ディオジョナ 全年齢 幼児化

関連作品:Little Star 1


  Little Sibling


 自分の名を呼ぶ声に、ディオは目を覚ました。誰かに抱きかかえられているようだと気付くのよりも先に、彼は「天井が妙に高いな」と思った。
(なんだ……?)
 その答えはすぐに分かった。彼はベッドの上ではなく、床に倒れるようにして眠ってしまっていたようだ。
(なんだってそんなことに……?)
 ディオは眠る前のことを思い出そうとした。が、頭の中に靄がかかっているかのように、浮かぶ映像はどれも不鮮明だ。だが、夢を見ていたような気はする。その内容はやはり思い出せないが。
「ディオ」
 再び聞こえた声に、ディオは視線を動かす。すぐ間近から覗き込む笑顔が、そこにあった。それを――まだ焦点が定まりきらずにぼんやりとしたままの視界で――見て、彼が最初に思い浮かべたのは、母の顔だった――先程まで見ていたのも、もしかしたら母が存命だった頃の夢だったのだろうか――。柔らかな表情は、少し似ている気がしないでもない。だがそこにいるのは、彼女ではない。その顔は男の顔だ。かと言って父でもない。あの男が優しげな微笑を湛えていたことなんて、一度もない。
 2度、3度と瞬きを繰り返すと、ようやくそこにある光景がはっきりと見えてくるようになった。“いかにも”貴族の屋敷といった風な内装の部屋。彼が身に纏っている衣服も、サイズがまるで合っていないが、その肌触りはすべらかで、高級な物なのだろうとの予想は誰にでも容易だ。彼が生まれ育った環境とは似ても似つかぬ物しか、そこにはなかった。空気でさえどこかすまして気取っているかのようだ。
 そして、真っ直ぐ向けられた、2つの藍い瞳。
「ディオ、小さくなったね。大丈夫、ぼくがついててあげるからね。何も心配する必要はないよ」
 ディオの思考が追い付くのも待たずに、その男は言葉を――勝手に――続けた。
「どこか痛くないかい? 頭を打ったりしていないといいんだけど……。まだ無理に動かなくていいからね。もうしばらくじっとしていた方がいいかも。それにしても、不思議だな。見たところ“ぼくの時”と同じみたいだけど……。もしかして、“感染”? 例えば、病原菌やウイルスのようなものが……。古代にはぼく達の想像も及ばないような文明が栄えていたんじゃあないかとは思っていたけど、まさかそんな物を作り出す技術まで持っていたなんて……」
「おい」
「まさか、彼等は老いを支配することまで出来た……? だとすると――」
「おいっ!!」
 ディオが声を上げると、一瞬、きょとんとした目が向けられた。
 大きな手に押えられて、ディオは身動きを取ることが出来なかった。そうでなければ、こんな場所……ジョナサン・ジョースターの腕の中になんかは、1秒だっていたくもない。
「いいかげんにはなせ!」
「あ……、ああ、ごめん。えっと、裾、踏まないように気を付けて」
 ふんっと顔を背けながら、ディオはジョナサンの腕から逃れ出た。たったそれだけの動作だというのに、指摘された通り、長過ぎる裾の所為で、ひどく動き難い。
「えーっと、ディオ……?」
 ジョナサンは首を傾げるような仕草をした。
「なんだ」
「もしかして、“中身”はそのまんま?」
 肉体が魂の器であるとするならば、確かに精神の方はそのような呼び方も可能かも知れない――だがまるで物扱いをされているようにも思えて良い気はしない――。ディオの肉体は、子供頃のそれに戻ってしまっていた。自分の全身――と顔――を見ることは出来ないが、彼はおそらく4歳から5歳くらいの年齢になってしまったと推測することが出来た。それには理由がある。つい昨日、同じように子供――推定4、5歳――に戻ってしまった者がいた。それが、ジョナサン・ジョースターだった。どのような原理でそんなことが起こったのか、また、どうして元に戻ったのか、それ等は何ひとつ明らかになってはいない。だがディオにとっては、面倒ごとがなくなったのであれば、それで良かった。だというのに。
(“次”はこのディオが、だと……!?)
 ジョナサンが独り言のように呟いた通り、これは病のようなもので、ディオにうつってしまったのだろうか。
(くそっ、迷惑な……ッ)
 だが2人に起きた“変化”には、大きな違いがあった。ジョナサンは精神――『記憶』と言い換えることも可能だろう――も含めて、完全に――ただの無知で無力な――子供になっていたのに対し、ディオは見た目だけが変わってしまっているようだ。劣悪な環境で育った幼少期のことも、このジョースター邸にやってきた日のことも、そこで過ごした数年間のことも、そして血の繋がらぬ義兄のことも、全て覚えている。
 ジョナサンもそのことにはすでに気付き、先程からしきりに首を傾げている。
「ぼくの時と全く同じというわけではないみたいだね。となると原因は別にあるんだろうか……。それとも、一度人体に感染したウイルスが変異したとか……」
 口元に拳を当てて考え込む仕草を見せるジョナサンは、真面目な表情をしてはいるが、どこか楽しげであるようにも見えた――未知に触れた時の研究者とは、皆そうなのかも知れない――。それがディオには面白くなかった。
「きさまがおかしなけんきゅうなんぞするから、こんなわけのわからんめにあうんだぞ!」
 食って掛ったつもりだったが、その声は妙に高く、しかも舌が上手く廻らず、滑稽なほどたどたどしい口調になってしまった――そういえば、子供に戻ってしまった時のジョナサンも、舌足らずな喋り方しか出来ないようだった――。お陰でディオの怒りはいまいちジョナサンに伝わりきらなかったようだ。
「うん、研究をもっと進めれば、この現象の説明が出来るようになるかも知れないね」
「そんなはなしはしていないっ」
 いい加減にしろと言いながら胸倉に掴みかかってやりたいところだが、この体格ではあっさり逃れられてしまうだろう。それどころか、足に裾が絡まって、危うく転倒しそうになった。
「大丈夫? その格好では危ないな。ぼくの子供の頃の服があるから、とりあえずそれを着るといいよ」
「いやだ」
 きっぱりと断ると、ジョナサンは子供のワガママに手を焼く大人のような顔をした。今の状態では完全にその通りでしかないのが屈辱的である。
「でも、動き難いだろう?」
 それは確かである。
「今取ってきてあげるから、ここで待ってて」
 言うや否や、ジョナサンはぱっと立ち上がり、さっさとディオの部屋を出て行った。今の内に逃げてしまいたいところではあるが、一体どこへ逃げれば良いというのか。こんな体で、何が出来る。この屋敷を出るまでの間に何度転ぶかも分からないような状態だ――それとも、階段から落ちてそこで“終わり”だろうか――。
 寝起きの所為か、それともこの“若返り”が思考能力にも影響を与えているのか、何をすべきなのかが全く浮かばない――そもそも浮かぶべき“正解”はあるのだろうか――。そうこうしている間に、部屋のドアが開いてジョナサンが戻ってきた。ディオは「もうどうにでもしろ」と思った。
「お待たせ、ディオ。靴のサイズが合うといいんだけど……。今着させてあげるね」
 そう言うなり、ジョナサンは大きな手を差し伸べ、ディオの寝間着を脱がせようとした。
「いらん!」
 ディオはその手を払い除けた……つもりだったが、実際には力が弱すぎて、ぺちりと情けない音が鳴っただけだった。
「そのくらいじぶんでやるわ!」
「出来る? 大丈夫?」
 完全に子供扱いされている。
 ディオはジョナサンの手からサイズの小さいシャツを奪い取った。
 人が着替えをしているのをじっと見ているのは流石に無作法だと思ったのか、ジョナサンは「終わったら呼んでね」と言って部屋を出た。が、ドアの向こうに待機している気配はある。本当に待っているつもりらしい。この部屋に他の出入り口があれば、さっさとそこから出ていって、ジョナサンには待ち惚けを食わせてやるところだ。
 数分後にジョナサンがひとつしかないドアをわずかに開けて、「どう? 出来た?」と尋ねてきた時、ディオはようやく2つ目のボタンをかけ終えたところだった。
「なぜだッ」
 たかがシャツのボタン。ただのボタン。だというのに、小さくなったディオの手は、たったそれだけの物を制することさえ容易にはいかなかった。つるりとしたその物体は、何度でもディオの手から逃れようとする。
「ディオって、小さい頃は不器用だったの?」
 意外なものを見たというような目で、ジョナサンが言う。
「ばかにするな!」
「違う? それじゃあ、ディオの意識が今の体型に追いついていないんじゃあないかな。たぶん」
「どういうことだ」
「君はまだ自分が大人のつもりで動こうとしているんじゃあないかい? 腕の長さ、指の長さはこのくらい、という感覚が残っている。でも、実際にはもっと小さい。そのギャップの所為で、上手く動けないんじゃあないかな。『馴染んでいない』とでも言うか……」
 また妙なところで分析力を発揮している。考古学者というのは誰もがこうなのだろうか。
「と、いうわけで、やっぱり手伝ってあげるよ」
「いらんっ」
 ディオはぷいっと顔を背けた。端から見る者があれば、子供が駄々を捏ねているようにしか見えなかっただろう。
「少しは人を頼ったらいいのに。変わらないなぁ」
「なんだと?」
 ジョナサンは肩をすくめるような仕草をしながら息を吐いた。彼は「前から思っていたんだけど」と前置きをしてから話し出した。
「君は普段から、人に弱みを見せまいとしていない?」
 真っ直ぐに向けられた目が、その言葉を否定しても無駄だと語っていた。
「たまには誰かに助けを求めてもいいと思うんだ」
 ディオがこのジョースター邸に身を置いているのは、彼がその助力を必要としたからではない。本当ならひとりででも充分生きていけるが、あえて利用しているに過ぎない。他人に助けを請うたことなんて、一度もない――少なくとも、ディオはそのつもりで今日まで生きてきた――。そもそも見せるべき弱み等存在しない。その点では、ジョナサンの発言は当たっている。
「君は、強さで人を動かすものだと思っているだろう? でも、弱さを受け入れて、手を差し伸べてくれるような人だっていると思うんだ」
 だから無力であることを認めろと言うのか。そしてこの男の情けを享受しろと言いたいのか。
(そんなことは、このディオのプライドが許すものか!)
 ディオは改めて顔を背けた。
「そんなものはいらない」
「ディオ……」
「つよくあれば、ひとのうえにたてる。そうすればひとをうごかすことができる。じゃくしゃとは、きょうしゃにつかわれるそんざいだ」
 ディオが目指すのは頂点だ。全ての者を動かすことが出来る存在。不測の事態をも、強さで乗り越えてやる。
「でていけ、ジョジョ。きがえはしようにんをよぶ」
「でも、君が小さくなっていることは、他の人には知られない方がいいんじゃあない?」
 ジョナサンは妙にのほほんとした様子で首を傾げながら言った。
(こいつ、自分の意見が否定されて突き放されているのが理解出来ていないのか!?)
 まさかそこまでアホだったとは。それとも聞いて――聞こえて――いなかった、なんて言うつもりではないだろうな。
 睨み付けてやったのに、ジョナサンは全く気付いていないようだ。
「ディオはぼくが小さくなった時に、皆から隠していただろう? 人には見られない方がいいんじゃあないかな。何も知らない人が見たら、驚かせてしまうよ」
「それは……」
 ディオは口篭った。まさか子供に戻ったジョナサンを使用人達に見られまいとしていたのは、誰にも悟られずに彼を亡き者にしようとしていたからだなんて、言えるはずもない。
「ぼくと同じように時間が経てば元に戻るかも知れないから、少し様子を見てみようよ」
 確かに、騒がれるのは面白くはない。しばらくは部屋で大人しくしているのが得策だろう――ジョナサンの言うことに従う形になるのは些か不満だが――。
「と、いうことで、ボタン、とめてあげるよ」
 ジョナサンが「おいでおいで」と手招きした。
「きさまぁ! このディオをこどもあつかいするなっ!!」
「ああっ、ご、ごめんっ、つい……!」
 あとになって思えば、よくこれだけ騒いで誰も来なかったものだ。まだ朝の早い時間であったことが幸運だったのだろう。
 そして数分後、ディオは思い出した。子供というのは、本人が自覚している以上に弱く、無力な生き物であるということを。すなわち、結局――たっぷり5分は奮闘した後に――残りのボタンは全てジョナサンにかけてもら……いや、かけさせてやった。そう思うことが、彼のせめてもの意地だった。

 ディオが適当に吐いた嘘で大学に泊り込んでいるということになっていたジョナサンは、「忘れ物をしちゃって」等と言って使用人達を誤魔化したようだ。そしてさらに「今はディオが手伝いに行ってくれているんだ」と新たな嘘を吐いたらしい。昨夜までいなかったはずのジョナサンが翌朝には戻ってきていて、昨夜までいたはずのディオが翌朝には食事も取らずに、誰にも姿を見せずにすでに外出したというおかしな話を、疑った者は不思議といなかったようだ。この家は跡取り息子のみならず、使用人達までもが間抜けなのかとディオは溜め息を吐く。あるいはジョナサンの人望の賜物か。どちらにしてもくだらない。
 3割程度は自分の力で――つまり残り7割はジョナサンの助力をしぶしぶ受けて――着替えた服で、ジョナサンがこっそり――あの体格でどうやったら「こっそり」なんて出来るのだろうか――持ってきたパン――それも一度は拒んだが、プライドでは腹が膨れないこともすぐに思い出した――を食べ終えたディオは、何もすることがなく、出来ることもなく、椅子に座ると床に届かなくなる己の足の先をただぼんやりと見ていた。
 もし、このまま元に戻ることが出来なかったとしたら……。すでに置かれた状況はジョナサンの時のそれとは違ってしまっている。彼と同じようにただ時間が過ぎるのを待っていれば良いと、どうして言い切れるだろう。あと少しでこの家の財産を自分のものに出来るというところまできたのに。また何年もやり直さなければならないというのか。
 細い手足を見ていると、ひどく惨めな気分になってきた。それに、ディオのベッドに腰掛けているジョナサンの視線も気に入らない。
 貧しい育ちで、満足に食べられていないのかも知れない。初めて会った時は手足が出ない服を着ていたが、意図的にその体格を隠していたのだとしたら……。その上両親も失って、こんなに小さい内から苦労を強いられて、可哀想に……。
(とか考えているんだろうジョジョ! どうでもいいことだが、“この”年齢の時はまだ親は存命だったぞ! この屋敷に来たのはもっと成長してからだ! 勝手に混同するな! そもそも、このディオに情けを向ける等、許さん……ッ!!)
 ディオはぴょんと椅子から飛び降りた。
「ディオ? どうしたの? トイレ?」
「うるさいっ! こどもあつかいするな!!」
 甲高い声で叫びながら、ディオはジョナサンが腰掛けているベッドによじ登った。何事かと眺めているジョナサンの上体を、彼はどんと押した。
「ディオっ?」
「おまえなんかっ」
 何をするつもりだったのかは、自分でも良く分からない。ただ自分の方が“上”なのだということを分からせたかった。ディオはジョナサンを押し倒して、押え付けようとした。が、細い腕ではどれだけ力を加えても、巨大とも呼べるその体と動かすことは出来なかった。
「ディオ? どうしたの? なんの遊び?」
 ジョナサンは呑気な顔で首を傾げた。
「なんでもない……」
 それ以上続けていると目から液体が出てきそうな気がしたので、やめた。

 不貞腐れたディオは、いつの間にかベッドの隅に蹲るように眠っていたようだ。目を覚ますと同時に、大きな手が髪をすいている感触に気付いた。がばっと起き上がると、慌てた様子のジョナサンがいた。
「あ、その、ごめん。綺麗な髪だなと思って、つい……」
 緩やかなカーブを描くディオの髪は、少し自分で触れてみただけでも心地良い感触をその指先に伝えてきた。それは、子供の髪特有の手触りだ。細く、柔らかい。実際に子供だった時、それを褒めた大人は何人もいた。「子供の髪って本当に綺麗ね」、「ああ、ディオの髪は特に綺麗だ」。ディオにとってそれは、お前はまだ何も出来ないちっぽけで無力な存在なんだと言われているのと同意だった。
(くそっ……)
 ベッドから降りたディオは、ドアへと向った。
「あ、ディオ? どこへ行くの?」
 振り向いたディオは、ジョナサンを睨んだ。
「まさかトイレにまでついてくる、なんていうんじゃあないだろうな、ジョジョ」
 ジョナサンは2度3度と瞬きをすると、「ああ、そうか」と頷いた。「いってらっしゃい」と手を振る姿に背を向けて、ディオはばたんと音を立ててドアを閉めた。ジョナサンがついてこないことを確かめると、彼は書斎へと走った。
(もう我慢ならん!)
 “こう”なった原因は、ジョナサンが研究の資料と称して持ち帰った古代の品々の中にあるはずだ。ジョナサンとディオの症状に違いはあるが、そもそもの発端は同じと考えて良いだろう――さもなくば、人を子供にしてしまう等というとんでもない力がいくつも存在していることになってしまう。そんなこと、たまったものではない――。原因となった品がどれなのかは分からない。分かったところで元に戻るのにはどうすれば良いのかが簡単に明らかになるとも思えない。それでもディオは、じっとしていられなかった。解決策が見出せないのであれば、それでも良い。その場合は腹いせに怪しげなアイテムの1つや2つは破壊してやろう。
 このジョースター邸に来たばかりの頃、ディオは自分の欠点は怒りに駆られ易いところだと自覚していた。体が縮んで、あの頃の性格に戻ってしまったのだろうか。彼は重たい書斎のドアを、全身の力を込めて乱暴に開いた。
 ジョナサンの肉体が子供に戻った時に彼が広げていた出土品や文献の類は、ディオが適当に棚に突っ込んでいた。今のディオではそこに手が届かない。
(くそっ、背が高いからって、いい気になりやがって……!)
 過去の――あるいはある意味では未来の、だろうか――自分にすら悪態をつきながら、ディオはひどく重たいように感じる踏み台を引き摺ってきた。そこに上っても、目的の収納ケースは手を伸ばしてギリギリ届くかどうかという高さだ。
 認めざるを得ない。
(今のオレは、弱い)
 こんな体では、何も出来ない。使用人を呼びつけて「あれを取れ」と命じることすら。
「くそっ……」
 もっと強い力がほしい。誰の助けも必要とせず、誰の力をも意のままに出来るような、頂点に立つことの出来る力が。
 弱さなんていらない。
 爪先立ちをした足が、ぐらりと傾いた。指先は虚しく空をかく。しまったと思った次の瞬間、落ちてゆくと思われた体は、なにものかに受け止められていた。
「……ジョジョ」
 ディオがその名を呼ぶと、ジョナサン・ジョースターはにっこりと笑った。
「何を取りたいの? これ?」
 彼は右の腕でディオの体を支え、もう一方の手で棚の上の方にある本を取っていた。ディオが手を伸ばしたさらに先にあったはずのそれも、ジョナサンにかかればいとも容易く取り出せてしまったようだ。目的の物とは全く違う。「そんな物いらない」とディオは思った。だが彼の脳裏には、『弱さゆえに人を動かす』というジョナサンの言葉が蘇っていた。
「なぜここに?」
「ディオの退屈を解消出来る本でもないかなと思って。“中身”はそのままなら、文字は読めるだろう?」
 「そしたらたまたま君が」とジョナサンは続けた。
「大丈夫だった?」
 見れば分かるだろうに。自分で受け止めておきながら、無事かどうかすら判断出来ぬとは。いや、そんなことはどうでも良い。問題はすでに別のところにある。
(ジョジョ、こいつ、近い!)
 近過ぎる。
 ディオの体は棚とジョナサンの体に挟まれているような状態だ。心音も、呼吸の音も、全て聞こえそうなほどに近い。いや、距離なんてないも同然だ。この体になって最初に目を覚ました時にも思ったが、この男の距離感はいまいちおかしいのではないだろうか。ディオの感覚が大人の体のままなのに対し、ジョナサンの感覚は子供の頃のままなのでは……。
「ディオ?」
 顔を覗き込まれて、ディオは再びバランスを崩すところだった。
「どうしたの? なんか、顔赤い?」
「なんでもない!」
 ディオは早く下ろせと喚いて、ようやく自分の足で体重を支えることを許された。

 すっかり夜は更けていた。子供の肉体では物を取るのも、歩くことさえ不便で――大人なら5歩で行ける場所へ、この体では倍以上の歩数が必要だった――、1日過ごすだけで無駄に体力を消耗させられた――いや、そもそもの体力が少ないのか――。それでも、本物の子供なら到底起きていられぬような時間まで頑なにベッドに入ろうとしなかったのは、ただのディオの意地だった。だがもう流石にいいだろう。ディオはジョナサンに向って「もうねる。でていけ」と吐き捨てるように言った。
「そうだね。もう休んだ方がいいね。でもディオ、独りで寝られる?」
 嫌味のつもりではないらしく、本当に心配するような顔で尋ねてくるジョナサンに、ディオはふんと鼻を鳴らすように言い返してやった。
「あめかぜのおとがこわいといってないていたのはおまえのほうだろ」
「あ、あれはっ、子供の時の話でっ……!」
 ジョナサンの慌てたような様子を見て、ディオはやっと少しだけ勝ったような気分になった。にやりと笑ってみせると、言い繕うことを諦めたのか、ジョナサンは少し長く息を吐いた。
「じゃあ、ぼくも部屋に戻るけど、何か困ったことがあったらすぐに呼ぶんだよ?」
「しつこいなきさま」
 こんな男が父親だったら、――息子か娘かは知らないが――その子供は色々と面倒な目にあいそうだ。あるいは年の離れた弟妹でも。そう思えば、年の近い――というよりも同い年の――義兄弟であったことは、幸運だったのかも知れない。
(あとは寝るだけだというのに、何に困ることがあるというんだ)
「さっさとうせろ」
「うん。じゃあお休み」
 何度も確認するように振り向きつつも、ジョナサンはやっと自分の部屋に戻っていった。
「ったく……」
 これではどちらが子供か分かったものではない。
 ジョナサンが戻ってこないように、バリケードでも作ろうかと思った。だがこの体で動かせる家具はたかが知れている。その程度の重量なら、ジョナサンにとっては障害物でもなんでもないだろう。
 無駄な努力をするのは諦め、ディオは大人しくベッドに入った。

 ノックの音を聞いた自覚はなかった。そもそもノックされたのか否かすら分からない。目が覚めて最初に聞こえたのは、ドアが勢い良く開けられる音だった。そして自分の名――正確にはその愛称――を呼ぶ声。
「ジョジョ!」
「ん……、でぃお?」
 ジョナサンが目を擦りながら上体を起こすと、そこには彼と同い年の男――すなわちディオ――の姿があった。
「……あれ、ディオ、元に戻ったんだね?」
 寝起きの頭はまだ少々動きが鈍い。それでも子供になってしまっていた義弟が、元の姿に戻れたようだとは一目瞭然である。今日から本格的に原因の解明に乗り出そうと思っていたところだが、仮にそれが上手くいかなかったとしても、ディオが不自由な思いをし続けるという心配はなくなったようだ。
(良かった)
 ジョナサンは本心からそう思った。きっとディオも喜んでいるのだろう。だからこんなに朝早い時間に、そのことを知らせにきてくれたに違いない。
 ディオはどこか得意げな表情で、つかつかと歩み寄ってきた。身支度をすっかり済ませたとは言い難い姿――だが服だけは着替えているのは、ジョナサンが寝る前に着せてやった子供の服ではサイズが合わないからだろう――は、普段あまり目にする機会がない。いつも完璧な振る舞いを見せるディオの意外な一面を知った――子供の時の姿も、そういえばそうだ――なと思っていると、肩の辺りにどんと衝撃を受けた。
(……え?)
 ディオが腕を伸ばし、ジョナサンの上体を強く押していた。ジョナサンは起き上がったばかりのベッドの上に倒れ込んだ。
「ディオ?」
 体を起こそうとすると、2本の腕が伸びてきて、その動きを阻止した。ディオはジョナサンの胴体を跨ぐようにベッドに上がっている。押え付けられ、身動きが取れない。
「どうだっ、見たか!」
 何を言っているのか良く分からなかった。
「本来の力があればお前をこうすることくらい、このディオにはどうということはないのだよ!」
 子供の頃の力不足を気にしていたようだ。思考がまだ子供のそれのようなのは、元々の彼の性格だろうか。
 いや、今はそんなことよりも、
(近っ……)
 近過ぎる。心音も、呼吸の音も、全て聞こえそうなほどに近い。得意げな顔を見せ付けようとするディオは、焦点を合わせられるギリギリの距離まで接近してきている。おそらく、勝ち誇ることに夢中で、自分が何をしているのか分かっていないのだろう。
(前から思ってたけど、ディオって時々距離感がちょっと人とは変わっていたような……)
 子供の姿の時はただ小さくて可愛いなと思えていたのに、今のディオの整い過ぎた顔がこんなにも近くにあると、意味も分からぬまま、妙な緊張感を持ってしまう。
「ディ、ディオっ! とりあえず放して……っ」
「ん? なんだ? 顔が赤いぞジョジョ。風邪か? ったく、うつすなよ」


2019,06,10


外見だけ(記憶は保持したまま)ショタ化するバージョンに挑戦。
そろそろ年齢操作シリーズも焼き直し感が強くなってきた気がします。
<利鳴>

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