ミスジョル R18 女装

関連作品:“Nancy”


  The Drug


「お前どんなパンツ履いているんだ?」
 何気無い変態のようなグイード・ミスタの問いに、ジョルノ・ジョバァーナは目を剥いて彼を見た。
「……今、僕の下着の話をしてましたか?」
「いや、そうじゃあなくて。俺は『今』どんなパンツか気になるんだよ」
 駅前のホテルのツインルームに2人、それぞれのベッドに腰を掛けて。窓から見える外の景色は夕暮れを少し過ぎて薄暗い。
 冬は日が落ちるのが早い。しかし変質者は春先の、暖かくなった頃合いに出てくるのが常とは限らないのか。
「お前絶対勘違いしているよな? そうじゃあなくてだなあ……その格好の時のパンツの話だよ」
 指されたジョルノの『今』の服装はワインレッドのベアドレス。開いたデコルテにプラチナとダイヤモンド――の、イミテーション――のネックレスを飾り、黒のロング手袋を嵌め、足元は黒いストッキングと赤いハイヒール。人生2度目の『女装』は、前回よりも化粧の腕が上がったと思っている。
「その格好でもいつも通りのパンツなのか? いつものパンツを言えって意味じゃあないぞ。それとも女物を履いているのか、それが気になって仕方無いんだ」
 着替えの時男同士なのにわざわざ背を向け合っていた。後ろを向くだけで盗み見られるのにそうはしない誠実さを持っているミスタに対し、心の奥底で同性の下着に興味を持つタイプかと疑ってしまった。
 詫びとして。
「見ますか?」
 膝丈――本来膝頭が隠れきる長さの筈だが、女性として見れば背が高いジョルノでは膝が少し見える――のスカートをべろりと捲った。
「うわっ! おま、ちょっ、止めろ!」
 こちらのドレスに合わせてタキシードにトップハットという見慣れない正装をしているミスタがらしくなく顔を赤くし大慌てする。
「知りたいんでしょう? ドレスの中の――」
「悪かった! 俺が悪かったから!」
「なんて」
 裾を戻してスカート部分の形を整える。ミスタが胸元を押さえてぜぇはぁと息をしている様子は可笑しかった。
「因みに女性物ですよ」
「マジか」
「捲れたり何なりで見えた時に普段の下着のままじゃあ男だとすぐに気付かれてしまいますから」
 見えた時に女性のそれであれば誤魔化せる、と思い込んで自信を持っておくことが重要だという持論を持っている。
 出来て当然だと思えば出来る。出来ないかもしれないと言っておけば出来なかった時の言い訳にはなるが成功にも成長にもならない。
「ストッキングも太股の所までしか長さが無いやつなんだな」
「見ているんですね」
「煩ぇーッ!」
 男を手玉に取る女とはこんなに楽しい物なのだろうか。普段は自己のペースを良くも悪くも崩さないミスタをこんな風に翻弄出来るのは悪くない。
「折角良い物くれてやろうと思ったのによォ」
 唇を尖らせながらもミスタは足を組み、上にした右足の裾に左手を入れてそのまま足を揺さぶった。
 それだけで左手には黒いデリンジャーが握られている。
「手品ですか」
 ミスタは軽い調子でデリンジャーを投げて寄越す。綺麗な放物線を描いてジョルノの両手に収まった。
「二挺拳銃しようと思って仕入れたんだが左手塞がるとバランス取れなくなるだけだった。やるよ、小さいからお前の手でも持ちやすいだろ」
 右手だけで持っても銃としての重みを余り感じない程小さい。女子供の為の物――の筈は無い。これは小さくても拳銃の1種だ。
「太股の所に入れとけ。右利きだから右足にな」
 スカートの右側を捲り上げて早速ガーターストッキングへと差し込む。
「内側の方がぶつからなくて良いんじゃあないか? シングルアクションだしトリガーはかなり軽くしてあるから暴発に注意してくれ。41口径2発」
「有難うございます。でも使った事も無いし2発共外して終わりでしょうね」
「零距離で撃てば良いんだよ、元から威力は低いからな。あとはもうそれで直接殴れ」
 軽いとはいえ金属なので殴られればまぁ痛いだろう。
「ピストルズの誰か1人が僕と一緒に居てくれたりはしないんですか」
「全員日曜は働かない。でも世界規模の財団の理事長様の誕生日パーティーだぜ? どうせ使う機会なんて無いだろうし、尻触ろうとしてきた男に向かって構える為に有ると思えば良いって」
 貴方になら触られても良いです、と言ったらどうなるだろう。冗談を言うなと窘められるだけだろうか。まさか触ってくれる筈は無い。
 想い人だし、ある程度は想われてもいるが、所謂『深い仲』ではない。
 男同士だからと言われたらこの服装のまま女役をすると言うつもりだが、曰くそうではないらしい。自分を使役する側の人間だから、というのも気にしていないらしい。
 お前は未だ子供だから――そう言われると弱い。あと何年か経てばと思ってしまった。そして何より『特別』だからと言われた事も有った。
 だが今自分はそこに胡坐(あぐら)をかいている。
「……僕は魅力的でしょうか」
「どうした? 不安になったのか? 大丈夫、絶対バレないって。でも喋り方は気を付けろよ」
 そろそろ行くかと立ち上がる姿を少し怨めしく思いながらジョルノも立ち上がった。既に慣れない形の靴の所為で足が痛かった。

 ホテルから会場への移動は事務所の車、もとい運転手付きの自家用車。羽振りの良い宝石商のドラ息子とその宝石商が愛人に生ませて認知した隠し子という『設定』で招かれているので自ら運転しては格好が付かない。
 世界規模の財団が支所の開設記念パーティーを開いた際に、潜入する為に宝石商から招待状と息子の名前を借りてきた。いざ潜り込めば怪しい疑惑の一切無い財団で拍子抜けしたし、現理事長が女に扮したジョルノ――の容姿――をいたく気に入ってしまった。
 理事長の誕生日を祝して会合を開く、食事会のような気軽な物なので是非来てほしい、という今回の招待状に手書きでわざわざ「数多の宝石達の中でも取り分け美しいご息女にも是非」とまで書かれている。
 本来招かれる筈だった――近隣で強盗騒ぎが続いた時に相談してきた事だけが接点の――宝石商の男はこれを受け取った時にどう思ったのだろうか。その招待状を眺めながらジョルノは溜め息を吐いた。
「浮かない様子ですね、『お嬢様』」
 運転手『役』のパンナコッタ・フーゴがバックミラー越しに後部座席を見ている。
 紆余曲折を経て今はギャング組織の幹部に就いている。ジョルノがボスでミスタが右腕ならばフーゴは参謀。その身形や言動はギャングという立場に反して気品すら感じさせた。
 宝石商の息子が21歳でなければミスタではなくフーゴに扮させていただろう。先月19を迎えたミスタでも若く見えると何人かに言われていたのを思い出す。
「折角の髪飾りが泣いていますよ」
 生花とルビーだかガーネットだかの赤い石――の模造品――を巻き込みながら髪の1部をアップにしている。普段編んでいる髪を下ろせば女性らしく見えると思っていたのだが、パーティー会場に髪を垂らしただけの女は居なかった。しかし全てを上げてしまうと背に有る星型の痣が目立ってしまう。
「本当によく似合っていると言うか違和感が無いと言うか、憂いを帯びた美少女にしか見えない。欠点を探すとしたら……ああ、胸元は少し残念かもしれない」
 ドレスの形が最初から膨らんでいる――内側にパットが縫い付けられている――ので細工も何もしていない。
 だからこそシルエットはそこそこ豊かな胸で、同時に実際に近くで見ると胸が平らやそれに近いとわかってしまう。
「ゴールド・エクスペリエンスは体の1部だって作れるのだから、女性の胸を作って付ける事も出来るのでは?」
「付ける時も外す時も痛いからしません」
 神経を無理矢理結び付ける痛みは極力体験したくないし、そもそも外すとなると外科手術が必要になるだろう。実際にした事は無い。
 もう少し身長が欲しいと思う事は多々有るが、スタンドで小細工するつもりは無い。虚しくなるだろうし何より痛いのが目に見えている。
「……もう帰りたい」
「行く前からそんな事言うなよ」隣に座るミスタが肘で小突き「今日は喉締めてねーから飲み食いし放題だぜ」
 前回は男と知られないように喉仏の隠れるチョーカーを巻いてみたが、声が出せないのは良いものの呼吸自体が苦しく飲み食いも一切出来なかった。
 何よりジョルノは余り喉仏が目立たない。そもそも声変わりが済んだか否かもわからない声をしている。
「腹のベルトが苦しくて、どうせ余り食べられません」
 赤いドレスに映える黒いコルセットはウエストラインを女性的に見せてくれる一方で姿勢を強制的に正される程度に苦しい。
「有名なレストランが協賛する事を考えれば勿体無いな」
「代わりに行きますか?」
 行きませんの意思表示にフーゴは鏡越しに合わせていた目を逸らすように前を見た。
「なぁ、そのレストランのガキだよな? 変なソースが有るってお前に言ってきた奴」
「兄が作るカラメルソースは女性が皆虜になる、と言っていました。学校で流行らせたとも。なので一帯の高等部は調べてもらいましたが」
「どこも白」
 そう答えるフーゴに様々な高校へ『潜入捜査』をさせた。話し掛けてきた少年が背伸びした中学生でなければカラメルソースはただ美味しいだけだが、果たして。
「明日一応話していた大学を調べてきますが、手にしていたのがオレンジジュースなら未だ大学生じゃあなさそうだ」
「色々働かせているのに僕は、それがただ美味いだけのソースであればと思っている」
「僕もそう思っていますよ、お嬢様。気持ちの切り替えの為にも仕事の話はそろそろ控えませんか」
「ジョルノ、顔が完全男になっているからな」
 横目に見た窓ガラスに映る外の景色を透かした顔は確かに化粧をした男のそれだ。
 両手で頬を包んで揉んでみた。手袋の肌触りも滑らかで心が落ち着く。
「フーゴ……いや運転手さん。さんは付けねぇか? 運転手」
 二転三転する呼び方に笑いを堪えてフーゴは宝石商の息子の名前呼んで返事をした。
「何時に抜け出せるかわかんねーから電話をしたら来てくれ」
「わかりました」
 中規模のコンサートホールを貸し切っての盛大な誕生日パーティー。その会場が、駐車場がもう見える。
 気を付けなくては。もしかすると隣の車もまた財団に招かれているかもしれないのだから。

 誉めに誉められるのは悪くないが、財団理事長が「それじゃあ」と会話を終えた時は漸くかと安堵してしまった。
 しかしジョルノが振り返っても見える範囲にはミスタの姿が無い。
 偉い人の相手を妾腹で疎んでいる妹に押し付けて自分はナンパに繰り出したのだとしたら何とも設定に忠実なので誉める素振りで腹に1発位拳をぶち込んでやる。
 どうせひ弱なこの拳では多少唾液を吐かせる位しか出来ない。スタンドを出したりはしない――という事を考えていると顔に表れてしまうので1度目を閉じた。
 僕は……否、私は未だ子供で兄が居ないと何も出来ない。こんな所に1人きりにしないでお兄様。私を置いて女性に声を掛けに行ってしまったお兄様を早く見付け出して、経費で買わされた革靴をこの踵の尖った靴で踏んでやる。僕を怒らせたのだから絶対に踏み付けてやる。
 結局眉間に皺が寄りそうだったので目を開けたジョルノが見たのは、こちらをじっと見ている少年。
 場に相応しくない同年代らしき顔には見覚えが有った。
「君……覚えてる?」
 自分の事を。目を輝かせる少年にジョルノは頷く。
「良かった! 探してたんだ! あの日君と会ってから、ずっと!」飛び出すように走り寄り「どこに住んでるんだ? どこの中等部の子に聞いても……いや名前を聞けば良かった!」
 余程感極まったのか早口でまくしたてられ物理的に1歩引き掛けた。
 支所開設の際の会合で声を掛けてきた少年は半年程前よりも背が伸びているらしく、ヒールの有る靴を履いたジョルノよりもやや目の位置が高い。
 楽しげでありながらあの時のように「絶対に喰ってやる」と言わんばかりの目。
 その為に兄が作る可笑しな甘味の話をしていた。口振りから麻薬の類を混ぜているのでは、既に牙に掛かった少女が居るのではと推測して幾つもの高等学校へフーゴを潜入させたのだが。
 服の上からもわかる腕の頼りなさは未だ中学生なのかもしれない。中学校は流石に調べようが無い。
「……貴方に会いたかった、わ」
 その一言だけで少年は小さく拳を握った。とって付けたような女言葉でも効果は覿面(てきめん)らしい。
「確か前はお兄さんに無理矢理連れてこられたんだっけ。今日も?」
「今日も兄と……でも、今日は『私』が呼ばれました。それより貴方の事を、貴方の話を聞かせて下さい」
 意識して高めの声を出し続けるのは意外に難しい。まして足は慣れない女性物の靴でただ立っているだけでも要らぬ労力を使う。
「両親と兄が料理人って話したのは覚えてる? 今日両親はここの料理を出す為に厨房側で呼ばれているんだ。兄はケーキなんかをメインにしているから家に居るけど」
「まさか……貴方は招待されていない?」
「そのまさかだよ。親に頼んで連れてきてもらって、厨房に居るわけにいかないからってここに入れてもらったんだ。もしかしたら君に会えるかも、って思ったから。どうしても会いたかったんだ」
 可愛いしか言えなかった頃と比べれば口説き文句は成長しているようだが、未だ踏み込める領域を掴みきれない子供なのか左の手首をがしと掴んできた。
「細くて綺麗な腕だね」
 もう少し上手い世辞が言えないものか。手袋に包まれている腕は男にしては華奢だが女として見れば逞しいに分類される。
「これがドラマによく有る舞踏会なら今すぐ君と踊りたい」
「そうですか」僕は手を振り払って逃げ出したいです。とは言わず「お兄さんはここに居ないんですね」
「兄が気になる? 甘い物が好き? 兄は今ベリーを使ったケーキに自分の名前を付けて両親の店に出すべく鋭意製作中。食べてみたい?」
「それよりも――」
「特別なカラメルソースのプリンが食べたい?」
 来た。
「はい……ええ。その、ずっと気になっていたんです。貴方の話を聞いた時から」
「じゃあ食べにおいでよ」
 ぐい、と左手首を引っ張られる。
「……今から?」
「最近は作ってないみたいだったけどきっとすぐに用意出来る。ああでも、君の友達を1人兄に紹介してやってほしいな。可愛い子を」
 麻薬で意思を奪い提供者にも『女』をあてがわせるつもりか。
 もしかするとそんなつもりは無く、気に入った少女に美味い物を食わせ仲良くなり兄と友達とを含めて4人でデートでもしたい、というだけの可能性も有る。言葉の端々がその可能性を奪って思えたが、それでもジョルノは少年とその兄によって可笑しな物を投薬された女が居ないと思いたかった。
「貴方の家に行くんですか?」
「ここからそんなに遠くない。タクシーを拾えばすぐだ」
「僕の……私の家の車を呼びましょう」
 運転手のフーゴならば色々と機転を利かせてくれる筈だ。

 数時間前までミスタが座っていた席に少年を乗せ、その少年の家を目指して車は走る。
「何かさ、あの怖いお兄さんよりも運転手の方が君と似てるね。雰囲気とか」
 確かにミスタよりもフーゴの方が育ちの良さは有る。今も「恐れ多い」と謙遜する様子が板に付いていた。
「しかしお嬢様、素敵なお友達が出来たのは喜ばしい事かもしれませんが、きっと貴方のお兄様はお怒りになる。長居は出来ませんよ。連絡が来なくても遅くなりそうだと判断したら、こちらから迎えに上がりますからね」
 はい、と答えるだけで良くしてくれるとは。ギャングと言うより役者、ないし高等な詐欺師だ。
 フーゴのバックミラー越しに合わせてくる目には不安の色が浮かんでいる。
 大丈夫だ、何とも無い。君は君のボスを信じろ。乱暴にマスカラを塗って重たい目蓋で1度瞬きした。
「そこだ、その色違いの煉瓦の塀が有る家」
「畏まりました。大きな通りに面していますね」
 この場所で特徴も有るのだから迎えも迷わずに来られる。
「お陰で窓を開けると車の音が煩いよ」
 2色が交互に重なり合った小洒落た塀の前に車を停めた。
 運転席から降りたフーゴはすぐさまジョルノの側のドアを開ける。
「いかにも未だ子供で薬物常習者には見えませんね」
 耳打ちするような小声。
「もしも薬物を使っているのだとしても、本人は使わず女に、だ。恐らくセックスドラッグの類」
「気を付けて」
「『有難う』」
 手に手を乗せ車から降りる時には精一杯女ぶった声を出した。
 2人を下ろして車はすぐに過ぎ去った。日曜の夕食時を過ぎた時間帯だからか外を出歩いている人間は居ないし他の車も通らない。
 どうぞと招かれるままなかなかに広い一軒家に通される。
 リビングの先に階段が有る造りをしている。リビングにもそこから見えるキッチンにも誰も居ない。但し調理を終えた後だからか否か、微かに甘い匂いがした。
 ハイヒールとまでは言わないだろうが踵の尖った履き慣れない靴で階段を上らされて奥の部屋へ。少年がドアをノックすると「はいはい」と気の抜けた声の後に内側から開いて1人の青年が姿を現す。
「おっと、お客さん連れてきたのか。彼女が半年前からずっと言ってる『宝石の君』だな?」
 これはまたえらく仰々しいあだ名を付けていたものだ。
「やっと会えたんだ! うちの兄」
 見ればわかる、と言い掛けて飲み込み、ジョルノはドレスの裾を軽く摘まみ持つ。
「初めまして」
「入りなよ」
「お邪魔します」
 少年が先に、続く形でジョルノも部屋へと入った。
 物がごちゃごちゃと置かれている所為で若干狭く感じるが至って普通の部屋。
 椅子が1つしか無いからか兄の方が顎を使いベッドの上を指し示す。
 部屋のベッドに座ろうと『合意』でも何でもない、と思うのは自分だけかもしれない。招いた男の側ではなく招かれた女の側として考えると、誤解を招きそうなベッドに座る事は躊躇われた。
 しかし弟の方は自然とベッドに腰掛けるし、兄もまたドアを開けるまでそうしていたように椅子へと座り直す。
 いざとなったら殴れば良い。中学生と菓子職人なのだから腕っぷしは強くなさそうに見えるので何とかなるだろう。小さく会釈してジョルノは少年の隣へと腰を下ろした。
「例のプリン今すぐ作れる?」
「プリンの方は材料が無いからなあ」
 足を組み腕を組み唸る男を見据えて。
「材料はどこから仕入れているんですか」
 思いの外低めの声が出た。それに驚いたのか質問の内容が気に障ったのか、男は片眉を下げる。
「味よりも仕入れ所が気になるのか? 弟の可愛いお客さんから金は取らないよ。それにしても聞いていた通りに美人だ。いや正直言うと、思ったよりはボーイッシュだけど」
「仕入れ先は言えませんか」
「プリンを今すぐは無理だけどカラメルソースなら用意出来るよ。そっちに興味が有るんだろ? 引き出しから出してくれ。上から3番目だ。奥の方」
 指示を受けて弟は立ち上がり机の引き出しを開け探し始めた。
 その間もジョルノは兄から目を逸らさない。追ってきたのはプリンでもカラメルソースでも少年でもない。
「諸々の材料は近所のスーパーでも買える。まあうちは業務用の何でも量が多いデカい店に行くが」
「カラメルソースの材料もそこで手に入れるんですか? 本当に普通の食材なんですか?」
「自分で作ろうとか思わなくて良いって」
 弟の方が軽い口調で言った。右手に質素な箱を持ってジョルノの右隣に座り直す。
「いつでも作ってもらうからさ」
 左手がジョルノの脇の下を撫でてから二の腕を掴む。手袋ではなく素肌を触れられると気持ちが悪い。
 かなり強い力を込めてきて痛む。爪まで刺されそうな痛みだった。
 それよりも視線が無い胸へ注がれている事の方が恐ろしい。服の下の平ら具合に気付かれてはならないので自由の利く左手で胸元を押さえ隠す。
「ネアポリスのギャング組織の事は知っているか?」
 兄の言葉に慌ててそちらを向いた。今の状況では肯定も否定も出来ない。
「お嬢様育ちっぽいし知らないか。この辺りの一強って言っても良いデカいギャング組織が有るんだけど」
「まさか組織から麻薬を……」
「いやギャングの癖にあそこは麻薬絶対禁止。今ネアポリスは他にギャング組織なんて無いも同然だから、買い取ってくれる先が見付からねぇ」
「買い取り……栽培でもしているのか?」
 この家の敷地を考えれば裏に庭が有るだろう。家庭菜園のハーブと同じ要領で幻覚作用を引き起こす植物を育てているのだとしたら――
「折角金持ちになって自分だけの店を出せると思ったのに」
「そんな事の為に麻薬を流通させると言うのなら僕はあんたを許さない」
「許さない? 一体何する気だよ、パパにでも言い付けんのか? 第一、人様の夢を『そんな事』呼ばわりするとは失礼にも程が有るぜ、箱入り娘ぶってセックスドラッグに興味持つようなマセガキの分際で」
「他人の人生を穢してまで得る欲望を、夢なんて輝かしい響きで呼ぶな! 金が必要なら稼ぐなり巻き上げるなりすれば良いだろう。これ以上罪も無い何も知らない女達の未来を潰させはしない」
「女を『女』にする為の物だから仕方無いんだよ。それにこれは依存性は無い。女が依存するのは食った後にするセックスの方だ」
 青年は得意気に顎を上げた。
「筋肉が痙攣して弛緩して、動けなくなった所で性感が膨れ上がる。男も女もとっても愉しいってだけの話じゃあねーか。後遺症とか全然無いからな。効果が出るまでちっとばかし時間が掛かる事を除けば最高だ」
「筋肉と神経に作用するのか」
「どんなもんかは試せばわかる。8倍の濃度でな」
「はちば――」
 ぷす、という音がした――気がした――ので、音の発信源を見る。
 細く鋭く冷たく小さな音は、ジョルノの右腕から聞こえた。
 痛い程強く掴まれている箇所の少し下。
 否、手で掴まれているのではなく、いつの間にか麻紐のような物で縛られていた。そしてその少し下に注射針が刺さっている。
「あ……」
 少年の親指がゆっくり押し込むのが、薬液が注射器から押し出され減っていくのがよく見えた。
「普段は約8分の1に薄めてカラメルソースに混ぜてる。透明で無臭だが甘味(あまみ)が有るからな」
 そのドラッグが体内に流れ込んでくる。
 即効性ではないと言っていたのに既に心臓は早鐘を打っている。これは単に自分が麻薬に犯されている事への恐怖が先走っているだけか。
「動いちゃあ駄目だ」少年は嫌に真摯な声音で「針折れて静脈を通って心臓に刺さったら死ぬらしいし」
 何て事だ、何故こうされるまで気付かなかったのか。完全に油断していた。
 このままでは体も心も薬物に乗っ取られてしまう。こうしている間にも少しずつ――否、女を狂わせられる用量の8倍もの毒が右腕から侵入している。
 考えなければ、そして行動に移らなければ。自分はジョルノ・ジョバァーナでギャング・スターで、このままドラッグと男に犯されるだけの小娘ではない。
「……ゴールド・エクスペリエンス!」
 スタンドの名を叫ぶとそのヴィジョンが現れた。
 人間に近い形をした頭部の丸いSTAND BY ME(自分の側に立つ)ゴールド・エクスペリエンスがジョルノの穢されゆく右腕に手を添える。
 生まれろ、新しい生命よ。無機物を依り代として、美しく咲く『花』となれ。
「何だっ!?」
 スタンドはスタンド使いにしか見えない。どうやらスタンド使いではないらしい弟は注射器から手を離した。
 薬物を殆ど注ぎ終えていた注射器が、めきめきと音を立てて色や形を変えてゆく。
 生まれ変わった、もしくは新たに生まれたのは、注射器の面影の無い小さなスズランの花。
「うぉああぁぁあッ!」
 腕に根を張られるのがこんなに痛いとは。女のフリを完全に放棄してジョルノは精一杯の低い声を上げた。
 スズランはその名の通り鈴のような小さな膨らみを持つ白い花。その可憐な見た目に反して毒を持つ。
 毒を毒で制する、なんて真似が出来るかどうかはわからない。出来ると思えば出来るかもしれないし、出来ないと思っていれば生涯出来ないままだろう。だから出来る、とジョルノはスズランの花を左手で掴み引き抜いた。
「ぐぁっ……ッ……手袋が、汚れてしまった」
 腕から血を吹き出させながらも軽口を叩き、わざとらしく笑んで見せた。これしき痛くも痒くもないのだと思い込んでいなければ、今にも泣き出してしまいそうな程には痛い。スタンドのヴィジョンも保てない。
 それにもう薬物は静脈を通り全身を駆け巡っている。
「お前そんな、そんな変な事が出来るから、普通の学校には居なかったのか? くそッ、何なんだお前はっ!」
 今にも目を回しそうな少年が叫ぶように言いながら押し倒してきた。
 普段なら避けられるし倒されもしない、逆に1発殴り付ける位は出来る筈なのに。ジョルノは「あ」と一言だけ漏らして背をベッドに沈めた。パイプベッドらしくギシギシと煩く音を立てる。
 打たれた物が即効性であれば既に動けなくなっており、されるがままに色々な物を失うのだろう。しかし未だ動ける。自分の意思も体の自由もここに有る。膝の裏に手を入れられ足を広げられたが、それと同時に抵抗する術(すべ)が有る事を思い出した。
「コイツっ! 拳銃を――」
 ジョルノは見付かってしまったデリンジャーを右足のガーターストッキングから引き抜く。
 素早く上体を起こし、小さなトリガーに指を掛け、少年の方へと向けた。
 右手に力を込めたいのに、花を引き抜き未だ血を流す箇所が痛む。
「くッ」
 それでも、ここで引き金を引かなければ何をされるかわからない。
 否、される事の予想は付いている。絶対にされたくない事をされるのだ。初めて見聞きする麻薬だけでなく、同年代の少年――と、下手をすれば麻薬を生み出すらしい男と――から犯される。身も心も。
「ウリィあぁッ!」
 自分でも可笑しいと思う位に滅茶苦茶な掛け声が出た。
 しかしその気合いは不要だった。トリガーは何の抵抗もせずに人差し指に引かれ、撃鉄は起こり弾丸が発射される。
「……ッ、はぁ」
 反動も何も無く発砲出来た。
 手袋で滑る事も無かった。強いて問題を挙げるなら縛られている右腕の下の出血箇所がじんじんと痛い。
 目の前で少年が局部を押さえて蹲っている。
「当たったのか……?」
 多分だが悲鳴も聞こえた。
 無我夢中でどこを狙ったのか定かではなかったし、恐らくもう少し上に――撃ち殺すべく心臓やら額やらに――当てるべきだっただろうが、抱かれたくないという本能が生殖器を撃ち抜いたのかもしれない。
「このっ、テメーこのガキっ!」
 いきなり弟を撃たれて当然激昂した兄は椅子から立ち上がり、組み敷かんとばかりに襲い掛かってくる。
 こいつは罪悪感を持たずに麻薬を取り扱う。生かしてはおけない。タマを1つ潰すだけじゃあ駄目だ、確実に殺さなければ!
 玩具のような拳銃に残った弾丸は後1つ。
 どうすれば良い?
 一向に抱いてもくれない男の言葉を思い出せ。
――零距離で撃てば良いんだよ
 ジョルノは未だに痛む右腕をぶんと振り回して青年の喉にデリンジャーを突き付けた。
「がっ、テメ――」
 喉仏を押されて濁った声を上書きするように。
「無駄ァッ!」
 この掛け声こそ無駄と言わんばかりに引き金は軽かった。銃声も普段聞いているリボルバーのそれと比べると随分と軽かった。弾は喉の皮膚を焼いて貫通し、真後ろに有る壁にめり込む。
 ぽかりと穴が開いたかと思ったが、そこから断続的に血液が吹き出ているので向こう側が見えたりはしなかった。
 貫通こそしたが反動は殆ど無かった。寧ろ貫通しない方が殺傷力としては高いのかもしれない。
 麻薬に属する物を栽培なり製造なりし流通させようとしていた男をきちんと殺せただろうか。拳銃使いの通り名は自分には付かなさそうだ。
「……はぁ、テメェ……このっ……ぶっ殺す……」
 痛みで裏返った声がしたので今一度振り向くと脂汗をかいた少年が局部を押さえた間抜けな格好で必死にジョルノを睨んでいる。
 こいつも殺しておくべきか?
 麻薬というよりは媚薬といった要領で兄の発明品を学校で使い遊んでいた子供。兄のような人間から引き離して更生させられれば殺す必要は特に無いが。
「殺しておくべきだな」
「なん……」
「僕はギャングだし操(みさお)を捧げる相手を決めている。奪おうとした居直り強盗を見逃すなんて格好が付かない」
 操をなかなか受け取らない奴が言っていた。
――あとはもうそれで直接殴れ
 ギャング組織のボスにしては少々非力な自分でも仕留められるように、本来の持ち主が殴打する際に言いそうな口振りで。
「喰らいやがれッ!」
 隙だらけだろうと何だろうと大きく振りかぶり、頭部に狙いを定めて殴り付ける。
 ごうん、と聞き慣れない音がした。金属が頭蓋骨にぶつかる音だった。
「……今のは余り格好良い台詞じゃあなかったかな」
 見下ろす先では綺麗にデリンジャーの形に即頭部を歪ませた少年がうつ伏せている。
 右手が痺れていた。発砲した時以上の反動が有った。根を引き抜いて歪(いびつ)に抉れた二の腕の痛みはもう余り無い。
 異常な事態に麻痺しているのかもしれない――と思考を巡らせて思い出す。
 打たれたドラッグは先ず痙攣すると、次に弛緩すると言っていた。
 右腕の縛られた箇所や傷の痛み、右手の痺れを除けば意識はしっかりしているし体も至って自由。だがこれがいつ奪われるかはわからない。
 即効性ではないとも言っていたが、経口投与と比べれば早く効果が表れるだろう。まさか兄弟の遺体に挟まれてビクビクと痙攣しているわけにはいかない。
 それが無ければ机なり棚なりを徹底的に暴いて麻薬に関する物を片っ端から回収するのだが。
「今は、退却だ」
 逃げるのかと笑いたければ笑えば良い。ただでさえワインレッドの華やかにスカートが膨らんだドレスという笑われて然るべき格好をしている。
 その裾を捲ってガーターストッキングにデリンジャーを差し直してからジョルノは部屋を出た。
 ホテルのベッドで痙攣や弛緩をやり過ごすのが最善策だ。その為には足が、車が無くてはならない。フーゴに連絡をして来てもらうべきか。大きな通りに面しているのでタクシーを拾う方が早いだろうが車内で痙攣を起こしては不味い。
「あ」
 考えを巡らせ過ぎて足元が疎かになっていた。階段の1つ下の段に付き損ねた高いヒールがジョルノを踊らせる。
 靴は両方共脱げて、顔面こそ避けたが頭頂を何度かぶつけながら階下までごろごろと転がり落ちた。
「いっ……たぁ……」
 痛い以上に恥ずかしく惨めだ。
 小学生の頃聞きたくもないのに聞かされた童話で、12時には帰ってしまう女を我が物にすべく王子が階段にコールタールを塗り靴を残させた話が有ったと思い出した。
 灰被りはよく間抜けに転ばなかったものだ。こんな姿を見られては王子に合わせる顔が無い。
 結い上げるのに使っていた花と赤いイミテーションの宝石達の髪飾りもボロボロになって落ちている。
「手袋だけじゃあなく髪飾りまで……いや、ストッキングも破れていそうだ」
 1つだけ溜め息を吐き、ジョルノは右腕をきつく縛っている細い麻縄らしき紐を引きちぎった。
 髪を後ろで1本に編んでからその紐で乱暴に括る。
 女性らしさは一気に失われただろうが気にしてはいられない。少しでも気を確かに持ち自分らしく居なくては薬物に『自分』を乗っ取られてしまいそうな悪い予感がした。
 裸足のまま立ち上がり玄関ドアを開けて外へ。剥き出しの肩をこの季節特有の冷たい夜風が撫でたのでぶるりと震える。
 人通りは全く無いが車の音が聞こえたので通りまで走ると丁度客を降ろしたばかりのタクシーだった。
 フーゴを呼ぼうにも携帯電話はあの家に落としてしまったらしく、手探りしても見当たらない。それならばと手を上げてタクシーを停め、開いたドアから滑るように乗り込み、行き先に駅の近くのホテル名を告げる。
「お嬢ちゃん、失礼だけど……金は持ってきてるんだよね?」
 髪の薄くなり始めた男性運転手がドアを閉めて走り出してから尋ねてきたので息が詰まり掛けた。
「金は……財布はミスタが持ったままだ……」
 ミスタが先にホテルに戻ってきているなら良いが、見えるデジタル時計の数字からして未だ会場だろう。薬を打たれ人を殺したわりには余り時間が経っていない。
 もしかすると女性とすこぶる盛り上がっている頃かもしれない。嗚呼腹が立ってきた。上達したとはいえ未だ下手な化粧を施した顔が男らしく歪んでしまう。
「ホテルじゃあ親御さんが待っているんだよね?」
「……金は払います」
「お嬢ちゃん可愛い格好しているけど……こっちも厄介事には巻き込まれたくないんだよ」
「貴方を巻き込んだりしません。金は払いますから余り詮索しないで下さい」
 決して車は停めないが口も止まらない運転手への言い訳が考え付かない。
 一体誰の影響でこんなに何も考えずに行動する人間になってしまったのだ。そう思いながらジョルノは右太股から引き抜いたデリンジャーを運転手のこめかみに押し当てる。
「急いで」
 ひっ、と声を漏らしたきり黙り込んだ運転手に申し訳無い気持ちは有ったが、それよりも弾のもう込められていない拳銃を持つ手に起きた異常に気を取られた。
「……きたのか」
 指先が痺れて震える。次いで手が、腕が、全身がガクガクと震え始める。
「ぐぅっ……」
 デリンジャーを後部座席に放って両手で体を抱き締める。止まらない震えがドラッグの最初の症状の痙攣だとよくわかった。
「……お嬢ちゃん?」
 脅されたのに心配をしてくる辺りこの運転手は『良い人』なのだろう。
「あ、く……すみませんが、もう少し急げませんか……痙攣が止まる前に、ホテルへ……金は払います。動けなくなる前にホテルへ着けたら3倍は出す……」
「持病かい? 病院の方が良くないかい?」
「……紙に会社と貴方の名前を書いて下さい……ホテルへ行って下さい……金は、明日には払います」
 余り喋っていると舌を噛みそうだ。ガタガタと音を立てそうな位に震えている。
 内臓を支える筋肉も痙攣しているので体の内側から痛みが有った。何も知らぬ女達がこうして苦しまされていたのなら、その元凶を処分出来て良かった。

 8倍の濃度なのに致死量ではないのだから麻薬とは呼べないだろう。そんな事を考えながらホテルの部屋へ入り、ベッドへうつ伏せに身を投げ出すと同時に『それ』は起きた。
 間に合った……
 その独り言すら声に出せない、唇を動かす事も声帯を震わせる事すらも出来ない筋肉の弛緩。
「……はぁっ……」
 痙攣と同様に内臓達もまた弛緩し働きの放棄を試みるのか息苦しい。会場では殆ど食事が出来なかったからか微かに有った空腹感も、胃袋が動くのを辞めて消えてしまったようだ。
 それなのに脳はきちんと――ではないかもしれないが――働いているのが気持ち悪い。
 下がる目蓋に任せて眠る事にした。このままもう2度と目が覚めないなら一層それも良いかもしれない。
 ホテルへ帰ってきたミスタが床に落とした紙に気付いてタクシーの運転手に金を払い、置きっ放しにしてしまった彼のデリンジャーを回収出来ればそれで良い。
 そう思った次の瞬間に目が開く。
 恐らく眠っていたのだろう。余りにもすぐに眠りに落ち、すぐにはっきりと覚醒したから寝た気がしないだけで。
「足……痛い」
 声も出た。但し寝言のようなぼやけた声だった。
 慣れない靴を履いて、しかも途中で脱ぎ捨て裸足で歩いたから足の裏が痛い。否、痛いというよりこれは――
「ンっ……」
 妙に艶かしい声が漏れる。
 痙攣して弛緩した後に性感が高まると言っていた。性感等見ただけではわからないだろうに自分で試したのか訊いてやれば良かったと心の奥底で思っていた筈だが、そんな無駄な事を尋ねなくて良かったと今ならわかる。
「……は、あ……」
 体の自由はある意味で取り戻せているので寝返りを打ち横になった。それだけで、膝や手袋越しの肘がベッドのシーツに擦れるだけで相当な刺激が有った。
 思う存分身を捩って手軽な快楽を手にしたい自分と、そんな卑猥な事をしたくない自分とが、触れてもいない内から早々に勃起させている自分を挟んでせめぎ合う。
 まして体内で渦巻いているのは、性欲は性欲でも射精欲ではない。
「……れ、たい」
 犯されたい。
 乱暴に剥かれ広げられ、暴かれて辱しめられたい。
 女を『女』にすると言っていた。8倍の濃度なら男も容易く『女』にしてしまうのだろう。有りもしない性器に注がれたくて仕方無い。
 ふ、と部屋の電気が付いた。
 体が照らされるだけなのに心地良さが有った。大勢の人間に裸を見られたいという生まれて初めて持った――持たされた――欲が少しだが満たされるような。
 電気を付けていなかった。でもどうして今付いたんだ?
 カチャと言う小さな金属音が耳に届く。
 体を捻りながら起こして音のした方を向いた。
「あ……ミスタ……」
 正装のまま左手を壁に付き、右手だけでこちらにリボルバーを向けている。
「ジョルノか? 本当に、ジョルノだな? お前……お前は! 心配したんだぞ! 心配した……良かった、無事だ……良かったぁー……」
 1度は怒鳴ったもののミスタはその場に崩れるようにしゃがみ込んだ。
「お前、ほんっとに……勝手な行動してんじゃあねーぞ! その格好のまんま変な野郎に付いてったり、靴やら頭に付けてた花やら落ちてるし、部屋ん中に死に掛けの男2人しか居ねーし、俺てっきりお前がマワされた挙げ句……いや死ぬわけねーとは思ってたけどよォ、何で髪縛ってんだよ似た女の死体が置いてあんのかと思っちまったじゃあねーか! あーもう、何から訊けば良いんだよ!」
 拳銃を腰に挿し両手でトップハットを型崩れしそうな程に強く掴む。そんな風に着飾り、同様に着飾った女達と過ごしていたのならべらべらとよく喋る男だ等と言い放っているのだがどうやら違ったらしい。
 フーゴに連絡を取り探しに行ったのだろう。ジョルノ・ジョバァーナならば苦難を乗り越え戻ると踏んでホテルに帰ってみたのだろう。
 どうやら信頼した男に信頼されているらしい。
「……なら、心配の無いように側に『置いて』くれれば良いじゃあないですか」
 居てくれれば、と言うつもりだったのだが、何故か今は物のように扱われたい。
「男らしく俺の側から離れるな、位言って下さい」
「俺の側から離れんな!」
 勢い良く立ち上がりベッドへ乗り上げてきたミスタに抱き締められる。
 あばら骨が何本も折れてしまいそうな程の強さが嬉しい。視界がミスタの肩――タキシードの黒――だけに染まるのも嬉しい。
「もう居なくなるの禁止だからな」
「自分は勝手に女性とどこかへ行ってしまうのに?」
「お前が俺の物なら他は眼中に無い」
 今は未だ違うから、という言い訳のつもりか。
「貴方の物にすれば良い」
 嬲り乱暴し、雄を注ぎ込んで。
 抱き締められていると匂いがよくわかる。漏らさず鼻腔を埋め尽くされたい匂い。この男に犯されたいと思わせる、良く言えばフェロモンであり悪く言えば個人の体臭。
 普段ならばきっとわからない。麻薬を投与されたから鼻が敏感で――否、麻薬が匂いに興奮する言い訳に成り済まして情欲を掻き立てた。
「早く……貴方の『物』にしてほしい……ん……」
 8倍の濃度の薬の所為で感度も8倍に膨れ上がったのか服で隔てられているのに腰が跳ねそうな程に気持ち良くて声が上がる。
「その格好でヤラしい声出すなよ。何かアレだ、気不味いっつーか……」
「じゃあ、離して下さい」
 本当は離れたくないけれど。
 ミスタも同じ気持ちでいてくれるのか離れる腕が名残惜しそうだった。
 足を崩して座るジョルノに対してミスタはベッドの上で膝立ちをしているので普段よりも大きく見える。
 まして正装をしたまま――意外も何も、ちゃんと似合っているじゃあないか――なので家柄が良さそうにも見える。自分よりも圧倒的な高位に居るように。
 この男に支配されたい。
 抱き締められていた時よりももっと匂いを嗅ぎたい。いやらしい声が止まらなくなる程嗅ぎたい。
 1番匂いが強いであろう箇所に手を伸ばした。
「おいこら」
 する気の無い制止の声を聞き流してジョルノはパンツのファスナーを下ろしその中へ指を進める。
 肌触りの良い下着に触れると同時に屈んで顔を近付ける。下着の合わせに指を滑り込ませる。柔らかな『肉』を捕らえて取り出した。
 服の中に閉じ込められていたそれは、やはり嗅ぎたかった匂いが一際強い。
「何をやって――」
 頭上の声を無視して匂いも味も独り占めするべく口に含む。
 自分と違い萎えているので皮膚の弛んだ感触が舌の上に乗るだけなのに、これが欲しかったと言わんばかりに大量に唾液が分泌し始めた。
 蒸れているとも言える匂いが鼻から入り脳味噌を覆い尽くす。
「何だ何だ、酒飲まされたのか? 俺結構な量のワイン入ってるから勃たねーぞ」
「嘘ばかり」
 早々に口の中で形を変えている。
 喋る舌の動きも気に入ったのか上顎に当たる感触も硬くなった。
 口を大きく開かなければ。顎が辛くなる程、端から唾液が垂れようとも。
 咥えたまま顔を適当に前後させるだけでぶじゅぶじゅと安っぽいポルノビデオのような音が部屋に響く。
「止めろっ……本当、何考えて……はぁ……」
 吐く息と共に出る声の低さに触られてもいない両の二の腕が鳥肌を立てた。
 とうに口紅のはげた唇を犯されているみたいだとか、口を性器に見立てて犯されているみたいだとか、このまま乱暴に全身を犯されたいだとかしか考えられない。
 どんな顔をしているのか気になり上目に見ると、見下ろしていたミスタは慌てて右手で自分の口を塞ぐ。
「……娼婦の、真似事かよ……」
 ぞくぞくと込み上げる快感を噛み締めながらの手によりくぐもらせた声。
 縛ってこそいるがブロンドが赤いドレスに黒い手袋で男根を咥えている姿は確かに娼婦でしかない。
 そのまま売女だの淫売だのと罵られたいのに、ミスタは咥えられた時よりも余程焦った声で「おい」と言い右腕を掴んできた。
「これ、この怪我……どうした? 誰にやられた!?」
 殆ど消えている紐状の物できつく縛られた痕の下の皮膚と肉とが文字通り『根こそぎ』抉られている。
 今やすっかり排泄器から生殖器へと形を変えた男根を口から離した。
「それ自体は自分で。注射器を花に変えて引き抜きました」
 逃がさないように亀頭を右手の平で優しく包むように押さえる。
 舐めしゃぶった所為で雄の匂いより自分の唾液の匂いの方が強くなったそれにもう1度舌を這わせた。
「注射器って……」
「数時間前でしょうか、透明で匂いは無いが甘味の有るらしい薬物を打たれました。筋肉が痙攣して弛緩する物。動けなかった時間はここで寝てやり過ごした。今の所幻覚や幻聴は有りません」
 ましてこんなに淡々と話す事も出来ている。
「もう抜けたのか? いや、抜けてないからこんな事しでかしているってわけか」
「抜く為に力を貸して下さい、ミスタ」
 先端に透明な液をぷくと滲ませた男根を上から咥え直す。その粘液は熱くて妙に塩辛い。
「ッ! いやだからって、お前は……そういう……」
「僕に性欲が有ったらいけないんですか? ギャング組織の人間や一介の男子学生なんてそれこそ性欲の強い生き物じゃあないですか」咥えたり離して喋ったりと好き勝手を繰り返し「女としての性感が高まるドラッグを菓子に混ぜて食わせる。そうやって女を食い物にしてきたそうです。まあもう殺してしまいましたが」
「……んっ、女としての?」
「だから射精するだけじゃあ満たされない」
 右腕は掴まれたままなので左手をミスタの顔へと伸ばす。自らの口を塞いでいた右手が応えるようにジョルノの左手に指と指とを絡めた。
 銃器の扱いに慣れた自分よりも長い指。爪は短く関節は太い。
 嗚呼、ずっとずっとこの指に、嬲られたかった。
 欲のまま手を引き寄せて口に咥えていた。中指に唾液をまぶした後、薬指もまとめて咥え目を閉じる。
 無我夢中で鼻息を荒くしながら。心の奥底に僅かにだが隠し持っていた願望が薬物の所為で膨らみ外に引き摺り出されてしまった。
「ジョルノ……」
 躊躇いがちに名を呼ぶ声に込められた感情がどんな物かはわからない。
 口から指が抜かれた。一瞬奪われた虚しさが襲ったが、次の瞬間には押し倒された喜びが思考回路の全てを埋める。肩を軽く押されてベッドに仰向けにされ、その上にミスタが覆い被さる。
 顔に顔を近付けてきたが唇が触れる寸前で先程まで自分の性器を舐めていたと思い出したのか止まった。
 しかしそれでも良かった。キス等したい時にすれば良い。今はそれ以上にしたい、してもらいたい事が有る。
「ミスタ」
 呼び返すと体が少し離れた。
 その隙にジョルノは自身の両方の膝の下に手を入れて体を折り、恥ずかしげも無くドレスの下の臀部を晒す。
「本当に女物の下着履いてんだな」
「窮屈です」
 限界間近まで膨らんだ勃起に内側から押し上げられてシルエットを崩している下着に隠された、嚢の更に下の決して人に見せる事の無い箇所。
 ミスタの左手人差し指が伸びて面積の小さい黒いレースの下着が横へとずらされた。
 ごくりと喉が鳴ったのはどちらか。互いなのか。
「……こっち触って良いんだよな?」
「変な確認取らないで下さい」
「こんな流れでこんな事になるなんて思ってもなかったからよォー……最初はもっと、こう、劇的にさァー……あーでも! 触る!」
 活を入れるような大声を出したわりに、唾液まみれの中指は異様な程慎重に窄まりへ触れた。
「んぅ……」
 皺を数えるようになぞる指先がもどかしくて息が漏れる。
 ただの皮膚に触れられる事がこんなにも気持ち良いなんて。太股の裏を掴む手に力が入る。手袋のすべすべとした感触すら今は気持ち良い。
「あ、んッ……ミスタぁ……」
「エロい顔してエロい声で名前呼ばれると、我慢利かねぇ」
 つぷ、と指先が体内に侵入するのがわかった。
「……ん、う、あ、あッ」
 1本の指が腸の奥へと進んでいるだけなのに恐ろしい程の快楽が有った。意図せず声も出るし足の指先もぴんと伸びる。
「凄いな……指、入っちまうとか。もっと入りにくいかと思ってた……ちゃんとローション用意しとかねぇとなって」
「ン、多分、筋肉が……はぁっ……緩んでいたから……んんっ」
 腸壁を確かめるように中で円を描かれ言葉が続かない。
 体の自由を奪い受け入れる体制を整えて快楽を増長させる世にも恐ろしい薬。
「もう1本増やしても大丈夫か?」
 返事より先に爪の辺りまで引き抜かれた中指に、既に唾液が乾いて逆に引っ掛かりやすくなっているであろう薬指が添えられた。
「……は、あ」
 2倍の質量が再び押し入ってきた。痙攣は治まった筈なのに足を持ち上げる指がびくびくと震える。
「もっと、酷く……してほし……ア……」
 腸内で2本の指が開き肛門が無理に広げられる。痛いと声を上げる為に開けた口から熱い息と唾液しか出てこない。
 顔を横に向けるとそのまま唾液が垂れた。
「……きた、な、い……う」
「汚くなんかねーよ」
 君は全てが綺麗だよ、なんて古くてカビの生えそうな口説き文句すら今は嬉しいのに。
「なら、早く……んッ! っ!」
 指が一気に抜かれる刺激は声すら出せない。
 小指1本分も無い程だがぽかりと開いた肛門へ、先程汚さ等一切考えず口に含んだ性器が当てられる。
 早く、早く。
 左手でコルセットを巻いた腰を掴まれる。右手で根元を掴んでいる男根を、早くぶち込んで腰を振って犯し尽くしてほしい。
 そんな事しか考えられない。頭も体も。
「くそっ、これ本当に入んのかよ」
 舌打ちすら聞こえてきそうな焦りを目の前にしても、宥めるであろう普段の自分は居ない。
「入れ、ろ……」
「わかってんだよッ!」
 ごりと鈍い音がして体が引き裂かれるような痛みが走った。
「あ、かッ、ア、痛ぁ……がっ……」
 痛く苦しいのに、触れても触れられてもいないのに、真上を向いた自身から精液と思しき物が勢い無く漏れているのがわかる。
「……は、はぁ、はぁっ、はぁっ」
 尻にタキシードの布とファスナーの感触が当たっているので根元まで全て入ったのだろう。
 結ばれた事に喜びたくて荒い息のまま両手を伸ばした。
「ジョルノ」
 名を呼び見下ろしてくる顔を見上げて、今まで上手く伝えられなかった言葉を――
「……動いて、はぁっ、犯してッ」
 ミスタはそれでも、虚しいの一言も漏らさず悔しげに唇を噤む。
 所詮盛られた薬からの解放でしかないなんて思いたくないのはこちらも同じなのに他の言葉が出てこないなんて。
 手の支えが無くなり下がった両足の間にミスタの体が有る。左右に目一杯広げられている。肛門よりも股関節が痛い。繋がっている箇所はただただ気持ち良いし、動かれれば更に先の悦が得られると体は知っていた。
 急かすべく肩を掴み揺らす。
「すぐイキそうだから動けねーんだよ」
「イケば良いじゃあないですか。出せば良い。多分、僕はそうされたい」
 果たして腸でタンパク質を得れば麻薬が相殺される、なんて都合の良い話ではないかもしれないが。
「……んンッ」
 性器が小刻みに前後し始めた。
 肩を掴んだまま預けた身はドレスの裾ごと乱暴に腰を掴まれベッドに磔にされている。
 それがこんなに快感になるなんて。
「あっ、あ、は、んンッ」
 逃げられないように固定されて貫かれている現実だけでも嬌声が止められない。
 ストロークが深くなってゆく。質の良いマットレスは軋みを立てないので部屋にはジョルノの上擦ったらしくない声ばかりが響いた。
「気持ち良いのに、擦れて痛ぇ……はぁ……嬉しいのに、何つーかァ……よくわかんねー……」
「は、わからない? んっ、あぅ」
「オメーが理事長様と話してる間、ずっとワイン飲んでた。ウェイターが水しか寄越さなくなるまで」
「んッ……吐いた?」
「吐いちゃねーよ!」
 調子に乗った飲み方をする日も有るだろうが、もしも自分が他人と話し込んでいるのが気に入らないのなら、と思うと嬉しかった。だから口の端が上がり、そこから再び唾液が垂れる。
 ジョルノは両手の平で自身の目を覆う。浮かれきった表情を見られてしまわないように。しかし手は2つしか無いので狂喜する口元までは隠せない。
「……は、はぁっ、はっ」
 漸く腸が貫いてくるそれを異物と捉えて排出すべく腸液が分泌され始めた。
 性行為――本物は未経験だが――によく似た悦と排泄によく似た悦が同時に体を占める。揺さぶられる足の爪先まで快感が走る。
 噴き出すのではなく漏れ出る射精が止まらないので腹の上が熱い。手で覆った目や服に包まれている胸も熱い。
 これと同等の、もしくはこれ以上の熱が体内に出されるのだとしたら――
「駄目だ、イケねぇ」
「……え?」
「いや今出したら流石に早過ぎるけど」動くのを止めて覆い被さり、ほつれた頭を抱えて頬に頬を寄せて「気持ちの準備とか出来てねーんだよ」
 単に酒の飲み過ぎが原因だろう。どの位飲んだのか見てはいないが、こうして顔が近付くとただでさえ敏感になった嗅覚が飲んでもいないのにこちらまで酔いそうな程のアルコール臭を嗅ぎ取った。
 両腕を背に回す。似合わないようでよく似合っているタキシードが邪魔臭い。自分の手袋だって邪魔臭いが外す時間が惜しい。
「はぁ……僕が、動く……起こして下さい……」
 上半身を浮かせると背に両手が回り、抱き締められるように起こされた。傍からは正装した男女が抱き合っているように見えるのだろうか。
 そのままミスタの体を押し倒すように寝かせて自らは体を起こす。
 仰向けに横たわる所へ馬乗りになった。こんな風に見下ろすのは初めてかもしれない。赤らんだ顔は息が荒く雄々しさを感じて腹の奥が改めて熱くなった。
「……あ、上手く……動けない」
 体を上下させるだけだとわかっているのに、ドレスの裾で隠れた結合部にばかり意識が向いて前後に揺する事すら出来ない。
 この見えない中では肛門を目一杯広げられていると思うと興奮で手ががくがくと痙攣するように震えた。胸に置いた手を軸に下半身を動かしたいのにそれすらままならない。
「いきなり上手く動かれても困る」
 ミスタの両手がコルセットを掴む。
「あ、んっ! ン、はっ、あ、はぁっ」
 腰を固定され下から何度も突き上げられる。先程以上に体の奥の未だ硬い箇所まで男根が当たり全身にびりびりとした刺激が走った。
 まるで内臓を殴られているような乱暴さが有り悦楽は吐き気にも近い。
「……初めてなんだからよ」
 こちらの喘ぎとは全く違う寂しげな声音に、閉じていた目を開くと声の通りの表情が見える。
 恐らく『初めて』を大事にしていたのだろう。大事にしたかったのだろう。
 ジョルノが成人したら、或いは学校を卒業したら。何らかを切っ掛けにして改めて想いを告げて結ばれたかったのだろう。
 生まれ年のワインか何かで乾杯をして、こことは違う誰もが憧れるホテルの部屋を取り、贈った薔薇の花束を飾ってから2人服を脱いで抱き締め合って。
 そんな演出よりも今すぐ抱き締めてそのまま抱いてくれる方が、と思っていた。
 嗚呼しかし、それは子供の発想だ。一時(いっとき)の関係ではなくこれからの人生全てを捧げる相手なのだから、それでも不充分だと思ってくれる大人だったのか。
 真摯な想いは違法な薬物の1つで崩れ去る。
 軽率な行動を取ってしまいすみません。
 唇が震えて謝罪の言葉が出てこない。熱い何かが込み上げてぽたりと音を立てて落ちた。
 ぽたり、ぽたりと。ぽたぽたと。止まらないそれを手袋を嵌めた手の平で受け止める。
「え……?」
 手袋の色が黒いので一瞬気付かなかったが、溢れていたのは涙ではなかった。
「大丈夫か?」
 突き上げるのを止めたミスタの右手がジョルノの唇の辺りを乱暴に拭った。その手の平にべたりと血液が付着している。
「鼻、血……?」
 自分は泣いて等いなかった。頭に上った沸き上がる程熱い血が鼻の毛細血管を突き破って噴き出しているだけだった。
 今まで気付かなかったのが可笑しい位の激しい頭痛でミスタの声が聞こえなくなった。否、言葉として理解出来なくなっただけで、音としてはしっかり聞こえている。
 唇の震えは屈辱でも後悔でも何でもない、薬物からくる症状だ。
 がくがくと震えながら直腸も含めた全身が収縮する。穿つ男根の形がそれだけで絶頂しかねない程よくわかった。
「……はぁ、はぁっ、あっ、あッ」
 鼻血が止まらないので息が出来ない。呼吸する為に開いた口から喘ぎと唾液が漏れ続ける。
 汗も大量にかき続けているし、最早何を出しているのかわからない自身からもやはり体液が出続けている。それでも未だ頭にも体にも熱が篭っている。早く、早く放出しきらなくては――

「……う、ん」
 声帯が何とか震えて掠れた声が出た。続いて目蓋もちゃんと上がった。ジョルノは自分が生きている、と実感した。
 目の前を何かが塞いでいるので辺りが見えない。重たい体を起こして見下ろすと、下着1枚でこちらを向いて寝ているミスタだった。静かな部屋に寝息がよく響いている。
 見渡すと昨晩泊まったホテルの部屋で、それに気付いて漸く財団理事長の誕生会の後にホテルへ戻り寝た事を思い出した。
「いや……それだけじゃあない」
 右腕を見れば縛られた跡こそ消えているが、張らせた根を抉った痛々しい痕はしっかりと残っている。
 しかし麻薬に属する物を打たれた後という感覚がまるで無い。全裸で半裸の男と同じベッドに寝ていたという非日常の極みのような状況ではあるが、それをこの頭はきちんと理解出来ている。この頭、をジョルノは右手で触れてみた。
「髪の毛がぼさぼさだ」
 美容室で髪飾りと共に結い上げて、しかし階段に何度かぶつけて、適当に編み縛って、更にはそのまま寝たのだから当然だ。
 それに臭い。
 髪の毛ではなく自分の体が。のみならず部屋全体も何だか臭う。何の臭いかはよくわからない。鉄のような、花のような、アンモニア臭のような。
 そんな中でイビキの1つでもかきそうな程気持ち良さげに若干口まで開けて眠っている顔に目を向ける。
 吸い込まれるように覆い被さり、顔に顔を近付ける。キス等したい時にすれば良い。今がそのしたい時だ。
 唇の位置をしっかり確認してから目を閉じて。寝ている隙に奪うなんて不誠実かもしれないけれど。苦しい位に胸が高鳴っていた。
――ガタガタガタ
 不意の物音。
 触れる前に肩をびくつかせて振り向き、音の出所を探してきょろきょろと見回す。
 ナイトテーブルの上でミスタの携帯電話が震えて隣の拳銃にぶつかっていた。
 チェックアウトの連絡よりも早い時間から電話を寄越すのはどこの誰だ。
 昨日知り合った女か? その前から付き合いの有る女? 何が他は眼中に無い、だ。
 立ち上がったジョルノは苛々とした様子を体現した乱暴な手付きで携帯電話をむんずと掴み取って通話ボタンを押し耳に当てる。
「ミスタなら僕の隣で寝ていますが」
[ジョルノ?]
「……え?」1度携帯電話の画面表示を見て「フーゴでしたか。おはようございます」
[ミスタは寝ているんですか?]
「えぇ、まぁ……寝ていますね……」
 ちらと横目に見ると当然のように未だ気持ち良さそうに寝息を立てていた。
「隣……隣のベッドで。駅の近くのホテルのツインルームです」
[ふざけるな! こっちの心配も知らずに寝腐りやがって! ジョルノと落ち合えたらすぐに連絡しろと言っただろうがッ!]
 それを自分に怒鳴られても困る。
[……ジョルノ、大丈夫ですか? いや、これでは質問が漠然とし過ぎているな。昨日はあの少年の家で何が有ったか聞いても構いませんか? 話したくない事は伏せていて構いません]
 気遣いは有難いが誤解されている気がした。
[あとミスタはそこに居るんですね?]
「起こしますか?」
 しかし心配してくれたフーゴへの説明をミスタに任せては新たな誤解を生みかねない。
 誤解でも何でもない関係にはなったが、幸いにもフーゴは「結構です」と言った。
「そうだフーゴ、例の大学へ行かなくても良くなりました。あの少年は中学生で……兄の方が麻薬を製造していた。うちの組織が関与している様子は無い。栽培からしているような口振りだった……けれど、殺してしまったので詳細はわからない。弟の方も殺しました。何も考えずに与えられるまま女に使っていたような口振りだった」
[改めてあの部屋を調べなくちゃあならないか……あぁ、2人を殺したのは僕達だから僕達が責任を持って正式な出所を見付け出して処分しますよ]
 詳しく聞くべく、ミスタに背を向ける形でベッドの端に腰を下ろす。
[ミスタからジョルノの姿がずっと見付からないと電話が有ったので事情を話した所、すぐに行くと呼び出されました。本当にミスタに何も言っていなかったんですね]
「すみません」
 兄には秘密で、はフェイクでも何でもなかったのだが。
[色違いの煉瓦の家だから迷わず着いたが玄関のドアが開きっ放し。中に入れば壊れた髪飾りは落ちているし、携帯は電池パックが飛んでいるし、階段には靴もばらばらで、ぽつぽつとだが血痕まで有った。明らかな事件現場で驚きました。それで奥の部屋に入れば今にも死にそうな男が2人ですからね]
「殺し損ねていたのか……」
[ミスタから銃を借りていたんですね。男2人に何か、まあそういった類の事をされたから発砲して命からがら逃げ出したと思い込んだミスタが、股間を撃たれていた方の頭に物凄い罵詈雑言を浴びせながら計12発撃ち込み射殺しました]
「は? 12発?」
「6発を2連続。リボルバーで蜂の巣を作る様は見せたかった位だ」
 見たくないと言えば嘘になる。それを出来る人間は早々居ない。
 そんな真似を易々としてしまえる男は背後で相変わらず深い寝息を立てていた。
[ジョルノの事も麻薬の事も聞きそびれて――もう1人は喉を撃たれていたから話は出来なかったし。どちらも誰がやったか知られてしまいそうだから、パープルヘイズのカプセルを置いて距離を取ってから撃ち死体ごと消しておきました]
「有難うございます」
[命からがら逃げ出した、となればホテルか事務所には戻っているだろうからミスタをホテルへ送った。怪我をしていてもあの服装で病院には行けないだろうし。ジョルノが戻ってきたら電話をするように話し合ったのに……]
 電話越しに聞こえる深い溜め息。
「あの……僕が先にホテルに居たので」言い訳にもならないが。今更ながら電話口に手を当て「寝ている僕を起こさないように気を使ってくれたんです。ミスタを責めないで下さい」
「なぁーに人の電話に勝手に出てんだよ」
 がば、と背後から抱き付かれたものだから落とし掛けた電話を慌てて両手で掴む。
 心臓が飛び出るかと思った。寝起きらしく少し低めの体温で抱き締められているのだと思うと心臓以外の臓器だって飛び出してしまいそうだ。
 両手で握り締めていたのに電話はするりと抜き取られた。
「フーゴか? ああ、今起き――悪い、悪かったって! 怒鳴るなって!」
 何が起きているか簡単に察せられて笑いそうになる。
「……いや、大丈夫だ」
 が、途端に声が低くなった。
 ミスタにとって嫌な話題なのか。後ろに居るので見えないが顔にはきっと不愉快を貼り付けているだろう。
 声も口調も男らしいな、と思った。未だ体に回っている左腕も。その腕にそっと触れてみる。
「……少し冷たい……」
 勿論病的ではなく、熱い手の平には丁度良い位。
 僕の手が熱いのか?
 ジョルノは腕から離した己の手の平を見た。
 至って普通の手の平。爪が伸びたわけでも手相が変わったわけでもないし、特別汗ばんでもいない。
 ただ他人――自分以外――の男根を触った手袋越しの感覚が蘇る。
「ああ、わかった。取り敢えずジョルノは休ませておく」
 休む間も与えずその低く出した声で熱をなじってもらいたい。
 いや……今僕は何を考えた?
 体は熱いのに薄ら寒い物が背中を走る。恐ろしくて1度離した手でミスタの腕にしがみついた。
「どうした? あ、いや、こっちの話。は? 学校? そうか、未だ学生だもんな……いやチェックアウトしたら病院連れて行く。腕に怪我をしている。他にもほら、色々有るだろう」
 何度か相槌を打ち、礼を告げてから通話を終わらせたミスタはその電話をもう片方のベッドへと放り投げる。
 昨日着ていたドレスとタキシードの間に落ちた。
 服はどちらもぐちゃぐちゃに丸めて置かれており、特にワインレッドのドレスの方は濡れて変色までしている。
「ん? 服がどうかしたか、お姫様」
 するりと腕を抜いてミスタは隣に座り直し、お姫様からは程遠い麻紐の絡まった髪を撫でてきた。
「……手袋やストッキングを汚したのは覚えているけれど、結局ドレスも滅茶苦茶にしてしまったみたいだ」
「ついでにパンツもな」
「パンツと言えば、どうして自分だけ履いているんですか」
 ちらと目を向けると股上の極端に浅い下着が目に入る。
 一方でジョルノは何も履いていない。取り敢えず昨日の物でも良いので履きたかったが、いつ脱ぎどこに置いたか記憶に無い。
「こりゃあ俺が履いてるんじゃあなくて、ジョルノが履いていられなくしたんだろーが」
「僕が?」
「昨日ドレス捲って出るから見ててくれって言い出して、何すんのかなぁと思ったら漏らしたのは本気で驚いたぜ」
 ドレスが黒く湿っているのはまさか。
 言われてみれば様々な匂いの入り交じった部屋だが、アンモニアを連想させる悪臭は隣のベッドからしているように思えた。
「すみません、覚えていません」
「その後豪快に脱いで、更に豪快に俺を脱がせた事も?」
「覚えていませんね……」
「シャツ破られた時には犯されるかと思ったってーのによォ」
「そこまでしたんですか……自分の事ながら引いてしまうな」
「銃まで奪っちまうし」先程放り投げた拳銃へ視線を向け「俺の匂いがするだの何だの言ってしゃぶりだすし」
「え……」
 この嫌な鉄の匂いは自分の口の中からしているのだろうか。
「……あんたそれを止めないで見ていたんですか?」
「名前呼びながらそういう事されると嬉しいだろ?」
 本人に向かって鼻の下を伸ばしながら言う事ではない。
 鼻の下に、唇に目が向く。キスをしそびれた。今いきなり唇を奪ったらどんな反応をするだろうか。
 漏らしたり拳銃を咥えたりと好き放題して尚こうして寄り添っているのだから。不安を上回る期待を持った胸を触れ合わせるように寄せた。
「流石にその後は止めたけどな」
「その後? 僕は他に何をしたんですか?」
「俺の名前連呼しながらさァ、すっげー可愛かったんだけど、しゃぶった銃をこっちに見せながら自分の尻にい――」
「やっぱり聞きたくないので違う話をしてもらえませんか」
 それは確かに病院で診てもらう必要が有りそうだ。
「大丈夫か?」
「そんな物を入れたわりには大丈夫ですね」
「俺の大事なモノをそんな物呼ばわりすんなよ」
「そっちでしたか」
 話題に出たので自然と視線がそこへ向かう。
 ずっと求めていた。否、体の繋がりは特別必要無いと思っていた。否々、昨晩あれだけの快楽を与えてくれた。
「腹減ったのか?」
「え? あ……これ、は……」
 口をだらしなく呆けたように開けていた。まして、そこから唾液が垂れていたので慌てて手の甲で拭う。
 昨日は食事会のような物だと思えと言われていた会合なのに結局殆ど食べていない。
 理事長の話を聞きながら飲み物は飲んでいたので脱水は免れている。飲んでいなければ昨晩あれだけ体液を出したのだからどうなっていた事か。
「何か食いたい物有るか?」
 確かに腹は空いたし喉も渇いた。何かを口に含みたい。何かに咥内を占められ唇から舌から喉の奥まで犯されたい。
 ジョルノは『何か』に手を伸ばした。
 下着の上から指先でなぞるだけでも平常時と呼ぶには血液が集中しているのがわかる。
「何やってんだよ」
「朝だから?」
「そうだよ、生理現象だ。あとはまあ、お前が裸で隣に居るから」
 後者は純粋に嬉しいので礼をしなくては。下着の合わせに指を滑り込ませた。
「ジョルノ、お前……止めろって」
 戸惑いの声を無視して性器を外へ出す。
 嫌ならば振り払えば良い。それに男なら、口で奉仕されて嫌な筈が無い。
 局部へ顔を埋め唾液の溜まり過ぎた口を大きく開けて咥える。この柔らかな感触が堪らなくて有りもしない臓器が下腹に降りてくる気がした。
「……ん……」
 頭上で漏れる低い声にぞくぞくとした。口の中でも早速男根が硬さを増して形を主張している。
 すぐに咥えていられないだけの大きさになったので1度口から離す。手で根元を押さえて再び、今度は亀頭だけをぱくりと咥えた。
 舌を動かせば動かした分だけ当たるカリの硬い感触が気持ち良かった。早くこれで腸壁を擦り上げてほしい。
 体を貫かれたい。果てに果てるまで凌辱の限りを尽くされたい。記憶に無いが昨晩存分に注がれている筈のそれを再び欲している。
 止めどなく溢れる唾液の合間に塩辛いカウパーの味が混ざった。
「ぷはっ」
 すっかり臨戦体勢にまで膨張したそれから口を離して浅く早い息をする。
 べたべたに汚れている男根に跨がりたい――否、今の気分は身動き取れない所を後ろから突かれたい、だ。
「はぁ、はぁ……ミスタ、僕は……もう我慢が……触って下さい……」
「わかった」
 体を起こし犬猫のように擦り寄って抱き付く。抱き締め返されると昨日と違い服の邪魔が無く肌と肌が触れ合い、それだけで達せそうな程に気持ち良かった。
 背を抱いていたミスタの右手は臀部へ回る。
 しかし左手は後頭部を撫でてきた。
「大丈夫だからな」何が、と問うより先に「治るまで俺がついてる」
 普段よりもずっと柔らかく暖かみの有る声にジョルノは体を離して顔を見る。
 いつも通りの世の中を舐め腐ったチンピラを地でいくような見慣れた顔。
 対して自分は今どんな顔をしているだろう。
 唾液まみれの口の端を上げた淫靡な、そして気の狂った笑顔。
「薬が……」
 未だ抜けていないのか? 抜けても1度の投薬でこうなるのか?
 もしくはこれが本来の自分なのか?
「……あ……いや、だ」
 歯がカチカチ鳴る程に全身が震え出した。
 鼻の頭が熱い。放っておけばこのまま涙が流れるだろう。それともまた鼻血が噴き出すのか。
「俺はお前が居るから何とかなってきた。だから、俺もお前の側に居て何とかしてやる」
 何が出来るわけでもないが、と言う顔もいつも通り。
「あーでも、ずっと側に居ろって意味の一緒に住もうってのは未だ言わないからな」
「……未だ?」
「お前今16だろ? あと2年だな」
 いつ言うのかではなく、いつか言う気なのかと訊いたつもりだったのだが。
「2年か、2年……2年って長くねーか?」
 頭を抱えたそうに溜め息を1つ吐く様子が『いかにも』で妙に心が穏やかになる。
 これこそが日常だ。夜であり裏である社会に生きる自分達のスリリングな日常。ドラッグなんて邪魔者が付け入る隙の無い。
「ヤる事先にヤッちまったけど、2年後にはきちんと好きだって言って、キスして、一緒に暮らそうって言うから、それまで浮気すんなよ」
「浮気するのは貴方の方でしょう」
「しねーよ」
「第一僕がそのプロポーズを受け入れるとは限らないのでは?」
「断られんのかッ!?」
 その単語を否定しないという事は、やはりプロポーズの予定らしい。
 2年待たされて誰が断るものか。それまで好きと言われずキスの1つも無い様子なので逆に断ってやろうか。
「……言っておきますけど」
「何だ?」
「僕は別に貴方が側に居ないと駄目とかじゃあない」
 薬物の所為で高まった性欲だって、1人だろうとどこぞの馬の骨相手だろうとどうにでも出来る。
「好きな人の側に居られる事が1番幸せだ、というだけです」
 逆プロポーズと勘違いし――もしくは正しく受け止め――て、嬉しそうに唇の形を崩す貴方の側で生きていける事が。


2018,01,10


関連リンク:マスケラ


空ちゃん冬の雪祭り企画はまさかの5部×薬×女装!本当にまさかのだわ!!
なかなかタイトル決められないという話から、タイトルを先に決めたらどうだろうと思い、PillとDrugで対にしたくなった。女装ネタなのは書きたい&書かせたいだけ。
スタンガンで拉致って監禁、シャブ漬けにしてからの返却という性癖の塊を書きたかったけれど各方面から怒られそうなので自粛しました。
<雪架>

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