陣凍小説を時系列順に読む


  名称不明(暫定)


 直線的に飛んでくる氷の礫は、画魔が睨んだ通り、一種の目眩ましであったようだ。それを放った位置からすでに術者は移動しており、身を低くして自分の背後に廻り込んでいるのが視界の隅で確認出来た。
(地面を凍らせてその上を滑ったか)
 張り巡らされた氷は、移動手段として使われた後も、戦いの相手の動きを制限する役割を果たす。と当時に、急激に冷えた空気が相手の体力を奪う。彼のいつも通りの戦い方ではあるが、見慣れたからといって容易く対処出来るかどうかは別の話だ。氷の弾丸を回避した動きは完全に読まれていたらしい。空気中の水分を凍らせて作られた巨大な氷柱が、画魔目掛けて降り注ぐ。すんでのところでそれを避けると、今度は氷の剣が振り下ろされる。画魔は、身の守りを高める術を施した腕でそれを受け止め、そのまま振り払った。純粋な力は画魔の方が上だ。もちろん鍛えられてはいるが、元の体格からして小柄な相手はわずかに身体のバランスを崩した。
「くっ……」
 その表情には焦りが見えた。いつもの彼らしくない。本人もそのことに気付いているだろう。だからこそ、余計に焦り、戸惑っているのだ。
 画魔は左足を軸に、弧を描くように蹴りを放った。相手はそれを、体勢の悪いまま無理にかわす。画魔は着地の勢いをそのままバネのように利用し、掬い上げるように拳を振った。
「!!」
 蒼氷色の瞳が見開かれた。2本の腕が防御の形を作ろうとするが、間に合わない。あと数センチで触れるというところで画魔がぴたりと動きをとめると、少し遅れて長い前髪がふわりと靡いた。
「凍矢」
 画魔が拳を戻すと、彼もゆっくりと腕を下ろした。視線は、ばつが悪そうに下を向いている。
「どうした。本調子ではなさそうだな?」
 凍矢の動きに、画魔は違和感を持っていた。具体的に言えば、攻撃のテンポが悪い。凍矢は息吐く暇さえ与えぬ連続的な攻撃で敵の戦闘力を削っていく戦い方に長けていたはずだ。相手の体力や妖力を充分に消耗させぬ内に安易に距離を詰めて接近戦に挑むのも彼らしくない。これが見知らぬ相手ならともかく、日頃から特訓相手を務めてきた画魔に通用する道理はなにひとつ見出せない。同時に、凍矢がそれを理解していないはずがない。
「不調……というよりは、集中力が切れてしまっているな」
 凍矢は「そんなことは」と反論しようとした。が、画魔が視線だけで「あれが原因か?」と少し離れたところを指すと、彼は黙って再び俯くように眼を逸らせた。画魔が指した方は見ようともしない。それは、その先に何があるか、彼がすでに知っていることの証明だ。
「やれやれ。見学に制限を付けることを検討するべきかな」
 まだ戦い方を身に付けていない部下――もしくは弟子と呼ぶ――達が、より強い者の特訓を見に来ることは頻繁ではないとはいえ、特別珍しいことでもない。よほどの理由がない限り、咎められるようなことはまずない。普段の凍矢なら、そんなものは初めから存在していないかのように、気に留めることはなかったはずだ。他人が見ていようといまいと、自分のペースを崩さずに戦える。彼はそういう男だった。しかし、それも今は……、いや、“その人物”だけは例外であるようだ。射抜くほどの熱心さで向けられる2つの眼が、凍矢の集中力を奪っている。燃えるような赤い髪は少しでも視界に入れば確かに目立つが、理由があるのはそこではない。本人に邪魔する気はないのだろう。「凍矢の修行を見てみたい」と申し出た表情はあくまでも――魔忍としてそれはどうなんだと思ってしまうほどに――無邪気で、明るかった。
「陣」
 呼びかけると、尖った耳がぴくりと跳ねるように動いた。見ても構わないが邪魔にならぬようにその場から動くなという命令だけはきちんと守っていたようだ。木の上に腰をかけた姿勢のまま、陣は楽しそうな顔をしている。
「時間は大丈夫なのか? 今日は打ち合わせがあったんじゃないか?」
 画魔が尋ねると、陣は笑顔のまま答えた。
「んだ。まだ平気だっちゃ。打ち合わせには、夕方来いって言われてるだ」
 それならお前も修行に励めと言いたいところだが、陣と対等にやり合える相手はこの魔忍の里中を廻っても限られている。その内のひとりは今正に画魔と手合わせをしている最中である上に、いつも通りの力を発揮出来ずにいる。原因は――
 やれやれと息を吐いて、画魔は凍矢の近くに寄った。不自然にならない程度に身体の向きを変え、口の動きが陣から見えないようにする。同時に、凍矢の表情も画魔の背中に隠れたはずだ。少し不満そうな視線が突き刺さってくることには気付かないふりをして、小さな声で訪ねた。
「陣がいない方がいいか」
 凍矢は躊躇ったような顔を見せながらも、わずかに頷いた。
「分かった。もう少し我慢しろ。続けるぞ」
 最後の言葉だけ声量を上げて言うと、画魔は飛び退くように凍矢との距離を取った。画魔が身構えると、頷きながら凍矢もそれに倣った。
「行くぞ!」
 画魔が地面を蹴った。右手には彼専用の化粧筆が握られている。素早さを高めるための模様を自分の身体に描くと、彼は一気に凍矢との距離を詰めた。急な速さの変化に、凍矢の反応が一瞬遅れる。やはり気が散っているようだ。ガードの体勢を取った腕を、画魔の筆先が掠める。その直後、凍矢の片腕は赤い液体に染まっていた。
「あッ!」
 木の上にいる陣の声が2人の許まで届く。凍矢は、事態を呑み込めていないのか、それとも陣の声にか、驚いたような顔をしている。
「しまった!」
 画魔が声を上げた時、木の上にあったはずの気配が動いていた。「動くな」と言った声は、すでに陣の中には欠片も残っていないようだ。
「凍矢!」
 陣が駆け寄ってくる気配。彼よりも先に、画魔は凍矢の腕を取った。
「画魔……?」
「大丈夫か、凍矢!」
「あ、ああ。なんとも……」
「陣! 済まないが本部の医務室から手当ての道具を取ってきてくれないか。大至急だ!」
 早口で言うと、陣は「分かっただ」と頷くのと同時に、風を纏って文字通り飛び出して行った。凍矢は表情の乏しい顔――それが彼なりの呆気に取られた時の顔なのだろう――でその姿を見送っていた。
「これで10分程度は作れるだろう」
 画魔が静かにそう言うと、凍矢はなるほどと言って頷いた。陣からは見えなかっただろうか、凍矢の腕に血を流すような傷はひとつも付いていない。そこを赤く濡らしているのは、画魔が化粧に用いるための液体だ。落ち着いて見れば傷口もないし、色も凍矢の血液のそれとは少々違っていることに気付いただろうが、陣はうまいこと凍矢が負傷したと早合点してくれたようだ。
「陣がいると、凍矢は落ち着かないようだからな」
 くすりと笑いながら言うと、凍矢はまたしても視線を下げた。陣に責任があるわけではなく、あくまでも問題は自分にあるのだと分かっているのだろう。
「さて」
 画魔は筆を鞘に収めると、近くにあった腰の高さほどの小さな岩に座った。
「続きをしてもいいが、少し話をしないか?」
 凍矢は黙って頷いた。少し待ってみたが、彼の方から話を始める気はないようだ。いや、おそらく迷っているのだろう。どこかに腰を降ろす様子も見せなかったので、そのまま画魔から始めることにした。
「陣が気になるか」
 凍矢は答えなかった。否定しない、ということは、それが肯定の合図なのだろう。
「まあ、変わったやつではあるな」
「……少し驚いただけだ」
「なるほど?」
 陣が彼等――画魔や凍矢――が所属している小隊――と言っても、まだ作られてから日が浅く、彼等の他には土使いの男がひとりと、これからやってくる“予定”らしいひとりしか決まっていない――に配属されたのは、ほんの1週間ほど前のことだった。厳選された若手だけで構成された隊にすると聞かされ、どんな人材がやってくるのだろうかと思ってた画魔達の前に現れた新入りは、おおよそ魔界の深部に住まう者に相応しくない子供のような顔で、なんと突然凍矢に抱き付いたのだった。
「やっと会えただ!」
 がばっと抱き付きながら、彼はそう言っていた。
 その時の凍矢は、完全に不意を突かれたようで、いつもの無表情のまま、数秒間凍り付いたように固まっていた。遅れてその顔が真っ赤に染まり、次の瞬間、新入りは床に張り倒されていたのだが、それでもその男は笑っていた。
「オレ、すぐ調子に乗っちまうだよ」
 そう言って笑っていた。
 そんな新入りの奇行はさて置き、その時の凍矢の様子は、それまで画魔が一度たりとも見たことがないものだった。赤面する凍矢。「なにをする」と声を荒らげる凍矢。陣を引き剥がしてからも、「暑い」と言って肩で息をしていた凍矢。そんな表情が、彼の中に存在していたことすら知らなかった。凍矢は以前から新入りと面識があったらしいと聞き出せたのは数十分の後に、彼がようやく落ち着いてからのことだった。凍矢は幼少の頃に何度か顔を合わせたことがあるだけだと言っていたが、陣は「ずっと会いたかった」と熱く語った。風使いの継承者の交代が予想よりも延びることになり――これは陣に責任があるわけではない。むしろ先代の継承者側の都合だったらしい――、隊への正式な配属を延ばし延ばしにされていた彼は、1日でも早く凍矢との再開を果たしたいと望んでいたらしい。他所へ配属されることになっていたらどうしていたのかなんてことは考えもしなかったようで、ただひたすら記憶の中の『約束』を果たせる日を待っていたのだという――その『約束』がどういったものなのかは、「絶対に秘密」なのだそうだ――。ようやく得られた再会の時に、思わず取った行動が“それ”だったようだ。
 確かに、“あれ”には驚きもするだろう。だが“それ”を1週間も引きずっているというのは『“少し”驚いた』というレベルをとっくに超えてしまっているように思える。
「陣が嫌いか」
 画魔は率直に訪ねてみた。凍矢の肩がびくりと跳ねる。
「そんなことは、ない。ただ……」
「ただ?」
「……どうしたらいいのか、分からないだけだ」
 今まで、陣のような人物に接したことがなく、戸惑っているのだろう。この魔忍の里において、陣のような男は珍しすぎる。画魔ですら出会ったことがなかったというのに、他の使い手達から殊更離れて成長してきた――そうすることを強いられていた――呪氷使いの凍矢には、完全に未知なる存在であると言えよう。だから、どう対処して良いのか分からない。
(だがおそらくそれだけではない)
 凍矢の中で、何かが変化しようとしている。彼と会う前の画魔が聞いていた呪氷使い――感情を持たぬ永遠の闇の結晶――と、凍矢は明らかに違っている。
「……暑い」
 凍矢は小さく呟いた。周囲の空気はまだ彼の術によって冷やされたままだというのに。
 わずかに赤く染まった頬。凍矢自身は、それに気付いていないようだ。いつもより心なしか幼く見えるその横顔は、同時に美しくもあった。それも、彼が元々持っている氷の彫刻めいた無機質な美しさとは違う。
 彼が言葉に言い表せずにいるその感情が、『好意』、あるいは『恋』――音は少し似ている――と呼ばれるものなのだろうと、画魔が教えてやることは容易い。だが画魔は、それをするつもりはなかった。彼なら、……いや、“彼等”なら、時間はかかっても自分達の力でその答えに辿り着けるはずだ。むしろ、そうであってほしい。そう思ったのかも知れない。
 冷えた空気が少しずつ元に戻りつつあった。地面を覆っていた氷も融け始めている。きっと、凍矢の感情を閉じ込めてしまっている氷も、いつか必ず……。

「陣のやつ、少し遅いな」
 ぽつりと画魔が呟くと、凍矢は顔を上げた。空を探る視線は、しかし目的の人影を見付けることが出来ない。どこか遠くで、怪鳥が鳴く声がした。
「……まさか!」
 画魔は弾かれたように立ち上がった。
「画魔?」
「陣は北側の門を目指したんじゃないだろうな!?」
「北……? いや、おそらくそうだろう。オレ達ならともかく、陣は空を飛べるから、他へ廻るよりもその方が近い」
 それがどうしたと、凍矢が首を傾げる。
「くそっ、伝達が遅れていたか。北門付近には、昨日からヨウジュウが放たれているんだ」
「妖獣?」
「もし陣がそこを通ったとしたら……。これは危険だぞ」
 言い終わらない内に、画魔の横を冷たい空気が通り過ぎて行った。彼の眼は、木々の間を走り抜けて行く凍矢の後姿を辛うじて捉えた。
「凍矢! 東から入って中を通り抜けた方が早い!」
「分かっている!」
 凍矢の姿を追って、画魔も走り出した。
(あんな様子も、初めて見るな)
 画魔はくすりと笑った。そのことは、前を行く凍矢には気付かれていないはずだ。いや、画魔がついて行っていることすら、気に留めてはいないだろう。
 本部が置かれている建物は、小さな要塞のような形をしている。その敷地内を突っ切って、凍矢は東門から北門を目指した。2つの門を潜り、そろそろ完全に引き離されてしまうかと画魔が思い始めた頃、凍矢は急に足をとめた。その先には、鮮やかな赤い髪の男がいた。
「陣!」
「あ、凍矢」
 陣の肩には拳よりもひと廻りほど大きいサイズの毛玉のようなものがくっ付いていた。よく見るとそれには、つぶらな瞳と三角形の耳、それから小さな胴体と手足、さらにはふさふさとした尾がついていることが確認出来る。簡単に言えば、人間界で『イヌ』と呼ばれている動物の魔界バージョンだ。
「ああっ、しまった! すでに接触していたか!」
 画魔は大袈裟に頭を抱えながら言った。
「画魔、これは……」
「“幼獣”を放ったと言っただろう? 今はこんなサイズだが、成長すればもっと大きくなる。そうしたら本格的に訓練をするそうだ。一種の忍犬だな。困ったことに異様にヒトに懐いてな。この通り擦り寄ってくるんだ。陣が無理に振り払わなくて良かった。今はまだ酷く脆いからな」
 陣はぽかんとした顔をしている。一方凍矢は、何かを察したようだ。画魔はにやりと笑ってみせた。
「陣、見事に捕まってしまったようだな」
「そうなんだわさ。この辺、木が多いから飛べなくって、仕方なく走ってたらこのもわもわしたのがいきなし飛び付いてきて。取ってもまたすぐくっ付いてくっし。なんとか離れて手当て道具取ってきたら、帰りにまたこれだし。こんな時でなかったらめんこいから、ぶん投げちまうのもかわいそーだし」
「帰りは別の門を通ろうとかは思わなかったのか……」
 呆れたように言う凍矢の顔を見て、陣は「あっ」と口を開けた。
「凍矢、怪我は? 動き廻って大丈夫だかっ?」
「あ……。そういう設定だったな。それは……あれだ、その……。…………もう治った」
 画魔はうっかり笑いそうになるのをなんとか堪えた。凍矢がこちらを睨み付けているが、陣は訝しげな顔をしつつも納得したようだ。
「さあ、陣。その道具はもう不要になったのなら、返してきた方がいい。それに、そろそろ打ち合わせに向かった方が良い時間ではないか?」
「あ、忘れてただ」
「その幼獣は私が飼育小屋に入れておこう。凍矢は先に戻っているといい。あまり動き廻るなよ。傷口が開くかも知れんぞ」
 陣から毛玉のような生き物を引き受けると、画魔はまだ不服そうな顔をしている――だが面と向かって文句を言うわけでもない――凍矢の傍に寄った。
「今、ここへ向かいながら何を思った?」
 凍矢にだけ辛うじて聞こえるほどの小さな声で問うた。
「そ、れは……」
 陣に危険が及ぶかも知れないと勘違いした時――もちろん画魔が意図的にそうさせたのだが――、彼は何を思ったのか……。そして、事の真相が明らかになった時、画魔に対して恨めしげな眼をしながらも心の中に抱いた感情は……。
「良かったな」
 「陣が無事で」とは口に出さずに、画魔は自分よりも低い位置にある頭をわしゃわしゃと撫でた。凍矢が慌てたように飛び退き、髪を撫で付けるように押さえているのを見て、彼は笑った。
「じゃあ陣、行こうか。小屋は向こうだ。途中まで一緒に行こう」
「あ、うん」
「じゃあな凍矢」
 毛玉生物を抱いたまま歩き出すと、少し遅れて陣が小走りに追いついてきた。
「なあ画魔」
「ん?」
「凍矢と何話してただ? なんか、様子おかしかったけど、大丈夫だべか」
「気になるか?」
「え? うん」
 陣は心配そうな眼をして、まだ後方を気にしているようだ。打ち合わせの予定さえなければ、彼はまだ凍矢の傍に留まっていただろう――そうなれば凍矢は逃げるかも知れないが――。
「心配するようなことはない。ただ、凍矢が言おうとしないことを、私が勝手に喋ってしまうことは出来ない。分かるな?」
「うん……」
 そう返しながらも俯いてしまった陣の頭に、画魔は凍矢の頭を撫でたのと同じ手で触れた。
「大丈夫だ。今に分かるようになる。お前も、凍矢もな」
「凍矢も?」
「ああ。さあ、もう行け。本当に遅刻するぞ。道具も私が戻しておいてやるから」
 まだ何か言いたいことがありそうな様子の陣から治療道具を受け取ると、画魔はさっさと歩き出した。
 あの2人が、お互いの気持ちに真に気付けるようになるまでは、おそらくまだ時間がかかるだろう。
(その時が楽しみだ)
 画魔はくつくつと笑った。


2015,10,08


関連作品:雪解けの始まり


まだ自分の気持ちに気付いていない……というか、自分の気持ちがなんなのか分からなくて戸惑う凍矢と、それを察している画魔です。
そして自分が書きたい物がよく分からなくなってきてあばばばばってなってるわたしです(笑)。
もうちょっと画魔と凍矢が親しげでやきもきする陣要素を入れられたら良かったのですが……。
まあ、それはすでに書いたことがあるので、泪を呑んで割愛で。
タイトルは括弧暫定までがタイトルです。これから違うの考えるとかではなく。
<利鳴>

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