フーナラ アバブチャ要素少々 全年齢


  Your Key


 書類を納めた引き出しを閉める音と、アジト――通称『事務所』――のドアを開ける音は、偶然にも完全に重なって響いた。それ故に、ブローノ・ブチャラティは部下のひとりがそこに現れたことに一瞬気付かなかった。
「ブチャラティ、帰っていたんですね」
 心なしか安堵したような声に視線を上げると、そこにいたのはパンナコッタ・フーゴだった。声から受けたのと同じ印象を、その表情からも感じた。ほんの1、2時間打ち合わせに出ていただけだというのに、そんな顔をされる心当たりは思い付かない。
「ついさっき戻ったところだ。何かあったか?」
「いえ、大したことでは……」
 フーゴは、それが緊急の事態ではないことを示すようにゆっくりとした足取りで――それだというのにどこか落ち着かない様子で――近付いてきた。
「これを」
 そう言って彼が差し出したのは、一本の真新しい鍵だった。
「……鍵?」
 どこの物だろう。見覚えのない鍵だ。
「部屋の鍵を新しくしたので、何かあった時のために合鍵を渡しておこうと思って」
「ああ……」
 そうしろと命令したことはないのだが、彼のチームのメンバーは、何故かそれが義務であるかのように自分の部屋の合鍵をリーダーであるブチャラティに預けている。未成年者達は入居の際にブチャラティが名義を貸してやった形になっているので、何かあった時には彼が動く必要があることを考えるとそれはおかしなことではないのかも知れないが、成人済みのメンバーもそうしているのだからよく分からない。が、普段からそれを持ち歩くことはせず、“非常時”がやってこない限りは机の引き出しの奥へとしまって――早い話が放置して――おくことにしてからは、1本あろうと2本あろうと大きな差はない。預けたいのであればそうすれば良いと、意識の片隅に置くことすらほとんどしなくなっていた――フーゴの意図が咄嗟に分からなかったのもそのためだ――。しかしフーゴは、その“風習”を続けるつもりでいるらしい――もしかしたら、「リーダーに合鍵を預けておくように」と彼が後輩達に指示をしているのだろうか――。
 フーゴがチームに入って――というよりも、むしろ彼がやってきたことによってようやく“チーム”が出来たのだが、それは無関係なので置いておこう――今の部屋を宛がわれた時も、彼は誰に指示されるでもなく自分からそれを差し出したのではなかったか。少しでも早く“壁”がなくなればと思って「渡したい相手がいるならそうしてもいいんだぞ」と精一杯冗談めかしたブチャラティに、冷ややかとでも言いたくなるような表情を見せながら、「そんな相手、いるはずがない」と返して。
 あの――14歳にして表の世界からの退場を決意した――頃と比べると、フーゴはずいぶんと変わった。安らぎ等どこにもないと諦めたような様子は、ある時期以降微塵も見られなくなっている。今ブチャラティが同じ冗談を口にすれば、きっと全く違ったリアクションを見せるのだろう。
 過去の再現というよりは“やり直し”のように差し出された新しい鍵を、ブチャラティもまた当時とは全く違う気持ちで受け取った。気の所為か――あるいはずっと握り締めてでもいて体温が移ったのか――、硬い金属で出来ているはずのそれは、わずかに温もりを持っているように感じた。
(しかし……)
 ブチャラティはわずかに首を傾げる。事務所に入ってきた時にフーゴが見せたあの表情――安堵したようなそれ――は、いったいなんだったのだろう。この鍵を早く渡してしまいたくて、やきもきしていたとでもいうのか。
(それほど重要なことには思えないが……)
 フーゴにとっては違うのだろうか。
 とりあえず、フーゴが満足したというならそれでいい。そう思ったにも拘わらず、
「鍵を換えたのか。何か不具合でも?」
 何気なくしたその質問に、向けられた表情はわずかに引き攣った。
「いえ……」
 彼はわずかに口籠もった――そのうえ視線まで逸らした――。ブチャラティは改めて――フーゴの顔を覗き込むように――首を傾げる。
「前のは、失くしてしまって……」
 逃れられぬと思ったのか、あるいは元来の真面目な性格の所為か、フーゴは沈黙を回答にしたり、はぐらかすようなことはしなかった。が、ブチャラティは直感的に、「嘘を吐いている」と思った。フーゴはそういう物の管理はきちっとしている方だ。それでも彼は指摘するようなことは言わずに、「珍しいな」とだけ返した。視線を外すことはしないまま。
「実は……その……」
 後ろめたさを感じたのか、再び口籠もりながらもフーゴは言う。
「失くしたというか、失くされたというか……」
「失くされた? 誰に?」
 その質問に、フーゴはたっぷり7秒は沈黙した後に答えた。その7秒間で、ブチャラティは先程の疑問の答えに気付いた。フーゴの様子がどこかおかしいように感じたのは、その「誰に」を聞かれたくなかったためだったのだ、と。
「な、ナランチャ……、に……」
 『安らぎ等どこにもないと諦めたような様子』を見せなくなる少し前のタイミングで出会った少年の名を口にしながら、フーゴは頬を赤らめた。
「探したんですけど、結局見付からなくて……。それで鍵を交換することに……」
 弁解めいた口調で言うフーゴに、ブチャラティは無意識の内に表情を緩めていた。なんとも微笑ましいではないか。フーゴが……、現在と過去に限定せず「未来永劫」とでも言いたげな刺々しい口調で「合鍵を渡したいと思うような相手はない」と言った、あのフーゴが!
「“あの”フーゴがなぁ。うんうん、成長したなぁ」
「ちょっ、やめてください」
 「あんたは親か」とでも突っ込まれるかと思ったが、フーゴの口からその言葉は出てこなかった。そのイメージは、彼の中にある“親像”とは掛け離れたものなのかも知れない。だがその表情が不快そうに歪むことはなく、彼はただ赤面している。
「お前からもらってほしいと言ったのか? それとも、ナランチャの方から『くれ』、と?」
 フーゴが部屋の鍵を預かってその存在を保護するべき存在だとするならば、ナランチャ・ギルガもまた立派にブチャラティの被保護者であると言えるだろう。彼等が――もちろん他の部下達もだが――自身の望む幸せを得られるかどうかは、気にするなという方が難しい。
 どちらもありそうだと思いながらの質問に、消え入りそうな声が「勘弁してください」と返した。
「鍵の付け替えは、もう済んでいると言ったな?」
「はい」
「今度は失くさないんだろうな」
 当然今度も渡しているんだろうという前提で尋ねてみた――それが当たっているなら、今回はナランチャに渡す用とブチャラティに預ける用、わざわざ2本の合鍵を作ったことになる――。
「ええ、落としたら音で分かるように、キーホルダーを、付け……て……」
 途中で『前提』に気付いたようだ。フーゴは再び真っ赤になる。元々肌の色が濃い方ではないので、余計に赤く見える。
(まるで苺だな)
 自分の発想がおかしくて、ブチャラティはくすくすと笑った。
 しかしこれ以上いじめると、そろそろ本当に嫌われかねない。せっかく開いてくれた心を再び閉ざされてしまうのは彼の望むところではない。ブチャラティは話の終了を告げるように机の引き出しを開けた。「お前には預けておけない」と言われる前に、受け取ったばかりの鍵をしまっておくことにしよう。
「それじゃあ、古い方の鍵は処分しておくか?」
「そうですね。もう不要ですから。混ざってもややこしい」
「確かに」
 頷きながら引き出しの奥に突っ込んである部下のひとりがくれた焼き菓子の空き缶を取り出す。中には数本の鍵が無造作に入れてある。がちゃがちゃと音を鳴らすその中から、不要になった1本を探す。
(不要になった1本……)
 色や形は覚えていない。だがおそらく一番古い物がそうだろう。他の者達が悪用される可能性を考えずに信頼してそれを渡してくれるようになった切っ掛けであるかも知れない、最初の1本……。
「……どれだ?」
 正直、どんな意味を孕んでいようと、よほど特徴がある物でもない限り、鍵なんてどれも同じように見えてしまう。他の人間はそうではないのだろうか。
 ブチャラティは缶の中の1本を摘まみ上げた。
「これか?」
「……違いますね。それはナランチャのでは?」
「そうか」
 フーゴにはナランチャの部屋の鍵が分かるんだなと思いながら、ブチャラティは次の鍵に手を伸ばす。
「これは……」
「比較的新しいようだからミスタのでしょうか。こっちは事務所のスペアですかね」
「これ……」
「どう見ても車のキーです」
「お前は鍵鑑定人か?」
「なんだそれはと言いたいところですが、意外と需要がありそうな職業ですね」
 だがフーゴの部屋の鍵らしき物は見当たらない。
「んんん?」
 ブチャラティはポケットに手を突っ込んだ。自分の部屋の鍵と、その他普段から使う用の鍵がひと纏めになっている物を取り出す。
「自宅……、事務所……」
「もう1本は?」
「これも違う」
「違うって、どこの鍵です? しまってあるのではなく、普段から持ち歩いて……?」
「それを聞くのはヤボってもんだ」
「……ああ、そういうこと……」
 納得したらしい。子供のくせに察しが良過ぎて少々可愛くない。その点は、出会ったばかりの頃からあまり変わっていないようだ。
「ジョルノのはないんですね」
「あいつは学生寮に住んでいるからな」
「なるほど」
 卒業してそこを出た後、彼の合鍵もここに置かれることになるのだろうか。あるいは、それは誰かの合鍵と同一である。なんて可能性も……?
「で、ぼくのは?」
 若干睨まれた。4つも年下の少年に。さらには盛大な溜め息を吐かれた。ブチャラティが結論を告げる前に、それを悟ったようだ。
「つまり、あんた“も”失くしたわけですね? いつからです。最後に見たのは」
「最後に……見たか?」
 ブチャラティにナランチャのことをどうこう言う資格はなさそうだ。このリーダーにしてあの部下あり。なんてことを言っている場合ではない。どっち道不要になったのだからいいじゃあないか。という話でもない。
「すまん」
 まさかとっくに紛失していたとは……。誰かに拾われていたらと考えると、我ながら不用心過ぎる。
(と言っても、正直ジッパーでどこでも入り放題なんだよな……)
 だからといって失くして良いということにはならない。
「今後は気を付ける」
「是非そうしてください」
 これでは立場が完全に逆だ。からかわれたこともあってか、フーゴは不機嫌そうである。
 最終的に、鍵の交換に掛かった費用を全額負担することと引き替えに、ブチャラティはフーゴからの信頼をなんとか繋ぎとめた――とめられた……はずだ。……たぶん――。発覚するタイミングが違っただけで、交換の理由――原因――は、ナランチャではなくてブチャラティであった可能性もあるのだ。費用の負担程度のこと、異論を唱えるつもりは毛頭ない――むしろそれだけのことで済むなら破格である――。
 だが、
(ナランチャ……)
 彼は心の中で祈った。
(今度は、絶対失くさないでくれ……)
 鍵を3つも紛失されたとあっては、きっとフーゴは今度こそぶちキレるだろうから。


2019,09,10


関連作品:My Key(雪架作)


ブチャラティもキーホルダー付けなはれ。
「ブチャラティが他の男と合鍵の交換をしている!?」ってアバッキオが勝手な勘違いをするのは、また別のお話(笑)。
<利鳴>

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