フーナラ 全年齢 ミスジョル(女装)
関連作品:The Drug(R18)
マスケラ
かさ、と音を立てて差し出されたのは1通の封筒。長方形の白い封筒は手に取ると花の形に型押しされているのがわかった。
シール等で留められていない。1度開けたのではなく最初から封をしていない。
「中を見ても?」
2人きりなので大きな声を出したつもりは無いが、病院の狭い診察室にはよく響く。
もうずっと自分の怪我や病気で病院には来ていない。ギャング組織と繋がっているこの外科には怪我が理由で来た事が無い。
今日も足の怪我の治療にと訪れた患者がどうやらスタンド使いのようだからと連絡を受けて来たに過ぎない。まして生まれながらのスタンド使いでこれといった問題は無かった。
それでは帰ろうと言った所で手渡された封筒を開くと中には2枚の紙。1枚は硬い葉書、もう1枚は薄い便箋。
「招待状?」
葉書の方は大きく招待状の文字が有った。場所と日時、主催とが書かれている。
もう1枚の紙にはその招待状を送った理由。それを読んでからフーゴは招待状の方を裏返し宛名を見た。
「……これを渡せ、と」
問い掛けると診察の際と全く同じ姿勢であろう座り方をしている医師は頷く。
組織と何の繋がりも無い、例えば観光客なんかが急患で立ち入っても誤魔化せるように診察室で医者と患者のように向き合って座り話していたのだが。
帰るべく立ち上がる前にフーゴは封筒を突き返した。
「差出人がうちのボスと簡単に連絡が取れると思っては困る」
宛名はギャング組織名と代表者様。ボスであるジョルノ個人の名前は無い。
「第一交通機関の会合に何故呼ばれるんだ」
医者が受け取ろうとしない封筒を開けてもう1度薄い紙の方を取る。
本来ならば葉書1枚で招待状として成り立つのに添え状が有る。面識が無いのに突然招く事への詫びの文と、自分達の財団の簡単な説明が書いてあった。
世界的に有名な財団なので読まなくともある程度の事は知っている。動植物の保護を中心に医療や化学等の方面で活動していると聞いていた。今は交通機関や超常現象に至るまで幅を広げているようだ。
「どうしても招きたいようで……この病院まで来たとの事で……」
それなりに良い年をした医者がぼそぼそと言い訳をした。裏の社会と繋がる方法にこの病院を選ぶとは無理をする。
しかしよく見付けられたものだ。ふう、と溜め息を吐いて添え状を封筒に戻した。
「渡す事が出来た、とは言って良い」
医者が年甲斐無く目を輝かせる。
「行くかどうかはボス次第、誰も口出しは出来ないとも伝えるように」
封筒を内ポケットにしまい、今度こそフーゴは立ち上がった。
土産物屋、病院、コンサートホール。今日は安全だが足を使う任務ばかりだったと思いながらフーゴは下位構成員では入れないボスの執務室の扉をノックした。
実は鍵を掛けていない事を知っているので返事を待たずに開ける。
「失礼します」
これは失礼ではなく邪魔だったか、と思う程にボスのジョルノと右腕のミスタが揃って立って顔を近付け話し合っていた。
2人の顔がこちらを向く。
「お疲れ」
「ホールの件はどうでしたか?」
「特に問題は有りません。それより病院で、これを」
きちんと整頓されている――デスクワークが特に無いから何も置かれていないだけかもしれない――執務机に小綺麗な封筒を置いた。
「何だこれ」
ミスタが手を伸ばし、封筒の中から2枚の紙を取り出す。
「げ、招待状じゃあねーか」
「主催名を見て下さい。これ程大きな財団があの病院を探り当ててまで組織と繋がりを持ちたがっている。悪い話じゃあないでしょう」
院長である医者の顔を立てるつもりは無い。単に不要な物を持ち込んだと思われたくないだけで。
ミスタの反応に不安を感じながらジョルノを見ると、日頃はポーカーフェイスと呼べる彼が珍しく困惑を顔に出していた。
「鉄道や航空なんかの、交通機関の企業達の会合のようです。欠席で返しても、何も返さなくても良いと思いますよ」
「いや、そういう事じゃあねーんだよ」葉書を戻した封筒をジョルノに向けて差し出し「丁度うちの組織として面識持ちたいっつー話をしていた位だ」
だというのに浮かない表情のまま受け取る。
傍から見れば無表情でしかないジョルノだが色々と考え込んでいるのがわかる。どうするべきか、というよりフーゴに何と説明するべきか。
「……組織『として』ですか?」
気になった事を先に問うとジョルノはこくりと頷いた。
「ミスタと2人で宝石商の子供に扮して会合に出た事が何回か有ります」
「そういえばとてもクリーンな財団だ、と言っていましたね」
「うちの事調べるなんて思えねぇ位にな」
手広い事業で敵が出来て、毒を制す為に最も強い毒を探しているというところか。
「組織としてじゃあなく宝石商の『娘』としてなら、申し分無く結びたい関係を結べるんですが」
言いながら執務机に近付き、1番上の引き出しから何かを取り出しフーゴへと手渡す。
取り出したのは1枚の葉書で、それもまた招待状。全く同じ、財団からの会合への誘い。
1つ違う所が有るとすれば「数多の宝石よりも美しい御息女も是非」と現理事長の名と共に手書き文字が添えられている事。
「……随分気に入られたみたいですね」
強盗から守ってくれとギャングに頼む悪徳とまではいかないが裏との繋がりの強い宝石商には放蕩息子が1人しか居ない。彼に扮したミスタと、如何にも愛人を囲っていそうな主人の隠し子をでっち上げて扮したジョルノから聞いた話では、理事長は決して異常な性癖等は無さそうなのだが。
「『男のような女』がそんなに好きなのか……」
溜め息混じりに呟くジョルノが愛人との『娘』だから外に出していないという時代錯誤なキャラクターを演じきった為に目覚めたのかもしれない。
「宝石屋さんに久々に呼ばれたから行ってみたら渡されたんだよ、その招待状。会長様もよくやるよなぁ」
「完全に私情ですよね」
それを顔を近付けて話していたのか。どんなに財団理事が架空の娘に想いを馳せても、彼女ならぬ彼の心は揺るぎそうにない。
ミスタが改めて腕を組んだ。
「どうするよ。ギャング組織のボスで行くのか、それとも宝石屋さんの娘で行くのか。俺としては宝石屋さんで行ってもらいたいね。娘が来ないからって財団から村八分にされたら宝石屋さんの今後が大変だ」
「同時に娘に会いに来られても困る。年に数度でも呼べば必ず差し出す、という認識を持たせておく事が大事だ。それに――」
「この顔」ジョルノの頬を摘まみ「バレてっからな」
自らのボスに何て事を、と咎めたいフーゴの意思を知ってか知らずか「参りましたね」と摘ままれたまま返す。
「顔隠して行かなくちゃあならねーな」
「僕が2人居ればそうするんですけど。ミスタ、フーゴ、2人で行ってもらえますか?」
「ボスは足を運ばない、と?」
ならば一層行かない方が良いのでは。表の世界に生きる人間には親衛隊が2人も来たとしても、有能とされる社員が2人来たが社長は来ない、程度に思うだけだろう。
「じゃあ僕とミスタとで行きます。フーゴは僕の代わりに娘のフリをして下さい」
「馬鹿か! 出来るわけがない!」
「フーゴ、お前自分のボスに馬鹿は無ぇだろ馬鹿は」
「お前には言われたくないッ!」
怒鳴り付けてもミスタは「それもそうだな」と受け流し、漸くジョルノの頬から指を離した。
「確かにフーゴの方が背は少し高いし声も少し低い。認めたくはないが僕はそんなに背が高くないし声も低い方じゃあない。どこにも顔を出していないから誰も僕をボスと思わない。細身で金髪の未だ若い男がボスだ、という噂は流れてしまっているけれど」
その噂はフーゴも耳にした事が有った。末端の構成員に実際はどうなのかと聞かれた事も有る。
一応その条件ならば自分も当てはまると笑って退けたが。
「細身で金髪の未だ若い男、ねェ……」
ミスタの言葉に彼もジョルノもこちらを、例の末端構成員のようなじとりとした目で見てきた。
ホールで開かれる大企業を多数招いた会合ともなればドレスコードは必定。不満そうながらもミスタはしっかりと黒地に微かにグレーのストライプの入ったスーツを着て車を運転していた。
お調子者といった面の強い彼だが車の運転は意外に大人しい。苦手、とまではいかずとも不慣れなのだろう。
運転は基本的に『下』の者が行う。ミスタの上となれば今やボスのジョルノしか居ない。立場は同じとされるミスタとフーゴとで車に乗る際は年下だからと――存外運転が嫌いではない――フーゴが運転している。
今この瞬間を除けば。
「ミスタ」
「あ?」
「ジョルノと2人で車に乗る時はどちらが運転しているんですか?」
ボスと親衛隊なのでミスタなのか、年齢やギャング歴でジョルノなのか。
「……何だってそんな事訊くんだ?」
バックミラー越しに後部座席に座るフーゴへ目線が飛んできた。
「別に深い意味は無いです」
「お前の場合はどーだったんだよ」
「僕はジョルノと2人で車に乗った事が無いですね」
「いやそういう意味じゃあなくて」
ならばどういう意味か、と問う前にミスタの目線は前へと戻る。
「如何にも! って感じだな、その見てくれ」
急に変わった話題にフーゴは自身のスーツを見下ろす。ミスタのそれよりも更に1ランク上のドレープ感の有る茶系のスーツは着心地も見た目にも申し分無い。
「僕にぴったり合わせたサイズという事は、ジョルノが着たら少し大きいかもしれませんよ」
レンタルではなく購入したスーツは店で仕立て直す事が出来るが、ジョルノがそれを良しとするかはわからない。もうすぐ背が伸びるから不要だと言いそうだ。
「顔のデカさなんて早々変わんねーだろ」
「え? 顔ですか?」
「マスクの話」
「ああ……」
市販のコテで無理に髪を巻いたフーゴが顔に身に付けているのはヴェネツィアンマスク。大理石を思わせる白の、鼻より上を完全に覆う形。これだけ本格的でありながら耳の後ろにゴムで掛けるタイプでやや重たい。金とダイヤモンドとプラチナとを左右対象に1つずつ泣きボクロを思わせる配置で施されていた。
「これ、ジョルノも使うんですか?」
「お前がボスのフリする時だけ使うってなったら逆にバレちまわねぇか?」
その通りだが、それはつまり今日以外にも組織のボスのフリをして人前に出る事が有る、という事なのだろうか。
未だ誰にも会っていない内から精神的疲労が尋常ではないのに。フーゴは暫し忘れていた溜め息を思い出して大袈裟に吐く。
それを聞いてミスタはからからと笑った。
「今頃ジョルノもタクシーの中で何度も何度も溜め息吐いてんだろうな」
ジョルノは最寄り駅前のホテルのシングルルームでドレスに着替え化粧をして、それからタクシーで会場に乗り付ける。
宝石商の娘もギャング組織のボスも、どちらも会合に顔を出すにはこれしか無いという2人の発想をフーゴも良い物だと感心はした。
しかし自分がボスを演じるとは。チームを持ちたい、幹部に上がりたいといった夢は有ったし、親衛隊にまで上り詰めた今とても充足しているが、ボスとなり組織の頂点に立ち全てを束ねたいと思った事は流石に無い。
「本人は認めねーけどクオリティ高いよな」
「そうですね、僕がボスを名乗るよりもずっと本格的だ」
声にも口調にも仕草の隅々にも気を使い、自然な範囲の『しな』をも作る。
「オメーも胸張ってりゃあボスに見えるって。昔のボスとは全然違っても、今のボスのジョルノとは似ているっちゃあ似ているんだからよ」
「昔のボス、か」
ヴェネチアンマスクの奥でフーゴは目を伏せた。
遂に顔の1つも見る事の無かった今は亡き『先代』のボス。ジョルノも人――部下の――前に出る事は無いが先代程徹底してはいない。
閉じた目蓋の裏側に浮かぶのは先代の下で共に任務に就いた、そしてその先代に殺された仲間達。
未練がましいと言われようと、1度は仲間達ではなくボスの側についたではないかと言われようと、それでも憎いものは憎い。
既に死んでいる――死に続けている、らしい――ので復讐のしようは無いし、復讐した所で彼らが帰ってこない事も空の上で喜ばない事もわかっている。
行き場の無い憤り。
「そういやジョルノは女の格好する時合わせたパンツ穿くんだぜ」
「合わせた? 女物、という事ですか?」
「色も合わせてる。青の時は青、赤の時は赤」
まるで見てきたかのような物言いだが指摘しない方が良いだろう。
下着の色まで意識する程の気概を持って自分もギャング組織のボスを演じきるべきだ。
開けた目で窓の外を見れば夕焼け空で、明日の天気が良いのか悪いのか赤というよりは橙。それはとても好きな色。
招待状を渡し受付を済ませて会場へ入るとやはり他者からの視線が痛かった。服と靴以外は場違いでしかない未だ若い青年が2人、まして片方はヴェネツィアンマスクで顔を隠しているのだから無理も無い。
見渡す限りでは護衛を付けている者が殆ど居ない。ネアポリスは決して治安の良い街ではないのに無用心な事だ。
企業のトップクラス達は皆護身術を身に付けているのだろうか。一部の者はでっぷりとした贅肉で外敵を弾きそうだが、小柄で狸を連想させる者も何人か居る。
ここに居る人々で陸、空、海の交通全てを司っているようなものなので、狙うならば1つの企業・個人よりも会場の爆破だから護衛を連れる必要は無いのか。
先ずは理事長に、と探し――ミスタが顔を覚えていて助かった、世界規模の財団法人の理事長を思わせるオーラが無い、50手前位の普通の『おじさん』だった――軽く挨拶をした。本日はお招き頂き、から始まる定型文を伝えると驚かれた。
「噂通りにお若い『代表』の方だがマナーがきちんとなっている。それだけじゃあない、品性のような物も感じられる」
育ちの良さそうな、と誉めたいのだろうがギャングに身を窶した(やつした)人間に言う事ではないと考え言葉を探している。
「創立された方はイギリス出身と聞いています。100年近く前となれば貴族社会も全盛期の頃。礼節に厳しい方だったのでしょうか」
出来る範囲でジョルノの声・口調を真似る。横に立つミスタは気付いたらしく横目に伺ってきた。
向かい合う現会長は勿論この会場に居る誰もボスの声を聞いた事は無いが、それを言い訳に手を抜くのは良くない。
「それが私にも意外なんですが出身は比較的貧しかったそうです。だからこそ単身で油田を掘り当てたとか」
話しながら視線が時折ミスタの方を向く。
フーゴと違い残念ながら、失礼ながらミスタには育ちの良さが余り無い。
そしてそれだけではないようで。
「お付きの方は御顔を隠さないのですね」
「顔を売る仕事もしているんでね」
「ミスタ」
「お前ここで名前呼ぶなよ」
「あっ、すみません」
「まあ俺は顔や名前知られても損しねぇけど」理事長へミスタらしくない慇懃な笑みを向け「お見しりおきを、ってやつだ」
「……代表の方よりも年上だと聞いていましたが随分とお若い。という事はもう1人の方もお若くいらっしゃりそうだ」
どうやら親衛隊の事も把握しているらしい。この財団には諜報に関する部門も有りそうだ。
隣でミスタがすぅ、と息を吸った。
緊張を走らせる為ではなく、相手に敵意が無いと理解する為の呼吸。
「確かに彼は若いけれど実力は折り紙付きです」
自分は今ギャング組織のボス。年に見合わない程尊大に振る舞ってこそだ、とフーゴは仮面で隠していない口元に笑みを乗せる。
「得意分野の事はご存知ですか? 専門分野と言っても良い。彼は『それ』に精通している。未然に防ぐには最適の人材です、いつでも呼んで下さい」
演じきれているだろうか。心音はバクバクと煩いが汗が滲んでいないのでこの焦りは他者にはわからないだろう。
「有難い、いや実に有難い!」
言って理事長は右手を差し出した。
「僕達は若造なので表立って協力する、してもらう、というわけにはいきませんがね」
応えてフーゴは手を取りゆっくりと力を込め握手する。
理事長はすぐに左手で、両手でフーゴの右手をがしりと包んだ。
「良い関係を築いていきたいですな」
父より年上であろう男の肉厚の手と手に、自分の手を包まれているのは愉快ではない。
しかし文字通り手応えが有った。ボスのジョルノが望む『繋がり』を無事に作れた。誇らしく思えてフーゴも左手を理事長の手の甲へ重ねる。
「……おや?」
理事長が顔を上げて2人の背後に目を向けた。合わせてフーゴも振り返った。
そこには1人の少女。背が高く、膝頭を隠す長さの鮮やかなピンク色のドレスに黄緑色のショールを合わせている。
ヒールの高い靴も豊かな金髪を上げた髪飾りも黄緑で統一している。大人ぶり濃く化粧をしているが元の顔は幼そうな美少女。に、扮したジョルノは愛想悪く無表情だった。
「おお! 来てくれましたか!」
ぱ、と固い握手を交わしていた手が離れる。
「お招き下さり有難うございます」
今にも溜め息を混ぜそうではあったが、それでも女性を意識しつつ裏返らない高さの声。
軽く頭を下げ、上げ直すと一応の笑顔を作って見せた。
嗚呼、これは綺麗だ。作り物じみている笑みは間近で見れば一部の人間が夢中になるのがよくわかる。
「父も兄も都合が付きませんでした」
「いやいや、貴女が来てくれる事に意味が有る!」
この様子ならば父や兄が来ても全く喜ばないどころか娘はどうしたと不満を持ちそうだ。
「でも私、電車も飛行機も乗った事が無いのでよくわからないんです……」
困ったものだと小首を傾げ、理事長へ歩み寄りこちらの横を抜ける。嗅ぎ慣れない、暫く前に飲んだ『薔薇の香りがするという紅茶』のような、それを更に甘ったるくしたような香水がふわと香った。
ミスタが1歩下がったので合わせてフーゴも1歩下がる。
「原石の輸入の話も父は私にはしてくれません。きっと兄なら聞いているのですが」
「今日はお兄さんが居なくて心細いんじゃあないかい? 確かそこそこ背が高かった、ボディガードをしてくれそうなお兄さんだったね」
確かに兄に扮したミスタは理事長よりもヒールの高い靴を履いたジョルノよりも身長が有る。しかしそのミスタがすぐ目の前に居るのに気付いていないのは顔までは覚えていない何よりの証拠。
「どうでしょう、兄は母の違う私を疎んでいるようで、余り一緒には居られないのです」
確かに似ていなく距離感の掴めない兄妹を演じるべくそのような設定を作った。
ジョルノはドレス自体の膨らみしか無く平たい胸に手袋を嵌めた手を当てる。
「誰でもそうですね。常に一緒には居られない。でも僕は常に――私は常にお兄様を想っています」
素知らぬ顔で上手い嘘を吐けるのに何故こんな所で本音を漏らしてしまうのか。フーゴは仮面で隠れている目をお兄様と呼ばれるミスタへ向けると、彼はあくまでも他人のフリを貫いていた。
「お兄様は私を、私の歩む道を共に行くと選んでくれた。そして僕の道を照らしてくれる。だから僕はどこまでも、どこまでだって歩いて行ける。彼が『居る』から」
近くに居てくれれば良いという意味に思った。だが存在してくれるだけで、というジョルノには不釣り合いな程の謙虚さも感じる。
存在が力になるという現象。嘲笑が込み上げる子供騙し。その目に映して耳で声を聞いて、この手で触れられないのなら何の意味も無いのに。
嗚呼でもそれは、自分も相手も生きていないと出来る事ではない。
愛する者が急に道を、看板に『この先地獄』と書かれている方角へ曲がったとして。止められなかった自分は。同じ道を選べなかった自分は。
いつの間にか彼と生き別れていた自分は。
「もう……歩けない」
鼻の頭がツンと痛む。ぴたりと頬に触れている仮面に熱い液体が滲んだ。
「フーゴ?」
異変に気付きミスタがフーゴにも自身ですらも聞き取れない程小さな声を掛けてくる。
「僕はもう歩けません……」
これ以上喋ると嗚咽が混じってしまいそうでフーゴは唇を噛み締め俯いた。
「お前、いきなりどうした? 何で今泣き出すんだよッ」
小声で指摘され軽く肘で小突かれる。
涙は止まらない。元の苦難だらけだろうが茨だろうが並んで歩めた道には戻れない。この先を歩く事が出来ない。
「どうかされましたかな?」
ず、と鼻を啜る音に気付いた理事長が不安気な顔で見てくる。ジョルノもこちらを見た。
「気分が悪いんですか?」
半ば忘れていた女性らしい口調で尋ねてくる。
「昨日の仕事の疲れが抜けていないみたいで」
ミスタが前に、理事長とジョルノから遮るように立つ。声を上げて泣き出したくなった。
「歩けないなら立ち止まるか?」しかしそれを許さないミスタは「選んだ道が失敗だったって後悔すんのは仕方無ぇ。選ばないまま終わっちまうより百倍マシだしな。だが選んだ事自体を後悔すんのは止めろ」
わかっている。
「片方を選んじまったって後悔したら、選ばれなかった方が悲しむだろ」
「わかっているッ!」
大声が出た。そのまま握り締めた拳も繰り出してしまいたかったがそこは堪えた。
逆上して殴り合いに発展するのはナランチャ・ギルガだけでいい。
生きていく中で選択肢に行き当たるのは常で、人間はその都度何かを選び何かを選ばない。
「今から選ぶのは手遅れなのか」
また君に会いたいとずっと、ずっと思っている。
「私が死んだら、きっとお兄様は悲しんでくれるでしょう」
涙で滲む視界が綺麗に髪をセットしたジョルノを捉える。こちらを見据えながら独り言のように言った。
「でも、だからと言って、後を追うような事はさせない。僕が死んで彼が生き残ったとしたら、それは彼には未だすべき事有るからだ。後を追ってきたら許さない」
「許さない?」
「殴って追い返します」
ジョルノは白く肌目の細やかな美しい、それでいて手袋に覆われたその手で。
ならば、彼は。
「殴られる覚悟は有りますか?」
「すげー痛いぜ。多分死ぬ」
後を追って死んだというのに更に死ぬのか。
覚悟を決めて殴られに行くなんてとんでもない。彼の拳は小さい分素早く確かに痛い。
もしかすると自分が1番詳しいかもしれない、とフーゴは仮面で隠していない唇の端を上げる。
「すべき事を残して道を違える(たがえる)わけにはいかない。そして僕達は皆、すべき事とは何なのかを考えながら『生きて』ゆく」
案外生きる事がすべき事であったりもする世の中を。
そして今は巨大なギャング組織のボスの影武者を勤める事がすべき事。フーゴは笑んだままわざとらしく顎を上げた。
「ところでミスタ」
「ん?」
「こちらの可愛らしいお嬢さんは貴方の知り合いですか?」
「あ、あー……違うな。おいこらテメー」
如何にもチンピラ風情を丸出しにした、この場には不釣り合いなスラングさえ混ぜそうな口調に舌打ちを添える。
「どっかの愛人の……何だ、未だガキじゃあねーか」
演技が達者というか本性というか。
「ああ、どうか彼女を責めないであげて下さい。仰る通り未だ幼いので」
宥めてくる理事長にミスタはハニートラップから身を守るには、という話を始めた。
この理事長には必要性の高いテーマかもしれない。理事長1人を陥落させた美貌の少女ことジョルノは素知らぬ顔でそのやり取りを見ている。寧ろその顔に「早く着替えて顔を洗いたい」といった表情を浮かべてすらいる。
見た目にわかりやすいギャングと見た目にはわかりにくいギャングを守り抜くのが、今の自分がすべき事なのかもしれない。
フーゴは仮面越しに天井を見上げた。今は天上に住まう彼に、大変ではあるがやり甲斐も有ると伝えたかった。
希望する企業には自社の紹介をする時間が与えられるらしく、会場奥のステージのスクリーンに映像が流れる。
頻度は15分に1社程度。余りスケジュールは固めていないらしく暫し間が空きもしたが、映像が始まると参加者のほぼ全員がステージへと向いた。
財団が主催とはいえ各種企業の集まりなのだからある意味当たり前で、2人にとっては斬新ではあるが居心地が悪い。
端によってワインを飲みながらひたすらに時間を潰していた。一応ステージに映し出される映像は見るのだが。
「車だったらよォ、こんなの欲しいとか有るけど」
「鉄道となると流石に違いますね」
「飛行機ぶん取った事なら有るけどな。航空会社は目星付けとくべきか?」
「何をやっているんですかアンタは……」
「別に俺1人がやったわけじゃあねーよ」
当たり前だ。そこまでのギャングの域を超えた犯罪を1人でこなされては困る。
「ジョルノとはまあ色々有ったんだよ。だから……アイツが死んだら悲しいし、俺が死んだらアイツも悲しむ」
先程の縁起の悪い話の続きをフーゴは日頃口にする物よりも度数の高いワインを舐めながら聞いた。
「俺は悲しんでもアイツの分まで、アイツにどうだ! って言える位胸張って生きてやるぜ」
「それは良い事だ」
しかしきっとミスタならばジョルノを死なせないのだろう。そう言わないのは彼なりにフーゴを思ってだ。
「アイツも悲しんだって、スタンドで花いっぱい出す位で追ってはこないだろうしな」
「今は僕が花ですけどね」
聞き慣れた声の方を向くと見慣れないドレス姿のジョルノが不機嫌を顔に張り付けて立っている。
「確かに『お花ちゃん』って言わんばかりに可愛いな」
誉めているのか神経を逆撫ですべくからかっているのか。
「それを散々海運企業の二代目社長だか何だかに言われてきました」
艶の有る、というよりべたついていそうな口紅――グロス、と呼ぶそうだ――を塗った唇を噛み締めんばかりに苛立っている。こうして近くに居ると案外ジョルノのポーカーフェイスは崩れやすいと改めて思った。
「そいつ放って俺らの所来て大丈夫なのか?」
「彼らに呼ばれている、と指したら解放されました。名乗ってもいないのに知られているみたいですね、ギャングだと」
そうでなくても不審者だ。10代と思われる若い男が2人、しかも片方はヴェネツィアンマスクまでしている。
ミスタが上着の内側に隠れるようにとはいえベルトに差している拳銃も見られているかもしれない。だから誰も声を掛けてこないのだろう。
電車と飛行機とである意味全く違う企業だが盛んに声を掛け名乗り合っている様子を2人はただ眺めるばかり。
他に見掛ける若く不慣れそうな男達――何人かは若手が居る――のように会社名を聞かれる事も無い。
「お前のお花ちゃんパワーで船1個位貰ってこいよ」
「寧ろ組織で接点を作りましょう。いつでも豪華客船でバカンスに行けるように」
「イスキア島行き放題?」
「良いですね」
「よぉーし、先ずお前がその海運何ちゃらの社長か何かを気に入ったから俺達に話したって事にして」
「ボスと貴方とで興味を持ち直接声を掛ける」
何やら盛り上がってきてしまった。
グラスの中の赤ワインを飲み干してフーゴは溜め息を吐く。
ここに彼が居れば更に話は盛り上がり、やかましい事になっていただろう。尤も彼はこの場には不釣り合い過ぎる。留守番をさせるか運転手をさせて中には入れないか、はたまたジョルノのように女の格好をさせて完全に別人を演じさせるか。
演じきれるか? 似合いはするだろうが口調と仕種が女性になりきれず一瞬でバレそうだ。やはり留守番をさせよう。
「フーゴ」
「はい」
「今はお前がボスなんだから上手くやれよ」
「イスキアの温泉が掛かっていますからね」
「はいはい」
年上と同い年の筈だが随分と子供っぽい。
誰よりも子供っぽいの代表だった彼の面倒を見る位に手が焼ける。思えば病院に行かなくなった理由に――外科治療はジョルノがスタンドで出来るから、というのを除いても――付き添いが減ったから、というのも有った。
「その旅行、まさか2人で行くつもりじゃあないですよね」
組織上層を空(から)にしようと考えてはいないだろうか。
「フ―ゴも連れてってやるよ」
「お前が言うな! ボスに訊いている」
「今のボスは貴方でしょう」
それもそうだと普段なら先ずしない事をしておく。
具体的には空のグラスをミスタに押し付けた。
「幼さは半分位になったけれど、2人居るという事は結局変わらないか」
「何がだ?」
自らも飲み干して空のグラスを両手にしているミスタ。
その隣に酔い潰されないようにと年齢を誤魔化さなかった為にジュースの入ったグラスを持ったままのジョルノ。
2人共わかっているくせに。
「僕よりもわかっているくせに。なんて」
フーゴは仮面の下で目を閉じる。
この2人と違い「だから、何の話?」と言いそうな、そんな彼の声が聞こえた気がした。
2019,01,05
タイトルがカタカナなのは同名のバンドさんとかヘルスさんとかの対策です。スペル覚えられないし。
ミスジョルがもう滅茶苦茶好きなんですけど、フーゴ個人も好きです。
生き別れたからには未練がましく生きてもらいたいし、でもやっぱり幸せになってもらいたい。
しかし此の日のパンツはピンクなのか黄緑なのか考えてから書けば良かった。
<雪架>