陣凍小説を時系列順に読む


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  “はじめ”に繋げるための1歩


「危険すぎる!」
 そう声を上げたのは凍矢だった。日頃から感情を露にすること等滅多に――ほとんど全く――ない彼が、上層部からの指示に声を荒らげて意見するなんてことは、おそらく初めてのことだったに違いない。周囲にいた者はもちろん、彼自身も驚いているようだった。それでも彼は、その驚きをひとまず振り払うように続けた。
「明らかに戦闘バランスを無視した作戦だ。容認出来るはずがない」
 平たく言えば、それは陽動作戦だった。敵の主戦力を一箇所に引き付け、手薄になった本部を叩く。口で説明するのは至極簡単だが、それを支障なく遣って退けるのは想像以上の困難が付き纏うに違いない。作戦の説明をしていた吏将を、凍矢は睨み付けるように真っ直ぐ見た。吏将も、冷ややかな視線を返す。言葉は交わされていなくとも、その間でなんらかの遣り取り――あるいは攻防――が行われているかのように、空気はぴんと張り詰めている。
 やがて、吏将が口を開いた。
「却下しよう」
「なぜっ……」
 不服の声を上げようとする凍矢の眼の前に、吏将は3本の指を立ててみせた。
「理由は3つ」
 言いながら、その1本を折った。
「このくらいこなせぬようでは、我々の隊にいさせるわけにはいかない」
 さらりと言う吏将を、凍矢はいっそう鋭い眼で睨んだ。
(自分にはまず廻ってこない役目だと思って……ッ)
 吏将の能力は、その役割には向いていない。それが分かっているからこそ、いけしゃあしゃあとそんなことが言えるのだろう。なにがあっても対岸の火事……。「自分は出来もしないくせに」と罵りたい気持ちを、凍矢はすんでのところで堪えた。己にそんな感情があったことに驚いている暇は、とりあえず今はない。
 吏将は2本目の指を折った。
「2つ目……。お前はこの作戦の決行メンバーに入っていない。よって、意見を言う権利は与えられていない」
 凍矢は、翌日別の任務に就くことになっていた。そのために、今回の作戦が行われる時には待機しているようにとの命令が下されている。言わば彼は部外者だ。参加メンバーとして名を呼ばれなかった時点で、彼の発言権はないも同然だった。そんなことは百も承知の上だ。それでも、黙っていることが出来なかった。
 何か言いたそうな青い眼が自分へと向けられていることには気付いていた。凍矢はそれを気力で無視した。
「最後に」
 吏将は手を拳の形に変えた後、ぱっと指を開いた。
「“上”からの命令は絶対だ。以上」
「っ……」
「これから具体的な段取りの説明に入る。関係のない者には、出て行ってもらおうか」
 それ以上の会話をするつもりがないことを示すように、吏将は凍矢へ向けていた視線をあっさりと他所へやった。代わりに、資料を捲る音が「出て行け」と告げるように鳴る。
「凍矢」
 肩に置かれた手は、画魔のものだった。戦いのための化粧をしていない彼の素顔は、いつも不思議と優しい。それを見て、凍矢はようやく――少々の――落ち着きを取り戻した。
「出よう。我々も明日の準備をする必要がある」
「……ああ」
 促されて凍矢はようやく歩き出した。相変わらず向けられている視線に、ついに応じることのないまま、彼は戸を潜った。
 無言のまま、画魔と並んで歩いた。彼と別れてからも、やはり無言だ。だが、音にならない音が、身体の奥底で轟いているような感覚がずっとあった。それは帰宅してからも消えることはなかった。
 凍矢は何を見るでもなく、室内を見廻した。普通は自宅へ帰ってくれば、少しは気持ちが落ち着いたり、安らいだりするものなのだろうかとふと思った。彼は、そこが『自宅』であるという感覚を持てずにいた。――半ば強引に――陣と寝食を共にするように――させられるように――なった時から、ずっと。
(ここはオレの場所ではない)
 こんな時でなかったとしても、落ち着いたことなんて一度もないように思う。だがそれは、ひとりで川の傍の小さな小屋に寝起きしていた頃も同じだ。建物も、必要最低限の家財道具も、何もかもが仮初の存在に思えた。かといって、かつて師と共に暮らしていた奥深い森の中でなら違ったかと問われれば、それもまた首を振ることで答えを示していただろう。
(オレの場所……。そんな物が、どこかにあるんだろうか……)
 この魔忍の里全てを探し廻っても、そんな物を得られる気がしない。所属する隊を正式に決められた時もそうだった。時には、自分が酷く希薄な存在であるようにすら思えた。
(オレはどこにいるんだろう……)
 深い溜め息を吐いたのと同時に、戸が開く音がした。反射的に振り向くと、そこには2つの青い瞳があった。
「陣……」
「ただいまっ」
 陣は子供のように無邪気な顔で言った。凍矢は、それに「お帰り」と返すことが出来ない。今までずっと。その逆――「ただいま」と言って帰ること――も。「ここは自分の場所ではない」という思いが、その言葉を彼の中に繋ぎとめてしまっている。
「陣、お前作戦は……」
「うん。これから行くとこだっちゃ。30分後に広場に集合。オレなら、10分あればよゆーだべ?」
 陣は八重歯を見せて笑った。自分に与えられた任務が、どれほど危険なものなのか理解していないのではと思ってしまうほどに、その表情は眩しい。
「なあ、凍矢」
 陣が近付いてきた。
「オレ、大丈夫だから」
 そして再び笑う。
「オレが信用なくて、凍矢が心配になるのは分かっけど――」
「違う」
 凍矢は俯くように視線を落とした。
「そうじゃない」
「凍矢?」
「オレは……」
(オレが言いたいのは……)
 なんなのだろう。
(分からない)
 適切な言葉が見付からない。自分が何を思っているのか、把握出来ない。酷くもどかしい。そのことだけが嫌と言うほど自覚出来る。
「凍矢」
 黙り込んでしまった凍矢の顔を、陣は覗き込んだ。それでもまだ、凍矢は何も言えない。
「オレ、ちゃんと任務成功させて帰ってくっから」
 ぱっと笑ってそれだけ言うと、陣はすたすたと出口へ向かった。
「行ってきます!」
「あ……」
 ばたんと戸が閉まった。
 「行ってらっしゃい」と――いつも陣が言ってくれるように――、言うことが出来なかった。いつも通りに。
 何も言わない凍矢に、陣は呆れただろうか。陣が危険な役割を独りでこなすことに反対したのも、彼の実力ではそれが出来ぬと思ったからだと……、
「違う……」
 そうではない。違うのだ。
「オレは……っ」

 予定通りにことが進んでいれば、今頃作戦は一番の山場を迎えた頃だろうか。すなわち、陣がわざと敵の眼に留まるような行動を取り、他の者達が本部へ攻め込んでいる頃か。早くても、部隊の帰還はまだ先になるだろう。戻って来ないのが当たり前の時間……。不測の事態など起こっているはずがない。自身に“言い聞かせる”というよりは、“無理矢理信じ込ませようとする”かのように、凍矢は何度も心の中でそう呟いた。それでも、じっとしていることは酷く苦痛で、彼は画魔の住まいを訪ねることにした。
 戸を叩くと、まるで凍矢がやってくることを予見していたかのように、画魔はにこやかに姿を見せた。
「珍しいな。お前が訪ねてくるなんて」
 元々は陣が独りで住んでいた今の場所に移るまでは、凍矢の住まいはもっと画魔達化粧使いが生活の場としているエリアに近かった――その片隅にスペースを借りていたと言い換えることも出来る――。それでも――画魔が言ったように――凍矢の方から彼を訪ねていくことは――「いつでも入っていい」と言われたこともあったが――稀だった。ただの気紛れではないことを察したのか、画魔は微笑みながら「入るといい」と言って屋内へ戻っていった。少し躊躇ってから、凍矢はそれに続いた。
 床の上には色とりどりの液体が入った瓶と、大小様々な筆が並べられていた。全て画魔の戦闘道具だ。
「明日の準備をしていたところだ」
「そうか。では――」
 邪魔をするわけにはいかない。そう言って辞退しようとすると、画魔は道具の傍に腰を降ろしながら、凍矢にもそうするように促した。
「耳と口は空いている。なにか言いたいことがあるんだろう?」
「……ありがとう」
 凍矢は溜め息を吐くように、わずかに表情を緩ませた。
 しばらくの間、凍矢は黙って画魔の作業の様子を見ていた。道具をひとつひとつ手入れしていく様は、器用だなと思わずにはいられない。そうしながら画魔は、「どうした?」とは尋ねてこなかった。凍矢が自分から口を開くのを待っている……いや、彼が言うべき言葉を見付けるのを、待ってくれている。
「…………いつだったか」
 凍矢が口を開くと、画魔は顔を上げることも手をとめることもしなかった。が、その意識を自分へと向けてくれていることは良く分かった。凍矢は続けた。
「『分からない』と言ったことがあっただろう?」
 こんな始め方で果たして通じるのだろうか。どうやら自分は、自分が思っていた以上に不器用であるらしかった。
「それは陣のことか?」
 なんでもないことのように画魔が言った。凍矢は驚きつつも、頷いた。
 陣の視線が自分へと向いていることを意識しただけで、なんとも言い難い落ち着かない気分になった。凍矢がそんな状態であることに、画魔は――もしかしたら当人よりも先に――気付いていたらしい。以前、彼は「陣が嫌いか」と尋ねた。凍矢は、「違う」と答えた。ただ「どうしたらいいのか“分からない”だけだ」と。陣に対して。
「……少し、分かった気がしたんだ」
「ほう?」
「オレは……」
 陣の瞳を思い出す。真っ直ぐすぎる青い光。言葉にし難い気持ちにさせる。正常さを奪ってゆく。迷惑だ。だがそれがある日突然消えてしまったとしたら……。そう考えると、凍矢はもっと落ち着かなくなった。息苦しさすら覚える。
「オレは、……陣を失いたくない」
 ようやく、それが分かった。
 周囲を静けさが支配していた。気が付けば画魔は手をとめ、顔を上げていた。
「それから?」
「……?」
「それだけか?」
「『だけ』?」
「その『先』はないのか。それ『以上』と言うか……」
「『以上』?」
 凍矢が首を傾げていると、画魔は突然笑い出した。「そうか、まだ早いか」と言いながら。凍矢にはその意味が分からない。
「画魔?」
「いや、いい。そうだな。焦る必要はない。まだな」
「?」
「それでもまずは一歩前進だ。いや、半歩かな」
「今はお前が何を言っているのか分からない」
「ではプラスマイナスゼロか。せっかくひとつ分かったと思ったのにな。だが私のことはいい。凍矢」
 真剣な表情に戻ると、画魔は凍矢の眼をひたと見据えた。
「さっき、作戦内容に反対したのも、それが理由だな? 陣の実力を認めていないのではなく、あいつに危険が及ぶかも知れないことに、不安を覚えた」
 凍矢は頷いた。
「そう思ったことを、そのまま陣に伝えてやればいい」
 『どうすれば良いのか分からない』。そう言った凍矢への、ひとつ目の答えがそれだ。画魔はそう告げた。
「それが、残りの半歩?」
「そういうことだな」
「……」
「まだなにか?」
 画魔が言ったことは、おそらく正しいのだろう。任務に赴く前に陣が見せた表情と、残していった言葉。凍矢に信用されていないのだと感じ、傷付いた心が表面化したものがそれだ。それでも陣は、笑おうとしていた。凍矢を安心させるために。
「オレは、陣が忍に向いていないのではないかと思っている」
 それも、実力云々といった話ではない。陣にはもっと、掟に縛られない生き方の方が適しているのではないか。陣の心はあくまでも自由だ。だがその姿は、狭い籠に閉じ込められた鳥のように見える。
「まあ、確かにな」
 画魔はふうと息を吐いた。彼も、やはり同じことを感じていたのだ。そのことを確認すると同時に、凍矢の中でひとつの想いが生じた。すなわち――
「だが」
 続く画魔の声に、凍矢の思考は一時停止する。
「それはお前も同じなのではないか?」
 凍矢は瞬きをした。
「任務遂行のために、多少の犠牲は厭わない。そういうやり方に、疑問を持っているのだろう?」
「……そういうことになるのかも知れない」
 掟だ。定めだ。ルールだ。“上”からの命令には全て従え。死ねと命じられたら喜んで死ね。すぐに。そんな組織のやり方に、疑問を抱いたことはなかった。これまでは。籠の中の世界が全てだと思っていた。今までは。
 従わなければならない? その中でしか生きられない? 誰が決めた? 彼等がその世界を必要としてるのではなく、“世界”が、彼等なしでは成り立たない。ただそれだけのことではないのか?
「……叶うなら、ここから抜け出したい。……陣と、共に」
 頭に何か触れた。それは画魔の手だった。
「今は耐えろ」
「耐えていれば、いつか何かが変わるとでも?」
「方法は、ないわけではない」
「本当か」
 画魔はゆっくりと頷いた。
「暗黒武術会を知っているか?」
「聞いたことくらいは……」
「しばらく、私に任せてみないか? 私では信用ならないか?」
「そんなことはない」
 凍矢は首を横へ振った。信用出来ない相手に、そもそもこんな話を打ち明けられるはずがない。
「まだ急ぐ必要はない。今すぐどうにかせねば手遅れになるほど、陣は柔ではないさ。お前もな」
「……」
 画魔はふっと微笑んだ。かと思うと、広げた戦闘道具をそのままに、すっと立ち上がるとそのまま外に向かって歩き出した。
「画魔?」
「そんなことよりも、今は陣を迎えに行こう。そろそろ戻ってくるはずだろう? あいつの活躍を聞いてやろうじゃないか」
 「さあ」と促され、凍矢はようやく肩の力を抜いた。頷きながら立ち上がり、小走りに画魔に続く。

 画魔が言ったように、部隊は任務を完了し、続々と帰還してきているところだった。吏将を見付けた画魔が、「どうだった?」と尋ねると、彼は「問題ない」と短く答えた。その時凍矢は、少し離れた位置で2人の会話を聞きつつ、陣の姿を探していた。
「いたか?」
 吏将との短い遣り取りを終えた画魔が近付いてきた。
「まだだ」
「目立った問題はなかったようだ。殉職者はもちろん、大きな負傷をした者もいなさそうだな」
 頷きながらも、凍矢は吏将の言葉を額面通りに受け取る気にはなれなかった。あの男なら、1人や2人の犠牲者が出たところで、それを『問題』とは考えないのではないか……。一度は手放したはずの不安が再び湧き上がってきそうになる。だが、
「……あ」
 凍矢は顔を上げた。
「どうした?」
「今、風が」
「風?」
 かすかにではあるが、今、風向きが変わったのを確かに感じた。そう思って眼を凝らすと、空を飛ぶシルエットが見て取れた。凍矢からは少し遅れて、画魔もそれに気付いたようだ。
「よく分かったな。それに、大した視力だ」
「視力を上げる化粧はないのか?」
 凍矢はいつの間にか微笑んでいた。だが、彼自身はそのことに気付いていない。
「行こう」
 少し広い歩幅で歩き出した。先に行けば行くほど戻ってこなければいけない距離は長くなる。その場で待っていても間もなく陣は帰ってくるはすだが、ただ立ち止まっているのも退屈だ。
 いくらもしない内に、陣も地上の凍矢の姿に気付いたようだ。妖力で風をコントロールしながら、彼は少しずつ高度を下げ始めた。
「凍矢!」
 地面に降り立つと同時に、走り出そうとしたのだろう。しかし陣の身体はぐらりと大きく傾いた。「あっ」と口が開く。凍矢は咄嗟に両手を伸ばしていた。倒れかかる陣を、そのまま受け止めるように支える。幼い頃、この逆があったなと思い出していた。触れた身体から伝わってくる熱は記憶の中のそれと全く同じだ。だが、あの時よりも凍矢は成長している。それ以上に陣は逞しくなっている。それでも「重い」とは心の中だけで言うに留めた。
「しっかりしろ。倒れるなら、帰ってからにしろ」
「……うん」
 今の体勢では、お互いの顔は見えない。だが陣が笑っているのであろうことは手に取るように分かった。 
「凍矢、ありがとな」
 陣が体勢を立て直すと、画魔がそれに近付いて行った。
「外傷は大したことはないようだな。掠り傷程度だ。すると、妖力を消耗しすぎたか」
「帰りくらい歩いてきたらどうなんだ」
「あっちゃー。最後の最後でかっこわりぃとこ見せちまっただなぁ」
 陣は頭をかきながら笑った。少し疲れた顔をしているように見えるが、いつもの陣だ。
「でも、ちゃんと成功させて帰ってきたべ? 言ったとーりに」
「そうだな」
 凍矢は小さく溜め息を吐いた。安心した気持ちが半分、呆れた気持ちがもう半分。彼は、無意識の内に表情を穏やかにさせていた。そしてその言葉は、極自然に彼の口から出てきた。それこそ、息を吐くように。
「おかえり」
 今まで言えなかった言葉だ。これも画魔が言っていた――意味は良く分からないが――『一歩』だろうか。その先がどこへ向かっているのかも分からぬまま、自分は歩み出しているのだろうか。行き着く場所も分からずに彷徨い出るなんて、危険だ。と、以前の彼なら思っただろう。今は、陣の笑顔が導いてくれているように思えた。その先がどんな場所に通じていても、おそらく悔いることはないだろう。この気持ちはなんだろう。彼の心はざわめいているのに、妙に穏やかでもある。
「ただいま!」
 難しいこと等何ひとつ考えていないであろう笑顔で、陣が言った。そんな表情は、おそらく凍矢には出来ない。少なくとも、今はまだ。だからせめて、その心境だけは倣ってみることにした。すなわち、難しく考えることを一度やめてみよう。眼の前にあるものだけに、しばし向き合ってみるのも悪くはあるまい。


2015,10,10


陣凍&画魔小説第3弾でございます。
「ただいま」「おかえり」「いってきます」「いってらっしゃい」が言えない凍矢が書きたいと思っていました。
そこに色々くっつけたらごちゃごちゃしてきました。
あれもこれも書きたくなっちゃうんですよねー。
でも書きたいと思うものが沢山あるってのはいいことだと思う。と、無理矢理ポジティブシンキング。
ちょっと凍矢が女々しくなりすぎた気がしています。
まあ、たまにはそんなこともあるよね! たまには!!
『陣凍&画魔三部作』のつもりが、『勢いで書きました三部作』になったな……。
<利鳴>

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