ミスジョル 全年齢
シュレーディンガーの猫アレルギー
事務所の執務室で今日の仕事を終えたジョルノが足を組み直しながら。
「最近、猫を飼い始めたんです」
と、穏やかに世間話を切り出した。
「可愛いので見に来ませんか? 今日これから」
どこか甘さの有る声音での誘い文句。猫だろうと犬だろうと何も居なくとも、是非ともお邪魔したくなる。
ミスタはジョルノと何度も手を取り合い死線を潜り抜けてきた。
それだけではないが仲間への信頼以上の感情を抱いている。抱き合っている。
例えばジョルノがボスになってからすぐに戻ったフーゴも大切な仲間だが、ミスタとフーゴの絆とフーゴとジョルノのそれはよく似ているが、ミスタとジョルノの間に有る物は少し違う。顔を近付けて話したり、挨拶のハグが長かったり。
部屋に泊めた事も有る。未だ恋人ではないので手は出さなかった。代わりに翌朝一緒に事務所に入り、他に誰も居なかったのでキスはした。
断じて舌を入れたりだとかはしていない清い仲。ただキスは1度だけではない。向こうからしてきた事も何度か有る。
「仕事、それで終わりですよね? 是非僕の部屋に」
見終えた後は猫をケイジに入れて朝まで2人きりでゆっくりと過ごす提案なら乗った。
「フーゴ、猫嫌いでしたか?」
「僕ですか? 別に嫌いじゃあありませんが」
「それは良かった」
「いや俺を誘えよ!」
事務仕事を全部フーゴに押し付けてるので何も乗せていないデスクを叩いた。フーゴとジョルノが渋々といった様子で2人がこちらを見る。
「ミスタ、猫好きなんですか?」
気まずそうに尋ねるのはジョルノではなくフーゴ。
彼が最も信頼をおける仲間でなかったらお前より俺の方が猫に愛されるから見に行くべきだ等と適当な事を言って執務室から追い出している所だ。
「そうだ、俺も仕事終わってるし」
「終わってるも何も貴方の今日の仕事は昼過ぎに行った商談だけじゃあありませんか」
ジョルノがいつまで残っているんですかと続けなくて良かった。
揉め事の1つでも有ったら駆け付ける為に事務所で待機をしていると言えば聞こえは良いが、つまりは今日この後――昼過ぎの1件の後――何もする事が無い。
「ああそうだよそうだよ、だからオメーは「ミスタぁ、僕の部屋の猫を見に来て下さぁい」って言え」
「ジョルノがそんな喋り方をするなら、それはそれで聞いてみたいですね……というかジョルノ、学生寮に住んでいたのでは?」
アパート契約の手続きが――年齢の問題で――面倒だからと学校に籍を残しその寮での生活を続けていた。少し前までは。
「コイツ今ホテル暮らしだぜ」
「そうなんですか?」
「退学したわけじゃあないんですが、今の寮監がちょっと」
門限やら何やらで煩いのかとフーゴは納得したようだが、ホテルの部屋を借りた――実質引っ越した――後に「寮監が頬を触ってきたので出たかった」とミスタには話してくれている。
その話の後で頬に触れながら唇を重ねたりもした。
確かにこれは触りたくなると思ったし、それが自分は許されているのを誇らしく思ったのも記憶に新しい。
「ミスタはお邪魔した事が有るんですか?」
「……いや、未だ」
そろそろ落ち着いたからと招かれても良い筈だ。それがもう猫も飼っているとは。
猫に遅れを取り、フーゴにまで遅れを取るとは耐え難い。
「それで、フーゴは今日この後予定が有りましたか?」
「だから俺から先に!」
「デートの予定が有るなら無理にとは言いませんが」
「ジョルノ、僕が八つ当たりされる前にミスタを誘って下さい」
そこまでフーゴに言われて漸く若干ムスッとした表情でジョルノが再びこちらを見る。
「……来ます?」
「何だそのちょっぴり面倒臭いなあみたいな顔は!」
「ミスタも、来なくて良いと言われてしまいますよ」
「……行きます」
「フーゴと一緒ならどうぞ。フーゴ、来ますよね?」
「僕がこの流れで断れると思いますか?」
こうして2人でジョルノの部屋に猫を見に行く事になった。
2人でとか猫が目的とか、大変に解せないが。
ジョルノの住まいは高級感の有る事で有名なグループのホテル。エレベーターで上がり静かな廊下を歩く。
「最上階じゃあないんだな。意外だぜ」
「僕もてっきり最上階スウィートだと」
充分高層階だし最奥の角部屋ではあるが、それでもやはりギャング組織のボスともなれば更に高い額の部屋でふんぞり返っていそうなものだ。
ジョルノは『自宅』のドアをカードキーで開けた。
「……出迎え無しか?」
「ジョルノが飼っているのは犬じゃあなくて猫ですからね」
主人の帰宅を尻尾を振って喜びはしないだろう。
だが猫とは耳が良く好奇心旺盛な生き物。主人が別の人間と共に帰宅したのなら様子を見に来るのでは。
「それにしても素敵な部屋ですね」
「確かに」
「有難うございます」
白い床や壁や天井の玄関に当たる部分は生活感は無いが清潔感は有る。
そこを抜けるとすぐに大きく広がるリビングは観葉植物や壁掛けの絵画で華やかだ。
最上階ではないがジュニアスウィート相当らしくキッチンダイニングも見える。バス・トイレは別だろうか、広いのだろうか。
「洗濯はランドリーサービスが有るし掃除も入る。料理はあそこでやんのか?」
「飲み物位しか作りません。基本はルームサービスです」
「最高じゃあねーか。俺もホテル暮らしするかな」
今やギャング組織の幹部で自由になる金もそれなりに有る事だし。
「テレビもオンデマンドサービスの映画が充実しています」
ジョルノはリビングの大きなテレビの前のテーブルに置かれたリモコンを取り電源を入れた。
見たい番組が有ったわけではないらしくそのままリモコンを置いてから何かに気付いたらしく、テレビに向かう3人並んで座れるソファーへ目を向ける。
ソファーの上にはペット用のベッド――猫用にしては大きいので犬用か――が有る。またソファーはもう1つテーブル横に、1人掛けサイズでテレビを見るには右を向かなくてはならない向きに置いてあった。
「隠れていたのか」
ジョルノが大きなソファーの横にしゃがみ静かに話し掛けている。
ミスタも近付いて上からソファーの裏に「隠れていた」物を覗き見た。
「猫だ」
ジョルノと違う声に猫は心底怯え驚き最初から伏せきっていた体を完全に強張らせてしまった。今にも震え出しそうだ。
……猫なのに?
犬のように尻尾を振って飛び付いてこいとは言わないが、複数の足音に怯えてソファーに隠れるものなのか。
「猫、可愛いですね」
ジョルノの横にしゃがみフーゴが言った。その声に猫は益々縮こまる。
「でも意外です。もうちょっと、その、違う種類の猫をイメージしていました」
「わかる」
「てっきり手足が短く童顔なマンチカンや耳の垂れた小さなスコティッシュホールドなんかを飼っているのかと」
「俺は滅茶苦茶毛の長いヒマラヤンとか頭も良いノルウェージャンフォレストキャット辺りかと思ってたぜ」
「何という種類なんですか?」
「ミックスです」
「……何と何の?」
「それは知りません」
つまり雑種なのでは。
越してから飼い始めたのだから未だそんなに月日は経っていない。だから猫は猫でも『子猫』を飼っているのかと思った。
しかし威嚇はしないが警戒を解かない猫は成猫のようだ。大きさも顔立ちも子猫とは違う。
短毛種で白地に黒のぶち模様。黒い部分はどれも歪な形で少ないから間が抜けて見えた。
1番特徴的なのは耳の形。
「何か左耳、変な形してねー? ちょん切られたみたいな」
「ちょん切られています。去勢の証に」
「え? 元野良ですか?」
「はい」
ネアポリスにはそう多くないがローマのような野良猫の多い地域はこれ以上増えないように去勢し、オスなら左耳・メスなら右耳をシルエットでも去勢済みとわかるように真っ直ぐにカットする。
「拾った猫か……だからこんなにビビリなのか?」
「この個性に生い立ちが関係しているかはわかりません。ただ僕が拾ってきて無理に部屋に閉じ込めているわけじゃあありません。猫がついてきたから部屋に入れたのが始まりです。一晩泊めて、次の日病院で診察して、それから一緒に暮らしています」猫へと手を伸ばし「ミスタやフーゴを怖いのはわかるけど僕の事まで忘れたのか?」
手の平を上にして伸ばされた指先に、猫が漸く恐る恐るだが鼻を近付けた。
「そんなにビビリなのにジョルノには懐いてんだな」
猫はジョルノの手の平に顎を乗せた。やっと緊張が解れたのか目も細める。
ペットは飼い主に似るとよく言うのでジョルノももう少し心を開けば目を細めたりするだろうか。というか、自分とジョルノの関係は彼と猫との関係に劣っているのだろうか。
「何をしたわけでもないのに擦り寄ってホテルまで来たんです」
再現するように猫がジョルノに擦り寄ってきた。
猫を抱き上げ大きなソファーの上のペット用ベッドに乗せてその右隣に座る。
「フーゴもどうぞ、そちらの椅子にでも座って下さい」
ミスタの顔をちらと見てから1人掛けソファーに腰を下ろした。
「……俺は?」
「座る所有りませんね」
体を丸めて座った猫の背を撫でながら。
「座る所が有れば僕から部屋に来ないかと誘ったんですが」
「はいはい、立ったままでいれば良いんだろ」
「こちらどうぞ、僕はもうちょっと近くで猫を見たいので」
フーゴが立ち上がり席を譲ってくれる。
「良ければしゃがんで、下から接して下さい」
「相手より高い位置に居るのが好きなんですね」
フーゴは猫の前にしゃがんで見上げる。猫は見下ろし全く動かない。目を逸らしたら負け、という動物間の法則が働いている様子を1人掛けソファーに深く座って眺める事にした。
「名前は?」
「名前?」
「猫の。年はわからなくても――もしかして名前付けていないんですか?」
ジョルノは短く「はい」と答える。
1匹しか居ないので名前が無くても困らないだろうが、野生に返すと称して捨て直す予定も無いし名付けてやった方が良いのでは。
「いきなりじゃあなく手を見せながらだったら触らせてくれます。耳と手足以外」
「……頭を撫でても?」
「真上から触られるのは嫌いみたいなので、背中を撫でてからにしてあげて下さい」
言われた通りにフーゴはゆっくり、猫にじっと見詰められている手で顔を撫で、ついで背中を撫でた。
ソファーの裏に隠れていた時はあれだけ怯えていたのに逃げたり威嚇したり緊張で唾液を垂らし過ぎたりはしない。それ所か寛いでまた目を伏せる。
「温かいですね」
「尻尾の付け根の辺りを指先でとんとんすると喜びます」
どういう事だと思い見ているとフーゴは2本の指を揃えて尾の付け根を、円を描くように撫でた。もしくはくすぐった。くるくると回した指先で軽くその箇所を叩く。
猫はくぐもったような掠れたような鳴き声を上げた。
可愛くねー声……
にゃんとかみゃあといった猫らしい声で鳴けば未だ可愛げが有るのに。拾った時点で何歳かはわからないが人間に換算すれば良い年の『おっさん』の可能性も高い。
だというのにジョルノに愛され可愛がられ、ジョルノが信頼を寄せているフーゴに接し方を教える程大切にされている。
もっと愛らしい顔と声と毛並みで血統書の1つでもあれば納得もいくのに。
「そろそろ頭を撫でても嫌がらないと思います」
フーゴが手を猫の頭へ翳す。頭に触れる前に猫がその手を見上げすんすんと匂いを嗅いだ。
「あの……これは撫でるな、という事なんでしょうか……」
頭を撫でようとすればする程に猫は顔を上げるので手の平で頭に触れられそうにない。
「撫でられたい時は耳を下げるんですが……頭じゃあなく顎の気分なのかもしれません」
「顎?」
ジョルノが頷いたのを見て、フーゴは翳していた手を顎の下へと運ぶ。
猫はその手の平に素直に顎を乗せた。
上下に小刻みに動かし振動を与えると猫は心底満足そうにゴロゴロと喉を鳴らし始める。
未だ解明されていない猫のゴロゴロ音。余り鳴らさない猫も居ると聞く。この猫は相当大きく鳴らすタイプらしく離れて座るミスタの耳にもよく聞こえた。
「猫は……温かいですね」
フーゴは同じ言葉を繰り返した。ともすれば暑くなる位の体温と毛を持っている。
「可愛いでしょう? それに利口だ。トイレは絶対にペットシーツの上で、大に関してはあのペットトイレでします」
あの、と指した先には小さな家の形をした猫のトイレ。猫自身は小さなドアから入り用を足せるし、飼い主は屋根を外して掃除が出来る。猫を飼うのならとても便利だし、飼わないのなら「ペットは金が掛かるな」としか思わない。
「餌はドライタイプのフードをあげています。『おやつ』はあげると喜びますがこの子には塩分が高過ぎるので与え過ぎないよう獣医に言われました」
たっぷり考えられているようで何よりだ。ミスタは深く息を吐き足を組み直した。
「玩具で遊ぶのが好きですが、他に人が居ると飛び付かないかもしれません。従業員が清掃に入る時にはそれこそ隠れるそうです。掃除機の音が苦手で逃げ回るらしいし」
長く野良だったのに人馴れしていないようだ。元は飼われていたが殴られた末に捨てられでもしたのだろうか。だがそうだとしたら去勢済みの証に耳を切られはしまい。
謎の多い猫だがジョルノに愛され懐いている事だけはわかる。
尚このわかるは理解であって共感では決してない。
「静かな所が好きだから開けておくと自分からキャリーケースに入ります。病院に連れて行かれるとわかっていても嫌がりません。風呂は逃げるので手を焼くのはそれ位です」
「人間嫌いっぷりだって手ぇ焼いてるだろ」
忌々しいとでも言いたげな口調になってしまった。
だが止められなかった。その猫はそんなに良い所ばかりではないぞ、と言いたくて仕方無かった。猫の事等何もわかっていないのに。
「別にこの子は人間を嫌っていません。知らない『音』を警戒するだけです。フーゴとももう仲良くなったし、僕は一緒に寝ているし」
「一緒に?」
ミスタよりも先にフーゴが食い付く。
「僕が寝る時はベッドに一緒に入ります。僕の上に乗ったりはしません」
良い子だろうとどこか得意気なのが鼻に付いた。
ジョルノに対して苛々するのは生まれて初めてだ。否、不快感を生むのはジョルノではなく猫。道端で見掛けると声を掛ける程度に可愛いと思っていた筈なのに。
「良いですね。猫が布団の中に居れば暖かそうだ」
夏場は暑苦しいんじゃあねーの?
という言葉は流石に飲み込む。
「一緒に寝てみますか?」
場合によってはとてつもなく甘美なお誘いなのだが。
というかそれをフーゴに言うのか! 猫の所為で!
誰を妬めば良いかわからなくなってきた。
「何お前フーゴ泊めんの? その場合部屋代どうなるんだ? 仮にもホテルだからお一人様一泊分払わなくちゃあならないとかだったら困るよな。エクストラベッドだっけ、あれ搬入してもらうのか?」
気が滅入った分だけ無駄に口が動く。
「誰を何人泊めても別途金が掛かる事は有りません。猫もこの通り。部屋から出す時に必ずキャリーに入れるのなら何を何匹連れて来ても良いそうです」
ペット可ホテルだったのか。
「ホテルは融通が利くんですね。僕の住むアパートは『30cm以内、1匹』という決まりです」
「アバウトだな。俺の部屋は『鳴き声が少なく静か』だぜ」
「ミスタのアパートの方がアバウトじゃあないですか。この子位鳴き声が小さければ平気なんですか?」
「どうだろうな」
廊下で犬の鳴き声が聞こえた事が有る位なので大丈夫だが、遠出の仕事が入ったから預かってくれと頼まれたら堪らないので濁しておいた。
否、別に頼まれても、預かっても問題無い。犬のように散歩の必要は無いし、鳥のように飛んで逃げ出したりもしない。静かだし、怯えるばかりで噛み付かない。
「ちょっと待っていて下さい」
ジョルノが立ち上がり寝室側へ向かう。
猫は一瞬ジョルノの方を向いたが、すぐにフーゴへ顎を撫でるよう差し出した。
すぐに戻ってきた。手に可愛らしいデザインのキャリーバッグを持っている。
猫の視線を受けながら床に置いたキャリーを開ける。猫がフーゴの手から離れゆっくり立ち上がった。
尻尾を上げてのそのそ歩きキャリーの中に入る。
猫がペットベッドの上の時のように丸まって座るとジョルノはキャリーを閉めた。
「病院を連想して嫌がる、という事が本当に無いんですね」
「良い子でしょう? 居心地が良いのか開けてもすぐには出てきませんが、気に入っているタオルを前に置くと病院でもどこでもちゃんと出てきます。フーゴの部屋でもきっと大丈夫です。今そのタオルも持ってきます」
再び寝室側へ向かう。
「……ミスタ、僕にはあの猫が僕の部屋に来る流れになっているように思うのですが」
「俺も思った」
すぐに戻ってきたジョルノがはいと犬の絵が描かれた黄色いミニタオルをフーゴへ手渡した。
「あとはドライフードとトイレと、ペットシーツですね。先刻言った通りしっかりトイレの出来る子ですが、初めての『お泊まり会』で緊張するかもしれません」
「お泊まり会……」
「持ち運びやすいようカブトムシにします」
ジョルノは自身のスタンドを出し、猫のトイレを宣言通り1匹の虫にさせる。
「あの、ジョルノ、ちょっと」
「ヘラクレスオオカブトは嫌いですか?」格好良いのに、と摘まんで見せ「ドライフードはクワガタにしましょうか。喧嘩をしないと良いけど」
「そういう事じゃあ……」
「1時間で戻します。カブトムシでいられる距離にも制限が有るので真っ直ぐ帰って下さい。寄り道せずに。その子は外での生活が長いから屋外を嫌がりませんが、もう飼い猫です。猫は室内飼いが基本です」
猫を大切に思っているんだなあと感心する反面、その猫が行きたがったわけでもないのにフーゴの部屋へ送り出すのを確定しているのは一体。
「お泊まり会は何度だって開催しますが、明日絶対に帰して下さい。どんなに仲良くなってもあの猫は僕と暮らすんです」
同意でもしているのかキャリーの中からコツンと音がした。
「……じゃあ、1日借ります。泊めます、と言うべきでしょうか」
フーゴが先に、苦々しい笑顔で折れてくれる。
「後1時間で戻るならそろそろ帰ります。このホテルに猫と虫を乗せられるタクシーが居ると良いんですが」
クワガタとカブトムシを左手に乗せ――2匹は争わずじっとしている――右手でキャリーを持ち上げた。
自分から言い出して全て用意したのにジョルノが若干寂しげな表情を浮かべたのが見えたが指摘しないでおく。
「それじゃあ何か有ったら電話します」
「鳴き声聞かせて下さい」
指摘せずともジョルノが離れ難さに苦しんでいる事に気付いたであろうフーゴは若干困惑しながらも猫を連れて廊下へ出て行った。
「……猫、名前付けてやったら?」
ソファーに座ったまま声を掛ける。
「そうですね、少し考えてみます」
返事をしたジョルノは広い方のソファーに座る。
主が居なくなった猫のベッドを見た後に手を伸ばし掴んだリモコンでテレビのチャンネルを変えた。
番組はよくわからないリアリティショーから、数年前に公開された映画へ。
「オンデマンドチャンネルです。途中まで見ていました」
ホテル暮らしを満喫しているようだ。
映画はよくあるラブロマンス物で、2時間と少しの間に男3人・女4人が相手を取っ替え引っ替えに恋愛してゆき濡れ場も多々有る。
「結構終盤だな。これが終わったら帰るとするか」
「えッ!?」
らしくない心底驚いた様子にこちらまで驚いた。
余り興味の無い作品だが話題になっていたし見た事も無いのでこれを機会に、と思ったのだが。
だがジョルノが早く帰れと思っているとは考えにくい。考えたくない、が正しいかもしれないが。まして今は猫が居なく寂しがっている。
別途見たい映画も配信されているだろうから更にもう1つ見ていけと言いたかったりするのだろうか。
「帰るんですか? 泊まっていかないんですか?」
「あ、そっち?」
「どっち?」
「いやこっちの話。泊まってって良いのか?」
「先刻料金は掛からないと話したばかりです。内線1つでアメニティを持ってきてくれるし、その位の金を気にする人間はここに住めません」
確かに。ルームサービスも頼み放題にしているようだし、一体ホテルに幾ら支払っているのやら。
ギャングのボスとして集めた金を盛大に使い他者の稼ぎにして循環させている、という考えはギャングではなく昔の貴族か。
「今日のベッドメイクの後に猫は乗っていないので安心して下さい」
「安心、って……一緒に寝て良いのか?」
「そのソファーじゃあ体が痛くなるだけです。それともミスタ、僕と一緒に寝るのは嫌でしたか?」
「まさか!」
早く共に寝たい。否、今夜は寝かせない位言いたい。
「そっちのソファーに寝ろって言われたらそうするぜ」
紳士ぶってみるがいざ言われたら「なら喜ばせるな!」と憤るつもりだ。
「そんな事させられません。ここは猫が好んで座っている場所ですから」
「俺は猫以下か」
嗚呼、言ってしまった。ぽろりと零れた抑揚の無い本音。醜い嫉妬というより子供のようなヤキモチ。
「以下になるんでしょうか」
事も無さげに辛辣な事を言われた。
「免疫反応という意味では」
「……免疫?」
「アレルギーは免疫反応が過剰に起こる事を言います」
組んでいた足を下ろして真面目を装い聞いた。だが頭の中は何故今アレルギーの話をしているのか、という疑問で埋まっている。
「猫のアレルゲンで有名なのは百合の花です。猫と暮らし始めてから百合の花を買ったりスタンド能力で生み出したりしないように気を付けています。尤も、百合の花が必要な機会は早々有りませんが」
「葬式とか?」
「まさにその位です。百合の花粉がアレルゲンの猫と、その猫がアレルゲンのミスタ。上下というより左右の違いですが、ミスタの方が若干重症な響きに聞こえます」
だがミスタが百合の花もアレルゲンとしているわけではないので、やはりジョルノの言う通り上下ではなく左右に並べるべきだろう。
それよりも。
「俺猫アレルギーじゃあないんだが」
「違うんですか?」
「いつ俺が猫アレルギーになったんだよ」
「野良猫撫でた後はずっと鼻かんでるし、野良猫の方が擦り寄ってきた時なんて顔に蕁麻疹が出て目が半分位しか開かなくなっていたじゃあないですか」
「……まあなった事は有るが、でも猫アレルギーじゃあないぜ」
「アレルゲン検査の数値は?」
「調べた事無いから0」
「何ですかそのシュレーディンガーの猫アレルギーは」
やれやれと言わんばかりに肩を落とした。
「自分の体の事は知っておいた方が良いと思います。まあ飼う予定も無いのにわざわざ検査する必要は無いか」
「そうそう。吠えねーペットも飼うつもり無いし」
「飼いたくなったらこの部屋に越してくれば良いし」
「そうそう……って、ここに?」
「ミスタが住むようになったら猫にはベッドに上がって良い日と駄目な日が有る事を教えないと。賢いし優しいから僕が1人の時は一緒にベッドで寝て、ミスタと2人の時はちゃんとここで寝るようになる筈です」
ペットベッドの端をとんとんと叩く。
普段は2人寄り添い合って眠り、1人寂しい夜は猫に慰めてもらう。共に暮らしても家に居ない日が有る自分を、部屋から出る事の無い猫より優先するのは当然だろう。だがこれも『優先』の1つ。自分の方が上だと驕っても良いのではないか。
すぐに調子に乗ると言われそうだが、何事においてもポジティブに捉えておく方が人生は謳歌出来る。そうして前向きに楽しく生きてきた。
「どうしても猫が一緒に寝たがった場合は僕と猫がソファーで寝ます」
前言撤回の必要が有りそうな事を言われた。やはり猫の方が上なのでは。
「ミスタは我慢出来るでしょう?」
猫より信頼されている、という事にしておく。
「俺は多分猫アレルギーじゃあないし、もし猫アレルギーだったとしてもそんなに酷くない。って事は2人と1匹で寝ても良いんじゃあないか?」
「駄目です。悪化したら困ります。それとも隣に部屋を借りますか?」
「お隣さんかあ」
一緒に暮らすのはどうかという提案を蹴る事になるので乗り気ではない。
もしも引っ越しを考えていたのなら飛び付いていたが、今のアパートを出る予定が無いので隣に住むというだけでは心は余り揺れなかった。
「猫の目を盗んで夜這いに行きます」
ソファーの背に腕を掛けて優雅に足を組む。
連れ歩けば誇らしいし、そんなジョルノが夜な夜なベッドに入っていく相手が自分というのも気分が良い。そしてその余裕を崩すのはきっと悦ばしい。
――にゃあ
猫の鳴き声。勿論帰ってきたのではなく――そもそもあの猫は今のような可愛らしい声で鳴くのだろうか――テレビから聞こえた物だ。
真っ黒な髪と瞳が印象的で有名な美形俳優が、毛の長いふわふわとした白猫を抱き上げていた。
「猫……元気にやっているでしょうか……」
先刻離れたばかりの猫が心配とは。未だフーゴの家に着いていないのでは。となるとこの心配は車酔いの事か。
「寂しいなら俺が抱っこしてやろうか?」
「結構です」
キッパリと断られる。
「寂しがっているのは僕じゃあなく猫なので。明日の朝、猫が寂しがってフーゴを引き止めるかもしれない。ミスタ、明日フーゴは遅れて来るかもしれないので、今晩分の確認は貴方がして下さい」
ミスタがそこそこ猫が好きなのを知っていて、これ以上アレルギーが悪化しないように心配してくれていると思いたい。思いたいが、猫を優先しているようにしか感じられないので複雑だ。
2021,02,22
関連作品:借りてきた猫
2月22日はにゃんにゃんにゃんで猫の日!
という事で2人で猫をお題にした作品を上げる事にしました。
翌朝トイレとフードと結局1歩も出てこなかった猫の入ったキャリーを抱えてタクシーに乗り込むフーゴの姿が!
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