ミスジョル 全年齢 フーナラ要素有り

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  罰当たり


 かちりとした黒のスーツはジョルノ・ジョバァーナには少し大きく、しかし全く同じ物を着ているパンナコッタ・フーゴの方がより「着慣れない」という顔をしていた。
 2人を乗せてレオーネ・アバッキオが運転する車がアジトに着く頃にぱらぱらと小雨が降り始める。
 ワイパーを動かす程でもないとはいえ任務中でなくて良かった。レンタルスーツが汚れてしまう。
 昨日からほぼ丸1日ボディガードの仕事をフーゴとしていた。危険は無いからと「若い子を、最年少から2人」という意味のわからない指定の所為でこの組み合わせだった。
 確かに危険は1つも無かった。強いて言うならば雇い主の視線に恐ろしさを感じた。単に『ギャングに片足を突っ込んでいるような不真面目な少年』が好きなだけだとは思うが。
 契約し借りているビルの駐車場に車を停める。この辺りに住み着いている野良の黒い子猫が危ない事に別の車の下で雨宿りをしていた。横目に3人小走りで2階に有るアジトへ。
「お帰りっ!」
 ただいまと言う前に、ドアを開くと同時に留守番をしていたナランチャ・ギルガが出迎える。
 中へ入りボディガードを無事に果たし終えた2人は揃って着替えを置いている、休憩室にしている小部屋へ。
 ここ暫く夜中の任務が続いているアバッキオ――今日も2人を迎えに行くのが出勤後の初仕事だ――は自分に割り当てられているデスクへと座った。
「ブチャラティは?」
 椅子が壊れそうな程に背凭れに体重を掛けてアバッキオが尋ねる。
「さっき電話有った。報告書作ったら帰って良いって」
「帰ってこねーのか?」
「何時になるかわかんないって言ってた。あと金貰ってたら金庫に入れておけって。レンタルスーツはブチャラティが返すってさ」
「迎えに行く」
 アバッキオは座ったばかりだというのにのそりと立ち上がった。
「来てくれとか言ってなかったぜ?」
「雨も降り始めたし、ブチャラティは明日も任務が有る筈だ」
「あ、明日はオレとフーゴ休み。ミスタとジョルノが昼前からで、アバッキオは夜に1件有るから日が暮れる前には来てくれって」
「また夜か。フーゴ、報告書頼む!」
 休憩室に向かって大声で残し、アバッキオはそのまま事務所を出た。暫くすれば車のエンジン音も聞こえてくるだろう。
「報告書は僕がやっておきますからジョルノは帰って構いませんよ」
 すぐ隣で着替え終えたフーゴが事も無げに言った。形ばかりは似ているが色々と違う私服に戻った事で安堵して見える。
「良いんですか?」
 ボタンを閉めながら尋ねると、自分が言ったのだからと頷かれた。
 報告書に特記する事はこれといって無いし、フーゴの方が『先輩』でもある。
 それに何より。
「じゃあナランチャと2人で報告書を作っておいて下さい」
 彼にデスクワークは全く以て向いていないけれども。
 フーゴとナランチャは言うならば深い仲。隠しているのか気付かれていないと思っているのか人前では何もしないが、同性同士で恋人同士。
 自分達と全く同じだ。
 だから協力する、というつもりわけではないが。フーゴの照れて焦った返事を背中で聞きながら休憩室を出た。
「ナランチャ、お先に失礼します」
「うん。あ、傘持ってくか?」
「傘ですか? 小雨なのにわざわざ差さなくても」
「でも寮に帰る前に強くなるかもしれねーし」
 ナランチャが先の事を心配するのは珍しい。どちらかというと『後先考えないタイプ』だというのに。
 窓の外をちらと見ると水滴の当たり方が強くなっている。これから益々強くなるかもしれない。
「大丈夫です」
 今日は稀にしか授業を受けていない学校の寮に帰るわけではない。
「それじゃあ、また……明日はフーゴとオフでしたね。また明後日」
「じゃあな!」
 明日まで、今日同じアパートに共に帰るまで、事務所に2人きりだからとあれこれしないように。等の野暮な事は言わず、ジョルノはドアを開け階段へ向かう。
 浮かれているのを足音で気付かれないように平静を装い下る。外に出るとやはり雨は強くなっていた。
「丁度良い」
 これなら雨を除けるのに走っても可笑しくない。それに、逸らせて火照り始めた心と体を冷ますのにも都合が良い。
 早々に水溜まりになりつつある地面は、走るとばしゃばしゃと音がした。裾が濡れて足首が冷たい。手も冷たい。顔にも雨粒が当たっている。
 雨足は強くなる一方だが雨宿りをしている暇は無い。遠くに雷鳴が聞こえた気もするが立ち止まっている場合ではない。
 昨日の朝から夜通しの任務――交代で仮眠は取ったが――だった。一昨日も互いに与えられた仕事の都合で擦れ違っていた。
 漸く会える。
「ミスタ!」

 グイード・ミスタが借りているアパートに着く頃には濡れ鼠なんて言葉でも追い付かない程にずぶ濡れだった。
 それでも浮かれ調子でジョルノはインターホンを鳴らす。
 玄関で待ち構えていたのではないかと思う程すぐにドアが開いた。
「お疲れジョルノ……ってお前ビショビショじゃあねーか」
 出迎えてくれたミスタの至って『いつも通り』の様子が無性に嬉しくて、ジョルノはそのまま駆け寄り胸に飛び込むと言わんばかりに抱き付く。
「うぉ、っと。こらドア閉めろ」
 言いながらも背に腕を回し抱き締め返してくれた。
 好きだった。誰よりも好きなので、誰よりも好きになってもらいたかった。少々強引な手を使ってしまったが「『1番』好きだ」と言わせる事が出来て今は恋人同士。
 交際は内密だし――フーゴとナランチャのように誰かしらに知られているかもわからないが――大きな代償を支払ったが、それでも今幸福の絶頂に居る。
「体冷えてるな」不意に離れてドアを閉め「飯の前にシャワー浴びるか?」
 ジョルノは表情を作らず首を左右に振った。
 もしも今も未だミスタのスタンド、セックス・ピストルズが居たら「どうした」だの「腹が減ったのか」だのとわいわい騒ぎ出すだろう。
 彼らの事はミスタに次いで好きだった。だが今はもう居ない。
 麻薬取引犯を捕まえる任務中に起きた事故に紛れ、ミスタの脳細胞の1つを黄色肉芽腫のような形――見た目から『肉の芽』とジョルノは呼んでいる――に変化させ、彼の記憶の全てを奪うと、それに合わせて消失してしまった。ミスタは今スタンド能力を持たない。
 こういうふとした時にピストルズにまた会いたいと思ったりはする。
 弾丸をどこまでも操作出来る『拳銃使いのミスタ』の通り名も今は無い。何よりスタンドを見る事も出来ないミスタに回ってくる任務の数は極端に減っていた。
「じゃあ飯にするか。トリッパ煮込んである。赤ワインでミラノ風だぜ」
 大変に美味しそうだが再び首を横に振る。
 ジョルノは手を伸ばして首に抱き付き、少し背伸びをして頬に口付けた。
「何甘えてんだよ」
 顔の角度を変えて唇に唇を当ててきた。軽く啄まれてぞくぞくとする。
「髪、シャワー浴びた後みたいにべしゃべしゃだ。このまま『した』ら、風邪引いちまうぜ?」
「そんなに柔(やわ)じゃあありません」
 寧ろミスタこそこの濡れて冷えた体を抱けば体温を奪われ風邪を引いてしまうかもしれない。が、もう我慢が出来ない。早く体の内側から暖めてもらいたい。
「じゃあベッドへ――」
「ここで良い」
 否、ここが良い。今すぐが良い。
 その言葉を待っていたと唇は再び重なり、今度は舌も入ってきた。
 ミスタの手が濡れて重たい服に掛かる。嗚呼、今は脱がされる時間すら惜しい。
 幸せだ。誰が何と言おうと、愛を手に入れたのだから。偽り? まやかし? 羨ましいのなら何とでも言えばいい。
 操作出来て奪えたのは記憶のみで他に細工はしていない。だからこれは仮初めでも何でもない、神も唸る真実の愛なのだ。

「――だ。ジョルノ、聞いているか?」
 ブローノ・ブチャラティの声が遠くに聞こえる。特に物を置いていない机を挟んで座る彼と対面しているのに。
「う……」
 はい、と答えた筈なのに言葉になっていない。それに話は聞いていても全く頭に入ってきていない。
 隣に並び、今日共に行う任務の概要を聞いているミスタも「大丈夫か?」と尋ねてきた。
 今朝起きてから寒気が止まらない。否、寒気は寝る前から、ミスタの部屋で夕食をとっている辺りからずっと続いている。
 やはり夕食の前に風呂に入れば良かった。あれだけずぶ濡れになったのに、帰宅してすぐ暖を取らなかったのは不味かった。
 ベッドに入り寒がる自分を暖めるべく、会えなかった日々の分2回目をとふざけながらもただ抱き締め続けてくれたミスタには感謝している。
 しかし目覚めてからずっとこの不調。寝たというのに寝る前よりも悪化している。こんなに寒気がするのに頭だけは妙に熱い。
 節々も妙に痛むし立っているだけでも辛い。ここが事務所でなくブチャラティも居なく、これから任務に取り掛かるわけでもなければミスタに寄り掛かっているのに。
「風邪か?」
「多分」
 ブチャラティの問いには代わりにミスタが答えた。
 すぐ隣で見ていてもそう思えるのだろう。勿論ジョルノ自身も自覚が有る。
「変なもん食ったとかじゃあねーし、昨日散々雨に濡れたから、まあ風邪だろうな」
 昨日の仕事の事は夕食時に話している。そこで可笑しな病を貰ってきてはいない。
 ごんごんと不快な音を立てるように痛む頭に「もし病気を移されたならフーゴも患っている、ナランチャに看病出来るだろうか」と浮かんだ。
「代わりに俺が出るか。ジョルノ、病院に行けるか?」
「ん……う」
 病院? 行きません。行けないんじゃあなく、行きたくないから行きません。
 と、言ったつもりなのだが。
「無理だろうな。休憩室で寝ていろ」
「だとよ」
 追撃の一言と共にミスタが背を物理的に押してくる。
 ふらつく足取りで休憩室まで歩かされる。そこに有る誰かが見栄で買ったソファに寝かされた。
「掛けるもん何か有ったかな」
 寒さに震えて身を縮こまらせているのを不安にそうに見てからミスタは辺りを見回す。
 夏には暑く冬の夜中には寒い、中途半端な厚さのブランケットが1枚折り畳まれているのでそれを広げて体に掛けてきた。
「……あ、う」
 有難うという言葉すら紡げないままジョルノは毛布を手繰り寄せて更に体を丸める。
 せめて昨日ずっと側に居たミスタは大丈夫かと尋ねるだけの体力が欲しい。
「じゃあ行ってくる」
 屈んで顔に顔を近付けてきたが。
「移る……」
 僕だって行ってらっしゃいと言ってキスがしたい。けれどブチャラティが見ているかもしれないし、何よりミスタにまでこの風邪が移ってしまうかもしれない。
 そこまでは口が回らないので取り敢えず移るかもしれないとだけ言った。
 今日は未だしていない、昨日の眠る前にもしそこねた。本調子ならばジョルノの方が不貞腐れている頃だ。
「移されてお前が治るんだったら、ここでキスしちまうんだけどなァ」
 近付くのは唇ではなく額。額に額が押し当てられる。
「やっぱり熱有るんだな」
 心配そうな声音。妙に目が潤み開けていられず、閉じてしまった所為でいつも以上に耳に馴染んだ。
「ミスタ……」
 無性に好きだと伝えたいのに声にならない――好きだと自分から言った事は有っただろうか。
 避けられてさえいた頃を除き、今の関係になってからだけとしても、余り好きだと言葉にはしていなかったような。
 ミスタの方から先に言ってくれるから、と甘んじていた。言い慣れていないと言えなくなってしまう。
 こんなに近くに居るのに寂しくて仕方無いのは風邪の所為だろう。確か昔に引いた時もこんな風に心細く人肌が恋しかった気がする。
「好きだぜ、ジョルノ」
「……ん」
「風邪薬買ってきてやるから」
 言ってミスタが立ち上がった。体温が離れて一層寒くなった。
 遠ざかる足音、休憩室を出てその扉を閉める音。目を閉じていると色々な音が大きく聞こえる。
 だがそこに頭痛み(あたまやみ)の音が覆い被さってきた。閉じた目をよりぎゅっと強く瞑ってもやり過ごせそうにない。
「――」
 ドアの向こうから声がした。ミスタの、それも悲鳴や絶叫に近いような声。しかし耳垢を溜め込んだかのように曇って内容は聞き取れなかった。
「――」
 続いてブチャラティの声も聞こえた。焦っている? 慌てている? もしかすると、スティッキー・フィンガーズと叫んだのかもしれない。スタンドの気配がする。
 まさか敵襲だろうか。だとしたら応戦しなくては。だが立ち上がれるだけの体力が無い。戦う前から既に体はぼろぼろだ。
「……ん」
 今助けに行く。そう顔を上げるべく首を伸ばした直後に意識が飛んだ。

 体が揺さぶられている。早く起きて何か叫んでいたミスタを助けなくてはならないのに。
 ブチャラティは未だミスタを守りきれているだろうか、と目を開けるとそこにはミスタでもブチャラティでも敵でもなくアバッキオが居た。
「やっと起きたか」
 不機嫌そうな顔で舌打ちをしてくる。
 いつもなら多少不愉快になるが――なるだけで別に何もしないが――今はそんな気力すら無い。純粋に体力が無い。
 暑くて暑くて仕方無い。あれだけしていた寒気はいつの間にか綺麗サッパリ無くなっている。その代わり全身が、指の先まで火照っている。今すぐ服を全て脱ぎ散らかしたい。
「家に着いたら幾らでも寝直して良いから、車に乗るまでは起きていろ」
「車……」
 まともな単語を喋る事が出来た。目も開けていられている。ソファに寝かされた時とは違い既に日没後らしく電気が付けられていた。
「ほら」
 ぐいと腕を引っ張られる。何とか2本足で床に立つ事が出来た。眠る前の体調のままならば、そのままソファからごろりと落ちていただろう。
 酔っ払いの千鳥足のようで恥ずかしい歩き方だが何とかアバッキオの後ろについて事務所を出る。
 昨日はあれだけ軽やかに下りた階段が今は踏み外しそうで恐ろしい。
「……あの」
 いつも通りにどんどん進むアバッキオに声を掛けると、立ち止まり振り向いた。
「ミスタは……大丈夫、ですか?」
 何が有ったのか、から尋ねたかったがアバッキオが事細かに話してくれるとは思えない。取り敢えず要点だけ、愛する者の安否だけを訊く。
「ブチャラティが塞いだしすぐに外科に連れて行った」
「外科?」
「専門病院には明日朝行くそうだが、本人も外科医も大丈夫と言っていた。聞いた話だがな」
 大丈夫なら良かった、と思っておこう。
「……あと、僕はどこに行くんですか?」
 アバッキオは先程家に着いたら、と言っていた。一体誰の家に向かうのか。
 ジョルノ自身は学生寮に住んでいるので『家』ではないし、風邪だろうと不治の病だろうと実家に行くつもりは一切無い。ほぼ住んでいる同然のミスタの家に行くのだろうか。
「俺の家だ」
 短く返してアバッキオは再び歩き出した。アバッキオの家に招かれる等有り得ないと思ったが、置いて行かれては困るので聞き返す余裕が無い。
「頭がぐらぐらする」
「車に乗るまで辛抱しろ。それとも俺にお前を抱え上げて運べって言うのか?」
 しなくていい、と言えたか言えなかったよくわからない。アバッキオに持ち上げられる等、後から何を言われるかわからないので考えたくもない。
 だがこれがもしミスタなら、横抱きにしながらもロマンティックの欠片も無いような運び方をしてくれるだろう。

 慣れない部屋のベッドでジョルノが起きた時には体調は全開と呼んで差し支えない程に回復していた。見知らぬ天井よりも初めて嗅ぐシーツの匂いが落ち着かず、寝直す事も無くベッドから出た。
 アバッキオが運転する車――2日連続で乗るのは初めてかもしれない――に乗った時と同じ服を着ている。
 汗を吸った布は気持ち悪いが、当然ながらアバッキオの部屋に着替えは無いし借りるのは以ての他。
 ここがもしミスタの部屋ならば幾つも自分の服を置いてあるし彼の服を借りても良い。
「ミスタ、無事だろうか」
 意識を手放す直前はジョルノ自身が朦朧としていたので扉の向こう側で起きていたのかわからない。
 車の中ではアバッキオが自分はこれから仕事だからその間自分の部屋で寝て休んでいろ、とだけ言われた。
 恐らくブチャラティの手配だろう。ソファでの睡眠では体が休まらないし、誰も居ない部屋の方が誰にも風邪を移さずに済む。
 尤も風邪ではなかったり、容態が急激に悪化した場合は困るのだが。しかしこうして寝覚めがスッキリしているのでその心配は要らないようだ。
 カーテンを開くと外は眩しく晴れていて、太陽の高さから察するに既に昼を過ぎていそうだ。
 一晩中仕事という事は家主のアバッキオはそろそろ帰ってくる頃だろうか。礼も言わず帰るよりも帰宅を待ち――
――ピンポン
 やはり耳慣れないインターホンの音。モニター付きの物ではないので誰が押したかわからない。
 アバッキオならば鍵を開けて入ってくる筈だ。前日に夜間の任務を入れてこんなに朝早く――と呼べる時間ではなさそうだが――に人を招く予定を入れるのも可笑しい。
 何かしらの勧誘かもしれないが届け物の可能性も有る。後者ならば一晩泊めてもらっておきながら受け取る事もしないのかと言われかねないのでジョルノは玄関へ向かった。
「何方(どなた)ですか?」
 ドアスコープから覗く事も無くやや無愛想にドア越しに尋ねると。
「俺」
 一言だが声で誰かすぐにわかったのでジョルノは鍵を外しドアを開ける。
「ミスタ!」
 嬉しくて一昨日の夜以来の笑顔になってしまった。
 対するミスタはその反応に呆れたような表情をしている。
「……あ、アバッキオは未だ帰っていないみたいです。僕も今起きた所でよくわかりませんが」
 他人の家から我が物顔で、まして寝起きで出迎えるのは宜しくなかった。
 髪は編んだままで乱れている。服も昨日からずっと同じ物。こんな姿を見せられてはミスタも反応に困る。
「上がって一緒にアバッキオの帰りを待ちましょう」
「……ああ」
 歯切れの悪い返事だがミスタは入りドアを閉め鍵も掛けた。
 ジョルノはダイニング――リビングも兼ねているのでかなり広い――テーブルに向かう椅子を引き座る。
 もう1脚余り使われていなさそうな方の椅子に、しかしミスタは座らずそのダイニングテーブルに持ってきていた紙袋をどんと置いた。
「これは?」
「お前の服」
「有難うございます」
 着替えを持ってくれるとは気が利き過ぎている。
 これでシャワーも浴びられれば最高なのだが、勝手に使ってはアバッキオに何を言われるかわからない。
「多分全部入ってる」
「全部?」
 かなり大きな紙袋だが、中身いっぱいに服を入れてきたのだろうか。
「風邪はすっかり治ったみたいだな!」
 ぱぁと明るい、よく見せる笑顔。数秒前の詰まらなさげな顔やぶっきらぼうな物言いが嘘のよう。
 ミスタに限らず人間誰しも色んな側面を持っている。お調子者だったり、意地悪だったり、泣き虫だったり、クールだったり――ミスタに限ればピストルズのように。
「見ての通りすっかり治りました。腹が減っている位です」
 昨日の朝食から丸一日以上何も食べていない。
「ジョルノ! 何カ食イニ行コウ!」
「行きましょう。何が良いですか?」
「スパゲッティ! アバッキオの部屋カラ近イ所にペコリーノチーズを大量ニ掛ケル店ガ有ルラシイゼ!」
「それは美味そうで……あ、れ……」
 ジョルノは何度もきょろきょろと辺りを見渡す。今、自分の周りをふよふよと漂うピストルズと極自然に話をしていた。
 セックス・ピストルズは弾丸サイズの小人型のスタンド。6人それぞれ別個に意思を持つ。額にはそれぞれ1、2、3、4は居なく5、6、7の文字が有り、それぞれ顔立ちが違う。
 ミスタの記憶と共に何処(いずこ)かへ封じられていた彼ら6人が、今全員目の前に居る。No.2に至っては頬に頬――というよりNo.2は全身――を擦り寄せていた。
 NO.2の頭部を人差し指で優しく撫でてみる。
「貴方達は、一体……ミスタ?」
「記憶が戻った」
 歯を見せる爽やかな笑顔。
「全部思い出せたぜ。忘れてた時の事を忘れたとかも無い」
 ミスタがなあ、と声を掛けるとNo.7が彼の肩に立った。
「有難うな、ジョルノ。面倒見てくれて、世話焼いてくれて。お前が居たから何とかなった」
 何と言って良いかわからずジョルノは微かに口を開け固まる。
 良かった。おめでとう。一安心だ。
 拍手を添えて言わなくては。言わなくては、記憶を奪ったのが自分だと気付かれてしまうかもしれない。
 だが。
「ミスタ――」
「もう大丈夫だ。今までの事本っ当に感謝してるし何か飯でも奢ってやるぜ。今からはちと無理だから、また今度な」
 心臓がバクバクと煩くて言葉が半分程しか聞こえてこない。
 否、聞きたくない、理解したくない。急いで聞こえないフリをしなくては。
「携帯壊れてるみたいでアドレス帳から結構な数が消えてたんだよ。で、残ってる奴に久々に連絡入れたら今から会う事になった」
 昨日振りの悪寒がぞくりと走った。
 記憶を飛ばしたその日に、ミスタが寝ている隙に女の名前の登録は全て削除した。間違って一般的には女性名とされるナランチャまで消してしまう所だった事も思い出す。
「会う前に、っつーか出来るだけ早く俺の部屋に置いてるお前の物返してやった方が良いだろ? もう泊まり込んで世話とかそういうの要らねーからな」
「それ、って……」
「泊まりに来るなって意味じゃあねーぞ。寮の門限過ぎちまったらまた来いよ。でもその時はその時で服とか貸せば良いだろ?」
 言葉の意味が理解出来てしまい、ジョルノは暫し忘れていた瞬きを意図的にした。
「あとお前寮に暫く帰ってないよな? 駄目だぜ、学生さんなんだからよ。授業もサボり過ぎだろ」
「でも僕が学校に行っていたら報酬が――」
「俺はもうこの通り1人で食っていけるぜ」
 ミスタの周りを浮遊するピストルズ。彼らが居れば弾丸の軌道を自由に操れる。
 すっかり元の拳銃使いのミスタだ。任務が回ってこないので金銭面に苦労し、生活費の心配の要らないジョルノの収入――任務報酬。植物や小動物を産み出せるスタンド能力は勿論、学生らしい容姿を活かせばスリを働くよりも効率的に稼げる――を合わせる必要は無くなった。
「明日の偵察も任されたしな。記念すべきグイード・ミスタ様復帰第一陣! その前に、今日はちっと楽しい思いしてくるわ。じゃあ」
 くるりと背を向ける。
 歩き出せば当然遠ざかる。記憶を奪った後には何度も抱き付いた背が離れてゆく。ピストルズも彼の『中』に戻ってしまった。
「待って!」
――ガタン
 手をついたダイニングテーブルが音を立てる。
 何の事やらとミスタは立ち止まり振り向く。そして自然に中世ヨーロッパの老紳士が挨拶時にするのと同じような仕種をした。
 帽子を軽く持ち上げ頭を見せる作法。映画の中ではシルクハットだが、ミスタの場合はいつもの銃弾を隠している帽子。
 前髪の生え際辺りまでしか上げないので頭頂は見えない。代わりに額は見える。
 傷の痕。
 内側から裂かれ、ジッパーで無理矢理塞ぎ、外科で応急手当てをしたらしい小さな傷痕の位置は、ジョルノがミスタの脳味噌に肉の芽を植えた位置を思わせた。
 肉の芽が取れてしまったのか?
 まさか高熱に魘され(うなされ)て精神が弱った時に肉の芽も暴走してしまったのか?
 聞こえたミスタの悲鳴はそれが原因か。肉の芽を抜き取り傷口を塞いだのはブチャラティのスタンドか。今朝行ってきたらしいアバッキオが言っていた『専門医』とは脳外科の事か。
「……その傷、どうしたんですか?」
 絞り出した声は自分の心音で聞こえない程に小さい。
「昨日の昼前、お前寝かせた直後に頭が滅茶苦茶痛くなった。急に血も出てくるし、ブチャラティが止血して……そういやその時久々にスタンド見たな。で、病院行って手当てし直した後には全部思い出してた」
 記憶を失った原因がジョルノに有ると気付いているのかいないのか。
「普通に『怪我』だから蒸れるんだよなァ。でも銃弾足りなくなんのだけは勘弁」
 見せ付けたわけではないと帽子を直す。
 そうやって言い訳をして、予防線を張っただけでやはり見せてきたのかもしれない。
「俺はそうやってすぐ病院行ったけどよ、お前も一応診てもらった方が良いんじゃあねーか? 風邪も拗らせたら辛いぜ」
「……検討しておきます」
「病院嫌いか? やっぱお前は子供だな」
 にかと笑いまた背を向け歩き出す。そのままミスタは部屋を出て行った。
 静まり返った部屋は昨日の休憩室を思い出す。
 昨日のように人肌が、ミスタの肌が恋しい。声が、熱が、存在が。
 ジョルノを露骨に避け、手当たり次第の女性と関係を結んでいた頃の記憶を取り戻されてしまった。
 その記憶が失われていたのは誰が原因だと気付かなかったとしても、それでもジョルノが作り上げたあの関係には戻れない。

 夕刻に差し掛かるより前にアバッキオが帰宅したので紙袋を持って学生寮に帰った。
 大変世話になりましたと頭を下げると今日も明日も夜に仕事が入っているから泊まっても構わないと返された。慇懃無礼だと言われると思っていただけに驚いたし嬉しい申し出だが、荷物を持ち帰りたいのでと断った。
 その帰り道でブチャラティに電話を掛け回復を伝えると「明日は大事を取って休み病院へ行け」と言われた。
 有り難く受け入れて電話を切り、明日は昼から偵察――簡単な尾行――の仕事が有ると言われていた事を思い出し、それがミスタに渡ったと気付いた。
 寮に帰るのは随分と久し振りで隣室の住人に酷く驚かれた。にたついた顔で夕食の後話さないかと誘われたが気分が乗らないので病み上がりだからと断った。
 翌朝他の学生達と同じように登校すると、教師陣にもクラスメイトにも他学年の女子達にも驚かれた。授業は気が向けば受けに来ていたのだが。否、思い返せばここ暫くは来ていなかった。ミスタとの充実した時間を優先していた。
 数式を解いたり異国の言語を学んだり、飽きて手に持つ鉛筆にかじりついてみたくなったり。昼休みにそのまま校外へ出た。
 ミスタの住む、一昨日までは自分も転がり込み半ば共に住んでいたアパートの前まで来て、今は任務の真っ最中で誰も居ないからと踵を返し、2人で入り「美味いが量が少な過ぎる」という評価を下して以来入ってない飲食店でやや遅い昼食を取り、それからふらりとアジトへと向かった。
 全員出払っているかもしれない、とドアを開けるとデスクワークに取り掛かっていたフーゴがこちらを振り向く。
「ジョルノ? 今日も風邪で休みと聞いてましたが」
「……治りました」
 ぽつりと呟くとフーゴ――共に仕事をした時とは違う、いつも通りの見慣れた服装――は、ふぅと溜め息を吐いた。
「未だ安静にしておくべきだ。ただ休憩室はアバッキオが寝ているので、そうだな……向こうでコーヒーでも淹れますよ」
 フーゴの言う『向こう』とはギャングチームのアジトにしては随分と立派なキッチンの有る、企業ならば給湯室と呼ばれていそうな箇所。
 大きなテーブルに6つの椅子が有り、建前としては会議室だが実際は茶を飲むなり飯を食うなりにばかり使われている。
「僕が淹れます。区切りの良い所で休憩にしませんか」
「助かります」
 言って再びデスクへ向かう。小一時間前まで教室で見ていたクラスメイトの後ろ姿によく似ていた。

 2人きりでコーヒーを飲むのは初めてかもしれないフーゴが、カップを置いてからふと顔を上げた。
「ミスタの記憶が戻った事は聞いていますか?」
 いきなりその名前を出されて驚き、ジョルノは右手で持っていたカップを落とさぬよう左手も添える。
「……聞いています」
「アバッキオから?」
 フーゴもジョルノがアバッキオの部屋に泊まった事を知っているらしい。
「いえ、本人から。ピストルズにも会いました」
 相変わらず賑やかな面々。彼らの中央に居る恋人。
 恐らくもう手の届かない想い人。
「余りにいつも通りだから記憶が戻ったと言い出した時は驚いた。というより僕もナランチャもミスタに記憶が無い事をすっかり忘れていた」
 ナランチャと2人で居る時に聞かされたのか。そうだろう。フーゴとナランチャはいつも一緒に居る。
 仲睦まじく笑い合い、時には子猫同士がじゃれるように言い争う。何人たりとも邪魔の出来ない固い絆で結ばれた仲。
 とても羨ましく、妬ましく、憎らしい。
 カップを掴んでいる両手に嫌な力が入った。
「良かったですね、ジョルノ」
「何も良くない」
「え?」
 早口で吐き捨てるように言った言葉は聞き取れなかったらしい。
「フーゴ、その……ミスタは何か言っていましたか?」
「何か、ですか? そういえば久々に4つの中から1つを選ぶなと言われた。持っていた封筒の1つをナランチャに渡した時に」
 またナランチャの話か。
「ジョルノの事は軽く「無理にペアにしなくていい」という旨を言っていました。付きっ切りで世話を焼かせたと心苦しく思ったのかもしれません」
 そんな心配は要らないのに、側に居られて楽しかっただろう、とでも言いたげな呑気な表情をフーゴは見せる。
 自分達は仲良くやっているからと。嗚呼、同性(お前)に興味は有りませんよと異性(誰か)と居る所を見せ付けるなんて、彼らの間には先ず無いのだろう。
 がた、と音がした。数秒間を置いて休憩室のドアが開きアバッキオが出てきた。
 欠伸(あくび)こそしないものの目を強く瞑りながら肩を回している。
「……ジョルノ?」
「お疲れ様です」
 フーゴが立ち上がりアバッキオの分のコーヒーを淹れに向かう。感謝を述べながらアバッキオは椅子の1つを引いて座りテーブルについた。
「任務を終えて寝ていたんですか?」
「いや、任務前の仮眠だ。昨日は夜明け前に終わったから1度帰った」
 そして今日もまた夜間の任務に就く。
 6人のチームだが成人しているのは3人。成人に見えるのもまたその3人。賭場や酒場等に『客』として入れるのは3人しか居ない。
 その内の1人のミスタがスタンドを見られなくなった。スタンド使いが関わっている可能性の有る案件には出せなくなった。
 再びスタンド使いとなったミスタが過去のように夜の任務に配置されればアバッキオの負担も軽くなる。
 アバッキオにとっては良い事だ。人員配置を考えるリーダーのブチャラティにとっても。
 フーゴにとっても、ナランチャにとっても、ミスタ自身にとっても。記憶が戻り都合が悪いのはジョルノただ1人。
 僕が我慢すれば良いだけの話か……否、耐え忍ぶなんて僕の柄じゃあない。
 身構えて辛抱強く好機を待つ事は出来るが、諦念の中で息をし続ける等する気も無い。欲しい物は絶対に手に入れる。1番に、頂点に立つギャング・スター。憂いを帯びた顔をしてはいられない。
 しかしどうすれば、と両手の中のコーヒーを眺めていると入り口のドアが開いた。
「ブチャラティ、ナランチャ」
 アバッキオの呼び掛けに身を捻り入り口側を見ると呼ばれた2人が入ってきた。任務の首尾が良かったのかナランチャは上機嫌でにこにことしている。
「ジョルノ、風邪治ったんだな!」
「はい」
「病院には行っていないみたいだが?」
「……養護教諭に話して学校の近くの病院に行きました」
 ブチャラティの強い目に、ジョルノは同じような視線を返した。
「本調子なのに仕事が無いので学校に行ったんです」
 嘘。組織と癒着の強い病院にも学校指定の病院にも行っていない。今有る疲労感は体調の問題ではないので行く必要が無い。
「風邪薬は出たか?」
「健康体そのものなので何も出ませんでした」
 実際に診察を受けても栄養剤か何かを出されて終わりだろう。熱はこの通り下がり、咳も鼻水も喉の痛みも何も無い。
「フーゴ、ブチャラティ達の分もコーヒーを淹れられるか」
「いやいい、すぐに行こう。もしお前が行けるなら」
 行けると答えてアバッキオは立ち上がる。
 連日の夜の仕事を仮眠から覚めてすぐにこなすのも、漸く帰ってきて休む間も無く次の仕事に行くのも大変だろう。
 未だ日も暮れていないのだから夜の任務に赴く前にコーヒーの1杯でも飲んでいけば良いのに。
「お前達は帰って良い。明日は2人共昼前に来られるか?」
 リーダーのこの後の任務が終わるのは良くて真夜中悪くて明け方。隠れ家を意味するアジトとはいえ事務所として使っている以上、昼を過ぎても留守にしてはおけない。
「大丈夫です」
「オレも」
 予定の有無は2人セットなのだろう。
 ブチャラティの隣でへらつくナランチャを見た後に、淹れなくて良いと言われたコーヒーを手にしたままのフーゴを見た。言いようの無い不快感で眉に力が入った。
「昼過ぎにどちらか例の雑貨屋に――ジョルノ、お前はどうする? 仕事を入れたいなら雑貨屋に行ってもらうし、もう少し休んでも良い。人の居ない所で休みたいなら俺の部屋に来ても良い」
「ミスタは?」
「明日は夜にボディガードの任務。あとつい先刻直帰しても良いかと連絡が有った」
 偵察任務の結果、特に何も無かったのだろう。
「ボディガードは1人で?」
「いや、デカい賭場で幾つかのチームからも人が入る。ミスタと馴染みの奴も居るから途中で寝腐ったりはしないだろう」
 流れでミスタとジョルノが組んで、という事は無さそうだ。
 せめて任務の間だけでも仲間を越えた相棒として共に居たいという願いは叶わない。否、そんな女々しい事を願って等いない。
「……明日も休みます」
「病院に行くならすぐに診てもらえるよう俺の方から連絡をしておく」
「風邪はもう大丈夫です。明日も学校に行くだけです」
 もう話は終わったとジョルノはテーブルへ向き直る。
 これではアジトに冷めて不味い、苦いだけのコーヒーを飲みに来ただけだ。
「あ、行く前にちょっと」フーゴが早口で「今晩の仕事は駅奥の飲み屋街の見回りですよね? なら車は使わない筈だ。使って帰っても良いですか?」
「構わないぜ」
 乗って帰って、明日乗って来れば良い。
「それじゃあ行ってくる」
 飲み屋街なら尚の事未だ早そうだが、ブチャラティはアバッキオをすぐ後ろに従えて事務所を出た。
「行ってらっしゃーいッ!」
 ドアが閉まってもナランチャは大きく手を振り続けた。余程今日の任務が満足のいく出来だったのだろう。
 そのままジョルノの隣に座る。その目の前にフーゴがアバッキオの為に淹れていた筈のコーヒーを置く。
「2人共、飲んだら帰りましょうか。送りますよ」
 任務の成果ではなく、好きな人が淹れたコーヒーを飲み好きな人の運転する車に乗れるから、ナランチャは浮かれ調子なのかもしれない。
「送るってオレの家まで? 今日何か用事有るのか? フーゴん家泊まっちゃあ駄目?」
 問われたフーゴはすぐには答えずに視線を彷徨わせた。
 良いに決まっている。しかしそれを他者(ジョルノ)の前で言うのは憚られる。
 単に想像されたくないだとかの理由だろう。決して上手くいっていないジョルノに気遣って、ではない。
 今回は違えどそういった意味でフーゴは頭が良く一応気も利くが、ナランチャは気付かないし考えもしない。
 ミスタが記憶を失った事もよくわかっていないのかもしれない。失った後に、ミスタとジョルノとが結ばれた事を真っ先に気付いたように「2人共最近凄ぇ仲良しだな」と言ってくれたのに。
「洗い物頼みます。さよなら」
 ジョルノは言い捨て立ち上がった。
 自分がこんな口調で言われては気に障るような事をしたのかと考えるか、そもそも気に障るのに。
「ジョルノ、待って下さい。車で送りますから」
「要りません。お先に失礼します」
「学校の寮じゃあなくてミスタん家に行く?」
「要りません!」
 運転するのは自分ではないのに。そう思い声が大きくなった。すみません、と付け足す。
「風邪で落ちた体力を取り戻す為に歩いて帰りたいんです」
 余りにも適当な言い訳に、今までなら自分で笑ってしまったかもしれない。
 心配そうな声音で話し掛けてくる2人を置いてジョルノは事務所を出た。

 明日学校に行くと言った手前学生寮に帰らなくてはと思っているのに、足はアジトを出てミスタの住むアパートの有る方へと向かう。
 ブチャラティが直帰しても良いか尋ねられたと言っていた。偵察任務を無事に終え少し早いが家に戻っているかもしれない。
 もしくは飲みにでも出たか。仕事が早く終わったから行きつけの店に顔を出したり、行きつけになるような店を探したりする人間は多い。年長者2人は何軒の酒場を見て回るつもりかわからないが、店舗数を考えればこの時間から行動しても確かに可笑しくはない。
 ミスタもそうなのか、ジョルノ自身も将来そうなるのかはわからない。だから「もしかしたら」なんて思っていない。
 そう言い訳をしながらも飲食店が密集している方面へと曲がった。
 通りを1本挟んで、もしかしなくても誰だかわかる後ろ姿が目に入った。体型も服装も絶対に見間違わない。
「ミスタ!」
 名を呼ぶと振り向いたミスタの元へ駆け寄る。
「だぁれ?」
 ミスタ自身の返事より先に彼と話していたらしい女が声を発した。
「友達」
 短い単語がジョルノの足を止める。
 そんな簡単な言葉で済まされる関係でしかない。否、仕事仲間と言われないだけマシだ。
 どこぞのパーティにでも行くのかと言いたくなるような服装の女は化粧の濃さからして商売女、娼婦だろうと推測出来た。
 若く背が高く細身で、染め上げた金髪を派手に巻いた、それらが似合うような美女。目鼻立ちが濃くどこかエキゾチックに見える。
 そちらの方は、とは訊かない。訊けない。「見りゃあわかるだろ」と返されたくないし、実際にもう予想が付いていた。
 よく言えばコンドームの販売員。路上で男――女も希望者には対応するのだろうか――に法外な額で売り付け、客の家なり販売員に宛がわれたアパートの1室なりで使い方を伝授してくれる。
 組織の下部にもそういった仕事をしている女や斡旋している男が居る。偶々販売員の女と友人なだけと思える程察しが悪ければ気苦労の無い人生を送れるのに。
「そうだジョルノ、病院どうだった?」
 行ってないとは言えず。
「部屋に行きたいです」
「あ? 部屋って、俺の?」
 頷くと露骨に嫌そうな顔をされた。
「紙袋の中身、全部じゃあなかったので……」
 中身等見てもいない。寮の自室の中央に、無造作に置いてある。
 ミスタは顰め(ひそめ)ていた眉を戻した。
「マジか、悪いな」
「変な所にしまったのかもしれない。だから一緒に探したかったんです」
 嘘に嘘をどんどん積み重ねているが、今更罪の意識なんて物は生まれない。
「じゃあまた今度にするか」
 ミスタが女の方を無くとその売女は腕に腕を絡ませる。
「探し物が終わったら連絡くれても良いわよ」
「仕事真っ最中には出るなよ」
 くすくす笑いながら話し合う2人に今度はジョルノが眉を顰めるが、傍から見れば「大人のジョークを理解しない潔癖な子供」にでも見えていそうだ。
 じゃあ、と女は手を振って大通に面する方へと姿を消した。
「それじゃあ帰るか――いや、家行くか」
 つい一昨々日までは同じ部屋に帰っていた。記憶を取り戻したからといって、その仮初の記憶を手放したわけではない。
 習慣でぽろりと零れた『帰る』という言葉をわざわざ訂正されたのは不愉快だ。帰ろう、と言ってほしかった。共に同じ家に帰りたい。
 肉の芽を埋めていた期間の事を覚えているのだから、寝る前に寝ていた事も覚えていながらこの態度。忘れたい、認めたくない出来事に分類されているのだろう。
 大股に歩き出してしまったミスタを小走りに追い駆けた。並んでは咎められそうで、少なくともまた不機嫌な顔をされそうで、2歩分後ろを歩く。
「あーあ、折角明日の昼まで空いてんのになぁ」
 つまらなさげに手を頭の後ろで組んだ。
「昨日出来なかったんでここ暫くヤッてねぇし、可愛い子見付けたってのによぉ。ツイてねぇなぁー」
 3日前に自分とした事はカウントしないようだ。
「まあジョルノの忘れ物がすぐに見付かりゃあ良いだけの話か」
 追い返し女を招く。2人で寝たあの部屋で、聖域にも思えるあのベッドの上で。
「……僕が相手をしますよ。明日も休みですから」
 似たような背丈をしていたし、髪の色だって似ていた。一層『女の代わり』でもいい。機会が有ればそこからどうにでも出来る。
「男友達と遊びたい気分じゃあねーの」
 振り向きもせずに答えた後に会話は続かなかった。

 ミスタがアパートの鍵を取り出し開ける。何も言わず中に入るのに続きジョルノも無言で入る。ただいまと言いたかった。
 ジョルノがドアを閉めて鍵を掛ける。2人で家を出る時はジョルノが開けてミスタが閉めていた。合鍵を作ろうと話したのはきっと無かった事にされている。
「好き」
「あ?」
 ぽろりと零れた言葉を聞き取れなかったミスタが振り返る。独り占めしたい。そう思い首にしがみつくように抱き付いていた。
「……ジョルノ?」
 少しだけ背伸びをして肩に腕を乗せる形で。
 人前では流石に出来ないので帰宅するなり抱き付いていた日々を思い返した。出迎えるミスタはいつもすぐに抱き締め返してくれるし、キスだってしてくれる。
 肉の芽に支配されていれば。
「おいジョルノ、一体どうしちまったんだよ」
 言うだけで一向に抱き締めてこない。
 嫌悪して引き離そうともしないが、本気で動揺している様子も無い。
「貴方の事が好きです」
 こうしてきちんと言葉にして伝えてこなかった自分が悪いと思う事で自分を慰めていた。
 だから今敢えて告げた。きゅっと瞑ってしまった目を開けて現実と向き合う。
 目の前にはピストルズが6人揃っていた。
「何カ言ッテヤレヨ」
「ジョルノが可哀想ダ」
「言う方が可哀想だろ」
 嗚呼、可哀想な答えが待っているのか。
 そう悟ったのが顔に出たのか、No.5が――いつも通りの――泣きそうな顔をして大慌てで頬に体を寄せてくる。
「自分ノ気持チヲ言オウヨ」
「人間はスタンドと違ッテ『世間体』ガ有ルトはイエサァ」
「いいんだ、ピストルズ……有難う……」
「違ウ、違ウンダゼ、ジョルノ」
「俺達はジョルノが大好キナンダ」
 1番好きなのはジョルノなんだ。
 本体の精神力をヴィジョン化した存在がピストルズなら、悲しい顔をされると悲しい程に好きという気持ちは――
「お前ら煩ぇぞ!」
 耳元で大声を出されて煩かった。
 一喝されてピストルズは全員その姿を隠す。
 彼らは恐らく肉の芽に気付いていない。一時的とはいえ存在を消されていたのはジョルノの所為だと知ったらこんなに好意を寄せてくれないだろう。
「僕もピストルズが好きです」腕を、体を離し、しっかりと顔を見て「それ以上にミスタが好きです」
 ミスタは目は逸らさないものの戸惑いの表情を浮かべていた。
 避けないでほしい。わざと見せ付けないでほしい。こちらの願いはそれだけだ。
 そちらの気持ちは一層言わないでくれても構わない。ピストルズが好きと言うのだからミスタも好きだろう、と思い込んでいられる。
 しかしこれでは結局現実を見ていない。
「……俺は男で、俺達は男同士だぜ」
 ピストルズに向けたそれとは違う低くも小さな声。
「そんな事はわかっています。でもそれがどうしたって言うんですか」
「どうしたって、お前わかってんのか?」
「もし「お前は男だろう」と言われたら、それは貴方が女が好き――この言い方では意味が違うか。貴方が男は好きにならないと言いたいのなら、僕が女になればいい」
 ゴールド・エクスペリエンスで体を少しずつ作り替えれば良い。籍の改竄はギャングともなればそれ以上に簡単だ。
「そんな事したらお前じゃあなくなっちまうだろ!」
 慌てた様子でがしりと両肩を掴まれる。驚いたし、先程のNo.5の慌て方を思い出した。
「今度は男の僕を好きだと言って抱いた記憶を失ったんですか?」
 ミスタからの好意を確信して強気に出てみる。
「忘れるわけ無ぇだろーがッ!」
 唾の掛かる勢いで怒鳴られた。
「僕も忘れていません」今度は軽く目を伏せ「いつもミスタは優しかった」
「お前だっていつも最高だった。でも……神様に怒られちまう」
「神様?」
 眉を寄せ再度目を開けた。目の前で盛大な溜め息を吐かれる。
「神様に見放されちまったらどうすんだ。今まで感じてきた幸運が全部無くなるかもしれないんだぜ。まして嫌われたらどうなる? きっと天罰が下っちまう」
「貴方の近くに居られない事が天罰だとでも?」
「そうじゃあねーって! だから、俺は……お前を『罰当たり』にしたくねぇんだよ……」
 溜め息交じりの声で言い切ったミスタはがくりと項垂れた。
 ジョルノはその左頬にそっと右手で触れる。
 無理矢理に持ち上げたりこちらを向かせたり、引っ張って変な顔にしてしまえるが、今はそうしない。
 恋敵(ライバル)はどうやら世の女達ではなく神様らしいと知る事が出来た。
「僕達に天罰を与えようとする神様なんて、僕がブン殴ってやります」
 頬に優しく触れているこの手で。
「……発言が既に罰当たりときたか」
 少し顔が上がって見えた口元に微かな笑みが浮かんでいる。
「僕はギャング・スターですよ。1番になるんです。先ずは手始めに貴方の1番に。貴方の信仰する神様よりも上に立ちます」
 神を貶すつもりは無い。しかし神に負けてやるつもりも無い。
 そこを退けと蹴りを入れて追い払ってやる。反撃される覚悟は今決めた。
「結構な事だ」
 頬に添えていた右手に左手を重ねてきた。呆れた物言いのわりには顔は笑っている。
「貴方も一介のギャングなんですから、神様なんかに怯えないで下さい。感謝をするのは良い事ですが」
 ジョルノはするりと手を抜いた。
「昨日寄越した紙袋に僕の物を全部入れたんでしたね」
 そしてその手を、甲を上にしてミスタの口元へと寄せる。
「今日は俺の服貸すわ」
 差し出された手を恭しく右手で支え持つ。本来ならば頭(ず)が高いが今は指摘しないでおいた。
「良いですね。ミスタの服を着るの、結構好きですよ」
「って言ったけど裸のまま寝かせたら悪い」
 ジョルノはぺち、と軽く手の平を叩く。
「また風邪引いたら困るから、ちゃんと服着せてやるって」
「風邪移りませんでした?」
「そもそもあれ本当に風邪だったのか?」
 さてどうだろう。もしかするとあの高熱こそ天罰だったのかもしれない。同性同士で愛し合う事への。或いは人の心を操作した事への。
 肉の芽は取り上げられたが互いの気持ちは変わらないという事は、既に神にも勝って(まさって)いるのではないか。
 ジョルノは改めてミスタの手の平に手を乗せた。
 忠誠を誓え。
「風邪からも神からも何からも、貴方を守ります」
「それはこっちの台詞」
 愛する者に仇を成すなら今まで幸運を与え続けてきた神をも撃ち抜ける。
 言葉にはしないが手の甲に唇が触れるだけで全てわかった。

 

 

 知らない人間が見れば2人は若い恋人同士に見えるだろう。グイード・ミスタはそれを悪いとは思わない。
 元より年下が好み。トリッシュ・ウナは3つ下なので年齢としては丁度良い。
 彼女は容姿も優れている。赤毛のショートヘアは好みとは違うがよく似合っている。
 四角く白い皿の中央に乗せられたティラミスを細い銀のフォークで切り口へ運ぶ様子も様になっていた。
「折角ネアポリスまで来たっつーのに俺以外とは会ってかねーのかよ」
 ずずと音を立ててカプチーノを啜りながら尋ねる。
「ええ」
 レモン水で口の中の物を飲み込んでからトリッシュは答えた。
「だって他の皆は彼氏と会った事無いもの。誤解されたら困るの」
 恋人にチームの他の仲間達も紹介すれば良いだけの話ではないか。
「フーゴとか特に誤解されそう」
「そうかあ?」
 トリッシュの恋人は顔でも声でもないが髪や雰囲気が何と無くだがブチャラティに似ているのでブチャラティこそ誤解されそうだ。
 紹介したからではなく好みとは違うからといった系統の理由で自分は誤解されないのだろうと気付いたミスタはカップを置く。
「まあ彼氏さんと順調みたいなら何よりだ」
「そっちは? 彼女出来た?」
「前に会ってから出来て別れて出来て別れて、フラれてばっかだな」
 歴史が有り荘厳な雰囲気も有り大勢の客で混雑している、沢山の肖像画の飾られたカフェでする話題にしては虚しい。
「何でフラれるかわかってんの?」
「おいおい説教かよ、勘弁してくれ」
 わざとらしくテーブルへ突っ伏した。
 続かない理由は自分でよくよくわかっている。
「俺好きな奴居るんだよ」
「ふぅん」
「ワンナイトとか商売女とかじゃあなくて、いざ付き合うと……女ってそういうのすぐ勘付くよな」
 浮気・二股を疑われバッサリとフラれるなら未だマシな方で――それでも平手打ちを喰らった際には頬も心も痛かった――貴方は私を見ていないと泣き出されるタイプが最も困った。
 むくりと顔を上げるとトリッシュが目を丸くしてこちらを見ている。
「今好きな人が居る、って意味じゃあないの?」
「いや今もそいつの事好きだけど」
 世界で1番、誰よりも。愛しているなんて陳腐な言葉では足りない。
 この楽しい人生の全てを捧げられる。なんて事を自分のような人間が言っては逆に笑われる。だがそれが、それ程の想いがグイード・ミスタの中に有った。
 一時期は外にも出していたが、今となっては兎に角秘めている。
 誰にも気付かれないように。特に相手には好かれていると思われないように。
「ずっと好きな人が居るのに違う人と付き合ったの? っていうかワンナイトって何よ、何考えてんのよ。しかも金払ってまであれこれするとか気持ち悪ッ」
 一気に捲し立てられた。
「あのなあ、俺ギャングだぜ? 合意の上とか金払ってとかじゃあなくそういう事するってなると、残るは――」
「そういう話をしているんじゃあなくて」
――カンッ
 フォークで皿を叩く小気味良い音。そしてトリッシュの軽蔑の目。
「彼女相手でもないのにそういう事したがるのは気持ち悪いけど、それよりアンタがわかんないわ。その好きな人を彼女にして、そういう事したいって思わないわけ? その人は特別だから触れない? 何かクラスの女子と話しているみたいだわ。もしかしてその人にもうフラれてるのに未練がましく想ってる? まさかその人は結婚しているとか言わないわよね?」
 一体どこから答えれば良いのか。
「最後のが1番近い」
「何よアンタ、旦那さんが居る人好きになっちゃったの? まあそれだけ魅力的な人なんだろうけれど……」
「違ぇーよ。でもまあそんな感じっつーか………好きになっちゃあ駄目な奴が好きなんだよ。好きになられちゃあ駄目な奴が」
 トリッシュは「小難しい話ね」と呟きフォークを手に取り直す。
 ティラミスを口に運ぶ。甘いだけのケーキなんてお呼びではないと言わんばかりのツンとした顔が右を向いた。
 店内を眺めて再びミスタへと向き直る。
「どうして駄目なのか聞いても良い?」
 少し声を潜め、気持ち身も乗り出してきた。
 可愛い。顔も声も仕草も興味の向け方も。女子として申し分無い。
 そんなトリッシュに引かれるのではないか、と一瞬思った。先程恋人事情ならぬ性事情を話し既に引かれている事を思い出した。ミスタは顔だけではなくしっかりと体も起こしてもう一口カプチーノを啜る。
「……男」
「嘘ッ!? あ、ゴメン」
「別にいい」
「ちょっと意外過ぎたわ。私アンタの事単なる女好きみたいに思ってたから」
 寧ろそこに謝ってほしい。
「偏見とかそういうのじゃあないのよ」
「構わないぜ、偏見持ってくれたって」
「本当にそういうのじゃあないわ!」
 声を大きくし過ぎたと気付いてトリッシュはレモン水をごくりと飲んだ。
「まあアンタ確かにゲイとかそういう方面にモテそうといえばモテそうかもしれないわね」
「アイツはそういうタイプじゃあねーよ」
 カップを置き頬杖を突き、『アイツ』を思い浮かべる。
「見た目からして余り男っぽくねーし。女顔ってわけじゃあねぇが男の俺でも美形だなーって思う顔してる。細くて未だちっこくて、髪伸ばしてるから余計に男っぽくないっつーか、でも中身はそんじょそこらの男より、俺なんかより余程男らしかったりはする。覚悟が決まってて、どこまでも信じてついていける。だから人間としてスッゲー好き」
 どんな人間なのか考えるようにトリッシュは眉を寄せた。
 ここだけを聞けば出来た人間に憧れを抱いている、というだけにも思えるだろう。
「でもふわふわした金髪とか白っぽい肌とか、触りたくなっちまうんだよ」
 トリッシュが1度深い瞬きをする。
「よくわかんねーけど滅茶苦茶良い匂いするし、憂いの帯びた顔っつーの? ゾクゾクするもんが有るんだよ。最近そういう顔ばっかしてるから、いやそういう顔させてんのは半分位俺に責任有るんだろうけど、でも堪んねーんだよなァーッ!」
 とどのつまりは性欲も向けていた。
「気持ち悪っ……まあでも、それだけ好かれてるなら相手も悪い気はしないんじゃあない? 実際に髪とか顔とか触ったら駄目だろうけど」
「俺がフラれるとかフラれないとかの話じゃあねーんだって。好かれてんだよ、だから困ってんだよ」
 髪も顔も触ってもらいたいと思っているだろう。こちらも触ってしまいたいと思っている。ミスタははぁと溜め息を1つ吐き、低い声を更に低くする。
「男同士なんて神様が許すわけねーんだから」
「神様って、アンタ……何言ってんの? 随分信心深いのね。宗派は?」
 同性愛を禁じている宗派こそ神父による男児への性的虐待が有ったりする、と言われそうだ。今までそう言い訳したい気持ちを抑えてきた。
「俺はどうなっても良いんだよ。今まで通りにやりたい事やって、アイツにヤりたい事全部ヤッて、結果ゲイだの何だので石投げられて、通報されて午前中に穴掘って午後にその穴埋める生活したって構わねー」
 それだけで済むならこんなにも思い悩まない。
「アイツを罰当たりにしたくねぇんだよ」
 彼は未だ子供だ。身近にもっと子供っぽい人間が居るので忘れがちだが実年齢は彼の方が幼い。未だに学校にも通っている。
 神に背く人生を歩ませられない。
 ただでさえ何を間違ってかギャングという夜の道を歩いているのに。
「明日一緒に任務なんだよなァ……昨日わざと女と居る所見せて以来だから会うのキツい」
 別々の仕事を任されていたが揃って早く終わった。一緒に帰ろうと言われるより先に事務所代わりのアジトを出て、早い時間から『立ちんぼ』をしている娼婦を買い、わざと彼の帰り道を通った。
 目が合ってすぐ走り出した。学生寮の自室まで全力疾走しただろう。初めて見る泣き出してしまいそうな顔を思い出して胸が痛む。
 ミスタはカップに口を付けたがもう空になっていた。
「でも会えると思うと、話せると思うと楽しみだったりすんだよ。うっかり一昨日のあれは誤解だ何だって言っちまいたい」
 その衝動を抑えるのがまた厄介。
「明日の任務って何するの?」
「学生に麻薬流してる奴とっ捕まえる。俺は足撃つ係。場所は今使ってない工場の裏だから来るなよ」
「行かないわよ、明日の昼前に帰るもの」
 レモン水のグラスを持つ手の小指が少しだが上がっている。
 実に女らしい仕草で、彼は先ずしない。嗚呼、暫く彼と2人でカフェに行っていない。彼の気持ちに気付いてからか、自分の気持ちに気付いてからか。
「天罰全部俺に下るんだったら、好きだって言っちまうんだけどなァ」


2018,12,31


どうしても書きたかったけれど本編に付け足したら違和感の生まれそうな前日譚を書いてしまって。
一層後日談の後ろにくっ付けて完結!みたいな感じにしようと思ったら長くなったね…?
<雪架>

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