陣凍小説を時系列順に読む


※幼少期の設定が一部の他作品と多少異なっておりますので、それらの作品との接点はない別の話としてお読みください。


  笑顔咲く


「全然見たことねー草だべ?」
 そう言いながら陣が差し出したのは、ふわふわとした綿毛が付いた一束の植物だった。見るからに柔らかそうなその綿毛が、元はどんな花だったのかは凍矢にも分からない。陣の言うように、この辺りでは見たこともないものだ。そう断言出来る要素は、その植物の色にあった。束にして陣が握っている茎の部分は極普通の緑色をしているが、綿毛の部分は2人の少年が実際には見たことのない、表の世界の空の色をしていた。
「空色……」
 凍矢がぽつりと呟くと、陣は表情を――いつも以上に――明るくさせた。
「んだ! 凍矢の色だと思って! あっちの山の向こうから取ってきただ!」
 陣が腕を伸ばして指差した先に、しかしその山の姿は見えない。背の高い木々が視界を遮ってしまっている。だが、「近い」とは言い難い距離に、それはあったはずだと凍矢は記憶していた。
「あんなに、遠くから?」
「あんなの、オレの飛翔術ならひとっ飛びだべ!」
 陣は得意げに胸を張って見せると、
「それ、凍矢にやるだ」
 と、なんでもないことのように言った。だが実際には、往きはともかく、その綿毛を飛ばしてしまわないように帰ってくるのは大変だったに違いない。陣の飛翔術は、妖力を用いて風を操ることによって成り立つ。自身は風を纏いながら、しかしその手に握った綿毛は守るとなると、どのようなコントロールを強いられるのか、その力を持たない凍矢には、全く想像も付かない。しかも陣は、たまたま出向いて行った先でそれを見付けてきたような素振りをしているが、本当はわざわざそのためだけに、遠い山の更に先まで足を運んで行ったのだろう。ある程度放任主義である風使い達と違って、呪氷使いの凍矢は自由に外を歩くことを許されてはいない。こうして陣と顔をあわせることが出来るのも、わずかな自主訓練の時間に合わせて陣が尋ねてきてくれるからに他ならない。それ以外に、凍矢が他人と顔をあわせる機会は限りなく少ない。生まれた時からそのようにされてきた凍矢にとっては最早当たり前のようなことなのだか、陣の眼には酷く不憫なことに映っているらしい。と言っても、陣が凍矢を無理に他所へ連れ出そうとするようなことはなかった。そんなことをすれば、罰を受けるのは凍矢であると、おそらく理解しているのだろう。その代わりに、凍矢が出向いて行けないような場所にある草木や石、時には生き物まで、出来る限りの物を持ち帰り、披露するのがこのところの陣の目標であるらしい。動かせない物に出会った時は、その時自分が感じたことを、言葉を尽くして伝えようと懸命になる。凍矢が他者と接触することを好まない彼の師にそんなことが知られれば、当然事態は穏やかではない。だが陣は、自分が勝手に来ているだけなのだから、罰を受けるのは自分だけで良いはずだと笑って言う。だから気にするなと続ける無邪気なその顔に、実際にこのことが師の耳に入れば――あるいは眼に留まれば――それだけでは済むまいと思いつつも、凍矢は何も言わずにおくことにした。凍矢に彼の師をとめることは出来ないが、同様に、毎日のように姿を見せる陣をとめることも出来なかった。おそらく陣は、誰かの手によってどこかに繋ぎとめておくことが不可能な存在なのだ。その陣がそうしたいと言うのであれば、自分は周囲へ気を配り、彼に迫る危険にいち早く気付けるように努めるだけだ。他人に対してなんらかの役割を持つ事を、師は最も許さないだろうが、「どうやら自分は陣に気を使われているらしい」ということは、不思議なことに、不快にも、迷惑だとも感じなかった。
 陣の存在は、凍矢にとって「不思議」だらけだった。陣と一緒にいると、柔らかい何かに全身を包まれているような気持ちになるのだ。それは、暑苦しく肌に纏わり付くことなく、氷の妖怪である凍矢が心地良いと思える冷たさを持っている。なのに「温かい」と形容したくなる、「不思議」な感覚だ。今眼の前に差し出されているふわふわとしていて温かそうで、それでいて透き通るように薄い涼しげな蒼色の綿毛は、そんな言い表し難い感覚を具現化したような存在に思えた。
 凍矢は、手を伸ばそうとした。蒼い綿毛。見たことのない空の色。陣は、『凍矢の色』と表現した。
 凍矢の表情を覗き見ようとしたのだろうか。上体をやや屈めた陣の鼻先を、彼の手の中の綿毛がかすかにくすぐった。凍矢が「あ」と思った時にはすでに、小さな綿の固まりは、少年のものとは思えないような豪快なくしゃみによって、その大半が空中に舞っていた。
「あーっ!」
 陣は声を上げながら慌てたように空を仰いだ。同じく視線を上へと向けた凍矢の眼の前を綿毛が通り過ぎ、その一瞬、彼の瞳にはその色だけが映った。
「わわわっ、凍矢ごめんっ。あっ、オレ、また取って……」
 言い終わるよりも早く飛び出そうとする陣を、凍矢はその腕を軽く掴んで引きとめた。
「いい」
 凍矢が首を横へ振ると、陣はわずかに失望の色を見せた。それが彼の全身に広がる前に、凍矢は「いらない」「うれしくない」というわけではないのだと告げた。
「持ち帰っても、枯らしてしまうだけだから」
 それ以前に、師に見咎められることなく所持することは、おそらく不可能だろう。
「それならここで、自由に飛ばせてやろう。せっかく陣が取ってきてくれたんだから……。種が飛んでいけば、きっとどこかで花になる。だから」
 陣の手の中にわずかに残った綿毛に向かって、凍矢はそっと息を吹きかけた。手を振るように揺れた綿毛は、ふわりとその場を離れた。それを見送ると、陣は大きく「うん」と頷いた。
「オレが見付けた時には、もう綿毛になってたから、オレも花は知らねーんだ」
 凍矢は自分の髪に絡み付いた綿毛をそっと摘みながら相槌を打った。
「今の種が花になったら、山の向こうまで行かなくても見れるだな」
「そうだな」
「何色の花か、予想するべ! どっちがあたるか勝負だべ!」
 弾んだ声で言う陣を見ながら、凍矢は摘んだ綿毛を離した。魔界の空は薄暗く、陽が差しているわけでもないのに何だか眩しいと、彼は思った。
「凍矢は何色だと思うだ? オレはねー、んー、やっぱし花も蒼だべか?」
 首を傾げる陣の少し長い髪が、風に揺られて靡く。あまり手入れをしていないらしいそのシルエットは、丸い綿毛のようだ。
「……陣の色」
 ぽつりと言うと、大きな綿毛が再度斜めに傾いた。
「花の色は、陣の色だと思う」
「オレ?」
 確信なんてない。どちらかと言えば、ただの希望だ。いや、そもそも「それは何色だ」と聞かれれば、答えは「分からない」だ。髪の毛の赤だろうか。あるいは、凍矢のそれよりも濃い色をした瞳の蒼か。眩しいような白も似合う。そのどれとも、凍矢は決めていなかった。それでも、凍矢はいつか咲くであろう花の色を「陣の色」にしようと思った。
 陣は頷いた。
「じゃあ、オレもそれにする!」
 「それじゃあ勝負にならない」と言いながら、凍矢が微笑むと、それを見た陣は、何倍もの笑顔を返してきた。


2013,10,08


関連作品:同じおもいで


同日にアップしたイラスト(こちら)を元に書きました。
ふと、自分、色がどうとかって話書くの好きだなと思いました。
ところで、魔界に咲く花がただきれいなだけのものであるはずがないと思うので、幼い2人の何気ない行動が、周囲を食妖植物で埋め尽くすようなことになったら台無しだなぁと思いました。
<利鳴>

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