露康 全年齢 動かない設定

関連作品:岸辺露伴は動かないエピソードX:時計台(利鳴作)


  岸辺露伴は動かないエピソードX:ホワイト・ストーンズ


 経済の中央とされているS市からならばH道内の全てに行けると踏み宿はS市を中心に点々と取っていたが、これがそもそもの間違いだった。
 Tドーム幾つ分という例えはTドームに殆ど縁が無い岸辺露伴には見当が付きにくい。しかしH道の住人程ではないだろう。彼ら彼女らはきっとTドームを引き合いに出される度に「何だ、そんなに広くないのか」という感想を抱くに違いない。何せH道の名を冠する大学の面積はTドームの実に38個分、並べ変えれば首都23区も全て入る大きさだ。
 H道は兎に角広大。昨日停まったホテルは最北端の歓楽街の奥に有り、ビルに囲まれ如何にも都会といった雰囲気を醸し出しているが、ここから遠出すべく電車に乗るには地下鉄で2つ先の駅まで行かなくてはならないし、何と市内唯一の路面電車では電車駅まで行けないらしい。
 チェックアウトをする前に今晩の宿は電車駅の方の近くの宿である旨を同行人の広瀬康一に告げる。
 この取材旅行に協力してくれた素晴らしい親友の康一は未だ学生で実年齢よりも酷く小柄で、朝から歓楽街――を抜けた先、言ってしまえばホテル街。ライブハウスが目の前のここだけが一般的なホテルで、他は皆料金が1部屋2人分で表記されている――を歩かせるのは気まずい。
「じゃあ今日はこの辺りを取材するんですか? 電車駅までの間とか」
「地下鉄で少し移動するのでこの辺りじゃあない。尤も市外には出ない」
 晴れ渡る空の下、年齢制限の有るホテルから出てくる人々は若者ばかり。所謂平日だから大学生やフリーターの恋人達が利用しているのか。
「この辺りには昔遊郭が有った」
「遊郭? 遊女とか、花魁とかのですか?」
「太夫とか禿(かむろ)とかのな。今日はそれが移った先に行く」
「移った先……」
「君や僕が生まれるよりもずっと前に廃止されているけれどね。恐らく面影を感じる物1つ残ってはいないだろう」
 だから安心しろ、もしくは残念だったなと続けずに、昨日来たのとは反対方向へ露伴は歩き出した。
 ホテルは歓楽街の駅と巨大な公園の駅との間に位置していた。どちらかというと公園側の方が近い事が部屋に備え付けられていた情報端末に表示されていた。尤も徒歩1〜2分程の違いだが。
 当たり前に舗装された道路なので歩くのは苦にならない。深夜から明け方に掛けて営業している――昼食時は店を閉めている――飲食店を通り過ぎ、マンションやらアパートやらを過ぎ、駅前らしくコンビニエンスストアや不動産屋を過ぎて大きな公園の入り口に小さく添えられた地下鉄の入り口から改札へ向かい降りる。
 2駅目で乗り換えて数駅過ぎた所で下車。事前に調べた限りでは目的地は駅直結。改札をICカードで抜けた。
「露伴先生、何だか、その……」
「古臭い駅だな」
 隣から「言っちゃった」と呆れ気味の声が聞こえる。
 改札こそ全てICカードに対応しており――ICカード限定の、切符が入らない物もある。また地下鉄専用のICカードも有るらしい――精算機含めて現代的なデザインに見えるが、それ以外の全てが妙に古臭かった。
 建築素材そのままの壁と天井。メトロ文庫の本棚は棚も置かれている本もボロボロ。壁に貼られたポスター達は素人感満載のそれと本社がS市に有り全国区で有名なユーザーが歌わせられるバーチャルアイドルのそれとが不釣り合いに並んでいる。
「ここからどこへ行くんですかあ?」
「そう不安そうな言い方をするなよ。僕もこの駅の微妙な寂れ具合いに不安を感じている所なんだ。目的は区役所なんかが入る複合施設にある。その複合施設は駅から直結だと聞いていたんだが」
「あれの事ですか?」
 康一は真上を指した。
 見上げると吊るされた看板に矢印と役所の文字が書かれている。
 取り敢えずその方向へ歩いてみる。かなりの長さのホームの真上を移動しているのがわかる程に距離が有り、それでいて何も無い空間。曜日と時間帯の所為か、行き交う人も殆ど居ない。
 行き止まり――単なる壁ではなく券売機。近くに改札が有る。こちらから出るべきだったか――が見えた頃、左側の地上への出口とは明らかに違う、何かしらの入り口が右側に見えた。
 右折しドアを2枚抜けると小さな広間になっている。
 教室1つ分の広さに2階分の吹き抜け。小さなコンサートを開くのに丁度良さげであり、しかし雰囲気は『演説』といった感じだ。
 真っ直ぐ進めば不釣り合いで小綺麗なカフェや洋菓子屋、階段が有りその上には居酒屋なり定食チェーンなりが有るらしい。しかし2人は壁に貼られた矢印に従い右に曲がった。
 広間に出てすぐには見えない微妙な位置のエレベーターに乗る。目的地には上がって右へ進み改めて別のエレベーターに乗る必要が有るという内容の書かれたポスターが貼られている。
 真新しく早いエレベーターを降りると目の前には壁。左右共に自動ドアが有り、左は外へ続いていた。
 右の自動ドアを抜けると真っ当な役所が広がっている。
「……地下鉄駅から役所が近いって便利ですね。雨に当たらないし」
「確かに隣接してはいるな」
 これを直結と呼ぶのかどうかは別として。
 慣れれば無駄に何も無い所を歩かされたような違和感は無くなるのだろう。
 入ってすぐの右側はこの地域の資料コーナーらしく色々と掲示されているが、その奥は地元の杜王町でもよく見るような至って普通の役所。最奥には売店も有った。
 その手前のハンディキャッパーのカフェの横の、外の見える最新式ぶったデザインのエレベーターに乗り込み最上階を目指す。
 地下鉄と違い利用者がそこそこ多い。共に乗り込んだ顔の作りは良いのに清潔感の無い男は途中で降り、未就学児童の手を引いた女は最上階に着くなり露伴達より先にそそくさと降りた。
「この役所は図書室の隣に『絵本図書館』が有るんだ」
 周りに誰も居なくなったので到着前に歩きながら説明する。
「何でも名前の通り絵本ばかりを集めた――」
 図書室の入り口を通り過ぎ、辛うじて板1枚で仕切られた別の入り口の前で立ち止まった。
「絵本だけの図書室、ですね」
「そういう事らしいな」
 世界各国の絵本が集められた空間を想像していた。そんな自分が浅はかなのだと露伴は溜め息を吐く。
 隣にある役所の図書室とそう変わらない、寧ろ隣よりも狭いであろう絵本しか無い図書室。利用者はこの時間だからか幼児とその親のみで、司書も普通に業務に当たっていた。
「……見て行く」
「ですよね」
 入り歩みを進める。窓は余り大きくないが煌々(こうこう)とした照明が付けられているので明るい。本を傷めない為か、本を読みやすくする為か。
 図書室ではお静かに、というお約束のポスターは貼られているが、多く居る子供達のひそめようと努力をしてはいる声がやや煩い。走り回らないだけマシだと思っておく。
 ただの絵本が多い図書室。悪く言えば絵本しか無い。小説も実用書も児童向けの図鑑すら無い。
 歩きながら書架の全てを見て回ったが――背表紙を眺めるだけなら立ち読む人間も殆ど居ないのですぐに終わった――本当に絵本しか見当たらない。ただこれだけの種類数ならば専門の図書館を名乗っても許されるだろう。ようは期待のし過ぎだ。
 幾つか揃えている絵本作家の、しかし露伴は持っていない背表紙の太い1冊を手に取りその場で軽く流し読みをした。
 絵本なので絵がメインで、ひらがなの多い文章は洒落た表現を使わず物語だけを記している。
 この作家は本当に参考になるのだが借りても返却出来ないので目に焼き付けなければ。しかし絵本というものはすぐに読み終わるので、この絵本図書館は貸し出し自体行っていないかもしれない。
 大衆小説が有るなら未だしも絵本しか無い空間で康一は飽きてしまっただろう。一頻り(ひとしきり)目を通した後なのでそこそこの時間が経ってしまったが露伴は康一に「そろそろ出よう」と声を掛けた。
「満足出来ましたか?」
 絵本図書館を出てエレベーターに向かう廊下で尋ねてくる。
「何とも言えないな」
 曖昧な返事を良しとしない露伴だがそうとしか言えない。
 想像していたよりも規模が余りにも小さい。しかし図書室の横の絵本に特化した離れだと思えば悪くなかった。
 自宅からバス1本で来られる場所なら良い所を見付けたと月に1度は足を運ぶかもしれない。しかし電車に乗り飛行機に乗り電車に乗り市電に乗り地下鉄に乗ってまで来る価値はやはり見出だせない。悪くなかった、という事は良くもなかった何よりの証拠。
「まあ後悔は無い。こういう場が有る事を知れたのが何よりの収穫だ。さて昼を少し過ぎてしまったし、何か食べていこうか」
 役所らしく食堂が入っている。エレベーターに乗ると真向かいの建物――道路を挟んで、企業系のビルらしい――にイタリアンが有るのが見えた。カフェも定食屋も有るし、エレベーターから見える範囲にチェーン店のファミレスも2つ有った。

 昼食を終えて役所の呼び出しを待つ人々で賑わう椅子に並んで腰を掛けた。呼び出し番号の数はかなり大きいが座れない人が居る程の混み合い方ではない。
 露伴の手には「ご自由にお持ち下さい」のお言葉に甘えて1枚持ってきた近郊の地図。康一が横から覗き込む。
「僕達は今ここに居る」
 地下鉄駅のマークと並ぶ役所のマークを指した。
「そして僕達が行きたいのは……ここ」
 人差し指をすっと電車マークへ滑らせる。
「この地図の縮尺は、そしてどれ位正確かはわからない。ただわかるのは」
「歩いて行ける距離じゃあない、って事ですね」
 言葉を引き継いだ康一に頷くしか出来ない。地図を見る限り同じ名前の駅とは思えない程に地下鉄駅と電車駅は離れていた。
 先程利用した同じ名前の市電乗り場と地下鉄駅も直結はしていなかった。横断歩道を渡った先で地下に降り、少々歩いて漸く改札が見えた。そこから地下鉄に乗って向かったH道で1番栄えているであろう地下鉄駅は、改札を出てやや歩いたが同じ名前の電車駅と繋がっていた。しかしここは違う。
 どうしたものか。この街の電車駅を諦めて地下鉄に乗り、地下鉄の別路線や電車等への乗換えが充実している駅を目指すべきだろうか。多少迷ったり無駄に歩いたりしそうだが、早い時間からチェックインをして早々に荷物を置きたいというだけで、今すぐに行かなくてはならないわけではない。
 行きと帰りに違う乗り物で、としてみたかっただけに過ぎない。しかし1度したいと思うと露伴はしなくては気が済まない。こんな事なら帰りは飛行機ではなくフェリーにでもすれば良かった。
「やはり地下鉄駅へ戻るか」
 立ち上がりエレベーターの有る出口側へと歩き出す。
 ふと足を止め、訪れた時には素通りした資料コーナーへ目を向けた。
 最も目に付く手前側に置かれている甲冑は戦国武将等を美少女や美青年にしたテレビゲームが流行しているので目当てに来る人間がそれなりに居そうだ。
 今は平日昼間なので誰も居ない――と思いきや、1人の青年がじっとケースの中を見ている。
 白いタートルネックのトップスの上に黒い革のジャケットを羽織っている姿は、幾ら杜王町より北の涼しい地域とはいえ流石に合わない。まして真っ赤な革製らしいパンツを履いているので目立っている、というより浮いている。役所の隅に設けられた資料コーナーを訪れる格好ではない。
 面白い奴だな。
 正しく言うならば『変な奴』になるのかもしれない。しかし露伴にとっては他者という空気に混じらないのはそれだけで興味の対象。
「露伴先生?」
「何、ちょっと道を聞いてくるだけだ」
「地下鉄への戻り方なら僕覚えていますよ」
 明らかに止めたがっている康一の声を聞き流して露伴は面白い奴もとい面白そうな男に「すみません」と腰低く声を掛けた。
「はい」
 こちらを向いたその顔に驚いた。分類的には整っている顔立ちなのだが、眉が太く目に力が有り過ぎる。
「ええっと、何を見ているのかと」
 この岸辺露伴とあろう者が、とたじろぎを隠して尋ねた。
「篳篥(ひちりき)だ」
 わざと低く出しているであろう声で答える。
 そんな男が真剣になって見ていたガラスケースの中を覗き込めば、確かにそこには篳篥が有った。
 漆塗りの竹で作られた縦笛のような和楽器。安価にプラスチックで作られた物こそ見た事は有ったが、こうして竹で作られた年代を感じさせる本物を見るのは初めてだ。
「こんな物まで展示されているのか……」
「尺八しか吹けないがな」
「は?」
 意図が汲めず横目に男の顔を見たが、濃いとしか言いようの無い顔はただその吹けないらしい楽器だけを見ている。
「誤解しないでもらいたい。この街と雅楽は何の関係も無い。そして彼とも」
「は?」
 意味のわからなさを増す言葉に露伴は眉間に皺を作った。
 対象を本にしてその者の歴史や思考を読み取れるスタンド能力、ヘブンズ・ドアで読んでおくべきだろうか。顔と格好がやや風変わりな男というだけで危害は加えてこないだろう。しかし見た目通りに言動も奇抜過ぎる。
 ただ理解不能な男が言う『彼』とは入り口に甲冑を飾られている武将の事だとはわかった。
「篳篥はここに、この時代に関係の無い物」
「よくわからんが、そんな物が何故ここに展示されているんだ?」
 露伴の疑問に対して男は大袈裟に体ごとこちらを向き大きく頷く。
「この街を守る『戦士』として貴方達を助けたい」
 話が全く噛み合っていないが。
「地下鉄駅から電車駅へ向かうにはバスを要する。歩くと君のような大人の足で30分、彼のような子供の足ならば実に40分以上は掛かる」
 今の『彼』は康一を指しているらしく一瞬視線が康一へ向いた。
「だから必ずバスに乗らなくちゃあならない」
「バスが出ているのか」
「株式会社が運行しているバスはこの地下鉄駅を出発停留所として幾つか路線が有るが、電車駅を通るのは1つしか無い。またJR駅を終着点とする路線も無い。何故なら電車を中心として運行しているバスは別の会社が――」
「いい、もういい。バスに乗れば行けるんだな」
 何故電車駅に行きたがっていると思ったのか、そもそも何故自分達が困っている――地下鉄に乗るという予定は立てたが――と思ったのかが気になったが、話が延々と長引きそうなので訊く気になれない。
「どのバスかわからないだろう。今から丁度向かう所だから一緒に行こう」
「は?」
 この男と顔を付き合わせてから何度目の「は?」だろう。
 確かにわからない。複数有るのに目的地を経由する路線は1つ、しかも終着ではないとなると間違えそうだ。が、そもそも乗る必要が無い。
「平日でもこの時間なら1時間に3本程しかない。バスは出発の5分程前にバスターミナルに来る。バスターミナルは地下鉄駅の真上、車道を挟んだ向こう側だ。さあ、行こうか!」
 遂に「は?」を省略した露伴の隣を男は――これまた大袈裟なわざとらしい歩き方で――抜けてエレベーターの有る方へ、出口へと向かう。
 もし康一にどうするのかと聞かれたら放っておこうと言っていたかもしれない。しかし元より余り無い肩を落とすだけで康一はその男の後ろについていってしまった。
「康一君、ちょっと待ってくれ」
 自分が康一を追い掛けるのは珍しい。否、行動は別でも感情としてはいつも追い駆けている。

 既に何人か乗っているバスに男、康一、露伴の順で乗車した。中央の入り口から入りICカードをタッチし――コンビニよりも手前に木々や川が有り地下鉄駅・バスターミナルと思わせない場所だがこの辺りは現代的だった。一応整理券も有る――後部座席へと向かう。
 1番後ろの席は5人掛けで既に窓側に1人ずつ座っていた。この中央に3人並んで座ると提案されたらどうしようかと思ったが、男はそんな事は言い出さずに後ろから2番目の左側の座席へ座った。
 康一は後ろから2番目の、しかし右側の座席へと座る。窓側に詰めたので露伴はその隣に座った。後ろから2番目で右側で通路側。バスに乗る機会はそれ程多くなかったし拘りも無いが、今まで生きてきた中で初めて座る席かもしれない。
 前方にもちらほらと人が座っている。最後に階段を駆け上がってきた若い女性が飛び乗ってドアが閉まり、バスは発車する。
 大きな交差点を抜けて交通量の多い道路を走る。病院と居酒屋が多い通りは中央分離帯が花壇になっており地域指定の花が植えられているらしい。時期の所為か何も咲いていない。
 交差点で曲がった先もまた交通量が多く、古めかしい歩道橋が似合わないなと思った。
 所が。
 更に曲がると途端に人気(ひとけ)が少なくなる。
 車が殆ど走っておらず歩道に年配の歩行者がちらと見えるのみ。閑静な住宅街と呼べそうな雰囲気なので犬の散歩をしている者が居ても良さそうだが見当たらない。
 市立の小学校が有り体育館の窓から影が動くのが見えたので児童の数はそれなりに居るようだ。H道は夏休みが短く、この時間だから歩行者が極端に少ないのだという事にしておいた。
「中々着きませんね」
 窓の外をじっと見ている康一が呟く。
「そうだな、やはり電車駅までかなり離れているようだ」
 康一の後頭部ではなく康一越しに窓の外を眺めたまま返事をした。
 今はまさに陸橋を走っているので直進だが、それまでは何度か道を曲がった。しかし入り組んでいるというわけでも遠回りをしていいるというわけでもなさそうだ。それなのに未だ着かない。
 歩いて30分ならばバスで10分程だと思っていたのだが。団体が乗ってくる事は無いし、逆にバス停に誰も立っておらずボタンも押されなければそのまま通過している。
「本当に広い街だ」
「Tドームなら960個は入る」
 露伴の感想に通路を挟んで隣に座る男が口を挟んできた。
「960個となると最早例えになっていないな」
「S市にもドームが有る。今向かっている電車駅から野球やサッカー、コンサート等が有る日はシャトルバスが出るんだ。30分程でSドームに着く」
「バスで?」
 だとしたら結構な距離になる。
「人気の有るアイドルのコンサートの為に内地、道外から来た人は、空港から直接行けなくて皆困りがちだ。地下鉄の最寄駅からは近いが、空港から地下鉄に乗るには先ず電車に乗る必要が出てくる。大抵の人は快速でS駅まで行って地下鉄に乗って路線を乗り換えて会場近くの駅に向かうが――」
「待て、何が言いたい」
 男の話し方は声音に合わせるように内容までもが回りくどい。
「今向かっている駅は空港から1本で着くし、そこから出るシャトルバスに乗るのが最も金も時間も掛からない」
「覚えておく」
 H道までコンサートを見に行く事等無いが、とは言わずに。
 もしかすると周りの人間で何かしらのアーティストの大ファンで地方まで遠征と称して見に行く人間が居るかもしれない。もしも居たら教えよう。居ないとは思うが万が一居るとしたら。
「……商店街?」
 ふと交差点を曲がり窓の外の景色が、その雰囲気が変わったので呟いた。
「こういうのも商店街って言うんですか? 屋根とか無いし、車も走っていますよ」
 康一がこちらを向いた。彼の疑問に露伴は頷く。
「商店が並んでいるのだから商店街と呼んでも間違いじゃあないさ。まあ恐らく、名前の付いた商店街ではないだろうが」
 北側にはずらりと立ち並んでいる店達は肉屋や果物屋、弁当屋や寿司屋や小さい喫茶店、理美容室に歯医者に宝石店等様々で、営業時間外の酒類を扱う店以外はシャッターを開けて営業していた。
 テレビドラマ等で描かれる下町の商店街にしては客が少な過ぎるが、夕食の買出しには未だ早い時間だからという事に――もう1度時間の所為に――しておく。
 時間帯が変われば街の景色は恐らく変わる。小さな田舎町の変化を見てみたいとは思わないのは自宅の近く、地元でも充分に出来るから。そう思っている間にバスはまた曲がった。
「ここを真っ直ぐ向かった先に電車駅が有る。その北口のバス停で降りるんだ」
 相変わらずの仰々しい口調で男が言う。
 康一の方ではなく正面を見ると、確かに『駅』が見えた。
 黒いレンガ調の思いの外小洒落た駅。2階建てで、駅名の横や上はガラスになっている。また大きなアナログ時計も有る。
 商店街と駅とを結ぶ道と呼べる筈なのにやはり余り人を見掛けない。これもまたこの時間だからだろう。もう少し後になれば電車通学の学生達が帰ってくるだろうし、更に後になれば社会人達も大勢帰ってくるに違い無い。
 何せこの通りはマンションがやたらと多い。右を見ても左を見てもマンション。背の低い建物だと思えば2階建てアパート。マンション、老人ホーム、1階にコンビニエンスストアの入っているマンション、という並びは面白くもあった。
「地元に似ている、気がする」
「え……露伴先生にはこれが杜王町に似て見えるんですか? 僕には全然違って見えますけど」
「そっちじゃあないよ。M県S市の事だ」
「ああ、M県S市には似ていますね」
 駅前だけが極端に栄え少し離れれば、寧ろ駅の裏に回れば途端に住宅街が広がる。
 ベッドタウンとはきっとどこもそのような物なのだろう。このH道のような北国も、恐らくO県のような南国も。
「君達はもしかして、M県から来たのか?」
 露伴と康一が揃って男の方を見る。ただでさえ濃い顔立ちをしているのに目を見開いており、失礼ながらも他に乗客が居なければ噴出し笑っている程滑稽に見えた。
「……そうです、杜王町という小さい所ですけど」
「そうか、そうだったのか! M県に県庁所在地ではないs市という市が有るだろう? s城が有名な」
「有りますね」
 この辺りの地域はs市と同じ名前だと気付いた露伴だが、相槌は康一に任せて降車準備を始める。
「M県でとても有名な戦国武将の近侍がs市を治めていたんだ。その武将が政府が戦争に敗北し崩壊した後にH道の、この地に移住してきた。この街を作り上げた。彼はこの街の生みの親と言える」
 当時の移動手段は船で9割もの人間が海難で沈んでしまったとか、それでも300人以上が移住して最初は村を名乗りやがて市に統合されたとか、鉄道や近年ならば地下鉄が発展した事により人口が爆発的に増えて東側を別の区に分けたとか、男の話は続いた。
 作り上げた『彼』が武将として戦いに明け暮れていた頃に纏っていた甲冑が役所の資料コーナーに飾られていたのだろう。そうと知っていればもう少しは注視していたのに。
 甲冑のみならず年表等の資料も見て、読んでおきたくなった。尤も戻るつもりは無い。尋ねればこの男が全部話してくれそうだ。
 バスが駅前のロータリーをぐるりと回る。
「そろそろ着くんじゃあないか」
 露伴が言い終える前にアナウンスが流れた。
 もうすぐ駅名を冠したバス停に到着するので忘れ物の無いように。そしてバスが完全に停止しドアが開いてから立つように。
 しかしバスは停車するより先にドアを開けた。危険運転と言うつもりは無い。寧ろやはりどの地域でも、都会染みていても田舎染みていてもバスというのはそういうものだとすら思っている。
 3人でバスを降りて綺麗で広々としているが店等が有るわけではない駅へ入り、大型でゆっくりとしているエスカレーターを上り――上った先にはパン屋とコンビニエンスストアが有った。後者は土産品を中心としていて如何にも駅中店といった様子だ――自動扉を通って改札前まで向かった。
 電光掲示板を見ると、乗り場は4つしか無いのに数字の上では6番までホームが有る。
「この駅も切符を買わなくても大丈夫なんですよね」
「大丈夫だ、ICカードのチャージが済んでいれば」
 中心地より離れた駅ではICカードが使えないと聞いていたがこの駅は違うらしい。確かに今の目的地である最も栄えた駅まで通過する駅は1つなので中心地と呼んで差し支えない。
「時代は変わった」
 男が呟いた。嘆くような言葉だったが、満足しているような響きも含んでいた。
 顔立ちの濃さの所為で表情はわからない。変わりゆく事に喜んでいるのか悲しんでいるのか。どちらとも取れるように、時代を語るには未だ若い男は目を伏せる。
「この街だけじゃあないが、電車には優先席が無い」
「そうなんですか?」
「代わりに専用席が有る」
 優先と専用では意味合いが大きく異なる。健康な若者だけで構成された満員電車の専用席はずっと空いているのだろうか。
「今君達が乗る電車は、君達の為の電車だからそれも無い」
「どういう事だ?」
「君達がどの席に座っても良い、という事だ」
「あの、それって」答えになっていないと指摘するのかと思いきや「貴方は電車に乗らないんですか?」
「乗らない」
 キッパリと断言されてしまった。
 どんな感情を含んでいるか等を考えさせない今の物言いの方がこの男には似合っている。
「じゃあ何で駅へ来たんだ。正直に言ってこの駅、何も無いだろう。わざわざパンを買いに来たとでも言うのか?」
「昔はパン屋も無かった。売店は辛うじて有ったが、あのコンビニエンスストアの半分も規模が無かった。そう、時代は変わったんだ。この街は――さあ、そろそろホームへ降りた方が良い。改札を通って右側だ。この街は2つの路線が通っている。どちらに乗っても目的の駅まで向かう」
「そうか……有難う」
 あれこれ言わずに目の前の男に倣って直球に礼を言った。男は今度はわかりやすく満面の笑みを浮かべた。
 改札を抜け言われた通りに右側のホームへ降りるとすぐに電車が入ってきた。目的地である駅を終点としている電車なのでそのまま乗り込む。
 この時間だからと予想はしていたが、まさか誰も乗っていないとは。対面式の座席の車両1つを貸し切ったような光景。どこに座っても良いと言っていたのでわざと座席の真ん中に、康一と隣り合って座ってみた。
 真正面の窓からの景色は隣のホームで人がちらほら立っている。
 隣に座る康一は背後になる方の窓の外を見ていた。
「あ!」
 突然の大声。この車両には他に誰も乗っていないから注意等はせずに、何かを見付けた康一が指す窓の外の後方を見てみる。
「見送ってくれてますよ、先生」
 バスの中でも見た古めかしい歩道橋の上、存在自体が濃い男がこちらを見ている。康一だけではなく露伴も見た事に気付いてか大きく手を振ってきた。
 楽しそうに手を振り返す康一のように自分も何も考えずに道案内に感謝出来れば良かったのだが。しかし露伴は可笑しな事に気付いた。改札前から走って外に出ても間に合わない、という事だけでなく。
 何であの歩道橋がこんな所に……
 バスに乗ってからすぐに曲がった所に見た歩道橋が、駅を出てすぐの電車から見える筈が無い。
 つまり手を振る男以外に誰も利用して居ないあの歩道橋は今初めて見る物だ。
 バスから見えない所に歩道橋が、例えば北口と言っていたので南口の方に歩道橋が有ったりするのだろうか。
 否、それも可笑しい。そもそもあの男が立っている位置は、先程自分達が通った改札の有った位置だ。エスカレーターで上がりエスカレーターで降りてきた。この駅は利用するのであっても通過するだけであっても、歩道橋という物を必要としない。
 ではあの男が立っているのは一体。そもそもあの男は一体――
「街を守る、って言っていましたね」
 男の姿が見えなくなってから康一がこちらを向く。
「きっとこの街で生まれ育って、この街が大好きなんだろうなあ」
 共通の知人にそういう考えで突っ走る厄介な人間が居る事を思い出して若干苛々した。
 確か先程の男は会ったばかりの資料コーナーで自身を戦士と称していた。恐らく下手な例えなのだろう。街を『敵』から守る為に戦う人間でありたいと思っている、といった所か。
 しかし余所の地から来た自分達は敵ではないらしい。害を成す者のみが敵なのか、それとも。
「未来が、いや『変化』が敵なのか」
 彼が何と戦ってでも守り抜きたいのは今のこの街ではなく、駅に未だ歩道橋が有り、古い車両が走っており、役所には篳篥が飾られていた頃の街なのだろうか。
 だとしたら変化を望まない彼自身、今のこの街の住人ではなく。
「あれ? 僕達今中心部に向かっているんですよね?」
「康一君?」
「何かどんどん、外の景色が田舎っぽくなっているような……」
 言われてみれば確かに、建物が減って見える。
 工場なのか倉庫なのか大きな建物が見える事も有るが、背の高い建物――商社向けのビルやマンション等――は確実に減っている。
「目的の駅までに1つ駅を挟むな。そこは市街地とベッドタウンとを結ぶ人の少ない地域なのかもしれない」
「何だか不思議な作りをしている街ですね」
「土地が無駄に広い所為だろう」
 そんな言い方をしなくても、という康一の声をBGMに露伴は前を向き目を閉じた。
 あの男の言っていた「時代は変わった」という言葉。変化を良いとも悪いともせずただ事実を述べただけだったのは、守る対象ではないから。時間が止まったようなあの男は恐らく、変わる前の街を守り続けている。

 終点でもある目的の駅は最初に訪れた時と同じ位に賑わっていた。
 平日の昼間にこれだけ人が居るとは。M県S市よりも栄えているのではなかろうか。会社員風の男や高校生風の女の合間を抜けて改札を出る。
 観光客と思しき外国人もかなりの数が居る。露伴達は大した荷物は持っていないが取り敢えず当初の目的通り今日の宿にチェックインを済ませてしまおうと駅から外へ出た。
 徒歩5分程で目的のホテルに着いた。駅から近いが駅前通りではない、寧ろ繁華街から離れる方向に有る所為かすんなりと部屋が取れた。ヨーロピアンな雰囲気のホテルはわざわざH道まで来て取る人間が少ないのかもしれない。
 フロントで淑やかそうだが笑顔の女性従業員を相手にチェックインの手続きをする。
「お客様のご予約はございません」
「は?」
 数時間振りに言った気がした。
「僕は確かにインターネットで予約をした」スマートフォンを取り出し、ログイン等が面倒だったので予約確定時に撮っておいたスクリーンショットを開き「ほら、このホテルの予約が完了している」
 顔の前に出されたスマートフォンの画面を見て女性従業員は1度瞬きをし、すぐに先程の笑顔に戻る。
「お客様がご予約されたのは本館、1号館でございますね」
「1号館?」
「こちらは2号館となっております」
 どういう事なのかと露伴自身もスクリーンショットを見直した。
 確かにホテル名の後ろに1号館と書いてある。
「当フロントは2号館における本館、奥にございますのが2号館における別館、お客様がご予約されたのは本館と呼ばれる1号館でございます」
「つまりここじゃあない、という事か」
 さぁどうしたものか。事前にインターネットで駅からの道順を調べておいたのが勘違いの所為で逆に仇となってしまった。
「タクシーをお呼び致しましょうか?」
「1号館とやらはタクシーで行けるような距離なのか? 余りにも掛かるなら電車や地下鉄や……バスに乗ろうと思う」
 またあの男が助けてくれるとは思っていない。1号館があの街に有るとは限らない。
 ただもしあの街に有るのだとしたら、2号館は真新しいが1号館はそれなりに歴史が有るだろう。あの男が守りたい時代に既に有るだろう。
「所要距離は徒歩で大体7分でございます」
「近いな!?」
 これだけ広大な土地を有するH道が随分と近距離に2号館を建てたものだ。
 完全に自分の勘違いなので素直に謝罪し、簡単な行き方を教えてくれた事に礼を告げて康一と共に2号館のホテルを出た。
 女性従業員の言葉通りに横断歩道を渡って曲がると、多くのビルとビルの合間に少し雰囲気の違う高い建物が見える。
「あれ、ですね」
「恐らく」
 康一の言う通り『あれ』が予約したホテルだろう。遠目に見ても先程のホテルのようにヨーロピアンな雰囲気を醸し出している。それだけではなく屋根の部分にここからでも読める大きさでホテル名が刻まれていた。
 交通量が多く右折も必要とする事を考えると下手にタクシーに乗るよりもこうして歩いた方が早く着きそうだ。
「先生」
「何だ?」
「あっち側に地下鉄駅が有るんじゃあなかったかなって。土地勘無いんで違うかもしれないんですけど」
「……そうみたいだな」
 あの時あの男の言葉を聞かず地下鉄に乗っていれば。乗り換えがよくわからないからと地上に出て、見上げてあのホテルを見付ける事が出来たかもしれない。
 余計な事をしてくれた――とは思っていない。
 今日という日の大半を無駄にしたとも思っていない。戦士を自称して街を守る男と出会えたのだ。どの色にも染まらず弾き返すような強く真っ白な意思を見た。この取材旅行は随分と楽しい物になっている。


2019,05,10


遥か昔にご当地ヒーローの元祖のような深夜ドラマが有りまして、駅利用時に歩道橋を渡っていたら偶々撮影現場に出くわしてしまった事を思い出して書いてみた。
自分の街を特殊な力で戦い守り抜いた仗助はご当地ヒーローみが有りますね、というお話。中黒は検索除けみたいな物です。
<雪架>

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