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  ゆっくりでいいから


 岩壁にぽっかりと口を開けたような洞窟があった。少しはなれたところからは背の高い茂みが目隠しをしていて、よほど注意深く観察しなければその存在に気付く者はなかなかいないだろう。鈴木がそれを見付けたのも、新しい道具作りの材料になり得る物、もしくはそのインスピレーションを与えてくれるような物はないかと忙しないほどに辺りを探っていたが故の偶然だった。
「ふむ」
 鈴木はその洞窟を覗き込んだ。入り口から明かりで照らせば全て伺えてしまうほどの深さしかないその穴は、魔獣の住処になっている様子はなく、どこかへ通じていることもないようだ。自然に出来た物なのか、それとも何者かが掘って作った物なのかまでは定かではないが、崩落の危険性があるようには見えないしっかりした物だ。
 鈴木は振り向いて言った。
「よし、今日はここで休むぞ」
 鈴木に遅れること数メートル、そこには、剣を杖代わりのようにして歩く死々若丸の姿がある。元々白い顔はより白く血の気を失い、その額には、暑くもないのに汗をかいている。吐く息は荒く、支えがなければ今にも倒れてしまいそうだ――そのくせ、手を貸そうとすると頑なに拒むのだ――。紅い眼が鈴木を睨み上げた。しかしそれは、小さな動物を威嚇することすら難しいであろうほどに弱々しい。
「なんだその眼は。何が言いたい? べ、別にッ、お前のために休もうと思ったんじゃないんだからねッ」
 ぷいっと顔を背けながら鈴木が言うと、死々若丸は呆れたと言うよりは完全に馬鹿にした眼を向けてきた。理解出来る出来ないではなく、理解することを拒否している表情だ。
「そうかー、今のジョークはお前にはまだ早かったかー。いや、むしろ時代がまだ私に追い付いていないのだ!」
 死後までその実力を評価されぬ苦悩の芸術家よろしく、大袈裟なポーズを取りながら天を仰いでいると、長く息を吐いた死々若丸の身体がぐらりと傾いた。
「おっと。しっかりしろ」
 鈴木は、まるでそうなることが予め分かっていたかのような素早さで、倒れそうになる死々若丸の肩を支えた。数分前と同じように「要らん」と言ってその手を振り払う力を、死々若丸は持っていないようだ。そのままぐったりと体重を預けている。先程までよりも、容態は悪化しているようだ。思った以上に負担が大きいということか。
「正直に言うと、お前の体調は全然全くこれっぽっちの欠片ほども気にかけていない……ということはない」
 そう言いながら鈴木はゆっくりと洞窟に向かって歩き出した。足を引きずるように、死々若丸もそれに続く。
「だが、今を逃せばおそらく今日中にここより上等な場所は見付からないだろう。だから今日はもう休むことにするのだ。分かったな。異論は認めないぞ」
 死々若丸の顔を覗き込むと、辛うじて彼が小さく頷いたのが見えた。よしと頷き返し、先へ進んだ。
 洞窟の中の地面は乾いていた。そこへ死々若丸を座らせると、彼は壁に凭れ掛かって眼を瞑った。が、眠ってしまったわけではないようで、鈴木が名を呼ぶと、ゆっくりと瞬きで応えた。
「死々若、聞こえているな?」
 小さく頷く。
「はっきり言うぞ。今のお前の妖力では、その姿を保ち続けるのは無理だ。消耗が激しすぎる。必要のない時は元の姿に戻っていろ」
 子供を叱り付けるような口調で言う鈴木に、死々若丸は首をぶんぶんと横へ振った。
 本来小さな鬼のような姿をした妖怪である死々若丸が、人間の少年に似た姿形をとっているのは、鈴木がそうしろと言ったからに他ならない。鈴木が作った道具を扱うには、元の姿は小さ過ぎたのがその理由で、鈴木が教えると、死々若丸はすぐに変身の術を身に付けた。“死々若丸”という名も、その姿に合わせて鈴木が与えたものだ。決して素直に認めて言いはしなかったが、死々若丸はその姿と、その名前を気に入ったようであった。放っておくと眠る時ですらその姿のままでいようとする彼は、ついに疲労が溜まり、体調を崩してしまったらしい。体力を回復させる薬の類ならば、鈴木にも作ることが出来る。だが、それも根本的な解決には繋がらない。長時間の変身に耐えられるだけの力が付くまでは、適度に休憩する以外にはないのだ。
 鈴木は溜め息を吐いた。なかなかどうして頑固者……いや、わがままなやつだ、と。
 実を言うと、死々若丸がこれほどまでに意地になって変身を解きたがらない理由に、鈴木はひとつだけ心当たりがあった。初めてその術を披露した時に、鈴木は彼を褒めた。その際死々若丸が見せた表情は、驚きと、そして間違いなく、“喜び”だった。おそらく本人は自覚していないだろう。それでも、初めて――であろう――他人に褒められるという経験をした彼は、それが嬉しくて仕方なかったのだ。術が成功したことと、自分にそれだけの力が眠っていたこと。そして鈴木がそれを認め、しかも褒めたこと。その喜びを、彼は手放したくはないのだ。例え短い時間であったとしても。
(つまりは原因はオレにあるわけか)
 やれやれと思いながら、鈴木は死々若丸の頭に手を置いた。いつもなら「気安く触れるな」と返ってくるところなのだが。
「お前、その姿でいないと、オレが認めないとでも思っているだろう?」
 死々若丸の肩がぎくりと跳ねた。どうやら、図星であるようだ。
「馬鹿だな」
 くすりと笑うと、睨まれた。「馬鹿とはなんだ」。声に出さずとも、そんな言葉が聞こえてきそうだ。
「いいか。姿形を変えても、本質は変わることはない。オレも、お前も。お前がお前でなくなることはない。この先、永遠に」
 そう言いながら、断りもせずに肩を抱き寄せ、抱きしめた。息を呑む音が聞こえた。慌てて離れようとするのを、子供をあやすように背中をぽんぽんと叩いた。
「オレが認めたのはその気になればいくらでも偽れる外見なんかじゃないんだぞ?」
 支えた腕に重みが増した。白い手が鈴木の肩の辺りにしがみ付いている。体力が低下して自分の身体を支えていることも難しい……というよりは、鈴木が今かけた言葉が原因であるようだ。
「それに」
 そろそろ強制的にでも休ませねば。そう思った鈴木は、それまでよりも明るい口調で言った。
「元の姿の方も、小さくてカワイイと思うぞ?」
「なッ……」
 急に腕の中の重量が消えた。ぽてっと地面に転がったのは、小鬼の姿の死々若丸だ。眼を大きく開いて、表情は固まっている。本来白い頬には赤みが差している。意識的に変身を解いたのではなく、驚愕のあまり、“手放して”しまった。そんな風な顔だ。そしてもう一度変身する気力はないらしい。
「死々若丸さん撃沈です。よし。明日は変身禁止だ。移動する時は荷物の中に入ってろ」
 小さな身体を軽々と抱え上げ、赤ん坊にするようにあやすと、流石に抗議の声を浴びせられた。それだけ声が出るのであれば、一日じっくり休めばすぐに回復するだろう。やはり本来の姿に戻るだけで、体調には早くも変化が現れているらしい。そのことに死々若丸自身も気付いたらしく、彼は少々悔しそうな眼をしている。
 鈴木はもう一度死々若丸の頭を撫でた。
「ゆっくり行けばいいさ。置いて行きはしないよ。あまり頑張り過ぎるな」
 毛布を重ねて作った寝床に死々若丸を降ろそうとすると、小さな口が何か言おうと動いていることに気付いた。鈴木が耳を近付けると――
「別に、お前のためにガンバっているんじゃないんだからなッ」
 どこかで聞いたような口調に、鈴木は思わず吹き出した。


2015,11,29


ツンデレという言葉は、いつくらいからありましたっけ。
ツンデレキャラは昔からいたけど、単語自体は意外と歴史浅いですよね。
ひょっとしたら今世紀入ってからの言葉???
<利鳴>

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