ミスジョル 全年齢 6部読了後の閲覧推奨


  Wasn't Ending


 すっかり遅くなってしまったが、昨晩は夜明け前に何とか帰宅する激務だった事を言い訳にすれば何とかなるだろう。
 朝昼兼用の食事もきちんと済ませてから家を出たグイード・ミスタは呑気にアジトの最上階に在るボスの執務室のドアを開けた。
「はよーっす」
「おはよう、遅かったな」
 ボスであるブローノ・ブチャラティが一瞬こちらを向き、すぐに向かうデスクの上の書類に目を戻す。
「ミスタ、遅いぞ」
 次いでその傍らに立つレオーネ・アバッキオもこちらを向いた。
 至極短い言葉には良くも悪くも感情がこもっていないので、これは咎める意図の無い彼なりの挨拶だろう。彼の方が年上だし先輩でもある。
「いやー昨夜のボディガード業が中々に堪え(こたえ)ちまってなァ」
「ボディガード?」
「『カフェ』に立たせた」
 当然言葉通りの喫茶店ではない。
 1階は喫茶店を模してはいるが実態は娼館。気に入った『ウェイトレス』と『2階席』に上がる事が出来る。2階は複数の個室が立ち並んでおり、どこも大きなベッドで休めるがテーブルは飾り同然小さく飲食には向いていない。
「ああ、素行の悪い客が何度も来てるって話だったな」
 上背の高い恵まれた体格や顔立ちに反して諜報活動がメインのアバッキオはこの件を既に知っているようだった。
 だが一晩明けての状況は未だ上がっていないらしい。書類にまとめて報告といった面倒臭い処理は自称カフェの娼館から上げるようにと言ってある。
「取り敢えず片は付いた。あの店だけな」
 何をどうしたって可笑しな輩は新たに生まれ続ける。その処分を請け負って稼ぐのが自分達ギャングスタ。
 チームリーダーであったブチャラティがボスになったので上納金の心配が無い。極稀に舞い込む暗殺案件以外は組織に入り立てのチンピラ同様暴れ回る程度の仕事。まさに天職だとミスタはしみじみ感じていた。
「今日も行った方が良いか?」
「館主の報告次第だが恐らく要らないだろう」書類に何かを書き込みながら「今日は空港周りのみかじめ料の徴収に出てもらうつもりだった」
「じゃあ今から――って、フーゴとナランチャが行ったのか?」
 頭の冴える青年とスタンド能力が強力過ぎる少年――もうすぐ成人するこちらこそが正しく青年か――の組み合わせは非常に相性が良い。
 ただ年少2人は揃って見た目に迫力が無い。日の下の彼らは今頃嘗められて徴収に手間取っているのではないか。
「様子見てくるわ」
 来て早々振り返りドアに手を掛ける。
「おい待て、ミスタ!」
 アバッキオが大声を上げたので足を止めた。
「お前はナランチャの代わりに留守番だ」
「留守番要らなくね?」
 こうしてブチャラティも、アバッキオだって執務室に居る。
「これが終わったら俺達も出る」
 アバッキオが差したのはデスクの上の書類。
「お前が2人を連れ帰るまでに終わらないかもしれない」
 さらりと吐いたブチャラティの言葉の内容は、これから出掛けても良い、及び帰ってくるのは何時でも良いという意味を孕んでいる。つまり、1人で留守番をしなくても良い。
「ブチャラティ、甘やかし過ぎだ」
 アバッキオは左手で物理的に頭を抱えた。
「流石俺らのリーダーにしてボス! 俺の事もよくわかってる! 忠誠誓って良かったぜ。って事で見回り兼ねて行ってきまーすッ」
 ついでに可愛い女の子が引っ掛けられたらそのまま遊んできまーすッ。
「ミスタ、女連れ込むなよ」
「あれ? 何で知ってんだ?」
 どうやら鎌掛けだったらしくアバッキオの形相が一層険しくなる。
「前にも言ったが――」
「気を付けまーす、行ってきまーす。何か有ったら携帯電話に連絡頼んだ!」
 この話題に関してはブチャラティが庇ってくれる気配が無いのでミスタは執務室を出て扉を閉めた後、小走り気味で外まで出た。

 今日もこんがり焼けてしまいかねない程の晴天で、テラス席は今来た3人組で全て埋まった。
 1つのテーブルに椅子は3つ有るが、軽食も取ろうとすると3人で使うのには少し手狭に思える。
 しかしこうして1人で使うと広過ぎる。尤も他にも1人で寛いでいる客が居るので気が引けたりはしないが。
 テーブルの上には今飲んでいるカプチーノのソーサーと、何か有れば鳴らされる携帯電話。
 暫くこうして日光とコーヒーを楽しんでいたいので鳴ってくれるなと思いながら、時代に流され持たされた携帯電話――よく自分の名義で持つ事が出来たものだ――を手に取った。
 アドレス帳の001はリーダーもといボスのブチャラティを登録してある。002、003、4は不吉な数字なので避けて005にはチームメンバー。以後の数字は組織管轄下の店であったり、連絡先交換に応じてくれた女性であったり、ギャングスタ組織に所属している事を知られないまま飲み屋なり何なりで親しくなった友人であったり、一応だが家族も入っている。
 完全に公私混同だが月々の支払いをしているのは自分なので誰も文句は言わないだろう。
「いつか」
 000番に誰かを登録するような事が有るのだろうか。そう思いほろりと口から声が漏れた。
 数ヶ月――早い時には数週間。流石に数日という事は無い――で別れてしまわない長続きする恋人とか。
 出来る気がしないのでせめて相棒でも。フーゴとナランチャを見ているとそういう関係の仲間が自分にも居て欲しい気がしてくる。
 それよりも大人しくブチャラティを000にしておくべきだっただろうか。
「……ん?」
 気配、或いは視線。大勢が行き交う中で自分だけをじっと眺めている者が居る。辺りを見回し探すより先に良い感情を向けられていない事がわかった。
 極自然な仕草で携帯電話をしまい、空けた手でカップを取りカプチーノを飲み干し、空になったカップをソーサーの上に音を立てないように置く。
「誰だッ!」
 大声を張り上げる。ガタンと音を立ててテーブルに左手を付き、右手にリボルバー――愛用の回転式拳銃。黒で6発と面白味は特に無い実戦用。常に右ブーツに隠している――を取り立ち上がった。
 視線の送り主がどこに居るかはわからないので構えない。それでも通行人も近くに座る客達も何事かとこちらを向く。
 パン、と銃声が聞こえた。僅か1拍遅れてガシャンとガラスの割れる音も聞こえた。
「いっ……てぇ……」
 気付けば自分が撃たれている。
 幸いにも一定以上の距離からの射撃で腹部右側を掠めただけだが、それでも近くのガラスを割る銃弾が剥き出しの腹に当たったのだから出血しているし何より痛い。
 そうだった、焼けるように痛むんだった。っつーか半分火傷だよな、これ。
 左手で傷痕を押さえながらこの後どう動くか必死に頭を回転させたつもりだが、どうでも良い事ばかりが浮かんできた。
 ミスタの怪我を見て、というより店の窓ガラスが蜘蛛の巣状に割られているのを見て女性客達が悲鳴を上げる。
「銃声がしたぞ」
「警察には通報した」
 女性よりも男性の方が冷静なのか、それとも男の方こそ焦っているからあれこれと言葉を発するのか。
 って、警察呼んだのかよ!
 何をしてくれたんだと声の主のでっぷりと太った男の胸倉を掴みたかったが、両手共塞がっているので出来ない。
 右手は拳銃、左手は傷口。撃ち合いでも繰り広げたかのよう。
 実際に発砲した人間はもうとっくに走り逃げているだろうし――狙いがミスタだったのならば腹を掠っただけなので失敗、違う人物だったり威嚇射撃だったりしたのなら無関係の人間に当たってしまったのでやはり失敗――音からして撃った時点でそれなりに距離を取っているようだった。
 それでも気配に気付けた自分を内心誉めてやりながら、ミスタは「くそっ」とだけ吐き捨ててこの場を離れるべく駆け出す。
 発砲しただの何だのと当事者にされるのは面倒臭い。怪我をしているのだから当事者だが、警察は拳銃を片手に持つミスタを巻き込まれた怪我人として扱ってはくれないだろう。持ち合わせが少ない今、捕まればそのまま刑務所送りにされかねない。
「何なんだよ、今日は厄日かよ」
 報告は上がっていなかったが昨日は実際に質(タチ)の悪い客が実際に来て軽い喧嘩になった。帰宅し寝て起きて軽くシャワーを浴びても疲れが抜けきっていなかった。
 通報を受けた警察官が最寄の警察署から出てくるとして、取り敢えずそれとは反対方向へ走った。通行人の大半は急ぐ青年にしか見えていないようだが、中には拳銃を片手に持った負傷者だと気付く者も居る。
 ネアポリスの住人達が無駄な正義感に溢れていなくて良かった。多くが見て見ぬフリをする一般的な人間で良かった。
 これだけ離れれば先程の銃声の関係者に見られないだろうといった辺りで1度立ち止まり後ろを振り向く。
「ざわついてんな……」
 自分が強く意識しているからそう見えるのかもしれない。青に変わったばかりの信号を走るのは止めて歩いて渡り、右へ曲がり緩やかな坂を上った。
 普段住んでいる、縄張りとしている界隈とは雰囲気が少し違った。人通りが減ったし、富裕層とまではいかなくとも貧困とは無縁の世帯ばかりに見える。豪邸と呼びたくなるような集合住宅も幾つか有る。
 隣接している大型アパートメント同士の間の、雑草のたっぷりと生えた小路――尤も通り道として用意されているのではなく、2人までなら並んで歩ける程度の隙間――にミスタは入り込み、数歩進んでから腰を下ろした。
 露草の所為で尻が湿った気がしたが気にする事は無い。今は先ず騒ぎになりそうな種が通り過ぎるのを待たなくては。
 それに負傷した腹も痛い。
 1つのアパートメントの壁にのそりと背を預けて空を仰ぎ見た。
 頭上に広がる青空。高い建物2つの間なので陽気はここまで届かず、だからこそ涼しい。心地良さに目を閉じる。
 死期を悟った猫は飼い主に姿を見せまいと隠れる、というのは人間の目線。実際には静かな場所で体を癒そうとするらしい。体力を回復しきれずに死んでゆく老猫と自分を重ね合わせて虚しくなった。
 まして、視線を感じる。
 警察官ならば複数で行動するのでこんなに静かに見てくるだけという事は無い。
 発砲した本人ならばどうなるだろう。今度は近距離射撃で仕留められる。そうだ、自分を狙って撃ったのだ。流れ弾を当ててすまないと謝ってくる可能性は1割にも満たない。
 こんな所で野垂れ死にとは格好が付かない。自分の死なのだからもっと劇的に、映画のラストシーンのようにあるべきだ。
 ミスタはゆっくりと目を開けて自分がここに入ってきた右側へ顔を向け、このつまらない終わり方を見届けるであろう相手の顔を見た。
「怪我をしている」
 ぼそりと呟かれた。その声も顔も身形の全てが、予想と違い過ぎた。ミスタは驚きに丸くした目で『彼』を眺める。
 銃も、武器になる物の1つも持っていない。手には学生鞄のみ。
 服装も色こそ華やかだが学生服を連想させる物。そもそもそれを着ている体躯が学生でしかない。
 まあ、撃った奴じゃあなさそうだな……
 じっと見下ろしてくる顔も15〜6歳で、流暢なイタリア語だったが見るからに異国人。
 しかもとびきりの美少年。襟足以外は短い髪は真っ黒で癖1つ無く東洋人を思わせる。しかし大きく形良く色素の薄い瞳は西洋の雰囲気が有る。
 顔の作りが悪ければアンバランスと迫害されそうだが、見事に整っているのでミステリアスだの何だのと持て囃されそうだ。
「何故腹にそんな怪我を?」
 第一声と同じく澄んだ声だが無表情の所為か否か微かに陰気臭い。
「……ギャングスタなもんで」
 右手に持ったままだった――警戒を怠らなかったのではなく元の場所に隠す余裕が無かった――拳銃を向けずにただ見せた。
「返り血?」
 一瞬驚きはしたが、それでも外人らしい少年は動じずに首を傾げる。
「いや、いきなり撃たれた」
 左手を避けると予想より深かったのか痛み以上の出血ぶりだった。
「抗争とかじゃあねーぞ。全然わかんねーけど急にカフェのテラス席を撃った奴が居て、俺は怪我した挙げ句銃持ってるから疑われそうなんで、お巡りが通り過ぎるまで隠れる事にしただけだ」
「でも早く手当てをした方が良い」
「そうだな、このままじゃあ俺出血多量で死んじまうかもしれねぇな」
 いざ足を放り投げて座り込むと立ち上がる気になれない。
 ネアポリスの片隅で初めて会った異国の少年に看取られながら本当に死に行くのかもしれない。
「……お前、名前は?」
「名前?」
 何故、と聞きたい顔。唐突過ぎる問いに躊躇いを感じているようだが口を開く。
「……汐華初流乃」
「しょ、るの……?」
 出身は一体どこの国なのやら聞き取れずミスタは眉間に皺を寄せた。
「イタリア読みにするとジョルノ・ジョバァーナ。ジョルノが名前。アンタは?」
「俺はミスタ。宜しくな、ジョルノ」
 後どの位生きられるのかわからないので、残りの人生を共に過ごそうという意味を込めて「宜しく」と言ってみた。痛みが有ると人は弱気になる。
「ミスタ」
「そう、グイード・ミスタ。良い名前だろう?」
 だから敢えて、強がって口の端を上げた。
「本名、言うんですね」ジョルノは口調を少し丁寧にし「ギャングスタなのにどうして嘘を吐かないんですか――」
 言葉を止めて振り向く。
 人の気配だ。何人かが連れ立ってこちらへ来たのがミスタにもわかった。
「そこの君!」
「はい」
 呼ばれた少年――そう呼ぶには大人びているが青年と呼ぶのには早い――が素直に返事をする。
 少年の着ている詰まった襟の上着は後ろの裾にだけ模様が入っていた。
 それがよく見えなくなる。大量に出血して意識が飛び掛けたのかと思ったが、実際は座っている地面から生える雑草がかなり背の高い種類だかららしい。視界が濁ったのではなく、植物の穂先で見え辛いだけだ。
 否、やはり意識が遠退き始めているのだろうか。その雑草がぐんぐんと、疲労困憊の体を覆い尽くさんばかりに伸びている。
「この辺りで銃を持った奴をみなかったか!?」
 やはり警察官が騒ぎの元凶を探しにここまで来た。
「銃、ですか?」
 警察官には最初から丁寧な言葉遣いをするのかと、自分はやはり不審者にしか見えていないのかと嘲笑を浮かべた。今ジョルノが振り向いてもこの表情は見えないだろう。その位にこの小路は雑草が生い茂っている。
「どんな人ですか? 撃たれて怪我をしている人?」
「いや……撃たれた人間を見たのか?」
「銃を持っているかどうかはわかりませんが、血の出ている左肩を押さえて逃げる、髪の長い太った男なら見ました。あっちに行きました」
 どこを指しているか見えないが、遠ざかる足音からして指された方へ向かい警察官達は走っていった。
 怪我をしているのは腹だし、帽子に隠れる髪の短さだし、太ってもいない。一見根暗そうだったのに警察官に出鱈目を言い放てる程度には根性の座っているジョルノの姿が急によく見え始めた。辺りの雑草が背を縮めてゆく。
「通り過ぎましたよ」
 立ったまま目線だけを下げて。
「……あ、ああ、そうだな」
 間の抜けた返事をしてしまった。
「通り過ぎるまで、じゃあないんですか?」
「そのつもりだが……」立ち眩みを起こしそうで立ち上がれず「……どうして嘘吐いたんだ?」
 場繋ぎ的に尋ねてみた。吐いてくれたんだ、と言うべきだっただろうか。ジョルノは「何故でしょう」と目を伏せる。
「貴方の代わりに嘘を吐こうと思った」
「俺の代わり? ああ、名前を嘘吐かなかったからってか」
「腹から血が出るような怪我なんてきっととても痛い。それが……僕が負う筈だった怪我を貴方が代わりに受けてくれたように見えた」
 道理の通っていない言い分にミスタは首を傾げた。
 出血多量でジョルノの言っている事が理解出来なくなっているのだろうか。元から学の有る方でもない。
「今日腹から血が出る怪我でもしそうになったのか? あの時怪我しなかったのは俺のお陰、みたいな」
「そんな感じです」
「全く誰だよ、オメーにそんな事する奴は」
 へらへらと笑いながら尋ねると。
「義父(ちち)とか、クラスメイトとか」
 事故でそうなっただけだから、と続きはしなかった。腹の痛みを一瞬忘れてガバと立ち上がる。
「マジかよ、父親がそんな事を!? しかもクラスメイトって! おい、片っ端から連れてこい!」
 助けてもらったのだから絶対に助けなくては。今ミスタは1年前の単なるチンピラではなくファミリーに属するギャングスタなのだから。
「もう何年も前の事です。僕は逃げ出しましたから……寮の有る学校に入ったんです。だからもう義父に殴られる事も、それを知ったクラスメイトに何かをされる事も無い」
 大した差は無いが立ち並ぶとジョルノの方が幾分小さい。視線を外すと黒い睫毛が大きな瞳に影を落とし、ミステリアスな魅力が増して胸が高鳴りすらした。
 そんな顔をするなと慰めたい。折角綺麗な顔をしているのだから笑った方が絶対に良いし、柔らかな笑顔を浮かべるものなら見てみたい。
 しかしこの言い方では語弊が有るような、誤解を生みそうな。どうしたものか。
 小難しい事を考えるのは向いていない。一層勘違いしてもらった方が良いのでは。
「ソンナ顔スルナヨ」
「モウ痛クネーンダロ?」
「怪我ハこのミスタが全部引キ受ケルカラナ」
 それは約束したくない。
「笑顔見テミタイネ」
「所デ学校ノ寮ッテドンナ感ジナンダ?」
「見ニ行キタイ!」
 いつもの事ながら勝手に出てきて――意識するより先にヴィジョンが現れる事が多い――勝手な事を言い合うスタンド達を手で振り払う。
 ギャングスタ組織に入る際に『弓と矢』で身に付けた特殊な能力であるスタンドは同じスタンド使いにしか見えない。なのでジョルノには見えていないし聞こえていない。
 急に血塗れの手を振るう姿は頭の可笑しな奴に映ったのでは、と思ったのだが。
「……何ですか? これ」
「ん?」
「何匹居るんですか? 1、2、3、5、6、7……顔に数字書いてますけど、4番が居ないみたいですね」
「4は縁起が悪いからな。っつーか匹って数えるな、何人って言え何人って。因みに全部で6人」
「この子、泣きそう」
 ジョルノに人差し指でつつかれてNo.5は慌てて身を捩った。
「なんだか可愛い」
 笑うんじゃあねーか。
 満面の笑みとはまた違う、笑顔を見られたくないから嘲りで誤魔化しているかのような笑い方。
 セックス・ピストルズよりもお前の方が可愛いよ、とでも言って本当の笑みを暴きたくなる。
「この子はちょっと格好良い感じですね」
「オウ、有難ウ」
「どう致しまして」
「……お前ピストルズと会話してる?」
 極自然に話しているのでツッコミが大幅に遅れてしまった。
 決して笑顔に見惚れていたとか、ピストルズが羨ましいとか、No.2がちゃっかり肩の上で腹這いになっているのは自身の願望の表れなのかとか、そういった理由ではない。という事にしておく。
「そう言えばこの子達普通にイタリア語喋れるんですね。名前有るんですか? 僕はジョルノです」
 宜しく、とNo.7の頬に当たる辺りを撫でた。
「いやお前さ、スタンド見えてるよな? スタンド使いなのか? 矢に刺されなくても生まれ付きで使える奴とか居るし。父親の所為でずっと能力眠らせてた奴とか居たしな」
「父親の……」
「悪い、義父の話をしたいとかじゃあないんだ。取り敢えず見えるんだな。よし、お前達戻れ」
「エェー!?」
「未ダ話シテイタイ!」
「可愛イッテ言ワレチャッタヨ」
「煩い煩い、早く戻る。こらNo.3、ジョルノの襟に隠れるな」
 ひょいとつまみ上げるとすぐにヴィジョンが消える。ミスタもある意味完全にはコントロール出来ていない。
 同じように、あるいはそれ以上に制御出来なかったり、どこぞのフーゴのそれのように姿を見ただけで本体も含めて危険に晒されるスタンドの可能性も有る。
 無理に見せろとは言わねぇが、これは……ジョルノがスタンドで細工したんじゃあねーのか?
 先程まで座り込んでいた箇所を見る。尻の形に踏み潰された筈の雑草が生き生きと生い茂っていた。
 ましてその周りの、視界を妙に塞いでいた雑草の方は背を元に戻し、周囲のそれらと同じ高さしかない。
「今の子達、スタンドって言うんですか?」
「まあ……6人合わせてセックス・ピストルズ。それぞれの名前は顔に書いてある通りだ」
 納得したのか否か、ジョルノが急に抱き付いてくる。
「なっ……」
 突然の行動にピタと固まってしまったミスタの予想から更に反して、左腕をジョルノの肩に回させられた。
「……どうした?」
 すっかり体を預ける形になりながらも間の抜けた質問をする。
「手当てします」
「いや手当てって……」
「僕の寮の部屋で。帰る所だったし、先刻No.7が見に行きたいと言っていたし」
 ジョルノが1歩踏み出すのにつられてミスタも歩き出してしまった。
 路地裏とも呼べる小路から出た先の通りも通行人は殆ど居ない。
「ギャングって事は病院には行けないでしょうし、血を流したまま自宅なり有るとしたら隠れ家なりに行くのも不味いでしょう?」
 確かに正規の病院には行けないが非合法の掛かり付けが有る。
「……世話になる」
 しかしミスタはジョルノの心配に甘える事にした。

 傷は深くなくもう出血も止まったようなので肩を借りなくても歩けるが、言い出す気になれずそのまま連れられ歩いた。但し余り体重を掛けないように。
 女のそれとは違うが自分と比べれば細く頼りない。学生だからか、と学生寮の敷地に入った時に思った。
「ジョルノ! ちょっと……って……」
 部活動に汗を流してきたと言わんばかりの男子学生が声を掛けてきたがミスタの顔を見てたじろぐ。
「見ての通り今忙しいので」
 ジョルノはしれっと言ってのける。初めて聞いた時のように少し陰気臭い言い方だった。
 だが仲間外れにされたりといった事は無いのだろう。寧ろ一言で追い払ってしまう辺りスクールカーストは高い方かもしれない。
 そのまま寮と思しき建物へ向かい中へ入る。
「おっと」
 丁度清掃員らしき初老で小柄な男が出てきた。
「こんにちは」
「こんにちは、って……その人誰だい? 一応部外者は入れちゃあいけない決まりだよ」
「先輩が見ての通り怪我をしてしまったので、でも医務室を借りる程じゃあないので僕の部屋で手当てをしようと。今年卒業したばかりの先輩を部外者なんて言ったら可哀想じゃあないですか」
 ジョルノの顔色も声音も何1つ変えずに嘘を吐ける能力は一層羨ましい。
「ありゃりゃ、腹の所どうしたんだい?」
「ちと……転んだ先に有って刺さりかけた、みたいな……」
「訊かないでやって下さい。見ての通り『訳有り』ですから」
 それじゃあとジョルノはずんずん歩いてゆく。肩を借りているのでミスタもそのまま足を進めた。
 階段を上り「1番奥の部屋です」と言われたのでそのまま進む中、奥から2番目――ジョルノの部屋の1つ手前――のドアが開き1人の少年が出てくる。
 これと言って特徴は無いが、話をする前のジョルノ以上に根の暗そうな顔をした少年。決して背が低いわけではないが何かに怯えるように背中を丸めている。姿勢が悪いぞ、と後ろから蹴りを入れたくなった。
 しかし意外な事にその少年は片手に持った携帯電話で通話をしている。
 時代が時代だから学生が持っていても何ら可笑しくはない。ましてここは学生寮なのだから遠く離れた家族と話しているのかもしれない。
「ああ、ジョルノ」
 声も見た目に違わず、か細くひ弱そうだった。
「こんにちは」
「お客さん?」
 少年は顔を隠しそうな程長い前髪の下で必死に笑顔を作る。
「そう。じゃあ」
 話し下手だが話題を繋げたそうな隣人に対しジョルノは短く告げて最奥の自室へ入った。
 バタンと大きめに音を立ててドアを閉める。
「良いのか?」
「何がですか?」
「隣の奴……えっと、名前何て言うんだ?」
「……マリオ・ロッシ?」
 あーコイツ知らねーな。
 何とも友達甲斐の無い奴だ。恐らく隣人であって友達ではないと返されるだろうから言わないでおく。
 仮称マリオ・ロッシの部屋からも同じようにドアをパタンと閉める音がした。出てきた所のようだったので出掛けたのか。電話を終えて逆に部屋に戻ったのか。
 そんな事は気にしていられない。何せ今自分は学生寮の部屋の中に居る。隣のドアの開閉音が聞こえる薄さの壁ではあるが、ベッドも学習机も1つずつなので1人部屋のようで、だとすると部屋自体は広い。
 角部屋だから2人以上入れられない作りなのか、それともどの部屋もこうなのだろうか。廊下から見たドアは全て同じだった。
「座っていて下さい」
 そうは言われたが、果たしてどこに。椅子は学習机に向かうそれ1つしか無い。止められたら避けようと思いながらミスタはベッドに、掛け布団をずらしてスペースを作ってから座る。
 ジョルノは背伸びをして本棚の1つ――複数有るが読書家なのか、真面目な学生は皆そうなのか――の1番上から救急箱を取った。
 埃が溜まっていたのかふっと息を吹き掛ける。
「皆部屋に救急箱とか置いてんのか」
 救急箱を持つ様がそれなりに絵になる姿に尋ねてみた。
「さあ。これは入寮する時に持ってきただけですから。ああ、飲み薬は期限が有るんだ、大丈夫かな」
 飲まないからいいやと言い訳をしてベッドの隣に座る。
 この少年が義父やクラスメイトに怪我を負わされた時の為の救急箱だと思うと胸が痛む。見ている映画に虐待を受ける子犬が出てきた時の気分に近い。
「手、血だらけだから洗った方が良かったですね」
 流石に部屋に洗面所まではついていない。
 膝の上に置いた救急箱の蓋を開けてジョルノは先ず脱脂綿を取り出した。
 次いで取り出した消毒液をそのままドバドバと掛ける。見るからに嫌な予感がする。
 それを素手で掴んだまま何の予告も無く腹の傷口に押し当ててきた。
「ギャーッ! 痛い痛い痛いッ!」
「煩いです」
「何で!? 何でそんな事すんのッ!?」
 仰け反っても逃げられない。
「消毒しないと雑菌が入って化膿する恐れが有るからです」
 染みて染みて酷く痛む。
 お陰で鼻水が出てきたが、それをすり抜けるように消毒液の臭さが鼻についた。
「いいって! 入んねーから! 入れさせねーからッ!」
「もう少し静かに出来ませんか。貴方自称ギャングスタでしょう」
「適当に拭いてホチキスか何かで留めるだけでいいんだって!」
「隣から苦情が来たらどうしてくれるんですか。あとホチキスなんかで留めたら余計に雑菌入る」
 意外に大丈夫だったと言った所で治療法を変えてはくれないだろう。
「凄ぇー痛みを感じるからッ! 優しくして! 優しくッ!」
 ゴシゴシと擦るのではなくピンセットで摘まんで撫でるような感じで頼みたい。
「結構血垂れちゃってますね」
 ぐいとパンツを引っ張られた。傷口の浅さに反して出血量は多い。
「ッ!? 駄目! そこは駄目! 急所に消毒液は本当に死んじまうッ! 脱がせないでーッ!」
「口にホチキスしましょうか?」
 誰も急所等消毒しないと乱暴に傷口を拭い(ぬぐい)終えたジョルノは次いでガーゼとテープとを取り出す。
「未だ痛むなら湿布を貼った方が良いのかもしれませんが傷口に直接――」
「うわー俺ガーゼが良いなァー! ピストルズもみーんなそっちが良いっ言ってるッ!」
「ピストルズも?」顔を覗き込むように見た後、視線を手元に戻し「じゃあこっちで」
 ハサミでテープを切りガーゼに貼り付け『テープ付きガーゼ』にしてから大量の消毒液で黄色くなっている箇所へ押し当てて貼り付けた。
 怪我をした当人にガーゼを押さえさせてからテープで留めれば早いのに。
 無駄な手間を嫌いそうに見えるのに何故、と思った。指摘する前に気付いた。これは怪我人が自分でする手当ての方法。ジョルノは誰かに手当てをしてもらった経験よりも、自ら手当てした事の方が圧倒的に多いのだろう。
「……助かった」
「どう致しまして」
 長いのは襟足だけで前髪は決して――隣人のようには――長くないのにジョルノの顔はどこか影が掛かって見える。
 先程のように微笑の1つでも浮かべれば良いのに。ジョルノは無表情のまま血と消毒液とで汚れている脱脂綿を左手に取った。
 右手を翳す(かざす)。その手が二重に見える。
 錯覚だろうかと目を細めた次の瞬間、脱脂綿が何かの花弁に変わった。
「何の花だ?」
 どれも同じ種類のようだが、その小さな花弁達は紫と白をメインに、水色や薄いピンク等多数有る。
「リラですよ。異国の言葉でライラック、ハシドイとも呼ぶ。花は初夏に咲くそうです。とても良い香りのする花」
 確かに素晴らしく良い香りだ。血の生臭さも消毒液特有の匂いも吹き飛んだ気がしてきた。
「……あ? 何で花が出てきたんだ?」
 何度瞬きしてジョルノの手の平を凝視しても、そこに有るのは如何にも清楚な花弁。
「やっぱりお前スタンド使えるよな?」
 視線を上げて顔を見る。ジョルノはぱちくりと目を丸くする。
「スタンド……」
 改めて何だそれはと言いたげな顔の隣にもう1つ顔が見えた。
 人の形に程近いが人間ではない。頭部がつるりと丸く、目や口を思わせる部位の有る黄金色の物体。生物なのか何らかの機械なのかわからないが、体躯は本体であるジョルノによく似ている。
「いやそれだよ、それ」
 指した方を向いたジョルノとスタンドの目――のような箇所――が合う。2人揃ってにこりともしない。
「……見えるようになったのは、結構前からです」
 自身のスタンドを見詰めたまま話し出した。
「意思の疎通が出来るようになったのは割と最近。尤も、『これ』は喋りませんが」
「スタンドが喋るのは多分珍しい」
 少なくとも自分のチームには居ない。
 護衛対象のスタンドが本体と会話していたケースや、Eメールを介して文字でコミュニケーションが取れるなんてスタンドも話には聞いたが、やはり限られている。
「花が咲いたり枯れたりするのは確か、見え始めた頃から。最初は自分でもよくわからなかったけれど、どんどん思い通りに出来るようになっていった」
「じゃあ名前を付けたのは?」
「名前? これに?」
「無いのかよ。名前有ると便利だぜ。それに多分そいつも喜ぶ」
 ジョルノではなくスタンドの顔を見た。厳密には顔ではなく人間ならば顔に当たる部分、でしかないのだが。
「先刻は助かったぜ。雑草伸ばしてくれたのオメーだろ?」
 笑顔を見せてもスタンドの方は無反応。
 恐らく名前を付けても見た目にわかる喜び方はしないだろう。しかし変な名前でなければ内心は喜んでくれるに違いない。ピストルズの各々に見たままの名前を付けた時のように。
「スタンドの事全然知らねぇんだな。そうだ、詳しい奴に会わせてやろうか?」
「詳しい人が居るんですか?」
 スタンド研究者と思われては困るが適当に「居る居る」と答えておいた。
「匿って(かくまって)もらって手当てもしてもらったんだ、礼はする。金だけじゃあ足りない分にスタンドの話を聞くってのはどうだ。これから時間は有るか?」

 学生寮を出てすぐタクシーを拾った。アジトとも自宅とも全く違う方向へ少し走り、夕暮れがよく似合う郊外と呼ばれていそうな辺りで降りた。
 徒歩圏内には民家しか無いと言っても過言ではない、閑静ではあるが高級とはまた違う住宅街。どこへ行くにも車が必要になる。
 その中の1軒の小さめの家の、カメラが付いたインターホンを鳴らす。周囲と同じ位の広さの敷地だが平屋で、鳴らしてから暫く待って漸く「はい」と相手が出た。
「俺。ちょっと会ってもらいたい奴連れてきた。スタンド使いだけどスタンドの事何も知らねーんだ」
 了承の言葉と共にカチャリと音がして解錠される。
「手土産も無く入って良いんですか」
 ドアを開けて、入る前にジョルノが真後ろから尋ねてきた。
 物知りな友人ではなく年上で地位の高い有識者と予想したのだろう。その予想は外れてはいないが、ミスタはもう少しフランクな関係と思っている。
「大丈夫だよ。あ、お茶とかは出してもらえねーからな」
 足を踏み入れるとジョルノも後ろをついてきた。
 玄関には全身は映らないが大きめの鏡が1つ。
 他にこれといった物を置いていないからか広く感じる廊下の先はワンルーム。見るからに広いが妙にシンク等の背は低いキッチンの中には、広さに見合わない小さめの冷蔵庫が置いてある。
 リビング・ダイニングには複数人で使える大きさのテーブルが有るが椅子は1つも無い。立派なテレビやオーディオ、横のリビングボードの上には大きな水槽が有って中に亀も居るのにソファは無い。
 衝立(ついたて)が有り、その奥――ベッド等を置いている――から家主がキャンプ用の小さな折り畳み椅子を2つ手に出てきた。
「あっ……」
 ジョルノが声を漏らす。
 叫びたい気持ちはわかるし、声を出してはならないと抑えた事に至っては誉めてやりたい。
 家主は車椅子に乗った身体障害者だった。
 両足共見てわかる義足を付けており片目も不自由。全てを両手でしなくてはならないからか腕の筋肉だけはまともに付いているが、胸の辺りは「付いていた筋肉が落ちた」といった様相をしている。
 30代半ばの男は口を開いた。
「君が……ああ、イタリア語で大丈夫か? と言っても私もイタリア語と母国語のフランス語位しかろくに話せないのだが。綺麗な黒髪でアジアンのようだが、顔からするとイギリス辺りの出身かな?」
「……イタリア語で大丈夫です」
 そういえば何人なのだろう。
「よく知る友人に少し似ているな」
 車椅子を動かしジョルノの目の前まで来てじぃと見上げる。
「もしや日本人で、名前は空条?」
「母は日本人ですが空条という名前じゃあありません。その……僕はジョルノ・ジョバァーナです」
「私の名はジャン・ピエール・ポルナレフ。ではジョルノ、君はスタンドの事をどこまで知っている?」
 ポルナレフが折り畳みの椅子を差し出したので、ミスタは受け取って2つ共開き床に置いた。その1つに早々に腰掛ける。
「お前も座れよ」従い座るのを見てから「ジョルノは何も知らねーんだ。スタンドって呼んでる事すら」
「最近弓と矢に刺された?」
「結構前から見えてはいたみたいだが――ちっと家族間ゴタゴタしてるみてーだから、周りにスタンド使いは居ないっぽい」
 ほう、と言ってポルナレフは再び、今度は高さの近くなったジョルノの顔を見た。
「スタンドは簡単に言えば超能力の一種だ。魂がそれぞれ異なった姿と能力を持って形となる。私やミスタのように制御下に有れば良いが、その辺りはどうだ? 暴走して身に余るからミスタに相談した、というわけではなさそうだな」
 つい先程道端で知り合ったばかりだと伝え忘れていたが、友人か何かに見えているのだろう。
「……僕の意識の外で何かをしたって事は今の所無いと思います。僕も悪用とかは特にしていないつもりです。人助けとかもしていませんが。『あれ』は新たな生命を生み出すという、黄金のような体験をさせてくれる」
「黄金体験(ゴールド・エクスペリエンス)……君のスタンドはそう呼ぼう」
 名前が付いた。未だ警戒してか姿を見せないあのスタンド、ゴールド・エクスペリエンスは喜んでいるだろうか。
「悪用をしていないとの事だが、これからもそうあってほしい。10年以上前だが悪意を持ってスタンド使いを増やしたり、集めては世界規模で悪さをした男が居た。能力とその使い方によっては世界中を支配出来るのがスタンドだ」
 スタンドを使いギャングスタ稼業に従事しているのでミスタもある意味『悪用』をしてはいるが。
 ポルナレフがその10年以上前に討伐した男と比べれば可愛らしい物だ。と、言い訳をしておく。話を聞いただけだが相当な存在だ。
「射程距離もそれぞれ違うが、それでも日頃は常に傍に居る。背後霊等とひやかす者も居るが、私はスタンドを守護霊だと思う。私のスタンド、シルバー・チャリオッツがここまで身体を欠いた私を助けてくれているように、君のゴールド・エクスペリエンスも君を助けてくれるだろう」
 スタンドに関する重要な事と言えばその位だ。
 原則1人1体だとか、スタンド使いではない者には見えないとか、スタンドの死は本体の死であるとか、痛み等のフィードバックもそれぞれだとか。そういった事よりも大事なのはスタンドを自分の分身と捉える事。
 尊敬し、信頼する事。
「ゴールド・エクスペリエンス」
 本体に初めて名前を呼ばれてスタンドが姿を現す。
 名前の通り黄金色に輝いている気がした。

「不思議だったんです、バリアフリーのようだけどそうじゃあない」
 日が暮れ暗がりを走るタクシーの中で、左隣に座るジョルノがぽつりと呟いた。独り言ではなく話し掛けている。
「段差が全く無いのに、手摺(てすり)も無かった」
「ああ、ポルナレフの家か」
「家具が全体的に低いので腰の曲がった年寄りの家かと一瞬思いました」
「実際は未だ35だか36だか。お前より20個位上だな」
「やっぱりその位なんですね。逆立てている髪、年を取ってなった白髪じゃあないのがわかる。母国語がフランスと言っていたし、フランス出身?」
「そう聞いた」
 世界中を巡ってきたが生まれ育ちもフランスで、世間話の合間に母国に帰りたい気持ちは有ると言っていた。
 しかしフランスには今暮らしている家のような彼が生活し易い住宅を用意出来ない。そもそも生家を引き払ったらしく土地も買わなくては無いらしい。
 あの家はボスとなってからブチャラティが手配した。それは同時に解散させた元麻薬チームの面々に不動産関係――響き良く言えば――の仕事を与えたとも言える。
「お前は日本だっけ」
「母が」
「父親はどこの国の奴なんだ? 腹の立つ義父じゃあない方な」
「顔も知らないので全くわからりません。写真の1つも無い。母曰くエジプトで出会ったイギリス人らしいけれど、あの女はそんなに頭が良くないし行きずりだろうから違うと思う」
 酷い言い様だがそんな表現が相応しい、養父の虐待やらクラスメイトからの嫌がらせに何もしない母親なのだろう。出来れば親と呼びたくない。
「ミスタは?」
「イタリア。っつーかネアポリス」
「ずっと地元に居るんですね」
 相変わらず平淡な声音だったがこちらに向けている顔に微かな笑みが乗って見えた。
 このタクシーは言うならば白タク、運転手は組織の傘下にある。
 拳を構えて無銭までいかずとも安く済ませようと思い呼んだ。しかし込み入った話をするならば2度と会わない人間の方が良いと少し後悔した。
「まあネアポリスは良い街だからな。飯は美味いし海も綺麗」
 ギャングが蔓延り治安が良いとは言えない。だがそれも有ってミスタには住み心地は良い。
「大都市ではあるけれどずっと住んでいて、なのに僕達は出会わなかったんですね」
 窓から差し込む夕日に照らされながらそんな事を言う。今日いきなり出会ったのはロマンティックな運命なのか。
 ジョルノがもう少し年上で胸と尻の大きな女であればこのまま口説き倒すのに。未だ学生で何より男。運命とは実に残酷でロマンティックでも何でもない。
「でも良いんですか? そんな今日会ったばかりの僕が、アジト? そういう集まりみたいな所に行って」
「お前は俺の命の恩人も同然だ」
 それに自宅で自腹を切り謝礼金を払うよりも、ブチャラティに頼んで組織の金を渡してもらった方が、という良からぬ企みも有る。
 アジト前に着きタクシーが停まる。ぼったくり同然のメーターの額の半分を言ってきたので更にその半分位をにこやかに渡して降りた。
 一般人を伴ってアジトに来る事は何度か有ったが、男となると初めてだ。万が一ジョルノが敵対組織の一員だったら大目玉では済まないな、と有り得ない――でほしい――事を考えながらボスの執務室のドアを開ける。
「このド低脳がァーッ!」
 まさにそのタイミングで怒号が響き渡る。ミスタは気にせず執務室へ入るが、ジョルノは驚いたのか一瞬足を止めた。
「何だナランチャ、またフーゴ怒らせてんのか?」
 1つのデスクに向かって横並びで座っていたらしい2人が揃ってこちらを向く。
「ミスタ、お帰り」
 両手で頭を守る姿勢のままナランチャ・ギルガがけろりと笑った。
 今は立ち上がり、かなり分厚い辞書を殴らんばかりに振り上げているパンナコッタ・フーゴもその手を下ろす。
「誰ですか? その人」
 お怒りモードは収まったようだが、初めて見る顔へ警戒心を剥き出しにしていた。
「コイツはジョルノ」当人の方を向き「ジョルノ、2人共俺の仲間だ。プラチナブロンドが先輩のフーゴで、ブルネットがちょっぴりだけ先輩のナランチャ」
 適当な紹介だがジョルノは軽く会釈する。
「どこ行ってたんだよミスタ、ブチャラティが心配してたぜ」
「そのブチャラティはどこ行ったんだよ? いや……」
 アバッキオと共に外出の予定が有ると言っていた事を思い出した。
「じきに帰ってきますよ。明日の打ち合わせの件で連絡が有ったから電話をした時にそう言っていました」
「あー俺も電話しときゃあ良かったな」
 そうすればすれ違いにならなかったのに。と思ったが、もうじき帰ってくるなら問題無い。
「で、そのジョルノって奴はお客さんなのか?」
 下に一応、企業で言う応接室として使えない事もない部屋が有る。
 いきなりボスの執務室に招き入れた事を咎めたいのだろう。見た目にはナランチャの方が幼いが実年齢はジョルノの方が下、こんな子供にボスの部屋を見せるのは叱責されても可笑しくない。
「おいおい、コイツもスタンド使いだぜ? 追い出したら何されるかわかんねーぞ」
 草花の発生を中心とした可愛らしいスタンド能力のジョルノが、戦闘機で一掃出来るスタンド能力の持ち主のナランチャを脅すのは無理が有るが、互いに明かし合う事は無いだろう。
「そのスタンドにやられたんですか?」
 フーゴが「そこ」と指したのはガーゼで応急措置をされたミスタの腹。
「あー……この件から話さなくちゃあなんねーな」
 意識すると貼られたテープが痒い気がして上からボリボリと掻いた。
 ボス『以外』がデスクワークをする際に座る机と椅子はフーゴとナランチャが占領しているので――いつもの空き時間のように、仕事ではなく殆ど学校に通っていないナランチャに勉強を教えていたのだろう。殴り合いが始まらなければ微笑ましい光景だ――3人掛けらしいが2人までしか同時に座った事の無い大きなソファにジョルノを招き共に座る。
「お前ら向こうのカフェで発砲騒ぎが有ったの知ってるか?」
「発砲騒ぎィ? ミスタ、何やらかしてんだよ。一般人には銃は向けないってこの前もブチャラティと話してたじゃん」
「俺が撃ったんじゃあねーよ」
「撃たれたんですか」
 そこを。フーゴはやはり頭の回転が早い。
――ガチャ
 そうこう話しているとドアが開き、ブチャラティとアバッキオが帰ってきた。
「お帰りー」
「ブチャラティ、アバッキオ、お帰りっ!」
 呑気に片手を上げただけのミスタと違い、ナランチャは犬ならば尻尾を振り猫ならば尻尾をピンと伸ばさん勢いで椅子から転がるように立ち上がって2人の元へ駆け寄る。
「ほら」
 アバッキオがナランチャに小さな茶封筒を手渡す。早速開け、中から取り出した地図をまじまじと眺めた。
「誰だ?」
 そのやり取りの横でじっとこちらを見ていたブチャラティが厳しめの表情で尋ねる。
「コイツの名前はジョルノ。話せば長くなるから、まあ座ってくれ」
 怪訝そうなままブチャラティは奥の窓を背にする自身の席へ座った。
 アバッキオはブチャラティ以上に不服そうな面持ち――彼の場合はこれがデフォルトの表情か――のまま、その隣に立つ。
「撃たれた」
 思いの外短く纏まった。
 場の空気に初めて触れる筈なのに、意外にも気に留めた様子の無いジョルノの隣で足を組む。
「ここ出て30分もしない位。場所はカフェで窓ガラス割れてるからすぐにわかる。俺を狙ったのか偶々俺に当たったのかはわからない。まあ多分前者」
「誰かも見当付かないか」
「あちこちで怨み買ってるからなァー」
 暗殺を生業にしているつもりだが顔は割れている。寧ろ名前で売っている部分すら有った。
「それでそのガキは?」
 舌打ち混じりにアバッキオが睨み付けてくる。
「女が掴まんねぇから遂に男をナンパしてきたのか?」
「先に声掛けてきたのはジョルノの方だぜ? 名前を聞いたのは俺が先だが、逆ナンだよ逆ナン。ってのは半分冗談で、お巡り流して手当てもしてくれた命の恩人様」
「だからってアジトに連れ込むな。女やそのガキが別の組織と繋がっていたらどうする? それだけじゃあない、繋がっていなければうちと、一般人がギャングスタと関わりを持つ事になるんだぞ」
「その辺は大丈夫だって」
 連れ込む女達は口も尻も軽いが何より頭が軽く深く考えないタイプのみ。
 ジョルノはそういったタイプではないが、そういった目的で連れてきたわけでもない。勝手な印象だが黙っていろと言われたら黙っているタイプだろう。
「ったく……ああ、そう言えば、俺達は前にもこの話をしたな。今朝だったか?」
「そうそう。百億回は繰り返した」
「相槌適当過ぎんだろ」
「確かにミスタにとっては命の恩人かもしれないな」
 さっくりとまとめたブチャラティは席を立ち、ナランチャが地図を取り出した封筒――デスクに置かれていた――を手に取り、近くの戸の付いたキャビネットを開け中に鎮座する金庫も開錠した。
 ジョルノという無関係の人間が居る前で、と思うとアバッキオとフーゴのみならずナランチャも、ミスタ自身も息を飲む。
 乱雑に入れられている札束――ここは現金のみを入れている。下の方は10枚ずつを10束にまとめているが、上の方は適当に放り込んだ所為で向きも合っていない――を何十枚か取り封筒にバラバラと詰めた。
 そのままつかつかとこちらへ歩いてくる。
「ジョルノ、こっちがブチャラティで、あっちはアバッキオ。ブチャラティは俺達の、この組織のボスだ」
「組織のボス?」ミスタの方を向き「こんなに若いのに……最近立ち上げたばかりの組織なんですか?」
 初めて見るジョルノの焦る顔の前にブチャラティが封筒を突き付けた。
「俺の部下を助けてくれて『有難う』」
「はあ……」
 更に顔に近付けられた封筒をジョルノは手に取る。
「それは謝礼だ」
「謝礼って、これ全部ですか?」
 隣で手にしているのを見るとよくわかるがかなりの厚みが有る。あれだけ適当な詰め方をしていたのに。
「偽札じゃあない」彼なりのジョークにブチャラティは作り物のような笑みを見せ「だがいつでも貰える物でもない」
 ギャングスタを助ければ必ず謝礼金を手に出来るわけではないし、自身がギャングスタになった所でこうした些細な事で大金を動かせるようになるわけでもない。
 ブチャラティは笑顔でジョルノという一介の学生に感謝をしながらも「もう2度とギャングスタと関わるな」と言っていた。
 スタンド使いとはいえギャングスタに落ちぶれずに済むならその方が良い。
「見た所、あと聞く限りミスタを撃った奴とは接点が無いようだしな」
 まさか怪我をさせてその手当てをして組織内部に潜り込む等運が全ての行動はどこの敵対組織であろうと考えまい。
「ミスタ、場所はわかるのか? どこから撃ってきたのか。目の前じゃあないんだろう?」
 不意にアバッキオが声を掛けてきたのでそちらを向く。
「何と無くは」
「拳銃の種類は?」
「そっちならわかるぜ。どうせチーターシリーズだろ。撃ったのは不慣れだけど反動に負けたわけじゃあない、だから多分若い男」
「調べるのは明日だ。明日の昼、アバッキオとミスタで組織の管轄にもないのにこの町で銃を使う輩をとっ捕まえろ。俺の部下に、この組織に喧嘩を売るとどうなるか知らしめてやるんだ」
「了解。ミスタ、明日何時にする?」
「今日と同じ位で良いんじゃあねぇか?」
 同じ時間に同じ場所に現れるとは限らないがアバッキオのスタンド能力はそれを問題とせずに調査が出来る。ミスタはソファの背に腕を回し乗せた。
「それじゃあアバッキオ、ミスタ、ナランチャ、お前達の今日の仕事は終わりだ。いや、ミスタはそのジョルノ君、だったか? 彼を家まで送り届けろ」
 日も暮れたので1人で返すわけにはいかない。
「なあブチャラティ、オレこれからフーゴの仕事ついて行っても良い?」
「僕は1人で大丈夫ですよ」
「オレはブチャラティに聞いてんの」
 殊更仲の良い2人、撃たれないように共に行動したいとでも思ったのだろう。
「ジョルノ、送ってく」
 わざとらしく勢いを付けてソファから立ち上がる。
「はい」
 同じく立ち上がったジョルノを連れてボスの執務室から出た。
 ドアを閉める際にジョルノは一礼をしたが誰からも返事は無かった。チームメンバーにとってはもう2度と合わない人間だからだろう。
 外へ出て大きな通りに出て、運良く通り掛かったタクシーを停め乗り込む。
 行き先はジョルノに聞いてから言った。学校の名前をよく覚えていなかった。
「……本当にあの人がボスなんですか?」
 先程と同じように左隣に座ったジョルノが呟くように尋ねてくる。
「どの位前から活動しているんですか? 成り立ち全てを聞かせろとは言いませんが……でも、やはりボスにしては若過ぎる。二十歳やそこら位ですよね?」
 ブチャラティの名前を出さず、組織の名前も尋ねない気遣いは有る。
「俺達は元は組織の下っ端チームだったんだが、リーダーが上手い事やって幹部に上がって、その時のボスからちょっとした護衛の任務が回ってきた」
 暗殺チームを敵に回して大変な目に遭い、ボスは一般人である護衛対象を殺す為に護衛させた事が発覚、組織の頂点がそんな奴ではとチーム全員で反旗を翻した。
 ボスの親衛隊に命を狙われたりもした。腹を刺されたり全身を串刺しにされたり、全員が死にかけている。
 それでも生き延びボスを『倒し』て、ブチャラティが新たなボスとなった。
「組織を引き継いだんじゃあなく乗っ取ったってとこだな。幹部に上がってからも色々と苦労はしたが、護衛対象は俺達にとってのラッキーガールだった。ボスを倒したのも結局アイツだし」
「護衛対象、女性でスタンド使い?」
「あー……今は普通に学生やってるから話しても良いか。ボスの娘でさ、滅茶苦茶強いし物を柔らかくする事まで出来るスタンドを生まれながらに持ってた。父親に向かって「私を殺そうって事は私に殺される『覚悟』が有るって事ね!」って啖呵切るんだぜ?」
 そうしてボス自身を柔らかくし何も出来なく、死ぬ事も出来なくした自分達ギャングスタよりも余程強い少女。
「『覚悟』か……」
 尊い物の名を呼ぶように呟いてジョルノは窓の方を向く。
 艶の有るやや伸ばした襟足。黒くサラサラした髪を撫でてみたくなった。
 異性に今晩共に過ごさないかと誘うのではなく、子供によく頑張ってきたねと誉めるように。
「ミスタ」
「ん?」
 後頭部を見せているので顔は見えない。きっとまたあの世の中全てがつまらないといった表情をしているのだろう。
 またピストルズの姿を見せてやれば笑顔になるだろうか。
「僕の部屋に寄っていきませんか? 今度はお茶位出します」
「……ん?」
「もし良ければ泊まっていって下さい」
「え? 何で? いや俺は良いけと、何でまた?」
「ギャングスタに興味が沸いた。話を聞かせて下さい」
 こちらを向き直した顔には意外にも得意気な笑みが浮かんでいる。

 タクシーを降りて最初の難関は敷地の正門が閉ざされている事だった。
 学生寮らしく門限が有ると言いながら慣れているのか否かジョルノはその正門をよじ登って中に入ったのでその後に続く。
 次なる壁は寮の玄関自体が施錠されている事の筈だが、ジョルノは玄関のドアが開かないか試す素振りすら見せず建物の裏側へと回った。
「裏口でも有るのか?」
「非常口は外側からは開かないし、ゴールド・エクスペリエンスで開けてもすぐ隣が管理人室だからお小言を喰らってしまう。ゴールド・エクスペリエンスの能力は別の所に使います」
 スタンドの名前、ちゃんと呼んでやがる。
「廊下の窓に」
 言うや否や当のスタンドがその姿を現し、上へ剥けて『ジャックと豆の木』の絵本にでも出てきそうな太い木の幹を出し伸ばす。
 器用によじ上り始めた後ろ姿に登山家と書いた紙を張りたくなった。
 途中で止まり、こちらを振り向き見下ろしてくる。
「ミスタ、高い所苦手でしたか?」
「いや……」
 なら安心と再び登り始める。この方法以外に寮に入る術は無さそうなので続いて登る事にした。
 それなりに急なので両手両足を使って。コイツ意外にタフだな、と前――上――を行く姿を見ながら。
 登りきったジョルノは平然と窓――施錠されていないらしい――を開けて中に入っていった。一足遅れてミスタも登りきり、余り広くない窓から中へ入り廊下へ降り立つ。
「泥棒やってるみてぇだな……」
「ギャングスタって泥棒はしないんですか?」
「してるチームも有るだろうな。どっから上納金用意しきれたのかわかんねー小さいチームなんかはコソ泥やって横流しして金作ってんのかも」
 自分は未経験だし余り向いていないようにも思う。派手に騒ぐ強盗の方が楽そうだし、同じ息を潜めるなら暗殺稼業が1番だ。
 ジョルノが窓を閉めると同時に、その音に重なるように1つの部屋がドアを開いた。
 消灯時間を過ぎたからか真っ暗な廊下。そこで音を立てていたので煩いと苦情を入れられるのか。
 そう思い開いたドアの方を向くと見覚えの有る顔。
 ……誰だっけ?
 見覚えは有るが何という名前のどんな人間かは覚えが無い。
 片側に寄せてはいるがばさりと長い前髪の下の卑屈そうな顔。丸めた猫背に寝間着を着ている男子学生。
 ジョルノの部屋で手当てをしてもらう前に会った通称マリオ・ロッシだ。
「……ジョルノ、帰ってきたんだね」
 おずおずと名前を呼ぶ。
「あの、お帰りなさい」
 少年はジョルノが振り向いたのを良い事に話を続ける。少年の顔には暗がりだがよく見るとそばかすが有った。
「ただいま」
「相変わらず窓から入れるの凄いね」
 頻繁に門限を過ぎて、こうして帰宅しているのだろうか。
「晩飯は食べてきたの? その……」一瞬ミスタの方に目を向け「……一緒の人と」
「ああ、晩飯の事をすっかり忘れていた。すみませんミスタ、腹減ってますよね」
「俺はそうでもねーけど」
 撃たれて新たなスタンド使いに会って今し方木登りまでしたのに空腹感は無い。色々有り過ぎて胸がいっぱいだからだろうか。
「今から何か食べに行きますか? 貴方のお陰で臨時収入も有りましたし奢りますよ」
「年下からたかれねーよ」
「でも部屋で出せる物じゃあ腹の足しになりませんよ。ビスコッティ位しか無い」
「あのっ!」
 寮には菓子の、飲食物の買い込みに関する決まりは無いのか尋ねる前に少年が大声を張り上げる。
 他の部屋のドアが開いて誰かが顔を出してはと困るとキョロキョロと辺りを伺った後に改めてこちらを向いた。
「部屋に来ない? 食べる物有るから。その、2人共」
 ジョルノだけではなく、とミスタの方にも再び目を向ける。
「結構です」
「お前つれないな」
 勝手な予想だが廊下から物音がしたから、それがジョルノだと思ったから、ジョルノなら是非話したいからと少年は部屋から出てきたのではなかろうか。
 自分という邪魔者も居るが、それでも――名前すら覚えてもらえない関係性から脱し――仲良くなりたくて必死に話しているのでは。
「ミスタは彼と話したいんですか?」
「そうだと言ったら?」
 2人でどうぞ、と部屋に入ってしまうのかと思ったが。
「じゃあ少しの間お邪魔します」
 その言葉にミスタも少年も驚き目を見張った。
「……うん、入ってくれ!」
 昼間に入った角部屋の隣のドアを開ける。
「お邪魔します」
 少年の後に続いてジョルノはすたすたと入っていく。友情を取り持てて良かったと思い込む事にしてミスタも中へ入った。
 ここもまた1人部屋で作り――ベッドと学習机とクローゼットは備え付けらしい――はジョルノの部屋と左右対称。どの部屋もこうなのだろう。
 隣の部屋と違って良い香りは特にしない。ジョルノが捨てる物やら何やらを花に変えているから特別に甘く華やかな香りがしていたのだと気付く。
 少年の部屋には思いの外色々な物が置いてある。最も目に付く若い女が好みそうな鏡の付いた大きな洋服タンスの所為で部屋が少し狭く感じた。冷蔵庫の上には小さいが電子レンジが、ベッドの上には充電器に繋がれた型の古い携帯電話と有名なキャラクターのぬいぐるみが有った。
 趣味の悪い1人掛けのソファが無駄に2つ有るのでミスタは断り無くその1つに座る。
「ジョルノも座ってよ」
 言って少年はベッドの頭側に座った。
 何故か警戒している様子のジョルノから視線が送られてくる。何を言いたいかわからないミスタが首を傾げると、ジョルノは溜め息を1つ吐いてから空いているソファに座る。
「……お前さ、名前何て言うんだ?」
 ミスタとしてはこの少年の名前等知らないままで良いのだが、ジョルノにとってはお隣さんであり部屋にまで招かれているのだから覚えてやれよという気持ちから尋ねた。
「名前、ですか……」
「俺はグイード・ミスタ」
 名乗っても害は無いだろうとそのまま告げた。
 ジョルノにだけ真実を、とした方が格好が付いただろうか。ちらと横目に見たが特に反応は無い。
「えっと……」ジョルノの方を一瞥してから「……ヴィネガー・ドッピオです」
 偽名かもしれない。ジョルノに「嘘を吐くな」と言われては困るとその顔を見たのかもしれない。しかし当のジョルノは彼の名前を覚えていないので要らぬ心配だ。
「ドッピオ」
 早速ジョルノがマリオ・ロッシ改めてヴィネガー・ドッピオの名を呼ぶ。
「僕に何か用が有るんですか? ここ最近はよく僕の帰りを待っているみたいですが」
 それなのに今日初めて部屋に入った様子なのでドッピオは報われない。
「話をしたくて……何のかは、今から話すから」
 だから聞いてくれと、おどおどしながらも懇願する様子は見ていて苛立つ物が有った。
「……少し前からある人から『電話』が来なくなったんだ」
 まさかの人探しか?
 ならば隣室の同級生――そう言えば学年は同じなのだろうか――ではなく町の裏に顔の効く自分達ギャングスタにでも相談した方が早く解決しそうだ。
「その所為で、アルバイトをしているんだけど、上司みたいな仕事の指示をくれる人から電話が来なくなって、仕事が出来なくなってしまって」
「どんなアルバイトしてんだ?」
「取り次ぎ役、かな」
 ミスタの問いにドッピオは早口で答え、それからジョルノの方にやや身を乗り出す。
「その取り次ぐ先も駄目になっちゃって……今まで通り電話は出来るんだけど、皆もう仕事はしないの一点張りなんだ」
「話を聞く限りその上司とやらが自分で連絡をするようになったんだと僕には思えます」
 仲介を挟まない方が効率が良くなる。もしくはとても本人には言えないが別の人間を雇ったか。
「違うんだ、あの人はそういう人じゃあないんだ! 人前には絶対に姿を現さない……電話も受けるだけでこっちから掛ける事は許されない……こっちが何でも電話に出来るからって――あっ」
 ドッピオが慌てて、それでいてわざとらしく右手で口を押さえた。
「何でも電話に? ドッピオ、君のスタンドは何でも電話に出来るのか? 君はいつでも電話をしているようだったけど……そういえば今日はしていないな」
「昼間に会った時はしていたけどな」
「そうでしたっけ?」
 コイツ記憶力良さそうな顔面してんのに全く覚えてねーな。
「って、お前もスタンド使いなのか?」
「一応……」
「いや深くは詮索しねぇけど」
 喋らなくて良いぞと顔の前で手をひらひらと振る。
「僕達もスタンド使いだ。ミスタのスタンドは可愛い」
「可愛い?」
「止めろジョルノ、スタンド使いの中には知られたくねぇ奴も居る」
 自分から口走ったのでドッピオはそうでもなさそうだが。
 寧ろ知ってもらいたいからこそこの話を振ってきたようにも思える。ジョルノがスタンド使いかどうかを確認したがっていたような。
「……手で持てる物を電話に出来るんだ。回線を通さないから秘密の電話が出来る」
「そういう事か」
 果たして隣のソファに座るジョルノにも意味がわかっただろうか。
 何でも電話に出来るのならどこでも通話が出来る。携帯電話と違い料金が生じず充電が切れる心配も無い。というだけではない。
 そんな可愛らしい事に使うのは目の前に居るような学生達位のものだ。否、目の前の学生ですらそんな使い方はしていなかった。
「どこだ?」
「え……どこって……?」
「組織の名前。お前に連絡寄越す奴が1人でやってんのか?」
 ギャングスタ稼業を。
 麻薬なのか女なのか酒なのか子供なのか、何を流しているのかはわからない。もしかすると暗殺業の請け負いかもしれない。
 恐らくだがそういった昼や表には出せない依頼を、トップから下層或いは一般人へ繋ぐ役割をドッピオはアルバイトとして行って(おこなって)いる。
 答えない。しかし何の事かとも言わない。無言の肯定。
「スタンドの調子が悪かったりするんじゃあないですか?」
 詳しくないからこそ出る疑問。尤も本体の調子が悪いからスタンドも、という事はミスタ――ピストルズ――にも有った。
「そうかもしれない。ボスが居ないと何も出来ないから……」
 ボスと呼ぶからにはやはりそれなりの大きさの組織に属しているのか。
 しょんぼりと俯いた未だ幼い顔。ブチャラティなら足を洗うよう進言して早速行動を取り始めるだろう。
「そんな組織辞めちまえよ」
 恐らく上からも後から入ってきた奴からも蔑まれるばかり。ならば一層自分達の組織に、と思ったがこれを言っては学生をより深いギャングスタに染める事になってしまう。
「でも他に行き場なんて無いし……」
「行き場ってお前、辞めちまえ辞めちまえ! ギャングスタなんか」
 ギャングスタとしてしか生きられない自分のような人間がそれを言うのかと内心思った。
「辞めるなんて無理だ……でもネアポリスで1番大きな組織から他の組織に移るなんてのも出来ないよ」
「ネアポリス(ここ)ってそんなに沢山ギャングスタ組織が有るんですか?」
「潰しても潰しても対抗組織ってのは出てくるもんだが――」
 だが。
 ネアポリスでも『大きな』裏組織となると限られてくる。
 だが今ドッピオは「ネアポリスで1番大きな」という形容詞を付けた。
「最近妙に僕と話したそうにしていたのは、僕がどこぞの組織に所属しているならそこに入れてくれと打診したかったから?」
「ちょっと違うかな……今まではチームへの連絡役をしていたけれど、自分でチームを作ろうと思うんだ」
「どんなチーム?」
「新生麻薬チーム」
 へらりと笑うドッピオは今までボスから麻薬チームへの取次ぎをしていたのか。
「アイツらが売買をしないって言うんだったら、自分で直接してやろうって。売った分だけ金になるだろう? いや、勿論作った人に1番金が流れる仕組みにするつもりだけど」
「お前のその新生麻薬チーム、元の麻薬チームが居ないだけじゃあなくて、ボスも関与しねーって事になるよな? ボスの指示が無くても麻薬を流すって事に」
 所属組織からの離反だと、叛逆に見られると理解していないのか、ドッピオは「そうなるね」とへらへらした笑いを続ける。
「ジョルノには僕がリーダーの新しいチームに入ってもらいたいんだ」
 お前はリーダーって『タマ』じゃあねーよ。
 ドッピオの性格・性質等を知らないので言えた事ではないが。
 ミスタのリーダーはブチャラティ。彼位の人柄や人望を持っていなくてはリーダーは務まらないと思ってしまう。ブチャラティが優れ過ぎているとわかってはいるので気付かれない程度に口の端を上げた。
「スタンドで草花を自由に出来るよね? お菓子の箱を紫の花にしたり」
 寮は菓子を筆頭とした飲食物も何らかの制約というか取り決めというかが有って、それに反して飲み食いした物を隠蔽する為にゴミを花に変える習慣が付いていたりするのでは、とジョルノの横顔をチラリと覗き見る。
「スタンドって見られてるものなんですね」
「いやお前が案外迂闊(うかつ)っていうか……スタンドはスタンド使いにしか見えねーったって、こうしてすぐ近くにスタンド使いが居たりするから、まあ今後は気を付けた方が良いかもしれない?」
「疑問系?」
 危険な事に巻き込まれるかもしれないから慎重に行動しなさい、なんてまるで母親か何かのようで自身に合う言葉ではなく言うに言えなかった。
「兎に角さ、もしジョルノがどんな花でも出せるなら、僕達は元手を殆ど必要とせずに――」
「ジョルノに麻薬を作らせようって魂胆か」
 早速巻き込まれかけている。
「まさか麻薬自体を作ってくれとは言わないよ、その原料を栽培してくれれば良い。作る事の出来る奴に心当たりは有るし。でも原料を用意してくれる人が1番重要だから取り分はジョルノが1番多くなるようにするから」
「どう思います?」
 話を聞きながらもドッピオの方は全く向かない。
「俺の意見のままに行動する気かよ」
「参考までに。ミスタの……今日教えてくれた組織とは敵対したくない」
「だったら俺は『止めろ』しか言えねーな。うちの組織は麻薬絶対厳禁だし」
 言い終えてから「ミスタの所属している」と言い掛けて止めたのに気付いた。
 ドッピオはミスタがギャングスタ組織に所属している事を知っていたのか否か聞き流して、しかし違う箇所に目を丸くして身を乗り出してくる。
「麻薬を禁止……どういう事? いつの間に扱いを止めたんだ? 1番の資金源なのに!」
「いや、どういう事って言われてもなァ……確かに1番金になるかもしれねーけど、駄目なもんは駄目だ」
 ミスタは自身が実戦向きと、交渉やら何やらには向いていないと自覚している。これがリーダーのブチャラティならば、と帽子越しに頭を掻いた。
 ブチャラティは父を麻薬で亡くしている。ただ取引現場を目撃してしまったという理由で。だから憎んでいると言っていたし、恐らくそれだけではない。
 ギャングスタに堕ちてからも色々と見てきたのだろう。専門外だと自負しているミスタも麻薬でボロボロになった組織の末端を見た事が何度かは有る。
 1人で使い1人で破滅するなら好きにすれば良いとは言っていた。それが不可能だとブチャラティは知っているだろう。
「アンタ達のチームが勝手に麻薬を禁じているだけだろう? 組織は関係無い筈だ。なのに勝手な事をするなんて、ボスにお咎めを喰らったら、とか思わない……んですか……」
 年上の人間に対する口調じゃなかった、とドッピオは途中から丁寧な言葉に切り替えた。
「お前が何を勘違いしているのか知らねぇがうちの組織は今のボスになってから麻薬は絶対禁止、前の麻薬チームも別の仕事を担っている。言っておくがこんな内情を話すのは俺はお前に麻薬の横流しを止めてもらいたいからだぜ」
 数分前に名前を聞いただけの根暗そうで陰気そうで、ギャングスタ組織のボスや麻薬チームと電話をしていたなんて嘘八百にしか聞こえない学生の事を心配している、というわけではない。
 そんな人間がジョルノの隣の部屋で生活しているのが気に入らない。まして今まさに麻薬話にジョルノを巻き込もうとしている。
 ミスタにとってドッピオはわけのわからない学生だが、ジョルノは命の恩人だ。ブチャラティは送り届けた時点で縁を切らせようとしていたが、そうする気はさらさら無かった。直接言葉を交わせない状況になったとしても影から支え続けたい。
「待ってくれ……今のボスになってから、って……どういう事なんだ?」
「ミスタ、ドッピオと知り合いだったんですか?」
「いや今日初めて会ったけど」
「でもドッピオはミスタが、その……ミスタがどこに所属しているかを知っているみたいですが」
 確かにそのようだ。寧ろ今の体制になる前の組織を知っていて、変わった事を未だ知らないような。
 つまりこれは。
「……お前の所属している組織って――」
「パッショーネはいつから麻薬を禁止しているんだ? いや、ボスが変わったってどういう事なんだよ!?」
 ぎしとベッドを軋ませてドッピオは立ち上がる。ミスタが所属し、少し前にブチャラティがボスになり、先程ジョルノを招いた組織の名称が部屋の中に響いた。
「アンタは『拳銃使いのミスタ』だろう!? 麻薬チームのジャンキー女と通じてる!」
「あのガキとは通じてねーよ」
 麻薬チームに精製に長けていたティーンエイジの少女が居たのは事実だし、彼女が何らかの病――先天性なのか事故か何かなのかも知らない――によって劇薬レベルの鎮痛剤が無いと生きていけなかったのも事実。
 新たなボスのブチャラティが麻薬を全面的に禁止する方針を取り麻薬チームをどうするかに当たって彼女の処遇が1番の問題となり『話し合い』に出向いた事が有った。
 確かにチームの皆で行った時に妙に懐かれ、チーム及び組織を正式に脱退し入院した――治療の為でも延命の為でもない。緩和という名を掲げ穏やかに死を待つのみ――先へ見舞いに行ってやった事も何回かは有るが断じて『通じて』等いない。
「電話で散々アンタの名前を出してもうやらないを繰り返して、精製元を唆すとか困るんだよ、そういうの!」
 静かな人間程怒らせると怖いという現象を見せたいのかドッピオは大声で喚きつつ学習机の引き出しの1つを開く。
 1冊の本を取り出した。教科書や辞書の類ではなく、文庫本小説のようだった。それを頬に、厳密には上部が耳にぎりぎりで触れる位置に当てた。
「とぅるるるるるん、るるるん」
 電話の呼び出し音の真似事にミスタもジョルノも眉を寄せる。
「ああまた出ない! 先週位からずっとそうだ!」
「お前、もしかして今あのガキに電話してるのか?」
 何でも電話にするらしいスタンド能力はヴィジョンを現さなくても使えるという事なのだろうか。
 そうであろうとなかろうと、ジャンキー女と罵った少女が電話に出る事は絶対に無い。金輪際誰からの電話にも出られないし、見舞いに行く事だって叶わない。
 彼女は先々週息を引き取った。
 葬儀を済ませたという報せはブチャラティ宛の手紙で知った。中には写真も入っていた。病室で撮られた写真に映る、元麻薬チームの面々に囲まれている少女は――周りがギャングスタらしく無愛想な顔をしているのに――死の数日前だというのに心底楽しそうな笑顔を浮かべていた。流石に執務室に飾りはしないが、いつでも取り出して見られる場所に保管している。
「もういい、もういい! やっぱりアンタは邪魔だ、拳銃使いのミスタ!」
 文庫本を放り投げ、次に机の引出から取り出したのは自動拳銃。略してオートマと呼ばれるカートリッジ式のそれをこちらに向け構える。
「それはM84(チーター)……って事は、昼過ぎに撃ってきやがったのはテメーだったのかッ!?」
 銃声や威力から漠然と予想していた拳銃そのものを構えられて、初めて「こんな学生風情が」という気持ちが吹き飛んだ。
 嗚呼その目、間違い無い。ビネガー・ドッピオが狙ってきた。自分の、組織の『敵』はドッピオだ。
 しかしミスタが自身の銃を構えるよりも当然ドッピオがトリガーを引く方が早い。
――ガゥン
 銃口が火を吹く前に、初めての目の前の発砲に驚いているであろうジョルノを抱き寄せるように庇う。
 そんなミスタを守ったのはピストルズの1人。弾丸を蹴飛ばし弾いていた。発砲から軌道変更までの時間が短過ぎて金属音が1つにしか聞こえなかった。
「昼間はまんまとやられちまったが、真正面に見えている場合はどうとでも出来る」
 小さく弱いと思われがちなセックス・ピストルズは、その名の通りピストルに関してはプロフェッショナル。
「わあぁあああぁぁあぁーッ!」
 スタンドに弾かれた事を漸く理解したドッピオが叫ぶ。
「煩ぇよ。隣の生徒起きるぞ」
 言ってミスタは――左手でジョルノを庇いつつ――右手でリボルバーを取り出し構え、躊躇いも反動への備えも無く引き金を引いた。
――ガゥン、ガウン
 銃とはどう撃つ物なのか手本を見せた。連続した2発は見事に狙い定めたドッピオの右手の平中央を撃ち抜き自動拳銃を床に落とさせている。
「ドッピオの声で起きる位浅い眠りの人間ならば貴方達の銃声で既に起きているのでは?」
「お前そういうとこ気にするのな」
 面白い奴だな、と思うからこそドッピオから離さねば。ドアから出すか、ゴールド・エクスペリエンス――ピストルズと違い言葉は話さないが、そう呼ばねば機嫌を損ねそうな気がする――を使い壁を通らせるか。
「ミスタ、どうしますか?」
「取り敢えずお前は逃げろ」
「僕だけ逃げてどうするんですか。それに僕の事じゃあない」
 恐らくミスタの事でもない。
 明確な殺意を持って発砲し、また撃たれて負傷したドッピオをどうするか。
 殺すのか。
 それしか無い。錯乱しきっている証拠にひとしきり声を上げたドッピオは敵対者(こちら)や足元に落ちた銃ではなく、開けっ放しの机の引き出しを見ていた。
 学生でジョルノの隣人で、しかし私利私欲の為にギャング組織に携わり麻薬を流していて、陰気臭そうな雰囲気を醸し出していて、ミスタを逆怨みし殺す気でいる。
「ピストルズ!」
 名前を呼ぶだけで6人全員が自分のする事を理解し、それぞれ配置に付く。前3人は弾倉の中へ、後ろ3人は弾丸の軌道上の蹴りやすい位置へ。
 目標はドッピオ――穴の開いた右手が痛むのか、ふらりと机に凭れ掛かっている――の処理だが最優先事項はジョルノの保護。
 庇う為触れていた肩から手を放し改めて顔を見た。
 視線に気付いたか目が合う。
 色素の薄い目と白い肌。しかし肌目細やかで髪は黒く真っ直ぐ。混血児特有のミステリアスさは惹かれるものが有ったが、ここにきて妙な違和感を覚えた。
 ジョルノならば、もっと髪が――
「ミスタ危ないッ!」
 急に表情を一変させたジョルノに突き飛ばされる。
 意外に力が有るのか油断していたのかミスタはそのまま尻餅をついた。
 低い位置から見上げる光景に息を呑む。
 ジョルノがドッピオに細長い『何か』で首のすぐ下辺りを刺されている。服の上から、骨の有る箇所なのに深く刺さり早々に血が滲んでいた。
「うっ……」
 ぐらりとジョルノは床に両膝と左手とをつく。
 俯いているので顔が見えない。その床にぽたぽたと数滴血が落ちた。
 ドッピオが左手で無理矢理に掴んで刺しにかかった、机の引出から取り出したのだから自動拳銃と共に入れていた『何か』をジョルノは引き抜こうとしている。
 抜いては出血が激しくなるし、抜く為に無駄な体力を使わない方が良い。だから、だから止めないと。
 その『弓と矢』の、刺されて生き残った者にスタンド能力が身に付く矢を抜いてはならないと。
「はは……あはははは! どうなるんだろう? スタンドを既に持っている奴が刺されたらどうなるんだろう!? 誰も知らない。婆さんに売り付けずにとっておいたと言っていた、託してくれたボスだって知らない。死ぬのか、スタンドが無くなるのか」
 ブチャラティがのし上がる為の第一歩として殺害した、ミスタが加入した時は直属の幹部であった男の言葉を思い出した。
――今回は面倒臭いから試験は省略するよ、君素質有りそうだし。それを自分の体のどこかに刺してみて。度胸試しとかじゃあないから、ほんのちょっぴりだけで良いよ。生きていれば合格、入団を認めよう。
 あの住み着いている独房がパンパンになる程に太った男の言葉が事実なら、素質とやらが無ければ、スタンドが目覚めない場合は、僅かに刺さるだけでも――死ぬ。
「だから本当はミスタを刺したかったけど、でもジョルノでもいいや。協力してくれないスタンド使いは厄介だ。ジョルノの能力で別のチームや組織の麻薬を栽培されても困るし」
――ガゥン
 ミスタは何も考えずに発砲していた。否、ジョルノを殺させるわけにはいかない、とだけ考えていた。
 ギャングスタはいつ死ぬのかわからない。死なない為に先に殺してゆく世界。ミスタ自身が狙われるのは仕方無い。それだけの怨みを買ってきた自覚も有る。
 しかしジョルノは一介の学生。そうは見えないが義父や級友に蔑まされてきた、そうは思えないが今日会ったばかりの、そうは考えられないが――嗚呼可笑しい、ジョルノという人間がどんな存在かろくに知らない筈なのに。
 気を取られていたからなのか、ドッピオに向けて撃った銃弾を外していた。
「……チッ」
 大きく舌打ちした。これだけの近距離で外すのは生まれて初めてだ。2発使い残りが4発だったからだ、と脳内で適当に言い訳をしておく。
「ボスは余り話をする方じゃあなかった。自分の事を知られたくないから、ボロが出ないように。だけどスタンド能力の事をこっそり教えてくれた」
「時を消し飛ばす能力」
 応用して近しい未来を予知し、消し飛ばす時間の中を自分だけが行動し望まぬ未来を変える事も出来る能力だった。
「知っているのか? それもそうか、アンタ達がボスを……殺したんだから」
 正確には自分達チームの人間ではなくボスの娘が、殺したのではなく永遠に死に続けるも同然に柔らかくしたのだが。
「消し飛ばした先を予知出来る人間を、一体どうやって殺したっていうんだ? 例え予知した不運な未来を望んだ未来に変える事が間に合わなくても、変えきる事が出来なくても、未来を知っている分だけ『覚悟』が出来るというのに」
「『覚悟』か」
 ドッピオの言葉を澄んだ声で引き継いだジョルノが、尻餅を付いたままのミスタよりも先に緩慢とも言える動きで立ち上がる。
「少し前にもその言葉を聞いた」
 右手に矢を握っている。引き抜いてしまったのだろう。相当深く刺されたらしく細い矢の中程までベタリと血が付いていた。
「僕は『覚悟』という言葉を聞いた時、朝日を思い浮かべた」
 俯いた姿勢から背を伸ばしたジョルノは左手で詰めた襟を大きく胸元まで開いていた。痛々しい傷跡をこちらに見せ付けるように。しかしスタンド能力で肉や皮膚等の組織が蠢き傷口を修復し消してゆく。
「それは暗闇の荒野に、進むべき道を切り開くような」
 自分も立ち上がらねばと思った筈なのに体が動かない。ジョルノに掛ける言葉も浮かばない。目を離したほんの数秒の間に、彼の髪は綺麗な金色に変わっている。襟足以外も長く伸び、強い癖が出て特に前髪が特徴的に巻かれていた。
「覚悟とは、犠牲の心ではない」
 いつの間にかヴィジョンを現したスタンドもまた姿が変わっている。
 より黄金を思わせるような色合いになり、つるんと丸かった頭部が割れている。蕾が花開いたかのような変わり方にミスタは大きく息を吸った。辺りの空気がまるで草花に包まれた芳しい物の気がした。
 胸の周りをがばりと開けて花畑に佇む長い金の髪の少年。その側に控えるスタンドはまるで神の御遣いのようで。嗚呼つまりはジョルノが天使か何かのようで、このまま鎮魂歌の1つでも歌い始めそうで。
「ゴールド・エクスペリエンス・レクイエム!」
 新たな名を呼ばれたスタンドは表情を変えないままドッピオの方へ向かい大きく腕を振るう。
 顔面に一撃。
 微かな呻きを漏らしドッピオがベッドの有る方へと吹き飛ぶ。そしてそのまま悲鳴1つ上げずにその体を消した。
「……へ?」
 つい間の抜けた声を上げる。
 いや可笑しいだろ、と言いたかった。鼻血を垂らしたり歯が折れたり気を失っている姿がベッドに乗っていないのは可笑しい。
 有るのは充電が完了しランプが消えた携帯電話のみ。
――トゥルルル
 その携帯電話から初期設定でもこれは無いだろうと笑いたくなる程典型的な、正しくは耳に当てた受話器から鳴るべき音が1回。
 着信音ならぬ呼び出し音はそれだけで止まった。電源が切られたかのように不在着信を告げるランプはいつまで経っても点灯しない。
「……これで僕も人殺しですね」
 しんと静まり返った中、今日ですっかり聞き慣れてしまった声が呟いた。
「人殺し……なのか? 居なくなったみてーだけど。マジでどこ行ったんだ?」
 何でも電話に出来て通話出来るスタンド能力が有るのだから電話を掛けてみるか、と思ったが電話番号を知らないしジョルノも聞いていなさそうだし、ましてドッピオの携帯電話は見える所に有る。
――厳密ニハ殺人トハ違ウ。
 不意の声にミスタは改めてジョルノの顔を見上げるが、彼はドッピオが吸い込まれたように見える携帯電話を無表情に眺めていた。
 今の声は一体? 2人しか居なくなったこの部屋の中で聞こえた馴染みの無い声。
 もしやと、違うだろうと思いながらジョルノのスタンドを見る。
 スタンドはミスタの方を見ていた。
 口に該当する部分は動かない。しかし。
――矢ヲ受けレクイエムを歌エルヨウニナッタ『私』ノ能力。ジョルノもコノ事ハ知ラナイ。
 スタンドが意識に直接なのか何なのか声を、言葉を掛けてくる。
――世界ガ一巡シテモ終ワラナカッタ彼ヲ『終ワリノナイ終ワリ』ヘ叩キ込ンダ。彼ハ今、ソシテコレカラ先永遠ニ、マタ世界ガ一巡シヨウト、電話回線ト呼バレル電波ノ中ニ居ル。
 例えば大規模な電波障害が起きてもやがては復旧する電波の中に。
 それは電波を使い悪さし放題ではないかとか、電波のみならず電話や電気を扱えるスタンドなら干渉出来るのかといった疑問も有ったが。
 何でジョルノには知らせねーのに俺に言うんだよ。
 咎める意図は無いがミスタはわざと眉を寄せ、声に出さずに通じると踏んで脳内で言葉にしてみた。
――ジョルノが知ル必要ハ無イ。ダガ『私』ハ貴方ト、ジョルノさえ知ラナイ何カヲ共有シタイ。
 理解の及ばぬ返答に眉間の皺が深くなる。
 本体の知らない事をスタンドとその本体じゃあない人間が知っている、って何の意味が有んだよ? ピストルズが俺の知らねー所でジョルノと話てるってか?
 嗚呼、それならば納得だ。
 深層心理の更に奥まった箇所に自分でもよくわからない何かが有り、それを理解してかスタンドが不可思議な言動を取るのは、よくではないがミスタには有る事だ。
 さてはお前、俺の事好きだな?
 ミスタは表情を一変、口元をにやりと歪めて見せた。
 スタンドは首を縦にも横にも振らず、ただミスタの方を向いている。
――世界ガ何度巡ロウト、私達ハ貴方達ト歩ミタイ。
 控えめな告白を残してジョルノのスタンド、ゴールド・エクスペリエンス・レクイエムと新たに呼ばれるようになったスタンドはそのヴィジョンを消した。
 次に姿を見せる時は果たして、元の姿か今の姿か。ゴールド・エクスペリエンスかレクイエムか。
 何も言わずに立ち尽くすジョルノの髪が未だ金なので後者だろうと思った。テレビアニメの変身ヒーローのように一時的ではなさそうだ。
 その顔が先のスタンド同様にこちらを向く。
「……金髪似合ってんな」
 数分前までの黒く重たそうな髪よりも何倍も、何百倍も似合っている。見慣れている気すらしてきた。
「それはどうも。でもちょっと長くて邪魔臭いです」
「後ろで結べば?」
「切らずに?」
「それだけ綺麗なブロンド切っちまうの勿体無ぇだろ」
 ジョルノは一瞬視線を逸らしてから、ミスタの前へ膝をついて屈む。
 そのままがばと胸に飛び込むように抱き付いてきた。
「っ……」
 驚きに声が出ないミスタの両脇に腕を差し込んできた。そのまま持ち上げようとされる。
「立ち上がれませんか?」
「……ああ、立てる立てる。怪我とかしてねぇし」
 そのまま体を預けて立ち上がらせてもらった。
 甘えたいとは違うが体を寄せていたい。男相手にこんな感情を抱くとは。両の足――靴――の裏をしっかり床に付けてから体を離し、改めて金糸を巻いたような華やかな髪のジョルノの顔を見た。
 僅かな身長差ながらじっと色素の薄い目で見上げている。
 眉もしっかり金に変わり、睫毛までもが黒とは呼べない明るい色になっている。綺麗だと思った。これからも近くで見ていたいと思った。
「人殺しになってしまったのでこれからどうすれば良いか困っています。ギャングスタ組織に入れてもらえませんか? 守ってもらう分だけ働きます、悪事を」
 とんでも理論だが自分も殺されそうな者を庇い殺されそうになったという理由で3人程射殺してしまい、そんな窮地をブチャラティに救われる形でギャングスタに堕ちている。
 似たようなものだ。今回は随分と似たようなものになった。
「ミスタ? あの、駄目ですか?」
「まさかそんなわけねーよ」ぶんぶんと首を横に振り「これから悪い事しまくってやろうぜ。世界が一巡しようと四巡しようと一緒にな」
 ジョルノは不敵で性格の悪そうなそれではなく、幼さが有る可愛らしい笑みを浮かべた。似合わないとは言わないが、これはきっと随分と珍しい。


2019,07,28


関連作品:Hadn't Starting


ギャング(マフィア含)をギャングスタに統一する事で一巡後を表したつもりでしたがまぁ判りにくいのなんの。
TV版のキャストが某エロゲで「前にもこの話をしたな」「然り然り」と言い合う仲だったので。
しかし書き手の脳内ではミスジョルとブチャラティはPS2、ナランチャとドッピオはASBで再生される…
後の部ですが原作でループなり転生なりやってくれると同人者としては大変有り難い。
しかしこれじゃあミスタ×GEの気がするね!
<雪架>

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