陣凍小説を時系列順に読む


関連作品:その声で導いて


  煌めいてるこの瞬間を


 眠っていてもかすかな気配や異変に気付けるようにと、幼い頃から訓練されていた。最近では気を張りつつ眠らなければならないようなことはなくなり、その習慣もだいぶ――よっぽどおかしな場所での野営を余儀なくされたのでもなければ――なくなりつつある。それでも、その時はたまたま眠りが浅かったのだろう。腕の中から音も立てずにするりと抜け出ていく気配に気付いて、陣は眼を覚ました。だが、“それ”が自分を起こしてしまぬようにと気を使っていることにも気付いた彼は、眼を閉じたままじっとしていた。手洗いにでも行くつもりなのだろうと考えながら、そのまま再び眠りに付こうとする。しかし、少しの間の後に聞こえてきたのは、玄関の戸を開け閉めする音だった。彼は眼を開けた。
「凍矢?」
 起き上がって見廻した部屋の中はまだ暗い。夜明けは遠そうだ。窓の外も含め、周囲は静まり返っている。陣は布団の中から這い出し、廊下へ出た。
 部屋の中同様、廊下も明かりは落とされたままだ。それでも魔界の闇よりは随分明るく感じるその中に、ヒトの姿はひとつも見えない。おそらく凍矢がそうしたのであろうと同じように、陣は静かに外へ向かった。
 戸を開けると、かすかな風が陣の髪を靡かせた。少し涼しいそれは、肌に心地良かった。視線を上げると、雲のない空が広がっていた。月は見えない。どうやら今夜は新月であるようだ。その分、星の瞬きがいつもより眩しい。陣は静寂を乱さぬように、音を立てずに息を吐いた。
「陣?」
 不意にかけられた声は、頭上から降ってきた。振り向き様に見上げると、屋根の上に凍矢の姿があった。彼は陣のように空を飛ぶことは出来ないが、その程度の高さに上がることくらいは、造作もない。陣は風を纏い、同じ高さにまで上昇した。
「何してるだ? こんなとこで」
 屋根に着地しながら尋ねると、凍矢はわずかに首を傾げるような仕草をした。眼元にかかる長い前髪がさらりと揺れた。
「月見、かな」
 それは凍矢なりの冗談のつもりだったのだろう。彼はくすくすと笑った。陣はその隣に腰を降ろした。
 凍矢の傍にいると、自然に吹く風は一層冷たく感じる。だが決して寒いということはない。むしろ気持ちが良い。眼を瞑ってその感覚を楽しんでいると、隣で凍矢が寝転がる気配がした。視線を向けてみると、彼も眼を瞑っていた。しかし眠ってしまったわけではなさそうだ。
「凍矢?」
「うん?」
「寝ないだか? オレ、イビキかいてた?」
「いや」
 凍矢は再び笑いながら、何と返そうか言葉を探しているようだ。陣はふと、似たような光景を眼にしたことがあったような気がした。既視感? いや、違う。あれは実際にあったことだ。それに細部が違っている。記憶の中の凍矢の表情は、今のように穏やかではなかった。もっと、感情のない顔で、それにあれは、もっと暗い部屋の中だった。
「凍矢」
 凍矢は眼を開けて陣を見た。
「ひょっとして、眠れないだか?」
 あの時もそうだった。まだ魔界からの追手がいつ現れるか分からぬ状況に気を張り詰めていた日々。凍矢は、夜の闇の中に意識を預けることにすら恐れを抱いていた。その闇が、気を抜いた瞬間に全てを絡め取っていってしまうのではないか、と。今の彼等は、すでに自由だ。もう追手の存在に怯える必要はない。だがそれが、ひょっとしたらただの夢だったのではないかと不安になることは、陣にも覚えがあった。特に、こんな月のない夜は。陣の場合は、凍矢が傍にいればそんな不安はすぐにかき消すことが出来た。彼が傍にいる。それが、陣にとっての“自由”の証だ。いや、凍矢さえいるのなら、自由である必要すらないのかも知れない。だが、もし凍矢が、まだ“過去”に囚われたままなのだとしたら。眠ることすら出来ずにいるのなら……。
「そうかも知れない」
 凍矢はふっと息を吐くように、陣の言葉を肯定した。陣は胸の中心に大きな棘が突き刺さったかのような感覚に襲われた。もしかしたら、ずっとそうだったのだろうか。陣が気付かずにいただけで、凍矢はずっと、ひとりで夜が明けるのを毎日待ち続けていたのだろうか。陣が呑気に夢を見ている、その間も……? 誰よりも凍矢の傍にいるつもりで、そんなことにも気付けずにいたのだとしたら……。
(オレに、凍矢の傍にいる資格はあるんだべか?)
「陣?」
 いつの間にか、凍矢に顔を覗き込まれていた。陣が慌てた様子を見せると、やはり凍矢は笑った。
「そんな顔をする必要はない。毎日寝ていないなんて、そんな馬鹿はしていない」
 凍矢はすっと顔を寄せると、額を合わせてきた。ひやりと冷たい感触に、陣は自分の心臓の鼓動が少し正常に戻るのを自覚した。
「あの時とは違う。心配するな」
 陣が何を考えていたのか、凍矢は完全に見通しているようだ。
「お前にそんな顔をされたら、そっちの方が心配になって余計に寝ていられなくなる」
「う、ごめん……」
 陣は凍矢の瞳に自分が映っているのを見た。なんとも情けない顔だ。確かに、すぐ近くにこんな顔があったのでは、無駄に不安な気持ちにもなるだろう。両手でぱちんと頬を叩いて、脳味噌を覆っている靄を振り払うように頭を振った。
「正確には」
 凍矢は静かに言った。その唇は、わずかに弓の形をしている。
「眠ってしまうのが、勿体無いんだ」
 蒼氷色の瞳が空を仰いだ。つられて陣も視線を上げる。先程見たのと変わらない星空が広がっている。
「星座が分かるか? あそこに3つ並んでいる星があるだろう?」
 凍矢の指先が、どこを指しているのか、陣には分からなかった。首を傾げていると、頬を寄せるように凍矢が近付いてきた。出来るだけ陣と視線の位置を合わせようとしながら、改めて「あれだ」と空を指した。その声に重なる陣の心音は、また少し煩くなった。
「特徴的だから探し易い。覚えておくといい。オリオン座を構成する星の一部だ」
「オリオン」
 鸚鵡返しに言うと、凍矢は頷いた。涼しげな色をした髪が陣の頬を撫でるように掠めた。
「冬の星座だ。少し前までは向こうの樹の陰で見えなかった。同じに見える空でも、少しずつ変わっているんだ」
 凍矢は「オレはそれを全部見たい」と続けた。
「空だけじゃない。他にも見たいものがありすぎる。そう思ったら、眠っているのが勿体無くなったんだ」
 星が入り込んだように、凍矢の眼は輝いていた。そこに不安や恐れは微塵も存在しない。無邪気に笑う子供のようですらある。柔らかい笑みだ。それは、「まあ、一度に全て見てしまうのも勿体無いがな」と続けた後も消えはしなかった。
 「よし」と言って、凍矢は立ち上がった。
「今日はこのくらいにしておいてやるか」
 そして、陣の眼を見て笑った。
「ゆっくり見ていくことにしよう」
 屋根から下りようとする背中に、陣は抱き付いた。振り向こうとした視線から逃れるように、細い肩に顔を埋める。
「オレも見たい」
「ああ」
「凍矢と一緒に。色んなもん見たいだ」
「それなら、とりあえず顔は上げていたらどうだ? その体勢では何も見えないと思うぞ」
 言われた通りに顔を上げた陣は、しかしその瞳に凍矢の姿しか映していなかった。「仕方のないやつだ」と笑う唇に口付けを落としてから、彼は風を操って2人の身体を地面へと下ろした。


2016,10,20


たぶん事後(笑)。
本日平野部でも初雪観測ということで冬ネタ解禁じゃーいと思ったけど、これ雪関係ないネタだった。
1日が24時間しかないって短いですよね。
8時間寝たいのに8時間も寝たら残り16時間しかないじゃあないか!
寝ないで遊べる肉体が欲しいです>神龍
関連作品のタイトルを大好きな歌手の歌から付けたので、今作も同じ人の別の歌から拝借してきました。
風とか光とかって歌詞多いとときめくよね!!
シンシアとスカーレットは自分の中で完全に陣凍です。でもtoneは画魔←凍矢(笑)。
<利鳴>

【戻】


inserted by FC2 system