フーナラ 全年齢

関連作品:君の記憶から僕が消えたら(雪架作)


  Side Story 〜レンズ越しの君〜


 鏡の中にある顔は、どう見てもパンナコッタ・フーゴの――つまり自分自身の――ものだった。それはそうだろう。少し髪型を――普段より少し素直に下ろしたような形に――変えて、いつもと違う服を着て、本当は掛ける必要のないメガネ――度は入っていない――を掛けた程度で全くの別人になれてしまったら、きっとこの世は大騒ぎになる。
 逆に言うと、この程度で本当に“変装”出来ているのかと心配にもなってくる。
(でも、そもそも今回の“潜入先”に、ぼくを知っている人間はいないはずだ)
 リーダーから与えられた指示を思い出しながら、フーゴは事務所が入っている建物――一見すると極普通のテナントビルだ――の共用部にあるトイレ――大きな鏡がそこにしかなかった――を出た。
 これから向かおうとしている場所には、フーゴと年齢の近い者が大勢いるはずだ。だが、14歳で大学へ入学し、そして今はもうそこにはいられなくなっているフーゴと『クラスメイト』である者はひとりもいない。それより以前の学校――小中学校――で同級生だった者がたまたまそこにいる可能性までは皆無であるとは断言出来ないかも知れないが、幼い頃に親しくもなかった――当時のフーゴは知能レベルの違い過ぎる誰とも親しくしようとはしなかった――相手のことをわざわざ記憶している者も、そうそういないだろう。そんな相手は、初対面と変わりない。それなら、後日再び同じ相手にどこかで偶然遭遇した時に、同一人物だと気付かれなければそれで良い。
 自分の机――と言っても席順が決まっているわけではないし、そもそも人数分もないが、一番デスクワークの多いフーゴが主に使用しているそこは、便宜上そう呼ばれることが多い――に戻ると、それを待っていたかのように、ドアが開いた。入ってきたのは、2つ年上――には見えない――後輩の、ナランチャ・ギルガだった。
「あっれー、なにそのカッコ」
 流石に――やはり――「お前は誰だ」とは言われなかった。そのことに、フーゴはこっそり安堵した。ナランチャならあるいは……という考えは、全くなかったと言ったら嘘になる。
「まあ、なんて言うか、変装です。一応」
「変装?」
「そう。例の学校へ、潜入調査に行くので」
「ああ。あれって今日か」
 以前から、この辺りで違法な薬物が売買されているらしいとの情報は掴んでいた。それが学生を中心に広まっているようだと聞いた時、リーダーの表情は俄かに険しさを増した。案の定作戦はすぐに立てられ、“現場”のひとつである学校へと、フーゴが乗り込むことになったのだ。
「結局フーゴが行くことになったんだ?」
「ええ」
 その役目には、――現役の学生である――ジョルノ・ジョバァーナの名前も候補として上がってはいた。だが最終的には最年少――には、本人がどうこうというよりも他にもっと幼く見える者がいるのでという理由で、見えない――の新入りには、もう少し後になってからの段階の、単独での行動はしなくても良い――予定である――任務が与えられることになった。独りで咄嗟の判断が必要となるかも知れない役割から彼が外されたのは、チームに入ってからの時間がまだ長くないことが理由ではない。近頃のジョルノは、時折何か考え込んでいる――“思い詰めている”とまで言ったら少々大袈裟かも知れない――ような表情を見せることがある。ギャングと学生の両立に苦労しているのか、あるいは、身近にいる“誰か”との関係性に不満を抱えているのか……。そんな状態の彼よりも、以前から似たような任務を何度もこなしてきたフーゴが適任だと――今回は――判断された。その決定に、ジョルノが異論を唱えることはなかった。他人の目から見て、自分が今どういう状態にあるか、彼は充分理解出来ているようだった。
 ジョルノが何を抱えているのか、フーゴには分からない。きっと、誰にでも悩みのひとつやふたつはある、ということなのだろう。それを下らないと見下す権利は、誰にもない。フーゴとて、他人が見れば取るに足りぬようなこと――なのかも知れないこと――で頭を悩ませることはある――もしくはあった――。用がある時に限ってリーダーが不在だとか、立て続けに廃車になった2台のレンタカーの後処理が面倒だとか、近所の野良猫が窓から侵入してきて――ここは2階なのだが、木を登ってくるようだ――書類に足跡を付けられただとか、2歳違いの恋人の言動に未だ予測不能な部分が多くあり、咄嗟のことに戸惑わされることがある――だがそれを楽しいと感じている自分も少なからず存在している――だとか。
 だが、目の前にいる少年――イコール2歳違いの恋人――には、そんな悩みはないのかも――“誰にでも”の数少ない例外なのかも――知れないなと、フーゴは思った。どんな思考でいたら、この裏社会にいながらそれを感じさせないような振る舞いを続けていられるのだろう。あるいは、何も考えてはいないのか……。
「ぼくが話を取り付けてこられたら、その後には君の出番もあるんですからね」
 よもやそのことまで失念してはいないだろうなと思って釘を刺すように言ったが、ナランチャはあまりにも軽く、「うん」と返してきた。本当に何も考えていないのかも知れない。
 そろそろ出発しようかと思い、椅子から立ち上がると、大きな2つの瞳がその動作を追って動いた。
「でも、変装って言っても、あんまり変わってないけど」
 ナランチャは首を傾げるような仕草をしている。
「やり過ぎると、かえって不自然でしょう?」
「ふーん」
 無理のない範囲でと思えば、精々このくらいしか出来ない。体格や顔立ち、それから声質によっては、女の格好でもすればよりバレ難くなるのかも知れないが、自分にはまあ無理だろうとフーゴは思っている。あるいは目の前にいる彼になら、それも可能かも知れないが。
(でも別な意味で、こいつには無理だな)
 単純な『受け渡し』や『始末』ならともかく、情報収集や『交渉』には彼は向いていない。それに、“別な意味で”そういうことはやらせたくない――これはリーダーや組織としての見解ではなく、フーゴ個人の意見……というよりもただのワガママでしかないが――。
 フーゴが考えていること等何も知らない――おそらく考えてみようともしていない――ナランチャは、フーゴの姿を――チェックするように――見続けている。まじまじと見られると、なんだか緊張してしまう。いつもと違う格好をしている所為かも知れない。シャワーを浴びた後の姿も、寝起きの顔も、――そしてもっと色々な場面も――見られたことがあるというのに。明確な理由が分からぬ照れ臭さを誤魔化すように、フーゴは唇の端を歪めてみせた。
「普段のぼくと、どっちがいいですか?」
 聞いて――しまって――から、やめておけば良かったと思っても、もう遅い。いつもと違う格好でいる所為で、思考回路までおかしくなったか――そんな状態で仕事が出来るのだろうか――。たぶん、どちらと答えられても照れるに違いない――というか“スデに”だ――。
「んー……」
 いっそのこと「なにバカみたいなこと言ってんだよ」とでも言って、笑ってくれれば良いのに、ナランチャは――こんな時ばっかり――真面目に考えるような顔をしながら、改めてフーゴの頭の天辺から爪先までを視線でなぞった。そして、
「どっちでもいいかな」
「……なにそれ」
 考えた挙句のそれか。それはそれで、なんだかガッカリしてしまう――それが随分自分勝手だとは分かっていても――。「どっちでも」が頭の中で「どうでも」に変換される。“他人から見れば取るに足りぬ悩み”が追加される瞬間を、フーゴは初めて自覚した。
 だがそれを、更なる声が消し去る。
「どっちのフーゴもかっこいいよ」
(やっぱり聞かなきゃよかった)
 これはこれで“新たな悩み”なのかも知れない。
 もうさっさと出掛けてしまおう。これ以上ここにいたら、与えられた任務の内容が頭の中からすっ飛びそうだ。実は行き先の住所はすでに今すぐ言えと言われても出来そうにない――番地を言えなくても現地には辿り着けるだろうが――。相変わらず向け続けられている視線を振り払おうとすると、
「あ、でも」
 何か思い付いたような表情で、ナランチャは近付いてきた。彼は、「なに?」と聞こうとしているフーゴに顔を寄せた。かと思うと、そのまま開きかけの唇に、キスをした。
 彼が再び離れた時――ほんの1秒か2秒後――、フーゴの顔は耳まで赤く染まっていた。
「あー、やっぱり。メガネはちょっと邪魔かも?」
 邪魔だと言うからには、それはナランチャの顔のどこかに触れたのかも知れない。だがフーゴには、そんなことを気にしている余裕はなかった。次に口にするセリフさえ、咄嗟に出てこない。「いきなり何をするんですか」? いきなりでなければ良いのかと聞き返されたら困る。「場所を考えろ」? 違う場所でなら良いのかと以下同文。いっそのこと、「キスだけですか?」か?
(なにをバカなことを!!)
 ぶんぶんと頭を振るフーゴを、ナランチャは不思議そうな顔で眺めている。
「フーゴ、時間いいの?」
「良くない」
「じゃあいってらっしゃい」
「いってきます……」
 フーゴは精度の低いロボットのようなぎこちない動きで出入り口に向かった。ドアノブに手を伸ばすと、しかしそれに触れるより先に、そのドアは外側から開かれていた。そこにいたのは、ジョルノだった。彼は妙に表情のない顔で、フーゴの目をじっと見た。
(もしかして、今の見られてたんじゃあ……)
 先程まで赤くなっていた顔が、蒼褪めてゆくのを自覚する。
「フーゴ」
 感情の篭らぬ声で、ジョルノが言う。
「な、なんですか」
「そろそろ時間だそうです。ブチャラティが出かけるついでに送って行くから、降りてくるようにと」
 そう言いながら、ジョルノは通路を譲るように一歩下がった。だがその目は逸らされる気配すらない。
(やっぱり見られて……)
 だがわざわざ尋ねてヤブヘビでも困る。
「い、行ってきますっ」
 逃げるように外へ向かう背中に、おそらく何も考えていないのであろうナランチャの明るい「いってらっしゃい」の声が飛んできた。


2018,09,10


関連作品:君の記憶から僕が消えたら(雪架作)


セツさん作の『君の記憶から僕が消えたら』の二次創作をさせていただきました。
二次創作の二次創作だからこれは最早三次創作!
セツさんは上記作品以外にもフーゴが学校に潜入調査に〜って文章を何度か書いているのですが、なかなかそれメインな話は書いてくれないので、こうなったら自分で書くか!? と思ったはずだったのに、書き終わってみれば行く準備してるだけで行ってなかった(笑)。
改めてセツさんが学校潜入フーゴを書いてくれる日を待ち侘びていようと思います。
<利鳴>

【戻】


inserted by FC2 system