birth


 “彼”は、一般的に『小鬼』と呼ばれるような姿の妖怪だった。体長はヒトの頭程しかなく、額の2本の角も、あまり存在感があるとは言い難い。その外見から多くの者がするであろう予想を裏切ることなく、“彼”の妖力は「弱い」と言ってしまって良い程度だった。
 その小さな身体は今、魔界の暗い大地へと繋ぎとめられていた。誰がどのような目的で設置したのか、鋭い牙を持ったトラバサミが、“彼”の細い脚に食い込んでいる。普段はヒトの頭程の高さを飛んで移動していることが多い“彼”が、何故そんなものに捕らえられてしまったのか、それにはもちろん理由がある。いつも通りにゆっくりと低空飛行をしていた“彼”は、遠くを歩く“なにか”の気配を感じ取ったのだ。接触すれば、理由もないままに命を奪われかねない、それが魔界の姿だ。そうならなかったとしても、少なくとも良いことが起こるとも思えない。“彼”の小さな身体は茂みの中に容易に隠れることが出来る。音もなく地面に降り、その場から遠ざかろうとした直後だった。鋭い痛みが“彼”の脚を貫いた。つい先程までは巧みにカモフラージュされていたらしい金属性の罠は、今は“彼”を嘲笑うように歯を見せていた。それを外す、あるいは破壊する力は、残念ながら“彼”にはなかった。もがいてもどうすることも出来ない。血の臭いが空気に混ざって風に流れる。それを嗅ぎ付けてきた誰かの手に落ちるか、それともこのまま力尽きるか……。遠くに感じた気配は、“彼”に気付いてか気付かないでか、少しずつ近付いてきているようだ。結局どう足掻いても“それ”との接触は避けられなかったということらしい。
(運がなかったな)
 “彼”は悲観することすらせず、ただ静かに「その時」を待つことにした。

 『意識を失っていた』というよりは、ただまどろんでいたような気持ちで、“彼”は眼を覚ました。ぴんと尖った耳に届いたのは1人分の足音だった。おそらく先程感じた気配の主だろう。やれやれやっと来たかと顔を上げると、そこに立っていたのは1人の“男”だった。その“男”は“彼”が遠目に1度だけ見たことがある「人間」と同じような姿をしていた。肌が紫色だったりはせず、手足が全部で4対あったりもしない。このまま人間界に行っても、何の苦もなくあちらの住人達に紛れ込めるだろう。逆立った髪の毛は金色で、“彼”を見下ろす2つの眼は緑色をしている。背中に何やら巨大な風呂敷を背負っているようで、大きな影が“彼”の上に落ちた。
 “男”は何か考え込むような顔をした後、辺りを見廻してから首を傾げるような仕草をした。“彼”がおかれている状況を把握しようとしているのだろう。少々の間の後に、“男”は背中の荷物を地面に降ろした。何を入れているのか、それはガチャガチャとやかましい音を立てた。“男”は膝を折り、地面に、いや、“彼”に向かって手を伸ばした。
(殺される)
 それも良いだろう。誰も通りかからずに、ひたすら終わりを待つのはおそらく酷く退屈だ。
 しかし、“彼”の予想は完全に外れることとなった。同時に、“彼”を捕らえていた金属の牙が外されていた。“男”が破壊してしまったのだ。いとも簡単に。
「……え?」
 “彼”は自分の脚に開いた穴と、“男”の顔を交互に見た。“男”の表情は、全く変化していない。
 “男”は“彼”の首根っこをひょいと摘むと、眼の高さを合わせるように“彼”を持ち上げた。“彼”は“男”の瞳の中に自分の姿を見た。
 “男”は口を開いた。
「誰が作った物か知らないが、この程度で壊れるとは、お粗末にも程があるな」
 “男”はふんと鼻を鳴らすように言った。
「お前はオレが拾った」
 “彼”はぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「拾った物をどう使おうと、異存はないな」

 “男”は荷物の中から何かの植物――おそらくは薬草の類だろう――を取り出すと、白い包帯でそれを傷付いた“彼”の脚に巻き付けた。さらに、木の棒を集めてきてそれをロープで括って小さな籠――檻と呼ぶには小さすぎる――を作り上げた。器用なものだと思って見ていると、“男”は“彼”をその中へ入れた。そんなことをせずとも、この負傷では逃げることもままならないのだが、“男”は自分の作品を満足そうに眺めている。
 どうも状況を把握出来ない。自分はどうなったのだろうか。助かったのか、そうではないのか……。
 “男”は再び荷物を背負うと、“彼”を入れた籠を手に持って歩き出した。見上げた横顔は、上機嫌そうだった。そのままじっと見詰めていると――
「そう心配するな」
 “男”は口角を上げながら言った。
 “彼”は微塵も「心配して」なんかいなかった。だがそのことをわざわざ“男”に教えてやる必要性も感じられなかった。口を開く代わりに、僅かに肩を竦めてみせたが、それは“男”の眼には入らなかったようだ。
「殺して喰おうってつもりじゃない」
 ではどうするのかと、“彼”は首を傾げる。
「ちょっと実験台になってもらうだけだ」
 それは果たして「心配する」必要のないことなのだろうか。
 “男”は周辺の様子を見廻し、「この辺りでいいか」と言って腰を降ろした。近くを――魔界にしては珍しいことに――、綺麗な河が流れている場所だった。“彼”が入っている籠を地面に降ろし、顔が自分の方を向くように向きを変えた。“男”は笑っていた。子供のように、邪気のない顔で。

 “男”は木を削っているようだった。それを籠の中から眺めている“彼”に向かって、求めたわけでもないのに1人で解説を始めた。
「こいつはヒル杉の幹から切り出した物だ。ヒル杉は妖気を吸って成長する。これを使って『剣』を作ろうと思っている」
「『剣』?」
 “彼”が鸚鵡返しに言うと、“男”は嬉しそうな顔をした。もしかしたら、話し相手が欲しい変わり者なのかも知れないと、“彼”は思った。良く喋る男だ。
「持ち主の気を吸って姿を変える『剣』だ。妖気には個体差があるから、誰1人として同じ『剣』を生み出せる者は存在しない。使いこなせれば、素晴らしい武器になる」
 そう語る“男”の眼は、夢を語る子供のそれのようだ。いや、実際にそれは“男”の夢なのかも知れない。
 何はともあれ、“彼”にはようやく話が見えてきた。
「『実験台』の意味がやっと分かった」
 おそらく、拒んでみたところで“男”は何も困ることはないだろう。力尽くで従わせるのが無理――あるいは面倒――なら、“彼”をさっさと捨てるか殺すかして、代わりの者を探せば良いだけのことだ。一度は死んだも同然の身。逃げ出すつもりはなかった。
 “男”は何度か場所を移動しながら、背中の荷物を増やしていった。どこをどうしたら『剣』の材料になるのか分からない物ばかり収集しているように見える。“彼”がそう言うと、“男”は「他にも色々発明中だ」と楽しそうに答えた。
 “彼”の傷は数日で完治した。飛行も歩行も問題なく行えるようになってからも“彼”が逃げ出すような素振りを一切見せないということが分かると、“男”は自作の籠に“彼”を入れるのをやめた。“男”が移動する間、“彼”は“男”の頭の上、もしくは肩の上に乗っているか、あるいは荷物の中に紛れて、風呂敷の口から顔だけを出しているようになった。
 やがて“男”の作品はその形を見せ始めた。最初はただの木の棒としか見えなかったそれは、今ではだいぶ『剣』の柄らしくなっている。しかし、“男”が説明したように、刀身はまだない。
「さあ使ってみろ!」
 “男”は大袈裟な手つきで『剣』を“彼”に突きつけた。「使え」と言われてもどうしろと言うのだろう。とりあえず持ってみれば良いのだろうかと、“彼”は手を伸ばした。両手で『剣』を掴む。
(重い)
 それもそのはずだ。なにしろ、『剣』は柄しかない状態だというのに、“彼”の身長と同じ程の大きさをしている。『剣』というよりは、丸太をなんとか抱えているような姿だ。
「重い」
 こんなものが振れるかと抗議すると、“男”は理不尽な怒りをぶつけてきた。
「それで全力か!? どれだけ軟弱なんだッ!?」
「というか、まず大きさを考えろ! オレに持たせるつもりなら、明らかに設計ミスだろう!!」
 “彼”は渾身の力を振り絞って『剣』をぶん投げた。
「なんてことだ! このオレがミスだと!?」
「どう考えても無理があるだろ。試し切りの相手にした方が現実的だな」
 “彼”がふいっと顔を背けると、“男”はむっとしたように睨んできた。しかし、その表情がふとなにかを思い付いた顔になる。
「そうだ、お前化けることは出来ないのか」
「ばける?」
「そう」
 “男”は“彼”から少し離れると、自分の顔の横でパチンと指を鳴らしてみせた。かと思うと、一瞬にして“男”の姿はどこからともなく出現した煙によって完全に隠れてしまった。何が起こったのかと思っている内にその煙は消え、“男”の姿もまた、消滅していた。代わりにそこにいたのは腰の曲がった老人だった。
「どうじゃ。見事じゃろう」
 老人はそう言って笑うと、しわが刻まれた指を鳴らした。再び煙が現れる。老人はいなくなり、今度は、よりによってどういうチョイスなのか、ピエロが立っていた。ふざけているのかと問いたくなるようなメイクに、仮面までしている。ピエロが指を鳴らすと、最初に消えた“男”が戻ってきていた。なるほどそういうことか。“男”は道具だけではなく、自分の姿形までをも自在に作り変えることが出来るようだ。
「そう難しいことではない。イメージ通りに妖気を練れるようになればいい。その『剣』を扱えるサイズになれ」
 いきなりそんなことを言われても、どうすれば良いのか分からない。首を捻っていると、“男”は「練習しておけ」と言った。
「その間にオレは他の道具を作っている。おっと。どうせ化けるなら、美しくなれよ」
「はぁ?」
 自分は年寄りと道化師のクセに。“彼”が露骨に顔をしかめても、“男”は少しも気にしていないようだった。

 それからさらに数日後、“彼”はどうにか姿を変えることが出来るようになっていた。何度か“男”に手本を見せさせはしたが、よくあの説明で出来るようになったなと言いたくなるようなその「説明」に、それでもこうしてその術を習得出来たのは、元々の“彼”の才能だったのかも知れない。
「どれ。見せてみろ」
 “男”に促されて、“彼”は大地を蹴って高く跳び上がった。空中でくるりと1回転する。と同時に、“彼”の姿は人間の少年のそれのように変化していた。身長は“男”の顎の辺りまでだろうか。髪の型とその色は、元の“彼”とさほど変わらない。服装も、和服であるという括りはそのままだ。手足は細く、全体的なバランスで見ると長い。透き通るような白い肌に、紅い眼がよく映える。よほど特殊な趣味を持つ者以外は、迷うことなく“彼”を「美少年」に分類するだろう。
 「どうだ」とばかりに睨み付けてやると、“男”は納得したように頷いた。
「まだ少し小さいが……、まあ、訓練すれば背は伸ばせるだろう」
 “男”はすたすたと歩み寄ってきた。
「とりあえずは合格。なかなか美しいじゃないか」
 そう言って笑うと、“男”は“彼”の頭を撫でた。
「なっ……」
 “彼”は自分の顔がかっと熱を持ったのを感じた。なにかされたのかと思い、慌てて頭に手をやったが、そちらは別段熱くもなんともない。
「よし。では早速」
 “男”は例の『剣』を投げてよこした。デザインが少々前とは違っているようだ。既に改良が加えられているらしい。サイズはほとんど変わっていないように見えるが、今の姿の“彼”は、それをきちんと握ることが出来た。
「やってみろ」
 “男”の声に小さく頷き、“彼”は妖力を手の中の物体に集中させた。それが、ぐんぐんと吸い取られてゆくのが分かった。気を抜けば意識毎奪われてしまいそうだ。そう思った直後だった。吸い取られた“彼”の妖気は、銀色に輝く刀へと変化していた。
「よしっ!」
 “男”が声を上げた。
 “彼”はただじっとその刀を見詰めていた。とても不思議な感覚だった。自分自身から生まれた『剣』。それはまるで、己の肉体の一部であるかのように、“彼”の手にぴったりと馴染んだ。何もない空間に向けて、刀身を振ってみた。空気が裂け、悲鳴を上げているような感覚が腕に伝わる。
「気に入ったようだな」
 “男”にそう言われたことが、何故か気恥ずかしいことのように思え、“彼”は「別に」と答えた。
「そうか? 少なくとも『剣』の方は、お前のことを気に入ったと見えるがな」
「『剣』が?」
 “彼”が刀身をじっと見詰めていると、『剣』の方も“彼”を見詰め返してきた。そんな気がした。
「それにしてもいきなりこれだけはっきりと物質化した刀を作れるとはな。……お前、実は潜在的な力はかなりあるのかも知れんぞ」
「ちから?」
「よし、いいだろう」
 “男”はびしっと“彼”を指差した。芝居がかった、妙に気取ったポーズだが、“男”にはそれが不思議と似合っていた。
「鍛えてやろう。お前も、その『剣』も。お前達をオレの伝説の1ページに加えてやる」
「伝説?」
 言っていることがよく分からない。一々動作がオーバーな男だ。おかしなやつだと思った。しかし退屈はしないで済むかも知れない。
 “男”はわざわざ反対の手を伸ばし、“彼”の顎に指先で触れた。その瞬間、何故か“彼”の胸の鼓動は速さを増した。“彼”が慌てて離れると、“男”はくすりと笑った。
「そうだ。お前、名前はないのか」
「名前?」
 なんだかさっきから“男”の言葉を繰り返してばかりいるなと思いながら、“彼”は尋ねた。
「名前がないと不便だろ。ないのか」
「ない」
 “彼”は生まれてからつい数日前まで、ずっと1人だったのだ。他との区別を付ける必要性がない以上、名前など持っている意味はなかった。「そういうお前は?」と尋ね返すと、“男”は再び気取ったポーズを取ろうとした。
「オレの名は、強い妖戦……あ、いや、待った。この名前は戸愚呂に負けたときにやめたんだったな」
「?」
「そうだな……。では、『鈴木(仮名)』で」
「カッコカメイ?」
「呼び難ければ省略することを特別に許そう」
 “男”の表情はあくまでも真面目だった。
「……じゃあ、すずき……?」
 鈴木と名乗った男は頷いてみせた。
「お前にも名前をやろう」
 一方的に宣言すると、鈴木はもう腕を組んで考える体勢に入っている。先程の「強いナントカ」や「カッコカメイ」がこの男のネーミングセンスなのだとすると、一抹の不安を感じずにはいられない“彼”だったが、「待て」と言うよりも早く、鈴木は何か閃いたらしい。ぱっと表情が明るくなる。自分の思い付いた名が“彼”に合うかどうか確認するかのように、視線が“彼”の頭の天辺から爪先までを往復した。そして、
「死々若丸」
「ししわか……?」
「人間界に存在したとされている幼い剣士の名から取った。悪くないだろう? 有り難く名乗れ」
 鈴木は笑って言った。

 “彼”は思う。自分は、自分の知らぬ間に生まれ、長いとは言い難い時間の後に一度死んだも同然の存在だった、と。しかしそれは違ったのだ。自分は「あの時」初めて生を得た。この姿と、この名前で。あの時から、自分の命は始まったのだ。誕生の祝いに贈られたのは、戦い抜いていくための武器と、共に戦う「仲間」だった。その仲間は今、怪しげな道具の開発に失敗して大爆発した部屋の片付けに追われている。初めて出会ったあの日から、既に数年の時が流れているというのに、あまり進歩していないようだ。
「死々若!」
 彼は、“彼”の名を呼んだ。
「見てないで少しは手伝え! ここが片付かないと、朝食の準備だって出来ないんだからなっ」
 完全に傍観者に徹している死々若丸に、鈴木は抗議するような口調で言った。
「1食くらい抜いても死にはしない。オレ達は妖怪だ」
「またそういうことを言って……」
「素直に『手伝って下さい』とは言えないのか?」
 やれやれと立ち上がりながら、彼は初めて鈴木にかけられた言葉を思い返していた。
『お前はオレが拾った』
『拾った物をどう使おうと、異存はないな』
(異存だと? そんなものは大有りだ)
 心の中でそう言いながら、彼は鈴木に近付いていった。
「で? 何をしろと?」
 死々若丸は腰に手を当て、床に座り込んで片付けをしている鈴木を見下ろしながら尋ねた。
「じゃあ、そこでゴミ袋広げて持ってろ」
「オレはゴミ箱か」
「だってどうせ分別なんてする気ないだろ」
「飛影でも呼んで全部燃やしてしまえばいい」
「山毎消す気か! って言うか、そんな理由で呼べるか! 殺されるぞ」
 「ほら持て」とビニールの袋を押し付けられ、死々若丸は大人しくそこに立っていることにした。
(異存は大有りだが……)
 少なくとも、退屈はせずに済んでいる。
(オレが飽きるまでは、所有されていてやる)
 死々若丸が心の中でそう呟くと、まるでそれが聞こえたかのように鈴木が顔を上げた。
「なんだか機嫌が良さそうだな?」
「そうか?」
「いい夢でも見たか?」
 死々若丸は考え込むような仕草をした。「良い夢」の定義は分からないが――
「退屈はしない」
 噛み合っているのかいないのかイマイチ分からない返答に、しかし鈴木は頷いてみせた。「お前がいいなら、オレもそれでいい」と言うように。


2012,07,28


関連作品:ゆっくりでいいから


死々若は鬼っ子バージョンが本当の姿で、若者バージョンの姿は鈴木の趣味だといいなぁという妄想。
あと、死々若がわがままで鈴木を使っているように見えて実は死々若の方が鈴木の所有物。とか、そういう関係に萌えます。
初対面設定鈴若バージョンはずっと書きたいと思っていたので、やっと完成させられて良かったです。
<利鳴>

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