仗露 R15 NL要素有り

関連作品:Jack The Vampire


  Pacchiano Neve


「じゃあ俺帰るわ」
「ああ」
 引き留めろよ!
 叫びたい気持ちを抑えて仗助は改めて髪を手櫛で直した。
 ベッドにこちらに背を向け横たわる露伴の姿は『ぐったり』が相応しい位に疲れて見える。
 疲労困憊で返事も厳しいのだろう、と思う事にした。
 財布と携帯、家の鍵位しか持ってきていない。全てが着終えた服のポケットに入れてある事を確認して寝室を出るドアへと向かう。
「……泊まっても良い」
 今言うのかよ!
 帰りますよと拗ねてドアノブを手にしたタイミングの甘い言葉は素直に喜べない。
 嬉しい気持ちは確かに有るが「じゃあ御言葉に甘えて」となる筈がない。
「でも明日億泰迎えに来るからよ」
 何故帰るのかと尋ねられたわけでもないのに、自分から言ってしまった。
 それも去年や一昨年と代わり無い日常の延長のような言い方。高校3年の冬ともなれば進学や一部の者は就職で忙しい時期。しかし一応は自分も親しい友人達も進路が決まり――同じ道ではないが――一安心したのか卒業が近付いている事の実感が湧かない。
「明日……そうか、明日か」
 もぞと動いてベッドシーツが擦れる音がする。
「明日来るんだったな」
 どうやら頭を起こしたらしく――背を向けたままなので見えない、こちらを見ていて目が合うと気まずくなりそうなので振り向けない――声が通って聞こえる。単に声から眠気が飛んだだけかもしれない。
「露伴、お前も迎えに行くんだからな」
「別に朝早くからってわけじゃあないだろう」
 再びシーツの擦れる音。寝るモードに突入したらしい。
 そのまま「だから泊まっていけば」ともう1度言われたら心は動いていたかもしれない。しかし露伴の口からそんな甘い言葉は出てこなかった。
「朝から迎えに来るとか、お前達は相変わらず仲が良いな」
「嫉妬?」
「早く帰れ」
「まあそうだよな」
 お前が俺の事で嫉妬する筈なんて無いもんな。
 そこまで続けては口論に発展しそうだったので仗助はぐっと飲み込み、漸く掴んでいたドアノブを回す。
「じゃあまた明日」
「ああ……気を付けて」
 意外な言葉が嬉しかった。
 廊下を抜けて外に出るとしんしんと雪が降っていた。既に足元に降り積もって踏み固められている雪の上に、更に新しい雪が舞い降りてくる。
 静かなのは雪が音の全てを吸収してくれるからか、それとも単にもうすぐ日付が変わる時間帯だからか。
 雪が降るという事は氷点下という事なので寒い。どれだけ慣れていても寒いものは寒い。自宅までのそう離れてはいない距離――岸辺邸より学校の方が遠い位だ――なのでタクシーを拾おうとは思わないが歩みは速めた。またベッドタウンだからかタクシーが走っていない。
 見上げた先は夜空でありながら曇り空。星は1つも見えない。
 満天の星空を見上げて語り明かすなんて鳥肌が立つ程にロマンティックな事でもすれば、露伴の態度も変わるだろうか。
 出会いも馴れ初めも今日(こんにち)に至るまでも色々と最低に最悪を重ねているが、それでも一応は交際している。好意を告げると受け入れられた。
 だから満足しなければならない。
 露伴のあの性格を考えれば現状でも充分過ぎる程だ。仗助も別に手を握り合い街中を歩きたいと思っているわけではない。
 ただもう少し、あとほんの少しだけでも、自分を想ってもらいたいだけで。
「俺ばっかりじゃん」
 勿論自分ももう少し素直に接する事が出来れば、と思わない事も無い。それでも露伴と比べれば未だマシな筈だ。
 お気に入りのブーツが沈む程ではないが、寒さ故にきゅっきゅと雪の音が鳴る夜道を歩く。
 明日は更に厚手のコートを着ようと決めた。

 玄関チャイムが鳴ったので確認もせずにドアを開ける。
「よお」
 帽子にマフラーにダウンジャケットに長靴――ゴム長と呼ぶ程ダサくはないが、ブーツと呼べる物でもない――で完全防寒した億泰だった。
 ポケットから出して上げた手には手袋もしている。
「おはよう」
 本当は遅かったな、と言いたかった。億泰の事だからもっと早くに来るだろうと踏んでいた。
 しかし時間としては充分に早い。今から駅へ向かい電車に乗り、空港へ向かっても飛行機の到着までは相当余裕が有る。
「お前ん家大丈夫か? 屋根の雪」
「ああ……未だ大丈夫だって、細かい事心配し過ぎんなよ」
 一昨年、東京から越してきたので初めて積雪地方の冬を体験する億泰に「雪が積もり過ぎると屋根が抜ける」と教えた。
 今回で3度目になる越冬でも未だどの位が『積もり過ぎる』か判断出来ていないようだが、大雑把な見た目に反して些細な事に煩く人からすれば厄介にすら思われそうな親友には説明し辛い。
「朝から雪下ろししてきたのか?」
「おう。今日の雪はサラサラしてて軽かったな」
 軽いという事は水気を含んでいなく雨から遠い、それだけ寒いという事。その軽さが大丈夫の証だと言えば伝わるだろうか。億泰は余り頭の良い性分ではないので「寒ければ寒い程大丈夫」等と油断させてしまいそうだ。
 昨日夕食後に露伴の家に行く際に着た物よりも厚手で長いコートを羽織っていた仗助は外に出てドアを閉めて鍵を掛けた。厚着しているが外はやはり寒い。
 駅へ向かうよりも先に露伴と康一とを迎えに行く。言葉にしなくても2人の足は同じ方向へと踏み出す。
「朝1の飛行機で来るとかじゃあなくて良かったよなァ」
 今でこそ雪は止んでいるが、朝起きた時には未だ少し降っていた。
「何便も乗り継いで来るからそんな早くはなんねーよ」
 あの位の雪なら飛行機が飛ばないという事も無いだろう。この加減も説明が難しい。
「外国から来るんだったな。金髪美女?」
「ちげーよ。金髪美女の友達とか寧ろ欲しい」
「承太郎さんが来る時はもっと早いよな」
「アメリカからなら乗り継ぎ1本で済むからだろ」
 のんびりと話しながら歩いた。天気の所為なのか折角の休日だが誰とも擦れ違わないまま広瀬家の前に着く。
 玄関チャイムを押そうと指――仗助は手袋をしていない。ポケットから出すと一気に冷えを感じた――を伸ばしたまさにその時、ドアが開いて康一が出てきた。
「あ、仗助君に億泰君」
 濃紺で落ち着いた色合いだが学生らしいPコートを羽織った康一が何度も瞬きを繰り返す。
「2人共、どうしたの?」
「どうしたの、じゃあねーだろ」仗助は肩を落とし「お前忘れたのか? 今日だぜ、来るの」
「忘れてないよ。空港行かないの? ああ、未だ早いかな」
 左手首に巻いた時計で時間を確認する。いつの間に腕時計を買ったのだろう。遠目に見てもそこそこ立派そうな物だとわかった。
「おい」
 真後ろから声がした。仗助と億泰は揃って振り向く。
 声の主はキャメル色のトレンチコートを着た露伴。コート自体はとてもよく似合っているが、他に防寒具を身に付けていないので寒そうにも見えた。
「康一君を早く……ああ、もう出ていたのか!」
 急に声音ががらりと明るいそれに変わる。
「露伴先生、おはようございます。あの……もしかして露伴先生、忘れているんですか?」
「何をだい?」
「というか2人も忘れてる? 僕言ったよね、今日由花子さんと出掛ける予定が有るから一緒に迎えには行けないって」
「え?」
 声が綺麗に3人揃った。
「康一、お前……行けねーのか?」
「だから言ったでしょ、迎えには一緒に行けないって。どうして忘れちゃうかなあ。明日とか明後日とか、あとお見送りとかはちゃんと行くよ。でも今日は外せないんだ。向こうにも言ってあるから」
 後ろを向いて鍵を閉め、玄関から出てくる。
「じゃあ宜しく言っておいてね」
「おいおい由花子とのデートを優先する気かァー? 友達甲斐が無ぇぞ康一ィー」
 億泰は歩き出した康一の後ろを追い掛けるように一緒になって歩き始めた。
 幸いにも目的地――駅――と同じ方向なので仗助も、そして露伴も後ろを歩く。
「どこで待ち合わせてるんだ?」
「駅前のバス停だよ」
「じゃあそこまでは一緒に行こうぜ」
「それは構わないけど」
 言いながらもこちらを振り返らない。
 デートの邪魔をするとでも思われているのだろうか。確かにこの後予定が入っていなければ億泰と2人で尾行位はしていただろう。あるいは照れているのか。
 先頭を歩く康一の後ろに億泰と仗助、更にその後ろにわざとらしく距離を置き露伴が歩く。一体何のご一行だ。
 1本道路を曲がると開けた印象になった。車が行きかい、人々も沢山歩いている。偶然にも家の周りのみ人が少なかったようだ。
 道中億泰と仗助の間以外には会話は殆ど無かった。
「あれ?」
 漸く康一が口を開いたかと思うと彼はそのまま立ち止まった。ぶつかりはしなかったが億泰と仗助、次いで露伴も足を止める。
 前方から由花子が走ってきた。
 黒く美しく波打つ髪を揺らしながら。チャコールグレーのショートブーツで雪道を走っては転んでしまうのかと心配に思うような、彼女ならその心配は不要そうだと思うような。
 襟と袖と裾に黒いファーが付いた鮮やか過ぎない赤いコートが近付いてくる。
「由花子さん!」
 呼ばれて足を止めた。気付けば後数歩でぶつかりかねない距離だった。
「って、違う……?」
 康一の独り言を聞いて後ろの3人も漸く気付いた。よく似ているが、由花子ではない。
 女子にしては背は高いが由花子よりは低く、前髪の分かれ方が明らかに違う。元は髪に癖が無いのだろう。パーマのダメージの所為か毛先は由花子では考えられない傷み方をして色が変わり枝毛になっている。
 顔もよく似ているようで本来は全く違うとわかる。アイメイクが特に濃く、二重のラインはわざと作った物のようだ。元が薄い眉も必死に描いていた。
「貴方は……」
 声が1番別人だった。イントネーションが可笑しいという事は無いが、声質自体が全く違う。
「すみません、知り合いによく似ていたので……前にもこんな事有ったなあ、あの時は顔が無かっただけで由花子さんだったけど」
「……広瀬康一」
「えっ?」
 何故名前を、と誰も言い出せないまま由花子によく似た女性は再び走り出した。
 億泰の横を通り抜ける時、女性が二重に見えた。すぐ後ろに影のような、映画の残像の効果を思わせる『幻』が。
 今のは……
「すっげー似てたなァ!? 俺由花子だと思ったぜ!?」
「僕も由花子さんだとばっかり」
「言う程か? 似ていないとは言わないが、他人の空似の範疇だろう」
 口々に感想を述べている。二重という錯覚は自分しか見えていないのか、と仗助は自身の足元に視線を落とす。
 真新しかった雪はこの時間ともなれば日光によって少し溶け、より滑りやすくなっている。但し根雪の全てが溶ける様子は無い。
 新しい足跡は自分の物の他に前を歩く康一、隣を歩く億泰、その横を走っていた先程の女性の物。女性の足跡が2つ有ったりはしなかった。
「……ン? おい康一」
「何?」
「お前コートの裾に雪付いてるぜ」
 低い位置に目を向けたから気付けた。
 先日の横殴りの吹雪で壁や電柱等に付いた、解けず残っていた雪に触れて乗ったのだろう。
「ほろっといてやるよ」
 右手で払う。白い雪はサラサラとしていたが意外に重みが有るのかすぐに全て地面に落ちる。
「仗助、『ほろう』って何だ?」
「ほろうはほろうだろ」
 外気は寒いので仗助はすぐに右手を外套のポケットに入れた。
「東北・北海道地方の方言だ」
 溜め息混じりに言った露伴は呆れたように腕を組んでいる。
「標準語に直せば『払い落とす』辺りになる」
「方言だったんスか」
 そんな事も知らないのか、と返ってはこなかったのでいつもの口論は始まらなかった。

 駅の前のバス停に、屋外に由花子の姿は有った。名を呼んで駆け出す康一の後ろで「駅の中で待っていれば良いのに」と思った。
「待たせちゃってゴメンね」
「ううん、5分も早いわ。しかも私の為に走ってくれた……有難う康一君。でも雪道を走るのは危ないわ」
「そうだね……何だか不思議な感じがするなあ、先刻由花子さんによく似た人が走っていたから」
「私によく似た人?」
「うん。声は全然違ったんだけどね。でもそのコートとか、あと靴とか、由花子さんそっくりだったよ」
 赤いコートは恐らく全く同じ物、またチャコールグレーのショートブーツもよく似たデザインを通り越して同じ物に見える。
「康一君、その女に何かされなかった?」
「別に何も。でも僕の名前を知っているみたいだったなあ」
「そう……」
「おい由花子、いい加減俺達に気付けよ」
 未だ視界に入っていないのではと思い仗助の方から声を掛けた。
「ねえ露伴先生、貴方漫画家さんでしょう?」どうやら気が付いてはいたらしく、しかし露伴だけをじいと見詰め「ドッペルゲンガーに詳しかったりしない?」
「自分によく似た人間が3人は居るだとか、それを見たら数日後に死ぬだとか、そういう話の事なら誰だって聞いた事が有るだろうな。それとも幽体離脱の話か?」
 肉体から離れてしまった魂が己の姿を見るという現象。
「なんて、私とあの女には関係の無い事だけど」
「あの女って事は、由花子さんも会ったの?」
「ええ」
 もしもドッペルゲンガーなら数日の内に、という心配をする様子も無く由花子は他には誰も立っていないバス停に目を向けた。
「康一君に何も無いなら良かったわ。あの女、多分康一君の事が好きなのよ。だから私と同じ格好をして私に話し掛けてきた……うちの高校の2年らしいわ」
「そうなの? 何を話したか聞いても良い?」
「山岸由花子さん、私貴女とお話したかったんです、って言われただけ。それから名前とクラスを言っていたわ。それだけよ」
 由花子の事も康一の事も知っている下級生。
 最も由花子は黙っていれば美人だし成績も優秀なので下級生の女子が憧れを持っていても可笑しくはない。
 そこから康一を知り仄かな恋心を抱くのも、そのまま校内の有名人であり恋人である由花子の姿を真似るのも。女子にはそういう時期位有るのだろう。
「詳しくはバスの中で話しても良いけれど、本当にそれしか話をしていないの。それにあんな女の事よりも、私達の間には話すべき事が沢山有る筈だわ」
 学校内では勿論、休みの日もこうして共に出掛ける程ずっとべたりと一緒に居るても未だ話す事が有るのか。
 由花子は遠回しに「2人きりで話したいからどこかへ行け」と言っているのだと解釈して、仗助は億泰の腕を肘で突く。
「行こうぜ」
「おう」
 折角だから自分達もバスで空港まで行こうと言い出さなくて良かった。
 尤も、康一と由花子の2人がどこを目的地としているかわからないので同じバスには乗れないだろう。空港はそれなりに広く見所が有ると言えば有るが、土産品の販売ばかりで地元の人間には楽しめない。
 康一は来ないのかと訊かれた時の為にどこへ行くか位教えてくれと言ってみようかと思ったが、何も言わずに露伴が駅へ向かってしまったので仗助は1度溜め息を吐く。
「仗助君? どうしたの?」
「何でもねーよ。じゃあな康一、楽しんでこい」
「うん、宜しく言っておいてね」

 車酔いするタイプではないので進行方向に背を向けても通路側でも何の問題も無い。左隣に億泰が居るのも傍から見れば狭苦しく思われそうだが仗助としては悪くない。
 目の前で窓辺に頬杖を突いてひたすらに退屈そうにしている露伴を見ているのも悪くはないのだが、悪態を吐いておかないと自分を保てない気がする。
「……外も駅も寒かったけど、電車の中は結構暖かいな」
「そうだなァ」
「暑い位だ」
 快特電車はそれなりに煩いが、祝日にしては乗車率が低いので仗助の独り言は2人に届いた。
「確かに暑いっつーか右手がビリビリするっつーか」
「ビリビリ?」
「霜焼けになっちまったかな」
 仗助は自分の右手の平を見た。寒さ故に指先が赤い気もするが、それ以外は特に可笑しな所は無い。
 だからこそ可笑しい。微かな痺れを手の平にも感じている。
「もう次が終点で空港か。この時間空港に向かう奴は少ないみたいだな。それにしても晴れて良かった」
 珍しく露伴が他者を気遣うような言葉を吐いた。
「朝早い時間は雪降ってたけどよォ、今がこれだけ良い天気なら飛行機はちゃんと飛んでるんだろうなァ」
 電車内では流石に運行状況を知る事は出来ない。だが窓の外の晴れ渡る空模様を見れば心配は無さそうだ。
 景色の動きがゆっくりと減速し始め、やがて終着駅に着き止まる。
 降りて改札を抜けて一路空港内へ。駅構内や電車内とは違いかなり人が多くざわざわと煩い。
 小柄な康一だとはぐれてしまうかもしれないな、と思っている内に露伴の充分に有る背がどんどん進んでしまうので億泰と2人で急いで追い掛けた。
「ったく、暑いのに急かしやがって」
 すぐ隣で文句を垂れながら億泰は手袋、帽子、マフラー、そして上着のダウンジャケットと順に脱いでいった。中は清潔そうに白いトレーナーを着ている。
 同じように露伴は立ち止まらずにトレンチコートを脱ぎながら、取材旅行の為に空港をよく使うのだろうか場所を知り尽くしているらしく、真っ直ぐに到着ゲートに向かっていた。
 ゲート付近ならば遅れの有無がわかるだろう。左手首にしている腕時計を見れば飛行機が全く遅れていなくても未だ着いていない時間を指している。
「仗助?」
「ン?」
 横を向くと億泰が3歩分近く遅れていたので足を止めた。
「何だ?」
 似つかわしくない気まずそうな表情を浮かべてこちらを指差す。
 一体何の事やらと首を傾げて自分の胸を見下ろした。
「何か有ったか?」
 快適な温度を保った施設内で人が多いから暑いというのにお前は着たままなのか、という意味かと思い急いで脱いで脇に抱えてみたが、違うらしく億泰は首を横に振る。
「手、どうした?」
 もう1度時計を見た。流れで左手首や甲、裏返して手の平も見た。
 何も変わり無いので右手を見てみた。同時に息を呑む。
「……何、だ?」
「変だよな? 何か変だよなァ?」
 上手く言えないといった調子で億泰が狼狽えるのもよくわかる。仗助自身どう反応して良いかわからなかった。
 袖口から覗く手が別人のそれになって見える。
 皮膚が老人を思わせるような褪せているのに浅黒い色になっている。全体的に弛んで皺も出来ていた。
 痛くも痒くもない。しかし神経は繋がり通っているので指は自由に動くし感触もわかる。
 右手を結んで開いて、もう1度結んだ後。
「……っ……何だ?」
 開かない。
 指の自由が効かないのではなく自らの意思で握り拳を作ったままにしているような錯覚。
 手首より先は指を開きたくない。だから開かない。
 この手指で億泰の持つ、彼が先程まで巻いていた少し派手気味なマフラーに触れたい。
 いや別に触りたかねぇって!?
 手首より上はそう思っているので右腕を意識して下ろしたまま。しかし右手は触れたがっているので年寄り臭い拳がぐねぐねと動き不気味だった。
「おい仗助、その手ヤベーんじゃあねぇか?」
「ああこれ滅茶苦茶にヤバいぜ!」
 大勢歩く人々の中だが仗助はスタンドを出す。特に立ち止まりこちらを見る者は居ない。
 何でも元に戻せるクレイジー・ダイヤモンドはしかし自分に関する物は治せない。それでも手の可笑しな動きを止める位は出来る。
「どうしちまったんだよ!?」
 億泰のその声には数人が振り向いた。
 背の有る男子高校生2人、それも見てくれが揃って優等生とは言い難いので立ち止まってまで見てはこない。
 雑踏の中で2人にしか見えていない筈のスタンドは、本体と同じく、あるいはそれ以上に右手を可笑しくしている。
 本体である仗助が右手のみ年寄りになったと表現出来るのに対し、クレイジー・ダイヤモンドの右手は言うならば触手状に変化していた。
 色は今までとほぼ変わらないが、まるでタコの足から吸盤を取り外したような形になっている。
 触れていないが触り心地は恐らく『ぬるり』だろう事が予想出来た。
 何故わかるのか、を考えるとまた不気味で仕方が無い。頭を振って考えを吹き飛ばし、クレイジー・ダイヤモンド――の無事な左手――に今にも枯れ果てそうな右手を押さえさせる。
「うわ……何だこれ……」
 右手を掴まれている感触は有る。そのまま大人しくしていたいのに、右手の先が離せ離せと暴れたがる。自分自身の感触とスタンドの感触の他にもう1人間に存在していて脳が処理を追い付けない。
 老人のそれのような手が不意にビクンと跳ねて全ての指を開いた。
 マフラーよりももっと触れたい物が近付いている――
「飛行機は定刻通り飛んでいるそうだ。当然未だ着いていないがな」
 露伴の声。振り向けばざっくりと編まれた暖かそうなニットセーター姿。手には脱いだトレンチコートを持ち、顔には呆れを浮かべている。
「お前達何をやって――」
 スタンド使いなのでクレイジー・ダイヤモンドの姿を見ても動じなかった露伴だが、その右手の形の歪さには絶句して足を止めた。
 触手は触手でもまさに「言う事を聞かない」レベルでびたびたと動き回っている。
 尤も肘より上で制御しているので殴りかかったりはしない。ただ誰の目にも生理的に受け付けないというだけ。動きが付いたからか一層気持ち悪い。
 ましてその動きを自分でしている。したくないのに、したくてしている。自分の右手もスタンドの右手も、触れようと思っていないのに露伴の服に触れたくて肘が痛む程に可笑しな方向に曲がった。
「何が有った」
 距離を保ったまま表情を険しくする露伴の、その服に右手で触れたい。単なるセーターに触れたいわけが無いのに、早く触れようと指がわきわき動く。
「仗助がスタンド攻撃されてんだよ! ヤベーよ何とかしてくれッ!」
「……これスタンド攻撃なのか?」
 それ位しか思い付かないのは有るが、しかし億泰程確信は持てない。
「あの由花子似の女、やっぱりスタンド使いだったに違い無ぇ……あの雪だ、きっと康一の上着に付いていたあの雪があの女のスタンドだ……仗助が『ほろう』をした時だ! おい露伴、何とかしてくれ!」
 一方で億泰はあれこれと予想しているらしい。頭が悪いと見くびっているが辻褄は有っている。あの雪に触れたのは仗助のみだし、まさに剥き出しの右手で払った。
 そして何よりあの由花子によく似た、似せていた女。
 影が二重に見えたのは間違いではなかったのだ。あれが彼女のスタンド。特殊な能力を持っている。しかしそれがどんな能力かは未だわからない。本体を老化させスタンドを未知の形に変化させる能力? それともこの先が有るのか?
「僕のスタンドでどうこう出来るわけ無いだろう」
 言い切って露伴はこちらへ踏み出した。
 右手が触れたがる。だからこそ近付かせてはならない。自分の中の矛盾に吐き気すら込み上げる。
 その様子に気付いているのか否か、露伴は仗助の左腕をがしりと掴んだ。
「こんなド真ん中で立ち止まるな」
 どちらかというと仗助や億泰ではなく周りの人間に言い聞かせるような口調。そのままぐいと引き寄せられる。
「行くぞ」
 どこへ向かうのか教えられないまま、引き摺られるように歩かされる。億泰も何だ何だと言いながらもついてきた。
 その間ずっと仗助の右手もスタンドの右手も意思に反しているようでありながら意思の通りに可笑しな動きをし続けている。
 人の流れに若干逆らいつつ3人連れ立って大きな通りの端のトイレの前まで来た。
 露伴が平然とした態度で男子トイレと女子トイレの間の、多目的トイレ――トイレの『目的』等限られているのに、いつの間にか障害者用とは呼べなくなった――の入り口ボタンをどんと強く押して自動のドアを開けた。
「おい、便所に入るのかよ、おい」
「多目的だからな」
 億泰の躊躇いを蹴飛ばすように中に入る。億泰も入り、内側からボタンでドアを閉める。
「どこまでがお前の腕だ」
 狭い多目的トイレの中で露伴の声が響いた。
 黄色系の配色のタイルが並び、手摺りに囲まれた洋式の便器が1つ、手洗い場とジェットタオルも1つずつ。3人で入らなければ、本来の用途通りに1人で入れば広々と快適に感じるのだろう。
「どこまでって……」
 自分が答えると言わんばかりにクレイジー・ダイヤモンドの右手はがばと振り上がり、しかしすぐに仗助の意思で下ろされる。未だ管理下に有ると言って良い。
「……右手首の先が、別の人間の手と一緒になってるみたいっス」
 乗っ取られているのとは違うが上手く説明が出来ない。
 しかし先程よりスタンド――だと思われる――の力は強くなっている。嗄れた右手が右腕を持ち上げようとし始めている。
 それに気付いてか億泰がしっかと両手で、クレイジー・ダイヤモンドと一緒になって右肘の辺りを押さえた。
「俺もスタンド出しておいた方が良いか?」
「……一応出せ」
 露伴の言葉に従いザ・ハンドがヴィジョンを現す。
 1度億泰の顔を見て、ザ・ハンドはクレイジー・ダイヤモンドの触手の形をした腕を掴み押さえた。
 振り払ったりはしない。しかし拒みたい気持ちは有り、先端だけをうねらせる。
「別の人間に切り替わっているわけじゃあないから本にして読んでも何もわからないだろうな……」
 見た目は全く自分の手ではない。だが露伴が察した通り自分の手に変わりは無い。
「なあ仗助、どんな感じなんだ? 俺どうすりゃあ良いんだ」
「俺だって知りてぇよ。ただ……『安っぽい感じ』がする」
 右手から先だけ値段を下げられているような、価値を下げられ不快感を覚えているような。
「だから……元に戻らないかもしれねぇな」
 言葉にするとより強く実感した。
 高い評価を落とすのは簡単だが、落ちた物に再び価値を付けるのは難しい。場合によっては不可能。
 もう2度と元に戻らない予感がひしひしとする。
 右手だけ老いている、スタンドの右手だけ形状が違うだけならばいい。何もしでかさないのであれば。
 いつか何かをしてしまいそうな悪い予感もしていた。それこそ取り返しの付かない事を。
「切り落とすか?」
「そうしてくれ」
 露伴の軽口に真摯にそう答えた。
「馬鹿か、冗談だ」
「あーそうかいそうかい。俺は冗談じゃあないけどな」
 本気で思っている。何かしでかす前に不安を断っておかなくては。
「何言ってんだ仗助、オメーのスタンドはオメーの怪我を治せねーんだぜ? 切ったら駄目だろ? そうだろ?」
 億泰の言葉が子供染みて聞こえる。右手だけではなく脳味噌の1部までか年老いたようだ。
「右利きだったな」
「ああ」
「利き手を失う事がどれだけ大変かわかっているのか?」
「さあな」
 露伴の表情が殊更険しくなる。
「俺はお前と違って漫画は描かないからどうとでもなるだろ」
 生まれてこの方右手が離れた事は当然1度も無い。それでも価値の無い物をいつまでもぶら下げている理由は無い。早く、早く切り捨てなければ――そう思考させる事がこのスタンド――ほぼ確定だが、一応暫定――の能力なのか。
 価値を下げて捨てさせる。あの女は康一のPコートを捨てさせたかった。
 見捨てられる恐怖から生まれたスタンドだとしたら『可哀想』だ。仗助は今まで多くの人に救われて生きてきた。これから先を生きる事はそれ以上に多くの人々を救う為だとすら思っている。
「同情してやるよ、お前」
 自分の右手に、あるいはスタンドの右手にそう言葉を掛けた。
――クヤシイ、クヤシイ、クヤシイ
 右手が鳴き声を上げたと思った。もしくは小さく動く際に立つ音が偶然言葉になって聞こえたのかと。
 しかし実際は動く音ではなく『伸びる』音。
 仗助の右手とクレイジー・ダイヤモンドの右手が急に伸び、それぞれの首を絞めるべく掴み掛かる。
「っ!? っ! ッ!」
 喉を潰さんばかりの握力で声が出ない。嗚呼やはり切り落とさなくては。息の根が止まり右手だけが暴走しては堪らない。
 自分が死ねば右手に取り憑いたスタンドも消えるとは限らない。第一に死にたくなどない。右腕1本無くとも生きていたい。
 未だ救いきれていない。これからも守っていきたい。大切な町や友や、愛する人を。
「っ!」
 億泰! 俺の腕を『削り取れ』!
 そう言いたいのに声が出ない。それに言った所で億泰が易々と親友の腕を消失させられはしまい。本体もスタンドもただ先が伸びて暴れる右腕を掴んだまま呆然としていた。
「おい億泰、仗助の右手を削り取れ」
「はあっ!? テメー何抜かしてんだコラァっ!」
 何の思いもを込めずに言った露伴に対し億泰は全力の大声を張り上げる。
「ザ・ハンドで削り取っちまったら2度と戻んねーんだぞ!?」
「知っている」まさに苦虫を噛み潰したような顔で「死ぬよりマシだ」
 そうだ、露伴の言う通りだ。通じろ、と仗助は念じた。
「このまま仗助が呼吸困難で死んだらどうする」
「知るかンな事ぁっ!」
「本人も言っていただろう、切り落としてもどうとでもなると」
 余りに静かな物言いなので早々に酸素の不足してきた脳では正しく聞き取れていないかもしれない。
 しかしもし今話す事が出来るのなら「露伴の言う通りだ」と言っていた。右手に止めろとか、スタンドに取り敢えず姿を消せとか、そんな無駄な事を言っている場合ではない。
「僕がどうとでもする」
 淡々と吐いた言葉に合わせて露伴のスタンドのヘブンズ・ドアが少年のような、既に居る2体と比べると幼くひ弱そうなヴィジョンを現す。
「出来んのかよ。オメー先刻自分のスタンドじゃあ何も出来ねーっつったばっかりだろ」
「僕のスタンドじゃあ右手を戻してやる事も、削り取られた後に新たに生やしてやる事も出来ない」
 小学生男児を思わせる童顔のスタンドが宙を漂い様子を伺っている。露伴の半身なのだから「大丈夫だ」と嘘を吐いて強がりたかった。
「痛覚を鈍らせたり、白血球を活発にしたり、その位しか出来る事が無い」
「じゃあ――」
「僕が仗助の右腕になる」
 何でもするし、何にでもなる。
「っ……」
 嬉しかった。首が潰れそうな程に圧されているのに胸が晴れ晴れとしていた。
 だから億泰に「早くしてくれ」と言いたかった。大きな図体で2年前と比べれば決断力も付いているのに、やはり――だからこそ――躊躇う親友にどう伝えれば良いのだろう。
「止めろ」
 億泰がぴしゃりと言い放った。
 叱られた子供のようにヘブンズ・ドアは伸ばしかけていた手を素直に止める。
「誰かに言われなくったって、仗助の言いたい事位わかるんだよ!」
 親友なんだから、と続くのがわかってまた嬉しかった。
 ザ・ハンドが大きく右手を振り上げる。
 狙いは右腕。最後の抵抗のように仗助のそれではなくクレイジー・ダイヤモンドの右腕。もしかしたらスタンドだけを削り取り、仗助自身の手は残るかもしれない。
 ザ・ハンドの球体のような物が付いている特殊な右手の平が振り下ろされる。決して鈍臭いわけではない、寧ろそれなりの速さを誇るスタンドなのに、酷くゆっくりと感じられた。

 露伴が仗助に書き込んだのは「痛覚が極端に鈍い」のみ。他の事――例えば腕が生えるとか――を書いても露伴自身が仗助に出来ないとわかっているので効果は無いだろうと最初から書かなかった。
 いつまでも男3人で多目的トイレに入っていられない。止血が済んですぐに出た。幸いにも列が出来ていたり、男女各トイレに向かう人にじろじろと見られたりもしなかった。運は悪いが最悪ではない。
「うわ、頭ふらっふらするぜ」
 言った側から足元がふらつき壁に左手を付く。
 すぐに処置も処理もしたがそれなりの量を失血した。体を巡る血液が今までよりもずっと少ない。ようは貧血だ。
 巡る体積も減っている筈なのに。生まれて初めての貧血はこんなにも辛いとは。
 戦傷を負い腕の無い老人は居る。国によっては腕を欠くのは前世の罪が重いだ等と言われるが、当時の日本の医学では大量出血による死――実際には戦力外になる事。個人の死を気に掛ける時代ではなかった――を避ける事こそ重要だった。
 彼らの為に片方のみ袖の無い服が作られる筈は無い。頼りなく揺れる布を見た人が同情をしてくる。仗助ももし見掛けたら同情をしている。
 それを避けるべく上着を羽織った。これだけ厚手なら腕の無い、厚みの無い事を他者に知られない。
 空港内は暑いのにすぐさま露伴もトレンチコートを着た。まさに『袖を通す』姿を見て、漫画家である彼の右手が失われたのではなくて良かったと胸を撫で下ろす。
 これだけ腹の立つ男も1人だけ厚着にさせないという心遣いは出来るらしい。億泰――彼も気付いたかダウンとマフラーと帽子と手袋と全てをのそのそと身に付け始めた――が居なければ感謝を言葉にしていた。
「少し休むか」
 冷ややかな言い方をした露伴が指したのは何かの前というわけではない場所で、横に5つの椅子を縦に6列並べた簡易な待合所。
 通路の真ん中とも言える所にこんなに数多く椅子を並べる意味は有るのだろうか。
 人々は皆素通りし椅子には誰も座っていない。しかし通り過ぎるとはいえ『人』は沢山居る。時間が違えば、例えば到着したばかりの者が寛いだり、自分達のように迎えに来たが早過ぎた場合に時間を潰したり出来そうだ。
 仗助は1番前の列の中央の椅子にどっかと音を立てて座る。
 今まで有った右腕が無いとただ座っているだけでも妙にバランスが取れない。『重さ』の有る左側に倒れ込みたくなる。その左に億泰が座った。寄り掛かっても良いぞと言われているようで安心した。
 1つ開けたりせずに右隣に露伴も座る。
 本当に右腕になるつもりかよ。
 そんな言い方をしてはいつも通りの喧嘩が勃発してしまう。もう少し位素直になってくれればと思っているが、自分こそ全く素直になれない。2人きりになればまた違うが――そんなに違わないかもしれない。
「仗助……」
「いやー億泰助かったぜ! お前が居なかったら自分の手に絞め殺されていたかもしれねーからな。しっかし手がデカいと首が太いを同時に『思う』のはすっげー変な感じがしたぜ」
 今はもう消失してこの世界のどこにも存在しない右手の最後の感覚は、決して削り取られる痛みではなかった。
 苦しみながらもこの太い首は右手1つでは絞めきれないと思っていた。あの感覚はもう2度と味わえないだろう。味わいたくもない。
「でも……俺……」
「なぁんだよ億泰! 何も泣く事ぁねーだろーがよ!」
「今泣かずにいつ泣くんだよ!」
 それもそうか。
 ならば思う存分泣けと言うわけにもいかず仗助は「うーん」と唸った。億泰の――あとは康一辺りも――前では頼れる兄貴分のようでありたいのに。
「記憶を消すか?」
 足を組んだ露伴が独り言のように呟く。
 腕を生やす事は出来ないが記憶の改竄や消去は容易い。何かが出来るという書き込みも対象にそれが出来ると『思い込ませる』から意味が有る。怪我の治療は出来ないが痛覚を鈍らせられるように。
「それで億泰が考え込んで頭痛起こさねーなら有りだな」
「お前の記憶も一緒に消してやる。2人の間に矛盾が起きないよう強盗に襲われた事にでもするか」
「俺はいい。これから承太郎さんに連絡取ってスピードワゴン財団に義手作ってもらうからな。そん時に間違った事言っちまったら困るし」
 それにこんな事で友情が崩れたりはしない。この友情の深さを露伴は恐らくわかってくれている。
「反対の手だがジョースターさんが義手になったのは今のお前の年位らしいな。尤も本人が覚え間違いをしていなければ、の話だが」
 こうして軽口も叩いてくれる。実父との関係が関係なだけに馬鹿にするなと言う気は起きない。
「あのジジイもうボケ始めてきてるからな」
 米寿祝いに不慣れな手紙を出してみたりもした。2歳位になるであろう妹――ジョセフが養女にした血の繋がらない義妹――に宜しくと添えたのを嬉しく思ったのかすぐに返事と中々に良い謝礼が届いた。
 実の息子が右手を失ったと知ったら嘆くだろうか。その財力と財団へのコネとで何とかしてくれと頼めば尽力してくれるだろうか。
 義手が揃いになったと笑いながら『右腕』を連れて行けば悪い気にならず、一層喜んでくれたりはしないだろうか。
 未だに父親というものがよくわからず仗助は俯いた。決して右手を失った事を悔いたのではなく。
 元気に動く左手が有る。何より右腕が側に居てくれる。友人も近くに居るし、交際順調な友人も明日には共に行動出来るだろうし、嘆く事等1つも無い。
 父親ならばこんな自分をどう思うものなのだろう。プラス思考に驚くのか、楽天家ぶりに呆れるのか。
 それとも父親ならば強がりを見抜いてしまうのだろうか。
「――Ciao(やぁ)」
 不意の澄んだ声に顔を上げる。異国の言葉を掛けてきたのは異国の青年3人組。
 揃いも揃って毛皮のロングコートを羽織っているので異常なまでに目立っている。
「お前ら……」
 中央の人物――声を発したのも彼だろう――は背は170cm以上有るだろうが細身で、見えている口元も合わせて青年というより少年といった風貌。
 大きな黒いサングラスで目を隠しているのが派手さに拍車を掛けている。華やかなハニーブロンドは前髪の癖が特に激しく、伸ばして後ろで編んでいる。鮮やかなヒョウ柄のロングコートは似合うが引き算が出来ていない。
 向かって左隣の男は白と黒でシックと見せ掛けてより派手なゼブラ柄。少年より背が高く、顔を隠しかねない程深く被ったミンクファーの帽子の所為で取り分け柄が悪い。
 反対隣の、1歩引いた右隣の青年はプラチナブロンドでシルバーフォックスのコートと色合いがしっくりきている。そしてその分派手。そんな彼が口を開いた。
「Non so in Giappone(日本語がわからない)」
 そうだった、と仗助は露伴の方を向く。
 視線を受けるよりも先に露伴は名刺――名前と連載中の漫画とその出版社、それから最も重要な主人公キャラクターのイラスト――を3人に見せた。
 ヘブンズ・ドアがヴィジョンを現す。
 3人の一部分を本にし、露伴が一瞬で『日本語が堪能』と書き込み、元に戻してヘブンズ・ドアは消えていった。
「寒過ぎ。雪降り過ぎ」
「こんなに積もるんですね」
「地面が見えなかった」
 口々に日本語を話した後で中央の少年が短い溜め息を吐く。
「助かったよ、ロハン・キシベ。僕が日本に居たのはもう10年も前だから。ミスタは勿論、フーゴだって日本語は難しいと手をこまねいていた」
 空港と言えば国際化の最先端で日本語以外にも英語、中国語、韓国語辺りで案内が書かれている。しかし、M県の空港でイタリア語は殆ど見掛けない。
「そちらの君は初めまして」ポカンと口を開けて見上げている億泰に目を向け「ジョルノ・ジョバァーナです」
「……ああ、あーっと、虹村億泰。オメーらが仗助が迎えに行くっつってた外人か」
「仗助の友達?」
「おう」
「所で康一君は? 居ないんですか?」
「康一の奴、トイレにでも行ってるのか?」
「今日は来ないんでしたっけ、康一君」
 相変わらず康一は誰にでも好かれる。特にこういった個性的で変な奴や柄の悪い奴に。
「康一君は恋人とデートだよ」
「へえ、彼にも恋人が居るのか」
「顔だけは可愛い恋人がな」
 恐らくだがよく似た女に散々な目に遭わされた。しかし康一を責めるつもりは無いし由花子を責めるつもりも無い。
 恋人を優先されたと憤る事無くジョルノは顎をほんの少し上げた。
「仗助、君が目立つ人で良かったよ。君が髪型を変えていたら見付けられなかった」
「迎えに行くつもりだったんだよ。ちっと有ってな」
 少しとは言い難い出来事だったので遠回しに髪型が特徴的だと言われている気がしたが何も言い返す気力が沸かない。
「何が有ったんだ? お前ら見たとこ普通そうじゃあねーか」
「なあ仗助、コイツらもスタンド使いなのか?」
 億泰の疑問には3人揃ってスタンド使いなので簡単に説明が出来る。
「ジョルノは生命だっけ? そういうのを生み出すスタンド、そっちのミスタが銃弾が自由になるスタンドで、そっちのフーゴは毒物を出せるんだと」
「ほー」億泰はサングラスで合っているのかわからないジョルノの目を見て「生物って人間とかも作れんのかよ」
「流石に人体程大きく複雑な物は難しい。でも人の体の怪我を塞ぐ位なら出来ます。少しずつ細胞を作れば良い」
「じゃあよォ、仗助の右腕作ってくれ」
 億泰を除く5人全員が目を丸くした。
 ジョルノとミスタとフーゴは何の事やらと。そして仗助と露伴はその手が有ったと。
「右手を怪我したんですか? ああ、仗助のスタンドは自分の怪我だけは治せないんだった」
「そういう事。あと右手っつーか右腕っつーか、怪我っつーか切断っつーか」
 上着の袖を捲ると3人から「うわ」といった声が上がる。
「元の腕は?」
「『無い』」
「無い? 残っていれば繋ぐだけで済むのに……まあいい、作ります。腕1本となると大変そうだ」
「場所を変えた方が良いな、滅茶苦茶痛ぇから。ギャーギャー騒ぐ事になるから。腕無い方がマシだって思うぜ。止めとくか?」
「ミスタ、脅さないで下さい。ジョルノはアンタだけの看護士じゃあない」
 はいはいと舌打ちを1つ。
「俺もジョルノも、長時間のフライトと乗り換えで疲れてんだよ。フーゴ、お前だってそうだろ?」
「否定はしない」
「腹も空きましたね。食べ終わってからじっくり取り掛かりましょう。牛タンの味噌焼き、でしたっけ?」
「味噌漬け。まあ漬けた物を炭火で焼くから間違っちゃあいねーけど」
 仗助は言いながらも肉を焼いて美味しく食べてから腕作りの光景は可笑しくないだろうかと思った。
「味噌ってあのうんこみてーなやつだろ? どんな味がすんだよ」
「テメーコラっ! 味噌汁食えなくなるじゃあねーかっ!」億泰は立ち上がり「日本人は大豆が好きなんだよッ!」
 同年代で身長も近い2人は言語の壁が無い限り、言い合いながらも仲良くやっていけそうに見える。
 何せミスタはジョルノの『右腕』だ。康一を通し知り合った際に直接聞いた。
「公私共々上手くやってるみたいだなあ、右腕と」
 座ったまま、見上げたまま声を掛けるとジョルノはサングラスを外す。
 色素の薄い瞳はとても綺麗だが、毎日鏡の中で見ている自分のそれとよく似ているので斬新さは無い。
「まあ、それなりに。君の方は?」
「それなりだな。俺の場合は公私っつーより物理だけどよ」
「どういう事ですか?」
 右腕になると言ってくれた。右腕に、役立つ存在になりたいとこちらが思っていたのに。
「取り敢えず僕達はちょっと似ていますね」
「そうだな。ご先祖様辺りが2人で1人だったのかもしれねーな」
 想いは同じなんて陳腐な言葉が浮かび、体を欠いて尚仗助は笑った。


2019,01,29


ディオの血を引く子がジョナサンの血を引く子と現代日本で逢瀬してもらいたかったんだ…
仗助に最後の台詞を言わせたいが為の話でした。
もしくはアホの代名詞の億泰が意外と頭良い時有ったりするんだぜ話かもしれない。
タイトルは作中のスタンドの名前のつもりですがスタンド問題一切解決してないねこれ!
<雪架>

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