フーナラ 全年齢


  眠らない鼓動


 カーテンを開けたままの窓からはオレンジ色の西日がまともに降り注いでいる。にも拘わらず、その日溜まりを見事に受け止める位置にあるベッドで横たわる少年は、――両の目蓋は閉じているとはいえ――眩しさに眉をひそめることすらせず、ともすれば人形か、あるいはそれとは別の意味での“命を持たぬ存在”なのではと思えるほどに、ぴくりとも動かない。
 好き勝手に撥ねた黒髪。同じ色の睫毛。薄く開いた唇。細い首筋。小柄な体格。無防備な手足……。それ等をじっと見詰めていると、強い力に引き寄せられていくような気がしてきて、フーゴは慌ててかぶりを振った。
(どうしよう……)
 そんな光景を夢見たことは一度もない。と断言すれば、それはきっと嘘になる。
(でもまさか、こんな形で……、こんなにいきなり……)
 事の起こりは任務の最中、今から1時間ほど前の出来事だった。

 「単独で動くな」と伝えようにも、彼の姿は簡単に声が届くような距離にはなかった。急に身を翻すように走り出したターゲットの男を、ナランチャは――おそらく反射的に――追い掛けて行ってしまった。
 本来であれば、ターゲットと直に接触するのはリーダーであるブチャラティか、年齢に反して彼の次にこの世界に身を投じている時間が長い――実質的にはサブリーダーに当たると言えるのかも知れない――フーゴであったはずだ。
 ナランチャに与えられていたのは、ターゲットの退路を断つ役目。長い射程距離と、広範囲に対応出来る探知能力を持つ彼に、それは最も適していたはずだった――反対に、ターゲットの“説得”は、彼の性格ではあまり向いていない――。想定していたエリアを今にも外れそうな位置に突如相手が現れさえしなければ、そもそも彼の出番はないままに終わっていた可能性も高い。
 そういう意味では、早期の接触を果たせず、ターゲットをエリアの外へと近付けてしまったことにこそ問題があったと言えるだろうし、ナランチャは適切な判断をし、自分の役割を全うしようとしただけのことになるのだろう。それなのに、咄嗟に「行け」よりも「待て」と叫びそうになったフーゴは、過保護と笑われても仕方がないのかも知れない――それどころか、真面目に任務を遂行する気があるのかと叱咤されても弁解の余地はない――。ナランチャがターゲットと接触したことに誰よりも早く気付いたのも、離れた位置にスタンバイしている彼の動向を視界の隅で窺っていたからに他ならない――と言っても、その所為でターゲットを見落としたわけではない……はずだ――。
(ナランチャの実力を信用していないわけじゃあないんだ……)
 フーゴは誰にともなく言い訳をするように心の中で呟いた。
(ぼくは、ただ……)
 ただ、なんなのだろう。
(分からない……)
 あるいは、分からないということにしておきたい。
(……今は余計なことを考えてる場合じゃあない)
 フーゴはぶんぶんとかぶりを振ると、ナランチャの後を追った。最も優先すべきは任務だ。だが、ターゲットもナランチャも、なかなかにすばしっこく、追い付くのは容易ではなかった。何度か見失いそうになりながらも、高低差が多く迷路のようになっている裏路地を抜けて、やっとその姿が近付いた時、それは起こった。
 ターゲットの男は、逃げられないと悟ったのか、不意に足を止め、振り向いた。かと思うと、両手を前へと突き出すような身振りを見せた。その動きに応えるように、何もなかったはずの空間に、大きな波“のようなもの”が現れた。
「あれは、スタンド……!?」
 ターゲットの男はスタンド使いであった。そんな情報は、他のチームによって事前に行われた調査の報告書には、ひとつも書かれていなかった。
 その攻撃に、ナランチャは咄嗟に対応出来なかったようだ。与えられていた命令がターゲットを“捕らえろ”ではなく、“始末しろ”であったなら、離れた位置からの攻撃が可能な彼は、とっくにそれを遂行出来ていた――相手の射程範囲にまで近付く必要はなかった――だろうに。
 大きな津波のようなスタンドが、ナランチャの全身を一瞬で覆った。だが、物理的な衝撃は何もなかったようで――髪の毛が強風に吹かれたようにちょっと乱れているだけで、外傷も皆無であるようだ。服や体が濡れているということすらない――、それを受けたナランチャも、駆け付けたフーゴに「何が起こったのか分からない」というような顔を見せた。
「ナランチャ! 大丈夫ですかッ!?」
 表情に焦りの色を見せたのは、彼等2人だけではなかった。
「なっ……、もうひとりいたのかッ!?」
 ターゲットの男は、フーゴの姿に気付いた途端、目に見えて狼狽え始めた。
「もうひとりどころの騒ぎじゃあない。今他の仲間もこちらに向かってきているはずだ。お前は完全に囲まれているぞ。大人しく――」
 フーゴの言葉を遮るように、何かが地面へと落ちるような音がした。振り向いたフーゴの視界に飛び込んできたのは、倒れたナランチャの姿だった。それは、糸の切れた操り人形に似ていた。
「……ナランチャ……?」
 彼の両目は閉じており、ぴくりとも動かなかった。フーゴの声は、届いてすらいないようだ。
「ナランチャ!? しっかりしてください! ナランチャ!!」
 肩を強く揺さ振っても、彼は言葉を返してはくれなかった。フーゴは、一瞬の内に“最悪の事態”を脳裏に描いた。
「何をした?」
 フーゴはゆっくりと男の目を睨んだ。その声は、自分のものとは思えないほどに低く、冷たく響いた。「殺してやる」。不思議とそう言っているようにも聞こえた。「“そう”して何が悪い?」と、自分の中にいる“もうひとりの自分”が問う。
 男は、弾かれたように踵を返そうとした。が、フーゴの手が男の胸倉を掴む方が早かった。そして掴んだ直後には、彼はすでに力一杯男の顔面を殴っていた。鈍い音の後に続いた悲鳴をかき消すように、フーゴは叫んだ。
「ナランチャに何をした!? 答えろ!!」
「やめろ、フーゴ!」
 いつの間に駆け付けたのか、止めに入ったのはブチャラティだった。だが、彼が睨むような視線を向けているのはフーゴではなく、ましてやターゲットの男――鼻が折れているようで、その顔面はひどく歪んでいる――でもない。彼の目は、フーゴの背後、そこに現れたスタンドのヴィジョンへと向いていた。
「フーゴ、パープル・ヘイズを戻せ。話を聞き出すまでは、その男は殺せない」
 ブチャラティの目が、一瞬だけ倒れたままのナランチャへと向いた。彼が何等かのスタンド攻撃を受けたのだとしたら――十中八九そうだろう――、それを解除出来るのは本体であるこの男のみかも知れない。本体が死んでも解除されない能力……。そんなものがあったとしたら……。
 フーゴは舌打ちをすると、地面へ叩き付けるように男の体を離した――同時にフーゴのスタンドも姿を消した――。
「さっさと話せ。殺さずに痛め付ける方法なんて、いくらでもある」
 汚らわしい物を見るような目で、フーゴは呻き声と喚き声を交互に上げる男を見下ろした。そこへブチャラティの溜め息の音が混ざった。
「少し落ち着くんだ、フーゴ。ナランチャは眠っているようだ。外傷はない。呼吸はしているし、脈も静かだが正常の範囲内だ」
 その言葉を聞くのがあと数秒遅れていたら、フーゴは再び男に殴り掛かって――あるいは蹴り付けて――いたかも知れない。その気配を察したのか、男は聞き取り難い――鼻だけではなく、前歯も折れているのかも知れない――声でようやく喋り出した。
「お、オレのスタンドは眠らせるだけだっ! 『死んだように眠る』だけ! 24時間、ひとりの人間を眠らせる。ひとりだけだ! 一度に複数の人間には使えない。ひとりに対して能力を使うと、24時間経ってそいつが目を覚ますまでは別の相手に使うことは出来ない。人間以外の動物にもだ。あんた達も思ったことがあるだろ!? 『眠ってる間に面倒なことが全部済んじまってたらいいのに』って。それがオレの能――」
 フーゴは拳を振り下ろした。その手は、男の頬ギリギリを掠め、地面を殴り付けた。
「余計な話をするな。簡潔に話せ」
 フーゴの拳には血が付いていた。先程男を殴った時の物と、たった今裂けた皮膚から噴き出た彼自身の物。彼が生身ではなくスタンド――拳のカプセルからウイルスを撒き散らすパープル・ヘイズ――であったなら、おそらく、ここにはすでに生きた人間は存在していなかっただろう。
「スタンドの解除方法は? お前の死か?」
「ひいぃッ!! お、オレを殺しても解除はされない! 24時間だ! 24時間経たないと、オレにも解除することは出来ない! 何をしても絶対に目を覚まさないし、眠っている間はどんな攻撃も受け付けない! 殺すような力はないんだ! 逆に何をしても死なない! 殺せない! 一度にかけられるのはひとりだけで、他の仲間がいることが分かってたら使わなかった! その場合はむしろ自分に――」
 まだ混乱している――あるいは怯えている――ようで、男はやはり余計なことまで喋ろうとしていた。
 フーゴは男の腹部を踏み付けた。
「何度言えば分かるんだ、このクソ野郎がッ!!」
「フーゴ、その辺にしておけ」
 本気で止めようと思えばもっと早くそうすることが出来るだろうに、ブチャラティは男がしっかりと悲鳴を上げるのを待ってからのようなタイミングで溜め息交じりに言った。
「能力の件はだいたい分かった。どうやら、嘘は吐いていないようだ」
「信用するんですか?」
「信用しないのか?」
 2人の言葉の主語が違っていることは、すぐに分かった。
「……いえ、ブチャラティがそう言うなら……」
 彼の――スタンドとは別の――特技を思い出しながらフーゴがそう言うと、満足そうな頷きが返ってきた。しかし、
「……それなら、この男にはもう用はありませんね?」
 フーゴの発言に、ブチャラティの表情は再び曇った。
「元の任務のことを忘れているな? そっちはまだ手付かずなんだか……」
 ブチャラティはやれやれと言うように幾度目かの溜め息を吐いた。
「分かった。後のことは、オレとアバッキオで片付ける。お前はナランチャを連れて帰還しろ」
「でも……」
「命令だ」
「……分かりました。……そうですね。きっとナランチャも、自分で殴りたかったと言うでしょうから、殺すのはやめておきます」
 ブチャラティはまだ何か言いたそうな顔をしながら、携帯電話を取り出した。その視線はターゲットの男よりも、フーゴの様子を窺っているようだった。
「アバッキオ、オレだ。すぐに来てくれ。ターゲットを捕獲した。予定通り情報を聞き出しておいてくれ。オレとフーゴはナランチャを安全なところへ……。ああ、そうだ。相手はスタンド使いだった。……ああ、命に別状はない。ナランチャを運んだら、すぐに合流する。……場所? 場所は……、さあ、オレにもよく分からない。ムーディ・ブルースで追跡してきてくれ」
 少々無茶苦茶な指示を出しながら、ブチャラティもスタンド――スティッキー・フィンガーズ――を出現させた。サイボーグのような外見をしたそれは、地面に横たわったままのナランチャを抱え上げた。スタンド能力を持たぬ者が見れば、その体は宙に浮いているように見えるのだろうが、ブチャラティはそんなことは気にしていないようだった。
「ここからなら、アジトよりもナランチャのアパートの方が近いな」
「ええ、そうかも知れません」
「ではそこへ運ぼう。ターゲットをアバッキオに渡したら、すぐに向かう」

 そんな経緯で、フーゴ達はナランチャの部屋へとやってきた。途中で誰ともすれ違わなかった――スティッキー・フィンガーズに横抱きにされて宙に浮いている状態のナランチャを目撃されなかった――のは幸運だと言えただろう。フーゴもブチャラティも、ナランチャよりも身長は高いが、人ひとりを抱えて移動する――ましてや、階段を上がる――のは楽なことではなかったに違いない。スタンドには力があるが、何かの拍子に殺人ウイルスのカプセルを割ってしまったらと思うと、フーゴのそれは使えない。ブチャラティがスティッキー・フィンガーズで抱えて行ってくれた――それが出来た――のは、かなりありがたいことだった。
(……じゃあ、ぼくは何のためにここまで来てるんだ?)
 ブチャラティが最初から自分――のスタンド――で運ぶつもりだったのなら、フーゴが同行する必要性は全くなかったのではないか。ナランチャの服のポケットから鍵を取り出すのも、それを使ってドアを開けるのも、全てブチャラティが自分でやっていた――手が塞がっているのは彼のスタンドだけで、彼自身は両手とも自由だ――。フーゴが何かを手伝う必要は一切なく、彼はただ後ろをついてきただけだ。
(それとも、ぼくをあの場から離すだけの目的だった……?)
 「このままではターゲットの男を殺しかねない」とでも思われたのだろうか。
(……否定するのは難しいかも知れない)
「24時間……だったか」
 呟くように言いながら、ブチャラティは壁に掛けられた時計を見上げた。ナランチャにかけられたスタンド能力が解除されるというその時刻までは、あと23時間近くもあった。
「フーゴ」
「はい」
 ブチャラティがとにかくあの男からフーゴを離そうと思ったのは正解だったかも知れない。すっかり冷静さを取り戻すことが出来たフーゴは、兵士のように姿勢を正した。
「オレは戻ってアバッキオに加勢する。お前はここに残るんだ」
「……は?」
 冷静さは取り戻した……と思っていたが、まだそうではなかったのだろうか。あるいは、怒りはおさまりはしたが、少し頭が混乱しているのか。ブチャラティの言葉を理解するのに、いつもより長い時間が必要だった。
「ナランチャが目を覚ましても、状況が分からないだろうからな。説明してやる必要があるが、メモを残しておくよりも、誰かが直接話してやった方がいいだろう。それに、あの男に仲間がいたら、仕返しのつもりで何かしてこないとも限らない」
「でも、眠っている間は、一切の攻撃を受け付けないと……」
 本来は、敵からの攻撃をやり過ごすための能力なのかも知れない。だが、本当に敵の目の前でそれを使うのは得策だとは思えない。急に眠り出した相手に、何をしてもダメージを与えられないと分かった時、自分ならどうするか……。
(ぼくなら、迷わず重りを付けて海に捨てる)
 酸素の供給すらスタンドの能力でカバーされているのだとしても、その効果が切れ、目を覚ましたのが深い海の底なら、助かることはまず不可能だろう。殺すわけにはいかない事情が――今回のように――ある場合でも、眠っている間に拘束して、目を覚ますのを待てば良い。能力を連続で使われた場合――それが可能なのかは不明だが出来ると仮定して――は少々厄介だが、それも逃げられないようにさえしておけば、あとは根気良くスタンドを出せなくなるまで神経が疲労するのを待てば良い。「24時間」という制限を知らなくても、おそらくやることは変わらない。
 攻撃の手段としてだけではなく、防御用の能力だと考えても、色々と中途半端――おそらく本体がそういう性格なのだろう――だ。あまり使い勝手が良いとは思えない――だからこそ、自分にではなく、ナランチャの足止めに使ったに違いない――。だが、同じ理由で、今のナランチャが絶対に安全だとも言い切れない。あの男に仲間がいたとしたら、この能力の特性も知っていておかしくない。すぐにどうこうすることは出来なくても、連れ出して、目を覚ました時に到底助からないような場所へ放置してしまえば、報復は充分果たせる。今度こそ冷静になって考えれば、抵抗の術がないナランチャをひとりにしておくのは、安全だとは言えない。
「そう……ですね。誰かがついていた方が良さそうだ……」
 フーゴは、ナランチャの身を案じる以上に――それより優先して――敵への憎しみばかりを抱えていた自分に気付き、そのことを恥じた。
(その役目は、こんなぼくには相応しくないのかも知れない……)
 だが、ナランチャにつく“誰か”として自分以外の誰かが選ばれるのも嫌だと思ってしまった。身勝手にもほどがあるとは分かっていながら。
 ブチャラティは全てを見通しているかのように微笑むと、フーゴの肩に手を置いた。
「オレはお前が適任だと判断した。頼んだぞ」
 リーダーが命令するのであれば、「相応しくない」なんて言ってはいられない。そんな言い訳をしながら、フーゴは頷きを返した。
「分かりました。……すみません、まだ任務の途中だったのに……」
「おっと、任務のことは忘れたんじゃあなかったのか?」
 ブチャラティはおどけたような表情で言った。フーゴには言い返す言葉があるはずもなかった。
「これだって外せない大事なことだ。任務以上にな。それに、“むこう”はアバッキオが得意だから大丈夫だ」
 そう言って、ブチャラティはにやりと笑ってみせた。今頃あの男は、どんな手段で情報を引き出されていることだろう。さっさと全部吐いてしまわないと、あの時パープル・ヘイズに殺されていた方が楽だったと身を持って知ることになるぞと思いながら――むしろ是非そうなっていて欲しいと願いながら――、フーゴは再び頷いた。
「何かあったら連絡するように。電話は取れるようにしておく」
「分かりました」

 そしてフーゴは、ナランチャと2人切りになってしまった。ブチャラティが出て行ったドアが閉まる音が止んだ時、急にそのことが現実味を帯びたように感じられて、フーゴは思わず息を呑んだ。
 視線を向ければ、手足を投げ出したように眠っている少年の姿がそこにある。その体は、年上とは思えないほどに小柄だ。無防備にさらけ出された首筋なんかは、スタンドを用いれば簡単に折ってしまえるのではないか――もちろんそんなことをしたいとは微塵も思わないが――。何かを言い掛けたように薄く開いた唇。頬に影を落とす長い睫毛。夜空のような色をした髪。それ等は全て、手を伸ばせば届く距離にある。
(どうしよう……)
 心臓の鼓動が早まる。
 “どう”する必要もない。ただ敵が乗り込んできた時にいち早くそれに気付いて“排除”すれば良いだけだ。その敵も、必ずやってくるとは限らない。あの男に仲間がいるとしたら、子供染みた“仕返し”なんかよりも、仲間の救出を優先するだろう。それも、あの男にそこまでする価値があるならの話だ――ないのなら、報復の必要もありはしないだろう――。
 今の状況でフーゴにすべきことなんてありはしない。何もしない。それが最適だ。ナランチャの部屋に、ナランチャと2人でいること。それを意識するのも、“すべきこと”ではない。そう分かっているはずなのに、焦りに似た感情はおさまりそうにない。
 誰に咎められたわけでもないのに、フーゴは目の前の光景から顔を背けた。人が寝ているのをじろじろ見るなんてマナーは、いつの時代のどの国にもありはしないだろう。
 だが、そうして――無意味に壁を見詰めて――いられたのはほんのわずかな間だけだった。意識したくはないのに、視線を向けずにはいられない。そんな矛盾を排除出来ぬまま、直視よりは良いとでも思いたいのか、フーゴは横目で彼の姿を今一度見た。
 どうしてそうなるんだと突っ込みを入れずにはいられない――それだけでは済まずに手を上げたくなることも、実際に上げることもある――ような発言ばかりをする口も、眠っている今は流石に静かだ。受けたスタンド攻撃の所為なのか、寝ている時はいつもそうなのか……。どちらであったとしても、起きている時とのギャップが激し過ぎて、なんだか落ち着かない気持ちになる。寝返りも打たず、呼吸の音さえ空調の音にかき消されている。思わず近付いていって、本当に眠っているだけなのか、本当に24時間後には目覚めるのかを、確かめたくなってしまう。
 どうやって?
 声を掛けるのは無駄だと分かっている。肩に触れるのだってもう試したではないか。本当に何をしても起きないのか? “何をしても”……?
(馬鹿な……っ)
 “そんなこと”をする勇気なんてない。“どんなこと”だと尋ねられて答える度胸も。不意に目蓋が開いてその大きな瞳で見詰められ、慌ててなんでもないように振る舞う必要はないはずだと、分かってはいても。
 彼へ向けるこの想いは、世間一般で言われるレンアイカンジョウなんかではない。……そんな否定の言葉は、ただただ空々しい。
 恋ではない。
 愛でもない。
 そんな言葉は、偽りでしかない。
 「ナランチャのことが好きだ」。いつの頃からか、フーゴはそのことに気付かない“フリ”をしていた。つまり、本当はとっくに気付いていた。
 彼のことが好きだ。そうでなければ、任務の最中に彼の様子を気にしたり、彼が攻撃を受けたと知ってあそこまで激高することはなかっただろう。
 『スタンド能力が効いている間は何をしても起きない』……。ある意味それは、良かったのかも知れない。もし“甘ったるいおとぎ話のような方法で”目覚めさせられる――それしかない――なんて言われていたら、果たしてそんなことが出来たかどうか……。攻撃を喰らったその場にはブチャラティもいたから、彼が「フーゴが出来ないなら自分が」なんて言い出していた可能性だってある――「人工呼吸みたいなものだろ」なんてことを平然と言って――。そうならなかったことは、本当に良かった。
 不純な視線を向けられているなんてことも知らずに眠っているナランチャは、一体どんな夢を見ているのだろうか。その中に自分がいたら……。ついそんなことを願ってしまう。
 いつの間にかフーゴは、息をひそめていた。その代わりのように、心臓の音が煩い。
(どうしよう……)
 そのしつこい自問は、もう何度目になるだろう。
 寝ている姿をこのまま見ているなんて出来るわけがない――そんなことをしたら心臓がもたない――。だが、ブチャラティから与えられた指示は、身を守る術がないナランチャの護衛――フーゴはあえて事務的な言葉を選んだ――だ。護衛対象から離れるわけにいかない以上は、距離を取ると言っても精々壁一枚隔てた程度が限界か。その場合でも、異変が起きていないか、ずっと意識は集中させていなければならない。さもなくば、いつの間にか姿が消えていたなんてことになっても、いつまでも気付けないだろう。つまり、常に彼のことを考えて――意識して――いる必要がある。彼が眠る部屋の壁に張り付いて、聞き耳を立てて……? 想像してみた自分の姿は、多少の距離を取っているとはいっても、おおよそ健全であるとは言い難かった。
(やっぱりアジトに連れて行ってた方が……)
 同じように護衛するにしても、他の仲間もいればおかしな気を起こすこともないだろう。だが、そんなことを言っても今更過ぎる。
 フーゴは壁の時計を見た。ブチャラティが出て行ってから、ほんの数分しか経っていない。まだ太陽がようやく消えようという時間帯だ。ナランチャが目覚めるまでの1日――24時間――ではなく、“今日1日”という意味でもまだ長い。
 その間、ずっと彼と2人切り。頭の中は、ずっと彼のことを考えている状態……。
 彼が目を覚ましたら、状況を説明しなければいけない。果たしてそれは、上手く出来るだろうか。なんと言って説明すれば、寝起きのナランチャでもすぐに理解出来るか……。
(それを考えないといけないのに……)
 こっちを見て欲しい。
 触れ合いたい。
 同じように思って欲しい。
 そんな言えるはずもない言葉ばかりが頭に浮かんでくる。
「ああもうっ!」
 声を上げても、やはりナランチャはぴくりとも動かない。
 タイムリミットまでは、あと22時間30分。
 いっそのことその間に「好きだ」と伝える練習でもしてみようかなんて馬鹿げた考えは、早々に却下した。


2020,07,10


関連作品:寝覚める予兆


好きな曲の中から1曲選んでそれをテーマに! という企画なのですが、真のテーマは「すぐ傍に無防備で寝てる受けがいるのに手を出せないヘタレ攻め」です!
<利鳴>

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