露伴&康一 全年齢 動かない設定

関連作品:岸辺露伴は動かないエピソードX:エルフィンタウン(雪架作)


  岸辺露伴は動かないエピソードX:たまご


「R公園へ」
 後部座席に座りながら行き先を告げると、運転手と広瀬康一が同時にそれを繰り返した。
「R公園?」
「R公園?」
 昨日一緒に初めてこの町を訪れた康一はともかく、地元のタクシードライバーまで知らないとは……。どうやらこれから行こうとしている場所は、想像以上にマイナーであるようだなと思いながら、岸辺露伴は同じ場所を住所で言い直した。すると、今度は伝わったようだ。
「ああ、あそこですか。かしこまりました」
 車はゆっくりと走り出し、木々に囲まれたホテルから離れ始める。
「先生、どこへ行くんですか? 今日は隣のS市内を見るって言ってませんでしたっけ」
 隣の座席から身を乗り出すようにして康一が尋ねた。
 彼の言う通り、今日は電車に乗って20分程度の距離にある隣の市へ行くつもりだった。が、露伴が行き先として告げたR公園は、K市内にある。
「もう一ヶ所行ってみたいところがあるんだ。こんなところまで来る機会は、なかなかないからね」
 康一は説明して欲しそうな顔をしていたが、運転手がいないところでの方が会話はし易い。目線だけで「後で」と返すと、康一はわずかに肩を竦めながらも、それを了承した。
 運転手に「お客さん、どちらから?」「ご旅行ですか?」等と聞かれ、適当に返している内に目的地へ到着した。思ったよりも時間が掛からなかったのは、道路が空いていたためか、それともH道のドライバーはよくスピードを出しがちだと言われているが、この運転手もその例に漏れなかったのか。「この辺りですよ」と言われて窓の外に目を向けると、周囲には小さな学校らしき建物がある以外、似たようなデザインの住宅しか見えない。それも、大きなマンションや団地等ではなく、庭を有する一軒家ばかりだ。
「テニスコートの方ですか? それとも、野球グラウンドの方に?」
 乗客が2人ともスポーツをしに来たように見えない――それに必要な道具を持っていない――ことを訝しみながらも運転手が尋ねる。なるほど、すぐ近くにグラウンドの類が見えるが、その周辺全てを一纏めに『R公園』と呼ぶようだ。
「いや、そっちじゃあない。なんと言えばいいかな。丘の方というか……。『たまご』の方へ行きたいんだ」
「たまご?」
 今度も康一は露伴の言葉を繰り返した。しかし運転手にはそれで通じたらしい。『それ』が公園の正式名称よりも有名だということか。
「それなら、“そこ”を上がって行くとすぐですよ」
 運転手が指差した先には、レンガ作りの緩やかな階段が伸びていた。それが続いている小高い丘の上は、青々とした葉を茂らせた木々の所為もあって、下からでは様子が分からない。そうでなかったとしても、元より上まで行ってみるつもりはあったが。
 すぐ近くにバス停があったので見てみると、K駅行きの路線があるようだ。本数はそれほど多いというわけではないようだが、1時間に1本というほど少なくもない。これなら、タクシーを待たせておく必要はないだろう。
 代金を払い終え、2人は階段を目指した。荷物がある所為で、歩みは自然とゆっくりになる。露伴はその歩調に合わせるように、口を開いた。
「昨日、この町の住人に“インタビュー”をした時に、ちょっと気になることが書かれているのを見付けたんだ」
「気になる……?」
「そう。そして今朝のホテルのレストランでも、同じことを言っている子供がいた。君は聞かなかったかい? 『恐竜のたまご』、あるいは、『怪獣のたまご』」
「そういえば……」
 最初に露伴が目にしたその単語は、生まれた時からこの町に住んでいるという男の幼少の頃の記憶として登場した。友達と『たまご』を見に行っただとか、『たまごの公園』でスキーをしただとか。露伴には意味の分からないことが日常の一部として記録されていた。その場は今知りたいこととの関連はなさそうだと判断して読み飛ばしたが、今日になって再びその言葉を耳にしたところで、露伴の好奇心は充分なほど刺激されていた。
「確かに、いましたね。そんな話をしている男の子が2人。兄弟かな。確か、『もうすぐ生まれそう』だとかなんとか……。アニメかゲームの話かなと思いましたけど……」
 露伴は顔を上げた。見えるものは青い空と木々だけだ。このままの天候が続けば、今日も暑くなりそうだ。
「この公園に、その『たまご』があるらしい」
「ここにっ?」
 思わず足を止めた康一を待って、露伴も歩みを中断した。
「それ、その子に聞いたんですか? 公園の場所まで? あっ! まさか先生、勝手に“読んだ”んじゃあ!?」
「ま、それは置いといて、だ」
 睨んでいる視線には気付かない振りをして、露伴は再び階段を上り始めた。
「ほら、もうここが頂上らしい。階段が終わってるよ」
 辿り着いた丘の上には、公園という名称ではあるが遊具の類はなく、自然公園と呼んだ方がイメージが伝わり易いだろうか。あるいはちょっと大き過ぎる緑地帯。それでいて住宅地の真ん中にあるために『広大な』というほどの広さはない。高台に位置しているので遠くにある“本物の”森や山が見え、緑を有り難がるにも中途半端だ。
 丘の上は小さな森を丸く切り取ったような形の広場になっていた。そしてその中央に、背の高いモニュメントが立っている。黒い塔のような形状の台座に鎮座しているのは、白い――ただし雨風に晒されたためか黒く汚れているようにも見える――巨大な――縦2メートル、横1.5メートルの――卵型の彫刻だ。
「あれが……」
 康一が呟く。
 周囲には、他に何もない。草木と散歩道、そのくらいだ。この公園が正式な名称ではなく『たまごの公園』と呼ばれるのも納得出来る。
 比較出来る物が近くにないので見当が付き難いが、台座を含めれば2、3階建ての建物くらいの高さになるだろうか。
 そして、“たまご”には亀裂が入っているのが見える。
「生まれそうって……、この亀裂のことを言ってるんですね?」
「そのようだね」
 確かに、“中”にいる生き物がその殻を破って出てこようとしているかのようだ。あれだけのサイズのたまごを高所に産み落とせる生物となれば、翼を持つ恐竜か、巨大な怪鳥辺りのイメージになるのは必然か。
「でもあれ、石ですよね?」
 わずかにでも「まさか本当に……」と思っているのか、康一は探るような目を向けてきた。「からかおうとしても、その手には乗りませんからね」とでも言いたげだ。
「素材は確か白大理石。重さは8トン。こちらの面はつるりとしたたまごのようだけど、……ほら、反対側は何かの植物の種のようにも見える。新たな生命の誕生をイメージして作られたそうだけど、確かに“それらしい”かも知れないな」
 何が生まれてくるのか分からないたまご。どんな花を咲かせるのか分からない種子。彫刻家は、その巨大な物体で命と未来の両方を表現したかったのだろう。
「待ってください先生。どうして知ってるんですか?」
 康一が驚いたような顔を見せた。
「調べた」
 あっさりそう答えながら、露伴はモバイル端末を取り出す。
「朝食の後、君が歯を磨いている間にね。市のホームページにちゃんと載ってる。作者の名前もね」
 康一は「なんだぁ」と拍子抜けしたような顔をした。
「じゃあ、もう正体が分かってるなら、なんでわざわざここまで見に来たんですか?」
「掲載されている写真が“引き”で、しかも逆光気味でね。よく見えなかったんだ」
「……それだけ?」
「そう、それだけ。これで満足したよ」
 蓋を開けてみれば、下らないことだった。一定の年齢の子供達の間で一時だけ盛り上がる学校の七不思議のようなものか。
 だが露伴は満足していた。康一にそう言ったのは、決して意地等ではない。誰かが撮った写真を見るのと、自分の目で現物を見るのは、同じ“経験”ではない。
 2人は荷物を抱えて、上ってきたばかりの階段を下り始めた。思いの外時間がかからなかった。これなら、午前中にもうひとつ用事――取材――を済ませてしまえそうだ。
 振り向いてみると、“たまご”は再び木々の向こうに隠れていた。
「あの子供達はどこまで本気で信じていたんだろうな」
 彼等の親の代からずっと“たまご”は孵化しないままだと知ったら、がっかりするのだろうか。あの亀裂も、もしかしたらデザインの一部として意図的に刻まれているものなのかも知れないくらいだ。
「でも、なんだか夢がありますね」
 先程胡散臭い物を見るような目をしていたことも忘れて、康一はそんなことを言った。露伴も、そうかも知れないと思った。
「想像力を持つのは、悪いことじゃあないな」

 バス停に着くと、タイミングが良かったようで、5分も待たずに駅へ向うバスに乗ることが出来た。通勤や通学の時間から外れているためか、途中で乗り込んでくる乗客は多くはなかった。
 駅からは『快速』と書かれた電車で次の目的地を目指す。昼食はどうしようか。一応“名物”と呼ばれている物にも手を出しておくか。そんなことを話しながら、彼等はやはり利用者が余り多くはない電車に乗り込んだ。
 H道を出る時にも同じ路線――ただし方向は逆――の電車を利用して空港まで行く予定になっている。が、途中下車の用事はない。K市は、後はただ通り過ぎるだけの場所になったはずだった。
 ところが、今日が帰りの飛行機の日というその時になって、そのニュースは舞い込んできた。
「“たまご”が割れたそうだよ」
「え?」
 歯ブラシを口に咥えたまま、康一はバスルームから顔を出した。露伴はベッドに腰掛けて、テレビでH道内のローカルニュースを放送している番組を見るともなしに眺めているところだった。
「“たまご”って、ええっと、最初に行った、K市の?」
 ニュースはすでに次の話題に変わっていた。女性キャスターが伝えているのは、H道を本拠地とするプロ野球チームのルーキーの活躍についてになっている。
「割れたって、どうして?」
「さあ? 経年劣化かな」
 昨夜はかなりの風が吹いていたが、その程度であの大きな石の塊が壊れるようでは、管理の仕方に問題があったのではないかと話題になりそうだ。
「先生、行くんですか?」
 流石康一だ。
「せっかくだからね」

 飛行機の時間は決まっている。一応余裕を持って準備していたつもりではあるが、予定外の寄り道のために、あまりのんびりはしていられないかも知れない。
「家族や友達への土産はもう宅配で送ってるんだっけ?」
 露伴が尋ねると、康一はこくりと頷いた。
「はい。空港で買うつもりの物もあったんですけど、他のところで見付けちゃったんで、木彫りのクマと一緒に送っちゃいました」
「ああ、あれは重いから」
 ついでに高い。
「だから、空港では買い物の時間取れなくても大丈夫です。先生は?」
「ぼくは土産を配りたいような相手はいないから」
「えー、でも、先生が買ってきてくれた物だったら、喜ぶと思うけどなぁ」
 「誰が?」と尋ねようとしたところで、タクシーは停車した。2週間ほど前にも来たそこは、敷地の外からでは特に変わりないように見える。
「すぐ戻るから、ここで待っていてくれ」
 運転手にそう告げて、2人はレンガの階段を上った。
 丘の中央にそびえる黒い台座の上に、あの“たまご”はなかった。
 地面に落ちた石の塊は、見事と言いたくなるほど真っ二つに割れている。周囲は人が近付けないようにロープが張られていた。下から見上げると、“たまご”のなくなった台座の上部は、まるで最初から何も固定されていなかったかのように見えた。
「怪我人はいなかったんでしょうか」
 いれば、もう少しマスコミの関係者が集まってきていただろう。
「どうして落ちちゃったのかなぁ」
「何か生まれたのかな」
「またそんな」
 「冗談を」と笑おうとした康一の顔を横切るように、影が通過した。2人が同時に見上げると、太陽の光を遮る大きなシルエットが飛んでゆくところだった。そして、スズメでも、カラスでも、トンビでも、ましてや飛行機のジェット音でもない、何かがぎゃあぎゃあと鳴くような声が聞こえた。
 康一は目を大きく見開いている。
「……たまたま……ですよね?」
 この辺りに生息する鳥は、杜王町に帰ってからでも調べられるだろうか。それとも、「夢があっていいじゃあないか」とでも言って、そのままにしておくべきか……。


2019,04,19


関連作品:岸辺露伴は動かないエピソードX:時計台


セツさんがH道に取材旅行に来る先生と康一くん書いてくれたので、その設定をお借りしちゃいました。
後は元々「ちょっと不思議なお話」が好きなので。
<利鳴>

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