露康 全年齢 動かない設定


  岸辺露伴は動かないエピソードX:エルフィンタウン


「H道の『快速』は快特みたいな物なんですね」
 自分はその快特にも余り乗らないが、と言った広瀬康一の言葉通り今乗っている快速列車は快速特急に近い。普通電車と違い各駅停車はしないが特急料金も掛からない。因みに指定席は1両のみ。
 空港から出ているS市行の快速列車の自由席は平日だからか人がまばらにしか乗車していない。
 対面式なので窓に背を向けて、康一の左隣に座った岸辺露伴は左に、康一は右に荷物を置いても座れない乗客は居ない。音にするならばガラガラ。間違い無く採算の取れない赤字鉄道だろう。
「停まらない駅はそんなに多くないのに、次の駅まで結構時間掛かるみたいですね。駅と駅との距離がかなり有るのかな。電車の中が涼しくて、僕としてはずっと乗っていたい位ですけど」
「H道の夏は涼しいなんてデマだな。湿度が低いから不快じゃあないだけで充分暑い」
 取材旅行でH道に行くんだけど康一君も来ないかい? 丁度夏休みだろう? 助手として一緒に来て簡単な荷物持ちなんかをしてくれれば、H道の美味い物をご馳走するよ――という言葉に従っただけの康一は、まさか2週間も滞在するとは、と驚いていた。
 確かに言わなかったが、その位は見ないとH道の全てを回れないのだから仕方無い。
 何と言われようと露伴の頭にはスケジュールの変更の文字は一切浮かばないし、それなら帰りますと飛行機の手配を始めはしなかったので康一も了承したのだろう。
「終点のS市まで30分でしたっけ。結構遠いなぁ」
「距離が距離だから仕方無いよ。H道は兎に角広い。M県が10個は入る」
「本当に広いですねぇ……もしかしてこの電車、凄い速度が出ていたりして」
 康一は後ろを向いて窓の外を眺めた。丁度山の中を抜けた所なのでて一応の『街並み』が見える。
「鳥の看板が多くありませんか?」
「H道が発祥のコンビニやドラッグストアばかりだな。S市まで行けば全国チェーンのドラッグストアも有るそうだが、僕達はその2つ前で降りる」
「2つ前?」
 外を見ていた康一がこちらの顔を見上げる。
 目を丸くしている辺りH道旅行の始まりはH道の首都と呼ばれるS市から始まると思っていたのだろう。
「S市の2つ前はK市、通称『エルフィンタウン』」
「随分ファンタジックな呼び名ですね……漫画のネタになる物が有りそうな響きというか……」
「妖精(エルフ)が見える位に自然で溢れているらしい。エルフが住み着く、だったかな。まあインターネットで調べた限り、自然以外何も無い所らしいが」
 だから決して楽しみという程ではなかった。
 1日目の宿がS市に取れなかっただけ、という理由を黙っておく。

 H道の駅ならば無人だったりするのではと思ったが今時そんな事は無く、自動改札をICカードで抜けた先は寧ろ立派な作りの駅だった。
 しかし利用客は少ない。午後2時過ぎという時間帯の所為も有るが、降りたのは露伴と康一の2人きりだし乗ったのも大学生位の女子1人だった。駅員の方が多い駅だ。
「電車の窓から大きな、ショッピングモールのような建物が見えましたね。あの辺りなら人が居たり……しそうだけど……」
 康一の語尾が消え入ったのは駅を出てすぐの駅前通りが、とても駅前通りと呼べない静けさをしているからだろう。
 人が全く歩いていないわけではない。若い男女が連れ立っていたり、いかにも新入社員といった男性数人組がビルから出てきたりはする。
 しかしビルと呼ぶには階数が随分少ない。少ないのはそれだけではなく、例えば車通りはほぼ無い。
 駅自体に自家用車で来る人間は少ないだろうし、この駅前通りは見るからにビジネス街なのでビルの裏手の駐車場には車が沢山停まっていたりするのだろうか。
「あのショッピングモールに行ってみるかい?」
「うーん……露伴先生はここに住む人じゃあなくて、妖精を見に来たんですよね?」
 居ればの話ですけど、と付け足した康一は眉間に皺を寄せて目を閉じた。
「人の多い所より少ない所の方が居ると思います。全体的に人は居ないみたいですけど、もっと人が住んでも働いてもいないような所というか、自然がいっぱいの所というか。どこを見ても木とか沢山生えている感じはしますけど」
「じゃあホテルのチェックインまで未だ時間も有るし、この辺りを少し歩いてみよう」
「ホテルって駅の近くなんですか?」
「見てきたホームページには辛うじて徒歩圏内のような書き方をしていたが、広大なこの町に住む人間の感覚だから結構歩くと思う。温泉付きのホテルにしたよ。モール泉で地元の人間もよく日帰りで使うと書いて有った」
 ホームページには他のホテルならば大抵は書かれている近隣の観光スポットに関してのページが無かった事を思い出して露伴は小さく短い溜め息を吐く。
 初日だから疲労は無いし、空気が澄んで感じられるので歩くのは苦にならなさそうだと言う康一の言葉に「じゃあ」とこの辺りから離れ過ぎない事を目標に歩き出した。

 駅前及びビジネス街の雰囲気は信号を幾つか越えるとすぐに住宅街に切り替わった。
 閑静な、と付けたくなる程静かだが、町内を賑やかす子供達が未だ授業中だから仕方無い。
 小中学校――2つの建物が中央の通路で繋がれている、少子化の進んだ地域で特にみられる作りの校舎――を通り過ぎると、そこから体育の授業でグラウンドに出ている子供達の大声が耳に届く。H道は冬が長いので冬休みも長く、夏休みは既に終わっている。
 学校のすぐ近くに小さな児童会館が有り、更に歩くと大きく開けた公園に着いた。
 ベビーカーで公園デビューをするような規模ではなく、遊具も有るが噴水やテニスコートも有るような広さをしている。時間帯の所為かやはり人の姿が殆ど無い。
 ホームレスが住み着いていないのは良い事だが、未就学児を遊ばせる親も居ないとなると公園らしくない。さぞ保育園が充実しているのだと思っておくべきか。
「これだけ木が有って人が居なければ妖精も居るかもしれませんね。なんちゃって」
「君の言う通りだ。僕が妖精だったら確かにここで暮らしたい」
 喧しくけたたましい子供の声も、非常識な走りをする車の音も無く、小鳥の囀りや遠くの機関車の音が微かに聞こえるだけの穏やかな空間。
 相変わらず空気は美味しいし、噴き上げていないので噴水ではなく水溜まりのオブジェと呼びたくなる物に溜まった水も透き通っている。
 杜王町は素晴らしい町だと思っていたが、エルフィンタウンも実に素晴らしい。生まれ育った、という形容詞が無ければ杜王町以上にこのK市を評価していたかもしれない。
 しかし田舎過ぎて原稿は勿論、通常の手紙だって杜王町よりも日数が掛かるだろう。恐らく本の入荷も遅い。果たして個人宅でもインターネットは出来るだろうか。紛う事無く人間なので実際に住もうとは思えない。
「露伴先生」
 急いた声に康一の方を見ると「あっち」と噴水の向こう側のベンチを指していた。
 ベンチに1人の女性が寝ている。座ったまま眠ってしまったらしく上半身を横に倒して。
 体のラインのわかる薄手のニットに中身が見えてしまいそうな程短いタイトスカート、そこに一時期はやった獣の尾のようなふさふさとしたキーホルダーを付けている。
 もしかすると単なる昼寝なのかもしれない。しかし服装が年齢にややそぐわない三十路前後の女性が真っ昼間の公園で昼寝等するだろうか。それに何よりこの決して近くはない距離でも「動かなさ」は異常に見えた。
 寝ているというよりも、後ろから殴られ気絶しているような――
 弱気な一面以上の大きさの正義感を持つ康一は勿論、好奇心旺盛な露伴もまたベンチまで走っていた。
「あのう、すみません、こんな所で寝ていると……」
 失礼になるかもしれないと躊躇いつつも、女性の目の前に立って康一は手を伸ばす。
 しかしその手はベンチに上半身を倒した肩に触れる前にぴたと止まった。
「……露伴先生、この人、多分ですけど」
「息をしていないな」
 鼻も肩も胸も全く動いていない。
「失礼」
 呼吸の無い女性に短く詫びて露伴は彼女の右手をぐいと引いた。
 親指で深く手首の内側を押しても、手首を掴み指3本当ててみても、脈が取れない。
「救急車……いや、警察に連絡した方が良い」
 完全に死んでいる。
「露伴先生、試しに――」
「わかっている! 『天国の扉(ヘブンズ・ドア)』!」
 精神の力をヴィジョンにして特殊な能力を発揮する『スタンド』。露伴の持つヘブンズ・ドアは帽子を被った少年のような容姿をしており、その少年が女性に触れると遺体の顔が本のようにはらりと捲れた。
 そこに書かれている文字は死、死、死。
「やはり死んでいるのか……」
「いつ亡くなったとか、そういうのはわからないんですか?」
 本にしてその人間――に限らず、動物ならば何でも――の生きてきた歩みを読む事が出来る能力。但しその主観による。
「死んでいる、という事しかわからない。どんどん死の文字も消えていく。死んでいると思い込んでいるのではなく、この女は実際に死んでいる」
 余白に書き込めばそうだと思い込ませる能力も保有しているが、死の文字が消えた隙間に何かを書いてみても同様に消えてしまう。
 生死を変える事は誰にも出来ない。
「どこの誰かもわからないのに、第一発見者として色々聞かれるだろうな」
「露伴先生!」
「わかっているよ、救急車は呼ぶ」
 携帯電話を取り出して119へ発信する。消防か救急かと問われ、そう言えばこの公園の住所はおろか公園名も知らない事に気付いた。
 下校時間になったのか小学生の物らしき甲高く耳に障る声が聞こえてきた。早くしなくては、公園で遊ぶ子供達に遺体を見せる事は避けなくては。

 女性の遺体と共に救急車で最寄り――なのかここにしか大きな物が無いのかはわからない――の病院へ連れられた露伴と康一だが、殺人事件の犯人に仕立て上げられる事は無かった。それどころか気味の悪い事に救急医療スタッフ達も病院の若い医師も揃って傷1つ無い女性を助からないと認識していた。
 多少の状況を聞かれただけの後に迅速な連絡をどうもと感謝されても喜ぶに喜べない。
 そのまま病院内に放り出された2人は、救急搬送口から出るわけにはいかないので若干迷いつつも外来受付まで歩いた。
「何者だったんだろうな、あの女」
 名前と年齢は遺体が下に敷いていた鞄から身元を証明する物が出てきたので小耳に挟めたが、どんな仕事をしていて何故公園に居たのかはわからない。
 30歳を迎えたばかりだった。化粧からもう少し上に、服装からもっと若く見えた。まさか三十路を過ぎた自分に絶望して自殺したわけではあるまい。
 恐らく。若い女性の考えはわからない。特にあの女性はそこそこ見てくれが良かった。人一倍容姿の衰えを気に病んでいたのか、果たして。
「苦しんでいなかったのは良い事かもしれない……ううん、死んでしまう事に良い事なんて無い」
 康一は患者の誰よりも苦々しい表情を浮かべる。
 患者といえば。
「ここは外科らしいな」
 見渡す限り受診を待つなり終えたなりの患者達は皆外傷を負って見えた。
 腕を吊っていたり、足にギプスをして松葉杖を付いていたり。中には頭にぐるぐると包帯を巻いた人間も居たが、病院で連想するどこが悪いのか全て悪いのかわからない年配者は見当たらない。
 丁度眼帯をした女子中学生が入ってきた。中学校も放課後を迎える時間になったのだろう。
 彼女が出てきた通路へ曲がって2人は漸く玄関から病院の外へと出られた。院内の冷房から離れるとやはり暑い。
「急死する病気が流行っているというわけではなさそうだ。それならば外科じゃあなく内科に運ぶ。第一もっと住人達が怯えるなり何なりしている筈だ。嗚呼どうにも腑に落ちない」
 看護士の誰かが犯人の殺人事件、という可能性こそ有りそうだ。
「でも、どうしようも有りませんよね」
 果たして本当にすべき事は、出来る事は無いのだろうか。
「……未だ日は暮れてもいない。康一君、市役所に行ってみよう」
「市役所?」
「席から走る電車を見る事の出来る喫茶店が入っているからそこで涼もう。それなら良いだろう?」
「別に市役所に行きたいならついて行きますけど、どうして市役所……そもそも市役所ってこの辺なんですか?」
「さぁ」
「さぁ、って……」
「病院のタクシー乗り場は流石にタクシーが数台停まっているな。ぶどうが丘病院なんかに比べると少なくは有るが、1台乗った所で帰れない人間は出なさそうだ。行こう」
 病院の敷地内、建物を出てすぐの右側に立っているタクシー乗り場の看板に向かって手を上げる。
 1台のタクシーがわざわざパッシングまでして応えてきたので露伴は駆け足気味にそれに乗り込んだ。
 ワンテンポ遅れて康一もタクシーに乗るとドアが閉まる。
「K市役所まで」
 とても運転手に見えない茶髪で気取った眼鏡の若い男性運転手が気まずそうにバックミラーでこちらの顔を見た。
「もう閉まりますけど……」

 市をぐるりと一周、まではいかなくとも半周はしてしまったが、タクシー代は思ったよりも掛からなかった。初乗り運賃からして随分と違う。
 運転手の危惧通り市役所は既に今日の仕事を終えて入れなくなっていた。
 発車せずに待っていたタクシーに舞い戻り宿の名を告げ今晩泊まるホテルへ来た。2週間のわりには少ない荷物もそろそろ置きたかったし、夕食の事も考えなくては。
 ホテルと言う名だが旅館と呼びたくなる作りの部屋に入って数分で若女将らしき大和撫子風の女性が入ってきて頭を下げ挨拶を始める。
「朝食はバイキング形式となっておりますので、翌朝午前6時から10時までご自由にご利用になれます」
「ああ」
 夕食は付けなかった。何時になるかわからないし、地元の店というのも利用してみたい。
「大浴場は午前0時から1時間清掃と入れ替えの作業が有ります。では、ごゆっくり」
 再び深く頭を下げた女性の年の頃は未だ20代半ばだろう。小一時間前に見た遺体よりも更に若い女将なのか。
 立ち上がり背を向ける。綺麗な藤色の和服は現代人らしい高めの背にもよく似合っている。しかし異国人を連想させる程に尻が大きい。
 通称若女将が部屋を出てから露伴と康一は合わせるようにはぁと深い息を吐いた。
「エルフィンタウンなのに全然エルフを見付けられませんね。探す余裕が全く無い」
「代わりに見たのが死体と営業終了の市役所じゃあ漫画のネタにはならないな」
「若い女の人の遺体なんてある意味1番ネタになりそうですけど……」
「それも一理有るな。さて、どこで食べるか考えないと。地元らしい定食屋や居酒屋なんかの方が雰囲気が有って……いや、高校生を連れて居酒屋は不味いか」
 まして康一は高校生よりも若く見える。
 よく共に居る腹の立つクラスメイトや頭の悪い同級生が殊更大きい所為かと思っていたが、露伴と2人きりで並んでもやはり小柄だ。
「お酒なんて飲まないから大丈夫ですよ」

 言っては悪いが田舎らしく個人経営の居酒屋が幾つも有った。
 チェーン店は駅前にしか無い。しかし安く酒を飲みたいのではなく地元の味を知りたいだけなので問題は無い。
 宿から程近い箇所の幾つか目星を付けた中で1番外装の新しそうな、小綺麗な店に入る。
「いらっしゃいませ」
 茶髪でピアスを開けていかにもアルバイトといった感じの若い男が小上がり席へ通してくれた。
 私服らしいTシャツと7部丈のジーンズにこの店特注と思われるエプロン。しかし見た所ホールスタッフは彼1人で、客もまた露伴と康一しか居ない。
 カウンターの奥には従業員がもう1人、これまたいかにも『ママ』といった雰囲気の女性が居る。
 洋服の上だが割烹着をきて髪をひっつめている。もし違うとしても是非この小料理屋のママをしていてほしくなるような雰囲気。
 年は30代半ばかと思ったが、顔の作りや遠目にもわかる肌の質感からしてもう少し若そうだ。
 水商売で稼いでパトロンを付けて店を出せたのか、と想像してしまうのはここがそんな話の似合う田舎だからだろう。
 もしも本当にそんな流れが有るとしたら飲み物だけ先にと注文を取る彼は単なるアルバイトではなく、たった1人の弟だったりパトロンには秘密の若いツバメだったりしそうだ。
「2人共ノンアルコールでも構わないだろうか」
 向かい合って座る康一から自分に気を遣わなくても、といった申し訳無さそうな視線が送られてきた。
「勿論構いませんよ。うちの美味しい料理を食べてもらえたら、それだけで」
「じゃあ僕は……烏龍茶で。康一君、何が良い?」
「僕も同じで良いです」
「アイスで良いですか?」
「烏龍茶、ホットも出来るのか?」
「出来ますよ。まあ頼む人は滅多に居ませんけど。夏には先ず出ないですね」
 じゃあアイスで、と言うと店員は書き留めて立ち上がる。
 カウンターへ向かう後ろ姿に、面白いアクセサリーが見えた。
「流行っているんでしょうかね?」
 康一も気付いたらしい。
 遺体の女性と同じように、彼もまた今時とは言い難い尻尾のアクセサリーを付けている。
 短毛種の猫のそれのような、すらりと細長いが柔らかな毛で出来ている尻尾。本当に猫ならばぎゅっと掴むとたちまち引っ掻かれるだろう。
「何年か前に東京でも流行ったな。若い女性が好んで付けていた。流行が遅れてくるのかもしれない」
「でも……ちょっと可笑しいですよね。真ん中っていうか、真後ろに付けるなんて」
 確かに流行っていた頃はベルトの左右どちらかに付けるのが定番だった。
 首都から物理的に離れているので情報の伝達に些か問題が有り、元来の姿とは違う形で流行となったのかもしれない。何せここは首都よりも隣の国の方が直接距離では近い位なのだから。
「流行り廃りの概念が有るだけ、若者が居るだけ良いのかもしれない。M県もだが、県庁所在地を離れると途端に過疎化が激しかったりする。S市まで電車で何十分も掛かる場所のわりには若者が多い」
「確かに若い人沢山居ますね。上京じゃあないけれどS市に行く人とか多そうなのに。小中学生も結構居たし」
「授業が終わると辺りが途端に煩くなったな。近隣の年寄り達は――」
 その『単語』の意味に自ら気付いて露伴はピタリと止まる。
 言葉を続けられない様子から康一も察した。
「……露伴先生、この町……」
「ああ……この町には『老人』が居ない」
 駅やビジネス街に居ないのはわかる。しかし宿屋や病院にすら居ないのは可笑しい。
 老年だけではなく、壮年も中年も見掛けない。働き盛りの駅員も、ベテランの医者も、馴染みに求愛される女将も居ない。
 思い返せばこの町で1番年上なのは遺体の、三十路の女性かもしれない。
「偶然、でしょうか……」
「それにしては随分と出来過ぎている」
 温かいお茶という年寄りの好みそうな物を飲み屋のメニューに入れる位なのだから居る筈だと思う気持ち以上に、ならば何故という疑問が強い。
「でも凄く少ないだけかもしれませんよ。エルフとお年寄り、探したらどっちが先に見付かるかなあ、あはは」
「お客さん達、エルフの話を聞いて観光に来たんですか?」
 注文を届けに来た店員が話に割り入った。それから「お待たせしました」と烏龍茶を2つテーブルに置く。
「そういう客が多いのかい?」
「うちの店は地元の人が殆どっすけどね。お客さん達、エルフはどんな見た目をしていると思いますか?」
「エルフの見た目かぁ……」康一は烏龍茶のグラスを両手で掴んで首を傾げ「背中に羽根が生えてて、耳が尖っていて、若いというか幼い? あと小さい、手の平サイズのイメージです」
「概ね僕もそんな……いや待てよ、それは『エルフ』ではなく『フェアリー』か」
「フェアリー……そうか! エルフは人間と同じ位背の有るイメージです。ゲームとかでよく見る方の」
「見る為には探し方を変えなくちゃあならないかもしれないな」
 絶対に見てやると探しているわけではないが――どうせ来たのだから見るつもりが、死体を先に見付けてしまい予定が大きく狂った。
「『翼』じゃあなく『尾』が生えているとしたら、どう思います?」
 2人揃って「尾?」と鸚鵡返しに尋ねる。
「人間達と同じ位の体格で、若かったり幼かったりする、翼の代わり尻尾の生えたエルフならこの町に居るんですよ」
「お兄さん、見た事有るんですか?」
 驚いて瞬きを繰り返す康一に男子店員は営業用のそれより砕けた笑みを見せた。
「若いって言うのは見た目の話じゃあなくて、実際に年が若いだけなんですがね」
「エルフが年若い? フェアリーよりも余程長生きしていそうな響きだが。自らが不老不死でその肉を喰らった者も、というのが定説だろう」
「ある意味では不老不死なんです。約30年で代替わりをします」
 寿命がそれしか無いから生き急ぎ子孫を残す本能が備わっている。
 20やそこらで子を成して、30を過ぎれば子供を残して身体の機能が停止する。その為田舎を装っているが老人ではなく子供の為の福祉が整っている世界。
 尾が生えている以外は人間と変わらないので子育ての為に越してくる家族が居る限り、どれだけエルフの血が薄まろうと途絶える事は無い。
 視点と考え方を大きく変えれば、老いずに生き続けている事になる。
「もしかしてここは……エルフィンタウンというのは……」
 康一が続けようとした言葉は決して禁句ではないらしく店員は止めてはこない。
 何なら席から離れたママと呼ぶには若過ぎる女店主もこちらを見て薄く微笑んですらいた。
 彼は、彼女は、この町に住む人々は。
「……そうじゃあない『人間』はどの位の割合で居る?」
「さぁ……いや、黙っていたいとかじゃあないです。単に俺が気にした事が無くてわからないだけで。でも高校の頃にはクラスに2、3人は居ましたね、町出身じゃあない奴」
 1クラス40人と仮定すれば――これだけの田舎なのでもっと人数は少ないだろうし、これを母数とするのは厳しいだろうが――実に9割近くがエルフで構成された町、エルフィンタウン。
「尾は全員生えているのか?」
「ええまあ。生えているかいないかだけが違いというか。皆、家族間でも長さも毛の長さもまちまちですけど。それに尾だから役割有る器官とかじゃあないんスよね」
 翼と違い飛ぶでもなく、角と違い戦うでもなく。人生を30年しか歩めない悲しい証。否、本人達にとっては不老不死の証であり、誇りですらあるのかもしれない。
 僕達は人間である事を悲しいとは思わないからな。
 現代では地球を支配していると思い上がってすらいる程だ。
「ご注文、決まりました? 晩飯に来てるならご飯物が良いですかね」
 年長者である露伴の方を向いて店員は尋ねた。
 もしもエルフなら後数年もしないで死ぬ年齢。そんな露伴に対しての言葉とは思えない朗らかさ。
「……お勧めは?」
 何年も、何百年も前から生き続ける彼らは意外にも海鮮酢飯チャーハンなる物が好きらしい。

 他人と同じ湯船に浸かる趣味は無かったが、この宿を取ったからには入らないのは勿体無い。
 日帰り入浴者も多いと聞く宿の温泉は特別広くはなく浴槽が露天風呂を含めても4つだが、客が5人しか居ないので広々と使えた。
 露伴と康一は1つの湯船にやや間を開けて並び座り、洗い場を眺める素振りで他の客を観察している。
 1人は露天風呂へ入りに出て行った仕事帰りと思しき若い男。冬場の日本狼のようなフサフサした尾をしていた。
 残りの客は洗い場に並んで頭を洗っている祖父と孫息子らしい2人組。
「露伴先生」
 潜めた声だが風呂なので反響する。
「エルフの尻尾って本当に色んな種類が有るんですね」
 康一は更に声のボリュームを落とす。反響具合の方が大きく聞き取りにくい。
「まさに千差万別だな」
 一方露伴の返事は普段通りだった。
 エルフにとってそれぞれで尾が違うのは、出身国が同じでも髪の質は人それぞれ、といった程度でしかないだろう。
 恐らくだが息子ではなく孫であろう5、6歳の男児の尾はうさぎのそれのように小さく丸く白い。この年頃だから可愛らしいの言葉で済むが、後10年もすればコンプレックスになりそうだ。
 丁度今の康一位の年の頃に――と考えればそんなに悪いものではない。康一ならばあのふわふわとした尾が似合う。
 露伴自身をあれが生えているとなると流石にごめんだが。
「僕達は10歳近く年が離れていたな」
「そういえばそうでしたね」
「気が合うからすっかり忘れていた」これに対しては何故か返事が無いので露伴は「あの2人からは一体どんな組み合わせに見えているのやら」
 親子にしては年が離れており祖父と孫にしては少し年の近い2人からは、親子にしては年が近く兄弟にしては少し年が離れている自分達の事を。
 自らのそれを終えて男児の髪を流し始めたのはおおよそ50代の男。顔も背の広さも悪くないが少し腹の目立ち始めた体がいやにリアルだった。
「……あの位の年の人を見るのが凄く久し振りに思えます」
 早めの昼食を取った空港では勿論、H道に降り立ち電車に乗った後にも見ているのだが。
 逆限界集落とでも呼びたくなるこの町には珍しい30歳以上の『人間』。彼は尾が無いので自分達と同じ人間に違いない。
「息子か娘か、もしくは年の差の有る妻かはわからないが」
「見送ったんでしょうね」
「現代日本の寿命を考えればあの子供も見送る事になるかもしれない」
 生きる時間の違い。結婚には価値観の一致が必要だと世間は――結婚に大して興味の無い露伴にも――言うのだから、恐らく彼の価値観は時の流れの違うエルフと一致していたのだろう。
 残りの人生が四半世紀も無い自らの分身であり己とは全く違う大切な存在へ「湯船に浸かろう」と伸ばした手が繋がれる。


2018,08,24


関連作品:岸辺露伴は動かないエピソードX:たまご(利鳴作)


公園や宿屋は架空です。いや他の施設も全部架空ですけど。架空の町です、架空のH道K市です。
スタンド使いは惹かれ合うって事は、県外にはスタンド使いなんて全然居なかったりするのかなぁとか思った。
いや単に短編集面白かったから私だって書きたいわ!ってなっただけっす。
<雪架>

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