ミスジョル R15

関連作品:目覚める恋心(雪架作)


  恋心の目覚め


 身動きをしないままゆっくりと開いたミスタの目は、すぐには『それ』に焦点を合わせることが出来なかった。
 いや、そもそも『そんなところ』に焦点を合わせるような『そんなもの』があるとは思っていなかったというのが正しいだろう。
 『そんなところ』、即ち、横向きに寝た体勢の腕の中の、『そんなもの』、即ち、クセの強い金色の髪の頭――もちろん、生首を抱えていたという意味ではなく、ちゃんと胴体もある生きた人間だ――。
 一瞬夢かと思った。事実頭はまだ半分眠ったままであるかのようにぼんやりとしている。が、『それ』の正体に気付いた途端に、意識は一気に覚醒した。眠気はもうどこにも残っていない。飛び起きなかったのが、そして、悲鳴を上げなかったのが、むしろ不思議なくらいである。これが夢なら、とっくに覚めていなければおかしいほどの衝撃を受けた。
 ミスタは身動ぎさえ出来ぬまま瞬きを繰り返す。しかし目の前の光景は変わらない――覚めない――。やはり夢ではないようだ。
(なんでこんなことになってんだ……!?)
 そこは間違いなくミスタ本人の部屋――そしてベッドの上――だった。カーテン越しに入ってくる朝――あるいはもう昼に近いかも知れない――の日差しに照らされて、見慣れた壁紙の模様が認識出来るようになっていなかったとしても、空気の匂いや肌に触れるシーツの感触でそれが分かる。いや、“分かる”というよりは、無意識の内に確信している。唯一『それ』――『その人物』――だけが、本来であれば彼の部屋にはある――いる――はずのないものだった。
 この向きのこの姿勢でベッドに横になっていると、その目に映るのは寝室の壁のみであるはずだ。だが今は、その手前――壁と自分の間――に、ひとりの人間が横になっている。こちら側を向いてはいるが、うつ伏せに近い体勢でいるのに加えて長い髪が掛かったその顔は見えない。それでも、『それ』が『誰か』ということと、かすかに聞こえる規則正しい呼吸の音から眠っているようだということは分かった。『ベッドの上で眠っている』、それ自体はおかしなことでもなんでもない。ベッドは眠るための家具だ――他の用途で使われることがないとも言えないが――。だがそれがミスタ――つまり『その人物』から見れば他人の――ベッドであるというのだから、話は妙なことになってくる。
 ミスタは眠りに付く前の記憶を呼び起こそうとした。が、出来なかった。目は覚めているが、怒涛の如く押し寄せる混乱に、その頭の中は支配されている。しまいには頭痛までしてきた。
(お、落ち着け! 落ち着くんだ!!)
 音を立てぬように呼吸をする。だが次第次第に音量を増す心臓の鼓動が聞こえてしまうのではないかと、焦りは増幅するばかりだ。聞こえる? 誰に? もちろん、同じ部屋に、いや、同じベッドに、己の腕の中にいる、ジョルノ・ジョバァーナ――3歳年下の後輩――に。
(なんでこんなことになってんだッ!?)
 落ち着かねばと思うのに、答えられない自問ばかりが止まらない。
(と、とりあえず……とりあえず!)
 今すべきことは何か。
 幸いにも、とでも言うべきか、ミスタの腕がジョルノの頭の下に敷かれているということはなかった。腕枕は腕枕でも、それはミスタ本人の頭の下にあった。指先に若干の痺れを感じながらも、ゆっくりと頭を浮かせることが出来た。隣で眠る人物を刺激しないように、しかし慎重になり過ぎて不自然な動きになってしまわないように、あくまでもこれは極普通の寝返りですよと心の中で――誰かに――弁解しながら、体の向きを変え、ひとまずは“現実”から目を逸らすことに成功した。
 視界に映る光景が変わる。背後には相変わらず他人の気配が存在しているが、直視することをやめると、いくらか冷静になれそうな気がした。すぐ目の前に壁があるが故の圧迫感から解放されたことも関係しているかも知れない。
 だが、それも束の間のことだった。ベッドから少し離れた――ちょうど寝たままの体勢でも見え易いようにと、わざとそこを選んだような――場所に、だらしなく――あるいは豪快に――脱ぎ捨てられた衣服が散乱していることに気付いてしまった。その半分は、どう見てもミスタの服だ。
(ああ、気付いてたともよ! 気付きたくもなかったがな!!)
 つまり彼は、服を着ていない。下着すら、即ち、全裸である。真夏の暑い時期ならそんな格好で寝ることもあるかも知れない。だが今は、むしろ肌寒さを感じることが多くなってきた季節だ。ましてや、他人がいる時にそんな格好で眠るなんて、あるだろうか――全くないとも言い切れないケースもあるにはあるが――。
 そして、床に放置された服のもう半分、それにも見覚えがある。改造してあるらしい学生服と、天道虫を模したブローチは、ジョルノの物で間違いない。つまりジョルノも服を着ていないということになる。いや、だがジョルノが寝間着を持参してきている可能性は? そこまできっちり用意してくるような人間が、脱いだ服を散らかしたままになんかするだろうか。では、ミスタが自分の服を彼に貸したりはしていないだろうか。何故その時に自分の着る物も出さなかったのかとの疑問が残る。
 2人の人間が裸でひとつのベッドにいる理由……。本来は睡眠のための道具であるベッドの“眠る以外の別の用途”――つまり“寝る”は“寝る”でも性的な意味を含んだ『寝る』――。他人がいるのに服を着ていないケース……。それを意味する極短い単語が、ミスタの頭の中を侵蝕してゆく。
 酔った勢いか何かで飲み屋の女でも連れ込んで一夜の火遊びに興じるということは、実は「絶対にない」と言い切ることはミスタには出来ない。むしろ自分の性格を顧みれば、充分ありえることだと言えよう。目が覚めて隣に無闇やたらと大きな胸をした女が眠っていたら、「あー、そういうことね」とあっさり納得していたに違いない。
 だが今は、それが当て嵌まらない。いくら整った顔立ちをしているとは言っても、自分よりも小柄であると言っても、ジョルノ・ジョバァーナは間違いなく同性、即ち、れっきとした男である。男相手に火遊びをしたことは、一度たりともないと断言出来る――記憶喪失にでもなったのでなければ――。それが何故……。
(いや、いやいやいやいや。そうと決め付けるのはまだ早い!)
 同じベッドに全裸で入ったからといって、イコール2人の間で性的な行為――まどろっこしい言い方をやめてずばり言ってしまえばセックス――が行われたと断言するのはいかがなものか。
(たまたまジョルノがうちに来てて……。うん、それは全然おかしなことじゃあないな。ジョルノは仲間なんだからな! 事情があって帰れなくなったとか……。それで泊めてやったんだとしても、なぁーんにもおかしなことはない! そう、そういう“何かの理由”でジョルノを部屋に入れて、それで“何等かの事情”で服を脱いで、そんで“たまたま”同じベッドに……)
 一体どういうシチュエーションなのだそれは。肝心な部分が、どんどん曖昧になっていっているではないか。“事後”であると考えた方がよっぽどシンプルだ。
 一旦冷静になるべきだろう。そのためにはひとまずこの場を離れたい。ミスタは、意を決して起き上がった。ベッドの揺れを最小限に抑えるように努めながら、全体重を2本の脚へと移動させられた時にはほっと溜め息が出た。寝ている位置が壁側でなくて本当に良かった。
 自分の部屋ではあるが、他人がいると分かってしまっている以上、全裸のままうろうろする気にはなれなかった。床に落ちている服を暫定的に身に付けながら、一時的な避難場所をバスルームにしようと決めた。水でも被って、物理的に頭を冷やしたい気分だ。
 部屋を出る前に、一度だけ振り向いてみた。いつの間にかジョルノも寝返りを打っていたようで――全然気付かなかった――、その顔は壁の方を向いていた。代わりのように白い肩――と首筋にある星の形をした痣――が視界に飛び込んできて、ミスタは――何故か――眩暈に似た感覚を味わった。同時に鈍い痛みが頭部を襲う。いっそのことこれは――全て――新手のスタンド使いの攻撃なのではと思いたくなってきた。

 バスルームへ行く前に、リビングのドアを開けてみた。テーブルの上にはグラスが2つと、軽いつまみがわずかに残ったままの皿、そして1人1本では済まない本数のワインの瓶が放置されていた。どうやらそれが頭の痛みと記憶が飛んでいることの原因らしい。『新手のスタンド使い』の正体なんて、こんなものである。そしてアルコールが入っていたとなると、「酔った勢いで……」の可能性はより高くなってくる。
(いや、でもそのわりには全然疲れたりとかしてねーし……)
 精神的にはたいぶ疲れているが。しかしどちらかといえば体力には自信がある方だ。あるいは“未遂”の可能性も……?
「あーもー、分からんッ!」

 バスルームの鏡で自分の全身をざっと見廻してみたが、“なんらかの痕跡”は発見出来なかった。では“何もなかった”のかと言えば、それはいわゆる悪魔の証明だろう。“そんなもの”、眠る前に洗い流してしまえばどうとでもなる。実際、バスルームの床は濡れていた。だがいつ濡らされたものなのかは分からない。
 冷え切ったバスルームは寒かった。風邪を引いても面白いことは何ひとつないと、水はやめて少し温度が低いだけのお湯を頭から浴びる。ふと、滝に打たれるという修行がどこかの国にあると聞いたことがあるなと、凡そ今この瞬間に必要であるとも思えない知識が頭の中に浮かび上がってきた。これは一種の現実逃避だろうか。
「誰に聞いたんだっけかなー。確か、わりと最近だよな……」
 シャワーのレバーを捻って、水の音がやむと同時に、思い出した。
「あー、ジョルノが言ってたんだっけか。つーことは、日本の話か。なんでそんな話になったんだ……?」
 まさかベッドの中で聞いたのではあるまいな――色気のある話でもなんでもないが――。あるいはこのバスルームで、やはりシャワーからの連想でそんな話に――つまり2人一緒に……――?
 すっきりしようと思ってシャワーを浴びたのにあまり効果はなかった。むしろ余計な疑惑を浮上させてしまったような気さえする。
(結局俺はヤっちまったのか!? ヤってないのか!?)
 結局のところ、知りたいのはそれだ。
 いくら酒が入っていたからといって、いきなり男を抱くなんて、本当にそんなことをするだろうか。『酔った勢い』で?
(いくらなんでも勢い良過ぎないかぁ?)
 どうも腑に落ちない。
 では、逆に考えてはどうだろうか。酔った勢いで好きでもない相手(同性)を抱いてしまったのではなく、元々『そのような願望』を無意識の内に持っており、『酔った勢いでそれを行動へと移してしまった』と……。
 つまり、
(俺は、ジョルノのことが……好き?)
 好きか嫌いかと問われれば、それは好きの方を選ぶ。彼の実力は認めているし、年下にも関わらず頼りになるとも思っている。彼の選択に従っていれば間違いはないだろうとの安心感もある。見た目や性格は全く似ていないが、不思議と気が合うとも感じる。同じチームのアバッキオなんかはジョルノのことをなかなか認めたがっていないようではあるが、こんなにいいやつなのに何が不満なんだとすら思う。
 「気に入っている」といって問題はないだろう。つまり「好き」だ。だがそれは“仲間”としてではなかったのか。
(……いや、むしろそう“思い込もうとしていた”……?)
 “その感情”を友情や信頼、仲間意識であると、偽っていたのではないか……。本当は……、
(ずっと……?)
 “そうなりたい”と……、
「望んでいた……?」
 いつの間にか心臓の鼓動は穏やかに規則正しいリズムを刻んでいた。置き場に困ってずっと持ったままでいた“なにか”を、やっと“あるべき場所”へと納められたかのような感覚があった。
「そう……だったのか」
 ぽつりと呟いた声はバスルーム内にわずかに反響して消えた。
 改めて、ジョルノのことを考えてみる。表情、声、仕草、そのひとつひとつが、ミスタの胸の中に暖かな火を灯した。それは、他の仲間達へ向けるのとは全く違う感情だと、今はっきり分かった。
「……って、それはそれで待てよ!」
 思わず小さくはない声が出た。
 無自覚だった想いをついに叶えたのだとしたら、それを全く覚えていないだなんて、勢いで一線を越えておいて記憶がないなんて、随分と“損”をしているではないか。それとも想いは叶わなかったのか? そのショックで自ら記憶を封じてしまったとでも? ではあれ――2人で同じベッドに寝ていたという事実。しかも裸で――はどう説明する?
 やはり、“事実”を探る必要がありそうだ。何があったのか――なかったのか――、そしてそれは合意の上でのことだったのか、否か。
 バスルームから出て、乾いたタオルで体を拭く。髪も乱暴に擦りながら、頭の中で“作戦”を練る。
 正直に何も覚えていないことを打ち明けて、「昨日“なにが”あったのか」をジョルノに尋ねる。そんなことは、出来るはずがない。いくらなんでも不誠実過ぎるだろう。しかも相手はまだ16歳――に少し前になったばかり――の少年……。“初めて”であった可能性も高いのに、「わりィ、なんも覚えてねーわ」なんて言えば、きっと傷付けてしまう。
(さり気なくだ。さり気なく探るんだ!)

 とりあえず散らかったままのリビングを片付けようと思いながら開けたドアの先に、ジョルノが立っていた。件の服をきちんと着て、しかし髪の毛はいつものようにきちっと編まれてはいない――ミスタがいて洗面所を使えなかったためだろう――姿は、なんだか無防備であるように見えた。小さく「あ」と声を出したジョルノの頬が、風呂上りでもないのにわずかに赤く見えた――錯覚かも知れない――こともあって、妙にどきっとした。
「よう」
 軽く片手を上げながら、やはり軽く掛けたつもりの声は無様に掠れていた。
「おはようございます」
 そう返したジョルノは、一度はミスタの方へ向けた視線をさっさとワインのボトルとグラスが放置されたままのテーブルの上へと移動させてしまったために、彼の表情から何かを読み取ることは出来なかった。今のは偶然か? それとも、意図的に目を合わせまいとされた? 顔を見るなり「ぼくに近付くなこのゲス野郎」と罵倒されなかった――そうされても仕方がないようなことはやっていないらしい――ことは良かったが、「避けられているのでは?」と心配にはなる。
「今、ここを片付けようと思っていたところです」
 淡々とした口調はいつものことで、やはり何も分からない。ただ窓からの日差しを受けて輝く金色の髪と、それと同色の睫毛が美しいと思った。そんなことを考えている場合ではないとは分かっているが、事実は曲げようがないので仕方がない。
「だいぶ飲んだなー」
 空のボトルに目をやりながらそう言って、記憶が飛ぶほど飲んだのは自分ひとりだけだったかも知れない可能性に気付いた。「そう“みたい”ですね」と返され、嫌な汗が背中を伝う。
 なんだか妙な沈黙が続いた気がした。実際にはほんの3秒か5秒会話が途切れただけなのに、気まずさを感じるのはやはり後ろ暗い部分があるからなのか。
「えっと、その、大丈夫……か?」
「え?」
 賭けに出るような気持ちで尋ねてみると、ジョルノは少し驚いたように目を見開いた。
(それはどういう意味のリアクションだ!?)
 少しの間を置いて、
「……少し、頭が重いかも知れません。二日酔いかな……」
 飲み過ぎに対しての「大丈夫か」だと受け取られたようだ。『違った時』にいくらでも誤魔化せるように――例えば「顔色が良くないように見えて」だとか、「なんかテンション低いから」だとか、そんなことを言って――と思ってわざと言葉の足りない問い掛けをしたのだから、文句は言えない。
(でも、少なくともジョルノも飲んだってことだよな)
 真相解明へ向けての小さな進展と思うことにしよう。
(後はなんだ。どうしたら“さり気なく”なんて聞けるんだよ)
 むしろそういう頭を使うことは、自分よりもジョルノの方が長けているだろうに。
(いっそのことジョルノの方から話題にしてくんねーかなー)
 何か、昨日のことが分かるようなことを。それをしないのは、何もなかったからなのか、何もなかったことにしたいと考えているからなのか。こんなに悩むなら、顔を合わせてすぐに「昨夜はステキだったよガッティーナ」とでも、冗談めかして言ってみれば良かった。
「あの、……すみませんでした」
「えっ」
 不意の声に、思いがけず身構えてしまった。だがすぐに先程からジョルノの視線が何度もテーブルの上へと向いているのを思い出す。
「あ、ああ、片付けか? 別に急がねーとってこともねーし。いいよ、俺がやる。それより、……その、なんだ。座ってろよ」
 昨夜無理をさせた“かも知れない”のだ。片付けと、それから朝食――壁掛けの時計を見るともう昼に近かったが――の準備くらい、自分がやるべきだろう。そんなことが“罪滅ぼし(暫定)”になるとは思っていないが。
 しかしジョルノは、テーブルの椅子を引こうとはしなかった。「どうした」と尋ねようと思って視線をやった顔は、何か言うのを迷っている風であった。
(なんだ? 何か昨日のことか……? にしてもこいつ、キレーな顔してんなー。うわー、睫毛長い。髪もふわふわだし。触ってみてぇー。ってゆーか、昨夜触ってんのかな俺。ずるいぞ昨夜の俺。なんで覚えてねーんだよ今日の俺。いきなり触ったら嫌がられるか? 両想いだって確信がありゃあ問題ないんだろうがなー。いや、でも少しくらい……。あ、「ゴミ付いてるぜ」とか言ったらどうだ?)
 相手への想いを自覚した途端にこれだ。我ながら己の欲望に正直というか、即物的というか……。すっかり思考が脱線している。
(えーっと、何を考えてたんだっけ)
 眠気は覚めても、二日酔いの頭の動きはまだ鈍いようだ。ややこしいことに悩まずにベッドの中でごろごろしていられたら幸せだったろうに。その隣に愛する人でもいれば更に言うことはない。……また脱線している。
「あの、ミスタ……」
「お、おうっ」
 不意打ちで掛けられた声に狼狽えてしまった。ジョルノは不審に思っただろうか。
(キレーさっぱり忘れちまってるって、バレたか!?)
 だがジョルノは少し小さな声で「ぼくも……」と続けた。そこから更に「ぼくも貴方のことが……」とでも続けば喜んだのだが、
「ぼくも、シャワー借りてもいいですか?」
 ミスタの髪がまだ少し濡れていることに気付いたのだろう。あるいは、もっと前に音が聞こえていたのかも知れない。独り言まで聞かれていたらどうしよう――そもそも何を言ったんだったか……。色々声に出ていたような気はするが――。
「おう。もちろんいいぜ」
 洗い流してしまう必要のある“なにか”が? と聞けるはずもなく、ミスタは廊下への道を譲った。
 間もなく、バスルームから水を流す音が聞こえてきた。
(説明しなくてもシャワーを使えてる……。やっぱり昨日すでに使ってる? ……いや、シャワーの使い方なんて、そんな変わったもんでもないか)
 決定的な何かがあれば話は早いのに。アパートの壁はお世辞にも厚いとは言えないから、隣の住人が何か聞いているかも知れないが、そんなことを尋ねに行けるわけはない。アバッキオのスタンド能力――ムーディー・ブルース――も同様だ。
「とりあえず、ここ片付けるか……」
 ミスタは溜め息を吐きながらテーブルの上のワインボトルに手を伸ばした。持ち上げたそれは軽く、案の定中は空だった。
「あーあ、こんな高そうなワイン、飲んだ記憶もないなんて勿体ねぇ……」
 何かが引っ掛かった。
(……ん? なんだ? 今……)
 『高そうなワイン』。『高かったワイン』ではなく、“推定”。つまり、自分で購入した物ではない。
(ジョルノが持ってきた? いや、あいつは未成年だ。酒を買うことは出来ない……はず)
 ならば、
「貰い物か?」
 ふと、記憶が蘇る。
 あれは、昨日の夕方、ひと仕事終えて事務所に戻った時のことだ。集金先のバーのマスターが、「珍しいワインが手に入ったから」と言って1本譲ってくれた。とりあえず報告のついでにリーダーに渡そうと思ったそれは、しかし受取人の不在により、行き場をなくした。他のメンバーの目に入れば、取り合いになるかも知れない。そう言い訳をして、ミスタはそれを自宅へと持ち帰ることに決めた。
(そもそも誰に渡して欲しいとは言われてないもんな。むしろ受け取ったのは俺だ。つまり俺が貰った!)
 そのまま独り占めしてしまうことは可能だっただろう。「取り合いにならないように」と思うなら、そうするべきだったのかも知れない。だがミスタは帰る間際まで書庫室――とは名ばかりの物置部屋――に隠しておいたそれを持って、やはり帰ろうとしていたジョルノに声を掛けた。
「いい物が手に入った。味見くらいさせてやってもいいぜ。うち来るか?」
 ワインのラベルに書かれた『D.O.C.G』の――それが最高格付けの物であることを示す――文字を眺めながら「へぇ」と呟いたジョルノの目は、年相応の少年の輝きを持っていた。
「どういう風の吹き廻しですか? 稀少な物を他人に分け与えようなんて」
 今にして思えば、その時はまだ無自覚であったジョルノへの好意がそうさせたのかも知れない。せっかくなら、想い人と一緒に、と。だがその時のミスタはそれに気付いておらず、実に適当な理由を口にした。
「お前まだ学生だから、店でアルコール頼んだり出来ねーだろ」
「まあ、その気になればどうとでも出来るなとは思いますけどね。そこまでしたいかと言われれば、別に」
「かわいそーな後輩に、やさしーおにーさんがご馳走してやろうってな」
「そんなことを言って、共犯者が欲しいだけでは? それ、“客”からの貰い物でしょう?」
「おっと、バレてたか」
「横領に加えて未成年者へ飲酒を強要? 悪い人だな」
「なんたって、ギャングだからな俺は」
 胸を張りながら言ってみせると、ジョルノはくすくすと笑った。
「で? お前は優等生か? 告げ口でもするか?」
 にやりと笑いながら言うと、肩を竦めるような仕草が返ってきた。
「ぼくだってギャングですよ」
「よし、じゃあ決まりだ」
 斯くして、“共犯者”達の宴は開催されたのだった。
 その時のミスタに、あわよくば酔わせて自分も酔って、勢いで……という思惑があったのかどうかは分からない――完全否定も出来ない――。思い出せるのは「1本じゃあ足りないよな」等と言って帰る途中でいくつかの飲み物――当然のようにアルコールばかり――を買い足したことと、このテーブルで何にというわけでもなく乾杯をしたこと、そしてその時は間違いなく2人とも服を着ていたということまでだ。
(その後だ、肝心なのは!)
 バスルームの床が濡らされたのはいつか、寝室に移動したのはいつか、服を脱ぎ捨てたのはいつか、同じベッドに入ったのはいつか。
 弾丸を収納している帽子は寝室に放置したままなのに、頭が重い。悪化しそうなのを覚悟で短い髪の中に指を突っ込んでがりがりと掻き毟った。
(つーか記憶が飛ぶほど飲んで勃つか!?)
 状況を素直に受け入れられない理由のひとつだ。
 テーブルの上が片付いて数分が経過した頃、バスルームの方からドライヤーの音が聞こえてきた。その置き場は扉のない棚の中の、すぐ目に付く所なので、ジョルノが昨日もそれを使ったのかどうかの判断材料にはやはりならない。
 それから更に数分後、リビングに戻ってきたジョルノは、長い髪をきっちり編んで、見慣れたいつもの姿だった。だが、彼への恋心を自覚したミスタには、昨日までと同じにはもう見えない。近くに行きたい。触れたい。抱き締めたい。昨晩のことがはっきりすれば、全て叶うかも知れないのに。実に歯痒い。
「……ん? ちょっと待った」
「え?」
 ジョルノはリビングに入ってすぐのところでぴたりと足を止めた。
「あ、わりぃ、独り言」
 驚いたような目は迷惑そうなそれに変わりながら逸らされた。申し訳ないとは思ったが、後だ。不意に浮かんだ一瞬の閃光のような“それ”は、このタイミングを逃せば見失ってしまう気がした。
(はっきりさせる必要……あるか?)
 仮に昨日の記憶がミスタに残っていたとしても、その時に彼が酔っていたことに変わりはないだろう。そんな状態で告げた想いは、果たして正式なものとして受け入れられるだろうか。改めて、きちんと言葉にするべきなのでは……。ジョルノの表情が時折険しく見えるのも、――二日酔いではなく――それが理由なのだとしたら……。
(昨日、何があろうがなかろうが、それを覚えていようがいまいが、“今”、言わなきゃなんねえっつーことに変わりはないんじゃあないのか!?)
 ミスタの読みが違ったら、ジョルノは怪訝に思うかも知れない。何故昨日もされた話を、改めて聞かされなければならないのかと。あるいは、昨日と言っていることが微妙に違っていると。それでも、ミスタは言わなければならない。
(これはあくまでも俺の問題だ)
 ジョルノを好きになったのも、それを本人へ伝えたいと思うのも、全て、彼自身なのだから。
 片付けられたテーブルの方を見ていたジョルノの目が、不意にこちらを向いた。その表情は何かを決意したそれのようにも見える。いつまで待っても行動を起こそうとしないミスタに、ついに痺れを切らせたか。彼は躊躇いがちに唇を開いた。
「ミスタ、話が……」
「待った」
 今度は独り言なんかではないと示すように、ミスタは手の平をジョルノへ向けて突き出した。
「……俺から言わせてくれ」
 思いがけず深刻そうな口調になってしまった。初恋に悩む少年少女でもあるまいし。大袈裟なと笑われるだろうか。それでもいい。この想いは、あくまでも真剣な気持ちから生まれたものだ。酔った勢いからでも、一夜の過ちでもなんでもない。
 ジョルノは笑いはしなかった。ただ少し驚いたように目を開いて、しかしその視線を逸らしはしなかった。そして、彼もまた、妙に深刻そうな面持ちで「はい」と応えた。
「もう1回、素面の状態で言わせてくれ」
 うっかり「もう1回」と断定してしまった。すでに言った記憶は相変わらずないままなのに。だがジョルノが訝しんだ様子はなかった。やはり“それ”が事実か。いや、そんなことはもう関係ない。これから起こることこそが真実だ。
「ジョルノ、俺はお前のことが――」
 この想いが拒まれなかったら、改めて彼を部屋に呼ぼう。安物でも構わないからワインを――酔い潰れない程度の量で――買って、今度は「2人に」乾杯しよう。全部“やり直す”のだ。
 ついに“その言葉”を告げながら、ミスタはジョルノの目だけを見詰めていた。星の瞬きを閉じ込めたようなその瞳に、ミスタの言葉を受けて更なる光が宿ったように見えたのは、見間違いでも、願望が見せた幻でも、ましてや夢でもない。何故かミスタは、それを確信することが出来た。


2018,10,10


関連作品:目覚める恋心(雪架作)


以前にも「同じ話を違う視点から書く」という合同企画をやったことはあったのですが、それは「同じ話のA×BのA視点とC×DのC視点」って感じでした。
今回はもっと難しく、「同じ話のA×BのA視点とB視点」に挑戦です。
同じ話なのに、違ってる部分と、やっぱり同じ部分なところがあって、楽しい!!
是非読み比べて、すれ違っていたりかみ合ってなかったりする部分を笑ってください。
<利鳴>

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