アバブチャ 全年齢 流血注意

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  Side Story 〜左手を黒髪の子供と繋いでいる男の右手〜


 自動で開いたドアの中へナランチャは転がるように乗り込んだ。
「おい、ナランチャ!」
 レンタカーの中からではこの低い怒鳴り声は届かないのかドアを閉めたタクシーは平然と走り出す。
 どうする? 追い駆ける? 今から車を発進させてアクセル全開で走らせれば追い付けるかもしれない。しかしタクシーを追い越した所でナランチャがこちらの車に戻ってくる筈が無い。彼は頭が悪くともそんなに簡単に諦めが付く事の為に車を止めて飛び出す程の馬鹿ではない。
「……くそっ」
 小さく吐き捨ててアバッキオは先ず助手席のドアを閉めて、道路の端へと寄せて停車する。一応頭も本来の向きに戻しておいた。
 時代に流されて1人1台持つ事になった携帯電話を取り出し、着信履歴の1番上へ発信。
[どうした?]
 数回の呼び出し音の後に機械を通しているので少しだけだが不鮮明なブチャラティの声。
 安心したし、早く本人に会いたいと思った。だが今はそんな呑気な事を考えている場合ではない。
「ナランチャがどこかへ行った」
[何? アバッキオ、今お前はどこに居る?]
「フィレンツェに向かう途中だ。ナランチャの奴運転中の車から飛び出してタクシーをとっ掴まえてどこかへ行きやがった。今から追い掛けるか?」
 もうタクシーは影も形も見えないが。
[運転中の車から……どこへ行ったかはわからないのか? 何か言っていなかったか?]
「『とめて』を2回。あと……その前に人の名前を呼んでいた。何て名前かは忘れちまったが俺の知らない奴だ」
 兄弟? 否、確かナランチャに兄弟は居ないし、ファーストネームではなくファミリーネームだった気がする。
「ムーディー・ブルースで再生してみるか? お前が知っている奴ならどこに行ったかわかるかもしれない」
 しかしブチャラティも知らない者の名であれば無駄な時間と労力を費やすだけだ。
[いや……お前はやはりフィレンツェに向かってくれ。今もし向こうの2人に何か有ったら困る]
 ナランチャには何か有ったと伝えて急かしたが、実際はフィレンツェに居るミスタとジョルノに『未だ』問題は起きていない、らしい。
 ならば即席コンビとしては片割れのナランチャを追うべきではと思った。
 しかしブチャラティの判断は違った。ならばその指示に従うのみ。
「わかった。フィレンツェに着いたら連絡する」
[いや、着いたら2人に直接連絡を取ってくれ。俺もどこに居るのかまではわからない。リストの確認がかなり進んだらしいから無理をせずにどこかで休んでいるとは思うんだが]
「お前に何も言わずに行動してやがるのか」
 当初の予定とは違う動きをするというのにリーダーへの報告を怠るとは、あの2人を比較的新しい者同士だからと組み合わせるのは良くない。
 特にジョルノの態度は腹が立つ。今回も連絡を後回しにしているのはジョルノの身勝手な判断だろう。
 ミスタも調子の良い面は有る――それもかなり強く有る――が、横への連絡は非常に大事にする。
 2人のスタンドの相性が良い等と評価する奴らは多々居るが、不快な事に自分以外はその意見で一致しているようだが、それならばナランチャと――
「……誰だ?」
 一体今ナランチャと誰の相性の方が良いと思ったのだろう。
 間違っても自分ではない。ナランチャは小さく喧しく面倒臭いし、何より今こうして勝手に別行動を取られている。一方的にコンビを解消されたようなものだ。
 自分ではなく、リーダーではなく、ミスタとジョルノではなく。だとしたら誰だろう。このチームは6人で構成されているのに――否、6人ではなく5人だ。アジトの近くに住み着いている猫でもカウントしてしまったか。
[アバッキオ? どうした?]
「いや……何でもない。俺はフィレンツェでミスタ達と合流すれば良いんだな」
[ナランチャはこっちで何とかする]
「出来そうか?」
[絶対にする]
 誰よりも信頼出来るブチャラティの顔が目に浮かんだ。
 そちらは任せるからこちらは任せろという言葉が自然に出ていた。相槌を受けてから電話を切る。
 念の為にナランチャの携帯電話にも掛けてみたが呼び出し音が鳴った後に切られて以後電源を落とされたので時間と労力と充電を無駄にしただけだった。

 フィレンツェ市内に入り、ブチャラティがミスタとジョルノに勧めていたホテルへ向かう道程で携帯電話が鳴った。
 運転をしながら通話をするのは集中力が散漫するので気が進まない。
 携帯電話を手にして表示されている名前が『ジョルノ』だったので牛歩していた気も完全に止まってしまう。
 決してブチャラティからの連絡かと期待したわけではないが。そう言い訳しながら信号も丁度赤なので通話ボタンを押して耳に当てる。
[ナランチャが電話に出ません]
 第一声がそれか、と舌打ちした。
[アバッキオ、運転中ですよね? 大丈夫ですか? ナランチャに代わって下さい]
「何の話だ。今ナランチャは電話に出られないから用件を言え」
 アバッキオが手短にな、と言うより先に。
[ミスタに最悪の事態が起きた]
「……何だって?」
[急いで来て下さい。場所はサンタ・マリア・ノヴェッラ教会です。横から裏に掛けて雑木林のようになっていて、そこに隠れていますから]
「待て、意味がわかんねぇ。教会の裏だァ? テメー何でそんな所に居る。ミスタに何が有ったんだ」
[話している暇は無い!]電話の奥で1つ呼吸をし[お願いします、急いで来て下さい]
「……わかった、ここから遠くないようだからすぐ行く」
 言って通話を終了し助手席へ携帯電話を放り投げた。
 ジョルノは常々クールぶっており気に入らないが、だからこそあの一瞬の取り乱し方で緊急事態なのがよくわかった。信号が青に変わったのでアクセルを強く踏み込む。
 サンタ・マリア・ノヴェッラといえば歴史有る薬局を排出したフィレンツェで最も有名な教会で、具体的な場所までは知らなかったがあちこちに教会への道を示す看板が立てられていた。
 それらに従い制限速度をぎりぎり超えるスピードで車を走らせるとすぐに見えてきた。ゴシック様式の美しい外観。様々な宗教画を飾っている為に今は美術館として扱われている事も頷ける。
 同名の駅から近いからか否か駐車場が無い為適当に路上駐車をし敷地内へ正面から堂々と入った。
 しかし中央の――恐らく主たる――礼拝堂には入らない。左右に2つずつ、更に左にはもう1つ小さな礼拝堂が有るようだがそこにも入らない。
 1番左の礼拝堂の横は他よりも木々の背が若干高い。ジョルノの言っていた「横から裏にかけての雑木林」とは恐らくここの事だ。
 立入禁止の看板は出ていない。常識的に考えれば誰も足を踏み入れないだろう。アバッキオも出来ればこんな所に向かわず礼拝堂の1つを見て回りたい。しかし、隠れているというのならやはりこの先だ。未だ昼前で人気(ひとけ)が少ないのをこれ幸いと木々の中へ足を踏み入れる。
 長身と言われているアバッキオよりも背の高い樹木達。黒色の服も手伝って周りからはもう見えないだろう。アバッキオは携帯電話を取り出しミスタへと電話を掛けた。
 大して音量を上げていないのに鬱蒼とした木々に囲まれているので呼び出し音が酷く耳に響いて聞こえる。
[はい]
「……何でお前が出るんだ」
 声ですぐにジョルノだとわかった。
[ミスタが電話に出られる状況じゃあないからです]
「そんなにヤバいのか」
[だから貴方に電話をしたんです。もう近くに居るんですか?]
 自分も大概だがジョルノもまた同じように声に苛立ちを含ませている。
「もう教会の横に居る」
[本当ですか? ああ、居た!]
 その声と同時にガサと雑草を踏む音を立てて1人の少年が姿を現した。
 しかしその少年はジョルノではない。
 服装はジョルノと似てはいる。見れば顔立ちも、瞳の色合いなんかはよく似ている気がする。
 だが少年は13歳前後とジョルノより幼く背も低い。何より髪型が大きく違う。ほぼストレートの黒髪は襟足以外が短い。
「すぐに見付かって良かった」
 ジョルノとよく似た声で少年は耳に当てていた携帯電話の通話を終了した。
「……誰だお前」
「誰って――あっ!」
 アバッキオはぱちぱちと瞬きを繰り返す少年の右手から携帯電話を取り上げる。
「この塗装剥がれ、やっぱりミスタの携帯じゃあねーか」
「返して下さい」
「テメーの携帯じゃあねーだろッ!」
 何故ミスタの携帯電話を持っていたのか。そしてジョルノのフリをして出たのか。全く見当が付かずじっと睨み付けていると、少年は「あれ」と言って辺りをキョロキョロと見回し始めた。
「ナランチャは? 一緒じゃあないんですか?」
「お前に何の関係が有る」
「そうですね、今はそれどころじゃあない。アバッキオ、こっちです」
 ミスタの携帯電話をあっさりと諦めて見知らぬ少年は背を向けて来た道を戻った。それこそナランチャ程しか背が無いのでどんどん木々に飲み込まれてゆく。
 何故自分の名前を、と言う為にもアバッキオはその背を探して追う。樹木の合間に消え入りそうな少年が一際大きな木の横へしゃがむのが目に入った。
「ミスタ、未だ痛みますか?」
 少年が声を掛けたその先に。
「っ……ミスタっ!」
 息を呑んでから大声で名を呼んだ。少年の奥に今アバッキオが手にしている携帯電話の持ち主のミスタが座り込んでいる。
 青褪めながらも冷や汗をかいている顔が上がるり、やや虚ろな目と目が合う。しかし声は出さない。出せない。
 今のミスタにはその余裕が無い。彼は今、右腕を肘の上からばさりと失っていた。
「汗が」
 少年が4つに折ったハンカチを出してミスタの額を拭う。
「……有難う……」
 掠れた声が痛々しい。
 痛々しいといえば傷口こそ袖を縛って隠され見えていないが、その先の腕が無いのは一目瞭然。やはり痛むのか左手で右肩のすぐ下を押さえていた。
「寒い……」
「出血が激しく貧血に近い状態だから仕方無い。堪えて下さい。ナランチャに食べ物を買ってきてもらうつもりでしたが、どうやら別行動をしているみたいで」
 ちら、と嫌味たらしい目がこちらを向いた。不快にさせてくる少年の態度はやはりジョルノとよく似ている。
「でも大丈夫、アバッキオが追い掛けてくれます。貴方の腕を取り戻せる。ちゃんと貴方の腕に戻る」
「おい! 勝手に――いや、それよりミスタ、その腕はスタンド使いにでも、いやそうじゃあない、何故ジョルノに治させねーんだ? ジョルノはどこだ!?」
 少年が再びこちらに、今度は表情暗く目を向けてきた。
「アバッキオ……」ミスタの息絶え絶えといった声で「……そいつが、ジョルノ……」
「……何だって? このガキが、ジョルノ?」
 確かに顔も声も態度もよく似ているが――本人もミスタの言う通りだと頷く。
「つまり……お前らスタンド攻撃を喰らったんだな? だからミスタは腕が無く、ジョルノは見た目が違う」
「ミスタは違いますが僕はそうです。いや、僕も厳密にはスタンド『攻撃』じゃあない」
 妙な箇所を強調したジョルノが顎を下げてしゃがむように指示をしてくる。隠れておくべきではあるのでアバッキオは大股開きにその場へしゃがんだ。
「ブチャラティからは何と聞いていますか?」
「今朝電話が1本有ったっきりだ」ナランチャの件でこちらから電話をした事は伏せ「お前らに問題が発生した、何か起こる前に至急フィレンツェに向かえ」
「それだけ?」
「ああ、そうだ」
 未だ何も起きていないのか、と尋ねたら「そうだ、急げ」と電話を切られた事を思い出す。
「良かった、流石ブチャラティだ」
 それには同感だ。こんな事になっているのなら、細かく説明しているよりすぐに向かえの一点張りで急かされても文句は無い。
「ああでも、詳しく話すよりも先にアバッキオに追ってもらうべきか……こうしている間にも、細胞が幾つも壊死しているかもしれない」
 心配そうな目を向けられたミスタは首を力無く左右に振った。
 急ぐよりも説明を。
 聞かせてもらうべくアバッキオはミスタの携帯電話を彼の左横の地べたへと置いた。ここから先は何も知らずに突き進めるものではない。
「……昨日、リストの大半を片付け夕食にしました」
「大半を?」
 そこを聞くなと言う事も無くジョルノは頷く。
「電車が思ったよりも遅れなかったし、ホテルに荷物を置いてから取り掛かっても何の問題も無く進みました。とても見易いリストだったので8割位は」
「自画自賛か」
「フィレンツェのリストは僕はノータッチです」
 確かにジョルノはローマのリストを自分と分け合って作成した。事務仕事の苦手なミスタとナランチャがネアポリス周辺のリストをブチャラティと共に作り――それでありながらブチャラティはフィレンツェのスタンド使いも読みやすくリスト化をしていたのか。
 ならばローマのリストも確認だけではなくもう少し口や手を出してもらいたかった。ナランチャとのコンビだからと言い訳をしたくないが、こちらは半分程しか進んでいないし、それでも充分だと思っていた。まさかフィレンツェにはスタンド使いが殆ど居ない、という事ではあるまい。
「時間に余裕が有ったのでハウスワインの美味い店を聞いて入ったんですが、そこで1人のスタンド使いの男と出会いました」
「リストの中の?」
「いいえ、出身はフィレンツェではないそうです。ジャズピアニストとして未だ芽は出ていませんが、気さくな良い人でした。スタンドのヴィジョンは――いや、能力の話だけをした方が良いか。パワーやスピードは大した事が無く戦闘には不向きですが『対象を12時間、2年前の姿にする』事が出来る」
「2年前の、姿……お前のその可笑しな格好はそれが理由か」
「試してみるかと言われてミスタがすぐに僕にやってみろ、と言ってこの有り様です」
 成る程13歳のジョルノだと言われれば背と顔に納得がいく。髪型に関しては疑問が残るが、その頃こういう髪型が流行ってでもいたのだろう。
「……すまん……」
 ミスタが怪我人でなければ羽目を外し過ぎるなと怒鳴り付けている所だが。
「別に痛くも痒くも有りませんが、この見た目ではワインを出してもらえないのでホテルへ戻りました。まあ途中でワインを買いましたが」
 ミスタだけではなくジョルノもなかなかに羽目を外している。
「しかし朝起きても未だこの姿のまま……先ずブチャラティに連絡を入れました」
「俺のところへ掛かってきた電話より前にか」
「僕は2年前、未だスタンドが使えなかった」
 だから何だと言い掛けたが、アバッキオはすぐに気付いた。
 ジョルノがスタンドを使えない。それはつまり、怪我をしても治せない。
「ブチャラティはすぐに貴方達2人を僕達の元へ向かわせると言ってくれました。何か有っては困るからと」
 スタンド使いの確認も幼い姿では不便が増える。
 しかしブチャラティはより悪い事態も計算していた。そして来てみれば最悪の事態に陥っていた。
「お前が元に戻らなくちゃあミスタの腕も戻らない」
「だけど……12時間で戻ると言っていたのに、未だ2年前の姿のまま……僕はこのままでも構わないが、ミスタの腕をこのままには出来ない」
「腕はそのスタンド使いにやられたのか?」
「まさか! 百歩譲っても関係1つ無いし、あのスタンドにそれだけの能力も無い。これは見知らぬ男にやられた。恐らくスタンドじゃあない。ピアノ線のようなワイヤー状の物で切り落とされました。今スタンドが見えない僕の目の前で」
 ミスタの右の袖を見る。何も通されていないので頼りなく潰れた先が縛られており、血により赤黒く濡れそぼっている。
「……骨ごと?」
「目の前に立ち、手早く右腕に巻き付け、そのまま……すみません、余りの事で……追い掛けたり調べたり、そういう事が全く出来なかった」
 口元を押さえてジョルノは苦々しく目を閉じた。ミスタ同様顔色が悪い。
 13歳の子供らしく何も出来なかった。だがミスタの正気を飛ばさぬように、という方向では努力を怠っていなかった。
 袖は絞れそうな程血に濡れているが今現在の出血はそれ程激しくはない。
「どうやって止血した」
「ミスタはブチャラティの目が無い所で稀に喫煙する」
「まさか、ライターで焼いたのか!?」
「ワイヤーのような物と切断された腕とを抱えて男はすぐに走り出した。ああ、ここでじゃあない。教会の前だった。駅の方に向かって走って行った」
 こちらの問い掛けには答えず話を続ける。
 切断された痛みのみならず火傷の痛みまで。それでいて腕が生えてくるわけでもない。時間が許すなら意識を保ったままのミスタを誉めてやりたかった。
「僕がスタンドを使えない今、腕を取り戻しブチャラティのスタンドで繋ぎ合わせるのが最良の方法だ」
 医者に見せた所で出てくるのは義手と鎮痛剤、あとは役所からの障害者手帳位か。それはあくまでも最終手段だ。
 警察官には任せられない、という事は元警察官として気持ち悪い程によくわかった。どの街の警察官も恐らく同じようなものだろう。
「先ず腕を取り戻さなくてはならない。アバッキオ、貴方と貴方のスタンドが必要だ」
「ムーディー・ブルースで再生した男を俺が追い掛ければ良いのか」
「今の僕にはスタンドが見えないし、ミスタを1人にも出来ない。それらを抜きにしても自身のスタンドを見ながら直接操作出来る貴方が適任だ」
 これではまるでジョルノがリーダーとして指示しているようで気に食わないがそうも言っていられない。
「アバッキオ……」
 名を呼んで大きく息を吐いたミスタの方を見ると、疲弊しきった本体同様に疲弊しきった彼のスタンド、セックス・ピストルズの6人が姿を現す。
「使ッテクレ」
 何とか口を利けるピストルズのNo.3が小さい手でコンコンとミスタのベルトに掛けられた物を叩いた。
 他の5人も視線は全てその拳銃に向けている。
「ココニ有ッテモ、ドウシヨウモナイ」
「だからって、何で俺が」
「ジョルノニ使ワセルカ?」
 13歳の異国の子供が拳銃を持っているとなればそれだけで大騒ぎになるからそれは出来ない。アバッキオならば良いのかと問われると返答に困るが、今のジョルノが持つよりは幾分マシだろう。
 それに使えるか使えないかで言えば、恐らく発砲経験の無いジョルノよりも自分の方が――
「俺には、使えない」
 スタンド使いではないのなら『地力』が大事になる。腕を持ち逃げた狂人が相手ならば尚の事。そしてあらゆる武器の中で拳銃は使い勝手と威力とのバランスが最良だ。
 誤射さえしなければ。
 仲間を撃ち殺してしまわなければ。
「アバッキオ? どうかしたんですか?」
 ピストルズが見えていないジョルノからはアバッキオが急に独り言を言い始めたように見えただろう。
 すう、とミスタが息を吸った。そして『いつも通り』のへらへらとした調子の良い笑顔を繕った。
「M9じゃあないと……あれだ、使えねーか? どれだけ……ベレッタが好きなんだよ……ダブルアクションだぜ? 装弾数は……6発」
「……重傷人が喋ってんじゃあねぇ」
 ベルトから拳銃を引き抜く。
 リボルバーもスタンド達の視線もずしりと重たかった。提げられる服装ではないので右手に持ったまま。
 左手が自然と銃底に向かう。体が未だ覚えている。絶対に忘れられない出来事を経てずっと離れていても尚。
「撃てますか?」
 ジョルノから直球過ぎる疑問をぶつけられた。
 見知った顔より2つ幼い分、穢れを知らない純粋な子供の眼差しのようで、アバッキオは幼い時分の己を思い出した。未だ正義を信じていた頃を。
 だから腹が立つのだ。
 嗚呼、未だ黄金に輝く未来を信じていられる少年が、妬ましい程羨ましい。
「ミスタの腕を持って行った男は――」
「ジョルノ」
「……すみません。アバッキオ、取り返してきて下さい。お願いします」
 何を言い掛けたのか気になるが。
「テメーら呑気にサボりやがって。俺が戻ってきてブチャラティが来て全部元に戻ったら、すぐに仕事詰めにさせるからな」

 教会は今や美術館、この時間になると人はまばらだが途絶えない。アバッキオは自らも入館者を装い、先程ジョルノから聞いた大体の場所に立った。
「ムーディー・ブルース」
 スタンドが傍らに並ぶ。電話が来た時間を逆算し、その時その場に居た人間の姿を取るべく頭部のカウンターの数字を変える。
「……コイツか」
 直感が有った人物の姿になったムーディー・ブルースは雄叫びを上げワイヤーのような物を何かにぐるりと巻き付け引いた。
 ごとりと落ちた物を拾い上げる。手にすると対象の1部となるのか、男は1本の腕を抱えた。見覚えのある右手の形でそれがミスタの腕だとわかる。
 男は何かと何か――恐らくミスタとジョルノの顔だろう――を2〜3回見比べた後、腕をぎゅっと抱き締めて方向転換、そして走り出した。
「最悪の中の最悪だな」
 ジョルノが言おうとしたのは、ミスタが遮ったのはこの事か。
 通りすがる人々はスタンドが見えないのでアバッキオの独り言の意味もわからないだろう。
 追ってアバッキオも走り出す。
 どこにでも居そうな平凡な顔立ちの男は、しかし髪型が特徴的だった。切り揃えたボブカットはまるでブチャラティのようだった。
 スタンドが扮した男は背の高さもまたブチャラティに近いが足はやや遅い方らしく、アバッキオならば早歩き程度で充分追い付ける。
 切り落とした腕に大きな布――どう見ても派手な柄のバスタオルだが――を隠すべく巻き付けながら走っているから足元がふらつき速度が出ないのだろうか。
 完全に包みきってしまえば、まさか腕を抱えているとは誰も思うまい。
 しかしリアルな再生なので布の下部には血がじわじわと滲みポタリと1滴アスファルトに落ちた。
 気にしていないのか気付いていないのか鈍臭い男は駅に向かうと見せて構内には入らず右に曲がる。
 踏切で線路を越えて住宅街へ。フィレンツェらしい小洒落た街並みで、急ぎ足で通過してしまうのは惜しいがのんびりしてはいられない。
「くそっ、ムーディー・ブルース! 1.5倍速だ!」
 カシャンと音を立ててスタンドは一瞬だけ動きを止め、すぐに再び走り出した。
 今度はアバッキオの言葉通り1.5倍速、彼が必死に走って漸く追い付ける速さ。油断していたら見失ってしまう。一般市民からすれば長物を抱えてちんたら走っていた男よりも、いきなり全力疾走し出したアバッキオの方がより不審者だろう。
 不意にスタンドの化けた男が速度を落とした。1.5倍だというのにうっかり追い抜きかけてから、男が服のポケットをまさぐっている事に気付いた。布に包んだ腕を左手のみで不器用に持ち、右手には鍵を1つ持つ。
 家の鍵か? となるとここが、奴の家か。
 4階建ての、しかし1、2階と3、4階が1室になっているアパート。立派な作りだが築年数はかなり経っていそうなそこの中に入ると男はエレベータへ乗り込んだ。
 スタンドは再現しているだけなので実際にはエレベータは3階に停止したまま。男の体だけがドアをすり抜け上がってゆく。
「3階か」
 エレベータがどの位の速さで昇降しているのかがわからないのでもどかしくて、アバッキオはエレベータ隣の非常階段を足音煩く駆け上がった。
 必死に走って階段を上って、ましてやスタンドを再生させながら。こんなに体力と精神力を使うのはどれ位振りだろう。
 今右手に持つ武器がリボルバーではなくベレッタだった頃以来だろうか。あの時は未だ若く、今以上にがむしゃらだったし疲れも知らなかった。たった数年なのに老いたものだ。
 上りきりドアの前に立ち、ぜぇぜぇと息を荒くしながらムーディー・ブルースを解除し、粗末なインターホンを鳴らす。
――ポーン……
 間の抜けた音を1度だけ耳にして待つ事数秒、男の声で「はい」と聞こえてドアが開いた。
「あれ? えっと……どなた?」
 出てきたのはムーディー・ブルースがその姿に変わっていた男。顔も声も違うが、背の高さや髪型はやはりブチャラティによく似ている。
「警察だ」出鱈目を吐いて拳銃を額に押し付け「腕を返せ」
「なっ……」
 とぼけようと思ったのか男は一瞬わざとらしい笑顔を見せ、しかしその顔を引きつらせた。
「……な、何の事、ですか?」
 声が上擦っている。警察に銃を突き付けられたからか、やましい所が有るからか。
「お前が今朝腕を切り落としてここまで運んできた事はわかっている」
「何で……」
「何ではこっちの台詞だ。何でそんな事をした」
 理由を聞いている暇等無いのに。男は1歩後退り――それでも充分拳銃の射程距離内だが――ぶるぶると首を左右に振る。
「これには理由(わけ)が……聞いてくれ、彼女にまた会えるかもしれないんだ!」
「彼女にまた会える?」
 復唱したアバッキオは眉間に深い皺を刻む。
「一昨年の暮れに……死んだ彼女に」
 時間は無いが聞いておかなくてはならない気がして右手を下ろした。
 逃げる為の適当な嘘ではないらしく男は辛そうな表情で口を開く。
「交通事故だった。不運なだけだった。彼女は何も悪くないし、彼女を轢いた運転手も法が裁いてくれている。だけど……だけど、酷い事故だったんだ」
「矛盾してるぜ」
「死に顔を見られなかった! 歯形じゃあ身元を確認出来ない位に顔が原形を留めていなかった……俺の贈った指輪を嵌めた手が辛うじて残っていたから彼女だとわかった……棺に花を入れられなかった、最初から……閉じていた……俺にも親にも友達にも顔を見せないように……」
 確かにそれは酷い話だ。
「俺の友達が……いや友達って程じゃあないな。知人が、最近変な奴と知り合った。俺は会った事が無いから変な奴って言うのはちょっと可笑しいかもしれないんだが、そいつは『対象を12時間、2年前の姿にする事が出来る』んだ」
 下ろしているが拳銃を握ったままの手が汗ばんだ。
 それは先程、ジョルノが言ってはいなかったか。
 ジョルノがあの可笑しな姿をしているのは、確かそんなスタンド能力の所為ではなかったか。
「彼女に会いたい……生き返らせるなんて大それた事じゃあなくてもいい。2年前の綺麗な顔に、せめて会いたいんだ」
「それとミスタの腕と何の関係が有る」
 男は躊躇いを見せた。それはミスタという人名を出したからではなく。
「……その知人が、ちょっとカルトな宗教に入っているんだ。2年前に戻せる奴と話を付けてほしいなら『左手を黒髪の子供と繋いでいる男の右手』を持ってこいと言われた」
「何だって?」
「仕事終わりに毎日探したけどそんな奴は見付からなかった。夜だからだ。だから休みの今日、朝起きてすぐに外に出て……そうしたら見付けたんだ。若い男だったからそいつの子供じゃあないとは思うけど、でも黒い髪の子供の手を引っ張ってて……条件は多分合っているから、手を繋いでいるから、離す前に……」
「ふざけるなッ!!」
 バンと乾いた銃声。手を真上に掲げている。発砲していた。アパートのせり出た屋根に穴が開いている。
「悪かった! でもこうするしかあいつに会えないんだ!」
 そんな筈が無い。ミスタがふざけて言うだけでジョルノが2年前の姿にされているのだから、カルト宗教の狂信者を介さねばすぐにでもやってくれるだろう。
 阿呆な言葉を信じて傷害事件を起こすのではなく、そのスタンド使いを探せば良いだけだ。何故そこまで頭を回せないのか。
「可哀想だな、テメーの彼女とやらが」
「そうなんだよ、顔が見られない位に――」
「今はそんな話してねぇ。恋人が2年後にここまでのクズに成り下がってて可哀想だって言っているんだ」
 男が肩を強張らせて幅息を飲んだ。
「死んだ人間は生き返られない。何でそこはわかってんのに、顔だけでもって話になるんだ。テメーに墓を掘り起こせるのか? 会いたいなら今俺がここでぶっ殺してやる。早く最期にやり残しの無いようにしたい事をしろ。例えば大切な奴への伝言なんかをな」
 デスマスクとしてでも彼の未来を繋ぐような――一体何の例えだ? まるで『その人物』が死ぬ間際、愛する者や仲間の為に全力を賭したかのような。
 それよりもずっと目の前の男に伝わる例えが有るというのに。
「顔面が潰れても好きな奴から貰った指輪を守る体勢を取るのだって有りだ」
「あ……」
 ぶつかれば確実に命を落とすであろう巨大な車が差し迫った時に、それだけでも守ろうとするとは余程大切だったのだろう。その指輪が。あるいは指輪の送り主が。
 それだけ愛した男が自分と会う為に他人を傷付けるような人間だと知ったら。
「……俺、どうすれば良いんですか……お巡りさん……」
「先ず腕を返せ。タオルに包んだままで良い。いや、切断面に氷を当てておいた方が良いか。その次にカルトにハマっている奴と縁を切れ」
 どんな神を信仰しようと付き合いを変えない、というのは己の信仰を見誤らない人間だけが考えるべきだ。
「後は彼女の墓参りにでも行っとけ」
 その言葉に男は見てわかる程がくりと肩を落とした。しかしそれは悲しみ嘆いているのではなく、寧ろ憑き物が抜け落ちて安堵すらしているような。
 待っていてくれと小声で独り言のように呟いた男が室内に入っていった。
 すぐに戻ってきた。ムーディー・ブルースの再現でしか見た事の無かった、大きな布に包まれた腕を1本胸に抱いて。
「俺……取り返しの付かない事をした……」
「取り返しは未だ付く。今回に限ってだから2度とすんな」
 どういう事だと言いたげな男から腕を奪い取る。
 ずしとした感触にまた、先程よりは浅いが眉間に皺が寄った。腕の1本がこんなに重たい物だとは思わなかった。

 少しでも急いで戻るべく、行き先が決まっているのでタクシーを拾った。
 腕1本という長物を抱えているのだから運転手は当然不審者を見る目を向けてきたが、こちらは客だとチップを弾んで誤魔化した。ナランチャが今回の任務の費用を入れておいた財布を持って行ってしまったので完全に自腹だ。
 レンタカーのガソリン代を考えるとローマに戻るには金が足りないのでは、と思いながらサンタ・マリア・ノヴェッラ教会でタクシーを降り、2人が隠れている雑木林の中へと入る。
 木々や長い草を掻き分けて、しかし大して進む事無く2人と落ち合えた。
「よう、アバッキオ」
 ミスタがすっかり元通りの右手をひらひらと振ってくる。
「随分と遅かったですね」
 ジョルノもいつも通りの背の高さ、髪の色や長さで、いつも通りのクールぶった態度。
「テメーら……」
「ジョルノが元に戻ったからよォ、腕治してもらったんだが……この袖はどうしようもねーな」
 血に濡れた右の袖口を見てミスタは溜め息を吐いた。
「……どうやって戻ったんだ?」
「12時間経ったら何もしなくても戻りました」
「もっと早く13歳になったんだと思ってたから朝は焦ったぜ」
「スタンドを使われたのは結構飲んだ後でしたね」
「ホテルに帰ってからも飲んだわりには早起きしてたな、俺達」
 呑気に喋る2人の脳天を殴り飛ばしたい衝動を抑え。
「腕は――」
「この辺の樹にでもしちまうか。腕が落ちてたらヤベーし」
「クロッカスはどうですか? 今の時期の花だし、可愛らしいですよ」
 それはこんな所に咲く花なのだろうかと聞けないまま布に包まれた腕をジョルノに渡す。
 開くと現れる切り口の生々しい人間の腕に覗き込んだミスタが「うわ」と漏らした。
 屈んだジョルノが腕を地に置き、スタンドで花に変えている間に。
「ミスタ、そもそもお前ら何でこんな所に居るんだ?」
「腕無くなったばっかの奴が教会前フラフラしてたら色んな意味で駄目だから」
「いやだからそもそも、何で教会なんかに来てんだよ」
 毎週日曜ミサに顔を出す程信心深くは見えないし、今日は日曜日ですらない。
「ああ、それな。ブチャラティがジョルノが元に戻るまで調査は置いて休んでて良いって言うから、美術館ばりの内装になってるらしい教会見てみようぜって話した。駅近いし。レンタカー1回返してるからな」
「わざわざ早朝から来た意味は? テメーら教会開く前から来ていたクチだろ」
「今年からここ入場料取るようになったんだよ。従業員っつーの? 教会だから神父? 誰か来る前に忍び込んで見ようぜって」
「何無銭利用謀ってんだ馬鹿」
「あ、銃返してくれ」
 隠すべく下着の腹部分に差し込んでおいた拳銃を取り出して渡す。
 予想はしていたがあからさまに嫌そうな顔をされた。
「あれお前1発撃った? まあいいけど――いや良くねぇな。マグナム弾今高ぇんだよ、店のオヤジ足元見てきやがってさ。昨日の飲み代経費で落ちなかったらどうしよー困るわー」
 衝動抑えず殴り飛ばしても許されるのではなかろうか。
「アバッキオ」ジョルノは立ち上がり「ローマに戻りますか? それとも向こうはナランチャに任せてきたんですか?」
 そういえばナランチャの事を一切話していなかった。話そうにも何をしにどこへ行ったかはわからないが。
 ブチャラティから連絡が無いのはナランチャが未だ見付かりもしていないからだろう。何せ手掛かりの1つも無い。
「……こっちのリスト手伝ってやる。終わらせてからローマへ戻る」
「じゃあお願いします」
 フィレンツェに残るよう誘導されたのか、ジョルノは用意していたと思われる素早さで紙切れの束を渡してくる。
「おい、全部やらせるつもりか」
「僕達は件のジャズピアニストを探しに行きますので」
「便利そうな能力だからな。それにどうやって身に付けたか聞くの忘れてた。会えたらリストの続きやるから、それまで頼むわ」
 仕事を押し付けて別行動をしようという考えか。こちらもお前達と共に行動して堪るかと言いたいが、どんな言葉で取り繕おうと負け惜しみに聞こえてしまう。
 2人は短く言い残しては手こそ繋がないもののは並んで遠ざかっていった。殴る蹴るでは済まない位に鬱憤が溜まってしまった。今日は何と最悪の日だろう。手元の紙束を睨み付けた。
 ジョルノと2人で分担した為にちぐはぐなローマの資料とは比べ物にならない位に見易くリスト化されているし、そこに几帳面そうな文字で色々と書き加えられてもいる。
 果たしてこれは誰の文字だろう。ブチャラティの文字ではない。ブチャラティの文字は最後の1枚の右下に矢印と共に書かれている物だけだ。
 見慣れない人名と宗教名が並んで印字されており、そこに矢印で繋ぎ記された手書き文字は。
『アバッキオには不向き、フィレンツェには別の奴を』
「……そうか」
 気遣ってくれているのか。他人との相性の良し悪しを考えてくれているのか。
 自分の事を想ってくれているのか。
 ならばやがて訪れる命の燃え尽きる瞬間に、それがいつであれ全てを捧げる相手は彼でしかない。


2018,09,10


関連作品:君の世界から僕が消えても(利鳴作)


利鳴ちゃんの作品『君の世界から僕が消えても』のサイドストーリーを三次創作してしまいました。
アバッキオがちゃんとナランチャの事心配してたから格好良いじゃん!と思いまして。
なので裏で大事件に巻き込まれるも大活躍したら良いなぁと…思ってた筈が何か可哀想な事になって終わった。
あとフィレンツェ派遣の2人はもう少し働け。こいつら絶対この後快気祝いと称して飲みに行くだろ。
<雪架>

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