フーナラ 全年齢

関連作品:シュレーディンガーの猫アレルギー


  借りてきた猫


 キャリーケースを下ろしてその小さなドアを開けて、フーゴは中の猫が出てくるのを待った。
「おいで」
 待てど暮らせど出てこないので声を掛けた。しかし未だ飼い主のジョルノに名前を付けてもらっていない猫は出てこないばかりか返事の鳴き声1つ上げない。
 キャリーケースの中を覗きたいが引っ掻かれでもしたらと思うと顔を近付ける事は躊躇われる。
 ジョルノが最近飼い始めた元野良猫を一晩預かる事になり、彼のスタンド能力で虫にしておいた餌の袋とペットトイレはもう元のそれらに戻っているが、肝心の猫自身は部屋に出てくる気は無さそうだ。
 フーゴはやれやれと溜め息を吐いてソファに腰掛けた。
 リビングのテレビが見える位置に置いたソファは一人暮らしには不要だと思っていたが、猫を預かる上では重要な物だ。ジョルノの部屋に居た時のように猫が陰に隠れられる。
 尤も猫は未だ出てきていないが。だが、だからこそリビングにソファが有って良かった。ダイニングチェアではイマイチ寛げないし、寝室のベッドに座っては猫の様子が見えない。キャリーは兎も角トイレは寝室には持ち込みたくない。
 テーブルの上のリモコンに手を伸ばしテレビを付ける。映し出されたのは安かろう悪かろうな衣料品のコマーシャルだった。
 何の番組を放送しているんだろう。幼少期にテレビを見る習慣が無かったので今も1人で見る事は殆ど無く、『今』は部屋に居るイコール1人なのでこの時間にどんな番組が放送されているかわからない。
 テレビもソファも暮らしていくのに必要だから揃えたが、フーゴが1人で生きていく上では必要無い。猫を預かって初めて意味を成す。
「初めてじゃあないか」
 呆れ調子の独り言。
 ナランチャが部屋に来た時には、ソファもテレビも少し高価だった静音タイプのエアコンもとても役立っていた。
 猫の子のような彼が大して面白くもない物語に目を輝かせていたのはこのソファだ。
 もう、ここに来る事は無い。
 泊まりに来る事も遊びに来る事も、擦れ違ってしまって喧嘩をしに来る事も。
 ナランチャは死んでしまったのだから。
 マイナスな事を考えても何の得にもならない。今は部屋に来た猫の事を考えようと振り向いてキャリーケースを見た。なんと猫が顔を出している。
 顔だけだがこのまま出てくるかもしれないとじっと目を合わせていると、その顔を半分程キャリーに引っ込めた。
 おいおい…
 猫に聞こえるように溜め息を吐いた。この呆れはお前が懐かないからだぞという意味を込めたが果たして伝わるのか。そもそも猫に理解出来るのかどうか。
 フーゴは前を向きテレビを見た。コマーシャルは終わりドラマか映画かはわからないが物語性の有る映像が流れている。
 古い物ではない。
 だからナランチャの『知らない』作品だ。
 時が過ぎれば過ぎる程、世界はナランチャの知らない物で満ち満ちてゆく。未来が現在になった分、ナランチャは過去の存在になる。フーゴにそれを止める事は出来ない。
 今はもう誰にも出来ないが、ジョルノなら出来たかもしれない。ナランチャが死んだ時、1番近くに居たのは彼だ。話によると肉体が入れ替わっていた、つまりは『隣』ではなく『一緒』に居たのだ。
 そして実際に隣に居たのはミスタ。元から兄弟のように仲が良かった。
 2人が助けてくれればナランチャは死ななかったかもしれない。生きて、今隣に居たかもしれない。
 猫が懐かないと不満を垂れながら、この女優美人だよな! とはしゃいだり、ワインを開けようと言い出したりしたかもしれないのに。
「……うっ、グ」
 嗚咽が胸の奥から込み上げてきた。口元を押さえたが少しばかり漏れる。
 大丈夫、涙はきっと、未だ零れていない。
 ミスタやジョルノがどうこうすれば良かった、のではない。
 僕が、悪い。
 その場に共に居なかったのだから。
 ボートに乗らないよう強く止めれば良かった。否、自分もボートに乗れば良かった。
 一緒に裏切れば良かったのだ。そうすればアバッキオもブチャラティも助かったかもしれない。顔を見た事も声を聞いた事もない元ボスなんかより余程裏切りたくない仲間達だったのに。
「ぐ……」
 自分が殺したも同然。ナランチャはきっと違うと言うだろう。殺したのは他でもないかつてのボスだと言ってくれるだろう。仲間達ではなくそのボスを選んでしまった自分に。
 肩の震えを止められない。嗚呼、堪えていた涙も零れる。
 せめて、一言だけでも伝えられたら。
「好きだった……」
 過去形にしてしまった。今も変わらず想っているのに。こんなに強く、ずっと想い続けているのに。
──にゃあ
 猫の鳴き声がしたのは右横、少し下の方。余り可愛らしい鳴き声ではなかった。
 見るとそこにはジョルノの飼い猫。
 元野良で雑種。疎らに黒い模様の入っている分類的には白猫。町猫だったので去勢済みの証に片耳が切られている。
 そして滅茶苦茶に『ビビリ』。なのに漸くキャリーケースから出てきた。と思えば何故か黄色いタオルをフーゴの膝に乗せてきた。
 黄色いミニタオルは犬らしき絵が描かれている。猫なのに犬。ジョルノが猫自身の匂いが付いていて安心するからと持たせてきた物だ。
──にゃあ
 もう1度、やはり余り可愛らしいとは言えない声で鳴く。
 ミニタオルを咥え、膝から太股へ移し置いた。
「……何?」
 猫なので返事が出来ない事はわかっているが一応尋ねてみる。
 まさかこのタオルでその涙を拭きなさいと言っていたらどうしよう。猫の毛が大量に付いているだろう物を顔に当てるのは避けたい。
 否、猫はそこまで頭が良くない。脳味噌がこんなに小さいのだから、と頭を撫でてやった。
 頭上に手を翳される事にも怯えていた猫だが素直に頭を撫でられている。
 小さな脳味噌で好き嫌いはきちんと有り、人間──恐らくジョルノ以外全ての──や騒音が嫌いで、このキャリーから持ってきたミニタオルが好き。好きな物が近くに有れば安心する。楽しい気持ちになる。悲しみが和らぐ。だから、きっと慰めてくれようとしていた。
「ふ、はは……」
 笑い声に嗚咽が混ざっているのが自分でもわかる。
「……有難う」
 元気になれるように気遣ってくれて。
 この部屋に泊まりに来てくれて。
 まるで彼のように。

「お前もゴミを漁っていた所を拾われたのか?」
 切られていない方の耳の先を摘まむように撫でた。
 猫は耳を触られるのを嫌うんだったな……
 そう思いながらも薄く柔らかな感触が気持ち良いので指が離せない。そして猫も意外に嫌がらない。
「黄色が好きなのか? それともこの犬?」
 当然返事は無い。猫が寛いだ時に鳴らすゴロゴロといった音も立てない。
「僕は犬よりも猫が好きかな。血統書が有ってショーで優勝するような猫じゃあなくて、お前のような雑種で良い」
 タオルに描かれている犬はこの猫ではなくジョルノの好みだったりするのだろうか。デフォルメされたイラストだが大型犬に見える。
「お前の好きな物は? 確かパウチ型のおやつは塩分が高いから与え過ぎちゃあ駄目らしいが、そう獣医師に言われる位好きだったりする?」
 孫を預かる祖父母のように、ジョルノの見ていない隙に沢山与えて仲良くなるのはどうだろう。猫の体に悪いならそれは出来ないか。
「なあ、君は──」
──ブウゥゥゥン
 低い振動音に顔を上げた。
 テーブルの上の携帯電話だ。手に取り見てみるとディスプレイはジョルノの名前を表示している。
「はい」
[猫は?]
 名乗りも挨拶すらもなくいきなりそれか。
「居ますよ、とても元気です。今──あれ?」
 泣かないでくれと、元気を出してくれと何も言わないがそっと側に居てくれた猫が。
 居ないッ!?
 姿形が無くミニタオルも消えている。額にぶわと汗を噴き出させてフーゴは立ち上がった。
 目を離したほんの数秒の間に脱走するなんて、そんなまさか。
「ね、猫ッ!?」
 名前が無いので呼びようが無い。否、逆にこの呼び方でも自分だと思うのでは。もう何でも良い、自分の名前でも愛する者の名前でも、猫でも犬でも良いから呼ばせてほしい。返事をしてほしい。
 ぶんと首を振って辺りを見回す。
 と。
「居た……」
 何の事は無い、キャリーケースに戻っていた。
「猫は今も元気に顔を半分だけ出してこっちを見ていますよ」
[良かった、僕からの着信音に驚いて走って逃げたりはしなかったんですね]
 いや、したよ。
[フーゴには従順な犬よりも奔放な猫の方が合うと思いましたが、どうですか?]
 この猫に奔放さは無いだろうと指摘する前に。
[アニマルセラピー効果は有りそうですか?]
「何ですか、それ」
[知りませんか? アニマルセラピー。動物と触れ合う事で、所謂『癒される』というやつです。イメージですがフーゴは犬と散歩するより猫の世話を焼く方が日々の活力になるんじゃあないかと思ったんです]
 ただ共に歩いて過ごすだけではその裏の苦しみがちらつく今のフーゴには難しい。
 だが振り回されてくたくたになって、疲れる程に誰かの役に立てる方が。
[僕達はギャングですからセラピストに掛かるのは抵抗が有ると思います]自分達だけでなくセラピスト側にも[それにフーゴは何とも無いと言って自分の心の不調を無かった事にしてしまいそうだ]
「そんな事は──」
[僕には最近のフーゴが疲れて見えます]
「ジョルノは……僕の事をわかっているんですね。有難うございます」
[外れていないなら良かった]
 微かに笑ったようだが、続く言葉は電話越しだからか淡々として聞こえる。
[まあもう預けた後なので相性が悪く余計に疲れが溜まっても、フーゴに我慢してもらう他有りませんが]
 元からこういった喋り方か。そして猫を優先か。
[猫とフーゴが大丈夫そうなら僕が見られない時にはフーゴに預かってもらいたいなと考えています]
 大丈夫だろうか。猫はここに来てから未だ何も食べていないしトイレも使っていないのだが。
[宿泊を伴う遠出なら僕の部屋に泊まればフーゴ自身もリフレッシュ出来ると思います。何でも揃っているし、近くのプールはこのホテルが運営しているので利用料をツケておく事も出来ます]
 今のジョルノは悠々自適なホテル暮らし。最上階スウィートではないが角部屋のジュニアスウィートで広くて清潔だった。
 そんな部屋から一人暮らしのアパートに連れてこられたのだから猫としては不本意というか不愉快だったりするのでは。
 猫の半分出した顔を見ながら申し訳無いなと眉を下げる。
 急に猫がキャリーケースから出てきた。
 すぐに戻っていった。と見せ掛けてタオルを咥えてまた出てくる。
「いつでも預かります」
 誰かと同じく警戒するのに、誰かと同じく優しい猫だから。


2022,02,26


猫不足が続いていたので猫の話を書いて、猫の日に上げてもらおうと1年強寝かせてしまった。
体調不良で寝込んでいると玩具持ってくるのは「いいから遊べ!」ではなく「これ楽しいよ?元気出るでしょ?」って意図なんだそうで。
まぁ中には早くこれで遊べよいつまで寝てんだ!ってお猫様も居るかもしれない。
<雪架>

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