ミスジョル R15

関連作品:恋心の目覚め(利鳴作)


  目覚める恋心


 良い匂いがするのでジョルノ・ジョバァーナは目を覚ました。
 好きな食べ物の匂いというわけではなく。よく嗅ぎ慣れたこの匂いが近付くと、ここ最近は特に幸福を感じる。
 だから目覚めは良かった。目を開け、そこに居るのがグイード・ミスタで尚更気分が良かった。
 深く寝入っているらしい顔は口が僅かにだが開いている。
(アルコールの匂いが混ざっている、気がする)
 つまりは寝息が酒臭い。折角ミスタの匂いに包まれていたというのに、彼自身の所為で――と考えて、自分の息にもアルコールが混ざっている事に気付いた。
 朝を迎えたのに抜けきらない量の酒を2人で飲んだのか。眠る前は相当楽しんだのだろう。何をどれだけ飲んだか全く覚えていないが。
 一体どの店が未だ酒の飲めない年齢の自分にそれだけの量を提供してくれたのやら。ましてミスタの方は酒に弱いという話を聞いた事が無い。
 カーテンの遮光性を物ともせず差し込む朝の光に照らされたミスタの顔。任務時以外は調子の良い表情を浮かべてばかりだが、こうして見ると整っている。
 典型的な「黙っていれば」の顔に触れてみたくなった。
 唇をきちりと閉じればより男前になる。人差し指でそっと押し上げてみようか。しかしミスタの腕に邪魔されて、それをしては起こしてしまいそうだ。
 片腕を枕にしているミスタだが、もう片腕は眠っているので力を込められていないままジョルノの体の上に乗っていた。
(重たいけれど、抱き締められているみたいだ)
 事実抱き締められているのではないだろうか。ベッドの上で全裸の2人が仲睦まじく抱き締め合って眠っていたのでは――
(――え?)
 ジョルノの顔がびしりと歪む。
 自分らしさを失った顔を見せまいと半分寝返りを打つ要領でうつ伏せになった。
(ああ、ミスタの方を向いてしまった)
 背を向ければ良かったものの。しかしその動きではミスタの腕を振り払う事になる。
 より体が近付いてしまった。胸に触れてこそいないが体温が伝わってきそうな程近い。寧ろ体に乗せられている腕からは充分『熱』を感じていた。
(落ち着け、待て、どういう事だ?)
 制止させる単語を脳内で数度繰り返してからジョルノは今自分が置かれている状況を把握する方向に脳味噌を動かし始める。
 目が覚めたら眠るミスタに抱き締められていた――状況自体は充分に把握しているがこれでは何も『理解』出来ない。
 ごそ、とミスタが動いた。合わせてジョルノは硬直した。
(シーツに顔を付けていると息苦しい!)
 乗っていた腕は離れ、そのままごろりとミスタは寝返りを打つ。
 音を立てないように顔を動かしたジョルノの目に映るのは無防備な後頭部。普段帽子――中に予備の弾丸を隠している――を被っているのでまじまじと眺めるのは初めてだった。
 その流れで意外に太い首や広い肩も見てしまう。年は数歳しか離れていないのに、自分と違いすっかり『男』として出来上がっている。
 後ろから抱き付いてみたい。嫌がられるかもしれないが、その逞しさに甘えてみたい。健康的な色をした肌に顔を付けて直接その匂いを――
(……服を着ていない)
 見えるのは上半身だけだ。下はきちんと履いているのだろう。夏と違い涼しくなってきたのだから上も何か着た方が良い、と助言してやろう。
 そう思いながらもジョルノは再び静かに、そして自然を装い正反対を向くべく寝返りを打った。
 匂いも熱も遠ざかり、目の前に広がるのは無機質な壁。
 大きく息を吸い、そして大きく息を吐く。寝息を演じるつもりが完全に深呼吸になっている。
(何故僕がわざわざ寝たフリをしなくちゃあならないんだ?)
 今や眠気は全て吹き飛び0なのに。
 体が重たいのに眠たくないとは体調の悪い証拠。息に出る程残っている酒の所為なのか微かに頭痛が有るし、何より腹痛が有った。
 普段余り感じないゴロゴロと音を立てそうな腸の活発な動きは人間を苛々させる。
(今は布団が掛かっているけれど、腹を出して寝ていたのかもしれない)
 2人で1枚の掛け布団に入ろうとすればそうもなる。だから敢えて考えないようにする。この状況下で年頃の男女が必ずしてしまう事をした結果の腹痛だったりするのでは、等という事は。
 年頃ではあるが男女ではない。自分達は誰がどこから見ても男同士。
 ミスタに至っては男臭いと表現したくなる程だ。そんな相手に欲情して襲い掛かるわけがない。
(万が一襲い掛かったとして、この体格差じゃあ引っ繰り返されるのが関の山だろう。それに襲い掛かった側が腹痛を覚えるのも可笑しい)
 ベッドの上で裸で男女2人が行う事、遠回しな表現を止めればセックスをしたとして。男同士だから挿入する側にも負担、病のリスクが有る。だがそれはすぐに症状を感じるとしたら性器だろう。
 腹が痛むのは挿入される側。蛋白質を多く含んだ粘液を腸から流し込まれれば腹痛が起きない方が可笑しい。
(襲い掛かり抵抗され逆転した……いや最初から押し倒されたのかもしれない)
 敢えて考えないようにという意思はこの特異な状況の所為であっさりと砕かれてしまった。
――ぎし
 小さな軋みにジョルノは再び体を硬直させた。今度は息も止める。
 背を向けているので見えないが、どうやらミスタが目を覚まし体を起こしたらしい。ベッドから降りる音、次いで衣服を着用する音。
(ジッパーを上げる音も聞こえた気がする)
 まさか下も履いていなかったのでは。否、下着は履いていたかもしれないし、普段は着ない服に袖を通したのかもしれない。そうであってほしい。
 寝起きらしいゆったりとした動作――音のみの判断だが――でミスタは寝室から出て行った。
 ジョルノは仰向けに戻り掛け布団を両手で掴み、むくりと体を起こす。
「ああぁぁあ!」
 ドアの向こうに聞こえない程度に落とした、掠れさせた声を上げる。出来る事なら壁に頭を打ち付けたり、カーテン越しに日光を取り込む窓から飛び降りたかった。
(どういう事だ! 一体!)
 口を開けたらそのまま大声を放ちそうなので必死に歯を食い縛る。
 ぶんぶんと首を振るように左右を見渡すとやはりミスタの部屋。寝室に入るのは初めてだが、ドアの先が何度か訪れた事の有るリビングに繋がっているのに違い無いデザイン。
 こんな部屋で寝起きしているのかと感慨深く思う余裕が無い。とんでもない物が目に入ってしまった。
(僕の服だ)
 床に落ちている。脱ぎ捨てた、と形容するのが相応しい散らかり方で。
 そもそも見る前から気付いていた。ミスタがどこまで脱いでいたかは知らないが、自分の方は完全に裸だ。誰でもない自分の事なのだから下着1つ履いていない事位わかっている。
 念の為に掛け布団を持ち上げ見てみたが、予想通りに何も身に付けていない。
 もしや新手のスタンド使いが2人の服を脱がし2人をベッドへと拘束したのではないか。大変に無理の有る説を浮かべながら目を閉じた。
(気絶させられる前の最後の記憶は……駄目だ、無い。恐ろしい能力だ)
 小さく溜め息を吐いて見せたがジョルノ自身もスタンド使いの仕業ではない事位わかっている。
 怪我1つ無く目覚め、ミスタに至ってはベッドから出て服を着て部屋からも出て行った。
 もしそんな簡単に逃れられるスタンド能力なら、ゴールド・エクスペリエンスでボコボコにしているし、何なら本体もセックス・ピストルズでギタギタにしている。
――「あぁ、もう」
 ドアの向こう側から微かにミスタの声が聞こえた。正確に何と言ったかまでは聞こえなかったが「あーもー!」と吐き出したのなら自分も言いたいのにと悔しかった。

 ミスタはどうやらリビングの更に奥へ行ったらしい。このアパートの壁は余り厚くないので足音や扉の開閉のが聞こえてくる。
 起き掛けすぐに外出したとは考えにくいのでシャワーでも浴びるのだろう。そう思うとほぼ同時にボイラーの音も聞こえた。
(……寝直そう)
 もう1度寝て起きればそこは本来目を覚ます場所かもしれない。起こした体をベッドに沈め直す。
 マットレスの感触も良いが、何より匂いが良い。清潔に洗濯されたリネンの上に個人の体臭が微かに感じられるので心地良い。寝直すべくジョルノは目を閉じた。
 匂いは視覚情報以上に記憶に結び付いているらしい。直前でなくても良い、眠る前に何が有ったのかを思い出したい。
(確か昨日はこれといった任務が無く殆ど留守番だった。ミスタは1度戻ってきたけれどまた出掛けて……そうだ、1人で何軒かの集金を任されていた)
 一旦帰ってきた時には挨拶位しかしなかった。全ての集金を終えて帰ってきた時、お前の留守番も終わりだと言われた。次第次第に記憶が蘇る。

 帰ろうとしていた所にアジト内の物置部屋――書庫室と呼ばれていた気もする――から顔を出したミスタが声を掛けてきた。
「いい物が手に入った。味見くらいさせてやってもいいぜ。うち来るか?」
 右手には未開封のワインボトルが1本。ジョルノは歩み寄りじっとラベルを見る。
「へぇ」
 元より余り知らないので見慣れないブランド名とワイン名だが格付けは最高級のD.O.C.G.で、しかしアルコール度数は認可されている中で最も低い数値だった。
 これなら自分でも飲める。
「どういう風の吹き廻しですか? 稀少な物を他人に分け与えようなんて」
「お前まだ学生だから、店でアルコール頼んだり出来ねーだろ」
「まあ、その気になればどうとでも出来るなとは思いますけどね」
 年相応ではあるが童顔ではない。いいから出せと声を落とせば大抵の店なら持ってくるだろう。だがジョルノは本音で「そこまでしたいかと言われれば、別に」と続けた。
 その言葉を強がりと思ったのかミスタはからからと笑う。
「かわいそーな後輩に、やさしーおにーさんがご馳走してやろうってな」
 果たしてそれがこの日頃はお調子者に分類すべき男の本心なのか。
「そんなことを言って、共犯者が欲しいだけでは?」視線をミスタの顔からラベルへ戻し「それ、“客”からの貰い物でしょう?」
「おっと、バレてたか」
 大方集金先の1つから手土産に貰い、独り占めしようと企んだが持ち帰る所をジョルノに見られ誰かに密告されるのは、と頭を働かせたのだろう。
「横領に加えて未成年者へ飲酒を強要? 悪い人だな」
「なんたって、ギャングだからな俺は」
 嗚呼、そうだ。こうして胸を張って開き直る所が好きだ――ミスタの良い所だ。
 ミスタの態度に、あるいは自分の言い訳にくすくすと笑った。
「で? お前は優等生か? 告げ口でもするか?」
 果たして自分が優等生に見えるのか。ジョルノはわざとらしく肩を竦める。
「ぼくだってギャングですよ」
「よし、じゃあ決まりだ」

 布団の中でこの辺りのやりとりはしっかりと思い出せた。
 その時抱いた自分の感情も。
 好き嫌いで言えば当然好きだ。同じチームの仲間だし、一層相棒に近いとも思っている。
 ようは特別だ。特別に『好き』なのだ。
「好き」
 声に出しても違和感が浮かばない程。寧ろしっくりと腑に落ちた。
(あのワイン、何に乾杯したんだろう)
 互いの想いに乾杯したのだろうか。否、相手がこちらをどう思っているかはわからない。
 酒の場で想いを告げて、しかしそんな目では見られないと断られ――たとしたら、何故2人裸で寝ていたのだろう。
(せめて思い出に抱いてくれと頭を下げた? だからミスタは起きてすぐ僕から物理的に距離を取り、物理的に洗い流そうと?)
 もしそうだとしたら悲しいを通り越して不愉快だった。忘れたがっているだなんて。こちらは思い出したくとも一切思い出せないのに。
 記憶に有るワインのラベルに書かれていた度数は相当低かった。赤ワインを1本空けた――ミスタと共に飲んだのだから実質半分程か――だけでサッパリ忘れる程に酔うものだろうか。そんなに酒に弱い、もしくは可笑しな飲み方をした自分に不快感を覚える。
 D.O.C.に格付けされているワインは最低限のアルコール度数が定められている。ましてあのワインには政府の認可シールまでも貼られていた。だから稀少だとすぐにわかった。
 見間違えたのだろうか。シールの方ではなく、記載されているアルコール度数を。
(もう1度見てみるか)
 ゴミ箱を漁る真似はしたくないが、実際に飲んだワインのボトルを見て飲んでいた時の事を、眠る前の事を思い出すかもしれない。布団の残り香を嗅いで昨日の談笑を思い出すように。

 脱ぎ散らかしていた服を順に着てリビングへ出た。他人の家のゴミ箱を見るなんて、という杞憂は不要だった。ワインボトルはテーブルに置かれたままになっている。
 しかも件の1本だけではない。どこの店でも売っている、手軽に買えるワインが赤と白の2本。近付き持ち上げてみるとどれも見事に空だった。
(2人で3本、僕が飲んだのは1本半として……思い出せないのは完全にこれの所為だな)
 年齢の所為なのか体格の所為なのか血筋の所為なのか、理由は兎も角ジョルノは自分が酒に強くはない事を知っている。
 D.O.C.G.のワインは昨日の記憶通りに度数は最低値だったが、他の2つ――特に赤ワインは――結構強い。
 ワインボトルとワイングラスの他につまみの残りを乗せた皿も置いたままだった。
 つまみはグリッシーニ――主食にはしない細長いパン――で、沢山食べれば腹に溜まる。
 腹に物が入っている方が悪酔いしない筈だ。余り食べなかった、というよりこれをつまみにするからと夕食を取っていない可能性の方が高い。
 ワイン2本とつまみは一緒に買った。そうだ、1本有れば充分だとジョルノが言ったのに対し「俺が飲むからいーんだよ」と返された。支払いもミスタがしたので当日飲むとは限らないと思う事にして、年齢制限でワインの買えないジョルノはグリッシーニだけを買った。
 貰い物のワインは度数の低さ通りに甘口で、甘くて美味しかった。こんなにフルーティーな香りのする甘いワインは初めて飲んだ。美味いを連呼しすぐにグラスを空け、そこに何度も注ぎ足してもらった、気がする。
 最初の1杯を飲んでミスタが「これはジョルノの分だな」と言った。そのグラスに買ってきた白ワインをそのまま注いで飲み始めた。手酌は悪いとボトルを奪い注いでやったりもした。
 向かい合わせに座った人間に注がれるのが珍しいからかミスタも相当なハイペースで飲んだ。すぐに白ワインを空けて、流れで赤ワインの封も切った。そうだ、一口貰って余りの辛さに噎せた事は覚えている。
 覚えているのではない、今思い出した。ミスタは結局、自身で買ったワインばかり飲んでいた。折角の貰い物は殆どジョルノが飲んでしまった。
(悪い事をしたな)
 気まずくて1歩後ろに下がった。それに合わせるようにドアが開く。
「あ」
 ドアを開けたのは家主のミスタで、如何にも風呂上がりといった格好をしている。寝起きで昨日の服をそのまま着ただけの、髪もぼさぼさのままの自分の姿が恥ずかしくなった。
「よう」
 軽く手を上げての挨拶。普段と何も変わらない、羨ましい程にいつも通り。
 ミスタにとってはいつも通りの朝なのかもしれない。友人を部屋に招いてワインで持て成して、その翌朝シャワーを浴びてきただけ。自分のように何も覚えていないなんて事も無く。
 2人が同じベッドで、しかも裸で寝ていた理由も知っているとしたら。
(セックスはしていない? それともセックスをする関係になった?)
「おはようございます」
 そんな事を訊けやしないジョルノは短い挨拶だけを返して目を逸らす。
 恋人同士が迎える初めての朝だとしたら素っ気無いにも程が有る。だがそんな関係になっていないかもしれないし、肉体の関係も無いままかもしれない。
 晴れて交際を始めて昨晩早速関係を持ったのだとしたら、ミスタならば「昨夜はステキだったよガッティーナ」位の軽口を叩いてきても可笑しくない。
 視線の先には昨晩飲んだままであろう散らかり方のテーブル。
「今、ここを片付けようと思っていたところです」
 いつも通りに、下手をすればいつも以上に抑揚の無い声で呟いていた。
(昨日の事、何か言わないかな)
 想いを受け入れたとか、一夜の過ちを犯してしまったとか、何事も無かったとか。
「だいぶ飲んだなー」
「そうみたいですね」
(確かにそれも昨日の事だけど、そうじゃあなくて!)
 交わした睦言を忘れてしまったので教えてくれとはとても言えない。そんな薄情な人間だと知られたくないし、そもそも色艶の有る話はしていないかもしれない。
 差し込む朝日――壁掛け時計はもう朝とは言えない時間帯を差している――が眩しくて窓の方を向けない。だが顔を背ければミスタの方を向いてしまう。今ばかりは目を合わせたくない。こんな状況でも出来る話題が1つも思い浮かばず4秒程無言の時間が流れる。
「えっと、その、大丈夫……か?」
「え?」
 慌てて顔を向けたのでばちりと目が合った。
 これは一体どういう意味の問い掛けなのだろう。ベッドで裸で寝ていたのはやはりセックスをしていて、こちらが受け身側だった為に体調の心配をしているのだろうか。
(なんて、早合点が過ぎるか)
 テーブルの上を見ればわかる飲み過ぎに対しての言葉と受け取るべきだろう。だいぶ飲んだ、とも言っている。
 ワインを2本空けても通常運転のミスタが記憶を飛ばす程飲んだジョルノを心配するのは至極当然。
 目覚めても酒が残っているという事は眠りの質が悪かったという事。顔色も悪いかもしれない。先程から喋り方がいつものテンションまで上がっていない自覚も有った。
「……少し、頭が重いかも知れません。二日酔いかな……」
 色んな意味で痛みの止まない頭を押さえてみた。そういえば腹の調子は治っている。
 何も無かったのだろうか。いつまでもミスタの方を見ていられずまたテーブルの上の空き瓶達へ目を向けた。
 経験が無いので想像でしかないが、如何にも有りそうな腰が痛いとか重たいだとかは感じない。
「あの、……すみませんでした」
 セックスをしていたら全て忘れていて。していなければ勝手に盛り上がって。
 どちらにしろ貰い物の格式高いワインを殆ど1人で飲んでしまった事は謝らなくては。
「えっ……あ、ああ、片付けか? 別に急がねーとってこともねーし。いいよ、俺がやる。それより、……その、なんだ。座ってろよ」
 招待した側だからという意味しか含んでいないのかもしれない。それでも座っていろなんて優しい言葉は勘違いをするのに充分過ぎる。
 そんな相手の前でこのだらしない髪のままで居たくない。
「あの、ミスタ……」
「お、おうっ」
 気遣いから座れと言っているのに座ろうともしないジョルノに名を呼ばれ、少し狼狽(ろうばい)を含んだ返事が来た。
「ぼくも……ぼくも、シャワー借りてもいいですか?」
 ミスタの顔を見て尋ねる。
 驚いたような返事だったのに表情は至って普通。眉や睫毛の濃い、雄々しさの有る顔立ち。
 いつものようにもっと近くで、アバッキオ辺りに「お前達は仲が良いな」と呆れられる位の距離で話したい。顔を近付けられたい。
「おう。もちろんいいぜ」
 言葉にしない心の奥底の願いは当然叶わず、ミスタは廊下への道を譲ってくれるのみだった。

 バスルームへの道を知っていた。尤も一人暮らしのアパートで道に迷う筈が無い。
 だからこれは昨晩借りた証明にならない。
 第一もし借りていたとしてそれが何になる。事の前に汗を流す、事の後に色々な物を流す以外にも、シャワーを借りる理由は山程有る。
(それに……使わなくても、出来る)
 着直した服を脱ぎ、畳んで置いた。一方で今朝起き掛けに見たこの服は散らかされていた。
(脱がされた? 誰に? ミスタ以外に居ない。何の為に? 理由は……まあ、色々考えられる)
 今は1つしか思い浮かばないだけで。
 バスルームへ入り、高過ぎる位置のシャワーヘッドを少し下げて頭から湯を被った。思ったよりも温かったので温度調節をする。
 少し前までこの湯をミスタが浴びていたと思うと妙な気分になり、ジョルノはごしごしとやや乱暴に顔を擦り洗った。
(先刻から同じ事しか考えていない!)
 答えも出ないのに悶々としていても無駄でしかない。同じ『考える』なら思い出す方向に頭を働かさなくては。
 例えば畳まず散らかしたままなのは脱がされたから、というのは正確に覚えてはいないが事実かもしれない。
 酔って足元が覚束無くなり、真っ直ぐ歩けずふらきミスタに凭れ掛かった気がする。
 そんなジョルノをミスタは抱き留めてくれた。相棒同然の仲間だから当然だと思った。
 しかしワイン2本を空けた後なのでジョルノをジョルノと認識しきれずに、あるいはふざけてからかう為に普段は言わないような事を言ってきた。何を言われたのかは思い出せないが、酔っているという旨を言い返した筈だ。
(でも僕も酔っていたから調子に乗って確か……誘惑、した……?)
 頬を擦り寄せたり甘えた声を出したり、意味深に寝室に行きたいと言って運ばせる位はしたかもしれない。
 思い出しきれていないのに顔が熱くなってきた。ジョルノはシャワーを手に持ち顔から離す。
 湯は胸に当てた。膨らみの一切無いこの胸では誘惑も何も無いだろう。男と女では作りが違う。脂肪の付き方だけではない、突起の形状が先ず違うのだ。
(違うから……触ってもらえなかった……いや、少しは……確か脱がされながら触られて、くすぐったかった)
 寝室に連れ込まれ――連れ込ませ――て服を脱がされ、普段からは想像の出来ない手付きで体を弄られ(まさぐられ)て、その後どうしただろう。
 ベッドに乗せられた後に「ミスタも脱がなくては嫌だ」という我儘を言った。
 拳銃なり弾丸なりを潜ませている服を全て素早く脱ぎ捨ててからミスタもベッドに乗り上げ、それから覆い被さってきて――
(……駄目だ、その後は全く覚えていない)
 そもそもこの記憶も正しい物ではなさそうだ。靄(もや)が掛かったように曖昧だし、何よりジョルノ自身に都合が良過ぎる。
 胸だけではなく腹にも腿にも、見える範囲には痕跡が一切無い。やはり何も無かったのかもしれない。
「……寂しい」
 息にもう酒臭さは残っていないが、声は小さ過ぎてシャワーの水音で完全に掻き消された。

 バスタオルを1枚使わせてもらい、そのままドライヤーも借りた。扉の無い棚に置いてあったので自然と手が伸びた。前に使った事が有るから場所を知っているのではない。
 シャンプーは色素が薄く長い髪に向いている物ではないし、ドライヤーも辛うじてホットとクールに分かれているだけの物。
(飲む前の、飲み始めた辺りはちゃんと覚えている。だが飲み終えた辺りから記憶は曖昧だ)
 髪を掻き上げて頭皮に温風を当てながら考える。
 曖昧なんて言葉では済まない、改竄(かいざん)しているであろう記憶だが、それでも途中までは『無い』とは言わない。
 一方で本当にベッドに押し倒されたのだとしたらその後の記憶は無い。単に1人でベッドを借りただけだったとしてもそこへ仰向けになった後の記憶は無い。
(その時点で相当眠かったんだろうな……僕が寝た後、ミスタは……どうしただろう……)
 彼も酔い潰れて服を脱いで隣で寝ていただけなら笑い話で済む――否、想いを自覚した身としては笑っていられない。
 眠る自分を前に今朝目覚めた時のように寄り添ってくれれば。あるいは裸に興奮して何かしら手を出してくれていれば。
(僕は男だし、ミスタはそこまで酔狂な人間じゃあないだろうけど。でも、そうされたい。そうしたいと思われたい……それだけ好きになるなんて、僕の方が酔狂な人間だ)
 淡々と考えているつもりでも、自分の感情と改めて向き合うと再び顔が熱くなった。
 ドライヤーを冷風に切り替えて髪だけでなく時折顔にも当ててみる。
(僕はちゃんと好きと伝えているのか?)
 ボトルの中程を飲み終えた辺りからは何を話していたかも思い出せない。
 空にした後に酔いに任せ腕を絡ませて猫撫で声で普段は言わないような事を言ってのけていたような、しかしその中に「貴方が好きだから抱いてくれ」という直球の言葉は流石に無かったような、そもそもそんならしくない甘え方等していないような。
 先程のミスタの態度は何か有る前に、何も無かったとしても寝る前に、好きだと言ってきた相手に対する物ではないだろう。
 自分を抱けと喚いてきたので一線は越えたが今後も関係を持続させられるとは思っていない、といった態度にすら思えてきた。
 好きなのだから好きだと伝えたいし好かれたい。そして叶うなら『特別』になりたい。
 せめて誰とでも――好きでもない同性とまでも――セックスをするようなふしだらな人間ではないと知っておいてもらいたい。
 ドライヤーを止めて(とめて)置き、後ろ髪をいつものように1つに編む。
 目の前の鏡に映るのはいつも通りの自分自身。
(言うだけ言おう。貴方の事が好きですと)

 リビングのドアを開けると当然だがミスタが居た。すぐにこちらを向く。テーブルの上は綺麗に片付いていた。
 先ずは風呂を貸してくれて有難うと言うべきか、それとも片付けを全て任せてすまないと謝るべきか。いきなり愛の告白をぶちかますのは流石に気が引ける。
「……ん? ちょっと待った」
 不意のミスタの言葉に「え?」と尋ねつつも足を止めた。
「あ、わりぃ、独り言」
(今のが独り言? 一体どういう独り言だ)
 完全に「待て、立ち入るな」という意味にしか聞こえなかった。想いを告げるという勇気が吹き飛ばされてしまい、ジョルノは眉に力を入れ目を逸らした。
 テーブルは昨日訪れてすぐの状態に戻っている。
 昨晩向かい合って座り、皿にグリッシーニを散らかすように置き、それぞれのグラスにワインを注いで乾杯をした。
 それは楽しい時間だった。だから飲み過ぎてしまったのだろう。言い訳にしてしまう程、一緒に居ると楽しい。
(ずっと、一緒に居たい)
 もしも想いを告げて断られたら今までの関係ではいられなくなってしまうのか。
 否、セックスをした――かもしれない――のだから、既に今までとは違う。当たって砕ければ良い。砕けた物を継ぎ接ぎして直すのが得意なスタンドがいつも傍に居る。
 意を決して、改めてミスタの方を見た。こちらを見ていた為に目が合う。自分の顔を見ていてくれて嬉しいと無理矢理に心を奮起させた。
 こんな事を言うのは生まれて初めてだし、もしかしたら人生で最後かもしれない。未だ躊躇いが邪魔をしてくるがジョルノは口を開く。
「ミスタ、話が……」
「待った」
 いつも以上に低い声でどきと心臓が高鳴った。
 今度は独り言ではない証拠に手の平を突き出している。
「……俺から言わせてくれ」
 随分と深刻そうな表情を浮かべている。本当にこれがミスタなのかと一瞬目を丸くしたが、目の前の彼が自分の惚れたグイード・ミスタに違い無い。じっと目を見詰めたまま「はい」と答えた。
「もう1回、素面の状態で言わせてくれ」
(もう1回……)
 酔った中でした話をもう1度するらしい。昨晩の記憶がほぼ無い身としては幸いだが、一体何を言われるのだろう。
 脳味噌が勝手に先走って勘違いを始め、心臓がどくんどくんと煩かった。気付かせまいと必死にポーカーフェイスを気取る自分が恥ずかしい。
 何をされても良いと、何かされてしまいたいと思わせる程真摯な顔のミスタが口を開く。
「ジョルノ、俺はお前のことが――」


2018,10,10


関連作品:恋心の目覚め(利鳴作)


A×Bの話をそれぞれの視点で、という合作を作り上げてみましたー!いぇーい!!
先に利鳴ちゃんが全文書いて、雪架が其れを別視点で、という流れで作り上げました。
1人で別視点書くと醍醐味の「相手の内心が判らない」が表現しきれませんからね。
PCから閲覧されている方は2窓並べて読み進めて頂くと噛み合わなさがより楽しめると思います。

<雪架>

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