シージョセ R18

関連作品:The Room


  The Room 〜デレないと出れない部屋〜


 次第次第に目覚めへと向かってゆくシーザーの意識が最初に感じ取ったのは眩しさだった。その光は、目蓋越しにでももうすっかり夜が明けてしまっているとしか思えないほどに強い。寝過ごしてしまったのだろうか。だとすれば、今すぐ起きて今日の修行を始めなければならない。柱の男達によって体内に毒のリングを埋め込まれたジョセフ・ジョースターには、多くの時間は残されていない。自分が足を引っ張るようなことは、決してあってはならないことだ。きっと今にもドアが開いて、「さっさと起きろ」と――師範代のどちらか、あるいはジョセフから――怒鳴られるに違いない。むしろすでにそうされていないのが不思議なくらいだ。降り注ぐ光は、朝というよりも真昼に近いのではと思えるほど強いというのに……。
(いや、おかしい)
 昨夜はきちんとカーテンを閉めてからベッドに入ったはずだ。もちろん明かりも完全に落とした。では何故? この光はどこから……?
 重たい目蓋を気力で引き剥がすと、視界に飛び込んできたのは円形の白い照明器具と、見知らぬ天井だった。そこが波紋の師、リサリサの所有する屋敷に宛がわれた自分の部屋ではないことは一瞬で分かった。同時に、どことも知れぬ部屋のベッドで眠っていたということも、一先ず認めざるを得ないようだ。
 起き上がろうとして視線を動かすと、すぐ横で――同じベッドの上に――倒れている人物がいることにようやく気付いた。そちらは見知らぬ相手ではない。
「JOJO!?」
 咄嗟に飛び起き、その背中を強く揺さぶった。ごろりと姿勢を変えたジョセフは、しかしすやすやと穏やかな――呑気な――寝息を立てている。半開きの口からは、いつヨダレが垂れてもおかしくないくらいだ。
「……脅かしやがって」
 シーザーは安堵の溜め息を吐いてから、それを誤魔化すように小さく舌を鳴らした。誰に見られたわけでもないのに、一瞬狼狽えたことが気恥ずかしく思えた。
 しかし、どうしてジョセフが隣で寝ているのだろう。彼には彼の部屋がきちんと用意されているはず。夜中にトイレにでも起きて、戻る部屋を間違えたのだろうか。いや、そもそもここはシーザーの部屋ではない。かといってジョセフの部屋でもない。
 一見すると、ホテルの一室のような場所だ。床に敷かれたカーペット、壁、天井は全て落ち着いた白系の色で統一されている。四角いテーブルや、それを囲む椅子、本がぎっしり詰まっている棚等は、木目調のシンプルなデザインの物ばかりだが、センスは悪くないと言って良さそうだ。
 ただし、どう頑張っても見なかったことには出来ないような違和感の塊が存在していた。今いるベッドの丁度正面――起き上がった姿勢でいると、自然と目に入る方向――、その一面の壁だけが、ざらりとした質感のコンクリートが剥き出しになっている。そしてそこに大きく書かれた、ラクガキのような真っ赤な――ペンキだろうか――文字……。
 
  砂が落ち切るまで出られない
 
「なんなんだ、これは……」
 『砂』という文字が、何を指しているのかは予想が付く。その文字の横にある巨大な――シーザーの身長ほどとはいかないが、それでも小柄な人間の背丈ほどもある――砂時計のことを指しているのだろう。それは、壁に埋め込まれているようにしか見えない。にも関わらず、たった今ひっくり返されたばかりであるかのように、中の砂はほとんどが上に残っている状態にあった。誰が、どうやって動かしたのか……。見えないところに何等かの仕掛けでもあるのだろうか。
 その砂時計は、シーザーとジョセフを除けば、この部屋の中で唯一動きのある物だった。だがもちろん、そこに生命は存在しない。それだというのに、この部屋には何者かの意思が絶えず漂っている。いや、この空間自体が、誰かの意思そのもので作られている。そんな気がしてならない。
 砂時計と対面する位置に、ドアがあった。そちらは他の家具同様、極普通のドアに見える。近付いて行って触れてみた。温かくも冷たくもない。飾り気のないレバー型のドアノブは、力を入れてみても動く気配すらなかった。そして、どこにも内鍵が見当たらない――鍵穴も――。鍵とは本来、外界からの危機を内部へ入り込ませないためのものだろう。にも関わらず、この部屋には内鍵が存在しない。それでも施錠はされているという事実。外からしか開け閉め出来ない鍵。この部屋は、元より何かを閉じ込めるための用途で作られているということだ。何を? もちろん、今その部屋に入れられているのは、彼等2人――シーザーとジョセフ――だ。一体誰が、なんのために……。
 彼等を閉じ込めておくことで利益を得るような者……、端的に言ってしまえば“敵”と呼べるような存在といえば、柱の男達だろう。ではこれも、やつ等が? 部屋の中にひとつも窓が見当たらない辺りは、少し怪しいかも知れない――やつ等にとって、太陽の光は最大の弱点だ――。ただ部屋から出られないだけ――それも時間制限付き――。一体なんの意味がとも思ったが、もしかしたらこうしている間に外で何かが起こっているのでは……。
(まさか赤石が……)
 だとすれば、ぐずぐずしている場合ではない。
 ドアは木で出来ているように見える。すでに生きた植物だとは言えない状態ではあるが、それでも少しは波紋を流せるのではないか。呼吸を整え、体内に波紋のエネルギーを生み出す。血液が酸素を運び、体の隅々にまで行き渡らせる。
 シーザーはその力を、一気に放出した。が、ドアはびくともしない。やはり生物以外には効果が薄い。いや、それだけではない。明らかにその力は弾かれていた。
(普通のドアではない?)
 対波紋用の特殊な加工でもされているのか――例えば、より伝導性の高い素材によって散らされてしまっているとか――、あるいは最初から木で出来ているように見えて、全く別の素材の物なのかも知れない。少なくとも彼をここから出すつもりはないようだ。期待はしないままに他の壁にも試してみたが、結果は同じだった。
(となれば……)
 “あの文字”に従う他ないのだろうか。砂が落ち切るまで、ただここで時が過ぎるのを待つだけ……。全ての砂が落ち切るまで、どれだけかかるというのだ。他に時間の流れを知れるような物はない。あの大きさだ、少なくとも数分ということはないだろう。1時間か2時間、……いや、もっとかかるかも知れない。
「くそっ……」
 外ではリサリサ達がすでに戦っているかも知れないというのに。
(まあ、先生と師範代が揃えば、おれ達よりもよっぽど戦力になるだろうが……)
 自分にそう言い聞かせ、落ち着こうとした。同時に、「お前達は戦力外だ」と宣告されたようにも感じた。
(肝心な時に何も出来ないなんて……)
 せめて、この部屋がなんなのかを調べることくらいは出来ないだろうか。あわよくば、脱出するためのヒントを得られぬものか。本棚には何冊もの本がある。ドアの正面の壁とその文字及び砂時計がなければ、ただの本好きの部屋かと思うくらいだ。とりあえず、あれ等を調べてみようか……。
 だがその前に……。
 シーザーは部屋の隅に置かれたキングサイズのベッドに目を向けた。いや、正確にはその上で眠っている男に、だ。シーザー以上にこの状況に危機感を抱いていなければならない――毒のリングを埋め込まれた張本人である――はずのジョセフは、依然として目を覚ます気配を見せない。その寝顔は、実際の年齢よりもやや幼くすら見える。
 気付けばシーザーは、ジョセフの頬に指先を伸ばしていた。軽く突く。起きない。そういえば彼は食事と歯を磨く時以外は外すことを許可されていないはずの呼吸を矯正するためのマスクを着けていない。どこにやってしまったのだろうか。適当でイマイチ真剣さに欠ける男ではあるが、言い付けに背くようなことはしないと思っていたのに……。いや、その前に自力で外せたのか? 何かの弾みで外れてしまったか、着け直してくれる人がたまたま見当たらなかったのかも……。ふと気付くと、シーザーはまるで言い訳をするようにそんなことを考えていた。どうしておれがこいつの言い訳を考えてやらなきゃあいけないんだと、かぶりを振る。そんな余計なことに構っている暇は今はない。
「おいJOJO」
 返事はない。
「いつまで寝ているつもりだ。起きろ!」
 返事の代わりに寝息が返ってきた。
「おいっ」
 頬を抓ってみた――マスクがあったら出来なかっただろう――。それでも彼は、目を開けない。妙に眠りが深いようだ。まさか、睡眠薬の類でも盛られているのでは……。
 そう思ったのとほぼ同時に、己の左腕に違和感を覚えた。視線を向けた先――肘の内側――に、針で刺したような小さな傷があった。
(まさか……)
 俄かに心臓が鼓動を速める。ここ最近で、医者に掛かった記憶はない。ドラッグの趣味も持ち合わせていない――タバコは吸うが――。それでもそこにあるのは、どう見ても注射針の痕だ。何か打たれている、その可能性が非常に高い。毒か? 今のところ体調に異変は見られないが……。
 再び視線をジョセフの方へ向ける。衣服に隠れず見えている箇所に限られてはしまうが、彼には同じ痕跡はないようだ――すでに毒のリングが体内にあることを考えれば、無事とは言い難いが――。
 得体の知れない部屋に、正体不明の注射痕。気の弱い者ならすでに発狂しているかも知れない。だがシーザーは、そうはならなかった。日頃から戦いの覚悟はしているつもりだ。それ以上に、今この場に自分ひとりでいるわけではないという事実が大きかったかも知れない。ジョセフがいるから心強い? いや、むしろこいつの前で取り乱したりするものかとの、意地に近いかも知れない。
「おい、JOJO、起きろ!」
 砂時計の砂は遅々として減っていないように見える。が、何等かの薬物を投与されている可能性がある以上――もちろんそうでなくても、だが――、黙ってそれを眺めていることが得策とは思えなかった。
 このままジョセフを寝かせておけば、結局シーザー独りでいるのと大差ない。肩を掴んで強く揺さ振った。がくがくと首が揺れて、ようやく目が開く。彼は頭痛に耐えるようにこめかみの辺りを抑えている。やはり彼も何等かの薬を使われたのだろうか。何者かに。その者が、彼等をこの部屋へつれてきたのか……。
「……なにここ?」
 ジョセフは起き上がると、目蓋をこすってから眉をひそめた。
「なんでおれ、こんなところに……?」
「おれにも分からん。目が覚めたらここにいた」
 ジョセフの目は壁の文字、砂時計、閉ざされたドアと、シーザーがそうしたように、室内を順に辿っていった。
「あれ、開かないのか?」
 顎でドアを指す。シーザーは「ああ」と頷いた。
「もう試した」
「ってことは、閉じ込められてるのか? おれ達……。もしかしてこれも修行の一環なのか?」
「いや、それはないだろう。もしそうなら、波紋で脱出出来る仕掛けがないとおかしい。まあ、まだ全部調べたわけじゃあないが……。それに、修行中にお前のマスクを外すとも考えられないしな」
「あ、マスクない」
「今気付いたのか」
 シーザーはやれやれと息を吐いた。
 これがリサリサ達から与えられた課題だと信じられたら、どんなに気が楽だっただろう。だがそれでは、注射の痕の説明が付かない。それが人体に有益な物であったとしても、彼女がシーザーの了承も得ずにそれを使う――あるいはその指示を出す――とは考え難い。これは明らかに悪意の痕跡だ。しかしシーザーは、そのことを黙っていることに決めた。余計な心配を、ジョセフにはさせるべきではない。
 ジョセフは再び部屋の中を見廻すと、「なるほど」と頷いた。
「確かに、なんかすっげーヤな感じがするもんな、この部屋」
「ああ」
「特にあの壁」
 ジョセフは正面の壁を睨むように見据えた。他が極普通の部屋のような造りになっているので、余計に異質に見える。置かれている家具ですら、その壁を避けているかのような配置だ。そこに大きな出窓でもあれば、過ごし易そうな部屋だと思えたかも知れないのに。
「とりあえず、何か手掛かりになるものがないか調べてみよう」
 シーザーはベッドから離れた。なんだろう、なんだか、じっとしていられない気分だ。嫌な予感――胸騒ぎ――がするとでも言おうか。この異常な事態に、ようやく感覚が追いついてきたのだろうか。
 ジョセフは大きく頷くと、ベッドから降りた。彼にもただ黙ってドアが開くのを待っているつもりはないようだ。
 シーザーが一先ず本棚に近付くと、自分は違う場所をと思ったのか、ジョセフはベッドサイドのナイトテーブルを調べている。そこに何もないことを確認すると、続いてしゃがみ込んでベッドの下に頭を突っ込んだ。
「……何してる……」
 本棚から1冊取り出した本――中に書かれている文章は何語かも分からない物で、挿絵の類は一切ないようだ――を手にしたまま、シーザーは尋ねる。尻だけ突き出したような姿勢は、今の状況が分かっているのかと非難したくなるほどに間抜けに見えた。そして無防備だ。さっきは「嫌な感じがする」等と言っていたのに。
「なんか隠すって言ったらここでしょぉ? うーん、何もねーなぁ。埃すらないぜ。人が住んでる部屋じゃあないのか」
 緊張感のないやつだと、シーザーは苛立ち混じりの溜め息を吐く。いや、自分が妙に焦っているだけか? 外で何が起こっていたとしても、リサリサ達がそう簡単に負けるわけがないと思う気持ちに偽りはない。なのに、酷く落ち着かない。早くここから出たい……? いや、違う。何に対する焦りなのかも把握出来ない。何かが、変だ。
(薬の所為……なのか?)
 先程まではなんともないと思っていたが、その効果が出始めているのだろうか。
 ジョセフはベッドの近くにあるクローゼットを調べ始めているようだ。そこもやはり中は空だったようだが、念のためにと隅々まで手で触れながら確かめている。その姿に背を向けて、シーザーは別の本を開いた。何冊かそうして中を見てみたが、読める単語すらひとつも見付けられなかった。これでは手掛かりを得るどころか、時間が経つのを待つ暇潰しにすら出来そうにない。そして、全ての本を調べてみる気にはとてもなれない。量が多過ぎる。ここは他を調べ終えてから、ジョセフと2人掛かりで見る方がいいかも知れない。
(となると後は……)
 シーザーは文字が書かれた壁に目をやった。意識してかしないでか、ジョセフはその場所を避けての探索を行っているように見える。そこに“敵”の悪意が集約されているようで、近付くことを躊躇っているのかも知れない。シーザーも、好んで寄って行きたいとは思えなかった。
(だからといって、確かめないわけにはいかないか……)
 仕方がないと溜め息を吐いて、シーザーは壁に近付いた。目には見えない異変はないかと、手で触れてもみる。その背後では、ジョセフがテーブルと椅子をひっくり返している音がする。だがそれをかき消そうとせんばかりに響いている音が、もう1つあった。それは、シーザー自身の心音だ。妙に心拍数が上がっている。それに、この部屋は少し暑くはないだろうか。動き始めたからそう思うのか? そういえば、ここは換気はどうなっているのだろう。まさか、ドアが開く前に酸素が足りなくなる、なんてことはないだろうな……。
「んー、何もねーなー。壁かドア壊せないかやってみる方が早いんじゃあないか? それかその砂時計? 2人掛かりならなんとかさぁ」
 ジョセフはイマイチ探索に集中出来ていないようだ。何を探せば良いのかも分からぬ状況では、無理もないかも知れない。乱雑に扱われた椅子が抗議するように床に落ちて音を立てた。
 もう少し静かに出来ないのか――そもそも椅子の足の裏に何を期待しているんだ――と振り向こうとしかけた視線の隅に、それまで気付かなかった小さな文字を見付けた。今までこんなものあっただろうか。小さ過ぎて見えなかっただけか。大きく書かれた『砂が落ち切るまで出られない』の文字のすぐ下に、数ミリ程度の文字が書かれている。大きな赤い文字とは対照的に、細い黒の線で書かれているということが、その存在に気付かずにいた理由のひとつかも知れない。
 
  デレないと出れない
 
 子供が書いたような下手くそな字で、そうあった。
「……は?」
 ちょっと意味が分からない。なんだこの文章は。『デレ』?
 「お前分かるか」とジョセフに尋ねようとして振り向く。しかし不意に足元がふら付き、シーザーはその場に膝を着いてしまった。力が入らない。
「なん……だ、これはっ……」
「シーザー?」
 ジョセフが気付いて肩越しに振り向いた。咄嗟に、その視線から逃げ出したくなった。そんなことが出来る場所なんてないのに。何がどうなっている。何かがおかしい。
(薬……)
 あの注射……。刺された時の感覚が一瞬蘇ったように思ったのは、ただの気の所為か。だが、
(分かった、気がする……)
 その効果が、はっきりと現れ始めている。打たれたのは、おそらく媚薬のような物だ。触れてもいない下腹部にある生殖器官が、意思を持っているかのように形を変え始めている。部屋の中が暑いのではない。シーザー自身が熱を持っていた。
 彼等をこの部屋へ閉じ込めた人物に、どうやらおちょくられているようだと確信する。明確な悪意よりも、まだ悪い。時間が経たねば出られない部屋の中で、その欲求に耐えてみろと、いないはずの誰かが笑う声を聞いた気がした。おそらくそこに意味なんてない。弱者がより弱い者をいたぶるのと同じようなことだ。
「ふざけ、やがって……ッ」
 誰が弱いって? どこの誰だかは知らぬが、ここから出たら、必ず見付け出して後悔させてやる。それが未知の力を持った人間でも、柱の男でも関係ない。
 だが今は、とにかくこの状況をなんとかしなければ。シーザーの体はすでに軽く汗ばんできている。“発散”させてしまうのが手っ取り早そうではあるが、他人の目がある場所でそんなことをするわけにはいかない。しかもその相手はジョセフ・ジョースターだ。一生からかわれ続けることにもなりかねない。
「おいシーザー、どうしたんだよ」
 不思議そうな声で問うジョセフに、シーザーは何も答えられなかった。そのことが却ってジョセフの疑問を肥大化させてしまったようだ。彼はシーザーの傍によってきて、その顔を覗き込もうとした。
「くるなっ」
「どっか具合でも……」
 心配そうな口調に、ちくりと心が痛む。目を瞑って耳も塞いであっちへ行ってろなんて言えるはずがない。
(とにかく、落ち着けおれ!)
 苦し紛れに素数を数えて気を落ち着かせようとしてみる。1は違う。2からだ。次が3。5、7、11、13、17、19、23……。
「シーザーってばよぉ!」
 ジョセフの手が振り向かせようと肩に触れた。そこから下腹部まで、電気が流れたような錯覚があった。波紋を流されたわけでもないのに、シーザーの体はびくりと跳ねた。同時に小さく声が漏れる。
「んッ……」
「へ……?」
 ジョセフは呆気に取られたような顔をしていた。見るなと言ってももう遅いようだ。シーザーの肉体に起こった変化は、すでに衣服越しにでも確認出来てしまう。碧い目がそこへ向けられているのを感じた。サイアクだ。
「え……? ええー?」
 困惑した声が言葉を探しているようだ。いっそのこと笑われた方が気が楽だったかも知れない。そうすれば、「煩い」と喚き返してやったのに。
(かっこ悪い……)
 顔から火でも出そうだ。こんな格好悪い姿は見られたくなかった。よりによってジョセフに。軽くて、いい加減で、今まさに己の命を他者の手に握られているような状況にも関わらず不安な様子を他人に見せることもなくいつもへらへらしている、こんな男に……。
 だがこうなってしまった以上、素直に打ち明けるしかないだろう。誤魔化しはすでに効かない。
「なにか、盛られた。たぶん」
「何かって……」
 どうやら――やはり――ジョセフはなんともないようだ。怪しげな薬を打たれているのは自分だけ。それは一先ず、良いことだと思うようにしよう。
「えっ、『何か』って、もしかして“そーゆー”おくすりぃ? マジであるんだそういうの……」
「分かったんだったら、離れてろ。このスカタン……っ」
 シーザーはジョセフの手を振り払った。
「って、どーすんだよ、その、……“それ”」
「指差すな」
 やっぱり言うんじゃあなかった。いや、そもそも起こさなければ良かった。寝ている彼のすぐ傍で自慰行為というのも相当にあれだが、気付かれずに済ませてしまえるのならその方がずっと良かっただろう。これすらこの部屋を用意した“犯人”の計算だとしたら、おそろし過ぎるので考えないでおこう。
 状況を把握したらしいジョセフは、目に見えて狼狽え始めた。逃げ場所を探すように辺りを見廻す顔がわずかに赤く染まっている。やめてくれ、こっちが照れる。眩暈までしてきた。早急に“これ”をなんとかしなければ……。そもそも勃起なんてものは、海綿体に血液が集中して起こるものだ。そう、血液。波紋で血の巡りをコントロールすれば、鎮められるはず。……たぶん。挑戦したことはないが、おそらく。
(いいや、おれならやれる! 出来る!!)
 根拠はないが。
 シーザーは息を深く吸った。ジョセフの存在は意識の外に締め出すしかないだろう。本当は物理的に締め出したいところだが、この部屋にあるのは開かないドアがひとつだけ。クローゼットは2人の内どちらが入るにしても狭過ぎる。
 ゆっくりと呼吸を繰り返す。普段はエネルギーを生み出すためのそれを、今は血流を制御することに意識を集中させる。いや、生ませるための“ソレ”を出すためのエネルギーを抑える……?
(上手くない! 余計なことを考えるな!)
 集中するために目を閉じた。それがいけなかった。目を開けていれば、少なくとも今まさに鎮めようとしている熱の塊にジョセフが手を伸ばすのには気付けたはずだったのだから。
「なッ……」
 布越しの感触に、シーザーは滑稽なほど体を跳ねさせた――流石にそれだけで果ててしまうことはなかった――。それを見て、ジョセフは笑いもせずに、何を考えているのか分からないような顔をしている。睨み付けてやったが、相手は狼狽えもしなかった。
「何しやがるッ」
 その声は少々震えていた。それを抑えようとするように、シーザーは自分の腕を爪を立てるように握った。
「だって、何て言うか、その……、今から抑えるとか、無理じゃあねーの? “それ”」
「指差すな」
「だから……、手伝って、やろーかと」
「はぁ!?」
 この男は何を言っているのだろう。わけが分からない。ちっとも呼吸に集中出来ない。本当に勘弁してほしい。さっき数えたのは23までだったか? 23、27、29……違う。27は素数ではない。
「あの砂時計が全部落ちるまで待ってるしかないんだろ? 手掛かりとか、全然見付からねーし。余計なことして相手怒らせたらもっとヤバいことになりかねないし。それなら、どっちみち他にやることなんてないんだから……」
 ジョセフはどこか意を決したような表情をしていた。
(おいおいおいおい、こいつ正気か!? 勝手に決するな!)
 いっそのこと少し強めの波紋でも流して気絶させるか? いや駄目だ。呼吸が完全に乱れてしまっている。全力で走りながらでも波紋を練り続けられるようにと訓練してきたはずなのに。何故こんなことで己の未熟さを思い知らされなければならないのか。それともそれだけ強力な薬物であるということなのか。
「ほら、やっぱり無理じゃあねーか」
 ジョセフは再び手を伸ばしてきた。それから逃れようと、シーザーは床に座り込んだまま後ずさる。が、すぐに背中にコンクリートの硬い感触が触れ、退路がないことを告げられる。ジョセフはなおも距離を詰めてきた。
「……ってゆーか、そんなに嫌かよ。おれのこと……嫌い?」
 鼻面を合わせるように近付いてくるジョセフから、シーザーは首の稼動範囲の限界まで顔を背けた。
 出来ない。出来るわけがない。そんなこと、させられない。これが何人かいるガールフレンドだったら話は違っていたかも知れない。だがジョセフは、シーザーの弟弟子で、仲間で、友で……、大切で……。いや、ガールフレンド達が大切ではないという意味ではないが、とにかく駄目だ。ジョセフは軽い気持ちで言っているのかも知れない。「その程度の遊び」と。それなら、なおさら駄目だ。
「……嫌だ」
 シーザーは顔を上げ、空気が音を立てそうなほどに睨んだ。一瞬、ジョセフの瞳に怯えの色が現れる。
「離れてろ、このスカタンっ……!」
 シーザーは壁を支えに立ち上がろうとした。が、それより早く、ジョセフが動いた。シーザーの肩を掴んで壁に押し付け、食らい付くような勢いで唇を押し当ててきた。同時に、今度こそ体内を波紋が走り抜けた。触れた唇から。
「っ……!!」
 手足が痺れて、力が入らない。シーザーは再びその場に崩れ落ちた。
「き、さま……っ」
「先手必勝だぜ。それと、油断大敵ってね」
 ジョセフはぺろりと唇を舐めながら笑った。彼はそのまま覆い被さるようにシーザーの体を抑え付けた。元々体格はジョセフの方が良い。そこへ波紋の効果と、おかしな薬の作用が重なり、シーザーはろくに動くことすら出来ない。ズボンの前を開けようと伸びてきた手は、抑えようとする力なんてないも同然のように動く。
「や、めろっ……。JOJO……っ」
「目瞑って可愛いシニョリーナのことでも想像してろよ」
 随分と無茶を言う。こんな大男を前にして、そんなことが出来るやつがいるなら驚きだ。
 寛げた衣服の中から取り出されたシーザーの陰茎は、充血し、はっきりとした屹立を保っていた。直接触れられて、その反応はより顕著なものになってすらいる。
「ほら、全然大丈夫じゃあない。なのに強がっちゃって」
 揶揄するように言うジョセフの手の中で、それはいかにももの欲しそうに小さく痙攣している。同時に、全ての否定の言葉を嘲笑っているようでもある。
「この、変態野郎……」
「その変態に触られて萎えないお前はなんなんだよ」
 ジョセフはむっとしたような顔でそう言うと、数秒の間の後に「決めた」と宣言するように言った。かと思うと、彼は身を屈めてシーザーの熱塊を口に含んだ。
「なッ……」
 すぐさま引き剥がそうとするが、手にも腕にもまだ力が入らない。完全に麻痺してしまっている。そのくせ、体の中心部に触れる舌の感触ははっきりと分かる。アイスキャンディーを舐めるようにピンク色の舌を時折覗かせながら、ジョセフは上目遣いを向けてきた。挑発的なその視線から、シーザーは目を背けることが出来ない。
 シーザーの中で欲求はどんどん高まってゆく。が、ジョセフの舌の動きは一定以上の刺激を与えてはこなかった。これでは射精にまでは至れない。それが酷くもどかしい。一言で言ってしまえば、下手。いや、わざと抑えている……? もうしばらくその状態が続いていたら、「もう頼む」と口走っていたかも知れない。
 不意に、ジョセフが口を離した。シーザーのそれは、唾液――あるいはそれプラス他の液体――に濡れ、照明の光を反射している。
「こんなもんかなー」
 ジョセフは膝立ちになると、自分のズボンに手をかけた。「何を」とシーザーが呟くように言うと、彼はわずかに紅潮した顔を、にやりと笑顔に変えた。
「おれもう決めちゃったから」
 言うや否や、ズボンと下着を脱ぎ捨て、シーザーの胴体を跨ぐ姿勢を取った。
「は!? お前っ……!?」
「逆レイプ」
 言い放つと、先程まで口に咥えていたシーザーの器官を、自身の蕾へと宛がった。先端が触れた瞬間、シーザーはびくりと跳ね上がった。
「ヘンタイヤローに無理矢理食われてしゃせーしちゃうかっこ悪いシーザーちゃん見せてよ」
「なっ……、おいちょっと待――」
「嫌だ」
 ジョセフはきっぱりと言った。
「“もう”待たない」
 妙な引っ掛かりに、それはどういう意味かと問う暇はなかった。ジョセフはゆっくりと腰を落とし始めた。
 絶対に無理だ。出来るわけがない。シーザーの心の声に反して、ジョセフのそこは着実にシーザーを飲み込んでゆく。
(ばかなっ……)
 いくら唾液で濡れているからとはいっても、そんなに簡単に入ってしまうものなのか? 女の体と違って、そこは受け入れるための器官ではない。“いきなり”……、“初めて”で、こんなにもあっさりと? 強い抵抗はもちろんある。だがそんなもので済むのか? おそらく、否。ではきっと、“前提”が間違っているのだ。
 その欲求から解放されたわけではない。それでもシーザーはほんのわずかな間、自分の意識が肉体を離れ、自分自身を客観的に見下ろしているような錯覚を味わった。夢を見ている時の感覚に似ている。では、これは夢? 見覚えのない部屋に閉じ込められていることも、2人の体が繋がっていることも。いっそのことそうだったら良かったのかも知れない。そうなら、夢の中であればなんでも自分の自由に出来るのを良いことに、身勝手な欲望の捌け口としてジョセフの幻影を利用したことを目が覚めてからたっぷり恥じれば良いだけのことだ。
「もう、ちょっと、で、全部っ……。んっ……」
 呼吸を途切れさせながら、ジョセフは結合を深めてゆく。その表情に怯えはない。それどころか、恍惚の色さえ滲み出ている。
 シーザーは手を伸ばした。指先に若干の痺れは残っているが、もう動けないほどではない。ジョセフの腕を掴み、力任せに引き寄せた。
「うあッ!?」
 支えを失ったジョセフの体は、一気にシーザーのそれを飲み込んだ。先端が奥を突き上げる。声にならない声を上げて、ジョセフの背中が大きく仰け反る。強い圧迫感に、全て吐き出してしまいそうになるのをシーザーはなんとか堪えた。
「う、あっ……。なっ、……しー、ざ……」
「お前、どこでこんなこと覚えた」
 シーザーがジョセフと出会ってから今日まで、2人はほとんどずっと一緒にいた。毎日寝る時間さえ切り詰めた状態で続く修行。どこかへ遊びに出るような余裕はなかったはずだ。屋敷にいる誰かが相手だとも考え難い――リサリサに知られたらどんなことになるかくらいは、考えなくとも分かるだろう――。にも関わらず、ジョセフの“そこ”が異物を受け入れるのは初めてではない。誰だ? きっとシーザーの知らない相手なのだろう。つまり2人が出会う前。すでに彼は“誰か”のものに……。
 新しいガールフレンドが出来た時、処女だとか処女じゃあないだとか、そんなことに拘るのは馬鹿馬鹿しいと思っていた。どちらであっても問題ない。自分はどちらもきちんと愛することが出来る。そう思っていた。はずだった。
 なんだろう、無性に腹立たしい。ジョセフが未経験ではなかったことが? いや、その可能性を考えもしなかった自分が……?
「どこって、んなの、どーでも、い、だろっ」
 ジョセフの目にはわずかに泪が滲んでいた。そんな顔を、他の誰かにも見せたのか。「どうでもいい」? その程度のことだとでも言いたいのか。所詮彼に取っては、自分はその程度の存在で、大切にしたい、傷付けたくないと思っていたのは、自分だけ……。
(おれだけが……)
 彼のことを……。
 シーザーは自分の中で“何か”が切れたような音を聞いた気がした。肩で息をしているジョセフの腰を両手で掴んで、強く突き上げた。何度もそれを繰り返す。
「ひッ!? なっ、奥ッ……。……ちょ、待っ……」
「油断大敵だな? 相手をしてくれると言ったのは、お前の方だろ?」
「あ、あッ、や……。いきなり……っ」
「さっきは、逆レイプだとかなんとか、言っていたじゃあないか。その威勢はどうした?」
 もう何がどうなっても良いと思った。これが夢なら、滅茶苦茶にしてやる。もし現実なら……、それもだ。壊してしまえばいい。もう何も考えたくない。
 結合部分が卑猥な音を立てる。そこへ体を打ち付け合う音と、乱れた2つの呼吸、そして悲鳴に似た声が混ざる。
「シーザー、待って! 無理っ……!! おく……、あたって……ッ! やっ、激しいっ……!!」
「慣れてるんだろう? それとも、今までの相手はもっと優しかったか?」
「あッ、はぁっ、ちがっ……」
 ジョセフは狂ったように首を横へ振った。飛び散った汗が照明に照らされて光る。
「慣れてなんて、ないっ。ただ、時々自分で、触って、た、だけ、でっ……」
 ジョセフの言葉を理解するのに時間がかかった。おかしいな。日常会話に全く不自由しないくらいには、ジョセフの国の言葉はマスター出来ていると思っていたのに。なるほど、つまり、“今”は“日常”ではないということか。
「シーザーのこと、すっごい、好きで……、でも、どーしたらいーのか、分かんねーし、シーザーは、全然おれのこと、見てくれないしっ」
 泣きそうな声が言う。それは嘘だ。ジョセフのことなら、毎日見ている。日に日に実力を増していく彼に驚かされるのとは別に、どんどん彼から目を離せなくなっていく自分に、シーザーははっきりと気付いていた。師範代達に駄目出しをされて不貞腐れる顔だとか、ふとした拍子に見せる眩しい笑顔だとか、偶にしかお目にかかれないマスクを外した素顔だとか、その全てに、彼は魅かれていた。同時に、いつか不用意に触れて、傷付けてしまう日がくるのではないかと思うと、おそろしかった。必死に自分の心を押し留めようとするあまり、ついきつい態度を取ってしまったことがあるのは否定しない。そんな自分の所為で、ジョセフが追い詰められていたとは、思ってもみなかった。「自分だけ」。そう思っていた。
 全身で息をしながら、ジョセフは続ける。
「だから、自分で……。ずっと、シーザーに、してもらいたくて。他のやつとなんて、絶対にごめんだ」
 一瞬周囲が無音になったように思った。それから自分の心臓の音が急激に大きくなってゆく。汗と泪でぐしゃぐしゃになったジョセフの顔が、愛しくてたまらない。心臓と下腹部を強く握り締められたような感覚がした。
「ひゃうあッ!?」
「っ……、お前、なんて声出しやがる」
「だって、シーザーのが……」
 ジョセフの体内でそれはより大きさを増していた。おそらくもう薬は関係ない。そんなものがなくても、きっとこの欲求はもう抑えられない。
「……すまない、JOJO」
 シーザーは手を伸ばして上気した頬に触れた。
「愛してる」
「しぃ、ざぁ……」
 ジョセフが顔を近付けてきた。姿勢が変わった所為か、ジョセフの内部がわずかに狭まる。
「キス、したい。して」
 言われなくとも、そうするつもりだった。触れた唇は熱かった。
「ったく……、お前ってやつは……」
「ん、なに?」
 シーザーは深く息を吐きながら、自分を見る瞳から目を背けた。
「……初めての時は、優しくしてやりたかったのに」
 一歩間違えばお互いの気持ちを知り合う前に再起不能なまでに嫌われていてもおかしくなかった。複数の意味で、無茶しやがって……。
「じゃ、今から、優しくしてくれよ」
「言われなくても」

 2人は絶頂に達した後も、場所をベッドの上に変えて再度体を重ねた。その行為にただ夢中で、見ていない間に砂時計の砂が全て落ち、ドアが解錠されたことには気付いてもいないようだ。すでに外の様子を気にしている素振りは全くない。師や師範代、守るべき赤石の存在なんて、きれいさっぱり忘れているに違いない。お互いの存在以外、どうでも良いというようにさえ見える。
 一糸纏わぬ姿のまま、彼等は何度も唇を重ねている。
「おれ、マスクしてなくて良かったぁ。あったら死んでた」
 その前にマスクしてる状態でそんなことをしてるんじゃあないとツッコミを入れる者は誰もいない。
「シーザー」
「ん?」
「好き」
「おれもだ」
「ね、もっかい」
 シーザーは忠実なしもべのように口付けを落とす。しかしジョセフは「そうじゃあなくて」と首を振った。同時に、下半身を揺らめかせている。
 結局彼等の行為は特殊な能力でこの部屋を作り出し、2人を閉じ込めた張本人が「いい加減出てってくれよ」と思う頃になってもなお続いていた。その者は、不思議な力を手に入れたからとりあえず片っ端から試してみようと無作為に選んだ相手がその2人だったことを、大いに悔やんだとか、悔やまなかったとか……。


2017,11,10


自分で書いておいてなんですが、シーザーに薬盛ったのジョセフじゃね?(笑)
<利鳴>

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