露伴&康一 全年齢 動かない設定

関連作品:岸辺露伴は動かないエピソードX:たまご


  岸辺露伴は動かないエピソードX:時計台


 地図上で見ると中心位置よりもやや南へ、そして明らかに西へずれた場所にあるにも拘わらずH道の“中心”とされている町、S市。そのさらに中心――ということになっているが、こちらもやはりど真ん中とは言い難い位置――に建つ、『旧S農学校演舞場』。その建造物……いや、その建造物が“あると思われる場所”を見上げながら、広瀬康一が呟くように言う。
「ここ……なんですよね?」
 岸辺露伴はモバイル端末に表示させた地図を見ながら頷いた。
「そのようだな」
 1970年の6月に国の重要文化財に指定されたその建物は、地元では『S市時計台』、もしくは単に『時計台』と呼ばれることが多いようだ。そのことからも分かるように、そのシンボルは外壁に設置された大きなアナログの時計。地元で作られる商品のパッケージ等に写真が使われることも多く、現地を訪れたことがない者でもそのアバウトなイメージを脳内に描くことはおそらく可能なのではないかと思われる。
 だがそれ以上に知られて――しまって――いるのが、『日本三大がっかりスポットのひとつ』という不名誉な“別名”――もちろん非公式――だ。おそらく人々は、広大な大地に堂々と建つ姿を想像するのだろう。そして現物を見て『がっかり』する。
「結構街中なんですね……」
 康一もその例に漏れなかったようで、「本当にここであっているのか」というように周囲にそびえるビルを見廻している。
「ポストカードやなんかに使用されている写真は、周りのビルが写らないように撮影出来るピンポイントのスポットから撮られているらしいな。奇跡の1枚ってところかな」
「奇跡っていうか、詐欺に近いと思います……」
「周りにビルなんてありません。とは、謳っていないだろうけどね」
「それはそうですけど……」
 そう言いつつも、露伴とて康一の気持ちは一応想像出来ないわけではない。周囲の景色からくる『がっかり』のみならず、建物自体も思ったほど大きくないようで、それもまたギャップのひとつだ。H道にある物はなんでも大きいというイメージを知らぬ内に植え付けられているのかも知れない。
 だが、『がっかり』とは、写真を撮ることばかりに夢中になって、たった二百円の入場料を払って中まで見学しようとしない輩が勝手に言っているのがほとんどだろう。建物自体の歴史的な価値や、町を襲った大規模な火災を相手に当時の学生達が奮闘した過去等を知れば、その評価を改める者は少なからず存在するに違いない。この建物は、そういった史実を現代へ伝える場としての役割を担っているのだ。
 が、今の“この”状態のそれは、どう見ても『がっかり』だった。康一の戸惑いは、何も建物の場所や規模に対してのものだけではない。
「これ、入れないってことですよね?」
 康一は『閉館中』の札を指差しながら言った。
 時計台は、今正に改装の工事の真っ最中であった。
「そういうことだろうね」
 流石にこれには露伴も『がっかり』だ。
 元よりどうしても見たい場所だったわけではない。そのために事前に詳しく調べることもせずに――当日の朝、ネットで軽く検索してみただけで――現地を訪れた。明治の初期に建てられ、以来この地のシンボルとして人々に親しまれてきたと言われるそれは、養生シートにすっぽりと覆われてしまっていた。当然、工事期間中は見学出来ない旨は公式のホームページ等でアナウンスされているのだろう。それを見落としたのは完全に自分のミスだ。
 だが状況はそれだけでは終わらない。露伴と同じようにそのことを知らずに遠方から来た人が『がっかり』しないようにとの配慮なのか、養生シートにはそこにあるのであろう建物の写真が実物大に印刷されている。これが妙に陳腐な出来で、却って馬鹿にされているように思えてくる。事前の調べを怠った自分のことを棚に上げて、「ふざけているのか」と言いたいのが本音だ。
 期待(?)したのとは違う種類の『がっかり』に、露伴達の横を観光客と思われる若い男女がカメラも構えずに通り過ぎて行く。今のこの状態なら、『日本一のがっかりスポット』の名さえ手に出来るだろう。
 近くを通るから、ついでに覗いてみようかという程度の興味だった。だが見られないとなると逆に見たくなる。岸辺露伴はそういう男だった。
 今は昼休みの最中なのか、工事の音は聞こえない。作業員の姿もないようだ。今の内にちょっとシートの向こうを覗くことくらいは出来るのではないだろうか。
 正式に取材の申し込みをすれば許可をもらえるかも知れないが、今から管理会社の連絡先を調べて電話をかけたりするのははっきり言って面倒だ。
「ちょっと裏側も見てくる」
「裏もシートなんじゃあないですか?」
 2日目に突入したH道の取材旅行――への同行――で、少し疲れが出てきたのか、あるいは昨夜あまり眠れていないのか、康一は欠伸を噛み殺しながら尋ねた。それとも、単にとっくに興味をなくしているのかも知れない。彼も元より古い歴史に関心を向けるタイプではないようで、そもそも露伴が「費用は負担するから取材旅行につきあってくれ」と言って連れて来なければ、こんな場所へは立ち寄ることもなかったのだろう。古い建物に対してもそうなのだから、工事用の覆いの裏側なんてものは、知りたいとも思わないに違いない。
 だが露伴は、それを確かめてくると宣言した。
「ここで待っててくれ」
 裏側まで完全に覆われているのか確かめ、覆われているのなら入り込める場所がないかどうかを確かめる。遥々飛行機に乗ってこんなところまで来たのは、養生シートに印刷された写真を見るためではない――もっとも、予定している行き先はS市以外にもいくつかあるが――。
 少し呆れた顔の康一を残し、露伴は建物の陰へと廻った。

 大きな通りに向いている面以外には、実物大のプリントはないようだった。が、白いシートはきっちりと張られている。どの方向からでも、建物を直接見ることは出来ないようだ。シートの向こうに、わずかに建物のシルエットが確認出来る……ように見える。その程度だ。
(どこか、入り込める場所はないか……)
 あるはずだ。そうでないと、作業員の出入りすら出来なくなってしまう。機械の搬入等を考えれば、あの辺りにあるのが使い易いか……。
 見当を付けて近付いて行こうとすると、不意に背後に人の気配が現れた。
「時計台に興味がおありですか?」
 背中に声をかけられ、露伴は心の中で舌打ちをした。流石に人の目を無視して中に入って行くわけにはいかない――露伴の姿はどう見ても工事関係者には見えないだろう――。不審な素振りを見せて通報でもされては敵わない。彼は大人しく足を止めて、その場で振り向いた。
 彼を呼び止めたのは、妙に古めかしいデザインのスーツを着た初老の男だった。そのままの姿で駅なんかを歩いていれば周囲から浮いてしまいそうだが、その格好は不思議と似合っているようにも見えた。にこやかな表情と真っ直ぐ伸びた背筋は、ベテランのホテルマンを連想させた。もしかしたらここの職員だろうか。だとすると、その服装も建物の歴史に合わせた衣装なのかも知れない。
「仕事で近くへ来る予定があったんで、ついでに寄ってみたんだが、工事中とは残念だ」
 露伴が素直にそう言うと、男は嬉しそうに目を細めた。
「若者が興味を持ってくれるのは喜ばしいことです」
 訪れる若者の内の半数近くは『がっかり』することを期待して来てるんじゃあないのかと言ってやったら、男はどんな顔をするだろうか。露伴がそんなことを考えていると、
「よろしければ、中へ入ってみますか」
 思いがけぬ言葉をかけられ、露伴は目を見開いた。
「……いいのか?」
「今は休憩中ですから」
 そう言うと男は、すたすたと白いシートに近付いて行った。かと思うと、ぱっと見には分からなかった出入り口を手で押し上げて、「どうぞ」と促す。
 男の気が変わらない内にと、露伴は素早く中へ入った。
「今回の工事は外壁と屋根の修繕が主で、内装はそのままなんです。少し暗いですが、どうぞ」
 男は手近にある本来の見学ルートからは外れていると思われるドアを開けた。言われた通り、中は薄暗い。建物を覆う養生シートに遮られ、窓から入ってくる夏の日差しは心許ない。それでも、展示されている資料を見ることは可能だった。
 町や建物の歴史。それに携わった人々の写真。年表や間取り図。そのひとつひとつを、露伴は順に見て廻った。
 人がいない所為なのか、足音と床の軋む音が妙に響く。街の喧騒はここまでは届かないようだ。木の匂いが鼻先を掠める。まるで別の世界に迷い込んだかのような感覚。テレポーテーション……、いや、どちらかと言えばタイムスリップか。
 奥へと進むと、2階に上がるための階段があった。その横にある車椅子用のエレベーターが、露伴の感覚を“今”へと引き戻す。風情がないが、まあこればかりは仕方ないだろう。
(そういう時代の流れなんだからな)
 時代の流れに呑まれて、建物自体が取り壊されなかっただけでも、すごいことなのだろう。
 天井の低い階段室の先には、広い空間があった。
「講堂か……」
 米国の人間が多く関わっていたためなのか、テレビ等でもよく目にする礼拝堂を思わせるような形にベンチ型の椅子が配置されている。天井はずいぶんと高い。確か、結婚式場としての利用も可能だとどこかのサイトで見た気がする。
 記念撮影が出来るベンチには、有名な米国人博士の銅像が座っていた。実物大に作られているなら、そこそこ大柄な人物だったらしいことが座ったその姿勢からでも分かる。結婚式を挙げる時にも、彼はそこにいるのだろうか。
 講堂の奥には文字盤だけでも人の背丈ほどもある時計が設置されていた。見る者が誰もいないにも拘わらず、それは動いていた。外にある――はずの――時計と連動しているのかどうかまでは分からない。一定のリズムを刻む振り子と、それが歯車を廻す仕組みが良く見えるように、パーツはむき出しになっている。単調な動きだが、たぶんそれだけを延々と眺めていることが出来るマニアもいるのだろうなと思った。
 その他には、資料を動画で見ることが出来るらしいモニターがいくつか置かれており、エレベータ同様、その部分だけが妙に浮いて見える。今は全て電源が落とされているようだ。
(これで全部廻ったか……)
 『関係者以外立入禁止』の表示があるドアの先も可能なら見てみたいところだが、流石に自重する。
 展示品はだいたい予想した通りの物ばかりだったが、国内トップクラスの『がっかり』かと問われると――今しかない写真が印刷された養生シートは除いて――、「言うほどではない」と思えた。
(ちょっと過大評価なんじゃあないか?)
 いや、この場合は過小評価と言った方が正しいだろうか。
「いかがですか?」
 露伴を招き入れた男が、にこやかな表情を崩さぬまま尋ねた。彼はひたすら資料に目を走らせる露伴の後を、何も言わずについてきていた。うっかりその存在を忘れてしまうほどに、彼は露伴の集中力を乱そうとはしなかった。おかげで好きなように見て廻ることが出来たが、流石に時間をかけ過ぎたかと焦った。だが、
「若者にはあまり面白いものではないかも知れませんな」
 続く男の言葉に、若造扱いされているようで少々カチンときた。待たせて申し訳なかったと思って損した気分だ。
(この岸辺露伴が面白くもない物に長々と時間をかけるほど暇だとでも思っているのか)
 露伴が眉をひそめたのには気付いていないのか、男は相変わらずの表情のまま、窓の方へと目をやった。
「今でこそ、この街は大きな都市へと成長しました。ですが、この時計台が作られた当時は、人口も少なく、周囲には何もありませんでした」
「そうだろうな」
 それは、1階で読んだ資料にも書かれていた――建設された当初の姿こそ、ビルの群に埋もれるように建つ時計台を見てがっかりする者達が思い描く『理想の時計台』なのかも知れない――。当時の技術力で冬の寒さが厳しいこの土地に住み着くのは容易ではなかったはずだ。栽培出来る作物も限られ、今のように物流が確保されてもいなかった。
 それでも諦めなかった者達がいたのだ。彼等は、この時計台が取り壊されることなく――『がっかり』と言われながらも――今でもこうして修繕を繰り返しながら残されていることを、喜ばしく思っているかも知れない。
「見てください。この景色を」
 男は窓の外を指差した。
 道路を挟んですぐのところに、背の高いビルが建っているのが見える。開拓者達が見たであろうそれとはかけ離れた風景。それでも、その景色を見る男の目は、きらきらと輝いていた。
「景色が変わっても、時代が代わっても、ずっと、わたしはこの町を見守ってきたのです。これからもね」
 何かが引っかかった。
(今……)
 間違い探しのような感覚。良く似た2枚の絵の中で、違っている箇所を探し出せというあれ。はっきりと何が違っているとはまだ分かっていなくても、漠然とした違和感がある。それに良く似た落ち着かない気分……。
「待て、向かいのビル……だと?」
 今この建物は工事用のシートに覆われているはず。正面以外の三方も全て。そのことは、自分の目で見て確認したはずだ。
 何かがおかしい。そう思った直後、鐘の音が鳴り出した。
「時計台の、鐘……?」
 観光客ががっかりしないようにシートに写真を印刷したのと同じで、定刻になると鳴る鐘の音も止めていないのか。
 少し高いその音色に、荘厳さはあまり感じられない。が、複数の鐘が同時に鳴るような、海外の大聖堂のそれと比較するのは少々酷だろう。
 3度、4度と鳴り続いたところで、今は何時だったかと先程の大時計に目をやった。しかし角度の所為でここからでは文字盤が見えない。仕方なく自分の腕時計を見ようとする。が、
「止まっている……」
 今朝はちゃんと動いていたはずだ。それを見て電車の時間を確かめたのだから間違いない。
「一体何が……」
 鐘はまだ鳴っている。時刻にあわせて鳴るなら、その回数は最大で12回なはず。最初の1回目から数えていたわけではないが、それ以上鳴っているように感じるのは気の所為か?
 何かが、おかしい。
「おいあんた……っ」
 男を問いつめようと、露伴は振り向いた。しかし、
「……いない……」
 露伴をここまで案内してきたはずの男は、いなくなっていた。誰もいない。ベンチに脚を組んで座っている銅像の米国人博士の他には、誰も。
 露伴に気付かれないように立ち去るなんてことが可能だろうか。足音はかなり響くはずだ。鐘の音がかき消したか?
(そもそも休館中の建物に部外者を入れるなんてあり得るか?)
 いつの間にか鐘の音はやんでいた。

 どのドアも施錠されていて外に出られなかったら……という心配は杞憂に終わった。露伴は入ってきたドアから、あっさりと外へ出た。工事用のシートの切れ目も、入った時と同じ場所にちゃんとあった。
 覆いの外は、夏の日差しが眩しかった。それに行き交う人々の声がそこら中に響いている。ビルの合間を吹く風は少し強い。一度に色々な感覚が戻ってきた。だが同時に、少し呆然としている自覚もある。
「先生」
 振り向くと、康一が駆け寄ってきた。
「どうでしたか?」
「……なにが?」
 露伴は薄く靄がかかったようなままの頭でそう尋ね返した。
「裏側がどうなってるか見てくるって、さっき言ったばっかりじゃあないですか。やっぱり、建物は見られないんですか?」
「『さっき』? 『言ったばっかり』……?」
 展示物を見ていた時間は、短く見積もっても30分……いや、1時間には及んだはずだ。だが康一の口振りには、それだけの時間を待たされたという感じがない。
(まさか……)
 自分が「待っていてくれ」と言ってから、時間はほとんど経っていないのか……?
「康一くん」
「はい?」
「さっき、鐘が鳴ったかい?」
「え?」
 康一は首を傾げた。
「鐘……って、時計台のですか? 聞いてませんけど……。工事中でも鳴るんですかね? でも、こんな中途半端な時間には鳴らないでしょう?」
 幻聴……だったのだろうか。それとも、本当にタイムスリップしたとでもいうのか。工事前のS市時計台の内部に? 「ありえない」と思うより先に、「どうせなら明治時代の風景を見せろよ」と思ってしまった。
 康一が腕時計に目をやる。つられるように、露伴も自分の時計を見た。針は一定のリズムで動いている。そして、それが示しているのは、康一が言った通り、鐘が鳴るとは思えない半端な時刻だった。
 ふと視線を感じて、顔を上げた。だが、シートに印刷された窓はもちろん開いてはいない。それでも露伴は、その窓の向こうにあの男の姿が見えたような気がしてならなかった。
「先生、鐘が鳴る時間までここで待ってるんですか? まだしばらくありますけど……」
 康一のその表情は、早く次へ行きたいと言っていた。確かに、後30分以上この場にいては、すっかり日に焼けてしまいそうだ。
「ここは元からついでのつもりだったからな。次へ行こう。こんな調子じゃあ、2週間でも足りなかったかも知れないな。いっそのこと滞在期間を延ばすか……」
「先生、ぼく学校始まりますから」
 ちょうど目の前の信号機が青に変わった。横断歩道を渡りながら、露伴はもう“次”のことを考えている。
(工事の終了は10月末の予定か。それ以降に、確かめに来る必要があるな)
 自分のこの目で見た物が、実在する物なのか、それとも、一瞬の内に見た白昼夢にすぎないのか。
(いっそのこと、次は冬にするかな。冬休み中ならまた康一くんに同行を頼めるかも知れない)


2019,05,10


関連作品:岸辺露伴は動かないエピソードX:ホワイト・ストーンズ(雪架作)


地元に露伴先生を呼ぼう企画第三弾!
地元って言ってもわたしS市民じゃあないけどね!!
現在はすでに改修工事が終わっているS市時計台、鐘の聞き比べとか、C博士との写真撮影とか、わたしはそれなりに面白かったと思うけどなぁ。
言うほどがっかりしないところにがっかりするのかも知れません(笑)。
<利鳴>

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