フーナラ 全年齢 アバブチャ要素有 6部読了後の閲覧推奨


  Hadn't Starting


「ぐ……」
 眠りから目覚めた、というより気絶から意識を取り戻した、という方が正しそうな身体と精神の疲労にパンナコッタ・フーゴは顔をしかめる。
 仰向けになっていた体をゆっくりと起こす。と同時にこちらの負担を考えない者に勢い良く抱き着かれた。
「良かったぁー!」
 この声。
「……ナランチャ?」
 名前を呼ばれてナランチャ・ギルガは体を離し顔を突き合わせる。
 年上には見えない童顔、伸び放題にさせてるかのような黒髪、見慣れた服装も全てが全てナランチャのそれに違いは無い。
 じっと見詰めてきた顔がぱぁと明るい笑みを浮かべた。
「そう、オレ! アバッキオじゃあなくてオレだぜ!」
 レオーネ・アバッキオとは見間違えようがない。
 だが可笑しい。ナランチャもアバッキオも、それから視界の端に見えるブローノ・ブチャラティも。
 死んだと聞かされているのに。
「どうして……」
「そりゃあ起きたら全部終わってた、ってなったら何だかわかんねーよな」
 やや軽薄そうな口調のグイード・ミスタ。
 彼から3人は死んだと聞かされた、ような気がする。いつ? どこで? 何故聞かされるまで知らなかった?
 疑問は解けない。3人共ここに居る。
 もしや死後の世界なのだろうか。まさかそれは無い。視界にはトリッシュ・ウナも見える。彼女を守り抜くのが自分達の任務であり使命。誰が死のうと本来ギャングとは無関係の彼女だけは死なせはしない。
 その彼女の命を狙ったのは、他でもない彼女を護り連れて来いと命じた父親たるボスのディアボロ。
 ボスを打倒すると宣言したブチャラティと共にチームメンバー全員でボートに乗り、暗殺チームや親衛隊を倒しながら情報を集め、遂にJ・P・ポルナレフの待つローマはコロッセオに辿り着く。
「ポルナレフ……」
「そうだ、君は私の体に入っていた。この体だから『生きる事』に精一杯で、戻った今も頭がすぐには回らないのだろう」
 名前を呼ばれたポルナレフが返事をした。
 特注の車椅子に座り膝の上に亀を乗せている。
 両足とも義足だし片目も義眼。初めてこのコロッセオで会った時と同じだ。否、その時は未だスタンドが居た。
 ポルナレフのスタンドは弓と矢を受けてレクイエムと化し、周囲の人々の魂を『入れ替え』て新たな生物にしようと働き掛けた。それから――
「そうか、僕とポルナレフが入れ替わって……その体だから僕は何も出来なかった……」
「結構面白かったわ、初めて見る自分の父親の中身がブチャラティなんだもの」
 すっかり護衛されるがままだけではなくなる程の『強さ』を身に付けたトリッシュが軽口を叩く。
 彼女は確かミスタと入れ替わった。手足を剥き出しにした少女が銃を構える姿は遠目に――しかも片目で――見るだけだが格好良かった。
 そして元に戻ってから娘である彼女自身がボスを倒した、筈だ。
「君を散々な目に遭わせてしまったな。恐らくもうあの状況になる事は無い。私のスタンドは死んだも同然なのだから」
 スタンドは精神を実体化した物。その死は本体の死と同義だが、ポルナレフはこうして生きている。
 完全には消失していないのだろう。何かしらの方法で治療なり鍛練なりが出来れば元の生活が送れるようになるかもしれない。
 元の、と言ってもこれだけ体を欠いていれば大変だろう。スタンドの助けが必要だろう。スタンドを戻す事が出来れば。狂暴なだけのスタンドを持つ自分が思う事ではない、とフーゴは首を横に振る。
「フーゴ?」
 抱き着いたままだったナランチャが漸く離れ、心配そうに顔を下から覗き上げてきた。
「何でもありません」
 言ってナランチャと2人で立ち上がる。
「全部……終わったんですね」
 並ぶ面々を改めて眺めた。ブチャラティ、ミスタ、アバッキオ、トリッシュ、ポルナレフ、そしてナランチャ。自分も含めて皆ボロボロで、しかし皆が勝者として揃った。
「良かった……」
 嬉しくて、余りにも嬉しくて鼻の頭がツンと痛む。
「泣いてる場合じゃあねーぞ」
「アバッキオの言う通りだ。俺達には未だすべき事が残っている」
 お前達が生きている事に感動し涙を浮かべているのに何だその言い方は、と喰って掛かる気になれない。そこでそうしていてくれるだけで嬉しい。
「家に帰るまでが遠足、トリッシュを家に帰すまでが護衛任務ってな」
 ミスタが妙に爽やかに言った。
 諸悪の根元を滅ぼし全員が生き残ったのだから彼のようにニコニコ――ヘラヘラ――としていても何も可笑しくないのに何故が違和感が有る。
「私……あの家に帰れるの?」
「帰りたくないのか?」
「ううん、帰りたい。帰りたいに決まっているわ。だって私、あそこで生まれ育ったのよ。でも……生んで育ててくれた母親はもう居ないわ……」
 すぐ側でナランチャが寂しげな顔をした。
 彼もまた母を亡くしている。そして父とは馬が合わず実家を出ている。
 トリッシュと自分とを重ねても何も可笑しくない。生来の明るく優しい気質が過酷な環境の所為で強がるしか出来ない部分等よく似ていると思えた。
「帰りたくないならこちらで手を打つ。母の所へ行きたい、以外の望みなら何でも叶えてやる」
「ブチャラティ……前に貴方、私に言ったわよね。顔と名前を変える事になるだろうって」
「ああ」
「変えたくない。母親の居ない家に帰っても帰れなくてもどっちでも良いけど、私は私のままで居たい。父親があんなのだったけど、でも私前よりももっとずっと私の事が好きになったの」
 良かった――トリッシュが己の事を嫌いにならなくて。それ所かより好きになってくれて。今は姿を見せていない彼女のスタンドのスパイス・ガールのお陰も有るだろう。
 やはりスタンドはスタンド使いにとって何より大切な存在。その狂暴性を厄介に、時には足枷のようにすら思っていたが、しかしフーゴにとってもパープル・ヘイズはやはり大切だ。
 同じく今は姿を出していないがここに居る、と自分の胸に手を添える。
「母を取り戻す事は出来ない。だが、お前はお前のままだ。母の居た頃と同じ家に住み、同じ学校に通えるようにしよう」
 そして1人の普通の少女として幸せに生きてゆくのだ。
「……有難う」
「礼の言葉は家に着いてからだ。俺達全員は最後まで護衛する」
「ポルナレフ以外でな」
 ミスタの言葉に全員が視線をポルナレフへ向けた。
「そうだな、私は遠慮させてもらおう。君達の荷物にはなりたくない。しかし……元の家はチャリオッツが居なければろくに暮らせないし、これからどうしたものか」
「ポルナレフって他に家族とか居ないんだっけ……」
「しょぼくれないでくれ、ナランチャ。私が家族を失ったのは彼女のようについ最近の事じゃあない、もうかなり昔の事だ。片も付いたし連絡を取りたい相手だって居る」
「じゃあ早急に『住処(すみか)』を用意しよう。ボスの不動産か何かで賄える筈だ」
 倒したのだから財産等の全てを乗っ取るのは定石。
「だがすまないがトリッシュが最優先だ。それまで……そうだな、ナポリ郊外に俺の名義の家が有るから、そこに向かっていてくれ。不便はするだろうが近所の目を気にする必要の無い場所だ。不自由しない家を用意するまで待っていてくれ」
「有難うブチャラティ、私にまでそんなにしてくれて。君は少し……私が連絡を取りたいと思っているかつての仲間の1人と似ている気がする」
 それは誇らしい事なのかと尋ねるとポルナレフは大きく頷く。
 リーダーを誉められて自分まで嬉しく思うフーゴは、しかし他にもっと似ている人間が居るのではと考えた。
 彼の膝の上に居る亀に、別の少年がそう言われている様子が頭に浮かんだ。そんな光景を見た事など無いのに。仲間に似ているという話を聞く事ですら初めてだというのに。
「……何だろう……」
「フーゴ? やっぱり未だ本調子じゃあない?」
「あ、いや……体調は大丈夫です」
 決して先程まで肉体に入っていたポルナレフを気遣った嘘ではなく。
「僕じゃあなくて……この世界が、物足りない気がする」

 姿を隠す必要が無く、襲い来る刺客も居ない旅路は楽しかった。船に乗り、飛行機に乗り、電車に乗り、それから路線バスに乗りトリッシュの生家を目指した。
 先に彼女の通っていた学校へ向かった。担任教師と学校長を呼び、トリッシュとブチャラティの4人で面談のような物をした。母の死後に誘拐されたと嘘を吐かせ、ブチャラティ自身は小悪党を装い盗みに入った家に監禁されていた所を助け出した事にした。妹が生きていればこの位の年だから善意が働いた、なんて出鱈目を吐いて。
 再び生家から学校に通える事となったトリッシュは上機嫌だった。隣を歩くと横顔が得意気にすら見える。
 しかしいざ戻った家が何日も空けていたのみならず、ボスの娘の手掛かりを得ようとした組織の反乱異分子に荒らされているのが玄関を開ける前からわかった。
 それでもトリッシュは玄関に背を向けて、5人の方を向いて胸を張る。
「掃除っていうか片付けっていうか、そういうのは私1人で出来るわ」
「大丈夫なのか?」
 親心でも目覚めたかのように尋ねるアバッキオに「勿論よ」と返した。
「他に誰も居ないって事は今日中に片付けなくちゃあいけないってわけでもないし、アンタ達男には見られたくない物だっていっぱい有るわ。どうしても駄目になったら呼ぶから来て頂戴」
「おうっ!」
「いや、俺達は来ない」雑用全般を任されがちなナランチャを遮り「便利屋を雇え。その金を出す」
「引っ越しの手伝いはギャングの仕事じゃあないって事? まあ別に良いけど」
「良いならそうしてくれ」
「……ブチャラティ、違う理由が有るの?」
 本当は聞きたくないのが、何も言わずに来てほしいのが見てわかる。
「知っての通り俺達はギャングだ。そして君はもう、ただの女の子だ」
 ギャング組織のボスの娘なんて肩書きの無い、母を亡くし危険な目に遭ったがそれでも負けない女学生。
 裏の社会と繋がりが1つも無い少女がギャングと顔を付き合わせるわけがない。
「成人するまで2ヶ月に1度金は送る。手紙も書く。トリッシュも何か有ったら手紙で知らせてくれ」
「……電話は?」
 声を聞く事も駄目なのか。
「そうだな、手紙じゃあ間に合わない位の急用なら電話の方が良い。電話番号を伝えておこう」
 筆記具を取り出し書き込む姿を見るトリッシュは酷く辛そうだった。
 フーゴのよく知る彼女はこんな時でも強気に振る舞う。そうする事で強く在れると思っているかのように。それが出来ない位に悲しいのか、それとも元から脆かったのか。
 結局フーゴはトリッシュの事を何も知らないのだ。好きな音楽も食べ物も。
 否、好きな食べ物は知っている。
 飲食店では必ずサラダを食べていた。特にビネガー系のドレッシングを好んでいた。
 大量に食べるわけではないが間食もしていたので特別ダイエットをしているわけではないだろう。
「君は、サラダが好き?」
 電話番号のみを書かれた――どこの番号かは書かれていない。万が一誰かに見られても良いように――紙を受け取ったトリッシュは突然の問いに目を丸くしてフーゴの方を見る。
「何よ突然……好き、だけど……」
 ほら、やはり。
「じゃあ音楽は何が好き?」
「何だよフーゴ、トリッシュの事好きになっちまったのか?」
 ニヤニヤと笑いながらからかい尋ねてくるナランチャに、いつもなら大声を上げている。しかし今は静かに首を横に振り、これでは失礼かと思い苦笑するだけに留めた。
「直接会う事が出来なくても、僕達はずっと君を護り続けるから」
 ずっと一緒だから。
 その言葉にトリッシュも、彼女と自身を重ねていたナランチャも、似たような柔らかな微笑みを浮かべる。
「私、歌手にでもなろうかしら。貴方達がテレビやラジオで私の好きな物を知る事が出来るように。女優でもモデルでも良いわね」
 嗚呼、そうして手の届かない女になってくれるのがきっと最良だ。
「そうなったら私、ブチャラティの言ってた郊外の家とやらを買い取って別荘にしてあげる」
「俺から家を取り上げる気か」言葉に反して声には嬉しそうな響きで「まあ仕方無い、別の家を買おう。2人で住めるよう同じ位の広さの家を」
 フーゴは見た事も聞いた事も無かったが、今ポルナレフが仮住まいにしている『郊外の家』とやらはどうやらブチャラティが隠居後に暮らす為にこさえた物らしい。そして言葉から察するに、将来共に暮らす――暮らしたい――相手が居るようだ。
 未だ二十歳(はたち)やそこいらの若さでそんな先を見据えるとは。
「そういえば丁度この家と同じ位の広さだな」
 ブチャラティがトリッシュ越しにウナ家を見て言った。
 決して広くはない、周りの家からするとこじんまりとした可愛らしい家。綺麗な母娘が住んでいた様子が容易に想像出来る。
「1人で暮らすには充分過ぎる広さだから片付けは急がなくても良いだろう」
「そうね……何か帰ってきたって感じ。私、貴方達とあちこち行ったお陰で自分をもっと好きになれたし、こうして離れてこの家の事も好きだったんだってわかった。母親が居なくてもここが好き。好きなもの、沢山有るわ」
 だから大丈夫、強がりじゃあないわ。
「結婚するならここで一緒に暮らしてくれる人が良いわね」
 今度は自分が母親になるのだろうか。未だ早い、と言う気持ちも確かに有るが、そんな幸せな日常を手にしてほしい。
「モデル出身大女優の結婚式なら盛大にやるよな?」ミスタが極めて明るく「それなら俺達だって見に行けるよな?」
「そうだな、招待状を頼む」
「俺達の出会いの為に美人なモデルをいっぱい呼んでくれ。でもちゃんと1番綺麗なのは花嫁のお前だって言ってやるぜ」
「何よその義務感臭いの!」
 どうせ花嫁の――今はもう『存在』しない――父親以上に、誰よりも大泣きするのはミスタだろうに。
 それとも花婿に向かって泣かしたら殺すと脅しているだろうか。それはアバッキオの方が似合いそうだ。
「じゃあ私片付けが有るから。貴方達も家が荒らされたりしていないと良いわね」
 絶対に無いとは言い切れない。
「これだけの期間空けていれば特定のアジトが有ればそこは荒らされ放題だったかもしれないな。だがこれからは『隠れ家』じゃあなく『本拠地』が必要になる」
 言うならばそれはボスの根城。
 ボス亡き今最高幹部のブチャラティ――彼以外の幹部は果たして何人生きているのだろう――がその跡を継ぐ。
 乗っ取ったとはいえ頂点に君臨した事に嘘は無い。レストランやカフェ等の店先で顔の知れた地域住民を相手にするだけではいられない。
「そんじゃそれらの仕度の為に帰るとしますかー」
 頭の後ろで手を組むミスタの言葉を受けて、トリッシュは「また明日」と言い出しそうな自然な様子で自宅へと入っていった。
 ドアが閉まり鍵を掛ける音がした。静かだが聞こえる位に大きく息を吸ったブチャラティが踵を返す。
 もうここに来る事は無い。だがこれから先、常ではなくてもこことこの日と彼女の事を想い返すのだろう。

 ネアポリス駅まで後どの位だろうか。トリッシュの背を見送ってから5人で電車に揺られてきた時間よりは残り時間の方が短い筈だ。
「ブチャラティさあ」
 窓際の席を陣取り窓の外を眺めていたナランチャが自分の前に座るブチャラティへと声を掛けた。
「何だ?」
 起きてたのか、と隣でフーゴは思った。自分の前、ブチャラティの隣の通路側に座るアバッキオは起きているだろうか。後ろの座席を占領しているミスタはイビキこそ立てないがすっかり寝入っている。
「どこに家有るんだ?」
「家? ああ、トリッシュの将来の別荘の事か」
 座席シートの向こう側の顔は見えないがくすと笑った気配が有った。
「小さい頃は海の近くの家に住んでたって言ってたよな? その家も海の近く?」
「いや……俺はもう海に近い所には住まない」
 悲しい響きの含まれた言葉だった。詳しくは聞いていないが漁村の父子家庭の出身で、その父親が麻薬の密売を見て殺されたらしい。
 海に出る事に抵抗は無くてもその近くで暮らすのは未だ厳しいのだろう。
「お前が思う田舎より少し北の方だ」
「ふーん」
 恐らくナランチャは何も考えていなかったし、ブチャラティもそれを承知でそう言っている。
「場所を知られたくないんですか」
 急にフーゴが会話に加わった事を驚きもせずブチャラティは「いや」と短く答えた。
「正確な住所を言っても良い。だがきっと、随分郊外だと笑われちまう。そんな所にしか買えなかったのか、と」
「へー、そんなに田舎なのかあ。でもあんまり田舎だと不便じゃあねーか? 組織のボスってもっと都会に住んでるイメージ」
「ペントハウスとかか?」
 起きていたらしくアバッキオも会話に参加する。
「そうそう、そんな感じするよな?」
「一仕事終えて田舎に帰るギャングのボスは想像付かねーな」
「アジト近い方が楽だし」
 顔を付き合わせずとも盛り上がる2人は父と子のようだ。
 その間――ナランチャの前、アバッキオの隣――で笑いを堪えているらしいブチャラティは母親か。
「隠居してから暮らす家、として割り切っているんですか?」
「まあそんな所だ。今のアパートに不満が有るわけじゃあない。ただ『2人で』暮らす事になるならと考えた時に、良い家が有った」
「オレだったら誰かと一緒に住むにしたってアジトの近くが良いな」
 ナランチャの部屋の中がどういった様子かはわからない。手狭とも広くて持て余しているとも聞かない。住み心地よりも家を出てからの時間を重要視しているのだろう。
「逆算してナランチャのアパートの近くに根城を構えるか」
「ラッキー!」
「良い物件が有ると良いな」
「アバッキオも近い方が、都会の方が好きだったか?」
「いや……」
 浮かれるナランチャの前の座席で2人が妙に声を潜め始めた。
 人間誰しも聞かれたくない話題も有るだろう。それよりも隣のナランチャがじっとこちらを見ている方がフーゴには重要だ。
「何ですか?」
「フーゴの部屋からも近いと良いな」
「そうですね」
 14の時に出てしまったが実家は比較的郊外に有った。大きな家を建てるだけの土地が都会の中心には無かったからだろう。そこで生まれ育った所為か否か田舎よりも都会に惹かれる物が有る。
「こういう事を話していると、丁度中間の物件になったりしそうですね」
「んー、そうなると帰る途中に寄ったりとか出来ねーよな」
 つまらない、と唇を尖らせて前を向いた。
 そんな事を言われては期待してしまうではないか。
 フーゴも前を向いた。頭をシートに押し付けて目を閉じる。ナランチャのアパートよりも自分のそれの方がアジトに近いなら、帰りに立ち寄られても仕方無い。何の問題も無い。

 明日は朝早くからナランチャと組んで任務に当たる。
 2人別行動にならないようアジトで合流してから向かえと言われたが、アジトで用意する物は特に無いので家を出る時点から共に行動をした方が間違いが無いと思い付いた。フーゴだけではなくナランチャも。
 寧ろより近い自宅に泊まらないかとナランチャの方から切り出してくれた。
 お言葉に甘えて彼の部屋に泊まりに来た。泊り掛けで遊んだり、まして友人の家に泊まり込むという事を殆どしてこなかった為に妙に落ち着かない。
 決して広くないが散らかってもいない極々普通のアパートメントの1室。言ってしまえばフーゴ自身も今は似たような部屋に住んでいる。
 一人暮らしなので当然家具は1人分しか無い。1人掛けのソファをフーゴに貸した家主はダイニングの椅子をテレビの前に運び座っていた。
 朝早いとは言え寝るのには未だ早過ぎる。かと言って恋人同士ではないので夜特有の会話は出てこない。
 しかしこの関係を、今の自分達を一体何と呼ぶのだろう。
「友達?」
「何が?」
「え?」
 どうやら声に出ていたようだ。ナランチャの顔はテレビではなく真横のこちらを向いている。
「友達がどうかした?」
「別にどうも……いや、ちょっと、聞きたい事が有ります」
「何?」
 丸く大きな目でじっと見詰められて、自分達の関係は友達ですかと聞ける程の心臓の強さは持ち合わせていない。
 それに返事は予想出来ている。恐らく「そりゃあそうだろう」といった類の物だ。
 友達でなければ何なのだとまで言われそうだ。否、仲間であって友達ではないと言われてしまう可能性だって有る。低いが有る。低いと思っている。流石にもう少し踏み込んだ関係だと思いたい。
 言うならば友達以上恋人未満。断じて恋人ではないし、肉体関係だけが先行しているなんて事も無い。
「……先にシャワーを借りても良いですか?」
「勿論良いぜ」
「有難うございます」
 そんな事を聞くつもりの一切無かったフーゴは、取り敢えず礼を言いソファから立ち上がった。
「フーゴって友達の家でシャワー入らない方?」
「さあ……友達の家に泊まる事が無いので、何とも」
「オレ達って、友達じゃあねーの? それとも、違う関係?」
 何て羨ましい。先程自分が出来ないと飲み込んだ疑問を直球でぶつけてくる。
「オレはフーゴとは『仲間』ってだけじゃあないって勝手に思ってた」
 何と答えよう。友達なのか、仲間なのか、それだけではないのか、それ以上なのか。
「ああ、バスタオル掛けてあるやつ使って良いぜ。オレ入る時に別の出すから」
「有難うございます」
「入ってる間に寝間着になる物持っていけば良いよな」
 ひらひらと手を振られたのでこの場に留まれずフーゴはそのままバスルームへと向かった。
 脱衣場――洗濯機の置かれた洗面所――に入った。小綺麗にされているが生活感が滲み出ている。
 先にバスルームのドアを開けて中を見てみた。浴槽が有るには有るが、ボディタオル等を掛けているバーが随分と低い位置なので湯を張る事は少ないのかもしれない。
 しかし風呂場もまた綺麗なのでシャワーは頻繁に浴びていそうだ。浴びている様子を想像しそうになってフーゴは頭を左右に振った。やや伸び過ぎた髪が鬱陶しかった。
 既に充分親しいが、より親しくなりたい。それはつまり、恋人同士になりたいという事。フーゴは自分の望みをしっかりと理解している。
 想いを伝えれば良くも悪くもただの仲間ではいられなくなる。晴れて結ばれるか失恋するかはわからない。きっと後者は悲しい。
 だが言えないでいるの理由はそれだけではなかった。もしも伝えられて、そして恋人という関係に発展する事が叶って、それでも未だ「物足りなかった」らどうしよう。
 こうしてナランチャが生きているだけでも有り得ない幸福なのに更に恋人になり尚欠いていると思うものか、と考えた所で体温が上昇した。
 今、何と? 生きているだけで? 共に居られるだけで、ではなく? 
 わけのわからない焦燥感は早々に洗い流してしまった方が良い。無駄に急いで服を脱ぐ。
 あわやポケットから携帯電話が落ちる所だった。チーム全員が個人で持つようになったが余り使う事が無いので「携帯する」事にすら未だ慣れていない。
 チーム全員が持っている。全員の電話番号がアドレス帳に入っている。契約・購入した日の帰宅後にナランチャをこっそりと000番に登録し直した。
 数ボタン操作するだけでチームの誰にでも連絡が出来る。同じ違和感を抱えているかもしれない相手にも。彼は3番目に登録してある。
 1番がブチャラティ、2番がアバッキオ。最初3番だったナランチャを動かし空いた3番に繰り上がっただけであって本人が嫌う数字を避けたわけではない。
 何の気は無しに親指が動きミスタへと発信していた。
[はいはい?]
 数回の呼び出し音の後に出た。雑音が少ない事から静かな屋内に居る事がわかる。
「突然すみません」
[どうした?]
 まさかどうもしないとは言えない。声が聞きたくなったと言い合うような仲ではない。
[って言うかお前、明日早いからを言い訳にナランチャの家に泊まるんじゃあなかったのか?]
「言い訳じゃあありません、人聞きの悪い。明日の事を考えればここに泊まる方が都合が良いのは事実だ」
[やっぱりそこナランチャの家なのか]
 墓穴を掘った気がする。否、ミスタにも他のメンバーにも明日の任務の内容やナランチャの家から向かう事は伝えてある。一瞬唇を噛み締めたが「そうだ」と短く答えた。
[ナランチャ放ってどうしたんだよ。何だ? 喧嘩でもしちまったのか?]
「別にそういうわけじゃあない」
[じゃあ惚気?]
「そういうわけでもない」
 一体どんな仲に思われているのやら。
「ミスタなら、その……同じように思っているかも、と……」
[何を]
 嗚呼、上手く言葉に出来ない。違和感が無いかと言った所で「だから何の?」と返されてしまう。何に対しての違和感なのか、自分でもよくわからない。
「……何かが足りないと思う事は有りませんか?」
[足りない? お前失くし物でもしたのか?]
「そうじゃあ……いや、少し近い。何を失くしたかわからないけれど、でも何かを失くしてしまったような感覚が、ミスタにも有ったりはしないかと訊きたかった」
[無い]
 見事なまでの一刀両断。
 鞄に付けたキーホルダーを落としてしまった、先程使ったばかりのリモコンが見付からない、といった事を言われなかっただけマシだと思っておく。
 もう少し考えてくれと縋ったりはしない。必死に捻り出してまで同調してもらいたいのではなく、もしも有るならば安心出来ると考えただけで。
 ナランチャは勿論、ブチャラティもアバッキオも抱いていないであろうこの違和感を、何故かミスタならばと思ってしまっただけで。
[落としたなら拾うし、失くしたなら探すし、欲しいなら手に入れる]
「貴方はそういうタイプでしたね」
[わかんねーなら考える。無いとどう困るのか考えれば、何が足りないのかわかる筈だぜ]
 成る程、その通りだ。意外に賢い。
[あれか? ナランチャと進展しなくて物足りないとかそういう話か? 愚痴に見せ掛けた惚気話は聞かねーぞ]
「だからそうじゃあない! ナランチャも皆も生きてて良かったと思っている!」
[そうか]
「そうだ」
[生きてて、ねえ]
 反芻するべくフーゴの言葉をミスタは繰り返した。
 つい口から出てきた言葉だが、他人の声で聞くと改めて可笑しな話だ。生きていて良かった、等とまるで死地を駆け抜けた直後のような。確かに皆何度も死に掛けはしたが、今更言うような事ではない。
[まあ『良かった』んならそれで良いんじゃあねーか?]
「……そうですね」
 電話をして『良かった』かもしれないな。
[万が一失くした物が見付かったらその時――]
「ミスタ?」
[違うって、コイツもナランチャも男だって。そういう名前なだけ]
 明らかにフーゴ『ではない、誰か』と話している。
 屋外ではないので時間帯からして家に1人だと思ったが、どうやら誰かを招いていた、もしくは誰かに招かれていたようだ。
 悪い事をしたな、と思ったが。
[だから、俺じゃあなくてコイツの浮気の話だって]
 腹の立つ言い訳が聞こえてきたので謝罪を言うのは止めた。
 ミスタの声はハッキリと聞こえるが、相手の声は上手く聞き取れない。ただ大層ご立腹した女性である事は想像出来る。
 特定の恋人が居る様子は無かった。その候補との逢瀬中か、それとも今日偶々飲み屋で意気投合したばかりか。
 こうして日常を満喫している様子のミスタに喪失感に近い何かが無いかと尋ねたのはやはり間違いではと思い掛けたが、やはり電話をして良かった。ナランチャも皆も生きている、そしてそれを良い事だと思っている、と自覚出来て良かった。
[不安がってる所を励ませずに仲間なんて名乗れねーだろ? 痛っ、止め、痛っ!]
 じゃれあい程度だろうが恐らく叩かれている。
「失礼しますね」
 色々と面倒臭くなりそうなので通話を終了した。
 励ましてくれる仲間の恋路を邪魔してしまったのなら申し訳無いが、恐らくそこまで真剣ではないだろう。長い付き合いと呼べる程ではないがその位はわかるし、目の前で女――の名前をした男。まして本人ではない――からの電話に出られただけで憤慨するような女性との交際は『仲間』としてお勧め出来ない。
 ミスタにはミスタに合う人間が居る。
 それは自分にも言える事だとフーゴは思っている。それが誰なのかも本当は理解している。相手がどう思っているかがわからないので、そういう仲にならないかと言えないでいるだけで。
 本当に『足りない』のは『それ』なのでは。
 好意を伝えても受け入れられなかったとして、となると何が悪いのかは聞けば自分に不足している物こそ見えてくるかもしれない。
「おこがましいかな」
 携帯電話を置きながら「それでも」と続けるつもりの言葉をそっと呟いた。

「次、6×9は?」
「んー……」
 考えているのか考えていないのかナランチャは唸るばかり。
 ノートにフーゴが書いた6×9の文字。6が9つ有れば幾つか、という言い方ではいつまでも答えに辿り着けないだろう。
「じゃあヒント。6×10は」
「ヒントじゃあなくて新しい問題じゃあねーか!」
「6×10は簡単でしょう」
「……うん、60」
 流石にこれは間違わない。
「6が10個で60。6×9は6が10個じゃあなく9個」
「60から9を引く?」
「何で9を引くんだ」
「……60から、6を引いて、54」
 出来るじゃあないか。
 掛け算は兎も角引き算は身に付いている証拠。自分よりももっと『教える』のが得意な人間が付けばきっと学力は伸びる。
 学校に行かせてやりたい。しかし学校に入るにはそれだけ学力が必要。
 自分がこうして家庭教師――アジトで行うので塾講師か――を続けるだけでは恐らく足りないだろう。フーゴは自分が教える側には向いていない自覚が有った。
 そもそも折角恋人同士になれたナランチャとの関係を教師と生徒にしたくない。
 誰にも言っていないが自分達はれっきとした恋人同士。本来なら昼前の未だ誰も居ないアジトでする事なんて決まっているのに、何故生真面目に算数――数学とすら呼べない範囲――を教えているのやら。
「なあ」
「はい」
「6×9は?」
「54」
「なんだ、合ってんじゃん」
 答え合わせを忘れていた。すみませんと謝り、いつの間にかノートに書かれていた54の隣に丸を描く。
 愛する人と恋仲になっておいて何故未だ物足りなさを感じているのだろう。中々任務が入らないからだろうか。幹部というよりボス直属の親衛隊でもあるこのブチャラティのチームだが、年相応の容姿であるフーゴに出来る事は多くない。年より幼く見えるナランチャとこうして留守番をしてばかり。
 アバッキオとミスタには今日すべき事が有る。昨日ミスタが何者かに撃たれた――発砲されたわりには軽傷だし近所の学生に手当てもしてもらっていた――ので、その犯人探しという任務。新興勢力なのか、組織内部の異分子なのか。
 ボスでありリーダーでもあるブチャラティもまた仕事が有る。急ぎではないとはいえ未だ来ていないのは昨日アバッキオと共に帰ったからだろう。どちらの家へ帰ったのやら。
 そして撃たれた張本人のミスタは何故来ないのか、と思った所で人の思考を覗いていたかのようにドアが開きミスタが入ってきた。
「はよーっす、今日は怒られてねーのか」
「何せ6の段が出来たからな!」
 胸を張るナランチャだが6の段全てが出来たわけではなく何とか6×9だけ答えられたに過ぎない。
「……って、誰だよそいつ」
 ナランチャが表情を曇らせる。
 首を掻きながら呑気に入ってきたミスタの後ろに続いて1人の少年が入ってきた。
 華やかな金髪を後ろ1つに編んで胸元は開いているが学生らしい服装をした、同年代か1つ2つ下か程度の美少年。
 この少年をフーゴは知っている。
「君は……ジョルノ?」
「はい」
「え?」ナランチャが瞬きを繰り返し「昨日の?」
「そうです」
「髪の毛全然違うじゃあねーか」
「似合いませんか?」
「こっちのが似合ってるよなあ」
 平然と会話をしているジョルノ・ジョバァーナはミスタの銃創を手当てしてくれた、曰く『命の恩人』で昨日このアジトに来た。
 もう2度とギャングと関わらないようにとブチャラティが大金を握らせて帰した筈なのに何故。
 否、それだけではない。昨日訪れた時には髪は真っ黒くもっと短かった。ナランチャが首を傾げるのも当然の変わりようだ。
 寧ろ何故自分はわかったのだろう、すぐに名前が出たのだろう。ミスタが連れてきたから、ではない。絶対に言わないが昨日来た少年の事はナランチャが言うまですっかり忘れていた。髪を明るい色に変えたからか雰囲気も昨日は感じられた陰湿さが無くなっている。
「ジョルノは今日から俺達のチームに入る事になりましたー」
「……ブチャラティの許可を得たんですか?」
「来たら貰う」
 おいおい。
「何で急に? ジョルノ、お前ギャングになりたかったの? だから昨日ミスタを助けて……って、ミスタ怪我もう治ったのか?」
 ナランチャの言葉に昨日ガーゼを張っていたミスタの腹を見る。絆創膏も傷痕も何も無い。
「ジョルノのスタンドがさ、草とか虫とか命有る物作れるやつだったんだけど、上手いことやれば人間も作れるって事がわかったんだぜ」
「ミスタ、人間と言うと語弊が有ります。人体の一部、といった単位でしか作れません」
「というわけだから怪我とか治せるんだよ、そういう奴チームに居ると助かるだろ?」
「すげー! 怪我しても大丈夫だな!」
「だからブチャラティだってOK出してくれるって」
 そう簡単な物だろうか。ブチャラティは日の当たる道を歩ける者を貶めたくないと考える性質をしているし、公私共に側近状態のアバッキオも未来有る学生の加入は嫌がりそうだ。
 だけど。
「宜しくお願いします」
 オリエンタルにもオクシデンタルにも見える綺麗だが若干無愛想な顔がこちらを向く。
 嗚呼、これだ。
「……こちらこそ、宜しく」
 素直な言葉が口を付いて出た。
 ずっと纏わりつき拭えなかった物足りなさは『彼』だったのだ。1つ空いていたパズルのピースが埋まったような、満足感というより達成感に近い何かが胸の中から湧き上がってくる。
 この2人と、ミスタとジョルノと「6人揃わなければ『ブチャラティチーム』ではない」と話した事が有ると、フーゴは存在しない記憶を思い出していた。


2020,01,05


関連作品:Wasn't Ending


生存if「に至る」までを書きたいなぁと思ったけれど全部書いたらキリが無いので終盤だけ。
別に今後書く生存ifがこの流れを汲んでるというわけではなく。
<雪架>

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