陣凍小説を時系列順に読む


関連作品:名称不明(暫定)


  雪解けの始まり


 各使い手のトップが集まる『定例会』と呼ばれている打ち合わせの席で、陣は今回の司会を務める吏将の声をほとんど丸毎聞き流しながら、先に配られた用紙に眼を落としていた。吏将の口から淡々と告げられる外界の権力者達の力関係だとか、霊界の動きだとか、そんなことには彼は全く興味がない。魔忍全体としては大いに関わりのあることなのかも知れないが――なにしろ彼等はそういった戦いの場に雇われて行くことを生業としているのだから――、そんなことは上層部が把握していれば良いことだ。自分はただ、与えられた任務をこなしていればいい。それ以上のことは――少なくとも彼には――“上”も求めてはいないだろう。その証拠に、明らかに話を聞いていない様子を隠そうともしない陣を、咎める者は誰もいない――彼が参加する任務についての説明の時はもちろん別だが、その場合は陣とて流石に真面目に話を聞いている――。きっと他の連中も退屈しながら聞き流しているのだろう。ちょっと視線を巡らせただけでも、欠伸を噛み殺している者が2、3人。完全に眼を瞑ってしまっている者までいる。資料を読み上げている吏将でさえ、命じられたからその役割を果たしているだけで、「聞いてもらいたい」とは思っていないような顔だ。
 この時間は、身体的には拘束されているようなものだ――欠席は許されない――が、精神はいくらでも自由でいることが出来る。進行の妨げにさえならなければ、好きなことを考えていられる。陣の頭の中を占めている物は、手元にある用紙に書かれた向こう1ヶ月分の任務予定表だ。広げた手の平よりも二周りほど大きいサイズのそれには、任務の大まかな内容と共に、参加するメンバーの名前が記されている。これを見れば、自分がいつ、誰と一緒の作戦に加わるのかが一目瞭然である。この日は部下を引き連れての任務。これは他の部隊と合同で行われる大規模な作戦。1週間後には単独での出動も予定されている。そんなことが分かり易いように纏めて書かれている。名前が書かれていない日は待機の日だが、そういった時間を利用して、部下――弟子とも呼ぶ――の修行を見てやることも仕事のひとつである。
 陣はひとつひとつの予定を眼で追いながら、そこにどんな戦いが待ち受けているのだろうかと期待に胸を膨らませた。実戦の場は、彼にとって絶好の修行場でもある。好戦的で血を見るのが好き……ということはないが、それでも自分の力を試すことが出来るのは嬉しい。
(吏将が一緒の時は色々ごちゃごちゃ言われっだなー。単独は気ぃ抜けない時と、退屈な時とが半々だし……。この間画魔にやってもらった戦闘の粧は面白かっただなー)
 そんなことを考えている間に、吏将の話は終盤に差し掛かっているようだった――彼が手にしている資料の残り頁が少なくなっている――。もう少し耐えれば無事解散となり、明日までは何の予定もないはずだ。
(明日はー……。あ、凍矢と一緒の任務だべ)
 陣は少し離れたところに座っている凍矢の方を見た――本当はもっと近くに座りたかったのだが、陣が入室した時にはすでに空いている席はほとんどなくなっていた――。凍矢は他の者達のように顔を伏せることはせず、視線を上げてじっと話を聞いているようだった。もっとも、表情がなさ過ぎるため、眼を開けたまま居眠りをしているのだとしてもぱっと見には分からなかっただろうが。
(凍矢の任務はー……)
 陣は任務表の中に書かれた凍矢の名前を探し始めた。何度か、陣と同じ予定の日があった。内心ガッツポーズを取りながら、紙の上に指を滑らせてゆく。
(この日も一緒。この日は……、ちぇ。オレが待機かぁ。勝手に手伝いに行ったら怒られっかなー。……怒られっだろーなぁ。吏将もいるしー。この日は凍矢が待機。早く終わったら会いに行けるだな。あとはー……)
「あれっ」
 はたと手をとめて、陣は小さく声を洩らしていた。隣に座っている画魔が「どうかしたか?」と視線を向けてきた。なんでもないと首を振りつつも、自分の疑問がただの気の所為ではないことを確認するため、彼は表を上から順に見直した。
 吏将が解散を告げた時、陣は両手の指を使って表に記された名前の数を確かめていた。集会所を出て行く他人の気配に気が散って、3回ほどやり直すはめになった。
「どうした? 何か問題でもあったか?」
 陣の動きがとまったタイミングでそう声をかけてきたのは画魔だった。顔を上げると、眉間に皺を寄せた吏将もいた。
 陣の右手は全ての指を一度は動かした状態にあった。が、左手の指はそうなっていない。すなわち、右と左でそれぞれカウントしていた物の数はイコールではない。
「やっぱり違う!」
 陣が声を上げると、吏将が小さく舌を鳴らした。
「何でもいいが、さっさと出て行け。貴様がいつまでもそこにいると施錠が出来ん」
 いらいらとした口調で言う吏将を無視して、陣は訴えるように画魔に詰め寄った。
「なあ、なんでだ? なんで単独の任務だけこんなに少ないだ?」
「そうだったか?」
 自分の分はもう折り畳んで片付けてしまったのだろう。画魔は陣の任務表を覗き込んできた。そのまま視線を上から下へと移動させている。
「特別少ないということはないように見えるが……」
「合同の任務では不満か? 足手纏いの他人と組むのは御免だとでも?」
 棘を含んだ口調で言われて、流石に今度は吏将を睨んだ。
「そんなこと言ってねーべ。そーじゃなくって、凍矢の! 凍矢には単独の任務がたった1回。それも簡単なやつ! 他のやつはもっと多いのに。なんでだぁ?」
 単独の任務とは、文字通りひとりの部下も引き連れずにたった独りで行われる作戦のことを言う。その内容は、「ひとり要れば充分だ」という程度の――つまり簡単な――ものであることと、逆に、危険だからこそ最適と思われるたった独りの手によって迅速に遂行されるべきものであることの両極端に分けられる。後者の場合、もちろん未熟な者にその任を与えるわけにはいかない。だからこそ、それを任されるということは、その者が一人前であるということの一種の証でもあった。
 陣は他人と足並みをそろえて動くことよりも、その機動力を活かした奇襲に向いているからか、単独任務を命じられることは少なくない。逆に、補助系の術に長けている画魔は、他人と組む作戦の方が明らかに多い。そういった理由があるのなら、納得するのは容易い。しかし、凍矢に与えられた任務のほとんどが複数の隊を集めて行われるものばかりなのは少々解せぬ。彼には充分独りで戦えるだけの実力があるはずなのに。正当な評価をされていないと、陣はまるで自分のことであるかのように不満を露にした。
「お前、他人の出番までチェックしているのか」
「どうせ凍矢の単独任務の日と自分の非番が重なっていたら手伝いに行こうとでも考えていたんだろ。先に言っておくぞ。勝手な行動はするな」
「え、なんで分かっただ? 吏将って、読心術使い?」
 やれやれと息を吐く吏将に、陣は「なぁ、なんで?」と問い詰めた。
「鬱陶しいやつだ。さっさと行け」
「今日は打ち合わせだから任務はないべ」
「非番の時は修行に専念しろと言われているだろ。弟子達の指導もある。暢気に休んでいていい日ではないんだぞ」
「ええー?」
 陣は本来、細かいことを気にするタイプの男ではない。むしろ、どちらかと言えばその対極の性格であると言っても良いだろう。周囲の者達も、陣はそういうやつなのだと認識している。が、その実、一度気にしたことにはとことん喰い付くことが少なくない。良く言えば芯が強いということになるのだろうが、悪く言えば意外と執念深い、……と言うよりは、しつこい。吏将が陣をあしらうには時間がかかりそうだとでも思ったのか、代わりに画魔が口を開いた。
「陣」
「ん」
 陣が顔を向けると、画魔は柔和な笑みを向けてきた。戦いの最中の気迫は今はどこにも見当たらず、至って穏やかな表情だ。それを見ていると、陣もいくらか冷静さを取り戻した。それどころか、叱られた子供のような気持ちになってくる。そんな様子がおかしかったのか、画魔はくすりと笑った。
「凍矢はもう戻って行ったようだぞ」
「えっ!? あっ、ホントだ! いない! いつの間にッ」
「かなり早い段階でいなかったぞ」
「私達も戻りながら話をするというのはどうだ? 幸いにも、戻る方向は3人とも途中まで同じだ。それなら修行の時間を削ることもない」
 「そうだろう?」と尋ねるような視線を向けられ、吏将は幾度目かの溜め息を吐きながら歩き出した。画魔がそれに続いたのを見て、陣も慌てて集会所を後にした。
 外を歩いている者は彼等以外にはもう誰もいなかった。凍矢のみならず、他の者達もそれぞれの居住エリア、もしくは修行場へと引き上げて行ったのだろう。
 しばらくして口を開いたのは吏将だった。
「陣」
「ん?」
「お前は正式に風使いの名を継承してから、まだ1年足らずだったな」
「んだ」
 かねてから次の風使いのトップに就く者が陣であることは決まっていた。そのことは噂となって他の使い手達の耳にも入っていたらしい。だがそれが現実のこととなったのは――吏将が言ったように――実はそう遠い過去のことではない。陣は詳しく聞かされていない――あるいは聞かされたこと自体すでに覚えていない――が、大きな任務が重なり、先代のトップ――すなわち陣の師だった者――の“引退”がなかなか行えなかったのがその理由らしい。決して陣の実力が不足していたからということではないのだが、それでも正式な襲名が遅れたことで、面と向かって彼の力を軽視するような発言をしてくる者も存在する。いくつもの任務をこなしていく内に、流石にそういった者も減ってはきたが……。いや、今はそんなことはどうでも良い。陣が聞きたいのは凍矢のことだ。
「お前は何人の部下を持っている?」
 吏将が尋ねてきた。陣は、それと凍矢の件がどう関係するのか分からず、首を傾げた。そんなことを聞いて何の意味があるのかと率直に尋ね返してやろうかとも思ったが、隣にいる画魔が何も言わずにいるのは、彼がこのやりとりがきちんと本題へと繋がることを知っているからなのだろう。回りくどさに辟易しながらも、陣は答えた。
「えーっと、たくさん」
「把握していないのかっ!?」
「新たな問題が露見したな」
「ったく……」
「吏将、ひとまず置いておこう。話が進まない内に帰り着いてしまいかねない」
「まったく、信じられん」
 露骨なまでの溜め息を吐いて前を歩き出した吏将の背中に向かって、陣はこっそり舌を出した。この男の物の言い方は、どうも好きになれそうにない。
「陣。お前は凍矢以外に呪氷使いの者を見たことがあるか?」
 今度は画魔が尋ねてきた。彼と比べると、吏将はヒトを不愉快させることに関しては何倍も上だなと陣は思った。
「えーっと……。あ、ガキん頃に見たことあるだ。たぶん、凍矢の師匠だと思うけど、合同訓練の時に」
「ほう」
 吏将が珍しい物を見たような声を上げた。
 同じ組織に属し、同じ土地に暮らしているとはいっても、必要がなければ一生顔を合わせることなく終わる相手というのは、ここでは珍しい存在ではない。忍の者達は他者との馴れ合いを望むことはほとんどない上に、誰ともすれ違うことすらないまま1日が終わることも日常的にありえるほどに、里は広い。同じ任務に就けば当然顔を合わせる機会はあっただろうが、現在の呪氷使いのトップが凍矢である以上、その前任の者はすでに隊そのものから退いていると考えるのが普通だろう。となれば、極短い時間だけでも陣がその姿を眼にしたことがあるというのは、奇跡的な確率に近かったのかも知れない。特に呪氷使いの者達は、――極端なまでに――他の者と行動を共にしたがらないと、兄弟子に聞いたことがあったかも知れない。
「その他には? 特に、この数年の間には」
「んー、そういえばねぇなぁ」
 陣が首を振るのを見て、2人は頷いた。
「そうだろうな」
「実は、呪氷使いは現在凍矢ひとりしかいないんだ」
「え?」
 眼を大きく開きながら、陣は思わず足をとめていた。それに倣うように残りの2人も立ち止まると、辺りは一瞬静寂に満ちた。
 『継承者』と呼ばれる各使い手のトップ達は、通常複数の弟子を持ち、自分が隊を退く直前にその中から次の継承者となる者を選出する。そして正式な引継ぎが行われると同時に、残りの弟子達はそのまま新たな継承者の許につくこととなる。それを繰り返し、自分達の技を遺してゆくのだ。だが、先代の呪氷使いの継承者は、凍矢以外の弟子を持っていなかったのだと画魔が言った。理由を尋ねたことがある者はいない。その男――先代の継承者――は、ただでさえ少ない他者とのやり取りすら頑なに忌避していたように見えたとは、画魔の師――先代の化粧使いの継承者――のセリフだそうだ。
 聞かされたばかりの話を頭の中で反芻し、簡略化させていく。難しい話は苦手だ。つまり、どういうことか……。凍矢には兄弟弟子はいなかった。当然、引き継ぐべき部下も存在しなかったということになる。つまり――
(凍矢は、独り?)
「私は直接は知らないが、昔はそうではなかったようだがな。凍矢が幼少の頃まで遡れば、多くはないが数人の修行者達がいたらしい」
「任務の最中だったか、修行中の事故だったか……、その時のトップ……先代だな。それと、その当時最年少だった凍矢を残して、全員死んだとだけ記録がある。詳しいことは『不明』だそうだ」
「不明って……」
 陣は眉を顰めた。そんなことがあったというのに、碌な調査もされていないらしいことに憤りを抑えられない。修行時代を共に過ごした兄弟弟子達は、いわば家族のような存在だ。幼い頃はそれ以外の者と顔を合わせることはまずないと言えるだろう。それを一度に失っておきながら、『不明』の一言で済ませてしまうなんて……。もしそれが自分の隊に起きたことだったら……。陣とその部下達は、師弟関係というよりも気心の知れた戦友のような接し方をしている――堅苦しさを嫌う風使いの中でしか通用しないルールだ――。それがただひとりを遺して全員死んでしまうなんて。せめて、その理由だけでも明らかにしたいと思うのは、普通のことではないのか。よく言われるように、風使いである自分だけが特殊なのか。
「そんなの、絶対おかしいだ」
 気付けば陣は、両の拳を強く握っていた。
「私もそう思うよ」
 画魔がゆっくりと頷いた。それでも、当時のことはもう調べることすら出来ないのだそうだ。
「それよりも」
 ぽつりと呟くように言ったのは吏将だった。
「オレはその後の対応の方が疑問だ」
「その後?」
「何故新たに人員を増やさなかったのか、だ。凍矢が生き残っていればとりあえず次の継承者には困らないとしても、独りでは部隊を維持出来ないのは明らかだろう。ならば、“外”から素質を持つ者を探してくるのが普通だ。何故それがされていない?」
 魔忍の者達はその全てがこの里で誰かの子として生まれたわけではない。妖怪であるが故に親を持たずに生まれる者もあれば、人員確保のために外部から連れて来られた――早い話が攫われてきた――者も多くある。彼等の姿形が多様――例えば陣の頭には小さな白い角が生えているし、画魔の肌は他の者と極端に違う色をしている――なのはそのためだ。いずれにしても物心付く頃には魔忍として以外の生き方を知らぬようになっているため、自分の出生に興味を持つ者はまずいない。ここではそれが当たり前のことなのだ。
「幼い凍矢が独り残されたというのならともかく、現役のトップも当時はいたんだ。いくらでも立て直しは出来たはず……。何故それを怠った。その結果が現状だ」
 呪氷使いは、凍矢ただひとり。
 陣は一度しか見たことのない背の高い男の姿を思い浮かべた。呪氷使いの先代継承者。外見に関して特に印象に残っているのは、眼だ。闇を塗りこめたような黒い瞳からは、何を考えているのかが全く掴めなかった記憶がある。その代わりに感じたのは、嫌でも伝わってくるほどの強力過ぎる冷たい妖気だった。一切の熱を拒むように張り巡らされた結界にも似たそれを手放すことなく身に纏い、陣のこと等……、いや、それ以外の全ての存在をも気に留めていないようだった。確か声を聞いたはずだ。だがそれが高かったのか、低かったのかすら覚えていない。あるいは、そんなことは最初から意識の中に入ってこなかったのかも知れない。ただ、冷たかった。
「自分の後のことはどうでもいいと思って、全部凍矢に丸投げしちまった……とか?」
 言いながらも、陣は少しも納得していなかった。が、多少――どころかかなり――強引にでも、そう納得――したふり――をするしかないのだろう。当人がいない――おそらくは没したのだろう――以上、全てを知ることは不可能だ。凍矢がその時のことを記憶していれば話は別だが、何の記録も残されていないということは、おそらく彼も知らないのだろう。
 しばしの沈黙を、吏将が破った。ふうと息を吐いて、思い出したように歩き出す。
「話が逸れたな」
 彼は前を向いたまま言った。
「とにかく、これで分かっただろう。呪氷使いの術を使える者は、凍矢ひとりしかいない。任務中にあいつの身に何かあれば、その時点で全ての術が永遠に失われてしまう。それは避けねばならん」
「そういう理由から、危険度の高い単独任務を与えるべきではないと……。これは上層部の決定だ。凍矢本人が望もうとも、望まざろうともな」
 凍矢の身を案じてというよりも、ただ技術を遺すことだけを考えているような言い方だ。実際に組織としての意向はそうなのだろう。それが陣には納得出来ない。そんな表情をどう読んだのか、画魔は宥めるような口調で言った。
「実はかなり問題になっているんだ。近い内になんとかしたいと、“上”は言っているそうだがな」
「ついでに言うと、ほぼ同じ理由で一隊のみでの任務も与えられていないはずだ。引き連れる隊がないんだからな。単独任務だけが少ないというのは、完全にお前の間違いだ」
「それから陣、少し前に、お前は自分の隊を総動員させて任務に向かったことがあっただろう? あれもやめた方がいい。もしものことがあっては危険だ」
「そうやって全滅した隊は多くはないが過去にもあった」
「だからこそ凍矢の件は慎重にならざるを得ないのだろうな」
 前方に伸びる道が二股に分かれた位置で、吏将は立ち止まった。
「余計なことを考えずに、お前はただ命令に従っていればいい」
 まるで、陣が何を考えているのか見通しているような口ぶりだ。もし本当に吏将にそれが分かるというのなら、いっそのこと教えてほしかった。自分が何を考えているのか、陣には分からなくなっていた。一度に難しい話を聞き過ぎたか。頭の中がごちゃごちゃになっている。昔見た凍矢の師匠の姿。自分の兄弟弟子達。凍矢の横顔。蒼氷色の瞳。何を感じているのか分からぬ白い顔。今、……いや、いつも、凍矢は何を想って過ごしているのだろう。ひとりで。
(知りたい)
 凍矢のことが。
 凍矢のことを知る誰かが、彼にはきっと必要だ。それに自分がなりたい。
 今の状態を変えたい。まずは少しでもいい。
「なあ、凍矢ってどこに住んでんだ?」
 陣の問いに、吏将は眉を顰めた。そのまま質問には答えてくれそうになかったので、陣は画魔の方へ眼をやった。画魔の表情がふっと和らいだように見えた。
「凍矢は私達の居住エリアの端に住んでいるよ」
「化粧使いンとこ?」
「ああ。呪氷使い達が元いたエリアは、他と少し離れていてな。連絡を取るのに不便だからと、凍矢ひとりになった時に“上”からの命令で移ったんだよ」
 それで凍矢と画魔が一緒にいることが――他の組み合わせよりは――多いのかと、陣は納得した。同時に、胸の奥深くで、何かがちりちりと小さく燃えているような感覚が生まれた。
「連絡が付けられればどこでも問題ないだか?」
「まあ、そうなるだろうな」
 画魔が言うのを聞きながら、吏将が一層表情を歪ませた。また陣が下らないことを考えているぞとでも思っているのだろう。心底呆れた眼を向けると、「オレは帰る」とだけ言って、分かれ道の一方へ歩いて行ってしまった。
「陣」
 画魔はもう一方の道を指差した。
「こっちだ」
 陣はぱっと駆け出し、風を纏って身体を浮かせた。

 化粧使い達の住居が並ぶエリアは、風使い達のそれとさほど離れてはいなかった。それでも陣は、そこに初めて立ち入った。改めて、他者との繋がりが希薄な自分達の現状を目の当たりにした気分だ。ある程度開けたスペースが続くその場所には、広い間隔を空けて数件の住宅が並んでいる。外に出ている者はいないようだ。本当にここに住んでいる者があるのかと思うほどに静かだ。
「元々お前のところほど大所帯ではない。それに、皆個人主義なんだ。マイナスな意味は抜きでな。ひとりで自分の技を磨くことの方が好きなんだよ」
「ふうん」
「凍矢の居場所としてここが選ばれたのも、我々が無理に馴染むことを強いらないだろうと判断されたんだろうな」
「……それって、凍矢がそういうところの方がいいって言っただか?」
「さあ? 本人からは何も。私は“上”から指示されて空いている家を使わせてやっているだけだ。それを」
 画魔は一度言葉を切り、陣の眼を見た。
「お前が代わりたいと言うなら、私に反対する理由はないよ」
 画魔はすっと指を伸ばした。
「むこうだ」
 歩き出そうとする画魔の顔を、陣は覗き込んだ。
「実は画魔も読心術使いだか?」
 陣が首を傾げると、画魔はくつくつと笑った。
 案内されて行った先は、居住区の隅を流れる小川の近くだった。小さな小屋程度の大きさしかないその住居は、しかし基本的に寝起き出来るスペースさえあれば困ることのない彼等には充分だろう。ただ、周囲の建物と比較すると、少し小さく見える。陣がそう言うと、化粧に用いる液体や筆の保管及び製造の場所が、化粧使い達には必要なのだと画魔が答えた。凍矢が使えるような空き家があったのも、そこが化粧使い達には手狭だったからなのかも知れない。
 近付いて行って、画魔が戸を叩いた。
「凍矢。私だ」
 顔を見せた凍矢は、画魔の後ろに陣がいることにわずかに驚いたようであった。と言っても、顔の筋肉が少々動いたという程度で、大きな変化は見られなかったが。陣は“表情を変えるとはこういうことを言うのだ”と見本を見せるように笑顔を作ってみせた。
「2人とも、どうかしたか?」
 首を傾げる凍矢の手を、陣は予告も、予感させることすらしないまま、ぱっと取った。
「凍矢、オレと一緒に暮らそう!」
 陣はきっぱりとした口調で言った。
 凍矢を、今の状況から引きずり出してやりたかった。それによって何がどう変わるのかは分からないが、とにかく今のままにしておきたくない。ついでに、可能なら自分の傍にいさせたかった。そう思った時、閃いた。そうだ、一緒に暮らせば。と。
 凍矢の返事はなかった。彼は身動きせずにとまっている。表情すら凍り付いてしまったかのようだ。何を言われたのか理解し切れていないのかも知れない。もう少し変化が大きければ『眼が点』といった状態にあたるのだろうか。陣の視界からは外れたところで、画魔がしきりに咳をしている。なんだろう。
 数秒の間があったが、凍矢の硬直は解けない。聞こえていなかったのだろうかと思い、陣は白い顔を間近から覗き込んだ。
「な、凍矢。うちに来たらいいだ。画魔と吏将から聞いただ。呪氷使いは凍矢ひとりしかいないって。独りだったら、つまんねーべ? だから、オレと一緒に暮らすべ」
「なにをっ……血迷ったことをッ」
 やっと発せられた凍矢の声は、上擦っていた。珍しいことに、頬にわずかな赤みがさしている。
「凍矢、独りだったら、寂しくないだか?」
「そんなこと……」
「オレだったらきっと寂しい。だから凍矢と一緒にいたい」
 彼を“呪氷使いの継承者”としてではなく、凍矢個人として見ている者がちゃんといるのだということを知っていてもらいたい。いや、本当はただのエゴなのかも知れない。さっき言ったように、自分が凍矢の傍にいたいだけなのかも知れない。毎日顔を合わせて、毎日言葉を交わして……。そうしていないと、いつかこの冷たい手に永遠に触れることが出来なくなってしまいそうで、怖い。
「凍矢、オレと一緒にいるのは嫌だか?」
 凍矢の口はわずかに動いた。いや、小さく振動したと言った方が正しいかも知れない。音は何ひとつ聞こえてはこなかった。代わりの声は、陣の背後から聞こえた。
「いいじゃないか、凍矢」
 そこに画魔がいることを忘れていた。凍矢もそうだったのか、彼は細い肩をびくりと跳ねさせた。振り向くと、画魔は笑っていた。
「陣は少々奔放すぎるからな。凍矢が近くにいて歯止めになってくれるなら、我々や陣の部下達も少しは安心出来るだろう」
「なっ……、画魔っ!?」
「なんかオレが言いたいのとちょっと違うだ」
「結果は同じだろう? なら、文句を言うな。凍矢も、問題はないだろう? 住む場所はどこでも構わないと以前言っていたじゃないか」
「それはっ、そうだが……」
「“上”には私から報告しておくよ。早速荷物を移動させた方がいいな。2人とも明日は任務が入っていただろう? 早めに済ませてしまわないと、差し支えるぞ。仕方ない。私も手伝おう」
 口を挟む隙を与えず、一方的に宣言するように言うと、画魔は凍矢を押し退けるように、勝手に屋内に入り込んだ。
「画魔っ!」
「元々は私が管理していた建物だ。ふむ、少々老朽化が進んでいるな。どちらにしてもそろそろ建て替えが必要な時期だったか。凍矢、ちょうど良かったな」
「オレを追い出したいのなら率直にそう言えッ」
「何を馬鹿なことを。カワイイコには旅をさせろと言うだろ」
「ッ……!!」
「さあ、持って行く物を纏めてくれ。おい陣。ぼさっとしてないで手伝わないか。お前の住まいに運ぶんだからな。持っていける物なのか、お前が判断しないでどうする」
「え、でも」
 凍矢は声にこそなっていないが、明らかに画魔を非難している。そんな本人の意思を無視してしまうのは、流石に拙いのではないか。凍矢と一緒に暮らせるのであれば、それは嬉しい。が、彼に嫌われてしまったのではなんの意味もない。しかし画魔はお構いなしだ。
「凍矢、これは要る物か? おい陣、お前の家の広さはどの位なんだ? 2人で住めるだけのスペースはあるのか? まさか、そんなことも考えずに一緒に住もうなんて言い出したのではないだろうな?」
「あ、それならたぶん平気だっちゃ。風使いは家ん中でも飛び廻れるように、部屋は広く作ってあるだ。それに、他のやつの風の邪魔しないように、ひとり一軒で独り暮らしだし。建物同士も少し離してあっけど……」
「なるほど。それなら不必要な干渉をし合うことはなさそうだな。今と大して変化なしということだ。おい凍矢。他の荷物はどこにある? というか、殺風景な部屋だな。ほとんど何もないじゃないか。まさかこれほどとは。特に重要そうな物も見えんし、いっそのこと全て処分してしまって身ひとつで越して行くか?」
「あー、あの、画魔ぁ?」
 ひとりで話を進めてしまおうとしている画魔を宥めようとした、まさにその時、ついに凍矢が声を荒らげた。
「いい加減にしろ! 勝手なことをっ!」
 やはり流石に怒ったか。自分のところでは嫌か。画魔のところの方がいいのか。いや、そんなことを問い質すよりも謝罪が先か。陣が凍矢の顔を覗き込むと、白い顔には赤みがさし、視線は斜め下の床を見ていた。定例会の時に見た表情のない顔と、同一人物だとは俄かには信じ難い。作り物めいた顔よりも、こっちの方がずっといい。陣はそう思った。
「凍矢、オレ――」
 何を言おうか考えていたわけではなかった。頭で考えるよりも先に、口が動いていた。だがその続きの声が出てくるより先に、凍矢の小さな声が言っていた。
「…………荷造りくらい、自分で出来るっ」
 俯くように下を向いたまま言われた言葉は聞き取りにくかった。が、間違いなく、彼自身の意思で発せられたものだ。
「凍矢、うちに来てくれるだか?」
「……陣は、奔放過ぎるから……」
 言い終わらぬ内に、陣は凍矢に抱き付いていた。また、頭で考えての行動ではなかった。
「凍矢、ありがとう!」
 腕の中で凍矢がもがいた。が、本心から陣を拒もうという動きではない。凍矢なら、その気になれば腕尽くで抜け出すことが出来るだろう。相手の生死を問わないなら、それこそ簡単なことだ。それをしないということは、少なくとも、嫌われてはいないと思って良いだろう。今はまだ、その程度でもいい。一緒にいれば、きっといつか変わってくれると信じよう。難しいことは考えない。前向きでいいじゃないか。他人が見たら何と思うかは知らないが、そんな風に考えられるのは、自分の良いところのひとつだ。
「おい2人共、さっさと済ませてしまうぞ」
 画魔が言う。少し呆れたような笑顔をしている。その笑顔に、なにか言われた気がした。「良かったな」だろうか。それとも「凍矢のことをよろしくな」だろうか。どちらであっても返答はひとつだ。
「うん!」


2015,10,09


関連作品:“はじめ”に繋げるための1歩


陣凍&画魔小説第2弾でございます。
魔忍とか呪氷使いとかについての捏造設定が自分の中に色々あります。
それについて日記で少々語らせていただいたことはあったのですが、なんとか小説の中で説明したい。とずっと思っていました。
今回それが少し出来て良かったです。
でもこれで全部ではないので、残りもいつか活かせる機会があったらいいなぁと思っております。
<利鳴>

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