ミスジョル 全年齢 フーナラ要素有り

関連作品:The Pill(利鳴作)


  Guancia Cadere


 自分に向かって何か言われた事はわかったが余りにも頭痛が酷くてよく聞こえなかった、正確にはその言葉が理解出来なかったのでミスタは「何だ?」と聞き直した。
「一緒に飯でも行かないか、と言ったんだ」
 リーダーのデスクについたままブチャラティがもう1度言ってくれる。
「飯? 晩飯?」
 ブチャラティの他に誰も居ないから──居たとしても気にしないが──空いているデスクに突っ伏していた顔を上げて尋ねた。
「そう、これからだ」
 手元の書類を避けたようなのでブチャラティの本日の事務仕事は終わったのだろう。
 一方自分の仕事はこの後だ。数件の飲み屋のみかじめ料の徴収。時間は決まっていないし、寧ろ遅い方が都合が良い。だから先に夕食を済ませても良い。
「シカゴピザはどうだ? 言い出した上司の俺が奢るぜ」
 有難いお言葉だ。しかもブチャラティは田舎に親戚が居て訪ねたらこうしてくれるだろうと思える程食べさせてくれる。
 だが。
「いや……止めとく」
 奢りの誘いを断るなんて自分らしくない。ブチャラティもそう思っただろう。
 しかし立つと足元がふらつく今、折角の美味い物を食べても味がわからないかもしれない。
「……昨日と違って鼻詰まりは治ったんだけどよォ」ついでに下痢も治った、のだが「どうせならもっと本調子! って時に美味い物食いたいって、誰だって思うだろ?」
「今日の晩飯はどうするつもりだ?」
「んー……」
 誘いが無ければこれから回る飲み屋の中のどこかで済ませるつもりだった。
「……ま、今日は食わなくても良いかな、なんて」
「帰れ」
「え? 何今俺怒られてる?」
「今日任せる予定だった店は俺が回る。明日の仕事も他の奴に割り振る。だからミスタ、お前はこのまま帰って明日は休みだ」
「何でまた」
「お前が飯を食わないのは明らかに可笑しい」
 判断箇所はそこか。
「一昨日はずっと鼻をかんでいて昨日は鼻声だった。そもそも一昨日位から余り食っていないようだな」
「昨日は一応飯食ってるけど……」
「では今日は?」
 はて何か食べただろうか。昼過ぎに恋仲のジョルノ──今はナランチャと共に「大金を払うから」と頼んできた著名人のボディガード任務に就いている──と事務所を抜け出してジェラートを食べたが、それ以外にミスタ自身は昼食と呼べる物を食べていない。朝も寝坊した事にして食べてきていない。
 だが未だに何か食べたいとは思っていない。食べる気がしないが飲み物は飲んでいるし、腹が空いている気はする。
「食欲が無いだけで恐らく風邪か何かだろう。明日起きても未だ辛ければ耳鼻科か内科に行け。今日はもう帰って飯を食って寝るんだ。風呂には入らない方が良い。風呂で温まる事は風邪の予防には向いているが風邪を引いた後には体力を使い過ぎる」
「はあ……」
「気の無い返事だな。まあ風邪を引いた病人ならそうもなるか」
 ブチャラティはデスクの引き出しから何かを取り出した。
 こちらに歩いてくる。ぼーっと眺めていると目の前に立ち、その取り出した何かを手渡された。現金だ。
「……お小遣い?」
「タクシー代」
 だから早く帰れ。

 36.5度を平熱として。
 37.0度は微熱。疲れが溜まった時のような、怠さは有るが動けるので余計に疲れて寝ようとしても眠れない状態。
 37.5度なら発熱らしい発熱。未だ上がる場合は寒気がするし、もう上がりきったなら大量の発汗で更に体力が奪われ、寝ても寝ても未だ眠れる状態。
 38.0度は最早高熱。激しい頭痛の所為で体の浮遊感を万能感と錯覚し、いつも以上に動けるような気になってしまう。
 発熱の理由が感染症のような他人に移す物であれば微熱が1番恐ろしい。動けない発熱、もしくは不調──異常──を自覚している高熱と違ってばら蒔きかねない。
 天井を眺めながらミスタはジョルノとした世間話を、風邪なんてもう何年も引いてないと言ったらそれは良い事だと返された時の事を思い出していた。
──インフルエンザは39度近い発熱が有るので風邪の上位互換と思われがちですが全く違います。ああ39度と言えば、大半のガン細胞は39.5度の熱で活動を停止するそうです。他にも色々な細胞に影響が出るので治療には用いれませんが。
 昨晩──普段の生活時間を考えれば晩とは呼べない時間に──ブチャラティに帰されたあの時がピークだったのか、タクシー代で『今度』美味い物を食おうと歩いて帰ってきた。問題無く帰りついたが、今すぐではなく今度と思った辺り不調の自覚は充分に有る。
 それから着替えも何もせずにベッドに入って、途中フラフラとトイレに行き水を飲んだ以外はずっとベッドの上。
 ずーっと眠り続けていたお陰で熱がある程度下がったのか、それとも眠り過ぎたのか、目が覚めてから眠れなくなってしまった。
 しかしベッドから起き上がるだけの体力も無い。体は疲れきっているし、頭が回らないので何を出来るでもない。
 時計を見る事は出来た。昼間と言われる時間だった。1人で12時間以上ベッドの上で過ごす事は今まで無かったので嬉しくない初めての経験だ。
 休みにしてもらって良かったってやつだな……
 高熱が有ったらしい昨日よりも、常に鼻をかんでいた一昨日よりも、ずっと辛い。寝て起きて元気になる、が出来ないのは肉体面だけでなく精神的にもくるものが有る。
 発熱していると寝ても寝ても回復しないし、恐らく今そうであろう微熱だとどうにも寝られない。
 横になり動かず目を閉じれば擬似的に寝た事にならないだろうか。ならなさそうだが取り敢えずミスタは目を閉じた。
──ピンポーン
 そのタイミングでドアホンが鳴ったのでイラッときた。応対する体力は無いので苛々しなくとも居留守を決め込むのだが。
──ガタガタ
 これ、入ってきてねーか?
 物音といい気配といい、ドアホンを鳴らした者がそのまま部屋に入ってきたように思える。
 真っ昼間だが泥棒が不在を確認して入り込んできたのか。
 だが無理矢理解錠したりドアを壊したような音は聞こえなかった。
 アパートの管理人なら鍵が有るので開けられるが警察からの要請でも無い限りそんな事はしないし、そもそもずっと部屋から出ていないと事件や事故を疑われる程寝込んでもいない。
 他に静かに入ってこられるのは何にでもジッパーを取り付けられるブチャラティと、無機物を植物に変えられるジョルノと、あとは飲み屋で盛り上がった時に数時間要するがヘアピン等で家の鍵を開けられると豪語していた飲み仲間位か。
 互いに素性を細かく知らない程度の友人が家を探し出してアポ無し訪問をするわけが無いのでブチャラティかジョルノか本当に泥棒の類いか。
 人の気配は潜めた足音と共に寝室へ近付いてくる。
 入ってくるであろうドアへ顔を向けた。
――ガチャ
「ミスタ、起こしてしまいましたか?」
 目が合い足を止めたのはジョルノ。
 手には中に色々と物の入っているビニール袋。表情を変えていないようで僅かに心配の色が瞳に浮かんでいる。
 ブチャラティに聞いて見舞いに来てくれたのだろう。移すかもしれないので近付かないように言わなくては。だが人肌恋しい所に恋人が来ては「早くこっちへ」と手を伸ばしたくなる。嗚呼、風邪で寂しさを覚える程に弱っていたのか。
 しかし可笑しな点が1つ。
 ジョルノの1歩後ろにメイドが居る。
 黒いヒラヒラのワンピースに白いフリフリのエプロンという出で立ちの可憐な少女。否、少年。顔と体型と髪型からメイド服を着ているのはナランチャだとすぐに分かった。
 分かったけれど納得してはいない。どういう事だ。何故ナランチャがここに、ではなく。ジョルノと一緒に居るのか、でもなく。
「何でメイドさん……?」
 久し振りに出した声は掠れていたがきちんと言葉になっている。
「貴方が「この服で看病すれば治る」と言った、と聞きましたが?」
 ジョルノの瞳に浮かぶ色が心配ではなく呆れに変わった。
「ンな事……いや……多分言った、けど」
 あれはメイド服ではなくナース服か。よく見れば確かに頭に載せてる髪飾り──ヘッドドレスではなくナース帽──に十字架が施されている。
 それこそ仕事も住所もよく知らない男だらけの飲み仲間と盛り上がり、次の店に行く道中のアダルトショップに入り「恋人に着せるならどれか」と大騒ぎした時の事。
 何も隠さない下着やエナメルボンテージ等も良いが──そういった露骨な方が好きだが先に取られてしまったので──性的な奉仕をさせたいからメイド服が良いと手に取った。
 メイドではなくナースだが献身的なのは良いとか、包帯で拘束とか夜の注射だとかで更に盛り上がり、冷やかしのつもりだったが引くに引けないので買った。
 この史上最大の無駄遣いをフーゴに押し付けた。人生の先輩として生真面目な彼に遊び心を教える云々の言い訳をしたが断られたので、フーゴと『親しい』ナランチャに押し付け直した。
 丁度フーゴが風邪だか何だかで顔を出さなかった日に、これを着た方が看病の効率が上がるとか適当な事を言って着せた。嗚呼言った。確かに言った。この口が「この服で看病すれば治る」と言っていた。
「ジョルノが1人で行くって言ったからこの服貸すって言ったんだけどさ」
 心配そうに眉を下げてスカートの裾を持つ姿は可愛らしいが、声変わりが未だかと思う程高いとはいえ声がナランチャでしかなく落ち着かない。
「サイズ合わないからって」
「ああ……」
 レディースサイズの服はジョルノには少し小さいだろう。後ろのファスナーが上がらないといった不名誉な事はしたくない筈だ。
「だからナランチャにもついてきてもらったんです。貴方の風邪がすぐに治るように」
 嫌味たらしい台詞にカチンと来るだけの元気も無い。そもそも素晴らしいまでの自業自得だ。
「じゃあナランチャ、すみませんが話した通りに進めていきましょう」
「おうッ!」
 何を話したんだ何を。
 そう尋ねるより先にナランチャはスカートの裾をひらりと翻して寝室の外へと小走りで出て行く。
 一応2人きりになった。
 ジョルノが静かにベッドまで歩み寄ってくる。
「ここ数日、辛そうでしたね」
 不健康そうな白さの手の甲が近付いてきた。目を閉じると額に乗った。
 ひんやりとして気持ち良い。
「不調なのは暫く任務で昼夜が逆転していたからだと思っていましたが」
「俺夜型だから」目を閉じたまま「早起きより夜更かしの方が得意だぜ」
「それは何より」
 手が頬まで降りてくる。手首を掴んでベッドへ引き摺り込みたい。しかしそんな体力は無い。
「沢山眠れましたか?」
「ああ」
 疲れが抜けたとは言い難いが、久し振りにぐっすりと寝た。寝不足も有ったのか。
 人間は眠る事でしか体力を回復出来ない、と話していたのも確かジョルノだ。何で読んだと言っていたかまでは忘れたが、マッサージを受けたり湯船に浸かったりする事は「癒される」と感じる反面体力を消耗する、と話していた事は覚えている。
「咳は出てねーから」
「はい」
「移さないと思う、多分」
「……ナランチャが戻ってきます」
 何を言いたいか見抜かれているようだ。
 肌や唇を重ねようとまでは言わないがせめて抱き締め合う位は許されてほしい。
 ジョルノもきっとそれなりにその気だ。ひやりと冷たい手が再び頬を撫で、その親指が唇に触れてきた。
「あっぶねー! 転ぶとこだった!」
 無視していたドタバタと煩い足音が遂に部屋の中まで到達してしまったので、無視しきれないナランチャの声と同時にジョルノの手がばっと離れる。
「大丈夫でしたか?」
 振り向いて平静に尋ねるジョルノに、両手で水の入った洗面器を持ってきたナランチャは「おう!」と元気良く返事をした。
 その元気を分けてほしい。色々な意味で。
「では頼みます」
「任せとけって」
 返事を受けジョルノは一旦床に置いていたビニール袋を持ち上げ寝室を出て行く。
「おい……ジョルノ、待っ……」
 久し振りに声を出したからか喉も風邪の菌にやられていたのか上手く声にならない。だから当然振り向いても立ち止まってもくれない。
 おい! 2人きりにするなよ!
 ナランチャと2人で居るのは本来ならば苦にならない。チームメンバーの中でも特に下らない話で盛り上がれるし、そもそも誰と居ても苦手だと思う事は滅多に無い。
 だが今は違う。ナランチャがナース服のコスプレをしている。同年代男子の汚い仮装なら笑って終わるが、ナランチャの女装は似合い過ぎているので大問題だ。
 ジョルノの事は誰より好きだし、正式に交際をしているのだから他の女に目をくれる事はない。とは言い切れない。
 ナランチャは男だから。しかし洗面器を手にしたままこちらを覗き込んでくる顔は幼く中性的で、何よりエプロンのフリルと清楚なナースキャップの所為で「『男』ではないのでは?」という疑問が頭にこびり付いていた。
 ジョルノより綺麗な奴は居ないと豪語していてもそれなりに可愛い女の子はごまんと居るし、その事を忘れたわけではない。美人と付き合って目は肥えきったがストライクゾーンが狭まってはいないし、元はボールが飛んできたら取り敢えずバットを振ってみるタイプだ。
 浮気は罪だしするつもりはない。しかし可愛い子は可愛い。好きだとは思わなくても可愛いとはしっかり思う。
「ミスタ、大丈夫か? やっぱり辛い?」
「お前におっぱいが無くて良かったぜ」
「何? 喋るの辛い?」
「辛い」
「わかった、あんまり喋らなくて良いから」
 眉を下げた不安顔を近付けられるのも辛い。
「サンキュー、見舞い……」
 礼を言えば素直に受け取って、ジョルノを追い掛けて帰る。なんて事は無かった。
「体起こすのも無理そう?」
「……出来るけど」
 腕を使って重たい体を起こす。
 最後にトイレに行った後にサイドテーブルに置いておいたコップに手を伸ばし、中身の温い水をゴクリと喉を鳴らして飲み干した。
「じゃあ目を閉じてくれ」
「は?」
 飲み終わるのを待っていたナランチャの言葉は意味はわかるか理由はわからない。
 こんなに可愛い子がベッドの上に居る自分に目を閉じるよう頼むとは、その先に待つのは唇と唇が重なる例のアレではないか? 未だ残る微熱の所為でそんな事を考えてしまった。単なる可愛い子ではなくナランチャだというのに。
「何で?」
 返事は言葉ではなく行動で。洗面器の水に浸かっていたタオルを顔に押し当てられる。
 何だ? 何が起きてんだ?
 タオルが迫ってきた事で目を閉じてしまった。その目蓋やら額やら顔の上半分を濡れタオルでゴシゴシと拭かれた。
「この位なら熱くねーよな?」
 タオルが含む水、ならぬ湯の温度の事だろう。人肌よりほんの少しだけ温かいが熱いという事はない。それでいて冷たくもない。絞っていないので滴る水が服の胸元を濡らしている事を考えなければ気持ち良い。
 タオルはすぐに鼻やら口やらの顔下半分へ移動したので目を開ける。
 間近にナランチャの真剣な顔が有る。ここまで近付かれるとナース服が見えないので可笑しな劣情を抱いたりせずに済んだ。
 しかしこれは、もしや『洗顔』されているのでは。
 昨日シャワーを浴びずに寝たので有難い。看病というより介護だが今の本調子ではない自分には必要な物だ。
 後は自分でやるとタオルを受け取るべきなのかもしれないが、いざタオルを手にしても顔を拭かずに寝直すだろう。なのでここは身を委ねる事にした。
「服脱いで」
「……服?」
「服。このままじゃあ体が拭けねーからさあ」
「いや、いいって」
 献身的はナース服の少女──にしか見えない少年──に服を脱がされて堪るものか。
「良くねーって! 熱出てるって事はすげー汗かいてて、着替えてねーと滅茶苦茶汚いんだぜ!?」
「汚い……」
「って、ジョルノが言ってた」
「ジョルノが……」
 その通りなのだろうが心が萎れる。
「……って、じゃあ何でジョルノがやらねーんだよ? 何で帰っちまったんだ?」
「え? 帰ってないぜ? 何とかを作るのに手が離せないから拭いて下さいって言ってた」
「何とかって?」
「んー、何だっけ?」
 思い出せないのではなく最初から覚える気が無かったといった様子でナランチャはミスタの服に手を掛け捲り上げた。
「いやいや、だから止めろって!」
「拭かなくっちゃあ駄目だって言ってるだろ!」
「今のオメーには脱がされたくねーんだよ!」
「何でだよ! ジョルノなら良いみたいな言い方しやがって、オレの方がジョルノより年上だぜ!?」
「年は関係無いんだよ!」
 とても見えないぞ、と言わないだけの理性は有る。
「脱がねーならこのまんま拭くからいいッ!」
 大きく捲り上げられ剥き出しにされた胸を、顔を拭いた濡れタオルでゴシゴシと擦ってきた。
 健康且つ頑丈な体で生きてきたのでナース――服を着ただけの仲間だが――に体を拭かれるのは未体験だ。映画に出て来る異国の王子様が侍女に風呂の中で体を洗わせる場面を連想する、ような心地ではない。絞っていないタオルを無理矢理捲り上げた服の中へ突っ込まれては肌だけではなく服も濡れる。
 脇の下を通り背中までタオルを滑らされるとくすぐったいし、その分密着するので妙な気分になった。
 ジョルノという恋人が居なく、またナース服を着ているのがナランチャではなくこの位の顔面偏差値の女であれば抱き締めているし、本調子の時に男がやってきたのなら殴り飛ばしている。
「下は捲れないからちゃんと脱げよ」
「はァ!? 下はいい、下は!」
「別にパンツまで脱げって言ってるわけじゃあねーんだぜ。パンツになればそれで良いんだ」
「今は無理!」
「何で!」
 さて何と言ったものか。
 これだけ大声で騒ぎ合っていればそろそろ隣人から苦情の1つでも入りそうだ。もし今「随分元気な病人ですね」と言われたら返す言葉が無い。
「……パンツ履いてないから」
「マジかよ! 仕方無ぇなあー足だけやるか」
「だから足は良いって──」
 言い終わるより先にナランチャはベッドの足元へ移動し、ミスタの左足を座る自分の膝に乗せた。
「……な、何をする気デスカ」
 初めて取る姿勢に声が上擦る。
 返事は言葉ではなく行動で。ナランチャはタオルで足を拭き始めた。
 何だこれ!?
 決して丁寧な手付きではないのでくすぐったいのも有るが、それより何より恥ずかしい。足は普段人に見せる事の無い部分。ましてやそれを膝に乗せられタオルで拭かれる等この人生において当然初めてだ。
 指の間まで綺麗に──しかし優しく丁寧に、ではない──拭き終わると次は右足。SMプレイで足を舐めさせるとか、フェチシズムで足を舐めるとか、頭が勝手にそういった要素を連想してくる。
「楽しそうですね」
 冷たい声にミスタもミスタの足を拭いているナランチャもドアの方を向く。当然声の主はジョルノで、一歩入った所で足を止めている。
「あーいや……誤解だぜ?」
「何が?」
 ベッドの上でナース服の少女──ではなく少年──に素足を晒している事が。否、この事象は現実に起きているので、それ故にジョルノが連想していそうな事が誤解だ。
 そもそも可愛らしい格好をしているだけで着ているのはナランチャだ。過ちは絶対に起きない。起こしようがない。信じてくれ。なんて連呼したら益々疑われそうで逆に言えない。
 ナランチャも何か言ってくれ。否々、余計な事を言ってジョルノに更なる誤解をされては困るのでやはり黙っていてくれ。
「オレちゃんと拭いたぜ、服は捲って」
 黙ってろって言っただろうが!
 声に出して言っていないというのは置いておいて。
「お疲れ様です。足まで拭いたみたいですね。足の裏は就寝中に1番汗をかく場所なので拭いてくれて助かりました」
「ノーパンじゃあなかったらもっと全部拭いたんだけどなあ」
「だから黙っててくれ……ああそうだジョルノ、何を作りにどこに行ってたんだ?」
 ナランチャがベッドから降り、その隣にジョルノが立った。
「貴方の食事を作りにキッチンへ」
 右手には片手鍋を、左手には鍋敷とスプーンを持っている。
「材料は持ってきましたが調理器具は借りました」
「そりゃあ構わねーけど……何作ったんだ?」身を乗り出して片手鍋の中を覗き「……リゾット?」
 炊いた米を煮詰めて卵で綴じている、ように見える。
 トマトではなくブイヤベースで煮込んでいるような色。具材に細かく切った魚の身も見えるし、バジルではない緑色の細かな何かが散らされていた。
「『雑炊』です」
「……ゾースイ?」
 聞き慣れない単語。
「そうそう、それそれ! それを作るって言ってた!」
 ナランチャは楽しげだが目の前に出された後で言われても遅い。
 しかし知らない物の名前だから覚えられなかったのだとしたら納得だ。食べ物だという事も知らされていなければ何をするのか想像も付かなかっただろう。
「日本の食べ物です。モールで売っていたので買ってみた『白出汁』を使いました。これを食べれば薬が飲めます」
「薬……」
「解熱作用の有る粉薬を持ってきました。食欲は無いかもしれませんが、胃の負担を軽減する為にしっかり食べて下さい。初めて見る物を食べるのは抵抗有りますか?」
「いや、何か美味そうな匂いするし、それは食うけど」
 薬の方は飲みたくない。
 しかも粉薬ときた。絶対に苦いに決まっている。
 苦い物はコーヒーだけで良い。そこにたっぷりの砂糖を入れて飲みたい。食後は薬ではなくコーヒーにするべきだ。
 嗚呼、未だ「食べたい」とは思えていないが「飲みたい」とは思えるようになった。
 よく寝たからか、ナランチャとはしゃいだからか、ジョルノが手料理を用意してくれたからか。
 その手料理をスプーンにすくったジョルノは小さく息を数回吹き掛けた。
「はい」
 冷まされた雑炊なる物を乗せたスプーンを口元に差し出される。
 食えと?
 良い匂い──塩味(えんみ)の高そうな、キノコの類いが入っていそうな──がするので雑炊を食べる事に抵抗は無い。だがこの状況でこの食べ方をするのには大いに抵抗が有った。
 他人に冷まされ口元まで運ばれた物を更に別の人間が見てる中食べる。
 恥ずかしいな……
 普段ならやってくれとジョルノに言っては困らせる側なのに、風邪を引くと人間どうにも弱気になってしまうようだ。
 今食べておかないと後悔する。元気な時には食べさせてもらえないし、手料理を作ってももらえない。作ってくれと言ったら作ってくれるかもしれないが、ジョルノは料理を作り帰りを待つような性格はしていない。そんな彼が元気になってくれと想いを込めて作ってくれたであろう雑炊を、ミスタは普段より小さくだが口を開けてぱくりと食べた。
「……美味い」
 と、思う。
 初めて食べる複雑な味わい。味も良いし温かさも良い。間近で微笑むジョルノも良い。
「良かった」
 余り顔に出るタイプではないジョルノにとって、この笑みは最上級の喜びを表しているのでは、と傲慢にも思ってしまった。
「5つ有る味覚の内の旨味に特化した物なので苦手な人は少なく、鼻風邪で匂いや味がわかりにくくても食べやすい」再び掬って息を吹き掛けたスプーンを口元へ寄越し「口当たりの良い冷たい物しか食べられない時を過ぎたら、発熱していても内臓を冷やすのは避けた方が良いんです」
 何で読んだかはわからない話を聞きながらミスタはスプーンを向けられる度にもぐもぐと食べた。柔らかいがよく噛み、飲み込む。
 内臓があったまる気はするな。
 喉を通り食道を通り胃の中まで温もりが下りていくような感覚。
「いいなー、美味そうに食ってるって事は美味いんだろうなあー」
 ナランチャが言った後に唇を尖らせた。
 普段ならどうだ美味いぞ羨ましいだろうと言っている所なのに、今は恥ずかしいから見てくれるなとしか思えない。
「風邪を引いている人間と同じ食器を使うわけにはいきません。作り方は簡単ですから教えます。材料に関しては 他の物で代用出来るとは言い難いですが。それこそリゾットになってしまう」
 似てるもんなと笑うナランチャと話しながらジョルノは手と吹き掛ける息を止めない。
 果たしてこれは風邪を引いていなくても美味いのか。
「凄く、凄く美味い」
 口に運ばれる合間に振り絞るように言った。愛する恋人の手から食べなくてもこれだけ美味いものなのだろうか。
「日本ではそういう場合『頬が落ちる』と表現します」
 頬が? 何故?
 異国の言葉はかくも難しく理解出来ないが、異国の味でも良い物は良い。なのでそれが最上級の誉め言葉だと信じて。
「美味くて頬が落ちそう」

「食べ切りましたね」
 空になった片手鍋にスプーンを入れたジョルノが満足気に言った。
 恋人から初めて振る舞われた手料理を残す男は滅多に居ない。しかしそう言っては風邪で食欲が無くても無理して食べる物だと聞こえるだろう。だから。
「ご馳走様。凄く美味かった」
 体力が回復したとは言い切れないが、腹が温かな物で満たされて自然と笑顔になる。
「……ナランチャ、頼みが有ります。洗い物をお願い出来ませんか? 僕もちょっと、疲れてしまって」
 調理して食べさせて。更に後片付けとなれば面倒臭い。
「わかった。タオルも洗う?」
「それは俺が今度洗濯するから、洗濯機に入れておいてくれ」
「了解!」
 元気の良い返事をしてナランチャは洗面器と片手鍋とを持って寝室を出た。
 これで2人きり。
 ナランチャと2人きりだった時は大騒ぎをしたが、ジョルノと2人きりであればこの通り静かなものだ。
 ドアを閉めて行かなかったので声が出るようなあれこれをする事は出来ないが、ジョルノは何も言わず表情も変えずベッドに乗り上げて来る。
 ただ隣に座るだけ、といった雰囲気で寄り添われた。
 腕と腕が自然に触れ合う。体温を感じる。今はこちらの方が熱が高いのに「あたたかい」と思うのはそれだけ人肌が恋しかったからだろう。
「ミスタ」
 優しい声音で名前を呼ばれる。
 甘い空気。そして甘えたい気分。
――ぎゅ
 伸びてきた両手が頭に優しく触れ、胸に押し付けるように抱き締められた。
「何か……小さな子供にでもなったみてーだな……」
「今の貴方の免疫力は子供と同程度です。それもすぐに発熱する幼い子供。僕がこうして世話を焼いてあげます」
「止めろ」
 頭上でくすくす笑いを堪えられては不服だ。
「でも離れられないでしょう?」
「ああ……何でだろうな」
「風邪だからです」
 疲れて弱って人肌が恋しくなっているから。
「料理らしい料理をしたのは初めてかもしれない。それをミスタに食べてもらえるのは嬉しいけれど」
「けれど?」
「……僕の作った物じゃあなくて良い。いつものようにもっと沢山、美味そうに食べる姿を見たい」
 優しく頭を撫でられる。
 甘やかしてくれているようで、元気なジョルノが風邪引きの人間に甘えたいのを必死に堪えていているからこその行動。
 弱る姿を見て心細かったのだろう。早く元気になり、抱き締め返してやらなくては。
「美味かったからまた頼む。っつーか今度は俺がお前に何か作るか」
 一風変わった郷土料理は作った事が無いし、そもそも余り知らないが。
「じゃあ何か一緒に作りましょう」
「2人で作って2人で食う」
「あとナランチャに『お裾分け』を」
「失敗したやつ?」
「いいえ、上手くいったやつを」
 良い所を見せようという魂胆は嫌いではないし自分でも持っているから丁度良い。
 今頃風邪でもないのにくしゃみをしているかもしれないナランチャが戻ってくるまでのもう少しの間、こうして自分以外の体温に身を預けておこう。


2021,10,10


風邪を引いたら風邪話を書くんだよ、と約束をし合っていました。
夜勤に変わり自律神経を乱し微熱が続いていましたが、風邪ではないので書く事は有りませんでした。
が、免疫力が落ちに落ちて暫く振りに風邪を引いたので…書きました…悔しいぐぬぬ。
暫く振り過ぎて風邪引いた時用の雑炊を期限直前に食べちゃっており困りました。
<雪架>

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