ジャイジョニ 全年齢 幼児化

関連作品:Little Star 6(雪架作)


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 自覚のないまま、少しうとうとしていたようだ。ふと目を開けた時、周囲が明るくなっていることに気付いて、ジョニィ・ジョースターは慌てて辺りを見廻した。夜はほぼ完全に明けているようだ。見張りの最中だというのに、そのことに全く気付いていなかった。
 相棒であるジャイロ・ツェペリはまだテントの中にいるようで、どうやらジョニィが見張りをサボって居眠りをしていたことはバレていないらしい。ジョニィは密かに安堵の息を吐いた。
(まだ寝てるのか……?)
 いつもならもう起きてくる頃だろうに。テントの中からは、物音ひとつ聞こえない。きっと疲れがたまっているのだろう。アメリカ横断レースがスタートしてから、過ぎた時間は決して短くはない。
 安眠を妨害するのは気が引けるが、だからといって好きなだけ寝ていていいよと言うことも出来ない。動かない脚を引き摺りながら、腕の力で地面を移動し、テントの中へ。「ジャイロ、朝だよ」と声をかけようとしたところで、ジョニィは気付いた。ジャイロの姿がない。
「ジャイ、ロ……?」
 ジョニィが見張りを疎かにしている間に起き出して、水でも汲みに行ったか。だがそれなら一言くらい声をかけて行きそうなものだ。ジョニィがそう思ったのと同じように、「起こすのは可哀想」と思って……? テントを無人にするなら、荷物番は必須だ。「可哀想」等と言っている場合ではない。
 そして、更なる──最大とも言える──異変がそこにはあった。いなくなったジャイロの代わりのように、ひとりの子供の姿が。つい先程までそこで眠っていてたった今起きたばかりであるかのように、半身を毛布の中に入れたまま座り込み、きょろきょろとテントの中を見廻している。年の頃は5つか6つといったところか。アメリカ人の顔立ちではない。
(こんな子供、いつの間に……)
 ジョニィが転寝をしている間に? だがどこから、こんな小さな子供がどうやって……? 町までは馬を走らせても半日はかかる場所だ。
(……い、いや、面影がある)
 ジョニィは、その顔に見覚えがあった。「まさか」とは思うが、そう、似ている。
「……ジャイロ?」
 ジャイロ・ツェペリという男が子供だった頃は、あるいは、彼に子供が生まれたら、きっとこんな感じなのではないかと思える風貌だ。
「ジャイロ……なのか?」
 半分以上脱げて肩に辛うじて引っかかっているだけの状態であるシャツもジャイロの物だ。大き過ぎる毛布の持ち主もジャイロ。何よりも、ジャイロの名を口にした時、少年は明らかな反応を見せた。呼ばれたのが自分の名前であるかのように。ジャイロのと同じ色をした瞳は、完全にジョニィの方を見ていた。
「子供に……!? ジャイロが、子供になっている!?」
 まさかスタンド攻撃だろうか。見張りを疎かにしている間に、何者かが接近したのだとしたら……。いや、まだそうと決まったわけではない。彼等を妨害しようとする者が、ジャイロだけを無力化させ、近付いてくる者に気付かぬほど集中力を欠いているジョニィを放っておくとは思えない。
「ジャイロっ、一体何が……っ」
 ジョニィが詰め寄ると、ジャイロ──であるということは、最早断言しても良いだろう──は、首を傾げるような仕草をした。そして、
「Chi sei?」
 彼は聞き慣れない言葉を発した。
「Dove mi trovo?」
(まずい、イタリア語だ。……たぶん)
 子供の頃のジャイロは、おそらく母国語以外の言葉を知らなかったのだろう。つまり、今の彼は、記憶すら幼少の頃に戻ってしまっていると考えられる。当然、何があってこんなことになっているのかも把握していないに違いない。自分が何故アメリカにいるのかすら……いや、そもそもここがどこなのかも理解していないだろう──先程の疑問文のように聞こえた言葉は、もしかしたらそれを尋ねるものだったのだろうか──。困ったことに、ジョニィからそれを説明してやることも出来ない。ジャイロからイタリア語を教わっておくべきだったか。だが、こんな事態になるなんて、誰が予測出来ただろう。
 レースは依然続いている。そしてそれを阻止しようとする者は後を絶たない。今のジャイロは戦闘能力を失ってしまっていると見て間違いないだろう。小さな子供の手では、鉄球を満足に扱えるとは思えない。言葉すら通じない彼を守りながら進むことは、果たして可能なのだろうか。
(脚が動かないこのぼくに……!?)
 だが、彼をここへ置いて行くことは出来ない。もし自分の不注意が原因でこんなことになったのだとしたら、ジョニィには責任がある──何者かが侵入した痕跡は何も見付けられなかったが──。それ以上に、彼はジョニィの希望であり、同時に大切な仲間だ。幼いジャイロは、見慣れぬ景色を怯えたような目で見廻している。見知らぬ場所に、たったひとり、庇護してくれる親もいない。不安にならないはずがないだろう。
(彼を守れるのは、ぼくだけだ)
 ジョニィは意を決したように顔を上げた。
「ジャイロ」
 人名は英語もイタリア語も同じだ。こちらを向いた顔が、「なに?」と言うように斜めになる。ジョニィは、交互に指を指しながら、君はジャイロ、ぼくはジョニィと繰り返した。
 ジャイロが口を開く。
「じょにい?」
 少々発音が怪しかった気がするが、
(まあいいか)
 ひとまず自己紹介だけは出来たと思おう。
「ジャイロ、何を言っているのか、たぶん分からないだろうけどさ」
 ジョニィはジャイロの目を真っ直ぐ見据えた。子供特融の大きな瞳が見詰め返してくる。
「ぼくは君の味方だから」
 小さな手を、ぎゅっと握った。
 相変わらず言葉は通じていないだろう。それでもジャイロは、何かを感じ取ってくれたらしい。彼はこくりと頷いた。

 ジョニィはひとまず、次の町を目指すことに決めた。このまま野宿を続けたところで、事態が好転するとは思えない。いつもは2人掛かりで行う片付けを、彼はひとりで始めた。その様子を眺めながら、ジャイロがどこへも行かずにじっとしてくれていたのが有り難い。
 毛布の中に、ジャイロのズボンが取り残されていた。下着も一緒だ。今のジャイロは、袖のないシャツをワンピースのような形で着ている。それすら時折ずり落ちそうになっている。
「このまま行くしかない……よなぁ」
 ジャイロは落ち着かない様子だが。
(まあ、パンツすら穿いてないもんな)
 それよりもジョニィとしては靴を履けないことの方が気になったが──これでは迂闊に歩かせることも出来ない──、町まで行けばなんとか出来るかも知れない。そうであることを願いながら、今は我慢してもらおう。
 使える者を一時的に失った衣類は、全て纏めて鞄の中に押し込んだ。ズボンも、ブーツも、マントも。枕元に置いてあった帽子も一緒にしまおうとしたが、幼いジャイロはそれをどうやら気に入ったらしく──サイズが大き過ぎて顔の大半が隠れてしまうが、等間隔で空けられた謎の隙間から外が見えるのが面白いらしい──、イヤイヤと首を振るばかりで離してくれなかった。
「仕方ないなぁ……」
 子供らしい我儘といったところだろうか。このくらいなら、許してやっても良いだろう。
「その代わり、失くすなよ。後で文句を言われるのは、たぶん君じゃあなくてぼくなんだからな」
 いつもの倍以上の時間をかけて、全ての荷造りを終えた。今までいかにジャイロに助けられていたのかを実感する。
「よし、行こう。ヴァルキリー」
 呼びかけると、ジャイロの愛馬はちゃんと近くへやってきた。スロー・ダンサーも、「いつでも行けるよ」というような目をしている。
(馬とだって意思の疎通はある程度出来るんだ。言葉が通じなくたって、なんとかしてやる)
 だが、ヴァルキリーはこの小さな子供を自分の主人として認識出来ているのだろうかとの疑問はある。ジャイロの方は、ぽかんと口を開けて2頭の馬を見上げている。とりあえず怯えてはいないようなのは助かる。だが、
「乗れる……かなぁ?」
 認識云々よりも、それが問題だ。子供の頃から馬に接していたとは聞いていたが、流石にこんなに大きな馬ではなかっただろう。
「無理……だよなぁ……」
 鐙に足が届かなくても騎乗は出来るという例は他でもない自分自身だが、それを子供に強いるのは無謀だろう。
 仕方なく、2人分の荷物をヴァルキリーに運んでもらうことにした。ジャイロはジョニィと共にスロー・ダンサーに2人乗りだ。荷物を固定したり、ジャイロを馬上に引き上げるのも一苦労だった。
(先が思いやられる……)
 だが彼等は、行かなくてはならない。

 天候が崩れる気配がないことが有り難かった。それでいて日差しが強過ぎるということもない。何事もなければ、旅路はかなり順調であっただろう。だが今は、小さいジャイロを振り落としてしまわぬように常に気を張っていなければならない。
 昼近くになって、それまで景色を眺めることに没頭していたジャイロが何かを訴えるように振り返って見上げてきた。
「なに?」
 スロー・ダンサーの歩調を緩めて様子を窺っていると、ジャイロが両手を腹部にあてていることに気付く。
「ああそうか。お腹が空いたんだね」
 うっかり朝食を抜いてしまったことを思い出す。そういえば、自分も腹が減っているとようやく気付いた。
「休憩にしようか」
 移動出来た距離は、本来の予定よりもかなり少ない。それでもジャイロさえ元に戻れば、まだ巻き返せる程度だ。ここで無理をするのは得策ではないと判断する。おそらく子供に泣かれることの方が面倒だろう。
 幸いにも、すぐ近くに川があった。ジョニィはそこで食事を取ることに決めた。
 いつもはジャイロがやってくれる水汲みに苦戦していると、誰かが近付いてくる気配があった。
「敵か? くそっ、こんな時に……」
 ジャイロを馬から降ろしていなかった──どうやって降ろそうか考え中だった──のは不幸中の幸いだろうか。
「ジャイロ、そのままスロー・ダンサーから降りないで」
 片手を広げて向けると、動くなという指示は伝わったようで、ジャイロは緊張したような顔をした。
 上空には、レースの参加者達を監視するための気球が飛んでいる。あからさまな妨害行為に出れば、たちまち失格を言い渡されるとは“相手”も分かっているだろう。問題は「あからさまではない」妨害行為に出ようとする者と、レースの参加者以外の刺客だ。
 ジョニィは、近付いてくる足音と、自分の指先に意識を集中させた。
 数秒後、林を抜けて姿を現したのは、ディエゴ・ブランドーだった。
「よりによって……」
 ジョニィはこっそり溜め息を吐いた。
 ディエゴは馬に乗っていなかった。どこかに待機させているのだろう。片手には水汲み用のバケツを持っている。彼も休憩を取ろうとしていたようだ。おそらく、機動力の問題でやむを得ず視界の開けた川の近くにその場所を求めたジョニィと違って、もっとライバル達の目に入らないような場所を確保しているのだろう。
 ディエゴはジョニィの姿に気付くと、にやにやと笑いながら近付いてきた。ジョニィはその顔を睨むように見上げた。
「おや? おやおやおやおや、ジョースターくんじゃあないか。君、いつの間に子供なんて生んだんだい? ちぃっとも知らなかったよ」
 揶揄するような口調は、実に機嫌が良さそうだ。それだけでジョニィの機嫌は悪くなる。
「ほんっとに君はいちいちムカツクな」
「ジャイロ・ツェペリの姿が見えないが、どこかへ捨ててきたか? それとも捨てられたか? まさか、“それ”が新しい相棒だとでも? 馬の乗り換えはルール違反だが、相棒は乗り換えても問題ないようだからなぁ」
 ディエゴはスロー・ダンサーの背にいるジャイロを指差した。それがたった今その名を口にした相手だと知っている──その上でわざとくだらないジョークを言っている──のか否かは──ジャイロの馬がすぐ傍にいることに気付いているのかどうかも──分からない。とりあえず、わざわざ教えてやるつもりは毛頭ない。
 言葉が分からなくても、ディエゴが好意的な人物でないということはジャイロにも伝わっているらしい。彼は不機嫌そうにしかめっ面をしている。たぶん自分の顔も同じような表情になっているだろうなとジョニィは思った。
「用がないならさっさといなくなってくれないかな」
 「出来ればこの世から永遠に」と心の中で付け足す。ディエゴは面白い冗談を聞いたというように──ジョニィの心の中の声が聞こえたかのように──くつくつと笑った。
「子供の教育に悪い、か?」
 ジョニィは再び睨んだ。
「まあ、監視係がいるこの状況で争うわけにはいかないな」
 ディエゴは上空の気球にちらりと目を向けながら言った。
「ルールに救われたな」
「君もね」
 はっきり言ってフラストレーションは溜まるが、ジャイロが戦えない──己の身を守ることも出来ない──今は、幸いと思うべきだろう。
 水を汲んで立ち去るディエゴの背中を、ジャイロはジョニィと共にずっと睨んでいた。
「もう大丈夫だよ」
 ジョニィがそう声をかけると、ジャイロは首を傾げるような仕草を見せる。
(やっぱり言葉が通じないってのは不便だな…)
 半日振りに会話が──望む望まないは別として──可能な相手と会って、改めてそう感じた。
 その時、まだかすかに残っていた緊迫した空気を完全にかき消そうとするかのように、ジャイロの腹がぐうと鳴った。言葉以外にも感情を伝える術はあるぞと言われたような気がして、ジョニィは思わず笑った。
「よし、食事にしよう。食べ終わったらすぐに出発するからね」

 日暮れが近付いてきた頃、風が出てきた。暗くなってきたからなのか、風の所為なのか、あるいはその両方か、監視用の気球は次々と撤収を始め、数十分後には姿を消してしまった。
(まずいな……)
 ジョニィは心の中で呟いた。陽のある内に町まで辿り着けるかと思っていたが、読みが甘かったようだ。
 監視の目がなくなると、それは一種の“合図”になる。夜の闇の中に、ルールの及ばぬもうひとつの世界が現れる。そこでは、いつどこで何が“獲物”に狙いを定めているか分からない。
 ジョニィは小さく溜め息を吐いた。まるで子供の頃に聞かされた怪談だ。
(くだらない)
 だが、彼の耳は近付いてくる蹄の音に気付いていた。
 上体を捻って後方へ目をやると、黒いフードを目深に被った騎手が見えた。間違いなくこちらを目指して馬を走らせている。そしてその手には、銃が構えられているようだ。
(ずいぶん露骨だな)
 それは自信、必死さ、それとも無謀さ、どれの現れなのだろうか。
「スロー・ダンサー! このままペースを保て! ヴァルキリーもついてこい! ジャイロ、君は出来るだけ頭を低くしてるんだ」
 大きな帽子の上からぐいと頭を押すと、ジャイロは慌てたように身を屈めた。
「タスク!」
 右手の爪に回転をかけ、5発連続で発射する。片手でジャイロを支えながら後方を振り返る無理な体勢で放った爪弾は、それでも1発は追撃者の馬に命中し、もう2発が乗り手の左腕を飛ばした。ぎゃあと悲鳴を上げる声に、甲高い叫び声が重なる。
「じょにい!!」
 前を向き直すと、ジャイロがさらに前方を指して何か喚いている。先程の男──顔は見えなかったが、声から判断した限りでは男で間違いない──と同じような格好をした騎手が向かってくるのが見えた。
「2人組か!」
「食らいやがれ!!」
 男の叫び声と、銃声が響く。その弾丸はスロー・ダンサーの前脚をわずかに掠めた。
(マズい)
 スロー・ダンサーの体はぐらりと大きくバランスを崩し、そのまま転倒した。それに巻き込まれるように、ヴァルキリーも体勢を崩しているのが視界の隅に見えた。ジョニィ達の体が空中へと放り出される。
「ジャイロッ!!」
 咄嗟に両手を伸ばし、ジョニィは少年の体を抱き寄せた。そのまま地面へと落下し、左半身を強く打ちつける。一瞬呼吸が止まった。
「くっ……」
「じょにい!」
 ジャイロが叫ぶ。どうやら彼は無事なようだという安堵だけはひとまず得られた。
 なんとか上体を起こすと、心配そうな目が間近にあった。
「ジャイロ、怪我はないな? 良かった」
 ジョニィの方も、元々痛みを感じない部分はともかく、骨や関節に異常はないとみて良さそうだ。それだけ確認し終えると、彼はすぐに発射の構えを取った。
 敵は爪弾がぎりぎり届くか否かといった距離にいる。まさか射程距離を把握されているということはないとは思うが、用心深い相手であるとみて良いだろう。
 相手が持っている銃の種類は分からないが、わざわざ姿を見せたくらいだ。長距離射撃が可能なライフルであるということはないだろう。それでも物によっては充分狙撃可能な距離だ。
「ジャイロ! 離れてろ!!」
 ジョニィは立ち上がらせたジャイロの背を強く押した。小さな少年はたたらを踏むと、ヴァルキリーの背からこぼれ落ちた荷物の上に倒れ込んだ。
 再び銃声が響く。立て続けに2発。放たれた弾丸を、ジョニィは爪弾で撃ち落した。
 これでジョニィの残りの“弾”はあと3発。
 敵が馬から飛び降りるのが見えた。何をと思う間もなく、男の背後に黒い影のような像が現れる。
「スタンドか!」
 男の着地と同時に、その手が触れた地面から、鋭い針のような物が出現した。距離があるために断言は出来ないが、それは子供の背丈、及び、胴廻りほどもあるだろうか。それが複数、地中をうごめく蛇のように、ジョニィ目掛けて一直線に向かってくる。
(土を操る能力か何かか!)
 おそらくそれ自体は攻撃しても無駄だ。狙うなら、本体だ。
 ジョニィは自分の足元に向けて爪を撃ち、その反動で飛び上がった。そのまま空中で構える。
「食らえッ!!」
 敵は再び地面に手をつく。土は今度は壁のような形になって、その男を守ろうとする。が、ジョニィの左手から放たれた爪弾は、その防御壁毎男の喉元を撃ち抜いた。“針”と“壁”は一瞬でただの砂へと戻った。
「やった……」
 地面に這いつくばるような体勢で、ジョニィは全身で息をする。爪はほとんど撃ち切ってしまった。たったひとりで戦うことの苦労を改めて思い知った気分だ。
(ジャイロが元に戻ったら、絶対文句言ってやろう)
 半ば冗談でそんなことを考えていたジョニィの耳に、悲鳴のような声が届いた。
「Attenzione!」
 注意を促す言葉に似た響きに振り向くと、すぐ間近で左腕のない──1人目の──男が、ナイフ──最初に持っていたはずの銃はおそらく腕と一緒に吹っ飛んだのだろう──を振り上げ、凄まじい形相で睨んでいた。
 構える間もなく、振り下ろされたナイフのグリップに頭部を強かに打たれた。
「ぐっ……」
「てめぇ、よくもおれの腕をッ! 殺してやる……、殺してやるぜ!!」
 姿を消す間際の夕日の最後の光を反射して、刀身が光る。
 最後の爪弾を撃つしかない。
(でも、この体勢では……)
 しかも外せば後がない。
「タ、スク……」
 しかし、発射よりも先に、鈍く重たい打撃音が響いた。かと思うと、ナイフを持った男がばったりと倒れる。
 男と一緒に地面に転がったのは、ジャイロの鉄球だった。
 顔を上げると、幼いジャイロがもう1つの鉄球を握り締めたまま肩で息をしている。
「ジャイロ……。君が投げたのか?」
 転がっている鉄球とジャイロを交互に指差すと、ジャイロはこくりと頷いた。倒れた男の後頭部には、巨大なコブが出来ている。荷物からこぼれた鉄球を拾い、咄嗟に投げ付けたのだろう。
 おそらくそれは、正しい“回転”がかかった一投ではなかった。それでも鉄製の球を至近距離でぶつけられれば、脳震盪くらいは起こる。男は完全に気絶しているようだ。
「そっか、君が助けてくれたんだ」
 これまでの旅で、ジャイロに助けられたことは何度あっただろうか。体が小さくなっても、ジョニィのことを忘れてしまっていても、ジャイロはジャイロであるらしい。それはなんだか、喜ばしいことであるように思えた。
「グラッツェ、ジャイロ」
 数少ない知っているイタリア語を口にすると、ジャイロは満面の笑みを浮かべて抱き付いてきた。
 小さな子供の扱い方なんて、ジョニィは知らない。こういう時、どうしたら良いのだろうか。記憶を遡ると、幼い頃、まだ存命だった兄がよく頭を撫でてくれたことを思い出した。自信はないままに真似てみると、ジャイロはますます嬉しそうな顔をした。
(なんだ、こんなことでいいのか)
 ほっとすると同時に、ジョニィの口元にも自然と笑みが浮かんだ。
 ジャイロの頭には、いつの間にか帽子が乗っていなかった。転倒した時に脱げたのだろう。それは少し離れたところに転がっていた。
「ほらジャイロ、帽子落ちてるよ」
 拾い上げて頭に乗せてやる。
「なくすなって言ったろ」
 両手で帽子の鍔を持ちながら、小さいジャイロは改めて笑った。それは、日が沈んで姿を現した星空のようにきらきらと輝いていた。

 結局、町に辿り着いたのは真夜中近くになってからだった。スロー・ダンサーの背に揺られながら、ジャイロはすっかり眠ってしまっていた──いつの間に見付けたのか、その手にはジャイロの鞄に入っていたはずのクマのぬいぐるみが握られていた──。
 夕食を取っていないが、その寝息を聞いていると起こすのは可愛そうだと思った。こんな小さな体で1日中馬の背に揺られているのは──しかも奇襲もあった──相当疲れたことだろう。斯く言うジョニィも、ジャイロ──とクマ──をホテルのベッドに寝かせ、2頭の馬──銃弾が掠って出来た傷は幸いにもそれほど深くはなかったが、念の為ゾンビ馬の糸で縫っておいた。ジャイロほど上手くは出来なかったが、走ることに支障はなさそうだ──のマッサージを終えた頃には、くたくたになっていた。
「もう限界」
 自分もこのまま寝ようと決める。食事は明日取れば良い。
 部屋へ戻ると、ジャイロは相変わらずすやすやと寝息を立てていた。そして相変わらず小さい。彼をこんな姿にしたのは先程の襲撃者のスタンド能力かと思ったのだが、2人とも倒したにも拘わらず解除されないということは、違うということなのだろう──そもそもひとりは土を操る能力であったようだから、最初から違ったのだろうが──。まだ他にも敵がいるのか。それとも、スタンド以外の何かがあるのか……。
「……駄目だ、眠い」
 考えるのも明日にしよう──その方が良さそうだ──。
 元々レースの為に作られた小さな町の、さらに小さなホテルには、1人用の部屋しかなかった。子供になってしまったジャイロを独りで泊まらせるのは躊躇われたため、1つしかないベッドを2人で分け合うことにした。そのことを承知しているのか、ジャイロはベッドの隅の方で体を縮めるようにして眠っている。子供のくせに、妙にしっかりした部分があるようだ。兄弟がたくさんいると言っていたから、他人との共同生活に慣れているのかも知れない。
 ジョニィは、弟がいたら、こんな感じだったのだろうかと思った。
(弟だったぼくはどうだったかな……)
 少なくともクマのぬいぐるみは持っていなかったとは思うが──だがねずみを飼おうとしていたことはあった──。
 手を伸ばして、ジャイロの髪に触れてみた。子供特融の柔らかい毛先が指先を滑る。そこには少しの傷みもない。
 大人になるにつれて嫌でも触れてゆくことになる世間の穢れや他人の悪意を知らない穏やかな寝顔がそこにある。絵画の中の天使が子供の姿で描かれている理由が分かる気がする。「これ」が20年足らずで「ああ」なるというのだから、世界は残酷だ。この間なんて、寝言で人妻がどうとか言っていた。
(どんな夢を見てたんだか)
 ジョニィが吐いた溜め息は、途中から欠伸に変わった。
 今のジャイロは、何も知らない。いっそのこと、今の内に自分だけのものにしてみるか? と、ジョニィの中に潜む天使とは最も遠い存在が囁く。
(既成事実ってやつか……)
 今の状況なら、なんだって出来てしまうだろう。彼の「初めて」の相手を自分にしてしまうことも。主導権だって、完全に自分のものに出来る──体格や力の差に加えて脚が動かないという事情もあるので、普段ならそうはいかない──。
 数秒の間を経て、ジョニィはふっと息を吐いた。
「バカバカしい」
 そんなことをしてなんになる。かぶりを振って、ジョニィは馬鹿な考えを切り捨てる。
 今──ジャイロが子供になってしまっている今正にこの時という意味ではなく、24歳の彼と、19歳の自分──の2人の間には、ただの友情や仲間意識を越えた感情と絆が──それから物理的な意味での繋がりも何度か──ある。それは揺るがない事実だ──それでいて決して無理強いされたことはない──。それでいいじゃあないか。
 何よりも、流石にこの年齢の子供に手を出すのはどう考えてもアウトだ──おそらく人妻以上に──。
(物理的にもね、なんていうか、“足りない”し)
 ジョニィは再びジャイロの髪を撫でた。
「早く元に戻らないかな」
 ──元の年齢の──ジャイロに1日会わなかっただけで、もう落ち着かない。彼を知らずに19年もの時を過ごしてきたなんてことの方が何かの間違いなのではないかと思うほどに。
 彼に会いたい。物理的な意味を除いても、“今”のジャイロでないと駄目なのだ。
 だからこそ、“この”幼い少年を守ってやらねば。きっとジャイロは戻ってくると信じて。
「おやすみ、ジャイロ」
 毛布を掛け直してやってから、ジャイロの隣で横になった。ジョニィの意識はすぐに眠りの中に落ちていった。

 目が覚めると、ジャイロの姿はなかった。
(またか)
 ジョニィは上体を起こして室内を見廻した。が、どこにもいない。
(どこに……?)
 まさか攫われたんじゃあないだろうなと思った矢先、ドアが開いて姿を見せたのはジャイロ・ツェペリだった。並んで立つことが出来ても見上げることになるであろう位置にある顔は、「にょほほ」と笑った。
「ジャイロ……、戻ったのか」
「おう。今戻ってきたぜ。お前さんがよく寝てるもんだから、先に馬達に餌やってきた」
 ジャイロはなんでもない風に言った。
「違う。元に戻ったのかって言ってるんだ」
「元に?」
「もしかして、覚えてないのか?」
「なにが?」
 ジャイロは首を傾げた。どうやら、昨日1日のことは忘れてしまっているようだ。何度聞いても、キャンプ中にジョニィと見張りを交代した以降の記憶がないらしい。どうしてホテルのベッドで目を覚ましたのかも。
 そんな状況にも拘わらず、のんびりと馬の様子を見に行っていたとは。順応性が高いというか、呑気というか……。
「とりあえずお前が呑気に寝てるから、まあ危険はないんだろうなと思って」
 どうやら呑気なのはジャイロだけではないようだ。だがそんな責任を押し付けるようなことを言われても困る。
「君は隣で寝てる人間が呑気してたら、それで納得するわけ? 酔っぱらって知らない女の子連れ込んだ場合はどうするんだよ。その女が呑気に寝てたら『まあいいか』ってなるのかよ」
「お前、おれに連れ込まれたって言いたいの?」
「馬鹿」
 「良かった」と安堵すると同時に、苦労したのは自分だけかと思うと文句のひとつでも言わずにはいられなかった──元々そうしようと思っていたんだった──。ジョニィはジャイロの顔を軽く睨むように見上げた。
「本当に覚えてないの?」
「全然」
「ふーん」
 馬鹿な考えと切り捨てたはずのことを、どうせ覚えていないならちょっとやってみれば良かった。等と思ったことは秘密だ。
「どした」
「なんでも」
 ジョニィは首を振った。
「君、昨日1日子供に戻ってたんだよ」
「なんだそれ、マジか」
「マジだよ。英語喋れないし、独りで馬にも乗れないし、面倒見るの大変だったんだからな」
「なんだよそれ、スタンド攻撃?」
 そういえば原因は分からないままだ。つまり、根本的な解決には至れていないことになってしまうのだろうか。
「それは自分で探って。探りたいなら。ぼくは正直疲れた」
「おっかしいなー。オレそんなに手のかかる子供じゃあなかったはずだぜ? 賢そうな子だったろ?」
「よく言うよ」
 確かに言葉が通じないわりには聞き分けは良かったが。
「それだけじゃあなかったんだよ。銃を持った敵2人をぼく独りで倒さないといけなかったし」
「へぇ、すげーじゃん」
 本当は2人目をノックアウトしたのはジャイロだが。
「Dioはウザいし」
「それはいつものことだな」
 確かに。
「ぼくがいなかったら野生動物の餌になってたんだからな。感謝しろよ!」
「分かったって」
 ジャイロはやれやれと息を吐きながら、少し笑った。
「じゃあ、お前が縮んだ時はオレが面倒見ててやるよ」
「はぁ?」
 ジョニィは眉をひそめた。
「なにそれ。なってたまるか」
 もしそうなったとしても、ジャイロは英語を話せるし、脚も自由に動かせる。それに弟の世話をしたことがあるという実績も持っている──ジョニィは世話をされる側の弟だ──。明らかに彼の方が楽だ。
「ずるい」
「ずるいの意味が分からん」
「君にはぼくの苦労は分からないってこと」
 真剣に腹を立てているつもりはないが、ジャイロがどんな反応を見せるだろうかと思って顔を背けてみた。聞こえてきたのは幾度目かの溜め息の音だ。
「じゃあ分かったよ」
 言うや否や、ジャイロはジョニィの体を抱き上げた。
「うわっ!?」
 不意のことに、ジョニィは反射的にジャイロの肩にしがみ付いてしまった。丸1日振りに触れる体温に、思わずどきりとする。
「今日1日、面倒見てやろうじゃあねーか。縮んでなくても」
 宣言するように言うと、彼はドアに向かって歩き出した。
「とりあえず飯だな。行くぞ」
 そのままジョニィを運んで行くつもりらしい。
「そんなんで絆されると思うなよ」
 ジョニィはジャイロを睨んだ。
「はいはい」
 ジャイロは笑いながら片目を瞑ってみせた。その表情は、すっかり元通りの彼だ。
(……良かった)
 安心したら、少し眠くてなってきた気がした。このままジャイロの腕の中で眠ってしまったら……、
(そしたら少しは迷惑かけられるかな)
 ジョニィは「やってみてもいいな」と思った。


2018,12,10


関連作品:Little Son(雪架作)


何故受けちゃんのショタ化という王道を外れてしまったのでしょう。
何故このシリーズでバトルシーンに挑もうとしてしまったのでしょう。
何故これまでのパターンを壊して最後に記憶が残らないようにしてしまったのでしょう。
色々疑問はありますが、とりあえず本筋に関係なさそうなウザいだけのディエゴはただ書きたかったから書いた。
それ以上の意味は全くない。
それだけは確信しています(笑)。
<利鳴>

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