を開けると、フーゴはベッドの近くの椅子で足を組んでいた。
「――で?」
「ん?」
「何が欲しい? 途中で何か買ってる時間はなかったから、何も用意してない」
 ナランチャは起き上がった。その拍子に、指先に何か金属の物が触れた。見ると、それは鍵だった。この部屋の物だ。寝ている間にポケットから落ちたらしい。少し考えてから、それをフーゴに差し出した。
「じゃあ、これ」
 フーゴは意外そうな顔をした。
「もう持ってるじゃあないか」
「でもフーゴがくれたんじゃあないだろ。だから、頂戴」
 おそらく、今後もフーゴがいない間にこの部屋に入る必要はほとんどないだろう。それでも良かった。部屋に入りたいのではない。それを許された『仲間』であるということの証が欲しかったのだろう。
 ナランチャが真剣な眼をしていると、フーゴはふっと笑った。
「分かった。じゃあ上げます。ああ、でもその儘だと簡単に落としそうだな。後でキーホルダーか何か買ってこよう。落としても分かるように、鈴か何かが付いてるやつ」
 そしてフーゴは、もう一度「おめでとう」と言った。


2011,05,20


関連作品:Lotta


ナランチャ誕生日おめでとう&『santuario』(作品ページ)でフーゴがナランチャに預けた鍵は実は返してなかったというお話。
フーゴ「いい加減に返せ!」
ナランチャ「いいじゃん、もーちょっと貸しててくれよ。あ、じゃあさ、オレの部屋の合鍵やるから。はい」
フーゴ「いらない。いいから返せって」
ナランチャ「やだね」
フーゴ「ったく……。失くすなよ!?」
ナランチャ「やったー」
フーゴ「ほら、自分の鍵もちゃんとしまって」
ナランチャ「だからそれはフーゴにやったんだってば」
フーゴ「いらないって言ってるのに……」
というような遣り取りが『Santuario』とこの話との間にあったと思っていただけたら幸いです(作中には書けなかった)。
で、結局ナランチャが置いていっちゃったナランチャの鍵を『Lotta』(お題ページ)で使っていると、そういう時系列だと思っていただきたいです。
『Santuario』→『Buon Compleanno』→『Lotta』→『Escape』→『darkless』って感じで(各ページをリンクさせました)。
<利鳴>

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