アバブチャ フーナラ 全年齢 幼児化

関連作品:Little Star 4(雪架作)


  Lightly Star


 ふと見上げた壁掛けの時計は、予想していた時刻よりも幾分先を指していた。
「もうこんな時間か」
 アバッキオが呟くと、その視線を辿ってブチャラティも口を開いた。
「遅いな」
 主語はなかったが、何を……いや、誰を指しているのかは分かった。正確には“誰と誰”のことか。アバッキオの時間の感覚がずれていた理由も、そこにある。フーゴとナランチャがまだ来ていない。その所為で、“まだ2人が来ていなくても不思議ではない時間”だと、そう思っていたのだ。サラリーマンのように決まった出社時間があるわけではない――時間厳守の任務が入っていなければの話だが――。それでもすでに、充分遅刻であると言って良い時間だろう。休むとの連絡は入っていない。
 ナランチャについては、なんとなく、「そんなこともあるかな」と思ってしまう。彼の性格を考えれば、おそらく寝坊でもしたのだろう、と。だが実際には、彼が遅れてくることは稀だった。サボることも決してない。それはきっと、彼が自分の居場所として認識しているのが――本人が未成年なので――組織の名義で借りているアパートの一室なんかではなく、“仲間”の傍だからなのだろう。似たような感覚は、アバッキオも持っている。そんな彼が、連絡もせずにまだ顔を見せていない。
(珍しいな……)
 それにフーゴもだ。彼は気の短い性格ではあるが、与えられた仕事を放棄するような男ではない。遅れてきたメンバーに「遅い」と文句を言っているくらいの方が容易にイメージ出来る。意外でもなんでもなく真面目で、むしろそのキレ易さの方が“意外”なくらいだ。そんな彼も、今日は姿を見ていない。
 2人とも、体調でも崩したのだろうか。2人そろって? 風邪でも流行っているのか?
「2人には午後から仕事を任せるつもりだったんだがな」
 ブチャラティは携帯電話を取り出した。呼び出し音が鳴り続けているのがアバッキオの耳にもかすかに聞こえる。
「……出ないな」
「何かあったか」
 そう思うのは、それほど突拍子もないことではないだろう。何しろ彼等はギャングだ。敵意を向けてくる者は、いくらでもいる。
「様子を見に行こう」
 椅子から立ち上がるブチャラティに、アバッキオは無言で従った。もしブチャラティの言葉が「様子を見に“行く”」であったとしても、そうしていただろう。
「“行こう”って、おれ達も?」
 首を傾げたのはミスタだった。彼はそれほど危機感を覚えてはいないようで、「少し大袈裟じゃあないのか」というような顔をしている。チームに入って日が浅い所為かも知れない。それに、あの2人――フーゴとナランチャ――の普段の様子――学生同士がじゃれ合っているようにしか見えないことも少なくない――が、“異常な事態”と上手く結び付かないのだろう。何もなければそれで良いのだ。だが楽観視していて“何か”あった時、きっと彼等は激しく悔いることになる。
「いいから、とっとと行くぞ」
 アバッキオは訝しげな表情の新入りを肘で突き飛ばすように促した。

 先に訪ねて行ったのは、距離の近い方――と言ってももう一方もさほど離れてはいないが――のフーゴの部屋だ。呼び鈴を鳴らしても、応答はない。ただ寝ているだけなら良い。それが体調不良のためであったとしても、もっと悪い事態と比較すればずっと良い――ひどく当たり前のことを言っているようだが――。
「鍵掛かってるぜ」
 ミスタが言う。彼が指差したドアノブには、何等かの異常――抉じ開けようとした痕跡等――は見られなかった。
 施錠なんてものは、ブチャラティのスタンド能力でなんとでもなる。人目がないことを確認してから、彼等は難なく中へ入った。
「フーゴ、いないのか?」
 奥へ伸びる廊下は静まり返っている。争ったような形跡はない。おそらくそこが寝室なのだろうと思われる部屋のドアにブチャラティが近付いた。ノックをするが、応える声はない。
「入るぞ」
 そう言うと、ブチャラティはドアを開けた。こちらは施錠されていないようだ――そもそも、鍵が掛かるドアなのかどうかも分からない――。
 中には誰もいなかった。いや、違う。ベッドの上に、想像もしなかったものが転がっている。それが“良い”ものなのか、“悪い”ものなのかは、咄嗟には判断出来ない。
「……子供?」
 呟くように言ったのはアバッキオだったが、おそらくブチャラティとミスタの視線も同じところへ釘付けになっていることだろう。
 それは、小さな裸の子供だった。それも、2人。片方は毛先の跳ねた黒い髪で、もう一方は見事と言いたくなるようなプラチナブロンドだ。2人とも男児であることは一目瞭然。すやすやと寝息を立てて、寄り添うように眠っている。
「なんだ、この子供は……」
 部屋の中で妙なのは、それだけではなかった。
 まず、住人であるフーゴの姿がない。他の部屋やキッチン、バスルームまで見てみたが、どこにも彼を見付けることは出来なかった。しかし、彼が持たされているはずの携帯電話は、ライティングデスクの上の充電器に刺さったままだ。彼が外出しているのだとしたら、忘れて行ったことになる。フーゴらしくない。
 床には昨日着ていたと思われる服が脱ぎ散らかしたように放置されていた。片付けもしないだなんて、これまたフーゴのイメージとは合致しない。が、それは間違いなく彼の物だ――こんな個性的な服は、他で見たことがない――。ズボンの影になっているが、下着までそこにあるのが見えた。そしてその傍に、もうひとり分の衣服が落ちている。見間違いでなければ――こちらもなかなかに個性的であるといえる――、それはナランチャの服だった。
 2人揃ってこの部屋へやってきて、大急ぎで着替え、脱いだ服を片付ける間もなく――携帯電話も忘れて――どこかへ出掛けなければいけない緊急の用事が出来たとでも? そのことをチームのリーダーへ知らせることもせず?
(……いや)
 服を脱ぐ理由なら、低俗ではあるがもっと短絡的で分かり易い“理由”があるのでは……。控えめに言っても、2人はだいぶ“親しい”間柄であるようだし……。そういえば、彼等が朝から揃って事務所へやってくることは、決して少なくはなかった気がする。揃って帰って行くことも。……いや、余計な詮索――妙な勘繰り――はしないでおこう。プライベートなことに首を突っ込む気はない。それに、仮に“そう”だったとしても、この子供はどう説明する? 2人がどこかから攫ってきた? そんな馬鹿な。
「なあ、似てないか?」
 ミスタが尋ねる。「何が」と尋ね返すよりも先に、ブチャラティが「ああ、似ている」と応えた。そしてアバッキオも、実は同じことを考えていた。その小さな子供は、フーゴとナランチャの2人に良く似ていた。
「どういうことだ……?」
 子供の頃の2人の姿なんて知らない。それはアバッキオに限ったことではない。新入りのミスタはもちろん、ブチャラティですら彼等と知り合ってから長い歳月は経っていない。が、彼等をそのまま小さくしたら、おそらくこんな感じなのではないだろうかと思える程度には、面影がある。親戚か? 2人とも生家との交流は絶ってしまったように聞いていたが……。いや、それよりもむしろ……。
「もしかして、スタ――」
「んん……」
 小さな声がした。高い声だ。3人の視線が一斉にそちらへ向く。ベッドの上で唸るような声を上げながら目を擦っているのは、プラチナブロンドの方の子供だった。開いた瞳は、フーゴのそれと同じ色をしている。
「……どこ?」
 きょろきょろと辺りを見廻すと、
「だれ?」
 彼は首を傾げた。
「あれ……、パジャマない」
 自分が服を着ていないことに気付いたようだが、幼さゆえか、それともまだ眠気の方が勝っているのか、彼は騒ぎ出しはしなかった――これが年頃の娘だったら大騒ぎだろうが――。危機感は覚えていない様子だ。物珍しそうな顔で周囲を見廻している。
「知らないへや……」
 彼は大人達3人の顔を順に見ると、最終的にはその視線をアバッキオの方へ向けた状態でとめた。そして、
「ゆうかいですか?」
「馬鹿言え。なんでおれを見て言った」
「知らない子……」
 今度は隣で眠っているもうひとりの子供の姿を捉えているようだ。そちらはまだ目を覚ましていない。先に起きた方の子供は、おもむろに手を伸ばすと、もうひとりの頬を摘んだ。
「うにぃ……」
 おかしな声を出しながら、もうひとりも目を開ける。
「あにすんだろぉ……。あれ、ここどこ?」
 彼も1人目と同じようなリアクションだ。どちらもこの場所に覚えはないらしい。彼等が自発的にやってきたということはないようだ。
「なんなんだこいつら? なんでこんなところにガキが……」
 ミスタが言うと、黒髪の方――後に目を覚ました方――がむっとしたような表情を見せた。
「ガキじゃあない! ナランチャだ!」
 驚きがなかったわけではない。だが、「やはり」という感覚の方が強かった。似ているだけではない。その子供は――子供達は――、ナランチャ――そしてもう片方はフーゴ――本人であると見て間違いないだろう。若返っている。子供に戻ってしまっている。2人の様子からして、おそらく記憶さえも。
「スタンド攻撃か」
「年齢を操作する能力か……。可能性はあるな」
 対象を子供にして無力化させる力……。確かに、存在していても不思議はない。探し廻ればその真逆の老化させる能力を持つ者も見付かるかも知れない。スタンドの世界に「ありえない」という言葉は存在しないと思って良いだろう。
「じゃあ、つまり2人はスタンド使いの攻撃を受けてるってことか!」
 そうは言ったが、子供になった2人は無傷である――服を着ていないので外傷がないことは一目で分かる――。何故追撃がないのか。
「もしかして、目的はただの足止めか?」
 その可能性は大いにある。
「今日の2人の予定は?」
「そうだ。2人で調査に行かせるはずだったんだ」
 そのことが調査の対象である者に知られたのだとしたら……。2人を無力化しただけで戦おうとしないのは、この隙に逃走の手筈を整えているからではないのか。
「逃げ出すってことは、調べるまでもなく黒だな」
「2人が向かうはずだった場所は?」
「フーゴに地図を持たせてある」
 それは探すとすぐに見付かった。携帯電話の充電器の横に、丁寧に畳まれた状態で置かれていた。すぐに使えるようにとの配慮だろう。ブチャラティはその地図をミスタに手渡した。
「ミスタ、お前が向かえ。今日調べるはずだった連中に、スタンド使いがいないか確認するんだ。方法は問わない!」
 ブチャラティの指示に、ミスタが「了解!」と自信に満ちた笑みを見せる。それと同時に、6体の小さなスタンドのヴィジョンが出現した。
「行くぜ、ピストルズ!」

 ミスタの足音が遠ざかると、周囲は静かになった。同じ建物にいるはずの住人達は、皆外出しているか、夜勤明けの睡眠中なのだろうか。
 幼いフーゴは、まだ不審者を見るような目付きをしている。そんなことをしている暇があるなら、先に自分の格好をなんとかしたらどうだと言ってやりたいところだが、子供が着られるようなサイズの服は、この部屋ではまず見付からないだろう。
 一方ナランチャは、ぽかんと口を開けてアバッキオとブチャラティの顔を交互に見上げている。17歳の彼も、よく同じ表情をしていたなとアバッキオは思った。
「あんたたちだれ?」
「ガキのクセに態度がでかいな」
「ガキに礼儀を求めるなよ」
「ガキじゃあない! ナランチャだ!」
 そのセリフはさっきも聞いた。どうせなら元に戻るための手掛かりになるようなことを喋ってくれれば良いのに。子供の声は――大声を出されるとなおさら――甲高く、アバッキオには少々耳障りだ。彼は元々小さな子供が好きではない――幸いなことに、好かれるタイプでもない――。
 アバッキオが顔をしかめている横で、ブチャラティはにこやかな笑みを浮かべている。どうやら彼の鼓膜と脳味噌は、アバッキオのそれとは違う造りをしているらしい。
「おれはブチャラティ。こっちはアバッキオ。お前達との関係は、……説明が面倒だな。親の知り合いだとか、近所の人間だとでも思ってもらっていい」
 ナランチャはいまいちピンときていないようだ。それはそうだろう。そんな説明、大人だって首を傾げる。
「おまえは?」
 ナランチャはフーゴの方を向いた。知らない人間相手に名乗るつもりはないとでも言おうとしたのか、フーゴはふんっと視線を背けた。が、すでに自分以外の者は全員名乗っている――アバッキオは自分でそうしたわけではないが――ということに気付いたようだ。わずかに躊躇うような表情を見せてから、小さな声で応えた。
「……ぼくは、パンナコッタ」
「パンナコッタ?」
 そういえば『フーゴ』というのはファミリーネームだったか。聞き慣れないファーストネームに、アバッキオまで訝しげな顔をしそうになった。
 ナランチャはフーゴの顔をじっと見ている。見られている側は、なんだか居心地が悪そうだ。彼は顔を背けようとした。が、それより先に、ナランチャが手を伸ばし、彼の白い頬をべろりと舐めた。
「ひあっ!?」
「おい、何してるそこ」
「あまくない……」
「いくらパンナコッタが食べ物の名前だからって……」
「アホだな、こいつ」
 アバッキオは呆れて溜め息を吐くように言った。ブチャラティは、忙しなく自分の頬を手の甲で拭うフーゴを見て笑っている。
「笑ってる場合かよ」
 2人は敵の攻撃を受けているというのに。
「ああ、すまん。でも微笑ましいじゃあないか」
「呑気なリーダーだぜ」

「で、とりあえずどうする?」
 敵のスタンド使いはミスタが追ってくれているが、では自分達は何もせずにのほほんとしていても良いのかというと、そういうわけにもいかないだろう。
「そうだな。とりあえず着る物はないかな」
 ブチャラティはわりと『のほほん』だ。その呑気さに、アバッキオが眉をひそめると、「裸のままでいさせるわけにもいかないだろ」と返された。正論なだけに、反論は出来ない。
「と言っても、ここはフーゴの部屋なんだよな。勝手にあちこち探し廻るのは気が引けるが……」
 そう言いながらも、ブチャラティは迷った風でもなく備え付けのクローゼットを開けた。『気が引ける』とは言っても、親が子供の部屋に入るくらいの感覚なのかも知れない。
「何かあるか」
 まさか子供服はないだろう。
「袖の長ささえなんとかすれば、このワイシャツでなんとかなるだろうか」
 安売りの子供服を吟味するような口調が少しおかしかった。その手には白いシャツが2枚。
「フーゴがそんな服着てんの見たことねーぞ」
「おれは見たことがある。確か去年の寒い日だったかな。今年は見た覚えがないな」
「へぇ……」
「今は着ていないようなら、拝借しても大丈夫だろう」
 袖は短くしてしまうことにした。と言っても、鋏は入れない。ブチャラティのスタンドを使って切り離せば、後から元に戻せるはずだ。便利な能力だ。
 ブチャラティのスタンドのヴィジョンは――ミスタのピストルズもそうだったが――、フーゴとナランチャの2人には見えていないようだ。つまり、今の彼等にはスタンド能力はないのだろう。いざという事態が起こっても、自分の身を守ることは出来ないと思った方が良さそうだ。少々厄介かも知れない。
 大人用のシャツは子供には丈が長い。ワンピースのような姿になったそれを見て、ブチャラティが頷く。
「とりあえずこれでいいか。ズボンもパンツも履いてないが、屋内にいれば寒いということもないだろう」
 ブチャラティが良いと言うのなら、良いことにしよう。
「よし、次は“お前の番”だな」
 ブチャラティのスタンド、スティッキー・フィンガーズが、「どうぞ」と促すような仕草をしていた。
「……ムーディー・ブルースを使えってことか」
 確かに、アバッキオのスタンドなら、何等かの手掛かりを見付けることが出来るかも知れない。少なくとも、2人がいつの時点で子供になってしまったのかは分かるだろう。が、
「いいのか?」
「何がだ?」
「ここ、寝室だぜ……?」
「そうだな?」
 それが? と言うように首を傾げられた。この男は、2人が同じベッドの上にいた理由をどう考えているのだろう……――しかも服は体が縮んで自然と脱げた風でもなく、投げ出されている――。まあ、やれと言われたのだから、仕方がない。命令には逆らえない。
「ムーディー・ブルース!」
 アバッキオの呼び掛けに応えて現れたスタンドは、すぐにその姿を変化させた。ベッドの上で猫の仔のように体を丸めて眠っている小さな姿は、ナランチャのものだ。2人を発見した時の状態から“巻き戻し”ていけば、いきなり他人が見るようなものではない状況が“リプレイ”されてしまうようなことはないだろう。“再生”されたナランチャの額にあるデジタル時計のような表示が、くるくると変わってゆく。が、それは明け方の時間帯まで巻き戻ったところで、ぴたりと止まってしまった。時折見られた寝返りらしき動きや、呼吸による胸の上下すら止まっている。
「馬鹿な……」
 “リプレイ”出来ない。まるで、これ以上の“過去”は存在しないというように。
「時間が捻じ曲げられているような状況だからな」
 ブチャラティは唇の下に手を当てるような仕草をしながら言った。
「お前のスタンドも、ある意味“時間”に関わる能力だ。相性が悪いのかも知れないな」
「つまり、手掛かりはないってことか」
 アバッキオは溜め息と共にスタンドを解除した。おそらく、試すまでもなく、フーゴも同じ結果になるだろう。
「ミスタが上手くやってくれることを祈るしかないか。まあ、新しい案はもちろん考えるとして、とりあえずはここにいるしかないだろうな。2人も、おれ達も」
 確かに、状況を理解していない2人を外へ連れ出すのは難しいだろう。かと言って2人だけにしておくわけにもいかない。そして、無理矢理小脇に抱えて運ぼうものなら、通行人に人攫いだと騒がれること請け合いだ――特にアバッキオの容姿では――。
「とりあえず大人しくしててもらうか」
「してると思うか? こいつらが“大人しく”」
 アバッキオが指差した先で、いつの間にかナランチャが走り廻っている。ベッドに飛び乗り、飛び降りる。部屋の中をぐるりと廻って、繰り返す。ベッドのマットレスが沈み込む度に、そこに座っているフーゴの体が跳ねる。ナランチャは何度か椅子にぶつかりそうになっていた。
「おいっ、大人しくしてろ!」
 後ろ襟を掴みながら怒鳴ると、ナランチャはばたばたと暴れ出した。
「わー、はーなーせーよぉー!」
「ったく、これだから煩いガキは嫌いだぜ」
 溜め息を吐いていると、裾を引っ張られる感覚があった。見下ろすと、アバッキオのコートを掴んでいるのはフーゴだった。睨むように見上げている。が、その拳は少し震えていた。
「なんだ」
 フーゴは大人しく座っていてくれていると思ったのに。彼は意を決したような表情で口を開いた。
「うったえますよ!」
「は?」
「じどーぎゃくたいです! その子をはなしてください!」
「こいつも可愛くねぇ……」
「随分難しい言葉を知っているな。流石フーゴだ。それに、ナランチャを助けようとしている。記憶も戻ってしまっているようだが、潜在的な部分では自分の後輩だと理解しているのかも知れないな」
 あるいは単純な子供同士の仲間意識か――アバッキオよりはナランチャの方が自分に近い者であるとは子供にもすぐに分かるだろう――。
「ブチャラティ! 笑って見てないでなんとかしろ!」

「おれもミスタについて行けば良かったぜ」
 椅子に座って背もたれにぐったりと体重を預けながら、アバッキオはぼやくように零した。まさか今日の任務が子守になってしまうとは。今からでもミスタの応援に行ってしまおうか。連絡を取ろうとして相手が追跡の真っ最中っだったりすると不味いが、ムーディー・ブルースを使えば邪魔をすることなく追い付けるはずだ。そんなアバッキオの考えを読み取ったかのように、ブチャラティが顔を覗き込んできた。
「おれをひとりにする気か?」
「なんだその殺し文句」
「そんなに退屈か」
「いや、退屈とかじゃあなく……」
「おれはそれなりに楽しんでるぞ」
 そのことには気付いていた。彼の表情はあくまでも穏やかだ。不意の襲撃がある可能性をすっかり失念してしまっているということは――流石に――ないだろうが。
「子供が好きなのか?」
「どうかな」
 ブチャラティは少し考えるような仕草をした。そして、
「ただ、自分が子供の頃のことを考えると、他のやつ等には平穏に過ごしてほしいとは思うかもな。この2人も、ただ幸せな幼少期をのほほんと過ごしてきたわけじゃあないんだ。それでもこうやって平和に遊んでいることが出来るのを見ると、少し安心するのかも知れない」
 そう口にする表情は優しく、彼が過ごしてきた子供時代と、今いる“世界”を忘れてしまいそうになるほどだ。今目の前にあるスタンドによる現象とは違うが、もし子供の頃に戻って“やり直す”ことが出来るとしたら、彼はそれを望むだろうか。何か少しでも運命が違っていれば、彼はただ平穏なだけの“世界”にいられたのかも知れない。だが、その場合、果たして自分は今の――“この世界”の――ように、傍に存在していられるのか……。
 無意識の内に、アバッキオは視線を落とし、表情を曇らせていた。それに気付いたらしいブチャラティが、「どうした」と尋ねる代わりにふっと小さく笑った。
「どうせなら、お前の子供の頃も見てみたかったな?」
「はぁ!?」
「フーゴとナランチャはわりと想像通りというか、すごく納得出来るんだが、お前の場合はイメージが難しいんだ」
「イメージしなくていい」
「そうだ。ムーディー・ブルースなら、本人が子供に戻らなくてもその姿が見られるな?」
「絶対にやらねーぞ」
 アバッキオはブチャラティを睨み付けた。が、その視線に迫力が不足していることは鏡を見るまでもなく自覚出来ていた。

 しばらくの間、ひとりでベッドの上を転がったり飛び跳ねたりしていたナランチャは、不意に「おなかへった!」と声を上げた。そういえば、目を覚ましてから何も食べさせていない。そうでなくても、もうとっくに昼を過ぎてしまっている。
「何か買ってくるか」
 やはり2人を連れて食事に出る気にはなれない。フーゴはともかく、ナランチャは勝手に動き廻りそうだし……、いや、フーゴはフーゴで、アバッキオの言うことは聞いてくれなさそうだ。まだ時々警戒するような視線が飛んできている。
 短い溜め息を吐いてから、アバッキオは立ち上がった。
「オレが行ってくる。何でもいいか」
「ああ任せる。グラッツェ。あ、ただしりんごと豆類以外で」
 外に出ると、真昼を過ぎた太陽が眩しかった。それに少し気温も高い。ミスタが敵を追って走り廻っているとしたら、なかなかにきついかも知れない。それともピストルズが昼飯だ昼寝だと騒いでいる頃だろうか。あのスタンドでも従えることが出来るなら、案外ミスタの方が――少なくともアバッキオよりは――子供の扱いが上手かったりするのではないだろうかと思った。本人が聞いたら怒るかも知れないが、精神年齢も近いのではないか? だからこそ“あの”スタンドの性格なのではないだろうか。まあ、何を言っても今更だが。
(もし“次”の機会があったらその時はあいつに全部押し付けよう)

 近くの店でピッツァを買って戻ると、ナランチャがブチャラティをジャングルジム代わりによじ登って遊んでいた。
「おい、何してる。あんまり引っ付いてんじゃあねーぞ」
「子供相手に嫉妬か」
「誰がッ」
 半ば逆さまの状態でブチャラティの背中にしがみ付いている小さな体を引き剥がすと、足元から刺すような視線が向けられた。フーゴだ。また虐待だなんだと騒ぎ出しそうだ。
「あーもう……」
 世の子持ちは大変だなと思った。いや、むしろ「もっと子供の躾をしっかりしやがれ」?
「よし、食事にするぞ。手を洗ってくるんだ」
「はーい!」
「フーゴ、お前も」
「はい」
 アバッキオが出掛けている間に、随分と打ち解けたと見える。2人は素直にブチャラティの命令……もとい、指示に従った。
「よし、アバッキオ。お前もだ」
「遊ぶな。それより、ミスタはどうした」
「さっき電話があった。やはり地図の場所はすでに無人になっていたそうだ。だが、手掛かりを見付けられたから、追跡は出来そうだと」
「そうか」
 ぱたぱたと軽い裸足の足音がして、2人が戻ってきた。ナランチャの着ているシャツには、明らかに濡れた手をそれで拭いた痕跡があった。
(まあ、フーゴの服だから、おれは構わんが……)
 4人揃ってリビングへ移動し、食事を取った。子供の好みなんて分からず、適当にスタンダードなマルゲリータを選んで買ってきたが、2人は文句も言わずにそれを食べた。余程腹を空かせていたのだろう。その状態であれだけ動き廻るとは。短時間ならともかく、毎日見ていられる自信はない。
(ミスタ、早くしてくれ……)
「お」
「あ?」
 ゴミを片付けようとしていたブチャラティが、何かに気付いたように手を止めていた。アバッキオが持ち帰ってきた袋の中から彼が取り出したのは、板状のチョコレートだった。
「ああ、それか。菓子でも与えておけば少しは大人しくなるかと思ってよ」
「おかし!」
 歓喜に満ちた声がして、ナランチャが飛び跳ね始めた。大人しくなることを期待して買ってきたのに、これでは逆効果だ。たった今食事を終えたばかりだというのに、大きな瞳は茶色い包みに釘付けだ。ブチャラティは笑いながらそれを手渡した。そして、「フーゴと分けて食べるように」と指示するのよりも早く、
「はんぶんはおれのだからな! もうはんぶんはパンナコッタの!」
 ナランチャの方からそれを言い出していた。
「……いいの?」
「うん!」
 大人達の分はないようだ。いや、そんなことではなく、
「独り占めするかと思ったのにな」
 2つ買ってくるべきだったかと思い付いた時にはもうアパートの前だったのだ。
「いいとこあるじゃあないか」
 ブチャラティが言う。その言葉はナランチャに向けてのものだったのかと思ったのに、彼の視線はアバッキオの方を向いていた。アバッキオはそれを振り払うように顔を背けた。
「うるせーよ。余計なこと言ってんじゃあねぇ」
 ブチャラティはくすくすと笑った。

 ゴミを片付けて戻ると、子供2人はまだチョコレートを食べていた。丁寧に包みを剥がしてひと欠片ずつ口に入れるフーゴと、丸毎齧り付くナランチャは対称的だ。同じ“子供”ではあるが、すでに個性はしっかり持っているようだ。自分が子供の頃はどうだったろうかと、アバッキオは首を傾げた。が、ほとんど思い出せない。それだけの歳月が過ぎている。ブチャラティはどんな子供だったのだろうかと、ふと思う。――先程ブチャラティも言っていたが――ムーディー・ブルースを使えば……。いやいや、そんな覗きのような真似をするわけには。
「パンナコッタってなんさい?」
 チョコレートを口いっぱいに入れたまま、ナランチャが尋ねていた。そういえばナランチャは日頃から年齢の上下に妙に拘るタイプだった。ブチャラティにはだいぶ懐いたらしい彼等は、子供同士でもすでに気軽に言葉を交わせる程度にはお互いの存在に慣れたようだ――主にナランチャの方が――。
「5才」
 フーゴが指を広げて見せると、ナランチャは「おれも!」と声を上げた。いちいち声がでかい。
「4歳だったらミスタが騒いでいたかもな」
「ああ、確かに」
「でもこいつ等、1歳違いじゃあなかったか?」
「いや、2歳違いだ。誕生日のタイミングの関係で1歳違いになる時期がある。今は同い年なんだな」
 一定の年齢だけ若返るスタンド能力なのではなく、対象をきっかり5歳にする力なのだろうか。敵の本体はその年齢に何等かの思い入れ――あるいはトラウマ――でもあるのか。そうであると仮定しても、敵の正体に心当たりは浮かばないが。
 アバッキオが少しでも敵に関する手掛かりはないかと考えているというのに、相変わらずブチャラティは呑気だ。ナランチャの頬を指差して、「チョコ付いてるぞ」と言って笑っている。
「ほえ?」
 ナランチャは自分の頬を見ようとしたようだ。見えるか馬鹿と言いたいのを堪えて、ティッシュの箱をブチャラティの方へ押しやった。だがブチャラティがそれに手を伸ばす前に、フーゴが身を乗り出してナランチャの頬に付いたチョコレートを舐め取っていた。
「ナランチャは、甘い」
 さっきやられたから仕返しのつもりか。いや、純粋に“お返し”? どちらにしろ、――彼等が本当の子供だとしたら――将来が心配だ。同じものを見ているはずのブチャラティはなんでもないような顔をしているのだから、彼の将来はもう手遅れなのかも知れない。

 チョコレートを食べ終えて程なくすると、フーゴが落ち着きのない様子で辺りを見廻し始めた。トイレかと聞くと、違うと首を横へ振る。
「ぼく、もう帰らないと。べんきょうのじかん……」
 5歳でもうそんなことを言い出すとは、随分としっかりした子だ。が、この状況を理解しろというのは無理な話だろう。
「仕方ない。おれがなんとかしてみよう」
 5歳児の勉強くらいは見られるだろうと、ブチャラティが言った。幸い、部屋には小学校の低学年向けの計算ドリルがあった。本当はフーゴがナランチャのために用意した物なのだろうが、それを借りることにする。
「じゃあ、あなたたちは、あたらしい先生?」
 家庭教師でも雇っているのだろうか。『あなた“たち”』と自分までカウントされているのが面倒なところだが、アバッキオが「違う」と否定するよりも先に、ブチャラティが「そういうことにしておこう」と決めてしまった。彼の命令には逆らえない。結果、計算ドリルを解くフーゴを見ているブチャラティの横で、アバッキオはチラシの裏にサインペンで絵を描いているナランチャを見ているはめになった――主な役目は紙からはみ出してテーブルに色を付けないかどうかの監視だ――。これでは家庭教師というよりもベビーシッターだ。
 フーゴは1年生用の問題は難なく解いてしまった。ブチャラティが採点するのを待っている間、彼の目はナランチャが生み出す形容し難い“アート”へと向けられていた。
「……それはなに?」
 同じ年齢のフーゴにも、ナランチャの意図は伝わらないようで、めちゃめちゃな心電図のように幾重にも折れ曲がった緑色の線を指して尋ねた。
「にわだぜ、にわ!」
 ナランチャは当然のように答える。
「庭?」
「しらないの? 木とか花がいる!」
「木や花は『はえてる』でしょう? それと、その丸いのはなに?」
「たいようにきまってんじゃん!」
「でも、太陽は赤くないよ。それに、太陽が出てるのに月もある」
 フーゴは指摘するというよりは心底不思議そうな顔をしているし、ナランチャは何も考えていないようである。2人の性格は全く合いそうにはないというのに、不思議と衝突する様子はないようだ。
「子供なのにちゃんとフーゴとナランチャに見えてくるな」
 ブチャラティが言う。
「元々ガキっぽいから変わらないってことか。ナランチャなんて、少し縮んだだけなんじゃあないか?」
「本人が聞いたら怒るぞ。さて、と……。フーゴ、採点が終わったぞ。すごいな。満点だ」
 ナランチャの“アート”から顔を上げたフーゴは、褒められているというのににこりともせず、「すごくないです」と言い返した。
「このあいだも、理科のドリルで98点をとったら父さんにおこられた。人生はやりなおしができないんだから、いつも100点でなきゃいけないって」
「うーん、耳が痛いな」
「可愛くないガキだぜ」
「子供にはもっと大らかに育ってもらいたいんだがなぁ」
「何親みたいなこと言ってやがる。他人のガキだぞ。自分で生んでから言え」
「その発言おかしくないか?」
 呆れたような口調で言いながらも、しかしアバッキオの表情は幾分穏やかになっていた。ブチャラティの『のほほん』が感染したのかも知れない。

 昼は暑さを感じるほどの天気だったというのに、夕方になると分厚い雲が空を覆ってしまった。雨の予報はなかったはずだが、今夜は星空は臨めないだろう。
 空が暗くなってきたのとほぼ同時刻に、ミスタから電話があった。ブチャラティはアバッキオにも聞こえるようにと、スピーカーにしてそれに出た。フーゴとナランチャは「おでんわ中はしー!」と言って指を口にあて、顔を見合わせている。煩くないのは良いことだ。
「そうか、難航しているか」
 ミスタの報告に、ブチャラティは眉をひそめなから応える。
「応援が必要か?」
 子供に戻ってしまった2人への追撃は相変わらずないままだ。これなら、2人掛かりでついていなくても大丈夫かも知れない。しかしミスタは『いや、そこまでは』と返した。組織に入って日の浅い彼にも、プライドというものがあるのかも知れない。きっと最後まで自分ひとりでやり切りたいのだろう。ある意味、それも子供っぽい意地と言えるかも知れないが、すぐに泣き付くようなやつよりは好感が持てる。
『それより、そっち頼むわ。おれは子供の面倒とか見られないからな』
 ミスタのその声に、ブチャラティはくすりと笑った。
「案外なんとかなるもんだぜ。今もアバッキオが立派に育児中だ」
『えっ、何それ。それは見たい』
「ブチャラティ! 余計なこと言ってんじゃあねぇ!」
「おでんわ中!」
「しー!」
 子供が2人掛かりで口を塞ぎにきた。アバッキオはそれを伸ばした手で抑え付けた。
「でたなー、せーたかせーじん!」
「うるせぇ! まんまじゃあねーか!」
「ぎゃくたいです! じどーぎゃくたいです!!」
「黙れクソガキ! 結局お前等もでかい声出してんじゃあねーか!」
『なんか、大変そーだな。やっぱそっち頼むわ』
 同情したような口調で言うと、ミスタは通話を終わらせた。携帯電話をテーブルに置いて、ブチャラティが口を開いた。
「まるでお父さんだな」
「誰がだッ」
 自分はただ、2人にしつこくねだられて“仕方なく”チラシで紙飛行機の作り方を教えてやっていただけだ。アバッキオがそう言うと、ブチャラティは益々笑った。その足元に、紙飛行機が旋回しながら着陸した。
「あー、またそっちいったぁ」
 フーゴの紙飛行機は真っ直ぐ飛ぶのに、ナランチャのは何度やっても見事なまでに曲がるのだ。
「バランスがわるいんだよ」
「ばらんす?」
「折り目が曲がってんだろうが」
「精密性が低いんだな」
 彼の大雑把な性格は5歳児の頃にはすでに完成されていたのだなと納得してしまった。3歳までに人格のほとんどは形成されるというような意味合いの言葉がどこかの国にあったことを考えると、あるいはもっと幼い頃からそうなのかも知れない。
(……ん、待てよ?)
 となると、フーゴは?
「ああもうッ!」
 フーゴはいきなりテーブルを叩き付けた。かと思うとその手はナランチャへ向けての平手打ちへと変化した。
「いってぇ!」
「何回言ったら分かるの!? まっすぐ折れって言ってるでしょ! ばか!! きみは赤ちゃん!?」
「ぶった! パンナコッタがぶった! 言いつけてやる!!」
「流石に罵りの言葉は子供っぽいな。あと、ナランチャは誰に告げ口するつもりだろう」
「言ってる場合か。うるせーからなんとかしろよ」
 やっぱり今からでもミスタに代わってほしい。アバッキオは溜め息を吐いた。

 すっかり日が暮れてしまう頃には、騒ぎ疲れたのか2人は眠ってしまったようだ。テーブルの上に広げられたチラシやペンを見て、これは自分が片付けなければならないのかと思うとうんざりしたが、ようやく静かになってくれた。大人しくしていてくれれば、可愛いと思えなくもないのに。
「ベッドに運ぼう。そっちを頼む」
 ブチャラティは指示を出しながら近い方にいたナランチャを抱き上げた。頷きを返してから、アバッキオもフーゴを抱え上げる。意識のない体は思ったよりも重く感じた。そして、ずっとそうしていたら熱いと感じそうなほどに温かかった。出来るだけ振動を与えないよう注意しながら、ブチャラティの横へ並んで移動する。
「……こうしてると、……ふ、夫婦みたい……だな?」
 ちょっと冗談を言ってみたくなっただけだった。しかしその冗談は、声が上擦って上手く音に出来なかった。しかもちょうど重なるタイミングでナランチャの髪がブチャラティの鼻先を掠めたようで、彼はくしゃみで他の音を掻き消した。
「へっくしっ。……ん、何か言ったか?」
「……いや、何も……」
 もちろん泣いてない。そんな、子供じゃああるまいし。

 2人の体をベッドに降ろした。1人用のベッドだが、小さい子供にはだいぶ余裕がある。2人並べて寝かせても、寝相が悪くない限り、落ちることはないだろう。しばらく眺めていたが、どちらも目を覚ましそうな気配はない。やっと静かになった。その様子を見ていたブチャラティが小さな声で言う。
「おれ達も少し休もうか」
 彼はドアを指差していた。
 子供達を起こさぬよう、静かに廊下へ出る。2人はそのままリビングへ戻った。
「お茶でもいれようか」
 ここはフーゴの部屋だが、まあそのくらいは許されるだろう。保育費代わりだ。アバッキオは「おれがやる」と申し出て、リーダーを椅子へと座らせた。お湯を沸かす間に、カップとソーサーを並べる。お茶の葉はすぐに見付かった。手際良く準備を進める背中に、声が掛けられる。
「ところでさっき、何か言ったか?」
「あ?」
 アバッキオが肩越しに振り向くと、ブチャラティは笑っていた。疑問を抱えているような表情ではない。案の定、彼のセリフは続く。
「夫婦がどうとか」
 アバッキオの手の中からキャディスプーンが落ちて音を立てた。割れる可能性がある物でなかったのは幸いだ。
「いっ、言ってねーよッ」
「ふーん? 本当か? 舐めたら分かるぞ」
「お前は5歳児と同じレベルかよ」
「そうだな、子供がいるんだ。やめておくか」
 そう言いながらも、ブチャラティの笑いはしばらく止まらなかった。やっとそれを中断させたのは、電話の呼び出し音だった。
「ミスタからだ」
 ブチャラティが携帯電話を操作すると、相手を確かめる言葉すらなく「やったぜ!」と叫ぶようなミスタの声が響いた。
「やったって、倒したのかっ」
『おう。ばーっちりよ。この程度、朝飯前だって』
「もう夕飯の時間になるが」
『だから明日の朝飯よりだいぶ前だろ。そっちの様子は?』
 フーゴとナランチャが元に戻ったことを確認するまでは――ミスタが倒した相手が間違いなくあのスタンドの本体であると確信出来るまでは――、彼へ向けた労いの言葉はお預けだ。通話状態のまま待つようにと指示すると、ブチャラティは寝室へと向かった。アバッキオもその後に続く。
 ベッドの上に2人はいた。まだ眠っているようで、ドアを開けた音への反応はない。ブチャラティとアバッキオが運んだままの状態……ではない。元の姿に戻っている。アバッキオから見ればそれでも充分子供であるが、少なくとも幼児の姿ではなくなっている。つまり、ミスタは無事に任務を果たしたようだ。
 だが、「やったな!」と手放しで喜べない“理由”があった。
 ブチャラティがスタンドで調整したシャツは袖を短くしただけなので、元の姿に戻った2人でも着ていられる――ただ半袖になっただけだ――。しかし、下半身には何も身に付けていない。戻った時のそういったことを、アバッキオは――おそらくブチャラティも――全く考えていなかったのだ。そんな姿で2人は、お互いを抱き枕にするように寄り添って眠っていた。幼児の状態ならまだしも、今の2人では……。
(ど……、どうするんだよこれ!?)
 起こすのか? このままにしておくのか? 2人が目を覚まして騒ぎ出したらとんでもなく面倒臭い。が、もし騒ぎ出さなかったら……。“これ”が日常だとでも言うような態度だったらどうしよう――せっかく考えないことにしていたのに――。それはそれで、どんな顔をすれば良いか分からない。いっそ笑えば良いか。
 このまま立ち去ったとしても、2人が自分達以外の者が出入りしたことにはすぐ気付くだろう――例えば飲食の痕跡や、ジッパーの付いたシャツで――。つまり、見なかったフリは出来ない。
(どうする!?)
 横目でブチャラティの様子を伺うと、彼はぽかんと口を開けていた。その手には通話状態のままの携帯電話が握られている。
『おーい。もしもし? どうなった? もしもーし? あれ? 聞こえてねーの? おーい?』

 ローマでの戦いを終えたポルナレフは、ジョルノ達と共にネアポリスへとその身を移すことにした。彼の肉体は死んでしまったが、魂はまだこの地上に留まることを許されている。それが未来永劫続くものではないということは、誰よりも彼自身が一番理解している。それはあくまでも、一時的なことなのだ、と。
 激戦を終え、仲間を失ったジョルノ達には、まだやるべきことが残されていた。同時に彼等は、疲れ果ててもいた。そんな彼等を少しでもサポートすること。それが、自分に与えられた新たな使命。この“時間”は、そのためのものなのだとの確信があった。元より“永遠”を望む気等ない――そんなものは、こちらから願い下げだ――。
 ジョルノとミスタは、ポルナレフを歓迎してくれた。去ってしまった者の代わりを務めることは出来ないが、それでも新たに『仲間』と呼べる者に出会えたことは純粋に嬉しかった。
 更に嬉しい誤算だったのは、ともすればもう二度と会うことは叶わないのかとすら思っていたかつての仲間、空条承太郎に――スピードワゴン財団を介して――連絡をすることが出来たことだ――ジョルノが協力してくれた――。電話越しの声を聞いただけで、10年以上前のエジプトでの戦いを思い出すことが出来た。承太郎はポルナレフの身に起こったことを聞くと、短く「そうか」とだけ返した。おそらく、言いたいことは他にもたくさんあったのだろう。それでも彼は、遠くない内に都合を付けてそちらに行くとだけ約束してくれた。ポルナレフには、それが却って嬉しかった。
 その電話で、承太郎がジョルノ・ジョバァーナのことを調査していたということを知った。同時に、彼があのDIOの息子であるということも。なんとも不思議な運命だ。ディアボロを倒すために待っていた人物が、かつての敵――仲間達の命を奪った者――の血を受け継いでいたとは……。しかしポルナレフは、DIOに対して感じたどす黒い感情を、ジョルノへ向けて抱くことはなかった。むしろ、その真逆だ。ジョルノには、父親とは違う、黄金の精神がある。直感でしかないが、そう思った。それを伝えると、承太郎はやはり「そうか」と返した。ポルナレフの言葉に疑いを持っていないことは、その顔が見えなくてもはっきりと感じ取ることが出来た。
『だが念のためだ。しばらくの間、そいつを見張っていてくれないか、ポルナレフ』
 それが本当に必要不可欠だとは感じていないような口調だった。
 そうやって彼は、新たに“留まる理由”を与えられた。自分はなんて幸せなんだろうとポルナレフは思う。このまま平和な“時”が続くと良い。“自分に”ではない。その“仲間達”にだ。
 ドアをノックする音が響いた。“亀”の中で耳を欹てていると、ミスタの声が聞こえた。
「邪魔するぜ」
 ポルナレフが顔を見せると、ミスタは「よう」と片手を上げた。反対の手――もとい腕――には、小さな子供を抱えていた。
「……なんだその子供は。どこから攫ってきた? それとも隠し子か?」
「馬鹿言え。拾い物だよ。気付いたらいた。それより、ジョルノとフーゴ見なかったか?」
「いや、見ていないな。一緒ではなかったのか? というか、なんだって? 『拾った』?」
 ポルナレフが眉間に皺を寄せるのを、その子供はじっと見ていた。小さな声が「カメからおじさんが……」と呟く。「おれはまだ36だ」と言ってやりたかったが、子供から見れば充分「おじさん」なのだろうと口を噤んだ。現実は非情である。
「ジョルノの部屋にいたんだ。いつの間にかな。ジョルノの親戚かなんかかとも思ったんだが、そのジョルノの姿が見当たらねー。ついでにフーゴも。ほっとくのもどうかと思って持ってきたってわけだ。なんか勝手にジョルノの服着てるし」
 そう言われて見れば、子供が羽織っているだぶだぶの学生服はジョルノの物であるようだ――その下に、ちらりとその子供が男児である証が見えた――。
 小さな子供の扱いは得意ではない。だが幸いにも、今のこの見た目――亀――のお陰で、子供はポルナレフに興味津々であるようだ。これなら、話を聞くことくらいは出来るだろう。いきなり泣き出されたりしなくて心底良かった。
「あー、わたしの言葉は分かるかい?」
 子供はさらさらとした黒い髪に、同じく黒い目――光の加減からか、少し青味掛かっているようにも見える――をしている。その顔立ちには東洋人の面影がある。だがイタリア語は問題なく理解出来るようで、子供はこくりと頷いた。
「わたしの名はジャン・ピエール・ポルナレフ。君の名は?」
 そう尋ねられると、幼い顔に似合わぬしかめっ面が現れた。名を聞かれることが嫌いなのだろうか。それでも彼は、質問に答えた。
「……ハルノ」
「アルノ?」
「ちがいますっ。どうしてこの国の人は、みんなぼくのことをちがうなまえでよぶんですかっ」
 子供の視線は上体を捻るようにしてミスタの顔を見上げていた。どうやら、今の会話はすでにミスタとの間で一度発生していたようだ――それであのしかめっ面か――。イタリア人であるミスタには、その発音はちょっと難しいのだと説明しても、子供にどこまで理解出来るか分からない。そういうポルナレフも、フランス人であるために、やはり意識しないとその音は聞き逃してしまいがちだ。いや今問題なのはそんなことではない。
 『ハルノ』。『ハルノ・シオバナ』。承太郎から聞いたジョルノ・ジョバァーナの本名が、確かそうではなかったか。そう思って見ると、面影があるようにも見える。しかも、大き過ぎる服の襟の中に、星の形をした痣が……。
「まさか、それは……」
「お前どっから来た?」
「おまえじゃあなくてハルノです」
「あー分かった分かった。じゃあアルノな」
「ハ・ル・ノ!」
「違うぞミスタ! それはジョルノだ!」
「……は?」
 子供は頬を膨らませながら「またちがうなまえ」と不満を露にしている。が、今はとりあえず無視させていただこう。ミスタの視線が、小さな姿をまじまじと見詰める。そして、
「なっ……、なにぃッ!? これがジョルノ!? 子供に戻っちまったっていうのかよ!?」
 なんだか妙に察しが良いようだ――いや、本当に良いなら、ここへ連れて来る前に気付いていても良さそうだが――。他人を子供に戻してしまうスタンド使いには、ポルナレフも遭遇したことがあるが、もしかしたらミスタにも近い経験があるのだろうか。彼は「でもあのスタンド使いはおれが確かに……」等と呟いている。
 そう、スタンド使いの仕業。そう考えるのが、一番理解し易い。だが他の可能性を捨ててしまうのは早計ではないだろうか。この世界には、他にも未知なる力を秘めた物がある。例えば、スタンド能力を引き出す弓矢。吸血鬼を生み出す古代のアイテム。あるいは、他にも……。
「まさか、いやしかしDIOの息子……。その肉体はジョナサン・ジョースターの……。あるいはより原種に近い状態で? となるとより強い感染力が……。通常の接触でも……」
「ポ、ポルナレフ? どうした急にぶつぶつと……。と、とにかく、ええっと、お前年いくつだっ!?」
「このあいだ5才になりました」
「5! よし! 4じゃあないんだな! とりあえずあの時のスタンド使いの資料を……。こんな時にフーゴはどこ行ってんだよ、ったく!」
 何か行動を起こそうとしてはいるようだが、ミスタも少々混乱気味であるようだ。ジョルノを小脇に抱えたまま、彼は廊下へ飛び出した。ポルナレフが少し落ち着けと呼び止めようとすると、しかしミスタの足はそれよりも先にぴたりと止まった。その向こうに、小さな人影が……。
「嘘……だろ……」
 そこにいたのは、銀色に近い色の髪の小さな子供だった。ポルナレフがこちら――ネアポリス――に来てから初めて顔を合わせた――ローマには来ていなかった――ジョルノ達の仲間、パンナコッタ・フーゴに似ている。そして彼の――穴が開いたデザインの――上着を着ている――サイズは完全に大き過ぎだ――。
 『PANDEMIC』。ポルナレフは、その英単語を思い浮かべていた――母国語の綴りではCがEに代わり、1つ目のEの上にダッシュが付く。イタリア語は知らない――。症状が、広まっている……?
「おまっ、もしかしてフーゴか!? いや、フーゴだよなぁ!? だっておれ見たことある!! お前2回目かよ!?」
「だれですかっ! ゆーかいはんですかっ! うったえますよ!」
「あああもう、めんどくせぇ!!」
 叫ぶミスタに抱えられたまま、ジョルノがフーゴの顔を見た。
「こんにちは」
「こんにちは。どうしてきみはその人にだっこされてるの? きみは赤ちゃん? たかいところが好き?」
「ここどこ? かってに入ったらしかられる。おなかすいた」
「ともだちになる? シャボン玉する?」
「パンツはいてない」
「ぼくも」
「好き勝手喋んな!!」
 誰一人として状況を理解出来ていない3人から、ポルナレフはそっと離れ始めていた。これがスタンド攻撃だろうと、未知の力――例えば謎のウイルスのようなもの――の仕業だろうと、自分に出来ることはない。なにしろ自分は、魂だけの存在で、亀で、しかもそう、おじさんなのだ。
(子供は子供同士ということで……)
 心の中でそっとミスタに謝りながら、ポルナレフは物陰へと隠れた。


2017,10,10


関連作品:Little Star 6(雪架作)

関連作品:Lose Star(雪架作)


1〜4部ショタの続きをと思ったのですが、同じ設定にするとメンバーに欠員が出てしまうので、別設定かもだし、同じ設定かもだし。くらいの内容を目指したつもりですが果たして……。
合同企画作品とはちょっと違うものになったので、タイトルも軽く変えました。
和訳は「軽く星」でお願いします。
星=ジョースター=ジョルノの出番が少ないのでね。
文法的におかしいのは承知の上で、わりと意味が分からない具合がギャグっぽい内容ともあってるかなと思えて気に入ってます(笑)。
ショタっ子がたくさん書けて楽しかったです。
「パンツはいてない」の使用許可を下さったセツさんに心から感謝いたします(笑)。
<利鳴>

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