ジョル→ナラ 全年齢 フーナラ、ミスジョル前提

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  sleepover 〜彼の思うことを〜


 なんだかパッとしない天気だなぁと思いながら、ナランチャは事務所のドアを開けた。呑気な口調で挨拶をした直後に、仲間の姿が数人分足りていないことに気付く。
「あれ、フーゴは?」
 彼がナランチャよりも遅いなんてのは、少々珍しいことだった。フーゴはあまり朝に強い方ではないようだが――故に起こす時にはそれなりの心の準備を要する――、それでもナランチャよりは早くやってきて、この時間には一日のスケジュール確認を始めていることが多い――そうでない日はナランチャと一緒に事務所に到着する――。
「フーゴなら、もう出掛けた」
 そう教えてくれたのはブチャラティだった――アバッキオは全く興味がないというような顔で新聞を読んでいる――。そういえば、朝一で出掛けるようなことを言っていた気がしないでもない。
(うん、そーいえば言ってた。明日早いって)
 だから昨日は別々に帰ったのだった。
「ミスタとジョルノもいないんだ?」
 ナランチャはついでのように言った。
「ミスタも出てる。別件だが、こっちも仕事だ。他所のチームから急に応援の要請が入った」
「ふーん」
 ミスタが呼ばれるということは、仕事の内容はおそらく俗に言う“荒っぽいこと”なのだろう――事務的なことや、穏便な話し合いではなくて――。それなら自分が行きたかったと、ナランチャは思った。他のメンバーが出掛けていて自分は留守番だなんてつまらない。だがタイミングが合わなかったのだから仕方がないと納得する。そんなことでごねるような子供ではない――流石に――。それに、戦闘能力で負ける気はしないが、ミスタの方が都合が良い場合があるというのも理解している。ミスタは銃を使える。それを突き付けるだけで――発砲はしなくても――戦いが決着する――そもそも“戦い”にまで発展しない――ことは少なからずある。一方ナランチャのエアロスミスは、相手がスタンド使い――“見える”者――でなければ、脅しにも使い難い――見えてもいない相手を中途半端に射撃したら、パニックを起こされて返って面倒になることもある――。今日のところは後輩に出番を譲ってやろうと思うことにした。
「ジョルノは……まだ来てないな。特に連絡は入っていないが……」
 珍しいなと、ナランチャは思った。ブチャラティも同じことを考えているらしいことは、その表情で分かる。
 ジョルノがチームに入ってきてから、まだ長い期間は経っていない。故に、彼についてはまだよく分かっていない部分があるだろうとは思っている。が、少なくとも誰よりも遅い時間にやってきて、それが当然であるというような顔をしているなんてことは、おそらくしないだろうというのがメンバー全員の認識だ。学校に籍を残しているらしく、気紛れ――なのかなんなのかはナランチャは知らないが――で時々授業に出る時以外で、この時間になっても来ていないというのは……。
「今日学校?」
「あるともないとも聞いていないが、そろそろ復活祭じゃあなかったか? 最近の学生は休まないのか?」
「知らない」
 ブチャラティとナランチャの2人では、“一般的な学生”に関する情報は少々不足しているようだ。アバッキオなら分かるかも知れないが、彼は相変わらず関心のない顔をしている。
「体調でも崩したんならまずいな。連絡を……」
 そう言ってブチャラティが携帯電話に手を伸ばした直後に、ドアが開く音が聞こえた。振り向くとそこに、ジョルノがいた。
「あ、ジョルノ」
 「よう」とナランチャが軽く手を上げてみせると、しかしジョルノは聞こえるかどうかギリギリの小さな声で、「おはようございます」と、ぼそっと返してきた。視線はこちらを向きもしない。ナランチャは一瞬面食らった。同じような顔を、ブチャラティもしていた。
 いつもならアバッキオ辺りが「新入りのくせに一番遅く来るなんていい度胸じゃあないか」とでも――決まった出社時間がある勤め人でもないのに――突っかかっていきそうなものだが、今日はそうはならなかった。
 ジョルノの表情は、妙に曇っている。そんな顔の彼を見るのは初めてだ。彼の中に知らない誰かが入り込んで――その肉体を乗っ取って――いるようにすら感じてしまう。アバッキオでさえ、不用意に触れることを躊躇うほど。
 出入り口に一番近い位置の椅子に腰を降ろしたジョルノは、明らかにどこも見てはいなかった。
(なんかあった?)
 厄介事は御免だと言わんばかりに、アバッキオは一定の距離を保つことに決めたようだ。ブチャラティの許へ行き、急ぐ必要があるとも思えないような先の予定の確認を、妙に念入りにし始めた。少し露骨過ぎないかと――ナランチャでさえ――思ったが、ジョルノはなんの反応も示さない。周りの風景なんて、見えてすらいないのではないだろうか。
 「触ってはいけない」みたいな雰囲気は、ナランチャは好きではなかった。そんな、触れると害があるみたいな扱いは。
「ジョルノ!」
 今一度、ナランチャは手を上げた。ジョルノ本人よりも早く、アバッキオの咎めるような視線が飛んでくる。が、無視した。挨拶をするのに、何故躊躇う必要がある。
「おはよ!」
「おはようございます」
 ほら、ジョルノだって、トーンはかなり低いが、ちゃんと返してくれたではないか。
(普通にしてりゃあいいんだよ。フツーに)
 だが、次の質問は明らかにNGだったようだ。
「なんか元気ない? なんかあった?」
 ジョルノの表情が俄かに険しくなる。空気がぴんと張り詰めたのを感じた。
 しばしの間の後に返ってきた声は、実に刺々しかった。
「何もありません」
 いくらナランチャでも、ジョルノの言葉を額面通りに受け取るのが正しくないとすぐに分かった。本当は何かあったのだろう。同時に、それを聞いてほしくもないのだ。
 ジョルノのリアクションを受けて、「ほらみろ」と言うような視線が飛んでくる。アバッキオだ。ナランチャはそれを肩を竦めるだけでやり過ごした。
 それ以降は、与えられた仕事――ファイルをアルファベット順に並べるだけの簡単なもの――に専念した。ジョルノも、任された資料作りに取り掛かった――しかしあまり捗っている様子ではない――ようだ。
 午後になってから、ブチャラティが「出掛けてくる」と言った。アバッキオも同行するようだ。ナランチャは自分も行きたいと思った――事務所でじっとしているのはつまらない――が、行き先によっては大人2人の方が都合が良い――あるいはそうでなければ入れないような場所に用がある――ようなこともある。午前中のミスタの任務の件もそうだが、世の中というやつは、なかなかどうして思い通りには出来ていないようだ。むしろ、どちらかというと面倒の方が多いらしい。
(面倒って言えば……)
 ナランチャは視線を移動させた。彼の後輩は、手元の資料をじっと見ている。弱冠15歳にして、この男の頭の中も、だいぶ面倒な事態になっているらしい。一体何を悩んでいるのやら。
 「今日はおそらく戻らない」と言うブチャラティ達を見送って、再び仕事――今度のそれは、破棄する書類を細かく裁断すること――へ戻る。日が暮れてそろそろ帰ろうかという時刻になるまで、ジョルノは一言も喋ろうとはしなかった。
(ほっといて欲しそうなのは分かるんだけど、いつまでほっとけばいいんだ?)
 「そろそろ帰るぞ」というのをどうすれば放っておきつつ伝えることが出来るのか。
(無理じゃねぇ?)
 ナランチャまで悩み出すのを待っていたかのようなタイミングで、数時間振りにジョルノが口を開いた。
「ナランチャ」
 先程の刺々しさは、だいぶ消えていた。それでも不意のことだったので、反応するのに一瞬の間を要した。「なに?」と尋ねると、ジョルノも首を傾けた。
「今日、これから貴方の部屋に泊まりに行ってもいいですか?」
「へっ?」
 ナランチャは瞬きを繰り返した。
 ジョルノを自分の部屋に泊めたことは少し前にもあった。その時は住んでいる建物が工事だか点検だかで出入り出来なくなってしまったと言っていたのを、ナランチャの方から自分のところへ来ればいいと誘ってやったのだった。
「また帰れないの?」
「そうじゃあありませんが」
 ジョルノはかぶりを振った。
「ひとりでいても退屈だなぁと思って」
 その気持ちはよく分かる。ナランチャも、同じ口実でフーゴの部屋に上がり込んでいることが少なくない。もっと前は――最近は行っていないが――ブチャラティに泊めてもらうこともあった。
 だが、そう言ったジョルノの目が“自分と同じ”ではないことに、ナランチャは気付いていた。一言で表現するなら、なんだか“怖い”。唇は緩いカーブを作っているのに、笑っているように見えない。時間が経って少し落ち着いたかと思ったが、彼の中ではまだ何かが渦巻いているのだろうか。そしてそれを、ナランチャに聞いて欲しいと思っている……? だとすれば、――なおさら――拒む理由はない。彼は大切な仲間のひとりだ。
 「いいぜ」と答えようとすると、ジョルノの“追加”の方が早かった。
「それとも、今日はフーゴがいる日ですか? もしくは、フーゴのところに行く日ですか?」
 本人は笑っているつもりなのかも知れないが、唇の端が微妙に歪んでいるという表現の方がぴったりだ。それは、幼い子供が泣き出す寸前の顔に似ている。
 ナランチャは首を横へ振った。
「今日はなんの予定もない」
「じゃあ、お邪魔しても?」
「いいぜ」
 今度こそそう答えた。
「ありがとうございます」
 2人で戸締りと消灯を確認してから外へ出た。今朝からの天気はあまり変わっていないようで、空はどんよりと曇っている。星や月も、今夜は見えそうにない。
「なんか食ってく?」
 このくらいは聞いてもいいだろう。
「それよりワインが飲みたいな」
 ジョルノはぽつりと呟くように言った。
「じゃあ買って行こう」
 近くの店で適当なワインとチーズを買うことにした。それだけでは夕食と呼ぶには足りないが、温めるだけで食べられるような物が確か部屋に置いてあったはずだ。代金は半分ずつ支払った。本当は年上風を吹かせてナランチャが出したかったのだが、ジョルノが宿泊費代わりにと言って譲らなかったために、間を取って、きっちり半分ずつに分けた――その計算はジョルノがした――。
 2人がナランチャの部屋に着いた直後に、空から雨粒が落ちてきた。強くは降っていないが、少しも濡れずに済んだのはラッキーだ。そう言ってナランチャは笑ったが、ジョルノからはこれといった反応はなかった。
 何か言いたいことがあるなら、あまりかしこまっていない方が良いだろうと、ナランチャはテーブルではなくソファへジョルノを招いた。が、それでもジョルノは口を開かない。まるで昼間の再現だ。何か食べるかと聞いても、今はまだいいと首を振る。グラスに注いでやったワインも、申し訳程度に唇を濡らしただけでほとんど減っていない。何かを抱えているのは間違いないのに、まだそれを言葉にすることが出来ないのだろうか。ならば、その準備が済むまで邪魔をしないようにと、自分も黙り、テレビもつけずにいることにした――どうせ見たい番組も特にない――。
 何分も、その状態が続いた。自分から飲みたいと言い出したくせに、赤い液体は一向に減らない。口に合わなかったのだろうか――ナランチャには特別美味いわけでもないが、不味いということも決してない、どこにでもある極普通のワインにしか思えなかったが――。
(そういえばジョルノってまだ15? あれ? もう誕生日きたんだっけ?)
 もしまだなら、飲酒可能な年齢にはなっていないことになるが……。
(んー……、まあ、いっか)
 現にほとんど飲んではいないのだし。
 手持ち無沙汰なのを紛らわすために、チーズの包み紙で折った小さな飛行機が滑走路の空き待ちのように三機並んだ頃、ジョルノのグラスの中身はようやく半分ほどにまで減った。お陰で彼が座ったまま眠ってしまったわけではないことだけは分かった。
(なんか言いたくて来たんじゃあないのか?)
 ナランチャは4個目のチーズを口に放り込んだ。
(言いたいけど、オレじゃあ頼りないってことか?)
 自分は2つも年上なのに。それに先輩でもあるのに。
(……よし)
 ちょっと強引にでもいいから、抱えているものを吐き出させてみようとナランチャは決め、口の中の物を飲み込んだ。
「ジョルノ」
 と呼び掛けたのと、
「ナランチャ」
 と呼び掛けられたのはほぼ同時だった。
「ん、なに?」
「この前は、聞きませんでしたが……」
 少し意外だった。別にそうして欲しかったわけではないが、ジョルノの性格からして、「先にどうぞ」と話し出す順番を譲られるかと思った。ところが彼は、ナランチャの声なんて聞こえていないかのように、迷った様子すら見せなかった。他人を気遣っている余裕なんてないというように。
「貴方達は、どこまでいっているんですか?」
 彼が順番を譲らなかったのが意外だったのと、質問の意味が分からなかったのとで、ナランチャは首を傾げて瞬きをした。
「誰達? どこって?」
 ナランチャの仕草が面白かったかのように、ジョルノは少しだけ笑った。
(まただ)
 それは少し前に見た表情と同じだった。笑っているのに笑っていない。笑いたいのに、笑えない。そんな笑顔。矛盾だらけにしか聞こえない――フーゴが聞いたらなんだそのデタラメな言葉はと怒りそうな、だがそうとしか言いようのない――表情だ。
「ナランチャは、フーゴと付き合っているんですよね?」
 その質問なら前にもされた。この間、ジョルノが自分の部屋に帰れなくなったと言って泊まりに来た時のセリフ。隠しているつもりはなかったので、素直に肯定した。あの時そこにあったのは、もっと自然な微笑みだったはずなのに。
「どちらから、なんて言って付き合ってるんですか? いつから? 切欠は? お互いの部屋に泊まりに行って、なにをするんですか? どんな風に? どっちから誘う?」
「ジョルノ……?」
 何かに急き立てられるかのように、合間の呼吸さえ忘れてしまったかのように、ジョルノは矢継ぎ早に言葉を投げ付けてきた。
 ナランチャは昼間と同じことを思った。“怖い”。彼が全く見知らぬ人間になってしまったかのようだ。少しずつでも“仲間”として理解し合えていると思ったのは、全くの見当違いだったのか?
(酔ってんのか?)
 グラスワイン半分で?――だがそういえばジョルノはその見た目に似合わず東洋人だ。アルコールには弱いのかも知れない――
 ジョルノの言葉は途切れない。
「あの時貴方は、ぼくに『大丈夫だ』と言いましたよね?」
 そういえば言った。
 あの時、――今ほどではないが――ジョルノの表情がわずかに曇ったように見えた瞬間があった――今はずっと曇りっぱなしだ――。その時、きっと彼はミスタのことを考えていた。そう思った理由や根拠はない。野生の勘のようなものだ。
 それ以前から、ジョルノがミスタに好意を寄せていること――もっとナランチャらしい言葉を使えば、ジョルノがミスタのことを好きだということ――は薄々気付いていた。それも勘だ。それ等の勘と、ジョルノの表情から、その時は2人が何か喧嘩でもしたのだろうかと思った。あるいは、何等かの誤解があったのだろうかと。
 しかしナランチャは、ジョルノがミスタに寄せる感情に気付くのと同時に、ミスタがジョルノに対して抱いている想いにも気付いていた。だから言ったのだ。「大丈夫だ」と。
「どうしてそんなことを言ったんですか? 何を根拠に?」
 そんなものはない。ただそう感じただけだ。ナランチャにはそれで充分なのだが、ジョルノはそうではないらしい。
(うーん、難しいな。なんでって言われても……)
 頭の良さそうなジョルノにも分からないことを、自分に説明しろだなんて、無茶振りにもほどがある。間違いなく良かれと思っての発言ではあったが、言わない方が良かったのだろうかと思い始めてきた。まあ、今更だが。時間を遡ってやり直すなんて、そんな能力を持たない者には、出来るはずもないのだから。
「えーっと……」
 どの質問から答えたら良いのだろう。そもそも、いくつの質問があったのだろう。ここにいるのが自分ではなく、フーゴやブチャラティだったら、もっと簡単にジョルノの言いたいことを理解してやれたのだろうか。
「何も知らないくせに」
 小さな声で、しかし吐き捨てるような口調だった。ナランチャは我が耳を疑った。
(今の、本当にジョルノが……?)
 いつも丁寧な口調で話す彼が、それほどまでに苛立っている。理由も聞かされずにそれを一方的に投げ付けられるのは面白くない。これがブチャラティのような大人だったら、冷静な態度で対応出来たのだろうか――年齢で言えばアバッキオの方が更に大人ではあるが、彼の場合、ジョルノ相手にはちょっと大人気ないところがあるので例外だ――。ナランチャにはそうは出来なかった。
「オレなんかした? したなら謝るけど」
 言葉とは裏腹に、口調は少々喧嘩腰になってしまったが、もう取り消せない。
「いりません。ただの八つ当たりです」
 ジョルノの口調も全く和らぐことがない。それにしても、そんなセリフを堂々と吐くのもどうなんだ。自覚していてなお、詫びる態度は全く見えない。
「なんかあった?」
「だから、何も、ありません」
 ジョルノは急に俯いた。時間差で自分の態度――先輩を相手にするそれではない――に気付いたか。
 ナランチャとて、彼と喧嘩をしたいわけではない。事情さえ話してもらえれば、きっと許す気にもなれる。俯いた顔を覗き込もうとすると、不意に両の肩に強い衝撃を感じた。気付くと彼は、ソファの座面に仰向けに抑え付けられていた。
(えーっと……?)
 状況が良く分からない。見上げた顔が、不意に微笑んだ。
「……ジョルノ?」
 もう少しで「本当にお前なのか?」と尋ねそうになった。
「誰かを傷付けたいと思ったことがありますか?」
 両肩を抑え付ける手により力が込められた。“今”が“そうだ”とでも言うかのように。自分は“奪う者”だと言うように。
 だが、ジョルノの瞳はナランチャを“見て”はいなかった。彼はここではないどこかを……ここにはいない“誰か”を見ている。彼が本当に“傷付けたい”と思っている相手は、自分ではない。ナランチャは、それを直感的に悟った。
 ならば、されるがままでは駄目だ。それでは逆にジョルノが傷付くことになる。
「ジョルノっ!」
 押し返そうとしたが、その力は思いの他強かった。身長の差はあっても、ジョルノの腕だって充分に細いと思っていたのに。
「ねえ先輩、教えてくださいよ。“どうやってするのか”」
 歪んだ表情を浮かべる整った顔が近付いてくる。
 だがそれは、崩れるように俯いた。ナランチャの肩を掴んだまま、がっくりと。金色の髪が顔と胸の辺りに触れて少しくすぐったかった。
「……ジョルノ?」
 返ってきたのは、小さな声だった。
「ごめんなさい。違う……、そんなことがしたいんじゃあない」
「うん」
 それはよく分かっている。
 起き上がろうとすると、今度はあっさりとそれが出来た。
「本当にごめんなさい」
「……謝ってもらわないといけないようなこと、されてないぜ」
 本当は少し震えていた。思い出したくもない過去を――ジョルノは違うと分かってはいても――思い出してしまいそうで。今大切に思える――そして大切に思ってくれる――ものがなかったら、悲鳴を上げていたかも知れない。そうなっていたら、間違いなくジョルノの心に消えない傷を作ってしまっていただろう。そうならなくて――止めてくれる存在がいて――本当に良かった。
 ジョルノは両手で顔を覆っていた。少し篭ったような声は震えている。きっと自分のそれと区別が付かなくて、ナランチャの肩の小さな振動に気付かなかったのだろう。
「自分でも、何がしたいのか分からないんです」
 ジョルノは頭が良さそうだと思っていたが、そんな彼にも分からないことがあるのかと、少々場違いかも知れないことを思った。
(まあ、なんだかんだ言ってまだ子供だしな。オレよりも2つも下だし)
 ジョルノの肩が、急に小さく見えた。
 そんなことをしても見えないのは承知で、ナランチャはジョルノの表情を覗き見るように顔を近付けた。
「ミスタとなんかあった?」
 ジョルノはぴくりと跳ねた。
 聞かれたくないことなのかも知れない。それでもナランチャは、踏み込んだ。それが必要だと感じて。
 ジョルノが答えるまで、数秒の間があった。
「いいえ。……なにも、ありません」
 その微妙なニュアンスに、ナランチャはようやく気付いた。
「構ってくれない?」
 その代わりを、自分に求めようとしたのか? ……いや、それもなんだかしっくりこない。
「……それも、少し違うんだと思います。そうではなくて……」
 “なにもない”から。普通の会話。普通の接触。“それ以上”のものが、“なにもない”から……。きっとジョルノは、不満で、不安なのだろう。“普通”以上の関係を望んでいるのに、それが叶えられなくて。自分は、彼にとってなんなのだろう、と。
「色々、努力はしたつもりなんです」
「何をどう頑張ったのかは聞かないでおくけど」
「ありがとうございます」
 ジョルノは少しだけ笑った――それは、随分久しぶりに見る自然な表情であるような気がした――。
「これ以上どうしていいのか分からなくて、もどかしくて……。そんな時に、貴方が……、貴方“達”が笑っているのを見たら、無性に壊してしまいたくなって……。どうかしていました。本当に、ごめんなさい」
「だから、いいって」
 案外しつこい。
「後でムカついてきたらミスタに当たるからいいよ」
 幸いなことに、その名前を出してもジョルノのわずかな微笑みは消えなかった。
「他人を巻き込むようなことじゃあなかった。すみませんでした」
「ほらまたぁ。しつこいって! 別に相談くらいいくらでも聞いてやるってーの」
 ナランチャはジョルノの顔を真っ直ぐ指差した。
「あと、“それ”! それって、ミスタに大事にされてるってことなんじゃあねーの?」
 もっと酷い男は――場合によっては女も――大勢いる。
 ジョルノは思ってもみなかったというような顔をした。案外鈍いのかも知れない、この男は。それともミスタの態度に問題があるのか。まあ確かに、あまり誠実さは感じられないかも知れない――それがないというわけではないのだが――。
「そう……なんでしょうか……」
 呟くように言った顔は、なんだか妙に幼く見えた。
「オレはそう思うけど」
「でも、それじゃあどうしたら……」
「好きだってのは、ちゃんと言った?」
 『好き』。なんだかんだで、その言葉は今日1日の中で初めて口にしたかも知れない。表情はほぼ変わらないまま、ジョルノの頬がわずかに赤く色付く。
「“努力して”伝えてるつもりで、はっきり言葉で言ってないとか?」
「そう……かも知れません」
「おいおい」
「とっくに……、このくらいやれば伝わるだろうって勝手に……」
 何をしたのかは知らないが、
「でも相手、ミスタだぜ?」
 ジョルノと違って、ミスタは聡明なようには見えない。いや、頭が良さそうなジョルノですら案外簡単なことに気付けずにいたのだから、その逆で、何も考えていないように思えるミスタの方が察しが良かったりして……?
(いやいや、それなら気付いてやれよって話だ)
「はっきり言わないと分かんないかもだぜ? あいつ、結構アホだし」
 本人に向かって言ったら、お前が言うなと言い返してきそうだ。同じようなことを考えていたのか、少しだけ間があってから、ジョルノは小さく噴き出した。
「オレ、難しいこと分かんないけど、たぶん、難しく考えすぎなんだぜ」
「そうかも知れません」
「そうだよ」
 ナランチャは大きく頷いてみせた。
「拗らせ過ぎなんだ」
「難しい言葉を知っていますね」
「馬鹿にしてるだろ」
 だが、ようやくいつものジョルノに戻りつつあるようだ。
「ぼくも貴方くらいシンプルに行動出来たらいいんですけど」
「それはいいな」
 返してから、「あれ?」と首を傾げる。ひょっとして今のも、皮肉だったのか?
(ん? んー……。ま、いっか)
 ここはジョルノの言う通り、シンプルでいこう。
「大事にされたことなんてないから、どうしたらいいのか、難しいです」
 ジョルノは独り言のように呟いた。彼の過去にも、“なにか”あるのかも知れない。きっとそれで、自分の気持ちを他人に伝えるのが下手なのだろう。
 ナランチャは両腕を伸ばして、ジョルノの肩に抱き付いた。そのままぎゅうっと力を込める。
「オレは大事な弟分と思ってるつもりだけどなぁ」
 姿勢の所為で顔は見えないが、驚いたように息を呑む気配。そして、
「それは、ありがとうございます」
 くすりと笑いながらジョルノは言った。
 そのままの体勢で、背中をぽんぽんと叩いてやった。
「どんな感じ?」
「……やっぱり分かりません」
 シンプルで分かり易い答えだ。
「実はオレも」
 2人は声を揃えるように笑った。
 腕を解かぬまま、やはり想い人に対してするのとは意味が違ってくるようだと思った。きっと、本当に伝えたい相手になら、伝わるだろう。
「貴方達も?」
「ん?」
「最初は“こう”したんですか?」
「あー……、どうかな。むしろ殴り合いだったかも?」
「殴り合いから告白って、なんですかそれ」
「んー、ないしょ?」
「めちゃくちゃ気になりますが」
「ふふふ」

 翌日、ジョルノは自分の部屋へ帰って着替えてから事務所に向かうと言って、家主よりも早くアパートを出た。ナランチャはそれを半分寝惚けたままの状態で見送ったが、2歳年下の後輩の表情は、だいぶ晴れやかであったようにも見えた――気がする――。何か力になれたのであれば嬉しい。そう思っている内に、どうやら二度寝していたようだ。少し目を瞑っただけのつもりが、時計の長針は文字盤を1周し終えていた。
 簡単に朝食を済ませて、事務所へ向かう。昨日と違い、今日は太陽が見えた。
 事務所のドアを開ける直前で、中から話し声が聞こえてくることに気付いた。誰かいる。数秒遅れてそれがジョルノの声だと気付く。一度自室に帰っているはずなのに自分より早くついているとはと少々驚いたが、ジョルノは二度寝はしていないなら、まあ不思議はないか。自分ならもうちょっとゆっくりしてからと思うところだが。
「話が、あるんです」
 ジョルノがそう喋っているのを聞いて、どうやら他にも誰かいるらしいと気付く。独り言を言っているか電話中でもないなら、相手がいるのはむしろ当然のことだと、少し考えれば分かったのだろうが。
「なんだよ、改まって」
 ジョルノの声に返事をしたのはミスタだった。ジョルノは昨夜の“アドバイス”を早速実行するつもりになったのか。あの後彼は、「もう少し考えてみますね」と言っていたはずだが、まさか寝ないで考えたとでも言うのか。それともナランチャの助言に従って、考えるのをやめたのか。
 とりあえず、今このドアを開けるのは得策ではあるまい。立ち聞きも良くない。少しどこかで時間を潰してくるかと踵を返しかけた時、意を決したような声が聞こえてきた。
「ミスタ、ぼくと戦ってください! そしてぼくが勝ったら、付き合ってください!」
 ミスタの反応は――ナランチャに分かる形では――なかった。が、予想は付く。ぽかんと口を開けた表情は。
(あいつ何言ってんの!?)
 何を考えた結果なんだそれは。やはり何も考えなかったのか。
(それはなんか違くないか!? え? オレの所為!?)
 もう少ししたら、他の仲間達もやってくるだろう。その時中の2人が殴り合いをしていたら、一体どう説明すれば良いのだろうか。


2018,02,18


ミスジョルでフーナラなんだけどちょっとだけ百合の香りが漂う感じにしたかった前作が、あんまりそう出来なかったのが残念でリベンジに挑みました。
略して百合ベンジ。
ジョルナラっぽい話は過去にも書いたことがあったのですが、ミスジョルもフーナラもどっちも前提だと結構難しいです。
<利鳴>

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