陣凍小説を時系列順に読む


※幼少期の設定が一部の他作品と多少異なっておりますので、それらの作品との接点はない別の話としてお読みください。


  眼には見えない蒼い宝石


 青い眼が自分のことを見ている。凍矢は、とっくにそのことに気付いていた。いや、“見ている”なんて表現では生ぬるい。凝視している。無遠慮かつ、不躾に向けられるその視線は、ひとりの子供によって作り出されていた。身体の大きさは凍矢とさほど変わらない。もし彼等に年齢を数える習慣があったとしたら、それも同じくらいだろうか。その子供の名は、陣といった。
「……陣」
 自分にも聞こえるか聞こえないか、ぎりぎりの大きさの声だった。しかしそれは陣の耳に届いたようで、彼はぱっと表情を明るくした。
「なんだ? 呼んだだかっ?」
 陣は嬉しそうな顔で距離を一気に縮めてきた。凍矢はたじろぎながら、視線を振り解くように眼を背けた。だが陣は、逆にその顔を覗き込もうとしてくる。
「お前、こんなところにいて修行はいいのか」
 やっとそう尋ねると、陣は手をぱたぱたと振って、「平気平気」と言った。「平気なわけがあるか」とは、心の中だけで返す。たぶん、注意されたところで聞きはしないだろう。
 2人は魔界の深部に住まう忍の一員である。まだ幼く、力も弱いために正式な任務に就くことは許されていないが、いずれそうなることは約束されているも同然だ。今はそれぞれの師から与えられた課題をこなし、より強い技を習得するための訓練中であった。師が里を留守にしている間も……いや、そんな時こそ自己鍛錬を怠らぬようにとは、風使いでも呪氷使いでも区別なく、全ての者が言いつけられていることだ。そのはずだ。にも関わらず、この陣ときたら、他の兄弟弟子達の目を盗んで凍矢の許を訪ねてくることが決して少なくない。そして、凍矢が妖力を用いて氷を張ろうとしている――妖気を一気に放出するための特訓だ――湖の水面を蹴る等して遊び始めるのだ。彼にそうされると、静かな水面と集中力が同時に奪われてしまう。困ったことに、邪魔をしている自覚は本人には全くないらしい。凍矢はこっそりと溜め息を吐く。
「さぼっていることがばれたら、叱られるぞ」
 陣の師がどんな人物なのか、凍矢は知らない――会ったことがない――。が、自分の師と同じ地位の者だということは、きっと同じくらい厳しいのだろう。「来てくれ」と頼んだことは一度もないが、自分のところへ来ていた所為で陣が罰を受けることになったとあれば、夢見が悪い。そう思って早く戻るようにと説得こそすれど、邪険に扱うことは何故か出来なかった。何故か。理由は分からない。
「たまにはいいべ! 休憩も大事だって、師匠が言ってただ!」
「休憩しかしていないように見える」
「細かいこと気にしてっと大物になれねぇって師匠が言ってた!」
 どうやら凍矢の中にある“陣の師匠”のイメージは、実際の人物とは大きくずれているらしい。案外、本当に陣には好き勝手な行動が許されているのだろうか。自分なら考えられない。
 ふと気が付くと、陣の眼はまた凍矢の顔面を射抜かんばかりに真っ直ぐ見詰めていた。居心地の悪さを感じ、凍矢は少し俯き碧い前髪の中に隠れた。その仕草が、却って陣の興味を強いものにしたらしい。
「凍矢の前髪ってなげぇ」
 陣はぽつりと呟くと、手を差し伸べるような仕草をしてきた。それが自分の髪に触れようとしていることに気付き、凍矢は慌てて身を引いた。陣の表情がかすかに歪むが、気付かなかったフリをする。
 凍矢の前髪は、陣の言うように長い。その顔の実に半分以上を覆い隠してしまえるほどに。以前にも、陣に「眼に入らないのか」と聞かれたことがあったが、眼に入る長さをとうに越えているのでそう言った意味では問題はなかった。そして視界は完全に良好だとは言えないが、日々を過ごす上で不自由を感じることはまずない。
「それ、前見えてるだか?」
「見えている」
「邪魔じゃねぇ?」
「邪魔じゃない」
 即答する凍矢に、陣は眉間にしわを寄せた。かと思うと、すぐ眼の前で小さな風が巻き起こった。陣の妖術だ。髪を靡かせて強引に顔を晒させるつもりか。凍矢は慌てて両手で額を押さえた。
「上げるか分けるかした方がいいだ」
「必要ない」
「だってそれじゃあ見えねーもん!」
 それはさっき否定したばかりだ。言っている意味が分からない。それだけではない。わざわざ師の留守を狙って自分を訪ねてくる意味も、自分に笑顔を向けてくる意味も、陣の言動は凍矢には不可解すぎる。そしてそのことを不快だとは感じない理由も、凍矢には分からない。
「視界は問題ない。仮にあったとしても、陣の不利益にはならない」
 淡々とした口調で言うと、陣は反対にムキになったような顔をした。
「なる!」
「ならない」
「凍矢に見えてても、オレが見えねーもん!」
「は?」
「オレは凍矢の顔ちゃんと見たいだ!」
 凍矢は自分の心臓――正確には“核”と呼ばれている器官――が大きく飛び跳ねたのを自覚した。自覚しただけで、それが何故なのかは分からない。またひとつ謎が増える。
「なあ、もしかして顔見られんのキライ?」
 その質問には、言葉で返すよりも先に態度が答えていた。凍矢は陣の視線から逃れるように顔を背けた。
「……あまり、得意ではない」
 物心付いた時から、凍矢はすでに“特殊”であった。“外”から見れば魔忍という存在そのものが随分と閉鎖的な生活をした変わった集団だと思われるだろう。仕事を請け負う時以外は外部の者とは一切接触せず、その所在すら明かそうとしない。厳しい掟で自らを縛り、時を止めるが如く変化を拒む。そんな中でも、呪氷使いである凍矢は殊更異質だ。彼の師は、彼以外の弟子を持つことをせず、何代にも渡って奥義を引き継がせてゆくという存続のシステムを壊しかねない危険を冒している。相手が同じ魔忍の者であっても、凍矢が他者と接触することを禁じている――故に、今こうして陣と会話をしているところを万が一師に見られたら、おそらく大変なことになる――。呪氷使いの“闇”は、他の使い手達と比べても、特に深い。そう教え込まれていた。そんな育ち方をしてきた――強いられてきた――凍矢は、そもそも他人と眼を合わせるという機会が驚くほどに少ない。と同時に、好奇の視線を――影から――向けられることは度々あった。師とたった2人、呪氷使いはどこでどんな生活をしているのだろうとの――そしてもっと聞くに堪えないような内容の――囁き声は、いつの間にか凍矢の耳にも届いていた。一方、陣が向けてくる眼は、他とは違う。好奇心に満ちているという点だけはあまり大きな違いがないということになるのかも知れないが、そこに悪意やそれに類するものは感じない。言うなれば、それは真っ直ぐだった。真っ直ぐすぎるくらいだ。曇りも、濁りもしない透明な視線に、凍矢は逆にどうすれば良いのか分からなくなる。分からないまま緊張し、鼓動が増し、身体が熱くなる。それを引き起こす感情の名を、凍矢は知らない。知らないものに身を委ねるのは、怖い。そんないくつかの理由が重なり、凍矢は他人の視線を避けるようになった。髪を伸ばし、その下に隠れる。いつの間にかそれが“普通”になっていた。だが陣は、平気でそれを掻い潜ってこようとする。
「オレは凍矢のこともっと知りたいだ。ダメ?」
 青い瞳には憂いの色が混ざっていた。凍矢は胸の中心に痛みが生じるのを覚えた。なんだろうこれは。
「オレのこと、キライ?」
 そんなことはないと頭の中で誰かが叫んだ――気がした――。嫌なのではない。耳障りに囁く声達や、目障りな影達とは、陣は違う。どう違うのか? 分からない。陣もまた、何か“異質”な存在なのだろうか。訪ねてこられる度に、今師匠が帰ってきたら大変なことになると“困る”。傷付いたような表情をされるとこちらまで“痛み”を感じる。陣の笑顔に、声に、自分が持ち得ないはずの“熱”を覚える。それらは“嫌悪”とは別の感情だ。嫌なのではない。嫌いなのではない。ただ、分からないだけ……。そんな心境は、おそらく表情にも出ているだろう。それを隠すためにも、髪は長い方がいい。だが陣はそれが気に入らないと言う。
「オレは凍矢のこと好きだ。ううん、凍矢のこと、まだあんまし知らねーけど、きっと好きになるだ。だから知りたい」
 まただ。また熱い。
「す、き……?」
 その言葉の意味を知らないわけではない。だがその感情を、彼は持ったことがない――はずだ――。陣にはそれがあるというのか。それを探ろうとして、陣の眼を見た。が、凍矢の視界は己の前髪によって一部が遮られている。なるほど、確かにこれでは“見えない”ものもあるようだ。ただ陣の眼差しが真剣なことは分かった。そんな眼を向けてくる相手は、彼が初めてだ。それをこのまま避け続けることは、果たして正しいことなのだろうか。
 凍矢はたっぷり10秒以上の間を開けてから、小さく口を開いた。
「…………それ、じゃあ……」
 彼は片手を動かし、指で髪に触れた。それをそのまま耳の後ろへと移動させる。それまで隠れていた眼の片方が外気に晒されるのを感じた。
「譲歩、だ」
 左半分は今までのまま、右半分は陣の望み通りに。帳のような前髪を――半分だけ――排除したことによって、陣の視線が真っ直ぐ向けられていることを嫌でも感じる。熱い。突然、陣の顔が満面の笑みに変わった。かと思うと、彼はいきなり抱き付いてきた。
「うわッ」
「うん! 半分だけでもその方がいいだ!」
 言うや否や、陣は露になった凍矢の右頬にキスをした。凍矢は慌ててその身体を押し退けた。
「っ……、なにをっ……」
「隠れてたらこーゆーの出来ねーもんな。それに、そっちの方がめんこいだ」
「ッ……、それは、男に対して使う褒め言葉じゃないっ」
 凍矢は早速先程の言葉を取り消したくなった。真っ赤になった顔を隠してしまいたい。しかしそれを察したのか、陣が先に口を開く。
「男に二言はないだ! 隠したらダメだべ」
 陣が笑いながら両手首を掴んできた。そうされてしまえば、もう本当に隠れる術はない。せめて自分の視界を閉ざすことによって相手のもそう出来たら良いのにと思いながら、両眼を強く閉じた。1秒後、その目蓋に何かが触れた。なんだろう。眼を開けた時には陣がそこにいるだけで、特別変わったものは見当たらなかった。
「凍矢の眼って、オレと同じ色」
 2人共、青い眼をしている。そんな者はきっといくらでもいるだろう。だが陣には、そんな些細なことが嬉しいらしい。あるいは、そんな些細なことを改めて確かめられるということが。
「同じ、青色」
「濃淡が違う」
「のーたん?」
「色の濃さ」
「そっか。凍矢の方がキレーな色だべ」
「……そんなことはない」
 自分のものよりも濃い色のそれ。綺麗で、見ているとなんだかドキドキする。嫌な感覚ではない。むしろ……。
 また顔が熱い。ひょっとして体調を崩したのだろうか。
 不意に、周囲の空気が冷たくなった。凍矢は何もしていない。ではその冷気の正体は凍矢の師以外にありえない。任務から彼が戻ってきた。まだ充分に距離はあるが、それでもその存在を感じることが出来るほどに、彼は強い。辺りの草木でさえ俄かに緊張感を帯びたかのようだ。
「陣」
 彼の存在を、師に見られるわけにはいかない。そう思って呼びかけると、陣もすでにその気配を察していたらしい。いい加減に見えて、見落としてはいけない物事はきちんと把握出来ているということか。彼は「うん」と頷くと、風を纏って地面を離れた。
「また来るだ」
 眩しい笑顔でそう言うと、手を振りながら飛び去った。彼が巻き起こした風に吹かれ、凍矢の髪が靡く。いつも右の頬を撫でていた感触はないままだ。髪を分けていることについて、師が何か尋ねてきたらどう答えよう。流石に見辛くなってきて……いや、今更だなと返されるかも知れない――何しろとうに眼の高さより髪の先端の方が低い位置にあったのだから――。それとも、師は何の関心も示してこないだろうか――凍矢に、全ての事象に対してそうであれと命じるように――。その方がありがたい。間違っても、見たいものが出来たのだなんて、本当のことは言えない。その思いは自分だけのものだ。瞳の奥の、ずっと深い場所に封じ込めて、誰にも触れられることのないようにしまっておこう。そして、ひとりになった時にだけ、そっと取り出して眺める。そうしたくなる綺麗な宝石のような感情の名前は、凍矢にはまだ分からない。


2016,06,12


関連作品:あの頃見えなかった何か


何年か前に別の場所で公開していた小説を書き直しました。
ずーっと直したいと思っていたのですが、書き出しで躓いてずーっと断念していました。
やっとなんとかなったー! やったー!
別物にしちゃえくらいの気持ちの方が書き易いのですかね。
陣と凍矢は外見かなり対照的なのに眼の色だけ同系色で、それが個人的にすごくツボだったりします。
<利鳴>

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